はてなキーワード: ビートルズとは
http://anond.hatelabo.jp/20091018033942
に便乗して。
(あんまり音楽聞いたことない人でも、「バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティが弾いてた曲」言ったらわかる人も多いはず。)
この曲、ロックンロールのスタンダード曲も洋邦問わずあらゆるジャンルの人にカバーされています。
これがまた、各アーティストの個性がかなり強く出ていて、面白い。
なお、すべて冒頭30秒も聞けばOKです。
まず原曲はこれ。かっこいい。
http://www.youtube.com/watch?v=w_Bd5-APPBw
バック・トゥ・ザ・フューチャーのやつがこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=VCmeX_4FFME
http://www.youtube.com/watch?v=6TAlVQgtkuM&feature=related
ジミヘンによるカバー。ギター超かっこいい。あと、「ニューオリン!」って言い方が超ジミヘン。(「リン!」で声が高くなる)
http://www.youtube.com/watch?v=fPtHv48e1No&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kMqmT7yk2Ms&feature=related
ミスタービッグのカバー。リフが始まったとたん、頭をぶんぶん振り始めるボーカル。
http://www.youtube.com/watch?v=RtO3c5Rc0DM
http://www.youtube.com/watch?v=RtO3c5Rc0DM
http://www.youtube.com/watch?v=qFYj6bJKo9c&feature=related
そんな感じで好き放題されているジョニービーグッドですが、
そしてなんといっても極めつけがこの、ジューダスプリーストのカバー。
全然違う曲だよ!なんでところどころ変なリフが挟まるんだよ!
メロディも全く違う。むちゃくちゃ。でもかっこいい。必聴です。
理由は特に書かないけど、音楽ジャンルにビートルズは現れなかったと思うんだ。
日本のビートルズは誰か、という質問にリットーミュージックの社長が「フリッパーズ・ギターだ」と確言したというニュースを見たことがある。発表した曲群に駄作が1曲もない、というのがその理由だったと思うが、実は俺もそう思う。無論フリッパーズが「バンド」なのかと言われると躊躇するところがない訳ではないが、俺の主観でも、彼らの作品には駄作がない。アルバムたった3枚で解散しちゃったけど。
しかし再度「日本のビートルズは誰か」という、どうでもいい人にとっては本当にどうでもいい質問に立ち返ってみると、リットーミュージックの社長さんは重要な観点に触れていないことに気づく。音楽のクオリティ、これはもちろん重要だが、実はビートルズをビートルズたらしめているのは、4人のキャラ立ちの凄さだ。ジョン・ポール・ジョージ・リンゴ、という4人の住み分け具合は見事だ。
例えば、ビートルズより格好いいバンドというのはいる。俺にとってはザ・クラッシュだ。特にジョー・ミック・ポールの3人が革パンで立った時の格好よさは異常。或いはビートルズより演奏が上手いバンドというのも結構いるだろう。レッド・ツェッペリンを始めとするハードロック勢やヘビメタなんかにうようよいそうだが、俺の好みでもザ・ポリスは上手かった。さらに、ビートルズより芸術的なバンドというのもいただろう。ピンク・フロイドなんかのプログレ連中もそうだろうし、最近ではレディオヘッドなんかもそれっぽいが、ブライアン・ウィルソンが神がかっていた時のビーチ・ボーイズは、俺の感覚ではビートルズよりも真に美的だったと思う。前衛的、と言い換えてもベルベット・アンダーグラウンドやフランク・ザッパがいる。ビートルズよりノれるバンド、などと言ったらそこかしこで手が挙がりそうだし、ビートルズより現代的なバンドは、という問いには答える必要もないぐらいだ。(余談だがローリング・ストーンズは実に興味深い立ち位置にいることに気づいた。いずれ考えてみよう)
