はてなキーワード: アマとは
ワッハ上方の闇5
http://anond.hatelabo.jp/20090731035245
の続き。
吉本興業に支払う賃料の高さについて、
・民主党の西脇邦雄氏、漆原周義氏、松田英世氏、中村哲之助氏、
が、また赤字運営や入館者の少なさについて、
・自民党の東徹氏、
が府を問いただしている。
ところが、橋下知事が府知事に就任した平成20年以降、一部会派は突然掌を返し、橋下知事が進めようとしている「賃料削減のためのワッハ上方の移転」に反対したり懸念を示したりする。
・公明党の八重樫善幸氏
現在の賃借料は、庶民感覚からすると確かに高いとは思いますが、もし当時起債して建設していれば、府にとってもっと大変な借金として残っていたことでしょう。
私は東北生まれですが、大阪人にとって最も大阪人たらしめている世界最強の資質、よいことも悪いことも、つらいことも難しいことも、すべて笑いで乗り越えていく、お笑いというすばらしい文化を世界のどこにもないすばらしい資料とともに残し、また誇りを持って子どもたちに引き継いでいく、ワッハ上方という遺産を残していっていただきたいとの願いを込め、改めて知事に質問をさせていただきたいと思います。
それから、またワッハ上方は要らないという一部の有名タレントの方の発言があったと聞いておりますけれども、これはプロ、アマ問わず、大阪から劇場が次々なくなっている、そんな中で発表の場に困っている次の世代、次代の演芸、演劇界を担う若者にとりまして、このワッハ上方、大変重要な施設になっています。
大阪の文化を担う人材の育成を図ることは、府文化振興条例の基本理念です。ワッハ上方は、その場であると考えますが、どうお考えでしょうか。
それから、寄贈資料の保存、展示は必要だと、ライブラリー機能はそのまま移転すると、このようにおっしゃっておりますけれども、これら貴重な資料は、ワッハ上方の理念に賛同された在阪の放送局、府民、プロダクションの方々から寄贈していただいている。現在、指定管理者であるNPO法人ニューウェーブ大阪--在阪民法六社でつくられておりますけれども、この公益性、公共性を重く見て実は設立された。こうした経緯から移転縮小となりますと、こうして提供、寄贈していただいた資料の返還ということも起きてくるのではないかと。これでは、展示機能、ライブラリー機能を残すという府の計画は破綻いたします。ワッハ上方も、そうなるということも想定されての判断だったのか、お伺いしたいと思います。
第二条には、大阪市中央区難波千日前に設置する大阪府上方演芸資料館において、営利を目的としない上映または再生に限り使用することができるとあります。学芸員を置いて、笑いという上方の伝統文化を恒久的に後世に残すため、大事にすべき施設だと思っています。関係者とも十分話し合っていただいて、一方的な移転縮小は見直すことを要望しておきます。
千日前からワッハがなくなるという報道の後、全国各地の学校から、来年の修学旅行のコースに組めるのかなどの問い合わせがきています。道具屋筋商店街での一日商売体験とワッハの見学が、修学旅行のコースにもなっているからです。ワッハが、道具屋筋などの商店街と協力してミナミに定着している事実は貴重です。この事実を知事は御存じですか。
第二は、青少年や府民の文化活動などへの公的支援の放棄です。国際児童文学館、大阪センチュリー交響楽団、ワッハ上方、青少年会館、ドーンセンターなどへの知事の対応は、大阪で培われた歴史や文化などへの攻撃そのものではありませんか。
問題は、委託料一億三千万円、吉本興業への賃借料に二億八千万円、計四億一千万円の大阪府の負担でした。知事は、ワッハに行ったとき、値引き交渉はと質問されました。その後、吉本興業から来年度から半額以下の一億四千万円以下にする提案があり、今後も交渉の用意があると発言されています。また、五千万円の収入をふやすことも含め、運営に当たる放送六社とNPOの要望書も出されています。
ワッハは、千日前でこそ値打ちがあります。笑いと健康パック事業も開催され、府民も元気をもらっています。ミナミの健全な発展のためにも、大阪府の負担を大きく減らしながら、マスコミ、笑いを愛する府民、吉本などの協力で現地存続に知恵を出そうではありませんか。答弁を求めます。
まとめ:吉本興業と橋下知事の対立の背景には、単に橋下知事にケチをつけたいがために党の方針すら捻じ曲げる府議会議員の御都合主義があるのではないか?
