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はてなキーワード: 転載とは

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222195924

→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/

1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。

2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述もおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。

3.技術系の記述は、まあ、主張を信じるのは話半分でよい。

4.哲学倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。

5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。

6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。

7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。

8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏ブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者ポジションをまったく評価しない、というのはありえない。

追記1 2008/12/23

上記「8」は次のように言い換えることも可能である。

上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。

間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。

 ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。

 両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。

 池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。

*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値アジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。

追記2

fromはてぶ

「なんで支持者も不支持者も、人格人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」

 もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある

 たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。

 しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。

 我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。

 理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。

追記3

http://anond.hatelabo.jp/20081223163942

クルーグマン経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20081014

だそうです。

まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。

追記4

池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。

わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。

実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。

むしろ、池田被害者

追記5 

上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224

そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。

自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。

主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。

議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。

で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)

そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。

ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。

それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。

議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、

たとえば、

1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、

2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった

3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)

というようなことがあったとする。

このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。

もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。

しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。

わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。

データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレス不毛な会話がなされる場合がけっこうある。

というわけで、結局何が言いたいのか、というと、

・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。

・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?

 まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。

***

しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。

それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント

「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」

もまた、的を得た指摘だと思われる。

結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。

 もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。

 ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブ2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズド空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場システムが、市場に課せられたルールアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルールシステム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNSシステムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。

2008-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20081218020708

友達から聞いた話だけど、来年出る大作のプロモーションについての会議があったそうだ。

いわゆる友達は広告代理店で働いていて、誰でも知ってる大作ゲームプロモーション担当している。

それも、テレビラジオではなく、ネットクチコミ専門の部隊だ。

深夜のマックで長々と話を聞いたのだけれども、以前は必死にブログなどを捏造していたのを、

最近では釣りとバレても商品名が広まればそれでおkという方針になっているらしい。

漫然と宣伝を書き込むのではなく、ケースごとに厚いマニュアルと、部員同士のチェックがあるという。

その部署の実働部隊は30名くらいで、ADSLを何本も引いたり、IPを変えるやり方を使って書き込み、

固定して更新しているブログで使っているIPは、絶対に自作自演では使わないというルールもあるそうだ。

一般人ブログコメント欄に書き込んだIPと別のところで晒されたIPを照合したヒマ人がいてプチ炎上した経緯があるからだそうだ。

以下、伝え聞いたことの一部。なんだかもっと複雑なやり方も聞いたが文にするのが面倒だ。

2ちゃんに直接書き込むと釣り確定が早まるのと、あまり長く書けないので一旦別のところに書いてそれを転載する。

まとめサイトなどが取り上げるように転載後の掲示板では煽りと擁護の応酬を演出する。

提携関係にあるまとめサイトにはあらかじめ声をかけておく。

・書き込む場所に合わせた文体にし、事前に回覧してチェック。

 文体や書き込み方のマニュアルは社内に蓄積されている。

 教えて○○や●●小町向けのマニュアル最近使い、成功した例がある。

コメント欄で、反論や信じたくない人を演出して盛り上げる。

書き込む内容については、

・友達から聞いた話、下請けの末端からの内部情報漏れ派遣社員解雇腹いせ、などがキッカケであったかのようにする。

・「〓らしい」「〓と聞いた」「〓のようだ」「〓だったらどうしよう」など伝聞は明らかに伝聞として、書き手の心情も伝聞したかのように混ぜる。

ストーリーシステムに触れる部分については、既に雑誌に出している内容と微妙につながりがあるようにし、本当なのかそうでないかの議論をしやすくする。

プロデューサーディレクターの横暴や、女関係、金遣いが荒い、取材と称して旅行三昧など、食いつきの良いゴシップ内容をからめる。

コピーペーストバイラル的に広まるように、少々頭の悪そうな文にする。

そんなことを聞いたばかりのところへ、来年出る大作についての増田の文章が出て本当にびっくりしている。

風説の流布NDA、そんな言葉コメントで飛び交っているから、

あいつの思い通りになっていて、きっと笑いが止まらないだろうな。

これが本当に風説の流布などで訴えられたり、NDA違反で下請け会社の社内粛正が始まってしまったらどうしよう。

代理店企業はべったりだから大丈夫らしいけれど、女関係の悪いイメージをつけられたプロデューサーは心証悪いんじゃないだろうか。

そいつには言えないが、こういう下世話な方法で広告展開をする代理店には腹が立ってしょうがない。

友達がかわいそうだよ。お前達nあにやってんだよ?

http://anond.hatelabo.jp/20081218123047

2chだとログ流れちゃうから「釣りでした」も可能だろうけど、増田は結構残っちゃうからねぇ。

そんでこのネタでしょ?

転載系ハイエナブロガーの格好のネタじゃん。

そうなったら、もう「釣りでした」では済まないよね。合掌。

2008-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20081214164408

(転載すた→http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081214)

処女にこだわる」「処女でなければ耐えられない」と発言することについて、なんか、横で進行している話題に目がひっぱられてしまったのでメモ的にフォローしとく

■1.別にそれでいいんじゃない?何に耐えられて、何に耐えられなくても。:基本的に自由

発言した当人が、「自分恋愛の相手が処女でなければ耐えられない」というのは当人の問題として別にぜんぜんアリだろう。

ある任意の人物が恋愛にいかなる形で関わりたいかということは自由であってよい。恋愛の関わり方への選択には、さまざまなオプションがありうる。

「彼はチョコが好きだ」「そして、わたしはガムが好きだ」というお菓子の選択と問題の構成は同じ。

好きなほうを選べばよいし、それは他人に強制するものではないし、強制されるべきものでもない。

ちなみに、わたしはこれから暴君ハバネロを食べるつもりだけれども、これは別にあなたに暴君ハバネロを食べろと言っているわけでもないし、誰かに強制されたわけでもない。あるいは、もし私が超辛党で、甘いものが食べられないような体の持ち主だったとしても、それは他人から責められる筋合いはないし、他人に強制する気もない

■2.でも、それで万事解決かどうかは謎よね:相手との調整問題はある。

しかし、わたしが暴君ハバネロを食う、という選択と恋愛行為に関わる選択をすることはまったく同じではない。

恋愛行為には、相手がいる。片方の欲求が、達成されなかったとき、それは調整される必要がある。

欲求を相手に負担を強いて、どうしても達成するか。あるいは妥協するか。あるいはすっぱりとあきらめるか。

お菓子の例で言えばこういうことだ。

2人でお菓子を買うときに、ひとつのものしか選べない場合には、双方の欲求や、選択、資源配分を調整する必要が生じる。わたしがハバネロを食べたいといって、相手が都こんぶを食べたいと言ったとき、相手と私の欲求を調整する必要が生じる。しかも、恋愛お菓子を選ぶことよりもずっと重要で、ずっと重たい問題である。よって、この資源配分/資源調整の問題は、片方が我慢し、片方が欲求を通せば済む、という簡単な問題ではなくなる。

