はてなキーワード: プレッシャーとは
試験に受かれそうにない。
でも受からないと親がOTZになるから頑張らないと。
でもその頑張りが続かない。
どうしよう
精一杯勉強してるけど
父親には自分に負けるなよといわれたけど
模試やっても緊張で頭が回らない
親は自分のことをすごく期待していて、
自分はそんなの嫌。でも親に口答えができないから
仕方なく親の仕事を継ぐことにした。口答えができないのは自分が弱いせいだけど、
強くなることもできない。
どうしよう
もう嫌。
簿記なんてやめたいけど
やめらられない。やめちゃいけない。ここで受からないと大学の単位がやばくなる
どうしようとか言ってる暇もないんだけど
どうしようもなかったから愚痴書いてみた。
いつも明日までの勉強以外のことは手に付かず、毎日夜遅くまで勉強。
明日(今日)までにプレゼンテーションを作らなきゃいけないんだが、他の明日までの課題が今やっと終わったばかりだ。
あーもうどうしよう。今から初めても朝までに絶対終わらない。
心臓痛い。
日々の努力で大学に入れるか入れないか左右されると思うと、毎日つらい。
何でこんなプレッシャーに耐えなきゃならないんだ
もう限界。しにたい。
自分弱すぎ。
皆これよりもっとつらいってのに何で自分はこんなので苦しんで弱音吐いてんだろう、と思うと余計しにたくなる。
というか、皆もっとつらいのに耐えて頑張ってることが凄い。
ぼくにはとてもできない。ほんと。
頑張っても報われないし、支えてくれる人もいない。話す人すらいない。
それだけで本当につらくて、生きてるのが嫌になる。
変な男だなー。
増田がその男とどうなりたいのか微妙に分からないというか若干の含みを持たせているので
場合によっては付き合う事も視野に入ってるとしても、こんな男と付き合っても振り回されておしまいだと思う。
ほかの人も書いてたけど、自分の行動によって相手がどんな気持ちになるか分かってないか
分かった上でなおそう言う行動をとってるようにも見えるので、どちらにしてもろくな人間じゃない。
仕事だと、ある期間で一定の成果を求められるのでそういったプレッシャーコントロールによってチームでの成果を出せる人は
仕事ができる面倒見のいい人に見えると思うけど、プライベートでそれをやる相手だと付き合うにはとても大変。
という訳で、逃げてー。
たぶん問題は結婚式のことじゃないんだと思う。
夫婦間でお互いの信条が違ったときに、それをそれぞれがどれだけ受け入れることが出来るのかを争っているという話に見えた。もうすこし具体的に言えば、今後の夫婦生活における主導権争い。だから離婚とかいう話まで出てくる。
増田の立場では、最終的には奥さん(候補)の意見を受け入れて折れるしか解決策はないんだし、これだけトラバがあればそれは増田もわかってるんじゃないかな。ただ、折れるにしても、増田の考えをちゃんと受け入れてくれる姿勢を奥さんが見せてくれないように感じているのが問題。奥さんの立場で言えば、自分と妹とどっちが大切なんだ、というのに関連して義理実家との今後の距離感とかが気になるので、ちょっと意固地になってるようにも見える。
お互いの価値観が違っていて、それで意見の相違が出るのなんてこれから結婚生活をしていく上でいくらでもあるわけで、そのときにそれぞれの価値観を認め合って現実的な解決策を出していけばいいと思う。奥さんの妥協案(赤ちゃんには式だけ外してもらう)というのは無難な選択だと思う。ただ、奥さんは解決案は出していても、増田の価値観を受け入れてはいないのが増田は気に入らないんじゃないかな。
増田は妹さんにうまく話を伝える方法を、上のトラバにあるようなことを含めて奥さんと相談すればいいと思う。話し方次第で妹さんにへんなプレッシャーかけずに伝える方法はあると思う。それには奥さんの協力が必要かもしれない。そして、奥さんも「自分の気持ちを理解してくれない」と言うのではなく、「あなたの考えも理解できるが今回は譲ってほしい」と言ってくれればそんなに揉めることもなかったのかもね。どっちの意見や価値観が正しいではなくて、お互いの気持ちは理解できるけどどちらかが譲らなきゃならないよね、と話し合うようになれば大抵の夫婦間の問題は解決すると思う。自戒を込めて。
http://anond.hatelabo.jp/20091022195513
自分のことは物心ついたときからのことしか覚えてないけど、泣いてると「黙れ」と怒鳴りつけられる。「自分の子供のころ? 泣くのなんか許されなかったよ」だよ。もちろん、赤ん坊のうちに公共の場所に出るなんてこともないし、出たら出たで「空気を読むようにプレッシャーをかけられた」んだろうなと推測される。実は8カ月の赤ん坊でも泣かなないことはあるんだ。サイレントベビーって言ってね。いくら泣いても保護者がやってこないと「自分が泣いても世界が変わらない」と絶望して泣くのを止めてしまうんだよ。泣く子は希望を持ってるってことだね。
それに対して妻の希望を伝えるということは、赤ちゃんは連れてこないでねという暗黙のプレッシャーを掛けることになると思っています。
言い方に気を付ければそんなことないと思うよ。
今5歳の息子と3歳の娘がいるんだけど、自分の子が1歳だったときのことを考えると、シッターの話とか結婚式で座る席を入り口付近にって話とか、率直に言ってくれる方が私はありがたいなぁ。