【 平成20年 9月 定例会本会議-09月29日-04号 】
千日前からワッハがなくなるという報道の後、全国各地の学校から、来年の修学旅行のコースに組めるのかなどの問い合わせがきています。道具屋筋商店街での一日商売体験とワッハの見学が、修学旅行のコースにもなっているからです。ワッハが、道具屋筋などの商店街と協力してミナミに定着している事実は貴重です。この事実を知事は御存じですか。
◎知事(橋下徹君)次に、上方演芸資料館、ワッハ上方についてでありますが、地元の道具屋筋商店街が受け入れている修学旅行生の体験メニューの場を提供しているほか、イベントの共催など、地元とさまざまな連携が図られているという事実そのものは承知しております。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月01日-01号 】
◎知事(橋下徹君)上方演芸資料館(ワッハ上方)は、貸し主から大幅な賃料引き下げ等の御提案をいただきましたが、現地ですべての施設機能を維持していくためには多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、二十二年度末までに府有施設等へ移転いたします。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月07日-04号 】
◆(宮原威君) 次に、ワッハ上方(上方演芸資料館)についてです。
一九八九年に伝説の漫才師の砂川捨丸氏の御遺族が鼓を、夢路いとし、喜味こいしさんが秋田実の直筆台本を大阪府に寄贈、岸、中川知事時代に計画が進められ、一九九六年に開館しました。関係者、府民千人からの収蔵品は五万七千点、毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、ラジオ大阪、NHKなどから昭和二十六年から二千六百六十五番組の映像、音声が提供され、日本で唯一の笑い文化の殿堂です。三百五席のホールは七八%、七十席のレッスンルームと五十席の小演芸場は九九%の稼働率、文字どおりミナミの都市力、文化力の拠点です。わずかとはいえ黒字です。
問題は、委託料一億三千万円、吉本興業への賃借料に二億八千万円、計四億一千万円の大阪府の負担でした。知事は、ワッハに行ったとき、値引き交渉はと質問されました。その後、吉本興業から来年度から半額以下の一億四千万円以下にする提案があり、今後も交渉の用意があると発言されています。また、五千万円の収入をふやすことも含め、運営に当たる放送六社とNPOの要望書も出されています。
ワッハは、千日前でこそ値打ちがあります。笑いと健康パック事業も開催され、府民も元気をもらっています。ミナミの健全な発展のためにも、大阪府の負担を大きく減らしながら、マスコミ、笑いを愛する府民、吉本などの協力で現地存続に知恵を出そうではありませんか。答弁を求めます。
(略)
次に、上方演芸資料館(ワッハ上方)につきましては、貸し主から大幅な賃料値下げ等の御提案をいただくとともに、管理運営している指定管理者からも経費節減の提案をいただきました。
しかしながら、現地ですべての施設機能を維持していくためには、なお多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、平成二十二年度末までに府有施設等へ移転という結論に達したものであります。ホールは、吉本さんが運営されるというような御提案もいただきました。
ですから、展示品やライブラリー機能を移設、移転することというような結論に達したわけなんですが、この移転があったからといって、大阪の吉本さん、松竹さんを初めとする笑いの文化が弱まるとは私は思っていません。それほど大阪の笑いはやわなものではないというふうに思っております。
◆(宮原威君)
(略)
ところが、職員の賃金、教職員や警察官の苦労や努力は、府民には余り知られていません。ましてやセンチュリー交響楽団やワッハ上方の人が、年収二百万から三百万で頑張っているということなどは知られていません。客観的事実が知らされないまま、公務員たたきが一部識者などによって行われています。知事は、職員の苦労と役割をもっと府民に知らせて意見を聞くべきです。
【 平成20年 7月 臨時会本会議-07月10日-07号 】
一つは、今回の移転案の大きな原因となっておりますのが運営費用、約二億八千万円の賃料が大きな負担になっていると。これはかつてからの課題ですけども、今回家主の吉本興業さんから、契約期限満了前の来年度からでも家賃を半額にします、また指定管理者からも運営委託費、収支改善を図りますと、こういう声明が寄せられていると聞いておりますが、知事はこの提案を即座にはねつけられたと。今回の財政再建プログラム案においても、この移転縮小の方針は全く変わっていないんですが、この金銭の問題ではなくて、初めから移転縮小ありきと、こういうふうに見える知事の判断基準とは何かをお伺いしたいと思います。
それから、またワッハ上方は要らないという一部の有名タレントの方の発言があったと聞いておりますけれども、これはプロ、アマ問わず、大阪から劇場が次々なくなっている、そんな中で発表の場に困っている次の世代、次代の演芸、演劇界を担う若者にとりまして、このワッハ上方、大変重要な施設になっています。
大阪の文化を担う人材の育成を図ることは、府文化振興条例の基本理念です。ワッハ上方は、その場であると考えますが、どうお考えでしょうか。
それから、寄贈資料の保存、展示は必要だと、ライブラリー機能はそのまま移転すると、このようにおっしゃっておりますけれども、これら貴重な資料は、ワッハ上方の理念に賛同された在阪の放送局、府民、プロダクションの方々から寄贈していただいている。現在、指定管理者であるNPO法人ニューウェーブ大阪--在阪民法六社でつくられておりますけれども、この公益性、公共性を重く見て実は設立された。こうした経緯から移転縮小となりますと、こうして提供、寄贈していただいた資料の返還ということも起きてくるのではないかと。これでは、展示機能、ライブラリー機能を残すという府の計画は破綻いたします。ワッハ上方も、そうなるということも想定されての判断だったのか、お伺いしたいと思います。
一方、知事は、大阪ミュージアム構想の中で、大阪の再発見、発掘を提案されている。私は、このワッハ上方をさらに磨きをかけたら、立派なすばらしい大阪の文化財ではないかと、こういうふうに思っています。落語、漫才だけではなくて、能、狂言、文楽、歌舞伎、上方舞、そうしたジャンルの公演もホールで行われています。多くの府民の方々がそこに楽しみに来られている。そういう意味では、このワッハ上方、大阪を輝かせ感動させる基幹施設となると私は思うのですが、そういうことも踏まえ、この四点について知事はどのようにお考えでしょうか。