ここで「しかしビートルズほどメンバーがキャラ立ちしているバンドはいない。その意味で真の日本のビートルズははっぴいえんどやYMOなのだ」なんて阿呆なことを書こうと思ってたのだが、もっと重要なことに気づいた。結局ほとんどのロックバンドがビートルズの影響を受けているのだ。格好よさや上手さや芸術性など、どの特性においてもビートルズを上回るバンドは現れたのだろうが、ビートルズほど人々の支持を得て、生活様式(a way of life)に広く深く影響を与えたバンドはいない。
例えばアメリカ人ならニルバーナは凄いとか、イギリス人ならザ・スミスは素晴らしいとか、ヘビメタ好きならメタリカは偉大だとか、ヒップホップ好きならATCQは完璧だとか、歴史家ならバディ・ホリー&ザ・クリケッツの先進性はどうなんだとか、それこそカウント・ベイシー楽団は、とかそういう話にもなりそうだが、とにかくそれらを一掃できるのが「だってビートルズほど影響与えてないんじゃん?」という一言だ。
まあだから、結局ビートルズが凄い理由は、その影響力だよね。訴求力と言い換えてもいいかも。ポールのメロディアスな名曲群はアジアを中心にいまだに根強い人気があるし、ジョンの野太い傑作群に対しては皮肉屋のイギリス人もいまだに評価せざるを得ない。そして多分3日後に世界中で同時発売される全作品のリマスター盤も売れるのでしょう。この人気・影響力がいつまで続くのかは、神のみぞ知るということだろうが、2009年9月の時点でビートルズより影響力を持ったバンドは出ていない。
ちなみに以上の話はあくまでバンドの話。影響力の話を持ち出すならバンドに限る必要はあまりない気もする。アメリカ人ならエルヴィスの影響力は強大だと言いたいだろうし、少なくともビートルズはボブ・ディランより影響力があったという結論に素直にうなづいてはくれないだろう。個人的には、それでもビートルズはその両者より影響力を持ったと思っているが、じゃあJ.S.バッハはどうなんだと言われたら平伏するしかない。
しかしバンドと、アーティスト個人とは、何かが違うのだ。もしかするとこの違いに同意してくれる人でないと、俺の考えるビートルズの本当の凄さは共有できないのかも知れない。何が違うのかと考えてみると(考えるものでもないのかも知れないが)、結局は最初に話した4人のキャラ立ちとか、そういう話になる気がする。ジョンのソロである「イマジン」と、ポール中心とはいえ4人のバンドで作った「ヘイ・ジュード」のあいだに決定的な差異を見るのは、もしかしたら単なる思い込みかも知れない。メンバーの人生のストーリーに比重を置いたロマンティックすぎる見方なのかも知れない。
それでも、一人のソロ・アーティストが助っ人を雇って作った作品と、たとえ名義上であれ、複数のアーティストが協働して作り上げた作品を同質のものだとは考えたくない。ビートルズはキャラ立ちしたソロ・アーティストが、ひとつの曲に対して、自らのアイデアをぶつけ合って作品を作り上げていくタイプのアーティストだった。本人たちの言葉によれば、スタジオでのアイデアは誰が提案したものであれ全く公平に扱われ、有効なものであれば必ず採用されたという。特に後期、そして特にジョンとポールの間ではアイデアの競争のような状態になっていたようだ。
アップルやEMIの企画次第ではあるが、将来、ビートルズの人気が落ちることもありえるだろう。しかし音楽好きの間では、彼らの音楽は愛され続ける気がする。その理由が結局、ビートルズの何が凄かったかという問いに対して、自分が最も満足できる答えでもある。つまり、曲から聞き取れるアイデアの豊かさが半端じゃない、ということだ。ビートルズは結局、アイデアが凄い。
(1/3から) http://anond.hatelabo.jp/20090723033558
佐野:で、小田さん、ぼくね、オフコース時代からの曲、それから小田さんのソロ時代の曲、ずっと聞かせていただいて、ぼくなりに、あ、この詩はいいな、と思ったものを一曲選びまして、ね、スポークンワード・バージョン、メロディーなしでその詩をリーディングするっていうのを試してみたんです。
(小田和正の「the flag」(アルバム『個人主義』収録)の背景の説明)
佐野:どうですか?