一般的に1歳の子って「魔の1歳児」と言われていて、自我が強くなって声も力も大きくなってくる一方で言葉はまだあんまり通じないし、でけっこう大騒ぎして周りに迷惑を掛けてしまう時期なんだよね。
だから、「赤ちゃん連れてくね」と伝えたのに事前に赤ちゃんの話が一切でないと、赤ちゃんが騒ぎだしたらどうしよう、と一人悩んでしまうかも。
新郎新婦の方から「式の間シッターさん用意しようと思ってるんだけどどうかな?」とか聞いてくれると、プレッシャー感じるというよりむしろ気を使ってくれてありがたいな、と私なら思うよ。
あと、子供によっては見ず知らずのシッターさんだと人見知りしてしまって全然駄目ってこともあるから、その子が人見知りするかどうか、とかシッターさんに預けるのと式で座る場所を入り口付近にするのとどっちがいいか、とかも聞いてくれると嬉しいかも。
披露宴は親族席は後ろだからこっそり出入りできるけど、式は親族席が前だから新郎新婦に事前に何も言われなかったら「ああ、前に座って途中で泣き叫んでどうしようもなくなったらどうしよう。でも勝手に後ろに座るのも悪いかな。」とか悩んでしまう。
それから、増田は「赤ちゃんが泣いてもずっとそこにいればいい」って思ってるみたいだけど、赤ちゃんが泣くっていうのは理由があって泣いているのであって、ただ機嫌が悪くて泣いているときはその場であやせば泣き止むかもしれないけど、お腹が空いてるとかおしめを替えてほしいとかで泣いているときはその場であやしても泣き止まないし、ご飯を与えたりおしめを替えたりしないと赤ちゃん自身も可哀相なのね。だから、披露宴のときだけでなく式のときも(シッターに預けないのであれば)入り口付近に座らせてもらってこっそり出たりできるようにさせてもらって赤ちゃんに柔軟に対応できるようにさせてもらう方が、母子としてはありがたいと思う。
まあ、人によって思うところは違うと思うし、赤ちゃんによっても違うと思うから、まず妹さんと率直に話してみたらいいよ。
最後に一つだけ、元増田はそういうこと話すと妹さんに失礼と思っているようだけど、話さない方が逆に失礼かもよ。
それに対して妻の希望を伝えるということは、赤ちゃんは連れてこないでねという暗黙のプレッシャーを掛けることになると思っています。
増田の嫁は「明示的」にガキは連れてくんなって言っているの
大事なことだから繰り返します
増田の嫁は「「「明示的」」」にガキは連れてくんなって言っているの
増田が嫁に対して失礼で傲慢
大事なことだから繰り返します
増田が嫁に対して失礼で傲慢
僕には少し前に入籍を済ませた妻がいて、結婚式を計画している。
妹は僕の結婚をとても喜んでくれていて、旦那さんと赤ちゃんと3人で行くからね、式を楽しみにしているよ、と言ってくれた。
これに妻が難色を示している。
ずっと、厳粛で静謐な式を挙げたいという夢があった。
赤ちゃんは突如泣き始めたりするので、それで式の厳粛で静謐な雰囲気が損なわれるのが耐えられない。
なので式の間だけは、ベビーシッターを雇って式場に待機してもらうので、シッターに預けてもらいたい。
もしくは、入り口付近とか、泣いたらすぐに出られる所に座ってもらいたい。
以上を、僕から(僕の)妹に伝えてもらえないだろうか。
もちろん披露宴は、お客様に結婚を披露し我々がおもてなしする場なので、赤ちゃん含めゲスト全員に出席していただいて構わない。
ただ、神の前に誓いをたてる、一生に一度の式は、二人のためのものだと思っている。
だから私のこの希望を反映させてほしい。
(ちなみに妻は、赤ちゃん自体は好きだし、妹の赤ちゃんも可愛がってくれている。)
厳粛な式というコンセプト自体はわかるけど、
ゲストに釘を刺したり注文をつけたりするということはゲストを信用していないということだし、失礼だ。
来てくださったゲストを「あなたは出席OK、あなたは外にいて」と、主催者側が選別するのは傲慢だ。
傲慢な選別をした上で見かけ上「厳粛」な式を挙げて、何になるのか。
挙式中どこに座るか、赤ちゃんが泣いたらどうするかは、あくまでゲストを信頼してゲストに委ねるべきだ。
もし本当に泣いてしまって、(現実的には考えにくいが)妹がそれを放置する様なことがあれば、
当然式場の担当者に外に誘導してもらう。
それでさえも「厳粛な式が損なわれる」と考える様であれば、ついていけない。
二人の式にお祝いに駆けつけてくれているゲストを選別したり注文をつけるような事はできない。
歩み寄りの余地は無い。
(ちなみに僕は 1.二人だけで挙式、2.結婚式をやらない という代替案を出したけど、どちらも却下された。)
ということで話は平行線です。
彼女は、「あなたは自分の価値観を守ることばかり重要視して、私の気持ちを理解しようともしない、希望を叶えるにはどうすれば良いか考えてくれさえしない。」と言って失望している様子。
僕は僕で、彼女の考え方は傲慢で失礼だという思いから逃れられない。
で、対立が対立を呼び、ついには離婚も視野に入ってきてしまっている状況。
小町あたりで書いたら僕が吊るし上げられるネタだと思うんだけど、ここの皆さんはこの対立をどう思われますか。
解決案、お叱り、励まし、なんでも結構です。
