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はてなキーワード: プレッシャーとは

2010-01-26

非コミュ脱出大作戦


 大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。

 とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。

 群れるのが嫌いで、馴れ合い馬鹿にした。

 自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。

 作り出される自分アイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。

 ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分世界に取り込んでいたような気がする。

 ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。

 その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。

 そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。

 好んで読んだのはハードボイルド

 チャンドラーとか、ジャックヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。

 ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会渡り歩く勇気社会絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイ社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。

 それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。

 それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。

 だから、こう言いたい。

 完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。

 たしかにかなり重症非コミュだったとは思うけれど。

 その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。

 著名なSF小説ニューロマンサー」の続編「モナリザオーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。

 この感覚

 ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会スモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。

 あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景スパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。

 もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ

 あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分価値観以外のコミュニケーション仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。

 ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。

 しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。

 そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。

 これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。

 で、いきなりやってくるのは、研修

 法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。

 そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。

「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」

 これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。

 交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュ仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。

 それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。

「あれ、ショートピースなんて吸ってるの? きつくない?」

 ぼくは、どれだけハードボイルド世界ショートピースが標準か語りたかった。

「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」

「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」

 その人は笑う。

「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」

 ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。

 ミラーが砕けた瞬間で、ああ、ショートピース、わかるんだ。

 そういう感じ。

 その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。

 同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。

ラーメン屋をめぐるのが趣味なんだよ」

 そういって、現場から明るくたちさる。

 あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界ガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。

 底辺などというべからず。

 その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。

 機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。

 ちょっと言い過ぎた。

 ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。

 貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。

 本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。

「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」

 その履歴書は真っ白だろうか?

 数こと話すと人事の最高責任者は頷く。

 じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。

 配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。

山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」

「あー、そう言われたのは初めてで」

ブルースは好きなんだけどねえ…)

 そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。

2010-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20100125162149

「なんだ。ゆとりか。」

「なんだ。ロスジェネか。」

とかなんとか。

このアイデアで完全無欠のサイボーグ君が誕生したら両方不要に成る訳ね。

まぁ、先ずね。

デキない理由を学生に飛ばすのは社会人として情けないと思うよ。

自分椅子ですら確保するのに精一杯だろうというのに。

働いてもいない奴にそんなプレッシャーかけたら潰れるでしょうに。

2010-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20100123213616

ヘイトスピーチ垂れ流さなくても、非モテ非モテであるというだけで、

世間からのプレッシャー受けまくるぞ。

そう。むしろ世の中には非モテに対するヘイトスピーチであふれかえっている。

非モテから人権を剥奪せよというくらいの勢いだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100123194110

ヘイトスピーチ垂れ流さなくても、非モテ非モテであるというだけで、

世間からのプレッシャー受けまくるぞ。

こっちは「彼女できたの?よかったね、おめでとう」っつってんのに、

「よかったねじゃなくてお前はどうなんだ?何で彼女作らないんだ?何やってんの?

できないんじゃなくてお前が努力してないだけだろ?

好きな奴がいない?作ろうとしてないだけだろ?もっと出会いを求めろよ。

人として人を好きにならない奴ってどうかしてるよ。おかしいわお前」

みたいなこと言われまくるのは何故なんだよ!

受験生プレッシャーを和らげる記事。

人生で2度目の「隠された大学受験」のチャンス。

この記事で、

受験生プレッシャーが和らぐといいのだけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20100116180523

2010-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20100119204153

誰も強要してないだろ。

非モテじゃないけど、40過ぎて独身貴族している奴もいる。

非モテ勝手恋愛至上主義に取り込まれて、強迫観念に陥ってるだけ。

そりゃもちろん、社会的プレッシャーとかはあるけど、それは別に恋愛結婚に限った話ではない。

異端の常だ。

そして現代日本では、「結婚しない」「子供作らない」というのが異端で、そこが恋愛に関係しているというだけ。


非モテがやってるのは、異端自分可哀想アピールでしかないだろ。

ガンダム診断(新人プログラマ編) 下書き

新人プログラマにはいくつかの類型があるような気がする。

アムロ型(技術力:4/社交性:3/リーダーシップ:4/成長性:3/帰属意識:4)

入社時点で若干のプログラミング経験あり。オタクであり、仕事オタクでもあるので、仕事に対するモチベーションは基本的に高い。かつ対人関係を余り気にせず自分仕事に没頭するので、それほどストレスをため込まずに安定的に仕事をこなしていく。現場プログラムをこなすことに生き甲斐を感じるタイプで、管理者をあまり志向していない。後輩育成にはそこそこ熱心。反面技術面でのプライドが極めて高く、誤りを指摘されると極端に落ち込む。意外なことに会社に対する帰属意識比較的高い(かつ、自分から一度できあがった環境を出ることが苦手)ので、会社に居着いてくれる可能性は高い。

カミーユ型(技術力:3/社交性:3/リーダーシップ:2/成長性:2/帰属意識:2)

入社時点で若干のプログラミング経験あり。仕事熱心で生真面目、周囲に対して繊細な心遣いができるタイプなので女性陣にもてる。反面、組織理不尽を見逃せず、先輩には煙たがれる。気持ちが言動にストレートに出るタイプなので、本人の気分が不安定な時には周囲も巻き込むことになる。長期的な視野よりも、目の前の仕事をこなしていくことに懸命になってしまう性格で、なんでもかんでも一人で抱え込む傾向が強く、こまめにケアしてあげないと、ある日突然メンタルヘルスが不調になって出社しなくなったりするので、注意が必要である。

ジュドー型(技術力:1/社交性:4/リーダーシップ:3/成長性:4/帰属意識:1)

入社時点では完全な素人文系大学出身のお調子者である。明朗で元気だが、基本的にうっかりしており、細かなミスを連発する。人の話も基本的に聞かない。それでいて、天性の勘で仕事をこなしていくが、理屈ではないので、何を考えて仕事をしているか周囲の人間が聞いても納得の得られる回答はできない。どんなにデスマーチ現場でも元気で明るいので向いた仕事があれば重宝される。吸収力はあるので、時間経過に沿って落ち着きと実力が備わってくることが期待されるが、基本的に組織に対する帰属意識が余り強くないので、油断すると転職して外資系企業に飛び出していってしまう。

シーブック型(技術力:4/社交性:4/リーダーシップ:4/成長性:3/帰属意識:2)

入社時点で若干のプログラミング経験あり。適度に仕事熱心で、適度に友達づきあいをし、精神的にも安定していて、技術面も社会性もバランスが取れて高い。まさに見本のような新人であり、社内でも取り合いになることが予想される。独身ばかりの社内にあって、入社後数年で、あっさりと大学のときから付き合っていた彼女結婚したりする。後輩ができれば良い兄貴分をこなし、組織リーダーとして振る舞うこともできる。これは会社を背負っていく人材だと周囲が安心していると、突然嫁さんが始めたパン屋を手伝うとかいって退職して専業主夫になってしまうので、注意が必要である。