◎知事(橋下徹君) 上方演芸資料館(ワッハ上方)につきましては、貸し主から大幅な賃料値下げや上方演芸振興に向けてのさらなる協力の御提案をいただくとともに、指定管理者からも経費節減の御提案をいただきました。
また、文化振興条例の基本理念に、大阪の文化を担う人材の育成があり、ワッハ上方がその場を提供してきたことは承知しております。
しかしながら、現地ですべての施設機能を維持していくためには、なお多額の費用が必要となることから、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続することとし、平成二十二年度末までに府有施設等へ移転という結論に達したものであります。
収蔵資料を大阪の誇るべき笑いの資料として残すということは、本府が果たすべき役割と認識していますので、引き続き府民の皆さんや在阪放送局、プロダクションの方々に提供、寄贈していただけるよう、誠意をもってお願いしていきます。
また、これら貴重な資料につきましては、大阪の大切な文化資源として、内外への発信に努めます。
きのう、繁昌亭の記事が出ていまして、三十万人の来館予定者、前倒しで達成されたというような記事が載っていました。
今は、繁昌亭、大変大阪の観光名所となっていまして、地方から繁昌亭目当てにバスで乗りつけてこられると。チケットを買おうにも、今はなかなか買えないような状況になっております。
僕は、以前、桂ざこば師匠にそのお話を伺ったときに、芸人さんは血のにじむような活動、努力をされていると。高座に上られるときに、あのいわゆる僕らが聞いている一流の落語家さんが、ええ、こんな金額でと、それこそ学生のアルバイト程度のお金で一生懸命になって努力をされていると。いろいろ確認したところ、公的な助成は一切入っていないということでした。私は、お笑いの文化というものは、これはもう大阪に必要不可欠だと思うんですが、その文化の根差し方ということを考えたときに、このように公的な助成が多額に入った中で、本当にその機関が、施設が血のにじむような努力をするのかどうなのか、僕はあの繁昌亭がひとつ大阪の文化を発展させていくこのムーブメントを起こしていますが、その手法というものをやはり我々はきっちりと認識、勉強した上で、文化の発展というものを考えなければいけないのかなというふうに思っています。ワッハ上方がこれまで果たしてきた機能を全否定するわけではないんですが、やはりこの繁昌亭が、今成功しているこの現実というものは、民間が血のにじむような助成がない中でやっていることによって府民に根づいていっているという事実だけは、僕はこれはきちんと受けとめた上で府政を取り仕切らなければいけないなというふうに思っています。
(清水義人君登壇)
◆(清水義人君) 今、お話ありました繁昌亭、確かにすばらしい取り組みです。ただ、民と私たち公と、どこで一緒に協働してやったらいいのか。ここは民に任せよう、ここは公が責任を持とうというのは、それぞれ一つ一つで点検していかなければなりません。また、そのまちの景観ということからすれば、当然その施設があることでその地域の人たちとも一緒になって協議していこうと。ワッハ上方というものをどう生かすかということについても、当然管理運営者、家主さん、その地域の方々、そしてそれをつくった大阪府が一緒の場で協議するということをぜひ知事にお願いしたいと思っています。
中国・広州市で黒人が警察の差別待遇に抗議、交通が麻痺:ナイジェリア貿易商ら
09年7月15日午后、広州市広園西路で夥しい黒人があつまり警察署を囲んで抗議に及んだ。
このため警官隊が出動し、流血の騒ぎに発展した(博訊新聞網、7月16日)。
原因は近くのバザールで身分証明とビザの確認を求められた黒人が抵抗したため、対応が悪いと警官に殴られ、二名が死亡したという噂が駆けめぐったからだ。
胡政権のアフリカ重視外交により、現在多くの黒人が中国に出稼ぎにきており、とくに広州市では2万人が住んでいると言われる。
すでに拙著でも広州のアフリカ系出稼ぎと貿易商の活躍ぶりについて三年前に報告した。繁華街でビラを蒔いている黒人もいて、フィリピンからのアマさんの出稼ぎより目立つほどだった。
かれらの一部は中小企業、とくに貿易商で、広州で衣類を買い付けるビジネスに従事している。貿易商はナイジェリア人がなぜか多い。
ウォールストリートジャーナル華字版(7月17日付け)によれば、「香港のナイジェリア領事館は何も知らないと答え、広州市広報課も、そういう情報はない、と回答した」。
いわゆるいつもの中国の対応だ。
恐らく見せても「それはメモ帳みたいな携帯だ、騙されんぞクズめ」とかなんとか言うんでしょうけど、見せることで少なくともそのおばさん以外を「こちら陣営」に引き入れることができます。
要はおばさんによる罵倒が正当なものかどうかってことで、そのためには第三者にジャッジしてもらうしかない。
携帯ではないことをアピールすることで、おばさんの罵倒を「奇行」に変えて、乗客にとってのDQNネタとして昇華させる(OL「帰りの電車に、おかしな女に難癖つけられた可愛そうな人がいてさー、あのババァみたいにはなりたくないよね」)か、その場で第三者からの突っ込みを誘います(チンピラ系DQN「アイツが持ってんの携帯じゃねえよ、つーかうっせえんだよババァ」)。
有り体に言うと「プロレス」に持ち込むやりかたです。
で、ごく稀に「あ、違ったのね、ごめんなさいねぇ、アタシおっちょこちょいなのよねー」とか言う場合もあって、そこからは、あなたのイニシアティブでどうにもできます。
許してあげることで、更なる人格者っぷりと相手の情けなさを浮き彫りにすることも可能です。
「難癖つけんなクソアマが」と殴ればスッキリするような案件でもないでしょうし。
酒呑んで寝るのも、なかなかの手ではないでしょうか。
必ずしも我慢が美徳とは限りませんが、その気分の悪さを漏らさずに持って帰ることは、少なくとも自分自身のためになると思います。
もちろん人型モードで腹部以下は海中に。
各種艦載機(バルキリーやデストロイドモンスター等)も配備されています。
一般公開初日に行われる進宙式(記念式典)では以下のデモンストレーションが予定されております。
より忠実な原作の再現を目的として、マクロス内部には研究開発施設も設けられています。
マクロス内部の研究開発施設やバスターキャノン、プロメテウス・ダイダロスの格納庫など一部区画は一般公開が制限されています。
マクロスは浮遊島であり、方向転換可能(マクロスの移動能力は非公開)です。
ダイダロス・プロメテウスは分離・航行可能ですが、あくまで原作の仕様を忠実に再現したものです。
プロメテウスは超大型空母であり、カタパルト付き滑走路もありますが、あくまで原作の仕様(ry
浮遊島マクロスは国の直轄運営事業であり、飛行デモンストレーションの都合上、自衛隊所属となっています。
会社は代わりを必死で探すし、見つかった瞬間に切られる。
俺は「ホントに自分しかできないなら」ていう仮定を置いて書いたのに、何で代わりが見つかる話になってんの?