おそらく、「処女でないとがまんできない」という感性を持ってしまった人間は、苦労する。自分の欲求が達成されにくいから。

■3.ありがちな誤解を誘うことと、の問題:一般論なのかどうか

ということで、「処女でないとがまんできない」と発言した人へのわたしの感想

「そうですか。それは大変ですね」

という一言で、基本的には終わる。終わっていいはずである。

しかし、発言してしまうことが誘いかけた問題はおそらく別にある。

「一般的に言って処女は許されるか、許されないか」

という問題がある。

どちらかというと、この問題は脇道、というかどうでもいい、とおもう。

発言者は、おそらく「処女性にこだわるなんて、無意味」というような一般的な恋愛言説を意識している。

そして、「処女性にこだわってしまう自分」が間違いなのかどうかを問うているように思える。

それは別に間違いではないし、そういう人はいる。その存在自体が否定されるべきではない。

処女性にこだわってしまう感覚」は、様々な性愛感覚の中の一つとしてあってもいい。

別にそれはなんら不思議感性ではない。

しかし、往々にして、「わたしはXだ」という発言と「わたしはXだと思う」という発言は区別がつきにくい。

前者は、単に存在主張であり、討論の対象ではない。

後者は、一般論としてどうか、という議論であり討論の対象となる。

一般論として、「処女は許されるか」と問うならば、それは「許される」。未婚者であっても、それは日本社会では、一般的に許される。

しかし、わたしにとって処女恋愛対象とならない可能性もあれば、Xさんにとって処女しか恋愛対象とならない可能性もある。それは単にそういうことだ。

■4.非処女人間がショックを受ける可能性について

 「私は相手が処女でなければ耐えられない」と言う人間がいる、という事実に対して、

 もうすでに処女でなくなってしまった人が、それをショックに受け止めるかもしれない可能性、はあるだろう。

 そんなことが、境界線になるのか、というのはあるだろう。

 でも、別に、そういう人はいるよね、という話以上の意味がこの話にはあるのだろうか?

 もちろん、そのような意味を読み込むこともできるだろう。

 「付き合う女性処女人間のほうがいい」という男性ばかりの社会では、

 非処女女性は抑圧的な気分を味わうに違いない。

 そういう男性ばかりの世界は、やっぱり抑圧的であると思う。

 もし、「私は処女でなければダメ男性である」という発言が

 「みんな、処女以外は許してはいけない」という発言という意味でなされるのであれば

 それは女性の側に、非処女である自由を抑圧する発言に他ならない。

 そういう意図なのであれば、その発言は責められてしかるべきだ。

 だが、この発言はそういうものではない。

 それは、ありがちが誤解が読み込まれているにすぎない、とわたしは思う。

■5.「私は本質的処女でなければダメである」かどうかが不明であるという問題

 ただ、さらに少しフォローをするのであれば

 「私は処女でなければダメだ」と宣言する人間が、本当に「処女でなければダメ」なのかどうかは、

 実際に処女でない相手とつきあってみるまで、その問題が本当にどうにも覆しがたい問題なのかどうかは謎である。

 童貞なら特に。

 それは、自分自身が自分をそういう人間だと思い込んでしまっているからだ、という可能性はある。

 人間は思ったよりも、意外と変われる。意外と環境にすんなりとなじむ。大変な場合もあるけれども可能だ。

 ただ、「変わる」ために、あるいは「妥協する」ためにどのぐらい努力を要するのか、

 どのぐらい難しいものなのか、ということには個人差がある。

 どうしても無理な人は、いる。

 これをいないことにしてしまうのは横暴だと言ってよい。

 たとえば、同性愛で考えてみよう。

 わたしは同性愛者ではないので、同性の人間セックスをしろ、と言われたら大変である。だいぶ厳しい。

 でも、最初はいやかもしれないけれども、強引にやられてしまったら、そのうち慣れてくるかもしれない。

 いや、それどころか、意外と1,2回でさっくりといけてしまうかもしれない可能性だってあると思う。

 でも、試してみる気はないし、試してみる必要性もいまのところない。

 いまのところ、わたしは同性愛者ではないと、わたしは思っているし、

 同性からセックスをせまられたら「ごめん。むり」と言う発言が尊ばれてしかるべきだと思っている。

 「意外といけると思うよ?」と言われるかもしれないけど。「でも、ごめん、むり」と言うと思う。

 「むり」だと思っているわたしは、後になってみれば愚かだったと言われる可能性はある。

 でも、それが愚かであるかどうか本当にわからないうちは、

 自分自身が「自分同性愛者ではないと思っている」という意志の問題は尊重してほしいと思う。

 だから、「意外と大丈夫だと思うよ?」という発言まではOKだけれども

 「そんなもん、ぐだぐだと言ってないで、やっちまえばわかるって」という発言はセクハラでありNGだと思う。

 わたしは同性と、やりたくない。

 処女でなければ耐えられない、と述べる人が、自らの性愛感を主張し、相手に求めることは

 尊重されるべき事柄だとわたしは思う。

 事後的に観察すれば、それは「厨」かもしれないけれども、そうでない可能性もある。

 どうしても無理ならば、それは無理なのだろう。

 でも、無理だと思っているのが、単なる思い込みの可能性もある。

 自分で「思い込みかもしれない」と思えたのならば、ほんとに思い込みかどうかを試してみればよい。

 試した後には、「わたしには無理だ」という言葉の説得力は、一回り違っているだろう。

 試してみる価値はあるかもしれない。

(もちろん、繰り返すが、

 試していない人間の、「わたしには無理」という発言は思い込みである可能性もある。

 けれども、それを、「絶対思い込みだって」と他人が断定してしまうのは横暴である。

 「思い込みの可能性もあるよね」とまで、可能性を示すのは、横暴ではないと思う。)

**

 もう誰も読んでないと思うけれども、補足。

 非処女の人が「ああ、私は対象外なのね」という形で疎外感を受ける、のと同時に

 処女が、非処女になることを想像するときに「私はそれをすると、対象外の存在になってしまうということなのね」という抑圧も受けますよね、というご指摘があり、そのご指摘はまったくそのとおりだとおもいました。

 

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212033854

読んでいて、この話を思い出した。微妙に論点が違うけど。

うまく要約できないから、そのまま転載する。

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http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/08/07_061846.html

話題性と結果・評価はあまり連動しない。むしろ、結果や評価が芳しくなくても芳しくなかったなりに、自己の周辺で展開される話題についていければ効果があることになるのだ。作品イベントが良いのか悪いのかは然程本質を突かない。亀田さんの世界戦の判定がおかしかろうと、『日本沈没』がくだらなかろうと、話題を志向してコンテンツを消費する人たちにとってはそれについてあーだこーだ語れればそれでいいのである。

結果として、作品として楽しめたかどうかよりも、自分の周囲で話題になっていたかどうかが、コンテンツ消費の基準となる。自分の周辺で『涼宮ハルヒの憂鬱』を語っているのが職場で浮いてるキモいオタクだけのようだという話になると、自らそこに関わっていく動機がそもそもなくなる。良質な作品話題性のあるコンテンツではないのだ。この場合、そこに介在する酷評――例えば『ゲド戦記』は超絶につまらない、など――さえも、そのコンテンツが話題の俎上にある価値を示す。

 課題は、これらの話題性を伴うコンテンツが、質的評価を伴わなかったが故に、長く語り継がれる作品として世間に定着しなくなることにある。

2008-12-08

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081201/1228057276

> まあ外国人犯罪率?と国籍法改正には何の関係もないんですけどね。

としながら、記事の殆どを犯罪率に関する転載で埋める趣旨が分からない。自ら関係ないことばかりを掲載していることになる。記事のタイトル犯罪は増えないんだということを言いたげだし。元記事のスタンス曖昧なのでコメント欄で混乱を招いたのだろう。