ちなみに、妻と僕の実家は、僕たち夫婦にまったく口出しをしてこないでいてくれる。
なので、家どうしの対立という要素は皆無で、あくまで妻と僕の間の対立です。
妹に、妻の希望を伝えるぐらいはしてもいいのではというご意見いただきましたが、
僕としては、お招きしたゲスト(妹)が、夫と子供を連れてくると(好意で)言っている以上、それを歓迎すべきだと考えました。
それに対して妻の希望を伝えるということは、赤ちゃんは連れてこないでねという暗黙のプレッシャーを掛けることになると思っています。
お招きするゲストにそういった「連れてくるなよオーラ」みたいなものを示唆することは、ホスト側として失礼で傲慢だと、どうしても思ってしまいます。
たくさんのTBありがとうございます。
嫁も「自分の価値観を守ることばかり重要視して、夫の気持ちを理解しようともしない」ように見えるのだが。嫁が譲歩しているのはどの点だ。
しかし議論の末、披露宴は譲る、という事になりました。
また、式中は本当は外にいてほしいがそこは譲歩して、泣いたら出て行きやすい席に座ってもらうだけでもいい、
とにかく厳粛な式がやりたくて赤ちゃんが泣いたらぶち壊しになると思っている事を、妹に伝えてほしい、
あとは伝えられた側に任せる、というスタンスです。
で、結局僕が引っかかっているのは、妻が赤ちゃんを少しでもNGと思っていることそのものな気がしてきました。
という僕の考え方が根底にあり、赤ちゃんNGというのが、凄く偏狭な考え方に思えてしまいます。
当然赤ちゃんが嫌いな他のゲストもいるとは思いますが、妹・その子供・夫については、友達とかではなく、僕の家族なんですよね。
だから、すみませんが家族は寛大に受けれてほしい、拒否しないでほしい、という思いがあります。
また、妹夫婦は非常に遠方に住んでおり年に一、ニ度会えるか会えないかで、相当な手間をかけて来てくれるので、こちらからの注文は極力つけたくない、という気持ちもあります。
それが疑問だ。
結婚式には何回も出席しました。
子供や赤ちゃんがいる式も何度もあったし、泣き始めたら必ず母親がすぐ外に連れ出していたし、それで場の空気が悪くなるという場面も見たことがありません。
むしろ、神父さんが誓いの言葉を読んでいる時に赤ちゃんがフギャーとなって、皆がクスクス笑ってほほえましいムードにつつまれる、という様なシチュエーションしか経験したことが無いんですよね。
だから妻から参加NGと言われるまでは、式で赤ちゃんが泣いて眉をひそめるとか、そういう人がホントにいるの?という感じでした。
さらに多くのTBありがとうございます。
シッターに預けるよう妹に伝えても妹は失礼と思わないのでは?というご指摘をいくつかいただいてますが、その通りです。
妹は無理に赤ちゃんを連れてこようとしているわけではなく、僕が断ったり、式の時は外にいてと頼んだ場合は、その通りにしてくれます。
単純に、遠方で泊まりの旅になるので、置いていきにくいという理由と、兄である僕に赤ちゃんを見せたいという理由で、一緒に行くと言ってきた様です。
なお、僕自身にもし赤ちゃんがいたら、止むを得ない理由が無い限り、人の式には連れて行かないと思います。自分も大変ですしね。
この件は、妻が式への赤ちゃん参加をNGと考えている事自体を僕が認めることができない、という話だという気がします。
僕はこの件だけに限定すれば、譲歩はしていません。
彼女の譲歩案は根底が「赤ちゃんはNG。厳粛じゃなくなる。」というこだわりに貫かれており、いっぽう僕は、妻のその考え自体に引っかかっているので、譲歩の余地がないんです。
かなりどうしたらいいのかわかりません。
この先、子供が生まれて、赤ん坊が泣くたびに「なんで、こんなにギャーギャー泣くのよ」ってヒステリー起こすの目に見えてるもの。暗い家庭になりそうだ。
僕も同じことを妻に指摘したんですが、赤ちゃんそのものが嫌なわけではないとのこと。
あくまでも、厳粛な式という夢があり、その理想を叶えたいがために大人だけで式を行いたいとのことです。
僕は、夢見た一生に一度の式だからといって、自分の家族を、例え赤ちゃんでも、入場お断り扱いにする/もしくは泣いたらいなくなってとあらかじめ釘を刺す、ということができません。(泣いたら/泣きそうになったら出て行くのは当然だとは思います)
厳粛な式が夢だったことはわかるし、だからそれなりの会場を見つけた。
だからといって、家族(の一部)の出席を断るのはやりすぎなんじゃないかと思うんです。
家族を一部締め出してまで行う「厳粛な式」がナンボのもんじゃい!と思ってしまいます。
ちなみに今回、僕の妹の赤ちゃんの話なので僕の家族びいきに見えるかもしれませんが、彼女側の家族の赤ちゃんが相手でも、僕は全く同じように感じ反応します。
これまでに書いてきた話は、ほぼ全て妻には伝えました。
でも結局「なぜ私の夢を無視するの、ゲストのことばっかり言うの。」という話になってしまいます。
夢を無視してるんではなく、夢を実現するには、家族を式から締め出すという(僕にとっては)傲慢な事をやらないといけなくて、それがどうしてもできないんですが、話はまったくまとまりません。
「神の前」「厳粛」ってんなら普段の信仰心はどうなの? 日曜に教会行ってるとか、そういうところまで含めてつっこんでみたら?
