去年、卒論の時の指導教員に、卒論の内容をご好意でお世話してもらっていた。
卒論の時の指導教員は、英語の論文誌が狙える内容だと思ってくださっていた。
今の指導教員は、日本語の論文誌で出していいから出してしまって早く通して学振を狙え、といってくださった。
色々考えて、自分は後者の方にしたがった。英語の論文誌は時間がかかるので、評価は高いが情報系では出している先輩をあまり見かけなかったからだ。
卒論の時の指導教員は、「日本語の論文誌なんて下らない」といいながらも、丁寧に指導してくださった。
自分は、今考えると血迷っているとしか思えないのだが、「卒論の先生は日本語の論文誌を下らないと思っている→ただし、先生の名前が自分の後ろに付く以上、やはり先生としては見ないわけにはいかないだろう→今回は自分のわがままで日本語の論文誌にしたいといいだしたのだから、自分の単著で論文誌を出したら先生は責任を負わずに済むのではないか」などと考えてしまい、「この論文を単著で出したらどうなるのですか?」と卒論の先生に聞いてしまった。
(文系では、どんなに先生が直したとしても単著で出すのが基本かもしれないが・・・)
自分はすぐに、謝罪のメールを送ったが、それ以上に、自分自身が情けなかった。
卒論の先生はせっかく、ご好意で、自分の卒業後も自分を指導してくださっていたのに、私はそれを裏切ってしまった。申し訳ない申し訳ない申し訳ない。
僕は裏切り者だ。死んでお詫びしたい。
その日の夜は、本気でそう思った。ただし、「正常な判断が出来ていない」とは感じていたので、一晩寝たら、とりあえず「死んでお詫びしたい」はなくなった。
ただ、申し訳なさと恥ずかしさは残った。
他の人に相談しようにも、誰に言っても「そんなバカげた提案をする君が悪い」という返答しかかえってこなさそうで、誰にも言いだせなかった。
そのまま、ペースを崩して研究がほとんど出来ないまま、1年が過ぎてしまった。論文誌が間に合わなかったので学振も落ちたし、業績が伸びていないので来年はさらに不利になるだろう。この事件だけではなく、自分の怠慢さが招いた結果だと思っている。
ただ、博士に進めないとなると、さらに申し訳が立たないので、今、発作的に、ものすごく申し訳ないと思いながら、ただひたすら修論を書いている。
追記:
卒論で出れられるのは、よっぽどえらいか、よっぽどあれな分野かどちらなんだろう。
同じような境遇にあるが、単著で出した方がいいか聞く前に、 先輩方に聞いたらよかったのに。先輩がいないとかの言い訳は ただのコミュニケーション不足。知り合いを作ってなんぼの...
元増田。 いや、相談できるような先輩は、卒論の研究室にも、今の研究室にもいたんだが、自分は軽く考えていて相談する必要性を感じなかったんだ。 むしろ、それまでは先生ともうま...
失敗は学生の特権だし、教官だってそれを折込み済みで「怒ってみせた」のかもよ。 まあ今は立ち直ったみたいで良いけれど、失敗はその後のフォローを経験するまたとないチャンスな...