野球のように年中興行しているスポーツでは良く休む選手は評価が下がる。才能があっても故障癖がついてどうしようもなくなった選手はいくらでもいるだろ
休んでも評価が下がらない、なんてひとことも言ってないがな。
休めて、スターなら復帰もできる、って書いただけだぞ?
現に出来てるだろ?ケガして、休んで、復帰した選手なんていっぱいいるだろ?
野球のキャンプ中なんか、熱でぽこぽこ練習だって休むじゃんか。
「休めるからって休み癖つくとダメになる」って、それはまた別の話だろ。
アマスポーツやオリンピックの話は、「職業(仕事)」を「休む」話の例としては合わないんじゃね?
仕事を休む、ていうのとちょっと違うでしょ。
あと、ランスなんちゃらいう人は知らなかったが
wikipediaによると、「休んだから」切られたんじゃなくて「再起不能と思われたから」切られた、みたいだぞ?
俺は「治れば復帰できる」と書いたのだから、「治らないとみなされて切られた」人の話は反論にならんのと違うか?
熱出て休むとき、再起不能とか思われないだろ別にw
もちろんwikipediaが正しいかは知らんが。
俺は別にそういう会社とか就職する気は(今のところ)ない文系学部に所属するパソヲタなんだけど、
趣味でゲームでも作ろうかなぁって思うとなんだかんだRPGが一番手っ取り早くなっちゃうのよね。
ていうか、正直なところアクションゲーはハードもCGも進化しすぎてて大したもんが作れない。
じゃあコマンド式の古典的なもんでも作ろうかなと。そうなってしまう。
いまの20前後のガキって、
・後期ドラクエ
・スマブラ
・パワプロ
ぐらいしかやってないやつも結構多い。
割とやってる方の俺でも、STGとなるとスペースインベーダー(SFC版)と東方しか経験なかったり。
別に彼らを擁護する気もないんだけど、(いい意味での)ヲタでもねぇくせにそっちの分野の専門学校行っちゃったやつらなんて、
そんな程度なんじゃないのかな。まぁ、覇気もプロ意識のかけらもないけどね。
話変わるけどとりま肩慣らしにしょぼいRPGでも作ってみようかと思い、
今そのための勉強と思ってFF、DQ、wizのオリジナル版を1から順番にやっている。(ハードやソフトはなんとかした)
ああこんな風に発展していったのね、と色々勉強にはなっているんだが、
そこからさらなる新しい要素を作りだそうとなるとなかなか思い浮かばない。
http://hatimaki.blog110.fc2.com/blog-entry-1074.html
どうして勢いに任せてさらっとこういう出任せを書いちゃうかなあ。
どうやらこの人は有線コントローラ派のようで、勢い余ってPS3のコントローラをこき下ろすのだが・・・
(前略)ビアな操作感覚を求めるゲーマーはワイヤードの支持者が多い。こうしたユーザーはWiiでもリモコンを使わずにGC用コントローラを挿して使うんです。そのためいくらクラシックコントローラがProになってもあんまり意味がないんですね。真面目な話、最高のコントローラとして名高いメガドライブの「ファイティングパッド6B」か「セガサターンコントロールパッド」がWii用(もしくはワイヤード)で出れば、かなり売れると思います。セガさんどうでしょうか?
