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はてなキーワード: エントリーとは

2009-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20090916195829

女性って大変だと思う。

結婚できずに売れ残った時の悲惨さが、たぶん男性のそれより深い。

もちろん、異性に相手にされなくなるのは辛い。

女性は基本が待ち、受け、誘われる側だから、自分から動く側の男性に比べるとオファーが来なくなる深刻さが段違い。

同性の友達がみんな結婚してしまうと、一緒に遊ぶ同性もいなくなるじゃん。

馴れ合うためにサークル活動に参加する層っているよね。

テニスが好きなんじゃなくて、テニスを通じて友達を作りたい、彼氏を作りたい的なやつ。

男性だと、テニスが好きならテニス将棋が好きなら将棋筋トレ趣味なら筋トレ趣味そのものに没頭できる人が多いように思う。

没頭できる場合、馴れ合う相手がいなくなってしまっても、それほど問題はないけど、馴れ合いそのものを目的にしてた人たちって大変だと思う。

そもそも女同士に友情ってあるのかな?

男同士の友情は間違いなくある。

男と女の友情はかなり難しい。

女同士の友情は、どうなんだろうね?

ないことはないだろうけど、男同士のそれとはたぶん違うんだろうね。

男性モテなくたって、仕事で成功すればそれなりに社会的な評価を得られるじゃん。

女性だと、比較の問題だけど男性よりは社会で成功することが難しいし、たとえ成功したって「それでも女性としては幸せではない」って言われたら言い返せない。

若い女性を黙らせる言葉は「ブスのくせに」

20代以降の未婚女性を黙らせる言葉は「あなたは女性としては幸せじゃない」

社会的に成功しにくいって言ったけど、今派遣とかだと大変だよ。

女性のほうが派遣が多いしね。

本人に責任がないとは言い切れないけど、社会構造的な問題もあるし自業自得って言っちゃうのは可哀想だ。

長く勤めたところで昇給もなく、辞めちゃうと昇給どころか求人もなくなるわけで。

極端な話、幸せ結婚生活っていうヴィジョンと、無職っていうヴィジョンの二つしか頭に浮かばないと思うんだな。

未経産だと婦人病のリスクも高まるしね。

女性だと更年期もあるしね。

肩こりとか腰痛とかは男女ともにあるけどさ、閉経後に骨粗鬆症で骨が脆くなってすぐポッキリとか不安だよ。

派遣だと貯蓄の額も少ないだろうし、年金の積み立ても少ないだろうし。

大丈夫かな年金記録

というか派遣のまま60歳まで働けないし、正社員への道も絶望的。

最初のエントリーのとおりに、半額弁当第三のビール(あるいは98円の特売の缶カクテル)、あるいは安い安いスーパー大袋緑茶、6畳のワンルーム、車も持てず、クレジットカードも作れず、1000円調髪、そんな未来ってけっこう恐怖じゃない?

だから、男性はすこしくらい騙されてやるべきなのだよ。

労働規制が、どうして議論の余地がないほど絶対正義に?

http://anond.hatelabo.jp/20090920175209

自民党民主党格差を拡大させるような労働規制公約としていた」

を書いた増田です。上記のエントリーは、

格差を拡大させるこの種の労働規制が、どうして議論の余地がないほど絶対正義になってしまったのだろう?」

と思い書きました(わかり難かったですね)。

直接返ってきた、意見トラバ)は以下の一件です。

http://anond.hatelabo.jp/20090920175209

机上の空論はいいから取りあえずやってみろよ。

ああすればこうなる、こうすればああなる、って色々言うけどそれ100%なのか?世の中に100%なんか滅多にないだろ?

たしかに、この種の労働規制は、格差を拡大させる可能性が高いとしか言えない。むしろ五分五分でもいい。私が疑問に思って、みなさんにお聞きしたいのは、「格差を拡大させる可能性が高い労働規制が、なぜ議論の余地がないほど絶対正義になってしまったのだろう?」です。何かご意見ありましたら、お聞かせください。

本題から逸れますが、下記のエントリーを書いた増田

http://anond.hatelabo.jp/20090920182109

ああだめだわこの国。

結局何一つやらずにできずに全滅。

どうせ絶滅ならせめて何かやって終わりたかったな。

そんな、世紀末思想に陥らないでください。日本がこの方向で進んでも、おそらく壊滅的になることは、おそらくないでしょう。私が考える悪いシナリオでも、以下のようなものです。

失業率10%前後に達するが、失業者生活保護で最低限の暮らしができる。

生活保護にかかる経費のため、重税を課される。

失業者は、最低限の暮らしかできないこと、労働の機会が少ないことに不満をもつ。

失業者以外のものは、失業者を養うための重税に不満をもつ。

こんな閉塞感漂う格差社会ですが、おそらく、絶滅するほどのことはありません。人によっては、上記の社会のほうが、幸せかもしれません。

ただ、あなたのように世紀末思想に陥る人が増え、「"何か"やらなくてはならない」と思い、その"何か"が暴力的なもの(戦争テロ)だった時、日本が壊滅的状況になる可能性が高くなります。だから、世紀末思想に陥らないでください。

パイスラっていうフェチズムが、自意識過剰被害妄想をやめさせない。

最近、物凄く神経質になって、病み気味で引きこもりを克服したいので、増田エントリー

文章下手なので、分かり難かったらごめんなさい。引きこもりのせいです。

心の持ちようが分からなくなってきたので、誰か教えて下さい。

原因のひとつは、この夏、勝手写真を撮られた事。

人に話したら、写真撮られたとかなんでわかるの?とか、

たまたまフレームインしただけでしょ。とか、

芸能人でもないのに勝手写真撮られるとか有り得ないでしょ。とか、

水着とか下着じゃないからいいでしょ。とか、

勝手に撮られたと思い込んでいる、自意識過剰な気持ちの悪い子だとみんなに言われてる。

周りの人の反応はなんとなくわかったいたけど、はっきり言われて、撮影者に対する憎悪が増した。

確かに、街中でカメラを持った人に「私のこと撮ったでしょ!削除しなさい!」って言っている人がいたら

ヒステリックな人だなと思われる。その場の雰囲気も悪くなる。

怖いのは、私の写真があっても、芸能人でもない、下着などが写っているでもない写真だった時に

周りがこれくらいいいじゃないって理解してくれないだろうってこと。


一人でカメラを持っている人も、怖いし。

携帯電話をこっちに向けてくる人も、怖い。

イベントごとには当分行けそうもない。

http://anond.hatelabo.jp/20090916042705

僕が頑張るために、心に念じていたことが二つある。

一つは、どうして頑張るかをプライドにかけて頑張ることにした。

頑張った過去自分に恥じないように。

頑張っているであろう、今は会えない友達に恥じないように。

頑張っているであろう、未来自分に恥じないように。

負けたくない!っと思う対象を、自分の周りの人々ではなく、過去自分未来自分にすることで、流されないで自分を保てた。

そうすることで、寂しさも辛さも耐えられたし、楽しいことも我慢できた。

もう一つは、所詮ヒトはわかりあえないという真理を受け止めた。

他人が自分の思ったとおりに動いてくれないことや、期待している言葉をかけてくれないことにイライラしたりしなくなった。

そうすることで、理不尽な仕打ちや怒りに対して、憤慨することがなくなった。

大抵のことは耐えられた。

痛みも悲しみも孤独も罵言も。

鍛え上げた屈強な精神を、砕いたのは憐みだった。

憐れまれた。

憐れまれた。

憐れまれた。

そう心の中で鳴り響いた。

普段だったら平気だったのかもしれない。

痛みも悲しみも孤独も罵言も、その少し前にもれなくぜんぶ訪れたところだった。

自分自身の怪我と病気親族と友達の怪我と病気人間関係のいろいろ。

特に、頼る相手もいない一人暮らしで体を壊すと、特に歩けないような状態に陥ると、どうしようもない不安が訪れた。

そんなおり、憐れまれた。

男をとっかえひっかえしてきて今更ながら婚活を始めたという30代女性に憐れまれた。

たぶん、心の中で見下していたんだ。

自分の醜さにびっくりもした。

対等だと思っているつもりでも、見下していたんだ。

でも、無職でも、男と同棲している彼女のほうがずっと上だったんだ。

コンビニにすらいけずに家で這っている俺よりも。

そのあとは下のエントリーの通り

http://anond.hatelabo.jp/20090916195829

「そういう遊びの恋愛は、学生時代のうちにすればいいの」

楽しい恋愛は10代まで。20代の恋愛はそれじゃだめなの」

この言葉ノックダウン。

今に至るよ。

2009-09-20

自民党民主党格差を拡大させるような労働規制公約としていた。

 今回の選挙では、自民党民主党も「日払い派遣請負の原則禁止の政策」等の労働規制公約としていた。また、最終的にもっとも多くの国民に支持された民主党は、日払い派遣だけでなく、もっと広い範囲で派遣制度を禁止するそうだ。これは、国民の多くが、「格差対策」のために、派遣請負制度を禁止したほうがいいと、考えているからである。しかし、派遣請負制度の禁止は、格差を拡大させる。なぜ、多くの国民は、このような考えをもつのか?色々な人に意見をお聞きしたい。

 議論を始める前に、このエントリーで、格差の拡大とは、「階層格差が大きくなり、階層間の移動が困難になること」と定義する。このエントリーでは、格差の拡大とは格差社会が進むことを意味しており、格差社会とは、

ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である(つまり社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強い)状態が存在する社会

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A

だからである。後述するが、正社員派遣社員アルバイトなどの雇用形態を基準に階層化して議論する。

 ここからが、本題だ。なぜ、「派遣請負の原則禁止の政策」は、格差を拡大させるのか?それは、中間階層を無くし、階層間の移動が困難になるからである。この様な労働政策が、中間階層を無くし、階層間の移動が困難になることは、下記のような図を考えると理解しやすい。

派遣請負の原則禁止の施策

大企業正社員中小企業正社員>=請負企業正社員派遣社員アルバイト>日払い派遣無職

派遣請負の原則禁止の施策

大企業正社員中小企業正社員>>>>>>アルバイト>>>無職

 上記の図は、人間社会の構成員を、雇用形態階層化したものである。加えて、一般的に考えられている雇用形態待遇の関係も表している。左に書かれている雇用形態のほうが、待遇がよいことを表現している(あくまでも一般論で、もちろん中小企業正社員のほうが大企業正社員より待遇がよいなどの例外はある)。