これがまさに僕がとらわれている考え方だと思います。
子供閉め出し=悪。で、この悪を行いながら、神に誓いをたてるとか、はりぼての誓いじゃんか。そんなうそ臭い茶番絶対できるかー。。てな風に考えています。(ちなみに二人とも特定の信仰はありません)
自分の善悪基準を人に押し付けようとしている(正確に言えば、自分の善悪基準のために、人の要望を聞き入れられない)わけだから、僕の方が傲慢じゃないかというご意見は、確かにごもっともだと思います。
ただ僕がこの様な善悪基準を持っている事自体は、しかたないというか、自分ではどうしようもありません。
問題は、妻が、僕の善悪基準でみたら悪に属することを切望している。この時僕は妻の願いをかなえてあげらるのか、という事ですね。
それが今の僕にはできていません。
それを叶えてあげるのが、愛なんでしょうか。
なんだかよくわからなくなってきました。
たくさんのTB、コメントにびっくりしてます。ありがとうございます。
一点補足です。
上で、神が。。とか地獄が。。とかという話を書いたので、少し誤解を招いた部分があるかもなんですが、
僕自身は、神とか地獄とかいうことを考えているわけではないし、宗教的な素養や意識は、全くないです。
式はキリスト教式でも神前式でも人前式でもなんでもいい、とにかく真剣にこれから一生一緒にいるために宣誓するわけです。
その場を嘘くさいものにしたくないという気持ちが強いんだと思います。
(あくまで僕の価値感ですが、)「子供締め出し=悪いこと」であって、そういう悪いことを裏でやりながら、真面目な顔して「誓います」とか言うのがどうしても、嘘くせー、ウケるわその茶番、あほか、という風に感じられてしまう。
映画「アンタッチャブル」に、デ・ニーロ演じるアル・カポネが、人を暗殺しながら、同時にオペラを感動して泣きながら観てる場面があるんだけど、それと同じような「なんだそれ感」というか。。
そういう「嘘くさい」事を「厳粛」と認識し積極的に望む妻に、がっかりしてしまっていました。期待と現実のギャップへの失望。
客観的には、潔癖すぎ、頑なすぎだし、自分の価値観を妻に押し付けるな、というご意見も、ごもっともだと思います。
ただ、こういう式を「嘘くせー」と感る自分の価値観自体は、これまでの人生で身についてしまっているもので、どうにもならない。
要は
・「嘘くせー茶番」とどこかで感じながらも、「でも妻が幸せならいいや」と思って妻の譲歩案を飲めるかどうか
・かつ、自分が「嘘くせー茶番」と感じるものを「厳粛で静謐」と感じる価値観の妻を、僕が受け入れられるかどうか
だと思います。
失礼かなあ。
【ブログ主】→「女性ってあまり性欲や性癖について思考・表現しているようには見えません」(性(中略)現すると女にしては特殊なコトをする特殊な女扱いされるから黙以下略)
【ブログ主】→「性欲や性癖について考えるのもイヤというのがよく分かりません」(ブログ主にとっては女は通常性(略)イヤなようだから女と信じさせるにはそう振舞わなければ以下略)
要するにこういう質問が出てくる裏に、そういう状況を当然の前提と看做す「規範意識」があるのではないか?あるいは、そういう「規範意識」を聞き手側に邪推させるような要素があるのでは?という危惧を端的に示しただけだと思うんだけど…。
親しい親戚が口にする「オタクの娘さん、今度小学生になられたんだってねえ。おめでとう」と、オドシに来たヤクザが口にする「オタクの娘さん、今度小学生になられたんだってねえ。おめでとう」は、全く同じ言葉だけれども、その含意は全く変わってくるよね?
で、現実世界に後者のような抑圧が横溢しているとき、親しい関係性(より今までの文脈に則って話すなら、酒の席で個人的に話せるような関係と言い換えてもいい)抜きにこうした言葉が口にされて、その言葉を額面どおり親切な言葉として受け止められる女性がどれほど存在するか、ということについて想像力を働かせたほうが良いんじゃないかな。元増田が質問した内容について、元増田が悪意と受け取れるような反応を返さざるを得ないようなプレッシャーが、女性達の背後にあるのだ、と考えてごらんよ。そうやって考えてみたら、むしろ元増田の悪意に対する反応は過敏ではないかと思うよ。
元増田が行った質問は、上に挙げたような状況以外にも色々とセンシティヴな問題を含んでいると思うけど、まずはそこから考えてアプローチしてみてはどうか。
30代女。
>1 相手のどこを好きになったの?
>2 相手の嫌なところは何?
>3 それを上回る魅力ってどんなところ?
>5 結婚した決め手は何?
>6 元々結婚願望があった?
>9 結婚して後悔してない?
>10 結婚できるならした方がいいって人に勧める?
1 相手のどこを好きになったの?
→ 自由奔放で、いつも新鮮さをくれるところ。次になにが来るのかが全くわからないところ
2 相手の嫌なところは何?
→ 長所は短所で、なにかわからない理由ですぐ拗ねられてしまうところ。あまりにも奔放なので、なにが原因でどこを謝ればいいかがつかみづらい。
3 それを上回る魅力ってどんなところ?
→ いたずら好きなのだけど、持っている大元のところはとても純粋で、それは見る人が見ればきらきらしている。まあ、パックみたいな
人と言えばわかる人はわかるかも。
→ 正直自分はあんまり自信がない。気に入って住み着いてくれるように、なんとか努力したい。
5 結婚した決め手は何?
→ 家族を安心させるため。相手方、当方側、お互い不安を抱えていた。
6 元々結婚願望があった?
→ 願望はないけれど、ずっと一緒にいたい人ができた。それだけ。
→ 法的な契約で、社会的に責任を伴う。また、子供を作って家族を形成することが期待されているので、そういうプレッシャーも背負うことになる。
→ 案外上手くいくというところ。事前に恐れを共有してその問題解決にどれだけお互い尽くせたかに係る。とにかく勢いでせずに、事前に問題を解消しておくことが先決。
9 結婚して後悔してない?
→ 全く。
10 結婚できるならした方がいいって人に勧める?
