はてなキーワード: 逝去とは
そこまでルサンチマン溜められるのなら、それはもう一つの才能だよ。
だから芸術活動するなり執筆するなり、何らかの形で創造力に変えていけばいいんでないでしょうか。
「似たような人いないかな」なんて言ってるうちは甘くないか?多分、あなたは何らかの形でマイノリティなんだよ。
自分の生き方を貫けよ。こないだ逝去したジョブズの名言にも「絵に描いたような明るく楽しい青春?間抜けのから騒ぎだ。」ってのがあるじゃない。
そのその無駄なプライドとルサンチマンを原動力に「普通のヤツらの上を行け」(ポール・グレアム)よ。
もっとも、車輪はずれて自爆するか、大成功するか、ギャンブルないばらの道かもしれないが。
文面からすると、あなたは女性かもしれない。だったら酷な話だろう。
でもじつは、あなたから恋人と多くは無い友人を除外したらそのまま僕なんだ。だから自分への鼓舞っていう意図もあるわけで、キツイ口調も許してほしい。
ブコメで
すげー嘘くさい。嫌いな物は食べなきゃいいけど、鼻声なんて風邪とか花粉症の人がいるんだから同僚が隣に来た以前に何度も聞いてるんじゃない?
という意見があります。
これは元増田ではなく私の場合ですが、「鼻詰まり声」つまり鼻からの呼吸ができていないタイプの声(例:歌っているときの武田鉄也)は不快なりに許容範囲です。ブコメで言う風邪・花粉症の人の多くはこのくくりになります。
また、「鼻にかかった声」と言われる一風変わった声(例:松本伊代)も私はわりと平気です。
では何がダメかというと、「鼻が悪そうな人の声」です。
TVで耳にする「鼻が悪そうな人の声」の持ち主(と私の脳内で分類される人)でパっと思いつく人は、「情熱大陸」ナレーターの窪田等さんとフジテレビアナウンサーの牧原さんという男性(「食わず嫌い」で勝負の最後に出てくる人)です。「食わず嫌い」は牧原さんが出てくるとチャンネルを変えます。「情熱大陸」は窪田さんがナレーターになってから一度も観たことがありません。このふたつは能動的に避けられるのでよいのですが、いちばん辛かったのは中江真司さん(「トリビアの泉」ナレーター)が逝去されて、任天堂のCMナレーションが窪田さんに引き継がれたことです。CMは避けようがないので困りますが、運悪く流れてきてしまったときはチャンネルを変えます。
気にならない人には、この2人の声の一体何がイヤなのか、わからないと思います。しかし、私にとっては聞くのが苦痛で仕方ない。チャンネル変更ができない場面でなら、何とか1時間くらい我慢できるとは思いますが、かなり辛いです。私はビートたけし(この人だって結構な悪声だとは思いますが)の大ファンですが、たけしの声がこの2人のどちらかの声だったら絶対に好きになってはいなかったと思います。
また
自分が鼻声になった時はどうしてんだろ?
というコメントがありました。
私は幸いいわゆる「のど風邪」派で、滅多に鼻の症状が出ません。鼻の症状が出ても、自分にとって許容範囲である「鼻詰まり声」で終わってくれる場合が殆どです。しかし7年前に一度だけ、大風邪を引いて、自分の声が自分にとってアウトである「鼻が悪そうな人の声」になってしまったことがあります。その時は、「喉を潰していまい声が出ない」と嘘をつき、必要な連絡は全てメールとFAXで済ませました。食品や薬の買い物に出る際も、「申し訳ありませんが、現在風邪で声が出ません」と書いたメモ帳を持ち歩きました。病院に行った際は、症状を正しく伝えるためにこれはもう喋らなくてはどうしようもないと思い、喋りました。あれに勝る苦痛はありません。自分の喉からイヤで堪らない音が出てくるわけで…。病院で吐きました。お酒を全く飲まず胃腸の強い私が、成人してから吐いたのはいまのところこの時だけです。次はおそらく悪阻のときでしょう。
要約すると
1.放射線被曝によるガン発症促進リスクと、乳がん検診見送りによるガン見逃しリスクの
単純な数値比較
(恐らく、ガン発症促進リスクの方が高い)
10年後に発症?20年後に発症?30年後に発症?