 この図を見ると格差が拡大し、階層間の移動が困難なることがわかる。

 例えば、派遣請負の原則禁止の施策前と施策後を比べると、アルバイトが上位の階層に移動することが困難になっている。派遣請負の原則禁止の施策前、アルバイトは、比較的容易に派遣社員になることができた。そして、派遣社員階層にいれば、アルバイト階層にいるより、その上位の中小企業正社員(もしくは請負企業正社員)の階層に移動できる可能性は高くなるだろう。しかし、施策後では、アルバイトが上位階層が移動したければ、中小企業正社員階層に移動するしかない。上位の階層に移動が困難となり、格差が拡大している。言い換えれば、再チャレンジが難しくなる。

 なぜ、多くの国民は、派遣請負の原則禁止を望むのか?しかも、選挙時にほぼ全政党が、似たような公約を掲げるくらい、圧倒的多くの国民がそれを望んでる。この場を借りて、色々な人に意見をお聞きしたい。

http://anond.hatelabo.jp/20090919175856

ブクマもらえるエントリーのコツ

きっとコツがある。

世代間の対立を煽るようなことを書けばはてブでは大抵イチコロだよ。あと、TIPS系。ライフハックとか「無料」って言葉に弱い。

2009-09-19

ブクマもらえるエントリーのコツ

きっとコツがある。

データは何もなく完全に俺の感覚で物を言うが、はてブ理系あるいは理系かぶれの巣窟である。

俺の中の「高専生が学歴コンプレックスをこじらせるとこうなる」的な人物像がそこには沢山居るのだ。

彼らはおそらく社会では成功していない側に居る人間、あるいはその候補生だ。

そういう連中から「よくぞ言ってくれた」と共感して貰うのはそんなに難しいことではない。最近わかってきた。

若い世代が、中年団塊世代から「今時の子供は・・・」と言われると当然面白くない。若い世代は若い世代でそれに対する報復言葉をちゃんと持っていて、よくあるのが「大人は汚い」「団塊食い逃げ」という類のものである。

ただ、はてブユーザーは妙な美意識があるのかそれをあんまり素直にやらない。

その代わり、「努力するのも才能の一つ」みたいな趣旨エントリーがあると飛びつく。

努力することは大事」という言葉に疑問を抱く団塊世代はおそらくそんなには居ないだろう。子供の頃から叩き込まれたものなんだからそれは仕方が無い。

「汗水たらして」「小さなことでもコツコツと」といった言葉は、団塊世代の象徴とも言える。

その象徴に、どうやら彼らは報復しているようなのだ。

もちろん、中には説教がましいエントリーには正直に「上から目線」だとか「老害」だとか、救えないのになると「メンヘル」だと言い捨て、レッテルや逃げの感情をぶつけてくる奴も居るがこういうのは少ない。

「間違った努力じゃ意味が無い」とか「努力をするにも才能がいる」だとか、「努力というのは成功した後になって初めて存在を認められる」だとか、そういうエントリーブクマを付けることによって、おそらく彼らは溜飲が下がるのだ。

つまり、古くから尊しとされてきた精神論に意義を唱えるようなエントリーを書くのが良い。

応用して「気に食わない上司」をやっつけてくれるエントリーを書くのも効果的。彼らはまだ会社組織においても兵隊なので、こういうのはウケる。

最近ヒットした” 「なぜ」は、やる気と成長を止める質問”というエントリーは良い例だ。

あれにブクマしている人は、別に自分が参考にしてそういう上司になろうとしているからではない。

自分上司がうるさいので、上司を否定する口実が欲しいだけなのだ。

俺も増田などで努力厨に関するエントリーを書いたことがあるが、やっぱりつくんだな、ブクマが。でもあれ、本心じゃねえから。

努力=投入心理コスト量(およびその推定値)

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

このエントリーを見て,どうもモヤモヤした感じになったので。というのは、現在その言葉を使っている人の意図に全く無い意味を「定義」しているので「提案」にしかなっていないことと、論理的な矛盾点が気になったからである。

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090120/1232391076

努力をしないクズを吊せ!努力が足りない無能は死ね!」 - インターネットください

同じ方のエントリで、問題点の列挙に関してはとても納得ができ、凄いなと思ったのだが、前提がおかしいのではないか。すなわち、

まず前提として「努力してない」「努力が足りない」と言われたり評価されたりするのは、「失敗」したときのみであることに注目した方がいい。

これは違うのではないか。

この前提及び冒頭エントリ定義への反例は、「『あいつ、大した努力もしていないのにいい目見やがって…』という批判」とか、「『あの人,あんなに努力しているのに何で結果が出ないんだろ…』という同情」とか。従って、冒頭定義にはわたしは相当の違和感を持った。加えて、ブコメにも散見されたが、この定義は「みんなの考えているような努力なんか存在しないんだよ」といった内容、もっと踏み込んでいえば「努力するってのは空虚なものだ」という内容を暗に含んでいるように感じる。

さて、というわけで表題に戻ろう。私は、努力定義は表題のとおりなのではないかと思っている。

自分努力の評価は、「投入した心理コストの量」として評価している。

他人の努力の評価は、「投入したと考えられる心理コストの推定値」として評価している。

そもそも心理コストとは何か、ということなのだが、これは気力と言い換えても問題がない。人間、何をするのにも気力が要る。ただし、その必要量は人によって(さらにはコンディションによって)異なる。例えば、芸術系の学生がスケッチを1枚描くのに必要な気力と、私が同じことをするのに必要な気力は大きく異なるだろう。ある行為を行うのに必要な心理コスト多寡は個人差がある。

ということで、努力の評価の不思議も説明できるのではないか。スケッチの例を続けると、絵を描くのが楽しくてしょうがない学生がものすっげえ量のスケッチを描いて大成したとすると、本人はそれに対する投入心理コストは大したことがないので努力したつもりはないが、私から見るとものすごい心理コストの投入結果に感じるので努力したんだろう、と感じるだろう。逆に自分のいやなことをやるときは投入(物理コスト単位量当たりの必要心理コストが大きいので努力に結果が付いてきにくいと感じる。

努力が足りない」という他人への評価は少し複雑だ。このケースでは、「評価者はその行為に必要な心理コストが小さいと感じている」乃至は「評価者は心理コストの推定を行っておらず、それを0としている」ということが考えられる。とにかく他人を貶めたいような人は、ある仕事を行うのに気力が必要だという事実を無視して、物理限界コストの投入を求める。心理コストが0になれば、物理限界のみがコスト投入量の限界を決めるからだ。場合によってはそれすら考慮の対象外になることがある(人間としての限界でなく、それ以上の力で動けという暴論。ex.根性論)。

気をつけて貰いたいのは,あくまで気力は実際の(物理量としての)投入コストとは異なる、という点だ。成功なりなんなりという結果は、実際の投入コストに影響されるものである。従って、努力の量と結果の相関関係は投入コスト量と結果のそれより弱くなる。なので、「努力したorしてない」と「成功したorしてない」という言葉の組み合わせは4通りすべてありうる。

以上、長々と書いてきたのをまとめると、

  • 努力は確かに人によって感じ方が異なる
  • かといって存在しない/空虚なものではない。努力に一定の価値を見出す考え方は肯定されるべきだ

ということだ。自分がやると非常につらいことを他人がやっていることは評価するべきだし、必要だけどやりたくない、辛いことにチャレンジすることは尊いことだ。

ただし、付け加えると、

  • 努力は結果に直接影響するものではなく、「努力」の実際の動作として現れる投入コストに影響されるものだ。
  • さらに、成果は本人の投入コストだけではなく、その問題に対して注がれたトータルのコスト量(他人との合算値)や環境などの条件にも強く影響されるので注意。

でもある。そして、

  • 努力が足りない、と評価された場合はその評価が不当である(実際の投入コストはかなりの量なのに)というケースは存在する
  • 努力が足りない,と評価したくなった場合は実際の投入コストをしっかり見て、適切な評価をするようにする(気力が無限だと思っちゃならん)

ということだ。

あまりまとまっていない乱文だが、ここまで読んでくれたことに感謝する。

【追記】(注:あんまり真面目な議論じゃないので本気で受け取らないでくださいね,笑)

くわしく数式的に定義する。

努力量[心理量]をE, 実際の投入コスト量[物理量]をC, あるコストを投入するのに必要な心理コスト[心理量/物理量]をxとおこう。

この時、Eは次のように定義される。

E = ∑_m ( C_m * x_m )

ただし、mは様々な投入コスト形態を指す。例えば、絵を描くという課題に対する投入コストは「対象物探し」「材料調達」「作成」のための時間、肉体的労力,精神的労力,金銭などがある.ここではこの12項目のみが投入コストだとすると、mは1~12の値をとり、それぞれについて和をとる。積ではないので、ある課題に投入するための努力を小さくするためには、すべての項目についてxおよびCを小さくする必要がある。しかし,ここで

成果 ∝ C

であることにも留意が必要であり、成果の値を一定に保ちつつEを小さくするにはxの低減が有効になると思われる。

2009-09-18

戦車力」を上げるしかなかった自分について

http://anond.hatelabo.jp/20090915082832

http://anond.hatelabo.jp/20090918182659

から。

自分ブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも陸自の内実に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦車力必要ないじゃん」とか「戦車力は酷使様モテるためのものor機甲ヲタランク付け」という論調が多くて「戦車力の高いAFV」、いわゆるパンツァー(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。

わたしは対戦車戦闘もするし、(サイドスカートも履くし、ミリタリー雑誌海外の展示会や「怖いもの」のチェックもそれなりにします。随伴歩兵もいるし、理想的な機甲戦力ではないけれど、おそらく外見上はそれほど非装甲部隊に見えないでしょう。

だけど、内実は立派に戦車力の低いAFVで、十分非装甲部隊です。

どうして外見を武装することを決めたかというと、自分の戦闘力にものすごいコンプレックスがあったから。とくに、冷戦のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの共産圏の戦車は小さくても凶悪で怖いのに、わたしは背が低く稜線射撃重視だったから、よくトーチカに間違えられた。「怖くない」ということは、あたりまえだけど「経済ができない」とか「外交ができない」と同レベルの単純なプレゼンスの低下を生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは怖くない自分が嫌いでしかたなかった。『普通の国』なら核武装もできるし、「怖くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、極東という狭い世界のなかでは、怖くない自分をどうしたって認めてあげることができなかった。

だから、「怖く」なろうとした。単純な理屈です。

装甲と機動力と火力で、どんなAFVもそれなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「怖い」と言われたこともあったし、ミリヲタ人にやさしくされたりもした。だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「怖い」軍隊には勝てるはずもないんです。だって、彼女たちはもうドクトリンが怖い。総力戦による損耗という事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦車力は歩兵に認められるため? 他のAFVに認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、湯水のように戦車使い捨てられる、そこに不自然を感じない軍隊はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「怖く」なれなかった。