小田:いやあ、人の詩みたいな。ちょっと自分が書いたっていう感じがしなかったですね。不思議なもんで。
佐野:そうですか。
佐野:そんなことないですよ。
小田:いやほんとに。
佐野:ぼくらつねに言葉に音楽がついているので、音楽と言葉を切り離すっていうのは普段はしないわけでね。こうして第三者が、ぼくのような他人が、詩だけ切り取って作者に見せるっていうのは、なかなか勇気のあることだったんです。しかられるんじゃないかって。
小田:いえいえいえ、すばらしかったです。てめえの詩が、ねえ、はなはだ横柄だけど、いやあ上手に読まれましたねえ(笑)
(会場笑)
佐野:ぼくね、もうものすごく聞きたいことなんだけど…、ソングライターを志したきっかけは、なんだったのか。
小田:そもそもは音楽が好きだったっていう。自分が曲をかくようにななるなんて思わなかったわけですからね。それでも音楽やりたいっていう。たぶんその、音楽がほんっとに好きだったんですね。
小田:それはもう数限りなくいるから…。絞れないですね。出会った音楽全て、っていう。
佐野:小田さんの世代だと…、ごく一般的ですけど、ビートルズ?
(ビートルズ「A Hard Day's Night」)
佐野:はい。
小田:ビートルズはねえ、もう何回も…、だからもうビートルズはもういいか、みたいな。今更ビートルズっていう…、おれらにはいつまでたってもビートルズがいるのね。すごいなと思うね。
小田:古典だね。すごくシンプルだし。シンプルだけどよく聞くとタダのシンプルじゃない。おれはビートルズを聞くと必ず思うことは、もちろん力はあったと思うけど、若者が中心となったっていうかなんかのグルーヴみたいのが、なんかの現象でうわーっとなってあそこに集まっちゃったんじゃないかなっていう気がするんだよね。
佐野:60年代の中盤。テレビメディアなんかが一般的になりましたから、あのビートルズの持っている楽しいグルーヴが、一気にこうメディアを通じて、全世界に広まって。
小田:その、力以上っていっちゃうとちょっと語弊があるけど、その以上のものがどんどんできちゃったんじゃないかっていう。しか思えないような曲がいっぱいあるもんね。
佐野:あー
佐野:でもやっぱり最初にかいた曲ってことで、何気ない愛着のようなものがるんじゃないですか?
小田:いや、それはね、その、どうやってかいていいかわかんないし、手がかりを何かに求めるしかないんじゃないかなって…。それで、ぼくはもうしつこく日記を書いていたんですよ。何年間ももう。休まずにかいて。そこになんかヒントはないかなっておもって。そうしてこうやって探しているうちに、ちょっと手がかりがあったんで、あこれいいんじゃないの、って。
小田:その後もなんか日記にネタが、って、でもそれ一曲だけだったですね(笑)
小田:「やってみようぜ」ってのが好きなんですね。
佐野:例えば、歌詞の中で何回ももう繰り返して、どうしても使ってしまう言葉、なんていうのは、ないですか?
小田:それはもうね、とっても風好きなんですよ。風がどうしたとか。
小田:風、多いですね(笑)風好きなんですよ風ね。風好きだから、「また風かよ」って言われても、ほんと平気なんだけども、まあやっぱりいろいろなんでもかんでもでてきてもあれだなと思って…。ほんとは全部風でもいいんだわ(笑)
(会場笑)
佐野:ずいぶんロマンティックですね。
小田:ちっちゃいときはほんとに野球の選手になりたかったですね。
佐野:どこのファンでした?