→ 結婚というか、生活をともにすることは、文明の衝突なので、それは覚悟しておいた方がいい。男と女だけでも違うのに家庭環境がみんなちがう。それを合わせてみて、一つの生活を作るのは、とても難事業。それをどうやって、お互い和解して、お互いが気持ちのいい関係を作れるか。その為にたくさんの歩み寄りが必要で、自分はもちろん譲るし、相手にも譲ってもらわなくてはならないところがあるかもしれない。でも、それができると、突然に自分の生活が2倍、もしくは3倍、4倍になる。結局のところ、結婚って上手くいけば倍々ゲームになる、ものだと思う。だから、自分の1倍とか、それを1.1倍にするとか、そういうさもしい思想は捨てて、お相手を全面的に自分の人生の受け入れて、お互いを豊かにしていけばと思う。それができないなら、結婚も恋愛も意味ないなあ。
朝少なめの食事をしてから飲まず食わず。
食べてお腹が膨らんだり消化が始まっておならが出たりそれをがまんしたりというルーチンがめんどくさくなり。
めんどくさいルーチンはほかにも洗い物とか洗濯とか風呂とかあるけど。
年に数回こういうときがあって、将来になんの希望もなくなるんだけど体のどこかを切ったりする勇気はなく、
いま気づいたけどすこし視界がへんな色になっている。脱水症状だ。
結婚は仕合せそうだけど結局妥協の要なきがして、出産は考えなくてもわかるぐらい不幸の再生産で、
加齢はあまり害はなさそうだけど見た目が変わって行くのはやはりそれなり気がめいることなんだろうなと考える。
そして仕事のプレッシャーを抱えながら消費が美徳だと信じることもできずあるかわからない老後のために蓄えを少しでも
とか考えているとなにを目指して生きて行けばいいのかわからないんです。
このとき相手がどうすれば満足なのか?
俺はこれは良くない文化だと思っていたが
「次はこうならないようにします」というニュアンスが含まれるから
例えば誰かが作業をしていて困っているような素振りをしていたとする。
自分は相手が何故困っているか予想が付いていて、ほっておいても良かったけれど
なんとなくじれったくなった。それでその時たまたま暇だったから結局手伝う事にした。
作業が終わった後、相手からは儀礼的かどうかは知らんが「ありがとう」とかなんとか言われて感謝された。
適当に返事をしたけれど、この時点で結構居心地が悪くなっていた。
自分が勝手にじれったくなって、頼まれてもいないのに自ら暇潰し程度に手伝ったというだけで、感謝される云われないじゃんと。
他にやる事があったら、間違えなく放置するだろうし、暇が潰せれば携帯いじるなりなんなり何でも良かったわけで。
しかももっと嫌なのは、こういうことが続くと「優しい」だの「いい奴」だのと評価され、
本当はどうでもいいと思ってる周囲の出来事を、思い通りに無視した場合、異常に文句を言われたり、裏切られた的な事を言われるようになる。
http://anond.hatelabo.jp/20091001004419
前回のあらすじ。
長年の妄想生活の弊害で、
ホロの尻尾を思い浮かべながら激しくシゴキ続けないと
射精できない身体になっていた。
勃たない、入らない、出せない、の三重苦に見舞われつつ
苦難の新婚生活のはじまり、はじまり、
3年ほど前にはてなダイアリーをやっていたが、
どんなにウケに走っても20ブクマがやっとだったのに。
他人に見られる快感を初めて知ったよ!
味を占めて、続きを書くことにした。
といっても大したネタがあるわけじゃないので、
膣内射精障害→ http://r25.jp/b/honshi/a/link_review_details/id/110000004411 / http://www.westcl.com/sexbbs/ssfaqfukan.html 2009/10/01
もしかしたらこんな変な症状は俺ひとりかと思っていたけど、
結構あるみたいなのでほっとしたよ。
でも、原因はAVというのはちょっと違う。
前にも書いたけど、俺の場合は原因はホロだ。
ホロのふさふの尻尾とぴょこぴょこ動く耳がイケナイんだ。
い、いけないよ、ホロさん、あなたにはロレンスさんという恋人が……
ああ、ダメです、耳元で「わっちはぬしの狼人形でありんす」なんて囁いちゃ!
んな余計なもん買わんでw、布団の中で服着たままでもいいから、軽く優しく抱き合って、まったりと戯れてみたらどう?そのあとは沸き起こる快楽に身を任せるがよろし。
「3つの関門」から外れるから書かなかったけど、
その手の軽いスキンシップはかなり実行していますです。
ていうか、滅多に挿入可能な状態にならないから、
毎晩ヨメさんと二人で抱き合って触りっこをして
結婚に恋愛感情は必ずしも必要でないが、こういうのを読むと溜め息が出る。裸の状態ってすごく怖いのに。男性は挿入に拘りがちだけど、その前に相手を思いやってほしい。この文章だとそれが見えない。
おお、あんたは俺のヨメか?
前回のエントリーは「3つの関門」に絞って書いたので、
相手への思いやりのことをすっ飛ばしているけれど、
決して蔑ろにはしていませんよ!
耳の痛い指摘です。
ヨメさんを喜ばせようと、スローセックス実践入門を買ってきて、
いろいろと試しているのだけれど、触り方がへたくそなのか、
全然感じてくれません。
アダム徳永先生の境地に達するには、あと五十六億七千万年くらいかかりそう。
アナルに関心がある(そして嫁も嫌がっていない)ようだから、
アナルセックスは事前準備が大変らしいのでちゃんと嫁と話し合った上で。
アナルの方が膣よりしまるとよく聞くし…。
そんなことを夢想している39歳(先日誕生日を迎えました)の秋。
ところで増田に聞きたいんだが、
いや、そんなこと俺に聞かれても。
たぶんその頃は童貞だったと思うけど、
今はどうだか……。
ちなみに俺の脳内では、
フルールは貫通済みだけどエーブの穴は塞がっている。
支離滅裂でごめん。
マジレスしとくと妄想が遥かに現実を上回ってしまってる。方法は1つ。まず自分が入れて貰うしかない。妻にペニバンをつけ後ろへ入れて貰え。ローションなしで大丈夫になったころ愛妻に尻尾が生えてる様に見えるはず
これ、半分本気で実行しようと思った……。
やっぱり激しく拘束にやらないとダメっぽいので
いろいろ工夫してみました。
その成果があったのか、単純に慣れのおかげなのか、
体位は正常位でした。
いやー、一時はどうなることかと思った。
長い場合10年以上治らないこともあり焦りは禁物です。
こんなのを読んだ後だったので、
本当にEDになったらどうしようと心配したけれど、
ヨメさんが締め付けを勉強してくれたおかげで、
次第に膣内でも感じるようになり、
それなりに腰を動かしているうちに果てました。
局部の感覚だけなら特に気持ちよかったということはないけれど
やっぱり生身の女性とふれあうというのはいいものです。
何か文章読みにくくて全体的に言ってることが良く分からないんだけど、
要は
なんだよね?