(訂正あり)国籍法を改正すると外国人犯罪が増える!? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081201/1228057276

2008-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20081201101100

tumblr 問題」って能動的に探せば出てくるんだろうけど、「NAVER 問題」みたいに向こうから情報が舞い込んでくるほどの規模じゃないんだと思ったから、そんな平和な感じ。

僕の環境では間逆だった。

tumblr問題は腐るほど聞いてきたけど(主にReblogと無断転載について、そして解決もしてないと思う)、NAVERは今検索して初めて知った。

たんぶるるぁ(つば飛ばす勢いで)って(読|呼)んでるあれ

tumblr ってサービス存在自体は知ってて、自分も一応登録はしといてたけど、実際に活き活きした tumblr を初めて目にしたのは、つい数日前のこと。それはそれはぴっちぴちで。鱗もぽろっぽろで。目から。

経緯。

少し前に作って公開していた作品が、一週間ほど前によそさまのブログで紹介されて、そこがなんつーかこうはてなとか tumblr とか twitter とかその辺の界隈の方によく読まれるブログだったらしくて、人生初たんぶられ。たんぶられ記念にあちこち巡ってみて、tumblr ってそういう Web 上の画像をさくっとクリップできるシステムがウリだったんだねってことにじわじわ気付いて、興奮して、今ここ増田

それまでは、はてなフォトライフが盛大に落ちた時に使うためのもの、流れない画像アップローダ的なものってイメージくらいしか持ってなかった。巷ではよそさまの画像 etc.クリップするのが(も)スタンダードな使い方なんだって知って、ちょっと賢くなった。なったよ!ドコサヘキサエンさんもびっくり。

あちこちつらつら見て回って色々驚きの連続だったけど、特に驚いたのが reblog 機能。「75 reblogs」って書かれたリンクがあって、飛んでみたら、ずらっとリストが出てきた。「だれだれさん reblogged this from 別のだれだれさん」っていうのがずらずら書かれてるリスト。なるほどあれか、何かこう NAVER とかそこいら辺のブログにありそうな、いわゆるらくらく転載機能なんだな!って解釈した。

驚いたのはシステム自体じゃなくて、これが何の疑念もなくふつーに使われてること。何で NAVER って名前がぽっと出てきたかっちゅーと、数年前、「NAVER 問題」みたいな形で情報に疎い自分のところにも耳に入ってきたから。NAVER そのものは、実際使ったり使われたりしたことないから実のとこよく知らない。でもインパクトはあった。

数年越しに、自分の知らないところでうまいこと問題が解決したか(クリエイティブコモンズが広まったとか)、もしくは小中学生の頃にそういうらくらく転載機能付きブログに慣れ親しんだ人が大きくなって、ちょっとオトナな感じの tumblr に移行したのかなあとか、そんな世の中とかよそさまとかの渡り歩きに思いを馳せた。

tumblr 問題」って能動的に探せば出てくるんだろうけど、「NAVER 問題」みたいに向こうから情報が舞い込んでくるほどの規模じゃないんだと思ったから、そんな平和な感じ。

自分話。

自分の場合、(パブリックなとこに置いてるものなら、あと製作者を偽らないなら)たんぶられる分には全く問題ないし、今回のたんぶられでも大してやな感じは覚えなかった。ただ、この機能を自分でも使うかってーと、ちょっとなずむ。なんかおっかねーやん。下手に使ったら怒られそうやん。怒られるならまだしも祭のターゲットなんかにされたら胃に悪いやん。おてもやん。

こういうリスクが目に見えてでかいツールを上手に使いこなしてる(と思しき)人を見るとすごいなあと思う。でも自分はその域に行けるほど器用じゃない。

せっかく知った機能だけど、やっぱ自分が post するにあたっての tumblr の位置付けは、「はてなフォトライフが盛大に落ちた時に使うためのもの」から変わらないなあと思った。

実は当初書きたかったことはそっち方面じゃないんだけどノリで書き切っちゃったので閑話休題

メイン

作品を作った当初は自サイトはてダにのみ載っけてて、初めはそういうはてな周りの人が来るかなあと淡い予想をしてたんだけど、載っけた数日後に、FC2 ブログを使っているとある方に気に入ってもらえたおかげで、その界隈の人がたくさんいらっしゃるようになった。

せっかくなので FC2 ブログの共有プラグインにも登録した。主にブログ日記として細々と使っている人にちょっとした話題を提供できてたみたい。個人の利用に留まるだけで伝播はあまりしなかった。

それから数ヶ月して、どなたかにブログの記事本文で紹介されたら、巡り巡ってはてな周りの人が来るようになった。周回遅れで淡い予想的中。ちょっとほくほくした。

サブ

今までの文脈から推測可能かもしれないけど、たんぶられたのは美麗な絵とか写真とかじゃなかったりする。一応画像はあるけど、こう、絵として見たら大味も大味で。そんな場違い自分画像が、よそさまの美麗画像がずらっと並ぶ tumblr に混じって妙に浮いてたのが、何だか恥ずかしくもありおもしろくもありおもしろおかしくもあり、総合的に体温がちょっと上がるような気持ちになった。暖房代節約できてラッキー

北島

2008-11-29

OVA延期についてビ・ハイアから返信がやっと来たので一部転載します

OVA延期についてビ・ハイアから返信がやっと来たので一部転載します

> ご質問にありました、製作の再開時期につきましては、現在未定と

> なっております。

>

> OVA製作につきましては、ファンの皆様の期待に応えられる

> だけのクオリティを維持することが難しくなる状況が発生したため、

> やむを得ず中断という形で発表させていただいておりますが、今後

> の製作再開の可能性が消えたわけではなく、再開を目指して尽力中

> です。

だそうです。クオリティ維持が原因?といまいち良くわからないけど、

南町奉行所の担当Pが辞めたらしい事と関係あるのかな?と

思いました。

2008-11-25

この程度の悪質サイトなんてネット上に山ほどある。注意喚起を促すためだけにあの高圧的な文章が書かれてるのだとしたら何かイっちゃってると思うという話

☆女の徒然草☆というサイトが騒いでる、「はじめまして★」さんが、詐欺行為を働いてるというはなし。

その「はじめまして★」さんのサイトをみてきた(ttp://blogs.yahoo.co.jp/dofootred6)

どこらへんが見るとやばいのかな?と思いきや、

花より男子より井上真央の子役時代お宝動画』とかから『井上真央の子役時代お宝動画はこちら』をクリックして、こちら(ttp://gal.s92.coreserver.jp/tube/index.avi)に行き、再生ボタンを押下し、二度の警告に『はい』を押すと、料金請求にくる…というだけのものだった。

えっと、これに注意を促すためだけに、あんなに転載させて、活動監視したりしてるんだ…

バカじゃないの?と。

ごめん、誹謗・中傷扱いになっちゃうかもしれないけど、マジでそう思った。

もし、この件が落ち着いて、そしたら、あちこちに転載された記事をどう収拾つけるつもりなんだろ。

このまま放置されてて、すでに沈静化した後も、さらに転載先からさらなる転載を繰り返して…

もう、こうなったらスパムと何ら変わらないよな(まぁ、そういう意味ではYAHOOブログ転載OKてリテラシーも何も考えてない酷い機能なんだが)