小田:ジャイアンツでしたね、やっぱり。でも、足もそんな速くないし、遠投もたいした事ないし。なんといってもやっぱりいちばん、挫折したいちばん大きな理由は硬式の野球部がなかった、っていうのが。軟式しかやったことがなかったんで、これじゃだめだろうなあ、と。
小田:音楽やっても、その、いつまでにかかなくちゃみたいなのがあるともうほんとに辛くて。まあみんなそうだと思うんですけどね。
佐野:締め切りでしょ? ぼくもヤですね。
小田:ね。連載をかかえている漫画家っていうのはね、ぼくはね、いっつも漫画見てて思うんだけど、この人毎週大変だなーと思って。
佐野:でも、小田さんは、いついつまでにかいてくださいって言われれば必ず約束を守る、って。
佐野:そう聞いています。
小田:ぼくはね、期限とか守らなかったことないですね。
佐野:すばらしい。
小田:守る方ですか?
佐野:ぼくはね…
(会場笑)
佐野:(笑)ぼくはね、締め切りがあるとどうしてもそれがプレシャーになっちゃって、逆にこう、なんかね、集中できなくなってしまって。だから、できたら渡すから、って。
(会場笑)
小田:そうすると、でも、ねえ、組み立てようがないよねえ。
小田:じゃあその、詩なり曲、作り上げて、自分としちゃイマイチだなーと思いつつも出さざるをえない、だから出した、みたいなのはある?
佐野:ない。
小田:あ、ない?
佐野:アルバムの中で、12曲入れようって、で16曲くらい録って。で、アルバムに全部入れたいって言われても、この4曲は気に食わないのでアウトテイクにします、って、自分の入れたい曲だけを入れる。
小田:えらいね。
佐野:うん…。でも、後になって聞くと、そのアウトテイクになった曲がよかったりして、なんで入れなかったんだろうって。
小田:あぁー。
佐野:でも、そうだね、約束は…最初っからあんまり取りつけない。
小田:そうだよね。
佐野:はい。
(会場笑)
「イギリス人は次の人のためにドアを開けたまま待っていてくれる」と友達に聞いたのだけど、マジでそうならイギリスはある種の亡国の危機と常に隣り合わせなんじゃないかな?
だってさ、次の人がすぐ来ればいいよ? でもいつくるかわからない。明日かもしれないし、あさってかもしれない。
その間、紳士も淑女も女王陛下もビートルズもみんなドアで待ってる。マジで? イギリス人、パない。
まあでもさ、ドアの所で待っていて、次の人が来るうちはいいよ? ドアの数より人の数のほうが多い間はいい、つまり、ドアに張り付いてない人=非ドアの人が存在する間はいいさ。
これがさ、まかり間違ってイギリスの人口とドアの数が一致してしまったら!
すべてのイギリス人はドアから一歩も動けなくなってしまう。
イギリスの経済活動はストップし、日常生活も破綻、すべての人々はドアの前で風雨にさらされ食料にもありつけずいつしか餓死してしまう。
言いかえるならば、「ドアに殺されてしまう」
だからいまもイギリス人は子作りに励んでいるんだ。
人口がドアの数を下回らないように、子を生み増やす。
ドアに殺されてしまうという恐怖におびえながらイギリス人は日々生きているんだ。
久しぶりにこういうの書いたけど、やはり発言はすべきかもね。
と、以下、酔っぱらって帰宅してからの戯言です。
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自分が生まれて育った場所に愛着を感じない人間がいるかどうか。
日本人の愛国心のうち大部分を占める、郷土愛、それって生まれた土地への愛着だよね?
それが血筋だけで変わる物だと思う?
それが在日韓国人だというだけで持てないとしたら、その原因はなんだと思う?
個々人の問題や、資質、血筋による物だと思う?