ウッソ型(技術力:5/社交性:1/リーダーシップ:1/成長性:1/帰属意識:3)

入社時点で十五年以上のプログラミング経験がある。過去から現代までの幅広い開発知識があり、嘘くさいほどの技術力で、最初から社内トップレベル技術者として入社して来るため、受け入れ側でもトクベツな新人として扱うようになる。実際突出した技術力でなんでも一人でできてしまうので、まったく手が掛からないどころか、社内の大人たちに対してプレッシャーを与えるタイプである。天才的なひらめきで、次々と新しい技術発見を成し遂げるものの、反面、周囲の人間との関わりが少ないためか、対人関係への興味が薄く、一言でいって薄情であり、入社後の人間的成長はあまり見られない。

シロー型(技術力:2/社交性:4/リーダーシップ:3/成長性:2/帰属意識:4)

入社時点ではプログラム経験はない。文系で真面目に部活動などをこなしてきていて、リーダー志向する気持ちが強い。とはいえ、まだまだ管理者としての経験が薄い机上の軍師であり、実際にチームをまとめる能力はない。成長するに従って現場リーダー管理者へシフトしていくが、技術者としては中途半端人材に育ってしまう。ほっておくと、個人的な動機で会社を飛び出してしまう。

ヒイロ型(技術力:3/社交性:1/リーダーシップ:1/成長性:1/帰属意識:4)

自分のことをまったく話さないので、どの程度の実力があって、何に興味があるのか誰も分からないが、仕事を与えてみると仕事だけはこなす。過度に対話が苦手で、それが原因で何度も失敗するが、自分から改めようとすることはない。それでいて会社の集まりには決まって顔を出すので、特に会社を避けているわけではないようだ。

2010-01-17

孫悟空の強さの秘密雀鬼が語る強さの秘密

曰く、最近新書ブームで、新書の出来が酷いという話だ。

しかしながら、逆に言えば、色々な人に新書を書くチャンスが出来たという面では良いことだと思う。

ちょっと前に「雀鬼」という異名を取る人の書いた新書を読んだのだが、色々面白かった。

個人的には、政治家大企業経営者ベンチャー経営者ワープア就活をしている人も婚活をしている人も「働いたら負け」のニートの人も読むべきだと思った。

タイトルは、「負けない技術桜井章一著、講談社+α新書)」。

私がうだうだ書くよりも、本文から引用した方が説得力があると思うので、以下、ほとんど引用である。

 勝負に対する心構え、気持ちとして「勝つ」という姿勢と「負けない」という姿勢ではどちらのほうが強いのか。「勝つ」も「負けない」も、結果的には同じ事を意味しているが、その本質は全く別のものだ。

「勝ちたい」という気持ちは、欲望と同じで限度がない。限度がないからそれを達成するために汚いこと、ずるいことなども平気でするようになってしまう。際限なく相手を叩きのめすようなやり方も、「勝ちたい」という気持ちに支配された人間のやり方だ。

 もう一方の「負けない」という気持ちには、「もうこれでいい」という満足感、納得感がある。

「負けたら終わり」という競争意識は、人間だけでなく、動物も持っている。彼らは、必要以上の争いはあまりしない。本能的な競争意識というのは、必要に迫られた時にだけ出てくるものなのだ。

 ところが今の人間は、必ずしも必要でない力や能力といったものをふんだんに身につけ、しなくてもいい争いをしているようにしか見えない。「勝ちたい」という限度のない欲に囚われている人ほど、その傾向は強いといえる。

 日本の優勝で幕を閉じた二〇〇九年の第二回ワールド・ベースボール・クラシックWBC)。メイン開催国であるアメリカ本国での盛り上がりはイマイチだったようだが、代表チームが決勝に駒を進めた日本韓国では大いに盛り上がった。

 韓国選手は、今回も「日本にだけは負けたくない」という強い気持ちを前面に出していた。日本選手はもちろん、「韓国に負けてたまるか」という気持ちはあったのだろうが、その気持ちの強さの面では韓国に遠く及ばなかった。

日本に負けたくない」の中にある”負けられない””負けない”といったひたむきな姿勢、心意気は、両国間の歴史なんぞは抜きにして大いに私の好むところだ。

 大会時、日本代表につけられた愛称は「侍ジャパン」。しかし私は、日本選手より韓国選手に「侍魂」を感じてしまった。中でも、韓国監督にはそれを強く感じた。

 野球レベルから見れば、韓国日本より明らかに下だと思う。しかし、一人ひとりの向こう意気、負けまいという気持ちはものすごく強い。その強い気持ちはプレッシャーをはねのけ、一人ひとりの可能性を広げていく。

「負けるわけにはいかない」という気持ちを強めれば強めるほど、不思議プレッシャーは感じなくなる。

 逆に、「勝ち」を求めてしまう人は、どこまでもプレッシャーにつきまとわれることになる。「勝ち」ばかりを追いかけると視野は狭まり、自分の技量以上のことをしようとっするようになってしまう。それがやがて、大きなプレッシャーを生み、そのプレッシャーに足を引っ張られて負けてしまったりするのだ。

「負けない」は「勝ちたい」より純粋なぶん、余計な考えも入らず、プレッシャーを感じることもなくなる。だから「負けない」というアプローチで勝負事に挑む人にはプレッシャーは存在しない。

 私は、「自分に負けない」ということは、自分に対してごまかしのきかない姿勢で歩み続けることだと考えている。そして自分ごまかさないためには、敵を外ではなく内、つまり己の中に置いておかねばならない。

(中略)

「納得」と「満足」――同じような言葉だが、人生において満足ではなく、納得していくことが大切なのだ。

 毎日を納得して生きていると、そこに「感謝」の気持ちがおのずと起こってくる。人生の質はこの「感謝心」がどれくらい多いかで決まる。大切なものをたくさん持っている人は自然と「感謝心」が多くなってくる。

 敵を己の中に置いておくと、その人の人生は納得できるものへと変わっていくはずだ。結局のところ、「自分と戦う」ということは、自分に納得するためなのである。満足でなく、納得するために人は己と戦うべきなのだ。

 そして、「負けない」と「勝ち」という捉え方でいえば、納得を求める人は、満足で得られる「勝ち」を求めない。「負けない」人というのは、あくまで納得することにこだわりを持ち続ける人なのである。

 私は、仕事でも人生でも、「負ける」という行為の九九パーセントは「自滅」だといっていいと思っている。

 実際にスポーツ経済ギャンブル、あらゆる世界で繰り広げられている勝負において、「負け」の要因をつぶさに見ていくと、圧倒的に多いのは自滅で負けを引き寄せているパターンである。

 裏麻雀世界代打ちをしていた時代、私が特段何かをしているわけでもないのに、相手が勝手に墓穴を掘って、みるみる沈んでいくのを目にしてきた。ほとんどの対局がそんな感じだった。

 だから私は、いつもこう感じていた。「おれが強いんじゃない。みんなが勝手に自滅しているんだよ」と。

「たいがいの人が勝手に自滅していく」ということは、勝負の世界のみならず、仕事人生、そして社会全体にもいえることだ。それは、しかるべきことをしかるべきタイミングでやらないで、不必要なことばかりしてしまうからにほかならない。

 簡単に言ってしまえば、「勝ち」を求める人は、その動機や行動に自滅の要素を孕んでいる。しかし、「負けない」ことの意味を理解し、「負けない」ための思考と行動を取ることができれば、少なくとも自滅は避けられる。



なんだか、個人的には、悟空ベジータを思い出したんだが、どうだろうか?