でも、そういう「努力には敬意が払われるべき」という願望はメリトクラシーの考え方と同一視できるもんなのかなあ。
メリトクラシーを重視するのなら、別に努力しようがしまいが、業績上げてればそれでいいんじゃないの。
(努力することそれ自体を「業績」と看做すなら話はまた違ってくるけどさあ)
ちょっと意地悪な見方をすると、それって元増田自身が
にあてはまることになっちゃうのではないかしら。
あとこれ、
ただ、当然、人間関係から受けた打撃により精神状態が悪化し何をする気力も湧かないという状態はあると思うし、そういうときは静養するべきだししてる人に対してノーと言うつもりもないよ。ただ、そこに留まり続けるor回復しようという意思を一切見せない、というのはおかしいと思う。
前段と後段が噛み合ってないような気がするよ。
「静養している」状態と「そこに留まり続けるor回復しようという意思を一切見せない」状態とをどうやって区別するの。
元増田が考える「十分な静養期間」を過ぎたらさっさと回復しようとする意思を見せろってことかしら・・・。
それって、ノーって言ってるのとあんまり変わらないような気がするなあ。
うつ病の実態は良く知らないけど、そういう「早く良くなってね」プレッシャーって、人を追い詰めてしまうのでは。
元増田に限らないけど、「努力する人間が報われるべき」って考え方、どうも引っかかってしまうんだよなー。
「努力なんか好きじゃなくたって頑張らなくちゃ生きていけない」という現状を道徳に置き換えることで
「努力しない人間は報われなくて当然」みたいに言い換えてるようで、なんか聞いてて落ち着かない。
自分が努力しなければならなかったことの恨みを、努力しない人間で晴らしているように思えてしまうのよね。
他者にそういう現状を受け入れさせることを「正しいことなのだ」と思い込もうとしているというか。
自分が努力好きだってんなら努力すりゃいいと思うし、努力なんかしたくねえよってんならやめちまえばいいのではないですか。
どっちでも生きていけるような社会を目指す方がよっぽど住み良い社会になるのではないかしら・・・。
仮にそういう社会が実現不可能で、個々の人間には現状を追認するしか道がないのだとしても、
それを「正しいこと」「あるべき姿」であるかのように言うのは欺瞞だと思うよ。
やあ。君と似たような経歴の先輩にあたる男だ。
俺の場合は、院で成果を出すのに時間がかかって、いつまでも就職しない息子に腹を立てた親が
経済的な支援を打ち切り、精神的にも追い詰めてくるようになった。
そんな親に反発して、生活費と学費は自弁しようとしたが、そうするとバイトばかりに追われて
学費は払っているのに、全く勉強できない日々を過ごすことになってしまった。
バイト代なんてたかが知れてるし、その中から学費も書籍代も出すという貧困生活と
親からのプレッシャーによって、陰鬱な毎日を送っていた。
ある年、そういう生活に耐え切れなくなって退学を決意した。
今は派遣社員だが、自分の生活費は自分で賄えるし、学費という巨大な出費がない分、生活はずいぶん余裕ができた。
アカポスなんて当然諦めているけれど、いまだに本を読むことは好きで、専門書から雑誌まで幅広く読んでいる。
こないだ院生時代の先輩に「復学する気はないのか。せっかく博士課程に進んだのに勿体無い」と言われたが、
「ここまで来たのだから勿体無い」とか「可能性がゼロじゃない限り夢を諦めるな」というのは簡単だが、
埋没費用はいずれにしても戻ってこないのだし、あまりに見込みのない夢に賭けて、費用をつぎ込むことはないと思う。
費用には毎年の学費に加え、働いていれば得られたはずの所得や職歴も考えるべきだ(機会費用)。
これらを考えてみたとき、俺にとって在学し続ける理由はほぼなくなった。
しかしひそかに、いつか学費や生活費の心配がなくなれば、大学院に社会人入学したいという考えももっている。
まずは奨学金の返済が先決だけどね。
ゲハで注目を浴びた製品やサービスに面白おかしいレッテル貼ったりするのが芸風の個人ブログとしてはこの二つはそれなりに知名度もありアクセス数も結構あるように思われるのだが、最近この二人、ゲーム業界人と会ったりして少々舞い上がり気味なのが気になる。
オレ的のjinはジャレコの社長とのなれ合いから始まり、その伝手で業界人のコネを広げ始めた印象があるし、その後コナミの小島秀夫の名刺貰って大喜び。はちまの管理人も(jinとおそらく同じイベントで)小島秀夫、カプコンの稲船敬二、大黒健二と会ってたりしてる。
本人的には有名人と出会えてハッピーなんだろうけど、今後会った人達の作品に対して毒を吐けるんかね。そもそもああいう業界人からのコンタクトってのは「お前んとこのブログはチェック入れてるからな?妙な事書いたらもう会ってやらねーぞ?」的なプレッシャーの意味合いも多分に含んでる事、理解してるんだろうか。