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断言できるけど、100%朝鮮半島にアイデンティティのある在日韓国・朝鮮人はいない。
(正確を期した言い方をすれば、ニューカマーを除く、だけど)
そういう立場を取られる方々への嫌悪感、防衛本能が、昨今の日本の、嫌韓、ネット右翼といわれる動きに繋がっていると思っています。
そういった嫌韓などの差別にさらされるから、日本の恩恵よりもアイデンティティを優先してしまうんだ。
そして、これは、理解しづらいかもしれないけど、マイノリティとマジョリティの話になると、
防衛本能が働いて仕方ないのは、マイノリティ側だと思うんだよね。
マジョリティの全体が悪いとは僕らも思っていない。
けど、どんな集まりにも馬鹿はいるし、マジョリティの中の馬鹿はマジョリティ故にある程度以上のまとまりを持って、
時にはマイノリティ全体以上のまとまりをもって、マイノリティを攻撃するのだから。
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それでも、ほぼ100%に近い在日韓国・朝鮮人は日本が好きだよ。
帰れとかいう日本人以外は結構好いている。
総体になるとなんとも排除の姿勢を示されるが、それが個々人の想いとは思っていない。と信じてる。
だから日本にいるんだし。
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結局。
たぶんカジュアルに偏見を書く人々の大半は直接知らないんだよね。
虚心に付き合ってだめだと思うなら、仕方ないけど。そんな奴見たこと無いけど。
で、冒頭の台詞につながる。
アイドルについては、んー、グラビアアイドルなんかはまあ好きだけどw、
ここでは関係ないので除外する。
歌って踊ってバラエティやドラマ出て、みたいないわゆるアイドルについてだけど、
うん、たしかに俺はテレビを見ないので、アイドルは詳しくない。
知らないのに語ってみたわけだが、不快に思ったのなら謝る。申し訳ない。
で、申し訳ないついでに、さらに知らないのに語ってしまう。
ミクについては、「アイドル」としても捉えられるんじゃないかと思うんだ。
単純に割り切っていえば、もちろんただのソフトウェアだ。「楽器」だ。絵だ。
でも、「初音ミク」というブランドとして、キャラクターとして、完全に一人歩きしている。
誤解を恐れず言えば、今、同じ楽曲を中川翔子と初音ミクがそれぞれ同時に出せば、
初音ミクの方が売れるだろう。
それはさすがにない、というかもしれないが、少なくともいい勝負にはなると思う。
それは何故か。
初音ミクが、「楽器」としてではなく、アイドルとしての商品価値を持っているからだ。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01.jsp
最初から「アイドル」として明記してある。
初音ミクは当初、どちらかというと、「ボーカロイド」という「新しいソフト」、
もう一歩進んで「バーチャル・シンガー」として認識されていたかも知れないが、
当初から「アイドル」として設定されているのだ。
多少歌が下手でも、そのタレント性、スター性、かわいらしさで許される「アイドル」。
ただここにきてsupercellの躍進で一気にメジャーに殴り込みをかけ、圧勝して見せた
(もちろんlivetuneの活躍もあったが、今センター街を見てみれば、supercellの凄さが分かる)。
「歌って踊れるカワイイ女の子」ではなく、偶像としての、「時代」としての「アイドル」だ。
初音ミクの登場以来、何が起こったか。
ニコ動でのボーカロイド旋風、はちゅねの登場、ねんどろいどやfigmaの爆発的ヒット、痛車コラボ、
星雲賞受賞、グッドデザイン賞を受賞、「桜ノ雨」旋風、そして、supercell。
もちろん「人間」ではないし、「アニメキャラ」ともいえないので、
単純に比べられないが、社会現象としての「初音ミク」は発売2年が過ぎようとしても、まだ続いている。
ブームではない、まったく新しい現象。
今までも声優がアニメキャラ名義でCDを出して売れる、てのはいくらでもあったが、
当然ファン自体が作った曲ではない。
たとえファンが勝手にイメージソングを作ったとしても、声優が歌うわけではない。
その意味で、「アイドル」のために歌を作って、その「アイドル」に歌わせることが可能な初音ミクの存在は、
音楽の教科書か(「桜ノ雨」は載りかねない)、社会科の教科書かわからないけど、
日本だけでなく世界中のクリエイターを刺激して、もっと面白い革命を起こしてくれると思っている。