アップルグーグルマイクロソフトに勝つ必要はない。でも、負けないために何かやれることはないか?ということを考えるべきなのかも知れない。

2010-01-13

鬱の先輩が心の底では許せない

3個上の先輩が、春先に急に来なくなった。

鬱になりかけているということで、そのまましばらくお休みに入り、最近復帰した。

本格的な鬱になる前に、休みに入ったため、割と早く戻って来これたのはよかったなと思う。

自分も本格的な鬱にこそならなかったけど、プレッシャーでつぶれそうになる気持ちはよくわかる。

それが続けば鬱になるのもわかる。

ただ、春先先輩が急に来なくなり、わけのわからないまま、先輩のほとんど全ての仕事自分が引き継いだ。

もちろん突然来なくなったので、引き継ぎもなにもされないまま、丸投げ状態。それに加え、自分が新しく担当するプロジェクトも始まった。

入社2年目になったばかりだし、決して仕事が出来る訳でもない自分では、仕事の進め方もわからず、苦手なリーダーの下に付いたこともあって、精神的にキツいことが何度もあったが、周りの励ましや協力もあってなんとか乗り越えることができた。そして、一段落した頃に先輩が職場復帰した。

職場復帰といっても、リハビリ期間のようで仕事らしい仕事をする様子はなくて、資料整理とか簡単な事務作業をやってるだけ。残業は絶対禁止だけど遅刻はOK。

鬱の原因は本人だけのせいではないと思うし、鬱になるほどがんばったんだから仕方ないとか、そうなってしまったことを理解したいと思う反面、迷惑をかけられたこととか、これで同じ給料はヒドいと思ってしまう自分がいる。(休職中は減給だったとは思うけど。)

なんで、鬱になるまでやってしまったのか。そうなる前に、周りにアラートをあげなかったのか。。。

イライラしている時は、責めるように問いただしてしまいそうになる。

そんな風に責めてしまわないように・・・と意識すると、先輩とのコミュニケーションもぎこちなくなり、それはそれで先輩の居心地を悪くしているような気もする。

自分の中で、鬱に対して理解しなくてはということと、個人的に迷惑をかけられたという気持ちに折り合いがつかない。

仕事は独りでするものではないから、迷惑かけたり、かけられたりするのは当たり前だと思うしかないのかもしれない。

ここに書くのは初めてなので、こんな風に書いていいかわからなかったけど、どうしても吐き出したかった。すまん。

2010-01-10

この不景気で潰れかけている会社が今年完全に潰れて職がなくなったら、彼氏と別れ家に引きこもって貯金を喰い潰して楽しくニート生活を過ごし、有り金が尽きたら自殺しようと思ってダラダラ生きていた矢先に、5年ほど交際している相手から結婚しようと言われた。

どうせそのうち「お前より若くて可愛くて学歴も家柄も良くて素直で従順家事万能で妊娠出産育児も親の面倒も同居も俺の言う通りやってくれる女が見つかったのでお前はもういらない」と言われるだろうと思っていたので、先のことなんか何も考えていない。既婚者になんかなったらおいそれと自殺者にもなれなくなってしまうし、次の仕事も探さないといけないため、どうしようかと悩んでいる。


子供なんか欲しくない。でも結婚したら作らないといけなくなってしまう。相手がそれを望んでいる。

知的障害、重度身体障害、他害行動のある発達障害などの子供が生まれたら私には育てられない。幸運にも健康に恵まれたとしたって、ニート犯罪者になる可能性も捨てきれない。まともに育っても犯罪に巻き込まれたり、家庭が崩壊して不幸な目に遭うかもしれない。そんな目に遭わせるぐらいなら最初から産んでやらない方がマシだ。

生んだら最後、私だけの稼ぎで自活できなくなってしまうのも嫌だ。そんなことになったら相手は増長して「養ってやってるんだから言うことを聞け」と好き放題振る舞うかもしれない。カネと自立も出来ない子供人質に取られたら逃げられない。

まして私は結婚前から(その後も)不倫しまくっていたような低学歴貧乏DQNな両親から生まれた劣等人間なので、股ユルの汚い血なんか残したくない。もし子供がよその息子さん娘さんを泣かせる浮気者に育ったりしたら、逆上してブチ殺してしまうかもしれない。あるいは子供浮気されたら、相手のゴミクズをそうしてしまうかもしれない。


既婚者になると浮気確率が跳ね上がるらしい。浮気されるなんて絶対嫌だ。

既婚者は既婚者であるというだけでその種のビッチから寝取りの対象になりうると言うし、本人も「もう嫁としかヤレない」という危機感から安易に女の誘いに乗るのだという。今はまだやっていないように見えるが、「俺はモテないから浮気できない」などと言っている人間は、理想の相手がやってきたらホイホイ誘いに乗って簡単にズコバコやりそうで不安である(ちなみに私は「パートナーの許可なくコソコソ不貞に走るような、親の育て方が悪くケチで卑怯で恥ずかしい畜生の同類にはなりたくない」ので不貞をしない)。

これも子供が欲しくない理由のひとつだ。産前産後はどうしてもセックスレスになるが、その時期は男の浮気確率が有為に跳ね上がり、育児ストレスや夫の不協力もあいまって最も離婚の危機が生じやすいのだという。子供を作ったせいで家庭が崩壊した、なんて笑えない事態は絶対に避けたい。子供が欲しいからとよその女と不倫されたほうがまだマシだ。少なくとも私の子だけは不貞の親を持たずに済む。

風俗浮気のうちに入らない? そうですか、私は入ると思います。風俗浮気に含めない女性とよろしくやってください。私は人を平気で裏切るようなきったない家庭崩壊加害者とは一切関わりたくありません。


そしてあまりにも面倒なことが多過ぎて、結婚生活が少しも幸せに思えない。

まずお金の話が面倒だ。現在私は身の丈に合った貧乏生活を送っているが、もしこれが共働きかつ生活費折半ということになると相当に厳しい。生活レベルの高い相手に出費を合わせた場合、間違いなく今よりも支出がかさみ、下手をすると赤字が出る。かといって相手に出してもらうのも寄生虫呼ばわりされそうで心苦しい。

戸籍を操作し新しく住む家を探して引っ越さないとならないのも面倒(離婚となったらそれが倍)だし、嫁姑をはじめとする姻戚の人間関係も面倒だ。大事なひとり息子ちゃんをたぶらかした劣等家庭の低学歴ビッチだと思われていること請け合いなので考えるだに憂鬱である。相手の家から見ればほぼ事実だろうからしょうがないが。