業界人達からしてみればあの手合いを黙らせるコストってすんげー低いよね。ちょろっと会って笑顔で話して(オフレコなんかもサービスで混ぜたりしつつ)、写真を撮らせたり名刺なり非売品の販促品なりを一つ二つくれてやればいいんだから。しかも相手は有名ブロガーとはいえ素人も同然。「こんな素人に会ってくれるなんて何て気さくでいい人なんだ!」と普通は舞い上がっちゃうよね。大規模なゲーム開発の陣頭指揮やってる海千山千の人からしてみれば、そんな奴らを取り込むなんて赤子の手を捻るようなもんだ。
とりあえず今現在この二人が共通してバカにしているのがスクエニの和田社長(最近はローマ字表記の頭文字を取って「WD」なんて蔑称で呼ばれてる)なんだけど(実際ゲームソフトメーカーの社長としては無能もいいところだと思うけど)、これもやっぱり終始和やかな雰囲気で会話したりなんかしたら沈静化するんじゃないかな。
この二人(もしくは他の似たような芸風のブログ)にムカついてる業界の中の人は、とりあえずテキトーにリップサービスでも送っとけば黙ると思いますよー。下手にいがみ合うと逆効果ですよー。某ジャンルでアンチサイト運営していたら、ある日某イベントで中の人から「いつも面白く読ませて貰ってますー」と直接言われて萎縮して更新意欲が激減した俺が言うんだから間違いありませんよー。
どのチームもディフェンスを強化している為か、オフェンスが苦しんでいる。その中で、なんとかディフェンスをコントロールしようとすると、オフェンスチームがワイルドキャットフォーメーションを多用するという展開になる。しかも、ランニングバックが、受け取ったボールを、クオーターバックの代わりにワイドレシーバーにパスを投げるという展開を混ぜると、かなり効果がある。
ディフェンスは、ショットガンフォーメーションの対策であるブリッツパターンを取ると、パスターゲットのマークがゆるくなってしまい、ロングパスを通されやすくなる。
それを防ぐ為に、クオーターバックとランニングバックの両方にブリッツをかけるというパターンと、パスターゲットへのマークをきつくするという展開があるが、このどちらも、今度はミドルレンジへのランニングプレイを防げなくなる。
敵のディフェンスチームが強く、オフェンスのラインだけではクオーターバックを守りきれないならば、オフェンスラインの人数を減らして、その分を攻撃に回す事で、結果的に、ディフェンスチームのプレッシャーを無力化するという発想である。
何をしてくるかわからないオフェンスを押さえ込まなければならないというディフェンスチームのプレッシャーは、意外と大きい。そこで、ディフェンスチームは、オフェンスの攻撃パターンを限定する為に、ブリッツを弱くしてパスターゲットを潰し、オーソドックスなランプレイに誘導して時間をコントロール。攻撃回数が増えて集中力が切れてきた隙を見てブリッツというパターンになる。
もちろん、敵のオフェンスがワイルドキャットから予想外のパスというトリックプレイをやれないということがわかっているならば、早々に潰して攻撃権を奪い、味方のオフェンスチームに自由にやらせるという展開もありえる。
バリエーションを多く持った方が有利になるのがフットボールの特徴である。どんなプランでも、選択肢を持っておくと、戦力が近い状態であればあるほど、有効に使う局面が生まれてくるのであった。
[2009.9.24] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html
「Aを選ぶとさ、凄い冷たい視線で見られたり悪口言われたり無言のプレッシャーかけられたりして、実質的にもうA選べないよな。この国はAを選ぶ自由がないよ」
「いや、Aを選ぶのは自由だよ。別にAを選んだからって逮捕されるわけじゃないでしょ。ただAを選んだら、陰口叩かれたり、『そういう目』で見られたりするってだけ。選ぶ自由はあるよ」
「なんでAを選んだらそんな目にあわなきゃならないんだ」
「だってAを選んだらそうなるってことは分かってるんだから、色んな目にあっても、それはAを選んだ人の自己責任だよ。自由は責任とワンセットだよ。Aを選びたい、でも責任は負いたくないなんて我侭だよ」
っていう論調をたまに見かける。
でもこれって要は「Aを選ぶのは自由。ただAを選んだら差別されるだけだよ」って言ってるにも等しく、更に「それを選んだら差別される」状況は自由とは言わないのではないか?(自由に関して色んな定義があるだろうが、少なくともこうした文脈上の「自由」では)「逮捕されなければ自由」ってわけじゃないだろう。
それと後半なんだが、「Aを選んだら差別される状況をわかっていて、Aを選ぶんだからその人は差別されてもしかたないし、差別されることはその人の自己責任、その責任を負うべき」という主張を(そこまで露骨に言わず↑のように言うが要はそういうことだろう)する人がいる。それは「Aを選んだら差別される状況」がおかしいのであって、それがもう社会に広まってるからといってそっちが正義になるわけじゃないのに何故こんな理屈が出てくるのか?
