2008-12-20

単著

博士に進むM2情報系。去年の11月ごろ、俺がやった大失態。

その時は、卒論の内容で、既に国際学会に一本通していた。

去年、卒論の時の指導教員に、卒論の内容をご好意でお世話してもらっていた。

卒論の時の指導教員は、英語論文誌が狙える内容だと思ってくださっていた。

今の指導教員は、日本語論文誌で出していいから出してしまって早く通して学振を狙え、といってくださった。

色々考えて、自分後者の方にしたがった。英語論文誌は時間がかかるので、評価は高いが情報系では出している先輩をあまり見かけなかったからだ。

卒論の時の指導教員は、「日本語論文誌なんて下らない」といいながらも、丁寧に指導してくださった。

自分は、今考えると血迷っているとしか思えないのだが、「卒論先生日本語論文誌を下らないと思っている→ただし、先生名前自分の後ろに付く以上、やはり先生としては見ないわけにはいかないだろう→今回は自分わがまま日本語論文誌にしたいといいだしたのだから、自分単著論文誌を出したら先生責任を負わずに済むのではないか」などと考えてしまい、「この論文単著で出したらどうなるのですか?」と卒論先生に聞いてしまった。

理系では、学生単著で出すのはあり得ない。

文系では、どんなに先生が直したとしても単著で出すのが基本かもしれないが・・・)

当然、卒論先生は怒ってしまった。

自分はすぐに、謝罪のメールを送ったが、それ以上に、自分自身が情けなかった。

卒論先生はせっかく、ご好意で、自分卒業後も自分を指導してくださっていたのに、私はそれを裏切ってしまった。申し訳ない申し訳ない申し訳ない。

僕は裏切り者だ。死んでお詫びしたい。

その日の夜は、本気でそう思った。ただし、「正常な判断が出来ていない」とは感じていたので、一晩寝たら、とりあえず「死んでお詫びしたい」はなくなった。

ただ、申し訳なさと恥ずかしさは残った。

他の人に相談しようにも、誰に言っても「そんなバカげた提案をする君が悪い」という返答しかかえってこなさそうで、誰にも言いだせなかった。

そのまま、ペースを崩して研究がほとんど出来ないまま、1年が過ぎてしまった。論文誌が間に合わなかったので学振も落ちたし、業績が伸びていないので来年はさらに不利になるだろう。この事件だけではなく、自分の怠慢さが招いた結果だと思っている。

ただ、博士に進めないとなると、さらに申し訳が立たないので、今、発作的に、ものすごく申し訳ないと思いながら、ただひたすら修論を書いている。

追記:

その後、この卒論先生とはちゃんと和解論文誌も出しました。

  • 卒論で出れられるのは、よっぽどえらいか、よっぽどあれな分野かどちらなんだろう。

  • 同じような境遇にあるが、単著で出した方がいいか聞く前に、 先輩方に聞いたらよかったのに。先輩がいないとかの言い訳は ただのコミュニケーション不足。知り合いを作ってなんぼの...

    • 元増田。 いや、相談できるような先輩は、卒論の研究室にも、今の研究室にもいたんだが、自分は軽く考えていて相談する必要性を感じなかったんだ。 むしろ、それまでは先生ともうま...

  • 失敗は学生の特権だし、教官だってそれを折込み済みで「怒ってみせた」のかもよ。 まあ今は立ち直ったみたいで良いけれど、失敗はその後のフォローを経験するまたとないチャンスな...

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