そして相手はズボラな私より更にズボラ家事が出来ない。これをどうにかするのも面倒。大掃除したって言ってたくせに風呂場カビだらけとかどうなってんだよ。掃除したって嘘ついてんなら最低だし、このレベル掃除したと思ってんなら本格的にヤバイよ。でもそんなこと話し合ったってどうせ「掃除した」って言い張って逆ギレされるのが目に見えてるし面倒だよ。

性別が逆なら私は最悪の人非人としてボコボコにぶっ叩かれてしかるべきだ。

自分のことしか考えておらず、相手を愛したり信じたりする気持ちが全く見られない。面倒臭いを言い訳にして、恐れていることから逃げてばかり。辛抱強く親切にしてくれる相手の誠実は全く信じていないくせに、顔も知らないDQN男の「この(浮気暴力等)ぐらい皆やってる。そうさせる女が悪い」という自己弁護内面化し、男なんか全員死んじまえと誰彼構わず憎しみを抱いている。自覚している上に治す意志がないから一層始末に負えない。

こうしたことは幾度も相手と話し合って来てはいるけれど、やはりまともな家庭で恵まれて過ごして来た相手との溝をその度に感じざるを得ない。相手は「頑張ればどうにかなる、そんな不幸は起こりっこない、とにかく俺は絶対別れたくない」の一点張りでいつも要領を得ないまま終わる。「もしその不幸が起きたらどうするか」なんて発想がそもそもないのか、起きた時にあたっての言質を取られたくないのか私にはわからない。


一緒にいて他愛無い話をしたり、物を食べたり、互いの趣味を共に嗜むのはとても楽しい。一生そういったことだけ考えて生きて行ければいいならどんなにいいだろうと思う。

今日も相手から「まだ若いから肌にハリがある」と何の気無しに言われたひとことを「肌がハリを保っていられなくなるほど老化したらお前を捨てて若い子に乗り換える」と言われているように感じて逃げ帰ってきた。若いどころか私は32歳の地味ブスババアである。私の感じたことが事実相手の本音なら、タイムリミットはどう頑張ってもあと3年が限度だ。

その3年をいつ老いて捨てられるかと怯え、2倍に増えた家事やら親戚付き合いやら子づくりのプレッシャーやらに苦しみながら過ごすのと、独り貯金を喰い潰しながら楽しくニート生活を送り、金が尽きたらヘリウム硫化水素でラクにこの世を去るのとどちらが充実しているか、と問われたら答える自信がない。

3年後に捨てられるのなら今捨ててもらった方がいい。5年後に若い女と不倫されて、子供を抱きながら泣くのに比べたら、その頃にはもうこの世にいない方がマシだ。

そのぐらい不貞が怖い。捨てられることと裏切られることが怖くてたまらない。

2010-01-09

なんちゃって大手家電ベンチャー ネット家電デジカメ)で起業したcerevoセレボがやばい件

http://anond.hatelabo.jp/20100102223712

あまり話題にもならなくなったセレボというアキバベンチャー

http://cerevo.com

中の人の様子が見えないけど、大丈夫なんだろうか

売れていないらしい

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1260303007/

VC(ベンチャーキャピタル)から多額の出資をしてもらっている

プレッシャーがあるかもしれないけれど、がんばってほしい

日本起業しないで中国起業したらうまくいくのでは

中国だったら、eye-fiiphoneも進出していないし、購買層も大きい

さらば 日本 こんにちは 中国

こうしたITベンチャーがどんどん日本を去っていくんだろうなぁ

2010-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20100107000853

凄いかわいいエントリ

俺の彼女もこんなふうだったら嬉しいなと思ってしまったので横から勝手アドバイス

・話していなくても、楽しめていることを相手に伝える。できれば楽しんでる様子を見せる。

リアクションが少ないとか、発言が少ないと、相手が楽しくないんじゃないかと気にしてしまう。

敬語はさりげなく外していいと思う。

相手があなたを悪く思ってないなら、親近感がわくとおもう。

・相手の前でちょっとリラックスしてみる。

あなたを信頼してますよ、安心してますよとサイン出す。相手の人のリラックスを誘う効果もある。

・相手の人のことをよく見る。

恋に落ち始めのときとくに、自分理想を相手に重ねすぎてしまいがちだけど、相手をよく見よう。

・相手の良いところを見つけて、ほめる。

男子なら女子に褒められて悪い気はしないってかむしろ嬉しいはず。

・相手のミスとか、欠点に寛容になる。

たぶんだけど、相手の人もミスったらどうしようとか思ってプレッシャーに感じてるかも。

・あなたの好意をちょっとだけ見せる。

好き好きオーラが重すぎると男子が引くこともある。相手の予想・期待を大きく超えない程度に互いの好意を少しずつ見せ合いながら、徐々に増やしていくのがコツ。

二人の笑顔が増えるといいね!がんばって!

私がノンスタ優勝を心から祝福できない理由

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100105/A

たいへん読み応えのある面白いM-1評で、納得できる点も多々ありました。

そして拝読後、真っ先に感じたのは、「このM-1評に納得し大いに感心する一方で、toroneiさんが大プッシュし『過去最高のチャンピオン』とまで賞賛するノンスタに依然としてモヤモヤした気持ちが残るのは何故だろう?」という点でした。


この点について考えてみたところ、出たのはバカみたいに単純な答えです。

私にとって08年優勝時のノンスタが、面白さ<努力の痕跡に見えてしまったこと。これが問題だったわけです。


M-1出場者はとんでもない量の努力をしている。

これは、想像力がよほど欠如した人でもない限り誰でも簡単に推し量れることです。

M-1には、劇場で普段やっているよりもずっと短い4分間で漫才を疲労しなければならないというルールがあります(しかも時間超過したら減点されるというシビアさ!)。予選時には更に短い2分間でのネタ披露も要求されます。この時点で、出場する芸人には「普段のネタを抜粋・再構成する」あるいは「普段より格段に短いネタを新規に作る」努力が要求されます。これだけで相当な労力だと思うのですが、勿論そのネタは抜群に面白いものでなければならず、かつ実演の際も非常に高いパフォーマンスを求められます。

近年では「4分間という非常に限られた時間の中に幾つの手数を盛り込むか」が争点となっていると語られていました。とすると、極力無駄を削りつつ、かつ話の流れや設定はは容易に伝わるようにし、その上で笑いどころを可能な限り増やしていくことが課題となるわけです。それを実現するなど一体どれほどの努力が必要か、素人の私は気が遠くなる思いです。

もっと単純なことで言えば、「4分間×2の台詞完璧に暗記」し、「一度も噛まず言い澱まず、適切な声量で聞き取りやすく、必要であれば大小のアクションを交え、最善のテンポと間合いを崩すことなく自分セリフを披露」し、「以上のことを、ただでさえ緊張するのにゴールデンタイムTVで大先輩が睨みを利かすという苛烈な状況下でも確実に完遂」する――こんなことを一体どれだけの人ができるか。それを考えるだけでも、出場者たちの並々ならぬ努力は簡単に想像できるはずです。