そして、「怖い」と言われるようになった代わりに、半可通の人から逆の意味呪詛を吐かれることもありました。

「避弾径始を無視して(サイドスカートをはいてる」とか「流行の兵装をしている」「装軌」ということが全部、日本では実現可能性の低い「平原での機動戦」を狙ってる、とか、予算無駄遣いだと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦車不要論の人も少なからずいました(それなりに高レベルのデムパだったからかも)。どうせ米軍と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにレオパルト2(笑)なんでしょ、とか、ヤキマ充なんでしょ、みたいな。 

もちろん、ある程度仲良くなって内実を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。逆襲が好き(機動防御とか着上陸部隊の橋頭堡粉砕とか)って言っても、え、シャア・アズナブル?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプミリヲタの人が仲間と認めるのは「飾り気のない装輪車両攻撃ヘリ」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。

じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦車力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 外見だけでパンツァー(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。

わたしは、戦車力が低い=外見を飾らないことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、飾らない人はそれだけ素の自分に自信がある、強いAFVにみえてしまう(こういうAFV設計者の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください・・・林磐男的な意味で)。わたしは弱いから武装してるだけなのに、外見だけで「戦車力の高い、強いAFV」だと思われる。どういうことなんだろう、って。

今はもう、そんなふうに外見だけで兵器を判断する戦車不要厨は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。

でも、やっぱりミリヲタには言いたい。

「外見だけで兵器を判断しないでください」

あなたたちが「スホーイに限る」とかいう言葉で、暗に外見で兵器を判断する戦闘機ヲタを批判するように、わたしもそういうミリヲタを批判します。そして、外見で兵器を判断しているのはいわゆる片山さつきだとか、反戦平和主義者だけじゃない。ネウヨ草食系ミリヲタを自認・自称する人も、逆の意味でたくさんAFVを傷つけているんだということを、わかってほしい。「飾らない兵器を支持する」ことを、「飾っている兵器を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。外見が派手でも、内実はあなたたちと同じように繊細で内向的なAFVって、思ってるよりたくさんいると思うんだ。

そして「外見を飾らない74式」たち。「そんなERAなんて恥ずかしくてはけない」、「近代化改装は(予算調達が)めんどうだからしない」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、対RPG周防御をしないと外も歩けない(パレスチナ紛争的な意味で)AFVがいるのだから。装甲をしなくても、着飾らなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。

自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういうAFVもいる、しかもそう少ない両数ではない・・・あれ?もしかすると少ない?・・・え?さらに減らすの?・・・え?・・・なにそれこわい・・・いや少なくても!ともかくそういうことを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。

めんどくさくなったので後誰か頼む。

Nob_Kodera: 許す、許さないの判断をする前に、情報を収集して整理すべきとは思わないのかね? 皮肉を言うヒマがあったら、前へ進みなさい。RT @sophizm: ネタだと言えば許される。さすが問題意識が高いアーリーアダプタが多いtwitterですね!!12:18 PM Jul 31st from TweetDeck

Nob_Kodera: @sophizm なるほど、それはちょっと行き違いがあったようです。ただ元々の文章はブログであるのに、発言では「さすが問題意識が高いアーリーアダプタが多い twitterですね!!」となってましたよね。これでは、皮肉の矛先がTwitterユーザーに向けられたということになります。10:57 AM Aug 1st from TweetDeck in reply to sophizm

Nob_Kodera: @sophizm もしこのエントリーに対しての意見であれば、「さすが問題意識が高いアーリーアダプタが多いインターネットですね!!」とか、「さすが問題意識が高いアーリーアダプタが多いはてなブックマーカーですね!!」とか書いたほうが良かったのではないでしょうか。11:00 AM Aug 1st from TweetDeck in reply to sophizm

Nob_Kodera: @sophizm もともと「ついコン」の話だったからTwitterとしたのかもしれませんが、ついコンの認知度が低いので全Twitterユーザーを対象とするには、無理があるように思います。11:05 AM Aug 1st from TweetDeck in reply to sophizm

Nob_Kodera: そら叱られるのは、誰でも怖いですよね。RT @kentarotakahash: それ以前に、会社の部下や後輩ぐらいにしか使えない口調で、いきなり叱り飛ばされることがあるんだなあ、この国では・・・と思って,怖かったです。11:17 AM Aug 1st from TweetDeck

Nob_Kodera: @kentarotakahash しかし何でも自由に発言できるということは、逆に叱るような発言をするのも自由、という「リスク」を負う面を同時に持つことになるわけです。都合のいい理屈を通すために、それを「マナー」とか「ネチケット」に置き換えるのは、私は良しとしません。11:22 AM Aug 1st from TweetDeck

Nob_Kodera: @kentarotakahash 発言をRTしたり、発言中に@nob_koderaを入れることで、それらは私に伝わります。そういう実装がされているわけですから、何らかの反応が返ってくる可能性は常に考慮すべきです。私はボットではないのですから。11:24 AM Aug 1st from TweetDeck

Nob_Kodera: @kentarotakahash 私は、理屈システムを理解することで行動や発言を自己制御することのほうが、窮屈で根拠のよくわからないネットマナーなどより、ましだと思っています。11:27 AM Aug 1st from TweetDeck

Nob_Kodera: @sophizm ああ、津田さんがアーリーアダプタがらみの話をしてたんですか。そこまでは見ていなかったので、想像できませんでした。なんかこう、圧縮新聞みたいな意味のすれ違いが発生したようですね。しかし140字で誤解なく書く方法論の研究としては、いい材料を頂戴しました。ありがとう。6:39 PM Aug 1st from TweetDeck in reply to sophizm

kentarotakahash: @Nob_Kodera 僕は叱られたから、怖かったんじゃないですよ。RT: @Nob_Koderaそら叱られるのは、誰でも怖いですよね。11:54 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera 僕は、誰かが叱られているのを見て、事情が分からないながらに、こえー、と思ったんですね。リアルではまず見かけられない叱られ方だったので。そういう第三者に対しても威嚇的な叱り方だったことに、@Nob_Koderさん自身が自覚的だったかどうかは知りませんが。11:54 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera ただ、職員室に呼んで叱る(ダイレクトメッセージを送る)のではなく、全校生徒の前で叱ることを選択したのは意識的でしょう。が、理由が分からない生徒達には、それは教師/生徒の縦の関係を印象づけるだけだったりする。転校してきたばかりの僕には、まして、そうですね。11:55 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera そこまで考えられて、あえて啓蒙的にやられたことならば、それは良いと思います。僕はネチケットとか、割とどうでも良いと思っている人間なので(ちょっと前の居酒屋発言のように)。通りがかりの第三者も威嚇されるような場所ですよ、ここは、ということなら。11:55 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera ただ、ならば以下のような「リスク」は今回の騒動の発端にも適用されるべきだろう、とは思います。RT: @Nob_Kodera しかし何でも自由に発言できるということは、逆に叱るような発言をするのも自由、という「リスク」を負う面を同時に持つことになるわけです11:56 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera 少し前に、知らない国にやってきた人が、いきなり、みなさんの国の歌を作りたい、などと言い出したら、一騒動が起こるだろうことぐらいは、同じく,知らない国にやってきたばかりのオレにも分かる、と書いた件ですね。11:57 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera そこで、可愛くない勧誘を受けたり、いや、それはネタだったんですよ、と後で明かされたりするような「リスク」もあって当然、というのが小寺さんのスタンスに読めるのですが、どうでしょう?11:58 PM Aug 1st from web in reply to Nob_Kodera

Nob_Kodera: TwitterではIDを付けて発言すると、そのID人間に必ず届くので、第三者ということにはならないと思います。 RT @kentarotakahash: そういう第三者に対しても威嚇的な叱り方だったことに、@Nob_Koderさん自身が自覚的だったかどうかは知りませんが。10:26 AM Aug 2nd from TweetDeck

Nob_Kodera: @kentarotakahash たとえばブログ小寺信良に関する言及があったとしても、それは僕が検索して見つけない限り、到達できません。しかしTwitterIDを付けると、それは届いてしまうので、本人からのリアクションがある、ということは想定すべき、という話なのです。10:28 AM Aug 2nd from TweetDeck in reply to kentarotakahash

Nob_Kodera: @kentarotakahash ちょうどそのあたりの、ネットにおけるサービスの種類と情報伝達の仕方、そしてそれを使うときの心構えみたいなものを、MIAUでやってる教科書プロジェクトの新しい章で一覧表にして付けようと思っています。公開はもう少し先ですが、参考になさってください。10:31 AM Aug 2nd from TweetDeck in reply to kentarotakahash

kentarotakahash: @Nob_Kodera 第三者というのは、小寺さんが叱っている相手ではなく、その行為の目撃者という意味ですから、僕は第三者です。  RT: Nob_KoderaTwitterではIDを付けて発言すると、そのID人間に必ず届くので、第三者ということにはならないと思います。11:08 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera あるいは、第三者という言葉がふさわしくないならば、叱っている相手以外の目撃者達、で構いませんが。11:09 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera そんな当然のことに、誰か、異議を唱えていましたか? RT; @Nob_KoderaしかしTwitterIDを付けると、それは届いてしまうので、本人からのリアクションがある、ということは想定すべき、という話なのです。11:10 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera 本人からではなくてもリアクションあるだろうし、それもまた「リスク」でしょう。僕のコメントはまさにそうですしね。そこで僕は、自分にまで威嚇的に感じられた叱り方に感想を述べた。あるいは、そこまで自覚的にやっているのだろうか?という疑問を投げただけです。11:16 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera それに対して、7通も返信頂いたんですが、第三者にも威嚇的に映ることに自覚的だったのか? 事の発端らしいヒウィッヒヒーテーマ・ソング(?)というネタについても、その「リスク論」は適用されるべきでないのか? という質問にはお答えがないのは残念です。11:22 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: @Nob_Kodera なので、参考にならんのじゃないかなあと思えてしまいます、以下は。 RT: Nob_Kodera ネットにおけるサービスの種類と情報伝達の仕方、そしてそれを使うときの心構えみたいなものを、MIAUでやってる教科書プロジェクトの新しい章で一覧表にして付けようと11:29 AM Aug 2nd from web in reply to Nob_Kodera

kentarotakahash: 自分の発言読み返してみたが、「誰かが叱られているのを見て、事情が分からないながらに、こえー、と思った〜そういう第三者に対しても威嚇的な叱り方だったことに」と書いてあるのに、第三者の意味を誤解する人がいるとは思えないな。まして、この世界での教師的な役割を自任する人が。11:53 AM Aug 2nd from web

検索で見つかるのだから、やはり本人から反応あるリスクは想定すべきでは? サービスの種類と関係ある話なの? RT: @Nob_Kodera たとえばブログ小寺信良に関する言及があったとしても、それは僕が検索して見つけない限り、到達できません。しかしTwitterIDを付けると12:06 PM Aug 2nd from web