まぁこうやって書いてくると、Wiiだけがこの点アマいように思えるかも知れませんが、PS3なんてもっと酷いからね。PS3本体の電源をオンにしてないとコントローラの充電が出来ないし、ワイヤードの純正パッドもないし。いまだに思うけど、なんでPS1/2のコントローラを切ったんだろ? 僕も持ってるけど「ポップン」のデカいコントローラを買った人なら、PS3のあの裏切られた感は忘れられないでしょ。
ついでに書くと近頃、昔ゲーって難しく感じませんか? ゲームの中身や僕自身の反射神経の衰えもあるんでしょうが、落ち着いて考えると液晶テレビ&ワイヤレスって組み合わせは、こうしたタイミングにシビアなゲームにはことごとく向いてないんですよ。かなりよくはなってきたけど、液晶&ワイヤレスはラグがゼロではないからね。「PS3の頃は音ゲー上手かったのになぁ」という人は、当時のブラウン管のテレビ&ワイヤードコントローラという理想的な環境でプレイできたからっていう部分も大きいんじゃないかと思います。最近だと「太鼓の達人Wiiだとスコアが出ない」とか「レーシング用にワイヤレスのレーシングホイールを勝ったのにタイムが縮まらない」といった聞かれるんですが、案外こうしたデバイスの問題があるのかも? と考えたりします。
とはいえさすがに液晶をすててブラウン管に戻るなんて野は現実的じゃないですから、まだ「戻れる」であろうワイヤードコントローラは、ハードメーカーが標準でサポートすべきじゃないでしょうか。少なくともクリエイターはこうした問題は“ないもの”として作り込んでくるわけだし、ワイヤレス/ワイヤードを選ぶのはあくまでお客様であるべきだと思います。
PS3コントローラはUSBケーブルで繋げば有線になると突っ込まれ、それをゲーマガ7月号で釈明するも・・・
こんにちは、メッセサンオーの金(こん)です。前回のコラムでちらっと「PS3は純正の有線コントローラを用意すべき」みたいな事を書きましたら、読者産から「PS3の標準コントローラもUSBケーブルで接続すれば有線コントローラになりますよ」とのご指摘をいただきました。
実を言うとこの事実は認識してたんですが説明不足でしたね。PS3のワイヤレスコントローラは、USB接続するとボタンの入力信号もUSBに切り替わって、完全に有線コントローラになります。しかし付属のUSBケーブルは短いので、ワイヤードにこだわる人は長いUSBケーブルを買ってくるんですが、ケーブルのメーカーによって微妙に反応に差があるらしいんですよ。だからメーカーはロングタイプ(3m程度)の「遅延のない」純正USBケーブルを付属すべきだし、バッテリーを内蔵しない完全有線コントローラだってあるべき、という事でした。選択肢は多い方がいいからね。ともかく筆足らずで申し訳ありませんでした&お便りありがとうございました。
もしブログだったら炎上コースだったんじゃないだろうか。USBケーブルがメーカーによって遅延が発生するなんて話聞いたことないし、仮に事実だとしても、イチローだって遅延を知覚するのは無理だと思うぞ。
両者がどこまで自覚的かは分からないし、単なる私のこじつけなのかも知れないという説明を言い訳として。
iPhoneのタッチパネルは指で操作するのを想定している。DSの場合は、タッチペンを使用するのを想定している。
(タッチパネルの実現方法が違うらしいが)
しかし、同じタッチパネルという方法論を使用しながらも、コンセプトは真逆ではないだろうか。
片や、指で直接動かすというダイレクトな操作法、片や、タッチペンでチクチク精密に操作する方法。
このハードのコンセプトの違いは、アプリケーションにも現れていて、iPhoneは、気楽におおらかな気持ちで楽しむアプリが多い。そもそも、プロとアマの境界が曖昧で、大量の独立した制作者が作った大量の安価なアプリの中では一発のアイディア性やネタ性が重視される。ヒットアプリもシンプルなものが多い。DSの場合は、”A列車で行こうDS”が話題になっているように、DSと(PCゲームから発祥した)経営ゲームの相性の良さを見直されつつある。また、日本では、あまり洋ゲーは売れないとされているが、EAの”シムシティDS”は小ヒットした。
マスコミはいつもの通り、”ゲーム機「iPhone」大ヒット 近い将来「DS」「PSP」抜く?”の様な記事で煽っているが、実際はどうなんだろうか?iPhone/iPod Touch陣営が、ハードの価格を下げて、同じような価格帯になった場合だ。少し思い出すのが、特にアジア圏で、それほど作り込んでないソフトでも安価なゲームがヒットしていて、高価な日本のゲームのシェアがそれほど高くないという話。iPhone/iPod Touch陣営が有利なような気もしてくる。
ただ、iPhone/iPod Touch陣営の一極集中もまた無いのではないか。簡単に言えば、「iPhoneで、ゲーマーがやり込めるようなゲームがあるのか?」という話だ。iPhone/iPod Touch陣営は、アップルの設計したインターフェースとアプリ市場の問題でゲーマーがやり込めるようなゲームが”構造上”作れないのではないか。iPhone/iPod Touchが急速に普及した場合、日本市場で起こったように、ライトユーザー層から、ゲーマー層への市場の揺り戻しが起こるのではないか。
・・・もっとも、日本で、ケータイアプリ(これも精密な操作には向いてないハード設計のアプリ)と携帯ゲームマシンのゲームが共存しているように、お互いが共存し合うというのが一番ありそうで、堅実で面白くない結論か。しかし、PSP2はどういう戦略を採るのか?6月初めのE3が楽しみだ。
・・・ゲハでやれ?失礼しました。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20090420/p1
を受けて、
http://d.hatena.ne.jp/shotayakushiji/20090508/1241797762
http://modernshogi.pbworks.com/
と言う形で下訳された「シリコンバレーから将棋を観る」の英語版。
これにエキサイト翻訳をかけ、だいたいのところをつかみつつ、超訳をかましてみました。
「シリコンバレーから将棋を観る」のリバースエンジニアリングと言えます。
リバースエンジニアリングに正当性を持たせるため、「シリコンバレーから将棋を観る」は購入はもちろん、ブログの引用などに目を通すことすらしていません。純粋に英語版だけを元にしています。
このため、特に邦題、固有名詞、会話の語調などが間違っている可能性がありますので、その点はご承知おき下さい。
また、今のところ実施したのは前文のみです。
下訳は1時間、超訳は全く別のDVDをながら見しながら3時間ほどで終わらせましたので、その程度の精度と取っていただければ。
ツールとして、アルクの英辞郎(http://www.alc.co.jp/)を始め、オンライン辞書、Amazonの書籍検索、Wikipediaなどを活用しました。IT革命で仕事のツールが便利になったってのは本当ですね。
忙しい人のために要約しておきますと、
と、こんな感じみたいですが、実際のところどうなんでしょう?