歴代のチャンピオン努力について思いを馳せてみましょう。

初年度で何も解らない手探りの状態で、優勝候補というプレッシャーだけしっかり課せられて戦った(中川家)。ラストチャンスに加え、非吉本という重圧(ますだおかだアンタッチャブル)。コンビ暦が浅く、前コンビでは両者がボケ担当だったところから漫才を再構築した(フットボールアワー)。優勝前にすっかり売れっ子になってしまい多忙を極める中での挑戦(アンタ)。ネタの内容・構造を大きく変えた(ブラックマヨネーズチュートリアル)。大会も知名度を高め「強豪」が定着する中、ほぼ無名状態で優勝をさらった(ブラマヨサンドウィッチマン)。過去に低評価を受けたというマイナス実績を背負い、その汚名をきっちり返上した(フットチュート)。超弱小事務所所属に加え、敗者復活戦からの出場で本番への準備もままならなかった(サンド)。

それぞれが重荷を背負った中で、M-1の大舞台漫才をしました。そしてその漫才は、ネタパフォーマンスともに素晴らしい出来であった。何の努力もなしにできることではありません。

「そこそこにお笑い好き」である私は、彼らが優勝目指してその年のM-1に挑んだとき、上記の情報を既に知っていました。

しかし、少なくとも個人的には、彼らのネタ中、「彼らの努力」について思いを馳せることはありませんでした。

例えばブラマヨネタ中、私の頭の中を占めていたのは、「ヘイヘイオーライとかやってた人たちが、よくぞこんなに面白いネタを作ったなあ。すごい進歩だなあ」「これだけの台詞量を、こんなに噛まずに滑舌よくできて凄いなあ。しかも後半に行くにつれてどんどん怒鳴り合いか、素晴らしいスタミナと集中力だなあ」というようなことでは一切なく、「おもしれえええwwwwwwwwww」「村上ファンドwwwwww鮭よりハチミツwwwwwwwwwwwwwwバカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」というようなことであったわけです。感慨や賞賛は、ネタがすっかり終わった後にじわじわと湧いてきました。

08年。私はノンスタネタを観ていました。

ノンスタのことは、大ファンとかイチオシではありませんでしたが、低温ながら応援していました。やっと出られたか。良かったなああ。面白いのをやってくれるといいな。去年の敗者復活はそれまでの年よりかなり面白かったよな。でもボケの細い子、繊細そうだから緊張しそうだな、心配だな。頑張れよ。大会前、そんな風に思っていました。

そしてネタ中、私の頭の中を占めていたのは「よく出来たネタだな」「2度ボケシステム、よく考えたな」「凄い頑張ってるな」ということでした。

私は、ノンスタを、その工夫を、ネタの出来の良さを、練習量が凄まじいものであろうことを、並外れた努力を、即時に認めて評価し、賞賛し、あまり笑えませんでした。


何言うてんねん。俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。真面目なとこなんか見せてどないすんねん

これはかつて明石家さんまが、「芸人は軽く見られる。裏ではたいへんな努力をしているのに」と愚痴をこぼした品川祐に向かって言った言葉です。

努力の痕跡」と「笑い」は食い合わせが悪い。少なくとも、努力の痕跡は笑いにとって「ノイズ」です。私たちは「一生懸命に必死で頑張っている人を笑う」ようなことを「いけないこと」だと教えられて育っているのですから。

お笑い芸人は何の努力もせずテキトーにやって笑いを取っている」などと考える無神経な人はそうそういないでしょう。私たちの多くは、さんまさんをはじめとする芸人たちが才能のみならず不断努力によって「私たちをコンスタントに笑わせてくれる」という状態を生み出していることを知っています。裏返せば、それでも私たちが芸人を見て笑えるということは、「努力の痕跡を見せないようにできることが(一流の)お笑い芸人の条件である」とも言えるのではないでしょうか。


08年M-1は、かつてなく優勝者に不満があがった年でした。toroneiさんは「お笑いファンは皆ノンスタ優勝という結果に納得している」と書かれていましたが、実際はやはり「ノンスタが優勝?え?」という声が非常に多かったと思います。そして私もその一人です。

しかし、私は決して、ノンスタネタが悪かった、つまらなかったと言っているのではないのです。彼らは優れたネタパフォーマンスを披露したが、「頑張り」がそれを上回って伝わるような出来に見えたため、残念ながら「高評価だが笑えない」という結果になってしまったと言っているのです。そして、それまでの優勝者が成し遂げてきた、公然の事実である「血の滲むような努力」を舞台上では見せない、あるいはすっかり忘れさせてしまう、という「努力」を怠った(もしくはそれを成し遂げる力が不足していた)コンビを優勝者に選んだという点においてM-1違和感を抱いたのです。

2010-01-03

極道不動産屋のオッサンから聞いた「なぜヤクザモテるか」の話

ヤクザがなぜモテるかというと、

1)モテる見本が回りにあること。

ヤクザ世界に入った男は、

モテる先輩たちがどんな格好をしているか、どんなふうに女を扱ったり口説いたりしているかを毎日のように見ることになる。

新入社員電話のかけ方など仕事ノウハウをを先輩社員からみよう見真似で身につけるように、モテかたを身につけるのだそうだ。

2)女がいないことが恥ずかしいというプレッシャーが強い女のいないヤクザ兄貴分から「女のひとりやふたり、

いなきゃしょうがないだろう。そんな暇そうにしているなら、飲み屋にでもいって、

女を捕まえて来い」と叱られる。成績の悪い営業マンが

電話の一本でもかけろ!」と上司に怒鳴られるようなものなのだ。だからヤクザは必死で彼女を作るのだ。

3)欲しい女を手に入れるために、手段を選ばない

ここで、私が思わず膝を打ったオッサンの名言引用しよう。

「本気で女を求めているヤツは、なりふりかまわずに向かっていく。

最終的に女が手に入るなら、それまでのプロセスがどうだろうと関係ない。

モテないくせに、きれいなやり方で格好よく女を落としたいと思っている奴らは、

きっと本気で女を求めていないんだろう。そいつらは、女よりも自分のことが好きなんだ。

ともかく女にモテたいんだったら、いつも仕事でやっているようなことをやればいい。

実際、企業がやっていることを見れば、きれいなやり方だけでは商売が成り立たないことがよくわかる。

談合だの贈賄だの、汚い方法で仕事をしているのはヤクザだけじゃない」

ヤクザと付き合った女はみんな「楽しかった」というそうだ。

2009-12-17

COP15で明確になった「CO2削減」の目的

やっぱり単なるパワーゲームの駒なのね。

簡単に振り返っておくと、

CO2削減っていうのは、「地球温暖化の原因だからCO2を減らそう」とまあ簡単に言えばそういうことだ。

これには暗黙の前提ってやつがいくつかあって

  1. 温室効果ガスが、地球温暖化の主要因である
  2. 地球温暖化している
  3. 地球温暖化は悪いことである

地球が暖かくなってるのは事実でも人間が主原因じゃなかったり、実は暖かくなってなかったり、暖かくなっても大したことなかったりと、反対派の主張は各々あるんだけれども、それはまた別の話。