仮に「60年後に発症」なら、それは平均寿命を突破しているため、
3.若年層に見逃したガンの進行スピード、転移スピード、致死スピードと
放射能被曝により発症した●年後のガンの進行スピード、転移スピード、致死スピード。
これは推測だが、一般論として、高齢になってから発症したガンほど、
4.そしてこれがもっとも重要だと思うのですが、
人々が「20代での早世」を、60代での逝去よりも「悼む」のは、
「人生でもっとも充実した時期を過ごすことなく逝ってしまったことに対する悲しみ」です。
理系の専門家の議論では、この「4.」の部分の議論が一番欠けていると思う。
(多分、「1.」しか議論していない)
彼らにとっては、20代での死亡も60代での死亡も、「同値の、単なる1つの個体の死亡」の
事実でしかないですが、本人や周囲に取ってみれば、
「早世の悲しみは、60代や70代での逝去より、数倍、数十倍も悲しい」のです。
親に取ってみれば「子供に先立たれる」のは、自分の死よりもつらいのです。
そういう人々の、特に若い女性の「自然な、率直な感情」を無視して、
単なる「発症率や死亡率の乾いた数値」だけで理系チックな、統計チックな議論を
展開していたので、「はてなブックマーク」に違和感を感じていたのです。
単純な発症率、死亡率からすればTBSは間違っていたかもしれない。
しかし、「早世の悲しみを取り除きたい」という素朴な感情からすれば、TBSは間違っていない。
客観的にイーブンな論議をしたいのであれば、
「20歳時点において、マンモグラフィーを受診した場合において、
30年後の50歳まで生きられる生存確率」と
「20歳時点において、マンモグラフィーを受診しない場合において、
30年後の50歳まで生きられる生存確率」を比較すべきでしょう。
放射線被曝によるガン化を主張する人は、
「平均すれば、ガンがいつ発症するのか」を明らかにして欲しい。
自分は医学の素人ですが、被曝でガン発症するのは、50歳過ぎてからじゃないですか?
「マンモグラフィー被曝で早世しないが、
原稿は落とさずに済んだのかな? お疲れさま。
これって、葬式自体に価値を感じれないのかな。それとも、他の誰かの葬式だったら、仕事なんか放って出るのかな。そのどちらかで変わるんだけど。
前者だったらそれぞれの価値観だから自由だけど、母親とかに分かってもらうのは難しいよね、って話かな。
後者でも私はやっぱり、亡くなった方との関わり方は人それぞれだから、どんな感情を持っても自由だと思うけど。
私はおばあちゃんが亡くなった時、ある事情で訃報を知ったのが2日経ってからになってしまい、その時にはお通夜にもお葬式も終わっていた。おばあちゃんのことはずっと一番大好きですごく仲良しで、今でもおばあちゃんのことを思い出すと涙が出てくる。本当に。
今もし、もう一度おばあちゃんが死んでお葬式があったら、何があっても駆けつける。ずっとやりたかった仕事で、いつも必死でやっている仕事だけれど、それでも一生仕事が出来なくなったとしても構わないから、とにかく葬式に出る。
一方で──。私は父が亡くなったのを知ったのも、ある事情から半年後だった。弁護士から送られてきた紙に、逝去って書いてあった。私は読んでも何とも思わなくて、そこでは葬式に出れなかった事実にすら気付かなかった。まあ実の父だし、何の恨みもないので、もちろん出た方がよかったとは思うけれどね。ただ、仕事があったらそっちを優先してただろうと思うなあ。
あなたはお父さんのお葬式でも、おばあさんと同じように思うかな? それとも、お父さんのお葬式は出たいかな? どうなんだろう。
でも、どう思っていてもいいんだろうな。大事なのは、倫理的とか常識的とか何とかいう言葉と関係ないところにある自分の正直な感情で、それは否定したらどうもならないから。最後の土壇場で自分を強くしてくれるのは、本当に自分の中にある何かだけだしね。
って、読み返してみたら、ちょっとあなたの言いたいこととズレてしまったね。
私が私に言いたかったことを、ようやく言えただけなのかもしれません。ありがとね。
少し前、Microsoftアップデート → どういうわけか Office 2000 および PowerPoint Viewer 逝去。再インストールするも起動せず。泣く泣くマシン自体を前線より外す。
先月、あと1日で PowerPoint(試用版) の必要な仕事が終わるぜ!といったタイミングで、試用版が期限切れ。まあこれはそう予定された運命だったわけだけども。残り 1 日のためだけに泣く泣く OpenOffice を入れた後、「PowerPoint2007試用版」とは別に「Offce2007試用版」をインストールできる事を知ってうぎゃー。
昨日、Microsoftアップデート → Visio Viewer 逝去。.vsd ファイルをダブルクリックするも、IE は起動するが画像を開けない時のアイコンが出るのみ。再インストールも効果なし。号泣す。
次は何だ? Visual Studio 2008 Express が潰れるか? SQL Server Express か? 俺の明日はどっちだ!? 左か!?