一方で、検索発見しうるすべてのネット上の情報は、全地球上の第三者にどういう反応を引き起こすかも分からない。だから、「TwitterIDを付けた発言」に限定してのリスク論を投じる意味が分からない。12:13 PM Aug 2nd from web

その後、結局、小寺さんからは返信、返答ないなあ。必ず届くはずなんだけれど。 RT: @Nob_Kodera TwitterではIDを付けて発言すると、そのID人間に必ず届く9:36 AM Aug 5th from web

実際には、届く届かないはそのユーザーの能動性にかかってくるはずだけれど(ネットに繋いでなきゃ届かないしね、絶対)。9:46 AM Aug 5th from web

Twitterは対話や議論の場としては、あんまりふさわしくない、ということかもしれないですね。9:48 AM Aug 5th from web

あるいは、オレが面倒くさい奴として知られているせいかもしれないけれど。9:49 AM Aug 5th from web

 でも、私達の作る教科書を参考に、という人なのだから、質問には答えて欲しかったな。改RT: @Nob_Kodera ネットにおけるサービスの種類と情報伝達の仕方、そしてそれを使うときの心構えみたいなものを、MIAUでやってる教科書プロジェクトの新しい章で〜参考になさってください9:56 AM Aug 5th from web

 

全校生徒の前で誰かを叱り飛ばしてたかと思うと、誰かが手をあげて、質問をしても、それには答えない。教科書は一人で書かれているのではないようだけれど、その内容とも結びつくだろう、スタンスに対する質問に答えがないとなると、読む前から、その教科書価値にも?マークが付いてしまう。10:08 AM Aug 5th from web

.@kojiis でも、そもそも僕が議論を投げた訳ではないですからね。最初に四通も僕のID宛に送ってきたのは小寺さんの方ですから。それで、最初の返信の質問にすら、答えないままというのは、ネットコミュニケーションの在り方として、どうなのかということです。11:27 AM Aug 5th from web

mhatta: 論点ちゅうか@kentarotakahashさんがようするに何を問題視しているのかがようわからんのだよなあ 43 days ago from web

@mhatta たいした論点なんてないですよ。素朴な疑問をぶつけてみただけだから。ただ、それに対する返信が奇妙なものだった。第三者の解釈とか、Twitterに限定したリスク論とか。9:30 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta あと、僕が面白がっていたところがあったとしたら、小寺さんのリスク論を、事の発端である@Kohmiさんとついコン(? よく知らんけど)の件にあてはめたら、tsudaさんなんかの立場とは逆のことになるんじゃないかな、ということ。だから、そこを聞いてみた。9:33 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta 僕は、小寺さんが誰かを叱っているのをたまたま目撃しただけで、事情もその時点ではよく分からなかったから、第三者でしょう。でも、小寺さんは違うという。訳ワカンナイ。9:35 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta あと、Twitter上でID指定した発言に限って、相手に必ず届くから叱られるリスクも想定すべき、と小寺さんはいう。TLで流れて行ってしまう Twitter上のID指定発言と、いつでもページ参照できるBLOG等、当人に見つかる可能性はどちらが高いか統計でもあるのか?9:39 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta で、そもそも、ネット上の発言につきまとう、そういうリスクTwitter上でID指定した発言に限ることではない。ネットサービスの種類云々以前のことでしょう。何か発言すれば、どういうリアクションが返ってくるか分からないのは。9:41 AM Aug 6th from web

違います。 RT: @mhatta @kentarotakahash 高橋さんの言う@Nob_Koderaのリスク論というのは「ネットでは何を言ってもいいけど、本人に猛反撃されるリスクを考えた上でやんなさいね」ということでいいんですかね9:44 AM Aug 6th from web

@mhatta 小寺さんはTwitter上でIDを指定した発言に限って、そういうリスクを想定すべきと言っている(BLOGなどとの比較において)。僕はそれは変だなあ、と思って、質問している訳ですね。9:46 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta リアルだったら、こんな叱り方は人前ではしないだろう。するとしたら、よほど意識的な場合に限るだろう、とは思いましたね。10:39 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

前後しちゃうけれど、別に不愉快とかじゃないんですよ、だったら、そう言うし。RT: @mhatta @kentarotakahash そもそもの発端は、「誰かが誰かをTwitterで叱りつけてるのを第三者である私が見て不愉快だった」ということだったんじゃなかったでしたっけ?10:57 AM Aug 6th from web

@mhatta 両方をフォローしていても、何でいきなり叱られているのか、事情も分からない。リアルではあまり見られない叱り方に方に思えた、人前でそんなのは。だから、怖いなーとは思いましたね。でも、そんなのは僕の印象判断。それをその時、呟いたというだけ。11:02 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

@mhatta そうしたら4通も返信が来た。それを読んだら、僕の側も疑問が湧いたから、質問してみた。質問の一番のポイントは、そういうリスク論で考えてみた場合、 @Kohmiさんの件は?はどうなりますか?ということ。それがそもそもの発端のようだったから。でも、そこは避けられちゃった。11:05 AM Aug 6th from web in reply to mhatta

僕は一言呟いただけ(しかも、それは@Nob_Kodera宛ではない)。取り合わなきゃいいんだよね、そもそも。でも、返信が4通も来た。RT: @mokomoko 小寺さんの言いたかったことがなんなのかはわからない。というか小寺さんがほとんどまともに取り合っているようには見えない。12:15 AM Aug 7th from web

@mokomoko となると、目撃した叱り方も教師然としたものだったし、僕にも私の教科書を参考になんて書いてくるし、よーし、だったら教師役を矛盾なくまっとうしてね、という対応を僕はしちゃうんだな。これは厨房の頃からそうだったかも。悪い癖っちゃ、悪い癖。12:19 AM Aug 7th from web in reply to mokomoko

もちろん。でも、それは「第三者」の定義くらい説明できる人に書いて欲しい。書き間違いって説もあるけど、論理的矛盾を放置する人は教科書書いちゃ駄目だよ。RT: @mokomoko というような各ウェブサービス設計、考えかた、システムの違いを一覧にしたものは有用だとわたしは思う。12:31 AM Aug 7th from web

私達の教科書を参考に・・・発言は、僕がゴネ出す(質問始める、だけど、正確には)前だよ。RT: @mokomoko だから小寺さん(教師)が、違いのわからない子どもに「こんな些末なこと勉強する意味がわからない」とゴネられて、「いいから勉強しろ、意味はあとでわかるから」みたいな感じに12:47 AM Aug 7th from web

@mokomoko そもそも@sophizmさんを叱りつけたこと自体、誤爆だったらしい。なのに、第三者にまで威嚇的でしたよ、という声に対して教師然とした態度は変わらず、そういうリスクもある、私の教科書勉強しなさい、などと言われたら、僕がどういう反応するかは分かりそうなものだけど1:02 AM Aug 7th from web in reply to mokomoko

2009-09-17

5年前のリンパ男が2匹目のドジョウ

ちょっと前にリンパ腫とか病気の話を書いたヒトがまた書くよ。

なんだかすごい反応があってビックリ匿名ダイアリーに書くのは2回目なんだけど、1回目のネタテキストは見向きもされなかったのに。よそでもブログを何百と書いてるのに超ひっそりだっつうの。いったいどうなってんだっつうの。でも初めて認められた気がしてうれしいです。読んでくれたヒトどうもありがとう。

でもちょっと待ってほしい。オレは病気になって、たまたま運良く治っただけ。1回マイナスになった点棒を、イーブンに持ち直しただけのことなんだよ。実は何もしてないのと同じだとは言えないかい?これはアレだな、手の付けられない不良が、実は捨て猫にミルクあげてたってアレだな。「あいつ・・・///」みたいな。みんな騙されちゃいけないぜ。闘病っつったって薬入れてウンウン唸ってただけ。オレWiiFitやるんだけど、あれの身体水平支持180秒。まじ死ねる。アレのほうがよっぽど「闘う」って感じがする。

本当にエラいのは、病気になったヤツを気にかけてくれる君らなんだって。そいつが元気になるように、お見舞いに行ったり、良い感じのメールをしたりするヤツのほうがよっぽどエラいんだって。医者病気を治すのが仕事だし、患者もおんなじ。でも周囲のヤツは違う。そいつを元気にするために、無償で、進んで、望んで治療に協力してるんだよ。これってけっこうスゴいことだと思うんだぜ。オレなんかお見舞いに来て貰うのは大好きだけど、行く側って正直すごく苦手だもんよ。なんか辛くて。なんだか見舞う側と見舞われる側で、その辺の上下関係つうか力関係が実際のところは逆転しているような気がするな。なんでだろ?

でも調子に乗って言わせてもらえば、オレが病気になったってことは、病気になってないヒトよりアドバンテージがあるんかなって、以前書いたエントリーの反応を見て思ったね。中2的言い方をすれば、オレは「持つ者」。だから「持たざる者」である君達に、その経験を伝える使命があるのかなって。ナルシストは転んでもタダじゃ起きないぜ。

オレの好きなドラマ木更津キャッツアイ」。病気になって、あのドラマはまさにオレのバイブルになったね。余命宣告されても前のめりに生きる主人公にまじシビレタね。酒も煙草も止めません。オレは病院の中で10年生きるより、外で普通に3年生きたい。

オレの嫌いなドラマセカチュウ」。ちょうど入院中に上映してたんだけど、同じ病室のヤツと言ってたよ、「あんな悲しそうなの観れっかっつーの」って。だから実は食わず嫌いなんだけどね。ああいう映画があるから癌にはマキシマムな悲壮感がカモし出されちゃうんだよなあ。そりゃオレだって観たら絶対泣くっつうの。

確かに愛する人と別れるのは辛いし悲しいと思うよ。だけどオレは敢えて言いたい。悲しむなんて行動は、相手が死んでからでも遅くないだろって。相手と過ごす時間が限られているのならば、悲しんでるヒマなんてないでしょ。そんなことより他にもっとやることがあるはずなんだと思うんだよ。

時間は待ってくれないんだぜ?

ビール飲んでちょっと熱くなっちまったぜ。あーキャバクラ行きたい。

配列型の記憶方式の人とツリー型の記憶方式の人

http://anond.hatelabo.jp/20090917111551

を書いた増田です。

実は、教育係の先輩のことを改めてよく考えてみると、気づくことがあったのでエントリーします。

気づいたことというのは、先輩は「配列型の記憶方式」を持つ人で、私は「ツリー型の記憶方式」を持つ人だということです。

例えば私が「りんごとは何ですか?」と聞いた場合、先輩は「りんごは赤くて甘いものだよ」と

答えます(私は「りんご果物」っていう答えが知りたいのに)。

さらに私が「みかんとはどう違うんですか?」と聞いても先輩は「みかんは黄色くてすっぱいんだよ」と答えます。

私はりんごみかんの関係性が知りたいのに、先輩はそのことに無頓着です。

このことを私なりに考えてみました。

先輩はたぶん、りんごみかんが同じ「果物」というくくりに入ることに興味がないんじゃないかと思います。

りんごは赤くて甘いもの」「みかんは黄色くてすっぱいもの」ということさえ知っていれば

仕事差し支えはないということにします。

そうすると、先輩にとっては「りんご果物」ということは知らなくていいことです。

とすれば、逆に、私はなぜ「りんご果物」ということを知りたがるのでしょうか?