でもちょっと考えれば、あれ?変じゃね?ってのはわかるはず。

なんでこんな「良くわからんし長期的な目標に向かって世界的な動きになってるの?」っていう。

これはばっくりといえば「アラブ」に対する牽制に他ならないわけだ。

オイルマネーだね。

つまり石油だね。

CO2とかメタンとか二酸化窒素とか、ようは石油燃やしてなんかするのが悪いって言ってるわけだ。

そしてもちろん発展のためには必要なエネルギー源であるわけだ。

だからこそオイルを握る中東に対して

「あんまり出し渋ったり言い値で買わせたりと無茶言ってると、こっちも考えがあるよ?」

というアメリカ主導の話が京都議定書へと結びつく。

「俺が言ってんだからおまえらやるよな?」というジャイアニズム大爆発の話なわけだ。

「俺がプレッシャーかけようぜって言ってんだから、おまえら従うだろ?ほら、地球にも優しいし」っていう。

で、母ちゃん(国内)から突き上げられて「おまえらだけでやっとけよ」っていう。

で、世界的な不況なのに付き合ってられっかよってのが最近先進諸国の話。

日本が強力にプッシュするというのは、要はつまりはアメリカ様に従うわかりやすいポーズなわけですな。

エコそのものは良いことだと思うよ。無駄をなくそう。

でもそれは市場の拡大とか発展とか「需要の創出」つまりは「無駄に使わせよう」ってのとは相反するわけだ。

ETC1000円とか。給付金とか。エコカー減税とか。

でもさ、車に乗らず、ある物を使い、車は買わないってのが一番エコだよね。

閑話休題

中東への牽制にもなったし(というか反動愛国者法もできたし)、まあまあ力も誇示できたし、そろそろ良んじゃねって話。

だからもうCOP15とか気にしてるのは、乗り遅れちゃった人たちだけという。

「え、あ、確かに俺やっとけっていったな……うん偉い偉い。(でももうそれどうでも良いんだけどな)」

って感じ。なんか残念だね。

http://anond.hatelabo.jp/20091217063212

気になる人を想ってオナニーもします。でも男性のようにどうでもよくなることは無いかもしれないですね。。

婚約者に対しては、私からセックスを求めたりしていますが、うまくいかないことが多いです。彼が射精する前に萎えてしまったりです。

彼は、セックスしたくなった方が誘えばいいと思っているようで、私もその通りだとは思うのですが、ここ三年ほど、彼のほうからしたいと言って来たことはありません。

彼が浮気しているということは無いと思います。同居しているので、会社以外の時間、土日もずっと一緒に過ごしていて怪しい時間が無いからです。

それに、彼は浮気をするくらいなら私と別れると思います。彼がゲイだということも無いようです。

私は彼からもセックスをしたいと言って欲しいし、もう少しセックスを大事に考えて欲しいと何度か伝えました。

泣いたり怒ったりして訴えたこともありました。。それで悪いプレッシャーを与えてしまったかもしれませんが、私もその時は、なんだか辛くて。

私も、くびれがぼやけてきたりしてたので、5kgくらい痩せて引き締めたり、美容的な努力もしました。

(それは、気になる人の存在を意識してということも大きいですが)

しかし、大抵はそのままひと月以上何も無いまま経過して、私が痺れを切らして、また自分から誘ってするけど、

そのセックスがうまくいってもいかなくても、なんだかがっかりしているという良くない状況です。

正直、彼からしたいと言ってくれたら、嘘だったとしても、うまくいかなかったとしても、嬉しいのにと思ったりします。嘘は悲しいけど。。

彼は「うまくいかなかったら、まあうまくいかなかったで」という感じで、私もまあそうなんだけど・・とは思うけど、寂しいです。

婚約者は本当にどこまでもマイペースで、家にいても常に読書をしたりプログラミングをしたり、自分のやりたいことに打ち込んでいます。

こういうところから考えると、セックスは彼の人生にとって、重要ではないのだと思います。

私も彼のこういうところに惹かれている部分もあり、セックス以外に不満はありません。

心から尊敬していて愛しています。一緒に歳を重ねたいと思っています。

だけど、いつの間にか、すごく求められてセックスしてみたいと考えるようになってしまっているかもしれません。

それで満たされない妄想に、気になる人が登場している状況です。

気になる人との妄想は、二次元にはまってる状況に似ていて、

これがもし現実になったとして、どうなるかは分かりません。

だけど、満たされるとは思えないです。。

文章にして、色んなことに気付けました。。

私は婚約者と生きていきたい。

だから婚約者と、もういちどセックスのことを話そうと思いました。

トラックバック、ありがとう。

2009-12-14

家族の愛。

今日ほど両親や兄妹のありがたみを感じた日はない。

その思いを自戒のために書いておく。

今日は色々あった。

いや、今日まで色々あった。

私は、地方から出てきた就職活動中の4回生(しかし、諸事情で3浪の子と一緒)

他人に迷惑をかけることが苦手で、極力自分の力で頑張ってきた。

一応内定は貰っているけれど、そこに行く気はあまりしない。

だから、今まで頑張って就活していた。

夢があったということもある。

けれど、あまり上手くいかず

長引いた分、卒論にも影響が出ていた。

うちの学部では卒論提出が卒業必須条件な為、また就活についてももう残り少ないことがプレッシャーとなり

危機感と焦燥感だけが自分の心の中に積もっていった。

その状況が辛いと思っていたけれど、

「周りの人も頑張っているんだ」

自分で解決しなければ、これから一人でやっていけない」

と思い、誰にも相談せず、行動していた。

けれど、左目がずっと霞んだり、急に吐き気がしたりと

最近あまりにもしんどいので、大学の心理カウンセラーのところに相談に行ったら

「一度、病院の方へ行って診断を受けてください」と言われた。

で、行ったら医者

「週一で病院に来てください。大丈夫ですよ、経過を見て判断しましょう。」

って言われて

「もしかして、鬱なの俺??」って思ってしまった。

多分、違うと思うけど。

でも、ふと今までの短い人生を振り返ってしまった。

元々、大学へは教員になることと自己を変えるいいキッカケだと思い入学を決意した。

その時、両親からの援助は期待できるものではなかったが、それでもいろいろと面倒見てくれた。

進学の為にお金を貯め、その傍らで勉強をして学費一部免除で入学した。

その後も、生活費を稼ぎながら、教員になる為に勉強してきた。

だけど、採用試験には落ちた。

就活も、行きたい企業には落ち続けた。

一昨日も最後だと思って受けた企業に、2次で落ちた。(3次で終了)