今年はもうほんとびっくりする訃報が多いけど、はてブ開いただけで泣けたのははじめてです。
■はてなブックマーク - ナタリー - アベフトシ、急性硬膜外血腫のため43歳で逝去
http://b.hatena.ne.jp/entry/natalie.mu/news/show/id/18966
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリスト、アベフトシさんがお亡くなりに!
え、あ、ちょ…まじですか?
まだマイケル追悼終わってないんですけど! いまもモニターの入力変換すれば一時停止したDVD映像が稼働してるんですけど!
わたしが高校~大学時代に最もお金をつぎこんだとおもわれるバンドのコアメンバーがお亡くなりになりました。
忌野清志郎、マイケル・ジャクソン、若杉弘(指揮者)と続き、ミッシェルって…今年の音楽界どうしちゃったの……
さっきニコニコ動画で、わたしの行ったライジングサン・ロックフェスティバルのライブを見つけました。
1999年のこのライブは、北海道の海辺の特設会場でオールナイトスタンドライブを行うという過酷な野外フェスの第一回です。
特にこの99年のフェスは最初にして最も過酷な回といわれ、日中気温が40度を超える炎天下のなか倒れる人続出というあるいみ伝説のライブです。わたしはこれをミッシェルのためだけに、大学の友達と2人で朝イチのエアドゥ(まだ買収前)に乗って海を渡り、一晩中踊り狂い、夜明けと共に会場を後にしたあと一切観光をせずまたエアドゥに乗って東京に帰るという無茶ぶりを発揮したのでした。
歌詞に「赤みのかかった 月がのぼるとき これで最後だと 僕は聞かされる」という部分があるのですが、爆音の中、ちょうどこのときにボーカルのチバがすっと指を上に上げました。
つられて上を見ると、本当に真っ赤な月がのぼってました。
この「世界の終わり」は、わたしがミッシェルにはまったきっかけであり、この曲がアルバムから流れた瞬間にもうこのバンドについていこうと思ったものです。
そしていっしょにゼロ泊2日でオールナイトライブに同行した友人は、わたしの家ではじめてこれを聴いたとき、聴き終わったあとしばらく身動きしませんでした。
しばらくしてやっと彼女は、呆然としながら「すごいね、この人たち」って言いました。
アベさん、死ぬタイミングまでかっこいいなんてサギだよなー…
まあ、どのくらいの数のボクオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないボクシングの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ボクシングのことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にボクシングを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、WOWOWやリングジャパンのビデオでしか見られないボクサーは避けたい。
あと、いくらボクサー的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
空手好きが『船越義珍』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ボクシング知識はいわゆる「亀田」的なものを除けば、タイソン、ガッツ程度は知っている
格闘技への理解度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「辰吉以前」を濃縮しきっていて、「辰吉以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。一応、本人的にはまだ現役だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なボクサーについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなボクサー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ボクオタとしてはこの二人は“アスリート”として優れてる思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボク漫オタが持ってるソビエト科学的トレーニングへの憧憬と、クロスカウンターへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも協栄的な
をはじめとして、オタ好きのするキャラをキャリアにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶん川島のスリッピングアウェー見た彼女は「この人、たくさん殴られて痛そう」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のボクサーがその後続いていないこと、ブエノ戦で大熊アナが実況中に泣いちゃったこと、
アメリカならスーパースターになって、ジュニア・ジョーンズやタピアなんかとビッグマッチが組まれてもおかしくないのに、
日本国内でこういうのが評価されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「ボクサーって女のコより軽いんだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「井岡弘樹」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、八尋のいかにも軽量級って体格が好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも108ポンド、っていうウェイトが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「自分の非力を補う」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
八尋のボクシングを俺自身は弱いとは思わないし、ガメスともよく戦ったと思うけれど、一方でこれが
ロペスやカルバハルと当たってたらきっちり失神してしまうだろうとも思う。