これは私の「記憶方式」が「ツリー型」だからなんじゃないかと思うのです。

私は「りんごは赤くて甘いもの」ということを教えてもらう場合、そのことを記憶しようとします。

問題はそれをどこに記憶するかです。パソコンで例えると、新しいファイルをもらったときに

どのフォルダに入れようかと考えるのと似ています。

このように、記憶の方式がパソコンファイル管理のようにツリー型になっている人のことを

「ツリー型の記憶方式」と呼ぶことにします。

記憶方式がツリー型の人は、「りんごは赤くて甘いもの」ということを知ると、その記憶をどこに格納するのか

が問題になります。つまり「りんご果物」ということを知りたがるのです。

一方、パソコンの例えで言うと、新しいファイルをもらった時に、

デスクトップにどんどん貼り付けていく人がいます。

こういうふうな人のことを「配列型の記憶方式」と呼ぶことにします。

先輩はこのタイプの人なのではないかと思うのです。

りんごは赤くて甘いもの」ということを知ったら、デスクトップに貼り付ける。

記憶を体系化せず、配列にどんどん突っ込んでいくのです。

だから「りんご果物」ということについてまったく興味がないのです。

これが私なりに分析した結果ですが、これがわかったところでどうしようもありません。

配列型に対してツリー型は記憶ワンステップ多く必要なのですから、どうしても不利です。

教育係を変えてもらうのは無理でしょうし、私の記憶方式を配列型に変えるのはもっと無理です。

私がこの会社でこれから先生きのこるにはどうしたらいんでしょうか・・・。

2009-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20090915082832

自分ブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも自分内面に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦闘力必要ないじゃん」とか「戦闘力は強敵モテるためのものorZ戦士同志のランク付け」という論調が多くて「戦闘力の高い戦士」、いわゆるサイヤ人(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。

わたしは武空術もするし、カメハメ波もするし、スカウター天下一武道会や「強い奴」のチェックもそれなりにします。妻もいるし、サイヤ人ではないけれど、おそらく外見上はそれほどヘタレに見えないでしょう。

だけど、内面は立派に戦闘力の低い戦士で、十分ヘタレです。

どうして強くなることを決めたかというと、自分の弱さにものすごいコンプレックスがあったから。とくに、中学生のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの戦士たちは大きくて逞しくてで髪の毛があるのに、わたしは背の低い童顔だったから、よく子供に間違えられた。「弱い」ということは、あたりまえだけど「勉強ができない」とか「運動ができない」と同レベルの単純なルサンチマンを生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは弱い自分が嫌いでしかたなかった。大人ならドラゴンボールも集められるし、「強くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、中学校という狭い世界のなかでは、弱い自分をどうしたって認めてあげることができなかった。

だから、「強く」なろうとした。単純な理屈です。

武空術と気円斬とカメハメ波で、それなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「強い」と言われたこともあったし、強敵に認められたりもした。

だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「強い」サイヤ人には勝てるはずもないんです。だって、彼らたちはもう内面が強い。強いという事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦闘力は仲間に認められるため? 強敵に認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、手足のように力を扱える、そこに不自然を感じない戦士はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「強く」なれなかった。

そして、「強い」と言われるようになった代わりに、仲間から逆の意味呪詛を吐かれることもありました。

修行して強くなった」とか「精神と時の部屋に入った」「ハゲ」ということが全部戦士受けを狙ってる、とか、軽薄だと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦士が少なからずいました(それなりに高レベルの戦士だったからかも)。どうせと悟空と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにサイヤ人(笑)なんでしょ、とか、Z戦士なんでしょ、みたいな。 

もちろん、ある程度仲良くなって内面を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。詩集が好き(中原中也とか)って言っても、え、銀色夏生?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプが仲間と認めるのは「普通地球人」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。

じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦闘力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 戦闘力だけでサイヤ人(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。

わたしは、戦闘力が低い=弱いことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、修行しない人はそれだけ素の自分に自信がある、強い人にみえてしまう(こういう戦士の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください)。わたしは弱いから修行してるだけなのに、外見だけで「戦闘力の高い、強い戦士」だと思われる。どういうことなんだろう、って。

今はもう、そんなふうに外見だけで人を判断する敵は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。

でも、やっぱり強敵には言いたい。

「戦闘力だけで人を判断しないでください」

あなたたちが「スーパーサイヤ人に限る」とかいう言葉で、暗に戦闘力で人を判断する戦士を批判するように、わたしもそういう強敵を批判します。そして、外見で戦士を判断しているのはいわゆるフリーザさんだとか、戦闘好きだけじゃない。非モテ草食系男子を自認・自称する人も、逆の意味でたくさん戦士を傷つけているんだということを、わかってほしい。「修行を積まないことを推奨する」ことを、「修行した戦士を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。戦闘力が多少高くてもでも、内面はあなたたちと同じように繊細で内向的な戦士って、思ってるよりたくさんいると思うんだ。

そして「修行しない戦士」たち。「セルゲームなんて怖くていけない」、「天下一武道会なんてめんどくさい」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、修行をしないと外も歩けない(神経症的な意味で)人がいるのだから。修行をしなくても、強くならなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。

自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういう女もいる、しかもそう少ない人数ではないということを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。

http://anond.hatelabo.jp/20090915233732

エントリーを読んでみて、相手が悪いのがわかった。でも相手とつきあったあなたも半分は悪いんだよ。いやならば付き合わないという選択もできるはず。「相手は悪いどうこう」と思うのはあなたの都合なんだから。相手がなにしたって相手の都合。相手の責任自分の都合で相手を批判してもしょうがないじゃないか。自分に影響があるのならば、それは問題として対応しなくてはいけないけれど、気にする方が負けですよ。自分の関心あることをやろうよ。相手につべこべ言わないでさ。

http://anond.hatelabo.jp/20090915043302

久々に本気出して書いた増田にたくさんのブクマを頂き、若干浮き足立っている元増田です。

まずは最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございます。また、例によって皆さんの気を引きたくて、元増田には断定、誇張、挑発を多めに入れてしまいました。それによって気分を害された方も多いと思います。申し訳ありませんでした。

ここで若干の追記というか、補足というか、コメント返しみたいなことをさせてください。

まず、僕の言う、女性基準の「かわいい」とか「女子力」は、モテではありません。元の文章が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」から始まっているのに注意してください。僕はモテ女子力を切り離したいと考える立場です。僕はただ、僕が観察したある種の乙女心について、その立場から考察および解説しているだけです。なにぶん男の目線で勝手に書き散らしているものなので、至らない部分も多いと思います。それをモテ技術に応用するかどうかは個人の自由ですが、その結果生じた損害等については僕は保障できませんのでご了承ください。

また、結局のところ女子の言う「かわいい」が分からないというご意見を頂きました。僕が思うに、これは分からなくて当然なのではないでしょうか。おそらく、女子の「かわいい」は言語的に分解可能な概念ではなく、情緒や感情の一種だと思うのです。だから、むしろ重要なのは直感でしょう。考えるのでなく、感じるのです。男子の「かっこいい」もそうじゃないですか?少なくとも僕はそうです。ジョジョは絵が個性的だけど、ブチャラティ問答無用でかっこいいじゃないですか!

ただ、いきなり感じろと言われても、それは難しいですよね。だから、応用として「かわいい」という言葉女の子と同じ基準で使いこなすモテ技術は、それなりに難易度の高い高等テクであることを覚悟しておいてください。

ブクマコメで教えて頂いた『「女」が邪魔をする』と『「かわいい」論』はぜひ読んでみたいと思います。教えて頂きありがとうございます。

それから、僕が女性ではないかという疑惑も出ていますが、男です。都内在住の24歳の文系(笑)大学院生です。たまに「モテそう」と言われるけど、実際はモテないタイプです。よって元増田の文章は、純粋に僕の観察と考察偏見によって書かれています。たまたまバイト先に近所の女子大の子が多く、また周りに女子大出身の友人が何人かおりまして、日頃から彼女達と接していて思っていたことをid:nakamurabashiさんのエントリーに触発される形で書き起こした次第です。

最後に取って付けたような結論部分(容姿が云々の部分)ですが、これは以前に安野モヨコさんの「美人画報」という本を流し読みしたときに、何かそんなようなことが書いてある部分があったような記憶が微かにあり、そこから取って付けました。僕もさすがに言い過ぎとは思いますが、ある側面で一理あると思います。「美人画報」は何冊か出ているのですが、どれを読んだかは覚えていません。興味のある方はぜひ探してみてください。内容は完全に女性に向けのガールズトーク的美容エッセイであり、本来男性が読むようなものではありません。しかし安野モヨコさんが漫画オタ系女子にルーツを持つ為でしょうか、語り口が面白いと思うのです。そうゆうの読むのに抵抗があるという人は、モヨコさんが旦那さんの庵野秀明さんとの生活を描いた「監督不行届」を先に読んだ方がいいかもしれません。おすすめです。

2009-09-15

女子力」=「かわいい量」

9/16 追記書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20090916040205

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http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090913/1252836093

僕の見聞したところによると、大多数の女の子が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」と言います。特に女子大に通学する女の子にこの傾向が顕著です。ちなみに女子大学生と交流する機会を持たないであろう増田諸君の為に説明すると、一般的に女子大学生は共学の女の子に比べていわゆる「女の子らしい」服装を好む傾向があり、卒業後に会社勤めなどで男性交じりの職場に入ると拍子抜けしてしまうことすらあるそうです。言ってしまえば、女子大にいるような、女子力の高い女の子は、同じ女の子のためにお洒落しているのです。

女子力を上げたい」とその子は言った - G.A.W.