Aには例えば「同性愛者のカミングアウト」や「デブ」をいれると分かりやすい。
「僕ホモですってカミングアウトするのは自由だよ。ただ「おいおい俺を襲うなよwww」とか「きめえ」とか差別されるだけで。でもカミングアウトしたら今の日本ではそうなるってことは分かってるんだから、それは自己責任でしょ。それを分かっててカミングアウトしておいて、「きめえとか言うな」なんてのは我侭でしょ」
残念な事に普通にこういうこと言う奴がいるんだよなあ
マジョリティの傲慢さはすげえぜ
ちょっとつっついてみれば「おかしいだろ」っていう論調だが、その割にえらく広まっている。
追記
こんなにブクマされるとは思ってなかったから、後悔してる。
もっとちゃんと書けばよかった。正直ある程度ざっくばらんに思った事を書いただけだから、あんまり親切で丁寧な文章じゃないんだよな、指摘してる人もいるけど、自由や差別の定義とか、めんどいから省いてしまったし。ニュアンスを分かってくれる人が少しでもいればいいくらいの気持ちで書いたのに結構トラバとかついたな。皆なんだかんだいってこういう話題気になってるってことか。
http://anond.hatelabo.jp/20090923003429
なら、アフリカ諸国を国際社会のお荷物としてではなく、対等な一員として迎えるためにどうしたらよいのかを考えればいい。
人権を蹂躙するような土着文化を野蛮だと思うのは仕方ないが、それはいわゆる「先進国」的発想なわけよ。実際の彼らの生活、情勢だけ見ても、人権蹂躙レベルなんだぜ?先進国的視点に立てば。
でもその元凶は、先進国を初めとする諸外国なんだな。彼らをお荷物にしたのは、彼らから搾取したがった連中。それによって恩恵を得た連中。そして、お荷物となった今でも改善に向けて真剣に努力するどころか、いかにして都合のいいコマとして使えるか、利権を確保できるか…、そういった都合のいい介入が続いている。「上から目線のカワイソウ」もその一味なのかもしれない。
閉鎖的な情報がゆえに、女性も当たり前のように切除を繰り返す。
周囲のピアプレッシャーによる圧力、「仕方ない」がゆえに切除せざる得ない状況。
オープンに情報をえられる社会、国際社会からのプレッシャーに応じられる社会を自力で支えられるようにならなければならない。特に不安定な政情の国々にあっては、その実現はものすごく困難だ。都合のいい介入によってカオスと化した状況を、なかったことにはできないんだから。
まずあり得ない話だが、先進国にも割礼の風習が残っていたとして、
こういった切除というのは外科医が手術室でするのではなく、外でカッターナイフの刃を少し大きくしたような消毒なし剃刀で不衛生の状態で素人、もしくは地元の医師が麻酔なしでザクッとエグり取る。
このような施術がまずあり得ないことを考えて欲しい。割礼は綺麗な環境で、ってことじゃないよ。人体に刃物を入れる感覚、その後の影響に対する感覚が全く違う。その感覚の源泉は何か?その上で、「カワイソウ」の感覚は何を基盤としているのか?
それはよくわかるし、そうあるべきだだろう。だからこそ、割礼1つだけを見て蛮族扱いして、その改善を押しつけるだけではいけない。先進国の人権意識に則って、それが解決されればご満悦ってんじゃ、それも蛮行だ。
国際社会における安定、自立、自律こそが根本的な問題の解決となり得ると思うよ。中東イスラム社会も、まだまだ相当な問題は抱えているとはいえ、女性差別が改善されているところもある。いや、本当に相当な問題は抱えてるから、多少よくなったって聞いたくらいで安心はしないで欲しいんだが。
まぁ、こういう考えも先進国的発想ではあるんだけど。でも、もう引き返せないところまで来ちゃったんだから。ともすればこの問題の解決には、我々の富を諦めるという選択肢も含まれる。第三世界からの搾取を止めるっていうね。
数ヶ月前、部下のAの行動や発言に違和感を感じるようになった。
Aの勤怠は元々よい方で、とくに遅刻をしたりなどの行動に問題はなかった。仕事ぶりはまじめで、要領の悪いところはあったが思いやりのある仕事をするので、社内でも信頼されていた。
仕事は過酷とはほど遠く、多少残業はあるが土日もきっちり休めるし、日々プレッシャーに追われるような仕事は与えていない。もちろん仕事なので多少はあるだろうが…。
ある日、珍しく体調不良で休むと連絡が入った。違和感を感じていた私は、休んでもいいから必ず病院に行くよう伝えた。
今日行けないなら明日でもいい、とにかく病院で診てもらえるまで会社にはくるな、と。
要領が悪く気分転換が苦手なタイプだったので、とにかく気分転換してほしいと考えていた。そのため、必要最低限の事以外でこちらから連絡はしないようにしていた。連絡する場合も携帯メールのやりとりのみだ。
最近は時々仲がいい人と飲みに行ったりしていると聞いて安心していた。当初より数ヶ月休んだら復職できるだろうという事だったので、そろそろ復職できるのではと質問メールを出したが連絡がない。
会社からは最初からフル稼働じゃなくていいという事なのでそれも伝えたし、体調によって無理なら無理でもいいし
とにかく返事をしてほしいんだが、どうしたらいいんだ。
前にもこんなことがあった。
休みに入ってから、一度話がしたいというので、私がAの家の近くまで出向いて話をする約束をした。そのときは休み始めて10日くらいしか経っておらず、今後の休み方についても決めなくてはならなかった。
当日になって、人と会わないといけなくなったから来週に延期してくれと…。いや、ちょっと待てよ、そりゃ違うだろ、先に入った約束を優先しろよ、と思ったが病人相手に何も言えなかった。どうしても仕方ない理由があるということだったので了承した。
翌週になっても連絡はなかった。元々自分から会って話がしたいと言ってきたので、会いたくないのに無理やりというわけではない。結局今に至るまで、これについての連絡は一度も無い。
今回だって、休み始めの頃に10月から復帰できるかもしれないと言っていたから聞いているだけなんだ。こっちが無理に出社しろなんていってる訳じゃない。確認しないで勝手に決めるわけには行かないんだ。休んだからって戻りづらい事は何もない、戻ってくる場もあるし、いきなり100%での稼動なんてさせないし、少しずつでも戻ってこれるなら協力するから、心配するなと伝えたいだけなんだ。
でもまぁこれも病気なんだからしょうがないんだろう。こんな状態で10月から復帰できるわけないよな。
しつこく督促すると嫌だろうから、もう少し待ってみるが…そもそも来月の状況の連絡が必要なことぐらい、社会人なんだから聞かれなくてもわかるだろ?
心配してるんだからたまには連絡してほしい。