沈静化した後に、今回の「はじめまして☆」という人と無関係な同一の名前の人が活動はじめたら、その人は何もしてなくても叩かれる可能性もあるってことだよなぁ。転載させることって凄く怖いと思うよ。

そもそも、この人、よくわかんないんだよね。

ttp://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20280323.html

せっかく、構想3日、製作1日ではなく、GIF保存や、画像の分数比による拡大縮小などのプログラム作りまで行った上で複数のソフトを駆使して製作した画像なのです。

画像を拡大縮小するソフトをわざわざ3日かけて作る意味がわからない。もし本当だとしたら、余程ダメプログラマだし。

ttp://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/19837698.html

もし、お使いになりたい方がいらっしゃいましたら、この記事を転載の上、右クリックアドレスを調べてから、

[[img(http://URL)]] 構文

で必要な場所に表示してくださいね。

…これだってさ、直リンクの説明じゃん?(まぁ、帯域も太いご時世だし、YAHOOの同一サーバ内の参照だし、て思うけど、このやり方で憶えちゃったら他サーバであろうと好きに直リンクしちゃうよねぇ?と。初心者への説明としては宜しくないと思うけどな)

つか、いろいろ間違ってしまうこともあるだろうけど、あんなに高圧的な文章を書かれたら反感買うの必至だろうに。

昔からネットやってるっていうけど、自分が正しくて、相手を受け入れない姿勢(リンクの不許可や、気に入ったコメントのみを受け入れる姿勢とか)は、どうかと思うよ?そりゃ、叩かれるのもムリない。

あぁ、ひょっとして、よっしみ??☆って人は、釣りでやってるん?w

2008-11-24

国籍法改正問題と憲法典の欠陥、そして憲法学の貧困【転載自由】

第三章 国民の権利及び義務

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

  • 形式化すると、10条と14条は、次のような関係に立つ。

すべてのXについて、XはPされない(14条)。

Xたる要件はQである(10条)。

  • ここで14条は、X=Pの場合に「違憲」、X≠Pの場合に「合憲」という値を取る関数だと理解できる。そして10条は、Xの定義域を定めるものである。とすれば、Qをどのように定めるかについて、14条の規制が働かないのは自明のことである。14条は、10条(によって委任された国籍法)で定められた日本国民について、差別されないことを定めているのであって、日本国民の範囲をどのように定めるかは14条の関知するところではないのである。
  • およそ論理的であろうとする限り、以上の結論は不可避と思われる。しかしここで法律ギルドは軽々と論理を超越するのである。

憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所判例とするところである<略>

憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍得喪に関する要件を規定している<略>このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が,合理的理由のない差別的取扱いとなるときは,憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。

国籍法違憲判決全文】

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kokusekihouiekennzennbunn.htm

  • 最高裁判決が10条は全文引用しつつも14条の文言は全く引用していないことに注目されたい。恣意的な解釈をしていることが露見するのを恐れる姑息な心理が、表層か深層かは知らないが、判決文の起草者に働いたのだろう。
  • 判決の背景にあるのは、憲法上の権利享有主体に関する「性質説」と呼ばれるドグマである。このドグマによれば、法文に「国民は」と明記されている場合であっても、「事案の性質に応じて」憲法の権利規定は自在に拡張適用される。その結果、外国人にも参政権が認められ得るとか、国籍法の規定の定め方が平等原則違反であるとかいった、倒錯した結論が導かれるのである。
  • 国籍法を巡る議論や、いわゆる「外国人人権」を巡る議論の混乱の背景には、すべてこの「性質説」というドグマがある。
  • このようなドグマは法解釈としては極めて不自然なものである。憲法第三章は明確に「『国民の』権利及び義務」と定めている。しかも、このような解釈を前提とするなら、「日本国民」という範疇自体が無意味化する。権利享有主体としての機能を奪われた「日本国民概念に如何なる意味があろうか?
  • 性質説がドグマの名にふさわしいのは、それが超制定法的観点から主張されているためである。憲法典の規定を虚心に眺める限り、このような結論はおそよ導けない。
  • 性質説の解釈論としての不自然さは、自衛隊合憲論の不自然さに匹敵する。いずれも、憲法典の欠陥を糊塗するための法律ギルド屁理屈である。
  • 嘘も100遍唱えれば真実となり、屁理屈も50年唱えれば「自明の理」に昇華する。いまや法律ギルドの構成員は自らのドグマ恣意性を意識することすらない。

憲法第10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とありますが,そのことは,この「法律」が憲法第14条に反する差別的なものであってもよいということを意味していません。法律を作る国会議員が,そのような憲法論の基礎の部分を理解されていないようでは困ってしまいます。

【むしろ,自民党が心配】

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/11/post-8c0c.html

  • 他方、「国民」を名宛人とした権利規定は「国民」にしか適用されないという、憲法典の文言に即した当然の解釈は、「文言説」というレッテルを張られ、排斥されている。
  • 「性質説」ドグマの「論拠」として持ち出されるのは、「自然権思想」とか「人権の前国家性」といった、一種の「信仰」である。
  • これらの信仰の当否をここで論じようとは思わない。信仰は証明も反証もできないからである。
  • しかし、わずかでも論理性への感覚を持っている人であるならば、「国籍の取得」を要求することの根拠として「人権の前国家性」を持ち出すことの倒錯には気づかずにいられないはずである。
  • 私は、性質説を破棄して文言説を採用せよと主張しているのではない。文言説には文言説の問題がある。
  • 権利規定の定義域を無限定国籍法委任している現行憲法典の下で文言説を採用すれば、国籍法の規定次第で如何様にでも憲法上の権利の適用範囲を限定できてしまう。これはこれで由々しき問題である。
  • つまり、憲法典には欠陥があるのだ。本来、国民と統治機構との権利関係を定める憲法において、誰が国民かは下位規範白紙委任してよい問題ではない。憲法典自身が規定しなければならない問題である。細部については法律に委ねるとしても、国籍の基本的要件は憲法典に明記されていなければならないのである。
  • これは当たり前すぎるくらい当たり前のことだ。
  • 現行憲法典は、かくも根本的な部分で穴だらけなのだ。
  • 法律ギルドの構成員は決して憲法典の欠陥を認めようとはしないだろう。聖典無謬性こそ自らの権威の源泉だからだ。あらゆる屁理屈を総動員して護教に努めようとするはずである。
  • しかし、私たち国民は騙されてはならない。誤った憲法を正すことは主権者の当然の権利であり、義務でさえある。私たちは、理解ある選良達とともに、欠陥憲法の改正にこそ努めるべきである。

2008-11-19

捜査記録

埼玉殺人事件発生。県警は怨恨の線で捜査

同日午後、東京にて殺傷事件発生。共に被害者が元厚生事務次官であることから連続事件の疑い。警察庁警視庁埼玉県警、公安等を呼びつけ異例の会議連続事件を念頭に置き第三の事件を防げとの指示。

翌々日午前、鎌倉にて殺人事件発生。被害者は元厚生事務次官。同一犯かと思われたが東京での事件と目撃証言が食い違う。中肉で160cmくらいの30代という東京に対し、痩せ形で180cmくらいの20代という鎌倉。疑いつつもそれぞれの目撃証言を基に捜索。