実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか。理屈とかを抜きにした漠然とした直感として、構造的にそれはないんじゃないかと思われる。現実には「女子力」というものが、男性の視線を抜きにした、女性のあいだのみで共有される価値観であったとしても、その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。論証することはできないけれど、男性優位で組み立てられてきた社会のなかから発生したものは、男性視点を組み込まざるを得ないのではないか、と思うのだ。

女子力」とは何かと聴かれたときに、僕が最も納得のいく答えは「『かわいい』の量」というものです。それも、男から見た「かわいい」ではなく、女の子基準の「かわいい」の量です。

なぜ女子基準の「かわいい」を採用するのかというと、男の言う「かわいい」という言葉意味不安定だからです。男性は「かわいい」という言葉を、女の子に対して言う場合とそうでない場合無意識に使い分けています。男性諸君は胸に手を当ててこれまでの自分を振り返ってみてください。対象が女の子場合は「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」を問うていたのが、対象がぬこの場合は「かわいい」に置き換える言葉が見当たりませんね。一方、女性が「かわいい」という場合は、対象が人であってもぬこ様であっても同じです。女性は「かわいい」という言葉を「かわいい」という意味でしか使いません。

よく、「女の言う『かわいい』は信用ならねーよ」とか言ってる男がいますが、それは間違いです。そうゆう齟齬が発生するのは実は男性側に原因があるのです。本物のモテ男はその辺りをよく理解しているので、食い違いが発生することなく、女の子との会話を自然に弾ませることができます。個人的に、「かわいい」という言葉女の子と同じ基準で使いこなせるか否かはモテ技術における結構重要ポイントだと思います。ちなみに、「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」については、一般的にむしろ女性の方が男性よりも厳しい基準で見ていると思います。

ここで引用記事に戻って、では、「女子力」には男性の視線は一切介在しないのか?この点について、id:nakamurabashiさんは「その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。」と書いていますが、基本的に同意です。確かに、女子力を構成する服装、装飾、しぐさ、性格などの要素は、男性中心の社会構造の中に起源を持つものがかなり多数を占めるでしょう。しかしそれを「かわいい」とみなして受け入れてきたのは女性たちであり、受け入れられなかったものの多くはとうの昔に衰退して現在は観察不能でしょう。最初男性基準の「かわいい」であっても、次第に女性基準の「かわいい」に織り込むことができたものが、最終的に普及するのだと思います。「女子力」はその形成過程において、女子基準で「かわいい」という一定数以上の合意が必要となるのです。

さて、僕の観察では、女の子(いわゆる「女の子らしい」女の子)は「かわいい」=「良い」という等式に対して非常に合理的に行動します。女の子はとにかく「かわいい」ものが大好きなのです。目に入った「かわいい」ものは、取り合えず自分の周りに集めて留めておきたいのです。当然、集めた「かわいい」ものを身につけるのも、「良い」ことなのです。

例えば、様々な化粧のケースを見てください。様々な趣向や装飾が凝らされ、非常にかわいいことに気がつくはずです。化粧をするのが異性の目を引くためであれば、このような装飾は全く必要ありません。実際、飾ることを省いた化粧品もちゃんと存在しています。ドラックストアで牛乳石鹸の隣に並べられているB級コスメです。これらは、化粧品としては充分な品質を持っています。しかし、それでは駄目なのです。なぜならかわいくないから。品質は良くて当然。さらにかわいさが必要なのです。実際、いかに高品質化粧品であっても、かわいくなければ売れないのです。男性は何事も機能にばかり目を奪われがちで、意外とこの点に気が付かないのではないでしょうか。一時期、「スイーツ(笑)」と女性の一見非合理的な行動を揶揄することが流行りましたが、これは非モテ的男の遠吠えでしかありません。特にPCは高性能な自作だけど自分の外見にこだわらないキモオタなんかは、頭隠して尻隠さず的非合理的ルサンチマンです。「ゲームマシン(笑)」。

一方、「かわいい」=「良い」の式に矛盾すると単純に「悪」と見なされるます。この点における女の子の判断はとてもシビアです。

女の子ダイエットにこだわりますよね。お腹の肉が出てきました。かわいいですか?かわいくありません。悪です。ダイエットします。女の敵は女ですよね。男の子の視線ばかり意識して服を選んだりお化粧する女の子は、どこか打算的になりがちです。打算ってかわいいですか?かわいくありませんね。悪です。対立します。とにかく「かわいい」=「良い」という等式をいかに守るかが、女の子らしさの要なのです。


では、元記事のSさんは?

エントリーを読んだ感じですが、僕的にSさんは「悪」というわけではないと思います。

もっと根本的に、「かわいい=良い」流儀からのアウトローです。

 俺は、仕事を終えたあとで、例によってついったーにだらだら常駐していた。そこで「店長、女度を上げるにはどうしたらいいでしょう」と質問された。

 せっかくついったーにいたので、その場でTLに質問を放流してみた。その対応はどうなんだ、という話ではあるが、とにかくやってみた。

 もらった答えをいくつかわかりやすいように噛み砕いてSさんに伝えたなかで、ちはや氏の解答がクリティカルなものだった。ちょっといまついったーにつながらない状況なんで、記憶にもとづいた引用ってかたちにさせてもらうが、要は「かわいいって言われること」っていうのがその答え。これは核心だった。

 ちはや氏のポストをSさんに伝えたところ「あー、かわいいって言われても、ありがとうとは思うけど、別に欲しい言葉じゃないですね」と答えた。

 なるほど、多分、ここだ。

僕もここだと思います。

女の子同士の重要コミュニケーションの一つとして、「かわいい」ものを見せ合うのというものがあります。それはある種の流儀のようなものでもあります。だから、女の子同士でお出掛けするときというのは、化粧や服装に一段と気合いが入るのだそうです。

引用部分での「かわいい」の意味男性基準か女性基準か曖昧で、断定し難いのですが、おそらく彼女はそのコミュニケーションに乗り気でないのです。つまり、アウトローなのです。とゆうか、僕の観測だとこのようなアウトロ女子は少なくないと思います。男子の中に混じって「おめえは女じゃねえ」とか言われてる女の子の8割はこのタイプだと思います。(後の2割は計算高いサークルクラッシャー女子です。男子諸君、気をつけましょう。)

では、Sさんのような女の子がいわゆる「女子力」を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。常日頃から「かわいい」ものに対してアンテナを張っておくことことだと思います。「かわいい」もの好きな女子自然と「女子力」が上がるんだと思います。逆に、面白可笑しいものが好きな女子容姿まで面白可笑しくなるんです。たしか安野モヨコもそんなようなこと書いていました。自分が「かわいい」と思うものを集めれば、自分らしい女子力が身に付くんだと思います。

乱筆で偉そうな長文、失礼致しました。

教えてください

 少し前から一つの疑問を抱き続けているのです。果たしてそれが常識的なことなのか、私が知らなかっただけなのか。そして、その疑問から浮かび上がる私の感情を、もしそれが嘘ならば、いったいどこにぶつければいいのか、全く判らないのです。

 自分の運営しているブログに書こうかとも思ったのですが、素性が知られているし、それまでのエントリーとはあまりにかけ離れた、異質な内容になってしまう。匿名で書きたいのなら、それこそ2ちゃんねるでも良かったのですが、茶化されて終わりそうな気がして、踏ん切りがつかず、迷った挙句、こうして匿名ダイアリーに書くことにしました。疑問とは妻のことです。

 二十歳のころに大学で知り合った彼女は、少し大人しめな印象を受けました。遊びが主体のサークルとしては珍しく、彼女はいつも部屋の隅で本を読んでいて、時折起こる笑い声に、長い黒髪の奥からチラリと目を向ける程度でした。

 ただ、他のサークルの仲間から疎んじられていたかというとそうでもなく、皆で何かを決めている時に、勢いだけでやってしまいそうなところに疑問をぶつけ、話し合いの方向性を正すようなところがありました。そんなことから、彼女は仲間内から「一目置かれている」という形容が一番似合うような立ち位置にいました。

 彼女と最初に話をしたのは、飲み会の席での事でした。私はあまり人付き合いが得意な方ではなく、騒ぐことが好きな仲間たちとはあまり上手く馴染めませんでした。

 しかし、たまたま隣に座った彼女の雰囲気。真綿で優しく包まれているような雰囲気にひかれていき、ぽつりぽつりと、私は彼女と話すようになり、彼女もまた、ぽつりぽつりと、私に話をしてくれました。

 以後、私と彼女サークル内で、二人だけで話すことが多くなり、自然と一緒に外出し、当然の成り行きのように付き合い始めました。

 初めて彼女セックスをした夜のこと。とても崇高な時間を過ごした後の、穏やかな流れの中で、彼女は私の顔を覗き込み、微笑みかけてくれました。枕元の照明から放たれる、淡いオレンジ色の光の中での彼女笑顔は、まるでこの世のすべてのようでした。

 卒業後、仕事も決まり、この不景気の中、何とかやり通せる見通しがついた時に、私は彼女結婚を申し込みました。彼女はそれを快く受け入れてくれました。文金高島田に髪を結った彼女は別人のようで、私は少し恐ろしくなりましたが、そのあとに投げかけられた水面のような目線に、私はすっかり取りこまれて、気が付くと式は終了していました。

 結婚生活は順調だったと言えるでしょう。郊外マンションに新婚が暮らすくらいにはちょうど良い間取りの部屋が見つかり、私たちはそこに住んでいました。やがて産まれてくる子供のために取ってある、がらんとした部屋も、私にはなんだか誇らしく感じられました。

 結婚生活に不満を感じていたことがあるとすれば、食事のことでしょうか。一緒に暮らすまでは判らなかったのですが、妻はあまり料理が得意ではないようなのです。味自体はとても良いのですが、なぜか毎回、食事を口に運び咀嚼していると、糸のような歯触りを感じてしまうのです。私はあまり細かいことにこだわらないタチだし、それを感じるたびに「糸くずでも入ってしまったのだろう」と、そのまま飲み込んでいました。

 そうした生活を続けていたある日の朝。いつものように糸を租借した私は、用意を整え、玄関で靴を履いていました。見送ってくれる妻を背中に感じ、立ちあがって振り返ると、妻の肩に妙なものが生えているのを見つけました。

 何かのトゲのような、爪のような。うっすらと毛が生えているようにも見えました。

 私の視線を感じ取ったのか、妻は恥ずかしそうに肩に手を置き、「もう、やだ」と笑いながら洗面所に向かっていきました。一人玄関に残された私は、先ほど見た妙なものを頭に浮かべながら、「行ってきます」と部屋を後にしました。

 電車の中、仕事中、あの爪のことが思い出されました。彼女の肩にひっそりと置かれていた、黒く光るその爪は、しかし私は見間違いだろうと、思い出すたびに打ち消しました。

 仕事から帰ると、いつもと同じ妻が出迎えてくれました。私は少し、ホッとしました。

 不景気のせいでしょう、その頃の私は毎日サービス残業を強いられており、彼女にはいつも先に夕飯を済ませるようにしてもらっていました。

 白い蛍光灯の下で浮かび上がる食卓に、電子レンジメロディーが流れるたびに、おいしそうな食事が運ばれてきます。私がレンジ特有の暖かさに満ちた食事を口に運ぶのを、彼女はいつもそうしているように、ほほ笑みながら見つめてくれていました。