20世紀末に起きたIT革命と急速なグローバル化。社会はより複雑に大きく変わりました。得られる情報は増え、仕事に使う道具も増えました。その結果、昔(と言っても20年ほど前ですが)に比べ、今は、自分に合った仕事をやりたいとか、やりがいのある仕事をやりたいとか、そういった仕事できちんと生活したいと思うと、一人前になるために必要な期間も、そうなってから働く時間も、ずいぶん長くなってしまっています。良いか悪いかは別にして、「自分の趣味に関することを勉強しよう」とか「趣味を仕事にしよう」というのがなかなか難しい時代なのです。
将棋は、日本の社会、日本の文化として、日本人の心に深く根付いています。日本人なら、小学生、あるいは中学生の時は、将棋でよく遊んでたな、という人も多いでしょう。ただ、そんな時代は長くありません。将棋に夢中だった男の子も女の子も、10代後半以降、専門の勉強が増えるなどして忙しくなると、だんだん将棋を指さなくなります。私も他の皆さん同様、そうやって将棋を指さなくなったうちの一人でした。
10代末から始めてきた自分の専門をいかして働き、それで家族を養っていこうと、日本を去りシリコンバレーで生活してきた、というのが、私のこの25年のことでした。そうして私は自然に将棋を指さないでいました。
とはいえ、日々忙しいなか、たまの余暇には将棋に関する情報に触れていました。著名な将棋関連本でしたらほぼ全ての書籍を読んでいましたし、雑誌"将棋世界"を定期購読したりしていました。ですから、遠く離れた場所から、日本の将棋と棋士の魅力にとりつかれていたと言えます。
将棋を"指したり"、"腕が上がったり"、する暇は全くありませんでしたが、今でも将棋を"観戦したり"、棋譜を"読んで楽しんだり"、将棋から"人生のヒントを得たり"することは日常のことになっています。例えば、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長)が記した名著「人間における勝負の研究 - さわやかに勝ちたい人へ」(82年、祥伝社)は私が大学にいる時に出版されたものですが、私にとっての必携の本でした。重要な決定に関わる時、この本が自分を助けてくれたことが何回もありました。また、金子金五郎九段については、おそらくこの本の中でも何度も語るでしょうが、単に彼の本がいい、だけにとどまりません。彼の本は、私の執筆の手本となっていますし、彼の生き方が、私が後半生に目指したい生き方でもあります。
「指さない将棋ファン」である私。
私はこうして将棋に係わってきましたが、将棋はほとんど指してきませんでした。そのため、将棋が好き、といったことや、趣味は将棋、といったことを公言してはいけないと思っていました。将棋を好きと言うためには将棋が上手くなければいけない、そんな空気があるように見えるのは私だけでしょうか。将棋界の一員になるには、敷居が高すぎると考えたのです。それで、私は一人静かに将棋を愛し続けました。
40代になり、暇になってきたので、私は愛する将棋について、自分のブログでつぶやき始めました。
すると、驚いたことに、かなりの反応があったのです。日本にも、将棋を指さなくなって長くなっても、心の中では将棋を愛し続けていた人がいたのだとわかりました。
小学校の同級生で、今は外科医をしている友達に30年ぶりに会った時にいちばん盛り上がった話題は、前に私がブログで書いた話がきっかけでした。
「梅田、お前、子供の時から将棋が好きだったのか。俺も下手の横好きでな。医学部に入ったら、将棋を指す暇なんてなくなっちゃたけど。でもなあ、今度中二になる俺の息子が、将棋クラブに入っていて、毎週あいつと毎週日曜のNHKの将棋番組を見るのが楽しいんだよな」
「なら、将棋の大ファンじゃないか」
「将棋を見るのが好きなら、俺と一緒で、十分趣味と言えるよ。プロ棋士はすごいよなあ」
「今から5,6年経ったら、オペも引退だろうし、そうしたら暇になるから、その時は将棋観戦ももうちょっと楽しいだろうな」
彼と将棋について話している時間はあっという間に思えましたが、それは子供時代にタイムスリップしたひとときでした。
また、S社の技術関連責任者10名と、新技術の商業化に関してぶっちゃけた会議を行った時のことです。会議の後で、そのうちの1人のソフトウェア技術者、私はこの人とは初対面でしたが、彼が私に話をしに近づいてきました。30代で、凄腕の技術者です。
「ええ」
「それはうれしい。仕事のあとでそういう話が聞けるのはいいですね。」
「自分、高校の時には初段を取ったくらいの腕前だったんですが、大学に入ってからはソフトウェアにかかりっきりで、将棋を指す暇がなくなってしまったんですよ。でも、時々雑誌とかテレビとかインターネットで将棋をみていましたし、それで鳥肌の立つこともありましたよ。あれは本当に面白いものです。学生時代も将棋に没頭する人たちがいて、彼らはアマ有段者だったりするんです。そういう人が仕事場にいるんですが、ああいう人たちを見ていると、どうも自分が将棋ファンだと公言するだけの資格がないように感じてしまって。」
「そんなことはないでしょう。あなたは"指さない将棋ファン"だし、"趣味は将棋観戦です"と言えばいいんです。私は自分の趣味を言う時には"将棋"ではなく"将棋観戦"と言いますよ」
また別の機会には、K社の役員会議にオブザーバーとして加わって、そこの社長と話しました。
「ええ、自分は羽生さんの本を会社経営の参考にするためにいつも読んでます。生きている間に1度は彼に会いたいと思っています。10年以上もアメリカで疲れる暇もなく働いているせいで誰とも将棋を指せなかったのですが、でも将棋に関する雑誌はずっと読んできました。役員会に招集されて日本に戻っても、すぐに世界一周に飛び立たないといけないので、雑誌を読むのは主に機内でですけどね。将棋を指す暇は全くありません。」