翌日午後。東京にて殺人事件発生。ただし被害者自民党議員。目撃証言は乏しいものの、小柄な20代と、いずれの事件とも異なっていた。議員が殺害されたことにより対策が更に厳重に。警察官の重点的な見回り、重要人物には直接の警護がつくこととなった。捜査本部の方針も転換。同一犯の連続事件から組織的なテロと断定。公安から情報が提供される。

三日後。東京にて傷害事件発生。被害者企業社長。目撃証言によると犯人は大柄な30代。未だ疑わしい組織は見つからず。各企業社長宅の民間警備が厳重になる。

翌々日。第三の事件の犯人逮捕鎌倉での元厚生事務次官殺人事件。組織情報を期待するも空振り。更に第三の事件以外は知らないとのこと。組織の手助けなしでいかに住所等の情報を手に入れたのか問い質すとインターネット売国奴リストと呼ばれるものがあるとの供述捜査員が調べてみると、高官、政治家企業社長等の現職、OBそれぞれの住所がリストになって至る所に拡散していた。更に調べてみるとリストが出回り始めたのは約10日前。第一第二の事件の少し前からだった。第三の事件の犯人は、糞ったれな社会に苛ついていた所に、第一第二の事件が起こり、共感、賛同、感動していたところに売国奴リストを見かけ、近所に元事務次官が住んでいたから殺したと供述

翌日午前。横浜にて殺人事件発生。被害者は元政治家。目撃証言によると犯人は小柄な10代とのこと。第三の事件犯人の証言、午前に起きたばかりの第六の事件を踏まえての、再々度の方針転換。単独犯の連続事件でも組織によるテロでもなく、全く関係のない個人による、リストを媒介とした、散発的な連続殺人事件と断定。対策はリストに載っている人間の重点的な警備との案も出たが、毎日、毎時間のようにリスト更新、拡散され続けていた。プロバイダに問い合わて確認してみたところ、リスト更新、拡散しているのは特定の個人ではなく、数多くの全国の人間。面白半分に転載してる人間が多く、いつリストが書き足されたのかも特定はできないことから、リストの方の根を断つことは事実上不可能。更新され続けていく人物を全て警護することも実質不可能。対策は決まらぬまま夜は更けていった。

翌日、東京にて殺人事件が発生。捜査員が最初に確認したリストには載っていなかったが、最新版のリストには載っている人物だった。

2008-11-18

国籍法改正案

??緊急拡散『国籍法緊急集会 (水間政憲)

2008-11-18 18:47:01

??→元武蔵野市長土屋正忠衆院議員は「ここまで来たら、実力行使してでも止めれないのか」。そこに、予定が入っていて出席できないと、なっていた同会幹事西田昌司参院議員京都から駆けつけてきた。続けて、新潟から同幹事稲葉大和衆院議員会議室に飛び込んできた。稲葉「息子からネット情報を教えられ、確かめてとんでもないことになっていた。こんな改正案を通したら絶対だめだ」西田衆院を通されたら参院で修正協議などできる訳がない」木挽司衆院議員「問題がありすぎる、こんな手続きがおかしい法案を通したら国会議員として恥ずかしい、馬渡議員と明日の本会議採決は退出しようと話し合った」と述べていた。開会の挨拶で「永田町国会議員がほとんど居ない時に、国の根幹に関わる重要法案を通すなど、とんでもないことだ」と、激怒していた平沼赳夫衆院議員が「ちゃんと手続き通っているのか」に対して、赤池衆院議員は「自民党法務部会を通ったのが10月17日です」平沼「政調、総務会も通っているのか」赤池「通ってます」平沼法務委員会の理事は誰がやっているんだ」赤池「筆頭理事は塩崎恭久議員、副理事は棚橋泰文議員…」などと説明すると、「それで終わってるじゃないか」??→へ続く。ネットだけ転載フリー

国籍法改正案

緊急拡散『国籍法緊急集会 (水間政憲)

2008-11-18 16:08:58

18日14時30分前後情報。【本会議採決を前に、大島理森国対委員長に申し入れに行った有志議員に対して、大島委員長は「改正案の手続きはすべて済んでいる。それ以上でも以下でもない」と無視すると、西川京子衆院議員が『北朝鮮みたいですね』と反発していたとのことです。国籍法改正案の本会議採決をボイコットした現在確認の衆院議員一覧。西川京子戸井田とおる馬渡龍治古川禎久牧原ひでき飯島夕雁、松本洋平、平将明林潤、木挽司、以上の議員日本国会議員です。】??→「出席するか迷ったのですが、私はDNA鑑定には慎重ですので…」と、しゃべりながら着席した。会場は議論百出で、中川昭一財務大臣の叔父である中川義雄参院議員は「来てるメールを読んでいると、みんな真面目に国籍法のことを心配しているのがよくわかる、みんな自民党を支持してくれている人達だ、この声を無視したら自民党は大変なことになってしまう。なんとか衆院で止められないのか」と、ネット上のうねりを的確に把握していた。稲田朋美議員は「この会と意見が違うが、民法との整合性からDNA鑑定は慎重であるべき…」との姿勢を示した。??→??へ続く。ネットだけ転載フリー

2008-11-14

閉会するな!この席を借りたい!

id:WiiAreTheWorldの方と、この増田を見ている連邦国々民の方には、突然のIDコールを許して頂きたい。私はエゥーゴのクワト(ry

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20081114%23p1のブ米欄より

>某総合病院医療費削減の結果殆ど使われていない(使えない、人手的に考えて)病棟があって、そこには以前使われていたベッドとか設備がそのまま大量に放置されているんだがこれは空床に数えるべき?

答:空床に数えるべきではない

とこれを書くためだけに増田に来たのではない。こういう「空いてるけど使えないベッド」に関する喜劇をみなさんに知ってほしいのである。

以下転載http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080516のお米欄より)

2008/05/16 13:19

以前勤務していた病院の出来事です。(実態は微妙にぼかしています)。

看護師不足のあおりを受け、勤務シフトが維持出来なくなり三階西病棟を一時閉鎖しました。

ある晩高速道路で玉突き事故があり、救急センターへ10人ばかり搬送されました。たちまちセンターのベッドが一杯で、それでも比較的軽症者は一般病棟へとなりました。センター以外の医師も急遽駆り出されました。

他の病院から急遽引き受けてもらえないので 院長が陣頭指揮をとり閉鎖してあった三階西病棟にベッドは手つかずで残っていたのでそこへ入ってもらいました。

市長も大喜び、院長もちょっぴり嬉しそう。

ところがところが 月末の保険審査でがっぽり査定をくらいました。

理由は「入院患者数に必要な看護師の規定数がたりないので」

なまじ善意で引き受けて入院患者の定数を超えてしまったのです。

この国はアホです。

なしくずし的に残り9台のクベースが使われないことを切に祈ります。

うっかり残りのクベースを使っちまって看護師の数が充足できずに、センター加算が取り消されたらえらいことです。

NOCUの看護師の配置人数が充足する日まで クベースを不燃ゴミで捨てることをお勧めします。

2008-10-25

例のチェーンテキストの人ですが。

なんとなく疲れが取れない。。。 - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ

ダッカ事件てwwwちょwww俺の生まれる前www

この人何歳www

超法規的措置とかいってますが、転載依頼のこと?