何と不甲斐ない。何と親不孝な自分だろうか。自分は必要のない存在なのかと考えていた。

疲労困憊の中、今日バイトに行くためバイクを走らせていたら

事故をした。

自分はほぼ無傷だったが、滑っていったバイク店舗の大きなガラスを一面割ってしまった。

どうしようと思うあまり、体が震え、言葉が出てこない。

何とか、話をし終わり「弁償」という事になった。

それで、一応バイトを休んで帰ってきた。

暗い部屋の中で、ずっとどうしようかと考えていた。

お金はない。」

「行動する気力が湧かない。」

「もう、考えるのがしんどい。」

「いろいろありすぎて疲れた。」

そんなことばかり考えて、追い詰められた。

このままではどうしようもないと、迷惑をかけたくなかったが親に電話した。

弁償のことと今の自分の状況を説明したら、怒れられた。

「もうしんどい、疲れた。ごめんね。」

とだけ言い残して切った。

その後、何回も電話があったが取る気がしなかった。

でも、あまりにもかかってくるので、電話に出たら

オカン泣いてた。

その時、いろいろな感情がこみ上げてきて

10年ぶりくらいに嗚咽を出して泣いた。

「不甲斐ない息子でごめんな、今回も迷惑かけてごめんな。」

「甘いかもしれんけど、もう、しんどいんよ」

って言ってたら、オカンが

「何を言いよんで、全然そんなこと言わんでええ。迷惑かけられるのが親なんやから。」

「別に教師になれんでもいい。あんたが頑張ってきてたのは良く知ってる。だから、今回のことは心配なんかせずこっちに任せられや。」

親父は

「お前は俺の子なんやから、そんなもんに負けるわけがない。何の心配もせず、前向きに生きろ。今回も気にするな。」

「変なことだけは絶対に考えるなよ。大事な息子なんやから、絶対にするなよ。一度、帰って来い。大丈夫だから。」

月並み言葉かもしれんけど、それ聞いてまた泣いた。

疎遠になってる姉ちゃんも妹も心配してくれた。

家族の絆とか、両親の愛とかちょっと小バカにしてたけど

今日ほど、両親や兄妹の絆を感じた日は無い。

ありがとう、親父、オカン。

そして、姉ちゃんに妹。

自分はこの家族でよかったよ。

ホントにありがとう。

心配だからって、明後日来てくれるらしい。

それまでに元気になっておくよ。

それで、これから恩返しするよ、絶対。

ホントにホントに、ありがとう。

2009-12-08

ライバルを蹴落とすための勉強に励み、 医学部入学後ひきこもり

中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値単位媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。

その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。

やがて医学部合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。

受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューター家庭教師バイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレ水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。

この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。

2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。

主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。

私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。

当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。

その方は、13年前に不登校ひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校ひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。

何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。

改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。

こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供自分価値観押し付けるべきではなく、子供自分価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。

さらに、自分もまた社会価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。

親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバー飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。

現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。

山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビパソコンなどの情報機器エアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。

私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。

私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。

また、今の私には大学に帰り、自分経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。

2009-12-07

労働組合」って一体なんなの?の続き

前に書いた「『労働組合』って一体なんなの?」(http://anond.hatelabo.jp/20091205012414)に賛否両方のコメントありがとう。

勉強になった。時間が経つにつれてコメントが穏やかになってくのが面白かった。

それはさておき、「労働条件を良くするために、足並み揃えて残業減らそう」という主張は理解できた。

で、それを実現するときにね、いまの組合みたいに頑張るのが良いのかな?というのも疑問としてある。

その他ちょぼちょぼした疑問もある。

雑駁な感じで、ちょっと違う感じの話になるので、別の日記で書いてみた。


(1) 残業時間削減は経営側にやらせれば良いんじゃないか?

昨年リーマン・ショックが起きた時に、いくつかの企業(特に製造業)では「原則として残業禁止!」となったよね。人件費削減のため。

それで、このときはね、みんなキチンと帰るよ。なんてたって上からの命令だから、課長部長もしっかり帰らせる。

ここで仕事持ち帰られてサビ残になったら目も当てられないけど、そこは正に組合が目を光らせれば良い。

経営側に「人件費削減のために残業削減」というモチベーションを持たせて、組合サビ残だけ目を光らせればいんじゃないのという気がしてる。

いま、組合協議をしてもらうとね、年間360h超えだけじゃなくて、月間で40h超えの協議もあるけど、とにかく「もっと残業を減らすように」と課長は言われる。それで結局サビ残を選択するというのは本エントリーに書いた通り。

それで、もっと酷くなると「課長協議してもらうのも悪いから、今日残業つけなくて良いや」っていう人もいる。

「この『社畜』がああぁぁぁ!」という主張は解るけど(その辺、どうすんのさってのは次で書くけど)、ここはそもそも実質的協議止めればいんじゃないの。実際に残業した時間を事後申請にして、組合はそれをあっさりと通す。それによって兎に角サビ残をさせない。

それで何が起こるかっていうとね、人件費の増大。いままでサビ残になってたのが顕在化してくるから。

そこで経営側に判断させればいい。「一斉残業禁止だ!」とか「人件費使う課長は間抜けだから降格にしよう」とか。

これで残業減るよ。

ただ「サビ残しろ!」というプレッシャーは増えるから、ここだけは組合は徹底して闘わないと駄目。


(2) 「社畜」をどう啓蒙するのか?

組合とか色んな人が頑張ってるなか恐縮だけどね、僕みたいなメンタリティの人は、サビ残やるよ。

社畜!」「お前みたいな奴がいるから!」「労働ダンピングだ!」「法律違反だろ!」って言ってても良いけど、僕みたいのも労働者の独りだから、これを取り込んで一致団結して闘わないと労働条件の改善勝ち取れないよね。それで、どう啓蒙したら良いんだろう。

いま、良く言われてることは、なんかストンとこないんだよね。



コメント欄読んでて思ったのは

と言ったあたりの主張は、まあ理解できる。

だから組合もここを主張してね「みんなでやろうぜ!」というところでまとめて引っ張ってくんなら、まあ解る。解るのと賛同するのは違うけど。

ただ「我が社の労働条件を改善」で闘えるのはね「職場の多くの人が、自社の労働条件を改善する必要があると認識している」場合だね。

中小企業とかたくさんありそうだね。で、だいたいそういうところは組合がない。

組合があって、なおかつ「多くの人が、改善する必要がある」と思うような職場って、どれだけあるんだろう。

労働組合組織率が年々下がってく状況を見ると、そんなにないんじゃないの。

必要な会社には組合がなくて、不必要な会社には組合が残ってるんじゃないの。

日本全体の雇用環境改善するために!」は、まあ、高邁な志は立派だなあとは思う。

そしてまず、そんなに高邁な志を持つなら、組合がなくて苦しんでる中小企業いって組合つくってやれよと思う。

まあ、それは置いといて主張だけを聞いた時に「そうか。僕の残業が誰かの雇用を奪ってるのか。残業やめなきゃ」とは直ちに思えない。

雇用環境が悪化すると日本社会情勢が悪くなって、それが巡り巡ってあなたに」って話だと思うけど、それをリアルに感じるには、もうちょっと勉強いるな。

そして直観的に感じるのは「僕が残業やめて生じた雇用で、中国インドの人が雇われるんじゃね?」というところ。

日本全体の雇用環境!」という大きなところに話を持ってくなら、そういうところも議論しないとだなと思う。

あと「社畜」って侮蔑的な意味で使ってるんだと思うけど、自分の現状が「社畜」なら「社畜」でいいよ。

仕事やってて楽しいし、楽しいことやってお金もらえてるわけだから。

逆に「仕事は面白くもないけど、9時から5時までの労働力提供して対価もらってるだけだからいいや」っていう人達は何て言うんだろう。

飼われてないから「野良畜」とか言うのかな。

でも逆に飼われてる感じもするよね。


(3) 詰まらない仕事をしてても同じ主張ができるのか?