 「おいしい?」

 と、彼女が珍しく聞いてきてくれました。彼女自分料理感想を求めるなど滅多にない事で、私はここぞとばかりに褒めちぎりました。テレビレポーターのような私の口調に、彼女は今朝玄関で見せたような、恥ずかしそうな笑みを浮かべてくれました。

 「いいもの、見せてあげようか?」

 芝居がかった口調で、彼女は言いました。予想外の言葉に私が戸惑っていると、彼女はおもむろに席を立ち、自分の着ている服を脱ぎ始めました。セックスを誘っていると思ったのですが、そのような誘惑を彼女がするとは思っていなかったので、私の戸惑いは増していき、思わず立ち上がって制止しようとしました。

 彼女は私を言葉だけで止めてしまいました。産まれて初めて聞いた、ハッキリとした否定の言葉は、私を母親に叱られた子供のような、とても悲しい気持ちにさせました。私は立ち止まり、ブラジャーを外す彼女をただじっと見つめていました。

 「あなただから、見せるんだからね」彼女は露わになった乳房を隠しもせずに、ついと私に背中を向けました。白い光に浮かび上がった彼女背中は、峰のように白く輝いていましたが、そこに私は八つの黒い点を発見しました。それは規則正しく並び、肩甲骨から尾てい骨に向けて弧を描き、背骨を囲むようにして左右に四つずつ付いていました。爪でした。

 私は、今朝見た黒い爪が彼女背中に並んでいるのに気付くと、目を開き、そっと近づいていきました。右手の人差し指で軽く彼女の白い肌に触れます。ビクンと体を震わせた彼女背中を伝って、私の指は爪に触れました。冷たくて、すべてを拒むようなその爪は、彼女の体の中から、新芽のように浮きあがっていました。

 「女の子はね」妻は説明をしてくれました。「女の子は、生理が始まると同時に、こうして背中から脚を出せるようになるのよ」

 「脚?」

 私が問い返すと、彼女背中にグッと力を入れました。すると爪は震えだし、ゆっくりと、彼女の肌を掻き分けながら伸びていきました。それには関節があるようで、二度ほど肌を隆起させ、折れ曲がった部分を現わしていきました。

 やがてできったそれは、彼女の言うように見事な脚でした。硬くて黒い外骨格は、表面に透明の産毛をなびかせて、彼女を包み込むようにして生えていました。

 彼女くるりと振り返り、優しく包み込むような、それでいて誇り高い視線を私に向けてきました。それに射られると私は、電気で打たれたように、彼女を強く抱きしめました。彼女背中の脚で私を抱きとめてくれました。

 以降、彼女は、マンションの部屋の中では脚を伸ばしっぱなしにすることが多くなりました。彼女によると、それを背中にしまっているのはとても窮屈らしく、私が仕事に出ている時などはそうして、足を伸ばして休めていたそうです。女性は皆そのような脚を持っているそうで、女だけの空間では、気が抜けて、爪がうっかり顔を覗かせていることもままあるようで、それを指摘すると大抵、笑いが起こるとのことです。

 「当たり前のことよ」と彼女は言いました。「あなたが知らなかっただけ。女の間では当たり前すぎて、普段話題にも上らないわ」

 ある日曜の昼下がりなど、私が個人的な買い物から帰宅すると、彼女上半身裸で、胸をあらわに、脚を伸ばし放題に伸ばしながら掃除機をかけていました。面喰っている私を見て、彼女掃除機を止めて「お帰り」と何気ない口調で云ってくれました。

 そして、彼女のことを知った日から、セックスがそれまでと比べて何倍も楽しくなりました。

 私たちはいつも正上位で事を為すのですが、私が上になって彼女の中に入り、覆いかぶさるようにして腰を動かしていると、彼女背中から伸びた足、その爪が、私の背中カリカリと引っ掻くのです。時に優しく。時に、傷ができるほど強く。私がその痛みに苦悶しながらも、セックス快楽を止めることができず腰を振っていると、彼女は上気した顔で、艶めかしく、嬉しそうに笑うのです。その顔を見た私はさらに興奮し、彼女の爪もまた、私の背中を強く掻き、いつしか快楽と痛みが混ぜあわされ、同一となったところで、私はいつも果てるのでした。そんな私を彼女は、脚と腕で優しく抱きとめてくれる。それはまるで、母の中にいるような気持ちでした。

 そうして私は、いつしか彼女の足に掻かれるだけで、ひどく興奮してしまうようになってしまったのです。

 私は床にひざまづき、椅子に座っている彼女に見下ろされながら、自慰行為にふける。彼女は私を見下しながら、背中の脚で体中を引っ掻いてきます。胸を、腹を、背中を。私の体は蚯蚓腫れだらけになり、会社トイレズボンを脱いだ時に思わずその傷を目に留めてしまい、興奮し、一人でしてしてしまったこともあります。

 ただ、私は彼女言葉に信じることが出来ない部分があります。それは、「女の子ならだれでも脚を持っている」という部分です。本当にそうなのでしょうか。今まで私は生きてきたけれど、そんな話は聞いたことがないし、もちろん見たこともありません。私はこれまで妻一人しか経験がないので、他の女性の肌を見ることが叶わなかったのです。

 「誰にも言ってはダメ」と、彼女は最初の晩、初めて脚を出しながらセックスした時に言いました。「これは私たちだけの秘密なの。もし男の人にバレたら、それを知っていると知られたら、大変なことになる」

 しかし、私はどうしても知りたくて、こうして匿名で筆を取らせていただきました。

 最近、朝の通勤電車に灰色のブレザーを着た女の子を見かけます。近所の女子高生であろう彼女は、毎回私のマンションの最寄駅から二つほど行ったところの駅で降り、私の会社の最寄駅から三つほど離れた駅で下りていきます。ある日、たまたま仕事が早く終わって家路についている時、彼女部活仲間らしき子供たちと一緒に乗ってきたことがあります。私はマンションの最寄駅から二つほど手前の、彼女の最寄駅で降りて、彼女の後を追いました。ボブカットの黒い髪と、健康そうな肌が私の目には瑞々しく映りました。彼女は私の見ている前で、自宅へと帰って行きました。

 彼女にも脚があるのでしょうか。妻の言い分が本当だとするならば、彼女もあの艶めかしい脚を持っていることになります。彼女の脚の爪に引っ掻かれることを思うと、私の体は火をつけたように熱くなります

 もし、彼女が脚を持っているなら、妻の言い分が本当なら、私は彼女に声をかけてみようと思います。

 教えてください。女の人の背中には、蜘蛛の脚が生えているものなのでしょうか?

2009-09-11

「夢をあきらめないということ」を書いた人

夢をあきらめないということ

http://anond.hatelabo.jp/20090615075411

を大変遅ればせながら読んだ。夢をあきらめない姿と嫌味ない文体で、ひねくれ者の俺でもすんなり読めたし、感動した。これだけブックマークされる理由がわかった気がした。

かくいう俺も、サッカーライターになりたくてスクールに通っている。彼のように俺もあきらめずにがんばれるだろうか。かなり狭き門へいどむことになるので、最近では毎日が不安で仕方がない。一度社会に出てすぐやめて、スクールに通うことになった。親にも迷惑をかけたし、その分プレッシャーもある。うつ病になりそうだったこんなときに、このエントリーに出会えたのは大きい。

こんなすごいやつがいるなんて、とおれは必死になってこれを書いた人をさがした。少しでも自分のこれからに役に立つ部分があるんじゃないかと思いながら。そしてある記事を見つけた。

footballnetが掲載されたメディア

http://footballnet.sakura.ne.jp/2005/07/footballnet-1/

ここにナンバーに載ったと書いてある。出ている号も彼がいっている時期に近い。とりあえずなんとかしてバックナンバーを手に入れて確認してみようと思う。記事は2002年からしかないのだが、ほかのエントリーで昔のやつが消えたとか書いてあったので、このブログ主なんだと期待しているんだが、どうだろうか。

ブクマコメにもあった、本人です的ブログはほぼ更新されていないが、リンクになぜかfootballnetとあるし、かなり濃厚だと思っている。ナンバーを手に入れて確認したら、彼とコンタクトして実際にあってみたいと思ってる。会ってくれるかな。。

2009-09-10

夫に嫌がらせをした人

 一昨年の今頃、夫(当時61歳)の肺ガンが発覚した。

 夫には姉(当時73歳)がおり、玄関と廊下だけ共有している二世帯住宅で同居していた。義姉はマイペース(というか、回りを見てない)な人でいろいろと軋轢はあったが、夫の入院まではなんとかうまくやっていたと思う。

 さて、夫が「余命半年から一年」と診断されて、夫の親近者が主治医先生の説明を聞きに行くことになった。夫の父親は夫が15歳のとき、母親は夫が28歳のときに他界されており、ほかに近しい親戚と言えば、もう義姉しかいない。当然、声をかけた。

「ガンがどんな病気だか知ってるから聞かなくていいわ」と断ってきた。こんなときまでマイペースな人だと思った。

 しばらくすると「申し込んでいるツアーに出かける」と言い出した。3週間の海外旅行である。

「まだ大丈夫なはずですが、半年と言われて三日で亡くなった方もいらっしゃいますよ? 帰ってらしたときはお骨になっているかも知れませんよ?」と念を押したら「どうせ、間に合うようには帰って来られないから、弟が死んでも連絡しないで」と言う。このときもまだ私はマイペースな人だと思っていた。

 海外旅行から帰ると、病院に見舞いに来た。

「毎日、何してるの?」と訊く。繰り返すが夫は肺ガンの末期で入院加療をしているのだ。しかも、義姉は「それがどういうことだかわかってる」と言ったのである。

「寝てるよ」と夫が短く答えると。

「あら、毎日ゴロゴロ寝てられていいわね」と言い放った。

 実は義姉は5年前にも入院した伯母のところに見舞いに行き同じことを言って病室を追い出されたことがある。伯母から義姉を口汚く罵る怒りの電話がかかってきたので私は知った。うちと義姉とは電話番号が違うので、義姉の許可を取って義姉の電話番号を教えた。伯母の怒りはおさまらず、1週間ほど義姉の電話が鳴りっぱなしなのが、壁のこちら側にも聞こえてきた。

 あんなに怒られたのに病気で寝ている人間に「いいわね」などと言ったら神経をさかなでするということを覚えていなかったのだ。

 このときを境に、夫は義姉の見舞いを嫌がるようになった。

 4カ月経って、一度危篤状態になり、私は病院に泊まらせてもらった。一カ月後に、いよいよ、もうダメなので会わせたい人は呼んでくださいと主治医先生に言われたとき、私も夫も義姉はいらないと思っていたのだが、私の母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あんたは血の濃さをわかってない」とゴリ押ししてきて、義姉を呼んだ。