ちょっとは反省しているようです。

つーか、ネットごときでそんなに消耗するなよと。

2008-10-19

かくあるべきリア充とはなんだ

僕はリア充が嫌いです。それも半端無く嫌いです。

言葉定義、「ネットではなく現実の生活が充実している人」の定義はともかく、にわかニコ厨スイーツ(笑)的な意味も含め、頭が止まってる人が嫌いなんです。で、俗にリア充と呼ばれている人達はその比率がいやに高い。

僕はネットリア充disりまくってて、オフやら行ってもそんな調子で。「お前リア充になんかなりたくないんだろ」といろんな人に言われました。そう、だいたいその通りです。いくら見た目リア充っぽいと言われても、僕の精神性は一般から逸脱したリア貧そのものです。悲しい事にね。

彼らの脳味噌のスキマっぷりは筆舌に尽くしがたく、mixi日記なんか読むと、吐き気がして死にそうになるんですね。ニュース関連日記はもっと酷い。その程度の表現力で何を言ってるんだ?と。それ面白そうに見えるように書いてるんだろうけど、全然面白くないよ、と。ケータイ小説から釣り成分を抜いたような、質が悪いエントリにくだらないコメントをつける烏合の衆キーワードに反応して脊髄反射的に媚びを押し付けあうノータリンのバカども。

そういう人達に合わせないといけないのかな、と思った時期もあるけど、そうじゃない。言いたい事も言えないのなら、何も言わない方がマシです。僕は最近mixi日記を書かなくなりました。

レベルが低い空間でお互いの無知を許容するようなコミュニケーションを続けて、一体何の益になるやら。それを心地よく感じる事がリア充たる条件なら、僕はリア充じゃなくてもいい。

リア充、じゃないですね。今の時代はそれが「普通の人」であって、僕みたいな精神を病んだような日記書くアホは異端なんですよね。それに批判するぐらい僕が面白い文章を書いてるわけでもなし。あーばからしい。何を言ってるんだ僕は。

最初の2、3年前は、期待してたんですよ。mixiに。

みんなが自己表現できる空間として、リテラシーの底上げになって、僕みたいな小学生から公開日記ブログ書いてた人が許容される世の中にならないかなって。

ある意味ではその世界は実現されました。

ただし、著しい劣化を伴って。

「何かを考えている」ということをアピールした日記は、mixi的にはコメントがつかない。基本的に興味を持たれない。最近は自分の無知を曝け出すのが流行らしいけど、そんな流行にのるのは頂けない。「わからない」で思考停止する人を僕は見下しているし、存在する価値がないとさえ思う。死ねばいいのに

2chや他のメディアの方がね、遥かに洗練された文字コミュニケーションを持っているんです。だから僕は2chギークの文化が好きだし、彼らに敬意を払っている。Twitterではなんとなく居場所を見つけた感もある。

殺人予告犯罪の温床として批判するお偉い方もいるけど、2ちゃんねらーはそんな人より遥かに優れたリテラシーを持ってます。こなした場数が違うんです。荒らしにどう対処するかのノウハウ豊富だし、ある程度の自浄作用もある。

僕は毎日2〜3時間ニュースを漁るので、ある程度は情報強者である自覚があるし、ちゃんとそれなりに考えてる方だと思っている。それについて誰かと会話したいと思っている。ただ身近にそんな人は少ない。いないわけじゃないけど、悲惨な状況です。

僕は都内の大学一年です。大学に来たのは尊敬する人を見つけたかったからで、今の大学ならそれが見つかるんじゃないかと漠然と思ってました。ただ探さないと結局見つからないんです結局は。そして、僕が彼らに取って価値がある、対話するに値する人間かというと微妙なところで。だからそ勉強しないといけないと思ってるし向上心もある。いまのところは向上心を買ってもらうしかないですね。卑怯だけど。

僕にできない事をやれるという意味リア充尊敬する部分は若干あるにしても、それ以外は心の底で見下している。本当につまらない人種だと思っている。

あぁ、僕の性格が悪いのは承知の上です。「おまえら烏合の衆と一緒にするんじゃねぇ」と思ってるし、「普通の人」達を「烏合の衆」だと思ってるわけですからね。もっと面白い日記かけよお前ら、といっても無駄で。一石一鳥で身に付くもんじゃないし、生き方そのものが言葉に出るし、こんな言葉がずらずら出てくる僕はきっとまともな人間じゃないし。全然この日記面白くないし。

何も考えない方がきっと幸せになれるけど、そんな生き方は受け入れられない。受け入れたくない。

それで、必死で考えたつもりになってる僕より、「烏合の衆」だと思ってる人達の方が相対的に幸せだというその現状をどうしようもなく歯がゆく感じるから、こんなどうしようもない日記を書いて、今日も僕はTwitterに逃げます。

mixi用に書いた少し改変して文章を転載しました

2008-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20081006222412

ZIP形式やRAR形式のファイルの中にはコメントを埋め込む事が出来るんだけど、その中に「放流者」の自己主張が入ってる事があったりする。

最近の物からそのうちのいくつか引っ張ってみる。おそらく全てスキャンした人間が埋め込んだもののはず。

ADFって楽だねぇ

1冊役10分位で取り込める。

フラベで取り込むのが嫌になりそう

まぁ自分の好きなやつはフラベで取り込むだろうけど

横スジが入ってしまった、ADFといえどマンドクセなのでそのままにした。

古い成年コミックもこれで一段落かなぁ

最近成年コミックは買ってないからなぁ

帯びなくした

まぁどうでもいいけどねぇ

これも横線入ったねぇまぁ直さないけどね

月末雑誌(あ、うん。 ペンクラ 天使 ビタマン○)を終えてからかなー

サンクリまでには積んである同人誌終えたいなー

i40(片面)→fi-6130→i1120→i40(新品)

やれやれだぜ

この所為でここ2週間まともにスキャン出来なかった(財布も空っぽになった)

主観です

fi-6130

良:裏写りが少ない(無い訳じゃない)、スキャンスピードが早い(3機種の中でダントツ

悪:原稿サイズ調整に自動が無い為トリミングが必須(作業工程が増える)、結構傾く

裏当て白

i1120

良:無し

悪:裏写りが酷い(i40よりも)、スキャンスピードが遅い(S510より若干早いかな?)、酷く傾く

原稿サイズに自動あり(が、傾く)←微調整で何とかまともに(でもやっぱ数枚傾いてた)

裏当て白

主観です」

という事でi40に戻しました

価格帯が違うからi1120とは比べられないか(古いけど)

雑誌用、単行本カラー用、単行本レスケ用と3つマクロ用意したんで

前と違って(前はマクロ1つのみ)「白っ!」ってのは少しは減ったかな?と思うけどどうでしょ

同人誌用は・・・単行本用で代用かな、たぶん

完了後追記

やっぱ白かった

これはぶっ壊れのi40です

i40の片面スキャンになったメリットデメリット

メリット

1) フィードアセンブリ?っつーi40の蓋?上部に付いてる給紙補助装置がある程度磨耗しないと

偶数ページの上部が切れるor未スキャン領域として残る現象(分かり難いかな)が一切出ない。(使ってないんだから当たり前か)

2) 1に連動して、トリミングの手間が無くなる。

3) 偶数ページは稀に歪みが発生していたが、奇数ページは一切無かったので

スキャンの手間が無くなる。

デメリット

1) 手差しスキャンがめんどくさい。

2) 肩が凝る

デメリット部分ですが

ファイルネームを1>3>5>7・・・2>4>6>8・・・って付けられれば手差しで表スキャンスキャンってやんなくて済むんだけど

良いファイルネーム変更アプリって無いですかね?