仕事が詰まらなかったら同じ主張はしない。

転職する。

(4) 労働ダンピングについて

仕事にやり甲斐があるなら、年収は低くても」っていう人もいると思うけど、これも労働ダンピング

2009-11-30

海外の人たちが日本バラエティ番組を見た感想

2009-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20091123222338

んで、彼女のほうは「そんな理由じゃ結婚許してくんないよ」ともっともかつ大人な意見を言ってるわけさ。じゃあ、男のほうは就職応援するしか手はないだろ? 両親の思惑とカップルの思惑が重ならないから、就職出来ない以上に、彼女プレッシャーがかかるわけだ。

2009-11-21

君を信頼してこの仕事を任せるけど報告はしてね

って信頼してないじゃん!!

って話ですよ。

「信頼」という言葉はとても力が強いので、それを言われた君は「信頼」を得られた喜びと誇りとそしてその「信頼」に報いねばというプレッシャーを胸に普段以上に張り切って仕事を成し遂げようとするだろう。仕事の完遂のためだったら多少の徹夜でさえ厭わないかもしれない。

しかし、そうやって一生懸命作り上げた成果に対して「うーん、ちょっと違うなぁ」とか「こういうことを言いたかったんじゃないんだよ」とか、ひどい時には「任せたのは間違いだったかな」などという言葉を平気で投げつけてくるんですよ奴らは!(もちろん「よくやった」と言われるケースもまれにある)

で、そうやって投げつけられた言葉はとても重いため、容赦なく君のMPを削っていくだろう。(もちろんそれを糧にさらなる努力をする、というケースもまれにはある)

それは「信頼」という言葉を旗印に、その仕事に力を入れれば力を入れるほど受けるダメージは大きい。

つまり「信頼」されてると思ってはりきって仕事をすればするほど、跳ね返ってくるダメージがでかいということだ。

不毛だ。

そもそも、報告しろってことはチェックをすると言うことであって、なんでチェックするのかと言えばそれはちゃんと成果が出ているか心配だからである。

全然、信頼してない!

だから、正しくはこのように言うべきなんですよ

「君はだいぶ腕が上がってきたようにみえるので、そろそろこの仕事を一人で完遂できるくらいの能力はあるのではないかと思う。ただし、本当に完遂できるのかは心配なので、とりあえずは任せてみるけど報告はしてね」

何!?長い?

だったら簡単に

「この仕事を任せるけど、君を信頼した訳じゃないから報告はしてね」

でいいよ。

ともかく、本当は信頼なんかしてないのに「信頼してるから」なんて言う欺瞞を言わないでほしい。

本当は信頼なんかされてないのに「信頼された」と思って張り切っている人がみじめだ。

信頼されていると思っていたら、本当は信頼なんかされてなかったされてなかったとわかった時の精神的なダメージを考えてほしいし、そのような精神的なダメージは本当に不毛だ。

それとも正直に「信頼してないから」なんていうと何か不都合なことでもあるのかな。

2009-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20091120151400

いじめられるのは、強気じゃないからという考えは理解できる。

だが、ちょっと待ってほしい。

相手に暴力を加えたり、殺したりすると、自分は確実にその罪に問われる事になる。

学校なら停学や退学、下手したら普通に逮捕だ。社会人なら人生がそのまま終了しかねない。

しかし、いじめる側が罰される事はない。

それは、いじめる側は巧みに自分が罰されないような手口を使うからだ。

相手に万引きなどの犯罪をさせるようプレッシャーを与えるような古典的ないじめなんてその典型。

この場合、罪を犯すのは万引きをした「被害者」であり、それを誘発させたいじめっ子はお咎めなしだ。

物理的な暴力を振るう場合も、肉体的ではなく精神的なダメージに重点を置くため

(相手に怪我をさせる事に興味はない)

罰する側も「別にこの程度くらい」と甘い対応をしてしまう。

いじめる側は世渡り上手で、システムをいかに自分のために利用するかをある程度把握している。

分かりやすく言うと、いじめる側っていうのは、ヤクザマフィアみたいなもの。

法の中でいかにして存在するか、そういった知識を自然と身につけている。

だから彼らは世にはばかる。周囲を利用する事を躊躇しないからな。

彼らを敵に回すと自分は本当に為す術がない。

暴力に訴えて反撃なんてしたら抹消されるし、そんな事になったら結局は相手が勝った事になってしまう。

2009-11-14

私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い

はてな界隈では女性性に魅力を感じている男女が多いように感じるけど私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い。

封建的なド田舎の家庭に育った私にとって女性性とはいかに笑顔で家に尽くせるか以外の何物でもない。女子力是即ち労働力なのだ。

私の母はずっと私に「女の子はハイニコポンじゃなきゃだめだ」とか「お父さんは立てなきゃだめだ」みたいなことばかり言い続けてきた。

(注:ハイニコポンとは、何かを申し付けられたら「ハイ」=気持ちの良い返事、「ニコ」=笑顔、「ポン」=黙って実行、すること)

それが家庭内における彼女とのコミュニケーションの全てだ。

よくテレビにはおしゃれや菓子類、アイドル恋愛体験なんかの話をしてきゃっきゃうふふする母子が出てくるけど、そんな話をしたことは20数年の人生において一度も無かったし、

物心ついた時点で父と母の間には多分恋愛感情なんか無かった。そんなもの労働現場ではあるだけ邪魔だからだろう。

両親にあるのは家族という組織を維持しようとする規律だけ。母が父を立てろと言うのは慕っているからじゃなくて組織の統制のためだったのだと思う。

こう言ってはなんだけど父と母の関係は頭でっかちで頼りない仕官とそれに仕える鬼軍曹現場を取り仕切る事実上リーダー)によく似ていた。

で、女の私は下士官候補生としてずっと忙しない母を傍で見続けてきた。

存在感の無い父を立てて、兄の尻拭いをし、寝たきりの祖父母に献身的な介護をして・・・怖くて仕方なかった。

あと十年すれば自分の番になってしまうのかと思うと怖くて気持ちがどんどん重くなっていった。

少女時代というのがこの修羅場までの猶予期間だと言うならとても楽しむ気にはなれない。そもそも楽しみ方が分からない。

一切の無駄が無い環境で訓練され続けたせいか思春期を迎える頃にはすっかり女の子女の子したものへの興味がマイナスになっていた。

大人になった現在、母の教育を拒んで一人暮らししているけど女性的なものにはどうしても嫌なプレッシャーしか感じない。魅力や良さがさっぱり分からない。

この分ではどこで何をして暮らしても生きづらいままだと思うけど、どうしたらよいものか。

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