ビートルズが音楽のアイドル=偶像だったように、初音ミクは21世紀のネット界のビートルズになる。
さすがにこれは言い過ぎか。
http://www.1101.com/darling_column/index.html
「じぶんを信じろ、と言われても
ピンとこなかったのですが、
じぶんをばかにしないでと言われたら、
そうだなぁと思いました」
http://www.ghibli-museum.jp/lupin/comment/shibuya/
だから、例えば新人バンドが写真撮影で「おれたちはロックをやりたいから、カメラ目線の写真なんて嫌だから」というようなことがあるとき、僕はよく言うんです。ビートルズは髪型を決められて、制服を着せられた。全員ユニフォームを着て、1曲終わるごとに頭を下げた。おまえらがビートルズより才能があるという自信があるんだったら言え。ビートルズ以下だと思うんだったら、ビートルズ以上のことを言うなと。
ようするに、ビートルズにとっても音楽をやるということは仕事だったんだと思うんです。何とか仕事にしたいという想いがあったし、今もすぐれた表現者たちは、まず誠実な仕事として創作活動をするというのが基本姿勢だと思うし、実際にすぐれた表現の多くはそういう形で生まれてきています。
http://www.fancube.jp/collectron/td/c_01.html
あといつの時代もね、人に迷惑をかけないで生きるっていうのは大事だと思う。でも俺たちの時代は人に迷惑をかけないっていうのは、迷惑をかけないために周りとコミュニケーションをとっていく、要するに自分の手のうちになるべく大勢の人を入れることが「迷惑をかけない」ってことだったのよ。なんかあったときに助けてくれたり、迷惑かけたとしても「ごめんね」で済むような関係を作るってこと。それが今の人たちは逆。人に迷惑をかけないっていうのを関係を遮断することだと思ってるんだよね。
父は随分酔っているようだった。
目の前にあるテレビ画面には、年末恒例となった紅白歌合戦の模様が映っている。
ぼんやり見ていると、アレンジされて合唱コンクールの課題曲になった曲が演奏され始めた。
その時、父が憤慨した様子でこう言った。
「こんなつまらない音楽が売れるなんて、正直とてつもなく悔しい」
曰く、ひどくつまらない曲で、この歌の作者は才能がない、とのことだった。
「これくらいなら俺でも作れる。この程度の実力で」
父は昔ピアノをやっていたらしいし、今も趣味で合唱団に入っているくらい音楽好きだ。
多少クラシック方面に偏ってはいるが、音楽CDも多く買っている。ビートルズやカーペンターズに親しんだだけあって歌謡曲嫌いというわけではなく、YMOやマッキーやスピッツなんかも好きなようだし、最近のものではパフュームの曲について作りが上手いと褒めていた。
その父が、テレビ画面の前でそんなことを言った。
父も作曲のような事をやってみた過去があるんだろう。それで、この発言なんだろう。聞いた事はないが、もしかしたら音楽で飯を食っていこうと思っていた時期があるのかもしれない。
「そうは言うけど、この人は実力があるよ。売れる人は、誰かに認められるなにかがあって、多くの人が認めてくれるタイミングを掴む。それは、実力とか才能と呼ばれるものだ。確かにその実力は、歌の能力ではないかもしれない。演奏の能力ではないかもしれない。歌詞を作る能力でも、音楽のアレンジ能力でもないかもしれない。だけど、誰かをひきつける何かがこの人にはあったんだ。あと、タイミングは運だって言うかもしれないけど、運だって実力のうちだよ」
少しだけ考えた挙句、私が喋ったことは、小学生が考えそうな単純なものだった。
「確かに、確かに言う通りだ。その通りだ。売れるということは実力があると言うことだ」
大仰に机を叩く仕草をしながら、父は私の主張を肯定してくれた。
そしてビールの缶に口をつける。
酒をあおりながらテレビを見る様子が、私にはなんだかさびしそうに見えた。
父は私が言ったようなことはわかっていたのだろう。けれど、言わずにはいられなかったのだと思う。
もっとうまい事を言って慰めるべきだったのかな。もっとうまく慰めることができたのかな。
いや、私には考えつく脳みそがないから無理だ。あの時最大限言える事を言った。
そうなんだと思いたい。
これなんかのコピペなのかなあ
「インターネット」を時代背景によって「バイク」や「漫画」や「ビートルズ」に置き換えが可能なのがなんとも。
親子の会話を取り戻すことと、子供が夢中になってるモノを理解できない・コントロールできなくて不安なことは、違うと思う。
何やってるか分かんないけど親子の会話が多い家庭とかたくさんあるよ!