(最初に奇数ページを全スキャンそんでリネーム、次に偶数ページを全スキャンそんでリネームって事です)

今使ってるのはリネーム君です

SFモスレーでしたが

スッテンアタックやってみたらCFチックでこっちも面白かったっす

OPERATION7も今日Oβ始まるみたいなんで楽しみ

北森でAGPだけど

スレ同人誌も云たら言ってた人

S氏の雑誌が遅いんでそれ終わらせてからかな?

あー、そうそう

PD輸入から遅ればせながら、炉きたっぽいっすよ?あと無印

炊くペースが落ちてるねん

無印H炉0EXの4誌ですか・・・

2日分の作業量だなぁ

しかもこの時期に

殆どの人がコメント見てないってのがわかったので

安心して(?)馬鹿な事が書けそうです

例のblogは面白いですね

今回からタイムスタンプいじくってみますがどうでしょうか?

今更な感が否めませんが

blog中の人夏休み以降も続けるのかな?頑張って下さい

生温かく見守られたいと思います


このコメ転載する時としない時とがあるけど

何か条件ってあるのかな?

これらに共通して言えるのは、「作業がラクかどうか」「自分が何をばらまくか」という事とつたない自己主張ばかりで、「誰に迷惑をかけているか」「誰にどんなリスクがある」という所まで思慮が及んでいないという事だな。まあ、それほどに精神が幼稚だからこそ可能な所業なんだろうけど。

相手に迷惑をかけている事に無自覚で一切の配慮もしないような人達だから、そろそろ一定の歯止めがかかってもいい頃合いなんじゃないかな。スキャンしている人の多くが平日の午前中や早朝、深夜に作業しているらしいから、まともな社会生活を送れている人種でも無いだろうしね。

2008-10-07

はてな民・雑感

人力民:はてなを本気で心配する古参多数、悪く言えば懐古主義

ダイアリー民:最大派閥、所謂るつぼ的

ブクマ民:ダイアリー民を光とするならば影。じぇいこん社長となおやCTO関係に近い

キーワード民:ダイアリー民の分家

ハイク民:新興勢力。熱しやすく冷めやすいのは新興たるゆえんか

増田民:各派閥の真ん中にある雑談場。真ん中ではあるがはてなの中心ではない

はてワ民・セリフ民:つはものどもがゆめのあと

転載

http://h.hatena.ne.jp/daichan330/9245605086898264588

2008-09-30

成田の話

http://d.hatena.ne.jp/Tez/20080928/p1

事前交渉どころか説明すら存在せず、補償内容まで未定の状態で計画が発表されたとしても、それに反対するのは「公共の精神」に欠ける振る舞いだと信じているなら、中山大臣の「公共」という言葉は、おそらく現代日本のいかなる辞書にもその典拠を求めることができない概念である。

ここにはまったく同意なんだけど、最初こじれるのはともかく、説明や補償の問題なら、そんなにいつまでもこじれてる必要はないでしょ。苦労して開墾した土地なら愛着もあるだろうけど、その分ちょっと色つけた補償で本来はケリがつく話じゃないんですかね。

ちょっと探して見つけた徳保さんのコメント(転載しちゃいますが、ほとんど徳保さんのコメントなので構わないでしょ)。

http://bewaad.sakura.ne.jp/20060712.html

徳保隆夫 (2006-07-12 13:31)

現在成田に本籍地を置いている者としては、kumakuma1967 さんの発言には異論あり。常に市議会は圧倒的多数が空港建設推進派だったのです。つまり地元の強い要望があって建設された空港だった。70年安保に敗れた左翼過激派成田を最終決戦の場に選んだ不幸はありましたが、土地の強制収用に国民の大多数が NO といったことが全てでした。本来なら、4000mと3000mの滑走路2本(+横風用1本)を擁する空港を安定した地盤の上に安価に作れたはずなのですが。東京-成田間は本来、新幹線を通すはずだったのですし。計画段階では、そう悪い空港じゃなかったと思う。

◆ kumakuma1967 (2006-07-12 15:44)

富里霞ヶ浦で用地取得が困難になる前は候補地ですらなかったのでは?>成田

徳保隆夫 (2006-07-12 17:51)

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa40/ind110303/004.html

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa41/ind110302/002.html

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa42/ind110401/003.html

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa43/ind110401/003.html

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa44/ind100401/003.html

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa45/ind100301/003.html

成田富里は隣接しており、地形的にも連続しています(北総台地)。富里村付近が最もよい、という答申に沿って現実的に検討を重ねた結果と私は認識しています。運輸白書記述もぜひ参照してください。大半の住人が空港建設に協力し、またそうなることが期待される地域として成田が選ばれた事実が理解されると思います。

◆ kumakuma1967 (2006-07-12 19:17)

この場合何が現実的に不可能だったかというと用地買収と地元自治体の同意ですよね。土木的検討まで済んだ後で「候補地でなかった」成田に決定したのは、千葉県が「県有地と国有地がほとんどになるような場所」として推薦したからです。

 また、三里塚が近代的開墾地で、経営面積が大きく地権者数が少ない事も重視されていたかもしれません。

 個人的には地権者がごくごく少数派である地元自治体が、地権者を無視して諸手を上げて賛成した事こそが、地権者の孤立感を深め、左翼過激派の介入を招き、開業までの金利負担をふくらませ、「内務省がまだあったらもっとうまくやっただろうに」なんていわれちゃった一因のような気がしますよ。

 もちろん、私がその時意思決定可能な立場にあったら「より不幸でない選択」ができたなんて思うほど自信過剰ではありません。参考にすべきところはあるということです。

徳保隆夫 (2006-07-12 19:59)

成田の地権者の大半は空港建設に協力的な集まりを結成して、早期に交渉妥結しています。孤立感を深めた一部地権者が過激派の介入を招いたとのことですが、過激派が最初は甘言を弄して入り込み、間もなく「裏切りは許さない」と脅迫して運動を乗っ取ったというのが実情に近い。反対闘争のトップに祭り上げられた人々は本気で過激派共感してたそうだけど、多くの反対農家は、まさかこんな闘争になるとは思っていなかった。絶対反対は不要、条件闘争で十分だったのです。

行政に失敗はあったけれど、何より一番悪いのは過激派だと思う。そして脅迫下の反対農家が「空港建設絶対反対」というしかないことを伝えず、強制収用を非難したマスコミも許し難いです。強制収用は多くの反対農家過激派の支配から救う手段でもあったのに。内務省云々は、そうした事情を指していった言葉でしょう。

元一坪地主小川國彦前成田市長が、過激派から脅迫されながらも空港建設を推進していった、その過程から真実が読み取れるものと私は思っています。過激派が展開した成田闘争こそ(多くの)地権者を無視したものだったのだ、と。

http://deztec.jp/design/05/04/16_net.html

2008-09-17

続・リーマン・ブラザーズ内定取ってたんだけど…

消されるってネタなのかマジなのかわからん。

つーわけでこういうのは自分で確認するのが一番。転載してみるですよ↓

本日、人事の者は出社しておりません」

って言われただけなんだけどね。(せっかくブクマ集まったけど、ズコーヽ(´・ω・`)ノってなったと思う ゴメソ)