「将棋の大ファンじゃないですか!」
「いえいえ。上手くはないんです。子供の時にはいつでも将棋で遊んでましたが。今となっては将棋の腕を磨く時間すらとれません。今はコンピュータ将棋も強くなりましたが、自分にとっては羽生さんが活躍しているのを遙か遠くから静かに見守るのが、自分の将棋の腕を磨くよりもいいと考えてます。」
「そのうち、タイトル戦の大盤解説を一緒に見に行きましょう?」
「いいですね」
「将棋界は完璧な才能で成り立っています。谷川浩司。あの人が出てきた時は、まさしくその才能、完璧な才能の人が現れたと思いました。しばらくしたら、羽生善治が現れました。10年経って、別の完璧な才能が現れるんです。なんというか、将棋界はかくも信じがたき世界ですよ。私が強く将棋に惹かれるのもそこです。でも私は将棋を指すのがうまくないんです。上手くないですから、将棋界の外から静かに見守ります。」
どうも世界中に、彼らのような"指さない将棋ファン"がまだまだ隠れていそうです。
最初ブログに将棋のエントリをこわごわ書いていました。将棋の上手い人がそれを読んで「こいつは将棋を知らないな、まともに指せもしないのになんでこんなことを書いているんだ」と思われるのではないかと思ったのです。
しかしながら、隠れ将棋ファンの皆さんから来た思いがけない反応をみて、私は将棋界で何かお役立ちの一端を担えるのではないか、また"指さない将棋ファン"というコンセプトが、ファン層を厚く、広くするために重要ではないか、と思うようになりました。
子供の将棋人口を増やすために親に将棋を広める、というのも大事ですし、それ以上に、将棋がグローバルになるるためにも大事です。
また、羽生さん、佐藤さん、深浦さん、渡辺さんのようなプロ棋士と仲良くなったのですが、同じようなことを皆さんも常々考えていたようで、"指さない将棋ファン"や"将棋観戦のファン"が増えるよう、私を励ましてくれました。
将棋を見て、楽しむのに、特段必要なものはありません。
誰でもすぐに「指さない将棋ファン」になることができます。
将棋を指さなくなっても、将棋界のことを考えている人、理由はともあれ将棋好きだけど、将棋が上手いとは言えない人、将棋を今まで指したことがないけれど、棋士の輝きに魅了されて、そのため将棋により興味が湧いた人。
それらの人たちに向けて、私はこの本を書いています。
将棋を指さずとも、将棋の楽しさはわかるように、素晴らしい棋士の楽しみを感じられるように、何か変わったことがほしくて将棋を見始めたくなるように。
本当にそうなって欲しいなと願いながら、私はこの本を書いています。
いいやおもねるね。自分の頭で考えたことが正しいなんて正気の人間が発言する内容じゃないね。
論文に書いてある内容を主張することは、少なくともその論文の書き手には反対されないという意味でリスクの低い行為だ。ガンガンやるぜ!だって安心だからな!
脊髄反射はこれくらいで止めておくとして。これ読んで思ったけど、「効果がある/ない」の判断の基準が違うんだよね。ホメオパシーが効果ない、と主張する人は暗黙のうちにプラセボと比較してるから、そこに噛み付きたくなる人もいるだろう。まあ、アマノジャクだな。voidを思い出す人もいるかもしれない。最後の段落もvoidっぽいし。
と、偉そうに書いてみたけど医学統計と生物学統計が違うっていうのは知らなかった。というか単に扱うデータが医学分野か生物学分野かの違いで統計処理は同じだと思ってた。拙者馬鹿ゆえに統計とか不得意でござる。
世界中のプログラマーがプログラム作りに躍起になってもアマ初段程度。
けど、アマ8段とかがプロと対決するときはハンデをもらうのが当然。
じゃ、そのハンデでようやく互角の勝負になったと思ったアマが
酒に酔ったトッププロと一戦したところ無残なまでの大敗。
そのトッププロによれば酔ってめんどくさいから実力差どおりにやっただけとのこと。
(囲碁には指導碁ってんのがある)
さらにそんな日本のトップレベルでも急速に実力をつけた中韓に国際戦ではあまりいいところなし。
けど、じゃ現代最強棋士が歴代最強かといえばそうとも言い切れない。
囲碁すごすぎる。プログラマーがんばれ、アマがんばれ、日本のプロがんばれ、世界の棋士がんばれ。
ホワイトハウスの前で、
と少女漫画風の娘さんが言う。
俺としては、・・・これってどうなの?みたいな感覚だった。(そう思った人は俺以外にもいると思うんだけど)
なんか、アメリカにあこがれを抱いている40代の感覚だよな、というか。
問題は、映像のリアリティではないか。
ニコニコ動画などで、アマが作る映像の方が時代の生きている感覚、リアリティを感じる。
世界の中心は、ホワイトハウスでもアキバでもない。ここであり、そこだ。つまり、ネットだ。
時間の感覚が止まったプロは、思い出の中で生きる老人用の映像でも作ればよい。(と、暴言)
あー、でも、分からないな。
ハイソな(?)海外留学に憧れるコジャレた学校に通う娘さんの感覚って、こんな物なのかも知れないよね。
まー、単に俺は視聴対象に入っていなかっただけということだ。
取り溜めたプリキュアでも見るか。
すごくいいエントリだと思った。
増田は偽悪的に書いてるけど生徒のことをよく考えている先生だよね。
自分が保護者だったらこんな先生に教えてもらいたいと思う。そのときは辛くても、覚悟して選択したということが挫折から立ち上がるのを助けてくれることになる。
食って行くってこととは別に。
自分はアマチュアの音楽愛好家で大学は音楽以外の別学部進んだ。けどちょっとだけ専門教育受けてる。