なのに、ろくにメシ食わないでジュニアフライのウェイトを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ八尋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。小見山戦の右アッパーと合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナオト見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
『はじめの一歩』よりも前の段階で、ボクシングの逆転劇とかカウンターの美学とかはこのボクサーで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのボクサーが後楽園ホールをこの時代に熱狂させていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくボクシング好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる亀田でしかボクシングを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
吉野の「天賦」あるいは「K-1進出の先鞭」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「ボクシングは壮絶であるべき」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ「鼻の骨を耳の後ろに移植して戦い続ける」というエピソードは吉野以外にはありえなかったと思う。
「ボクサー=壮絶にストイックな生き物」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「壮絶な気分」の
源は吉野にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に左一本でのノックアウトを楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうギミック風味のボクシングを「兄弟対決」なんて演出で見せて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に鬼塚を選んだ。
辰吉から始まって鬼塚で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、先代逝去以降の協栄疑惑の先駆けと
なったボクサーでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいボクサーがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080807182411
神はいない。アメリカの連邦裁判記録にそう記された事件がある。
ノースカロライナ州チェロキー郡に住む富豪が「全財産を神に遺贈する」と遺して逝去した。
修練の意味もこめて。
信じようと、信じまいと―
神は居ない。アメリカの裁判記録に、そう記される事件があった。
ノースカロライナ州チェロキー郡に住む大金持ちの女性が、次のように遺言して死亡した。
「私の全財産は、神に遺贈する」
親族たちは、相続権のある「神」を巡って大もめにもめ、遂には裁判沙汰にまで発展した。
神はいない。アメリカの連邦裁判記録にそう記される事件があった。
ノースカロライナ州チェロキー郡に住む富豪が全財産を神に遺贈すると遺言して逝去、
http://genpatsu_shinsai.at.infoseek.co.jp/hirai/pageall.html
著者は97年にご逝去されているようだから、それなりに古い記事になるんだろうけど、それから10年たった今、現状はどうなってるというんだ。
うちのばあちゃんの場合。
幼児期に、医者であった両親を亡くす。当時の流行病が原因と言われている。
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祖母、妹、弟はバラバラとなり、別々の家に引き取られる。それぞれそこらへんの地主の家だった。
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祖母を引き取った家はとある名家の分家で、本家筋の出戻りの奥さんと、養子に入った旦那さんの間に子供がなく、祖母が養女として家を継ぐことに。
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継母は「なんにも気が付かない人」で、着物は着たきり雀、自分で作ったりもしたという小学生時代。継父は「いい人じゃった」が早くに夭逝。
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女学校に入学、16歳で卒業と同時に(「腕を引っ張られて、無理やりつれていかれ」)11歳年上の祖父と結婚。祖父は本家筋であり、婿養子に入る形で分家を相続。
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祖父は県庁所在地で勤務するも、終戦後の農地改革で農地がかなり接収された上、不在地主はさらに土地が没収されるとなり、地元にもどる。
農作業をしたことのない祖父は農業をせず(営林署かなにかに勤務)、祖母のみが田畑に出て働く。
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子供ができたのは遅かったが、長男・長女・次女・三女にめぐまれる。
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長男が東京の(浪人しつつ)医大に進み、中学から数えて計13年間、仕送りを続ける。
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11歳年上の祖父、喜寿を目前に逝去。以後10年間、畑をしながら独居。
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祖母が90を超えてようやく長男が帰郷。
長男は図らずも、祖母の両親が死んだ原因となった流行病の権威となった。
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94にて大往生。