というか、親父の仕事の中身を子供が詳細に理解してたらそっちの方が不安だよ!
子供のやってる内容は親が把握できてなきゃいけないけど、親のやってる内容が子供に伝わって無くても良い、
という姿勢はコミュニケーションとしては一方的になるからうまくいかないと思う。
Wonderful ChristmasTime - Paul McCartney
今晩は、増田。今日はビートルズが歌うクリスマスソングをどうぞ。
一曲目はポール・マッカートニー。二曲目はもちろんあの人たちです。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。
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「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「将来コンピュータの重量は、1.5トン以下になるかも知れない。」
Popular Mechanics誌、科学の果てしなき進歩を予測して、1949
「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない。」
ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトドギス。
鳴かぬなら、鳴くまでまとう、ホトドギス。
Amazon.co.jp: 戦国武将に学ぶ処世術―信長・秀吉・家康: 津本 陽: 本
所持がバレて捕まったら大麻取締法によって有罪になるから?
てめーらは何でそう思う?
バカになるから。気持ちよくなるから。知覚が敏感になるから。時間感覚が狂うから。
働く気がなくなったり、資本主義社会や市場経済を相対化しちゃったりするから……
幻覚をみるから?
ん?幻覚って??
良くいえば想像力の爆発。
目を閉じれば、朝青龍の憎たらしい姿かたちを想像することができる。
露鵬、白露山、若ノ鵬の3人がコーカサス地方の岩だらけの高原で、
青すぎる空の下、広い大地で、仲良く大麻を吸っている場面を想像できる。
魁皇、琴光喜、貴ノ花、千代の富士、大好きな力士たちの名取組みを思い出すことができる。
大麻を吸っていようが吸っていまいが、想像力はどこまでも自由だ。
未成年が興味本位で吸ったりしたらダメだけど、分別ある大人が嗜好品として楽しむぐらい別にいいじゃないか!
「世間的に悪いと思われてることを敢えてやるのだから世間的に叩かれて当然」だって?
何だよ、世間って!?
法律の条文?
不良になるなって?
一服して考えてみてよ。
あらゆるものごとがそうであるように、大麻を使用することにも功罪がある
中期以降のビートルズの音楽、そして音楽市場という莫大な市場を生んだという点で、
自分は、功罪ある大麻の、良い影響を評価したい。
ビートルズ5枚目のアルバム、『ヘルプ』は大麻が及ぼした良い影響の一例だ。
この世界に大麻がなければ『ヘルプ』は生まれなかったし、その後の『ラバーソウル』、『レボルバー』
そしてもちろん『サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド』も生まれなかった。
サイケデリックという言葉は、良くも悪くも、「ドラッグと音楽文化との結びつき」からできた言葉だ。
今こそ大麻取締法について考えてみよう
モラルについて、文化について考えてみよう。