クラシック聞いてどの演奏がいいとか、この演奏が好きだということが分かるまでに、とても時間をかけて育てられ、自分でも育ててきた審美眼(耳?)があるつもりだ。
これはものすごく自分を豊かにしていると思う。
自分の恩師は、「たとえ生徒がプロにならなくても、よい聴衆を育てるということに誇りを持っているし、そうなってほしい」と言っていた。
「よき聴衆こそが音楽をすばらしいものにしていくのだから」って。そう言ってくれたから今の自分は、アマだけど誇りをもって音楽と向き合っている。
だから、美術大学を出て、たとえ挫折したとしてもよい観衆?、あるいは増田みたいなアドバイザーになれる世の中だといいけどなー。
大学まで行った人じゃないと分からないというのはアレだけど、正直自分は今のアートシーンは説明されないと(されても?)さっぱり分からない。
でもクラシックのよさが分からないって人もたくさんいるんだろうなと思う。
でもさ、たとえばニコニコ動画では美術や音楽はサブカル的なものが専ら流行っているけど、クラシックで検索してもすごい普通におもしろくて、
かつ、うp主専門崩れじゃないかなというレベルの動画あげている人がたくさんいる。そしてその動画見て、普通の人が結構いいねとか、おもしろかったってコメントしてる。
描いてみた動画だってそう。
ニートとか自己責任とか不況だからギスギスしたこと色々言われるけど、状況が許せばもっと穀つぶしにおおらかで、それに金が払われる世界であってほしい。
よいものが評価される世界ってやっぱりある程度育てられた眼や耳をもった聴衆がいないとだめだし、メインカルチャー廃れる一方だからさ。
おもしろくないんだからしょうがないって言われても、一発芸しか評価されないのお笑い界は最悪なんだよ。
喰えないからってあきらめても、愛だけはなくさないようにしてあげてほしい。アマチュアのアマはアモールってことだ。
だから元増田は、審美眼を育てまくって、結果として生徒が進路としての美術の道をあきらめさせたときは、それでもいいんだぜってことまで教えてあげてほしい。
灰色のサラリーマンの生活が辛いときも、眼や耳があれば、鮮やかな色彩をもってそいつが慰めてくれる。
うん、晩酌がすぎた。
http://anond.hatelabo.jp/20090326120258
隠し球とか、捕球時のミット動かしのような誰が見てもわかるような、
ずるい行為だけじゃないですよ。
捕手は体の近くで捕球してミットを審判から見えないようにしたりとか、
(そもそもセカンドにランナーがいるときは捕手のサインは変わる)
観客からは見えないところで、情報戦が行われているわけですよ。
団体競技は基本的にそうでしょう?
力と力のぶつかり合いといった目に見える要素以外の
情報戦のような戦いがあるんですよ。
野球の場合は、一球一球ごとに状況がぶつ切りになるし、
確率論に支配される場面が多いので、
他の競技に比べて、情報が有効に使えるだけであって、
情報戦が必要なのは
その意味では、高校野球は、ブラックなところがたくさんあるけど、
で、高校野球の話ついでで、なんだけど、
今の野球界で問題になっているのは、
野球は平気で土日を丸々潰す。
確かにトップレベルの子は、どの競技でも長時間の練習をしているけど、
野球に関して言えば、一通りの練習をしようと思ったら、
一日潰れることになる。
拘束時間のわりに暇な競技なのだ。
テレビ視聴でも避けられてきているし、
親がこれを忌避する傾向がある。
競技人口が少なくなっているのは、
拘束時間の影響が大きいと私は考えている。
全試合観てないから、一部だけだけど。
気になった点だけ書くよ。
若手の左腕キム・グァンヒョンだったわけだけど、
「スライダーを狙い打ちされた」みたいな話になっていた。
これは、確かにそうなんだけど、付け加えると、
小笠原の方がはっきりしてたけど、速球についていけてない。
たぶん目の問題。筋力的な問題はないと思う。
シーズン序盤のピッチャーが調子のいい時期に打てるかどうか不安。
キューバ戦(第1戦)で、松坂がわざと逆球を投げたみたいな報道があったけど、
少年野球時代から仕込まれている。
気付いている人もいると思うけど、
球種や球のキレの報告をしているが、
野球をやっていない人には分からないと思うけど、
打者がテンポを崩すのにタイムを要求するのも、仕込みである。
こういった細かい芸が日本の強さになっており、
そりゃ新渡戸稲造先生も「野球は賤技なり。剛勇の気なし。」と言っちゃいますよ。
野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。
ちなみに、野球害毒論というのは今の朝日新聞が行ったアンチ野球キャンペーンで、
今となっては“どの口がそれを言う”なんだけども、
ちょうど甲子園やっているけど、試合前に整列して礼をしたり、
過剰に美談を作り出したりするのも、
教育的意義を盛り込まざるを得なかった朝日新聞のアレなんだよね。
あまり書くと・・・あ、あれ、お昼なのに誰かきt(ry
プロです。
こんばちわニコ厨さん。
プロです。
……どうもお灸が効き過ぎたようです。
アマを叱ると言うは本当に難しい。
この責任の一端は私にも有るでしょうし、
何かしら責任を果たさないといけないでしょう。
とりあえず感じかたはぎりぎり及第点。
もし本気で勉強したいのなら私が教える、と言うのも有りでしょう。
もし文章レベルで真澄さん並か、
それ以上になる気が有るのなら教えましょう。
その代わり私は厳しいですけれど。
ファンやプロの為、
短期間でプロ入りしたいのなら検討してみてください。
端から見て胡散臭いのも確かなので無視しても一向に構いません。
私も余り暇ではありませんし。
長文乱文失礼致しました。