T大法学部増田ですってことを伝えて、折り返しの電話待ち。

休みも明けて、今日16日になったけど、まだ電話が来ないorz

うちのかあさん、4年前に腰を痛めて遠出をするのが億劫になってしまったし、大好きだった料理作りも気合いの入ったものがなくなってしまった。

だから就職して給料入ったら、まずはおいしいものでも食べさせてあげようって思ってたのに。

近くに、今は行けない高級レストランがあるから、そこで家族揃って食事でもしようかと。

とうさんに、「俺リーマン行けないかもしれない」って言ったら、

「俺サラリーマンリストラされたんだ。お前なんてまだ就職もしてないんだろ?これからまた就職先探せばいいじゃないか」

って言われた。

4年前、とうさんがあまり大きくはない会社リストラされたときはビックリしたなぁ。

リストラなんて、うちには関係のない話だと思ってたし。

少しして、母さんも腰を痛めたんだよなぁ。

私大目指してたのに、それが無理になって、でもT大に入れて、リーマン内定も取れて、さぁこれから親孝行できるぞって思ってた矢先にこれ。

とうさんも軽い鬱と戦いながら、それでもなんとか頑張って、今はまた前向きになれるように戻ってきた。

俺の内定が決まってから、かなり状態は良くなってきたように思う。

とうさんの口から「これからまた就職先探せばいいじゃないか」なんて言葉が聞けて、正直リストラされたとき以上にビックリした。

俺も頑張らなくちゃいけないね。

お金持ちになって、少しでも楽にさせたかったんだけどなぁ。

そのために、わざわざ外資選んだんだし。

とうさんの言うように、地道に秋採用就職先でも探すしかないのかもしれない。

採用についてちょっと調べてみたんだけど、

2008/08/05 読売新聞(秋季採用試験編集記者職、業務職))

2008/08/08 日経新聞(応募書類必着秋採用

2008/08/08 Sun microsystems会社説明会採用

2008/08/12 東芝webエントリー〆切秋採用

2008/08/14 時事通信(郵送必着秋採用

2008/08/17 東芝(事務系/第4回)

2008/08/19 三菱東京UFJ銀行webエントリー〆切秋採用

2008/08/20 三井住友銀行webエントリー〆切秋採用

2008/08/22 朝日新聞(秋採用

2008/08/23 NHK筆記試験採用

2008/08/25 松下電器産業エントリー〆切秋採用

国内大手はもうほとんど終わっちゃってた。

リーマン年収7000万を夢見てた俺が、年収700万の国内企業就職試験さえ受けられないとは・・・。

        ____   

       / \  /\ キリッ

.     / (ー)  (ー)\      

    /   ⌒(__人__)⌒ \<リーマン内定来年からは合コン三昧 就職偏差値78です

    |      |r┬-|    |   

     \     `ー'´   /

    ノ            \

  /´               ヽ              

 |    l              \

 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    

  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

          ____

        /_ノ  ヽ、_\

 ミ ミ ミ  o゜((●)) ((●))゜o      ミ ミ ミ

/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)

| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //  だっておwwwwww

| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/     

|     ノ     | |  |   \  /  )  /

ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ

 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン

 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン

  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

半年前は、リーマンがこんなことになるなんて読めなかったなあ。

サブプライムローン問題くらい跳ね返せる力はあると思ってたし。

GSの方も受けたんだけど、ハゲタカっぷりが好きになれない状態で面接に臨んだら、案の定落ちたんだよね。

サブプライムローンでも赤字を出さなかったGSは、その後になってやっぱりすごいと思った。

友達も言ってたよ。

「やっぱGSだよ、GSゴーストスイーパーじゃないよ!ゴールドマンセックス!」

もちろんそいつも落ちたけどw

六本木ヒルズ系はもう選ばないことにする。みんなも気を付けて。

758 2008/09/15(月) 16:57:55 ID :koZ2wM9J

六本木ヒルズのあのビルに入ると倒産するね

森の疫病神伝説

ライブドア

村上ファンド

グッドウィル

リーマン

921  2008/09/15(月) 17:39:35 ID :e/aLVPmT

この状況を今のホリエモンにどっかインタビューしねぇかな

「僕はいずれ破綻するのはわかってましたよ」とか、したり顔で言い放ちそうな気がするw

肝心のホリエモンは以外と冷静だったけどさ。

リーマン破綻メール取材受けるもボツになったので|六本木で働いていた元社長アメブロ

ブックマークの期待には応えられなかったけど、これが今の俺です。

まだ連絡待ちの状態だけど、これからどうしようかゆっくり考えてみます。

研究室の仲間や教授も、昼に顔出したら、妙に俺に気を遣ってくれたw

そんなことされると涙が出ちゃいそうになるから、普通に接してほしいんだけどね。

今日はもういいからってことで、先に帰らされたよ。

それと、ここに書いてある

http://www.nikki.ne.jp/?action=bbs&pid=200212161828432437&wid=200809042112248072&bbs_id=26&job_type=

Re: リーマン・ブラザーズ証券(インターンシップ)の日記. 9月15日23時33分 通りすがりさん. >クリスさん 09内定者はもぉー今年の5月あたりに手切れ金200万で内定取り消しになってますよー全員かどうかはわからないけど・・・

というのは嘘です。

手切れ金なんてもらってません。


さて、これからどうしよう。

ドーナツ屋にでも就職しようかな。

かあさんにうまいドーナツ食べさせてあげるのも、案外いいかもしれないw

2008-09-16

tumblrfotolife

tumblrと盗用 - www tools

はっきり言ってはてなハイクも似たようなもん。一部を見ると、だけど。

面白画像を集めたいでひとこと - はてなハイク

要はめんどくさいたんぶら。

自分のハードディスクから探してくるもんだから、出典はほぼ無し。

ていうか油断するとすぐ権利意識ゆるゆるになるねぇ。まあそんなのどうでもいいって感覚も分かるんだけど。

暴走しないように願いを込めて、これを期にまた転載問題が再燃してほしいなぁ。

2008-09-13

オレの人生ニコニコ動画に無断転載される件

CLANNADは人生だそうだ

ニコニコ動画にはCLANNADが無断転載されて話題になったそうだ

ならばオレの人生勝手ニコニコ動画に無断転載されるのだろうか…

オレがこれまでに歩んできた人生

オレがこれから歩むはずの人生

すべて顔も知らぬ誰かが勝手に奪っていくのか…

え?自分は関係ないって?

googleストーカーがすぐそこまできてますよ

ああ…次はyoutubeだ…

2008-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20080905042139

読んでもいない本を「読んだ」と詐称して、ネット上にある評論サイトからその本に関する書評を無断で転載し、それを「講義」と称して上から目線駄文を書き連ねる2ちゃんねるコテハンなら知っている。

彼は50代無職で生まれてこの方働いたことがないらしく、「サー」を称号ではなく名前だと思い込み、「サー・アーサー・コナン・ドイル」を得意げに「サー」と呼んでいた。

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