 最後の対面となる。

 その席で。

増田(私のこと)がろくに家事をしないので、家の中がグチャグチャだ。なんとかするよう言ってやって」と言ってきた。

 散らかっているのは、主に、義姉さんの荷物ですけど、と思いはしたが、まさか、たった一人の肉親との今生の別れのときに、ケンカを買うわけにもいかない。黙っていたら「あれも出来ない、これも出来ない、子供もひどい」とさんざん言い出した。

 最後には夫が「もう黙れ。出て行け。二度と来るな」と怒鳴りつけて、ようやく口を閉じたのだ。

 200909101314追記。

 たくさんのブコメトラバありがとうございます。

 夫亡きあと(あれだけのことをしたのだから、当然出て行くつもり)だと思っていた思惑を外されまして。家庭裁判所にまで持ち込んで騒いだ挙句、「私は義姉が、75歳のお年寄り年金暮らしの弱者であることを考慮して、死ぬまで私の家に住み続けることを認める」「義姉は玄関を分ける費用を出して、増田(私のこと)と増田家族に今後いっさい干渉しない」と文書を交わして取り決めました。

 ところが、昨日から、義姉は在宅している(洗濯物を干していたり、夜電気が点いていたりするのでわかります)にも関わらず、郵便屋さんが届けてくれる荷物を受け取ろうとしないのです。一昨日、うちのポストに入っていた不在票を義姉のポストに入れなおしたので、不在票を見て郵便屋さんに連絡を入れた上で、居留守を使っているのだと思います。他人に迷惑をかけ続ければ、私が折れて、また、夫が生きていたときのように義姉の召使をすると思ってるんでしょう。たぶん。今までのいろいろな経緯を考えると。

 その手にのるか。とは思うのですが、なんの関係もない郵便屋さん(三回来てます)にご迷惑をおかけするのも心苦しく、一昨年の義姉の仕打ちを思い出して(ここで折れてはならない)と心に言い聞かせていたところ、ふとしたはずみに、また母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あの人だって決して嫌がらせしたわけじゃない。あんたはどこまで依怙地になるの」と言われて、頭に血が昇ってしまったので、このエントリーに吐き出せてもらいました。

 ここまでされたら、通常、縁を切るってと、何度も母には言ってるんですけど理解してくれないんです。自分兄弟と仲良くしているから、血が繋がっていても情が湧かない人が存在するということが理解できないんです。

 その母ももう83歳で、まだ食事の支度はしていますが、ほかのことは私が援助している状態なので、そんな言い合いを続けているわけにはいかないんです。増田があって良かった。ここに書き込めたおかげで、また、母とは穏やかにやっていけそうです。

 ちなみに、私は47歳です。夫と16歳違うんです。年々歳が近づいていくのが寂しいです。

 夫は最期まで元気でした。若いとなかなか弱らないそうです。助からないと決まっているのなら、早く楽にしてと思う反面、元気そうに見える夫を見ていると奇跡が起こるんじゃないかと期待してしまったりして、いろいろしんどかったです。

 

 今は元気です。義姉には関わらないように生きていこうと思います。

 ありがとうございました。

2009-09-08

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090908/1252338722

エントリー書いたときは、もっとボコボコに叩かれるかと思っていたが、やさしいコメントトラバが多くて嬉しかった。

こういう風に、自身のブログで取り上げて、アドバイスしてくれる人もいて、マジで感謝している。

できれば本名を出して御礼を言いたいが、こうして匿名でしか伝えれないことを許して欲しい。

色々と参考にしてみます。ありがとう。

2009-09-06

物書きの才能があるのかしら

笑いたければ笑え的なタイトルにしてみた。

マンガしか読まない典型的活字離れ世代の俺だが、それでもどうにか自分の気持ちを人に伝える程度の文章ぐらいは書けるようになったようだ。

夏目漱石とか芥川龍之介とか、ああいう文豪と呼ばれる人たちの長ったらしい小説を読まないと文章なんて書けないと思っていた。

これはどういうことだろう。

増田で投稿する俺のエントリーがよく当たるのだ。文学作品に触れる機会なんて無かったわけだから、難しい比喩表現のストックも無ければ四字熟語や諺に強いわけでもない。

それなのに、100ブクマ以上ついたエントリーの方が、それ以下のものよりも多い。

断っておくが、「○○するためのたった一つの方法」といった、無能御用達の3流ビジネス啓発本(サンマーク出版とかが出してるようなやつ)のようなTIPSブクマ数を稼いだわけではない。

自分の失敗談や、価値観人生観をつたないながらも実直に表現してきたつもりだ。

あれ? 俺ってなんか凄くね? そんな俺が今から本を読みまくって、賢くなったらもっと凄い文章が書けるんじゃね? とふと思ったの。

まぁ、はてブユーザーから共感得られたってそれが読み物としての面白さのバロメータってことにはならないんだろうけどさ。

ただ、一つだけわかったことは、本は一切読まなくても他人から共感を得られる文章は書けるようになるってこと。ブクマは、やっぱり沢山付く方が嬉しい。

読書入門者におすすめの本があったら教えてください

2009-09-04

ダウンロード違法化反対家はセキュリティ研究家にどう対応すべきか

このエントリーを書くべきか大分悩んだが、セキュリティ研究家(以下Sとする)周辺で余りにも判っていない意見が乱立しているので書く事にした。

ことわっておくが、私は件のダウンロード違法化反対家を擁護する気は全くない。寧ろ強い怒りを感じる。

だが、それはそれとして、ここで書くのは別の話だ。

なお、ここではダウンロード違法化反対家(以下Dとする)が「SがDの事を記載した」と認識しており、かつ「本当にDの事が書かれていた」物とする。

Dがやるべき事は以下の6点である。

これだけで良い。

名誉毀損罪は具体的氏名を挙げていなくても成立する。

更に、名誉毀損罪は毀損の内容が事実であっても成立する。

背徳または破廉恥な行為のある人、徳義または法律違反した行為をなした者であっても、当然に名誉毀損罪の被害者となりうる。

今回のSの日記名誉毀損罪の成立要件を充分に満たしている。

では、Sはこれに対して何が出来るか。

恐らく出来る事は何も無い。

考えうる対策が役に立たない理由を以下に示す。

  • Dの事を書いた訳ではないと主張する

「DのIPアドレスを入手した」等の記載からSがDを特定した方法は明らかである。

日記の内容が真実であると主張するならば、Sが誰の事を想定していたかを偽装する事はまず不可能だろう。

また、日記全てが架空の話だと主張する事は可能だろうが、その場合、Sの信用は地に落ちる。

Dにとってはそれ以上裁判継続する必要も無いだろう。

  • 真実性の証明による免責を訴える

名誉毀損行為がa)公共の利害に関する事実に係るもので、b)専ら公益を図る目的であった場合に、c)真実性の証明による免責を認められる。

a)に関してはS(ないしS周辺のBLOG)が主張する通り公共の利害に関する事実であると認定されるかもしれない。

b)に関しても同様だが、SとDはa)に関連する事項で主張を違えている。また、Sの日記上、明らかに感情的にDを罵倒・嘲笑する記述が散見されており、「専ら」公益を図る目的であったと認定されるかは危うい。少なくとも裁判官の心象は相当に悪いものだろう。

最大の問題はC)である。

Sの主張は「偶然入手したIPアドレス」を元に「監視システムの記録」と一致したと言うものである。

しかし、「偶然入手したIPアドレス」がDのものであった事を証明する方法があるだろうか。

仮にあったとして、そのIPアドレスが「監視システムの記録」と一致したからなんだと言うのか。

「監視システムの記録」というが、所詮、自作サーバ自作ソフトウェアログに過ぎない。そんなものが裁判の証拠に成り得る訳が無い。

監視システム自体がwinnyネットワークを正しく記録している事は裁判後にも証明可能だろう。

だが、Dを糾弾したログの真正性を証明する事は不可能だ。少なくともSだけでは絶対に出来ない。

真正性を証明しようと思えば、同じ様にwinnyを監視しているセキュリティ研究機関のログをあてにするしかない。

公的機関がやっている記録ならば、裁判でも証拠として採用されるだろうが、個人のシステムであれば真正性は同程度だろう。

しかも、Sのシステムは単純にIPアドレスを記録しているだけでなく他の情報も記録しており、Sの主張はそれらの組み合わせで構成されている。

同じだけの記録を保管していて、なおかつ真正性を保証出来るだけのセキュリティ研究機関が都合よく出てきてくれるだろうか。

出てきてくれれば、なんとかなるかも知れない。

なければアウトだ。

監視システムログなど持ち出さなくても、Dが利用しているISPログを提出させれば良いと思う人も居るだろう。

過去に使用していたIPアドレスもそれで判ると。

だが、ISPログがいつまで保存されているかはISP次第だ。

一応の目安として3ヶ月位になっているが、絶対に3ヶ月保存しろと言うものではない。

Dは3ヶ月で不安なら、半年待てば良い。1年でも待てば良い。

名誉毀損罪の公訴期限の方がずっと先だ。

半年経って何故今更、と言われたら公訴方針を弁護士と相談していたと言えば良い。

真正性の証明が出来ないと言う事は、「Dの悪行」自体証明できないという事に他ならない。

これも選択肢として有り得る。

確かに名誉毀損はしたがDの悪行は証明された、と言う結末だ。

だが、Dの行為を証明する為には、先に述べた真正性の問題を解決しなければならない。

従って真正性の問題を解決できたが、公益性が認められなかった場合の選択になるだろう。

要するにDと心中だ。

しかし、名誉毀損罪の法定刑は3年以下の懲役若しくは禁錮または50万円以下の罰金である。

さて、私が言いたいのは「図に乗ってんじゃねーぞ、くたばれS」って話ではない。

私としては、SにDの様なくだらない人間心中されては困る。

不法行為セキュリティプライバシー著作権侵害児ポル等々)に関わる研究は、それ自体が不法行為に近い行動を伴う。

winny著作権ファイルが流れている事を確認する為には、流れているファイルを見なければならず、それ自体限りなく著作権侵害に近い。

捜査権のない個人がやるならなおさらである。

強力な捜査能力を持っていると言う事は、捜査権を持っていると言う事を意味しない。

強力な発言力・影響力を持っていると言う事は、何を言っても良いと言う事を意味しない。

目的の正当性は、手段を正当化しない。

してはいけない。

筋の通らない事をやっている人間が居て、それが虚飾に満ちている事を知ったとしても、それを個人で裁く事は許されない。

それはただの私刑だ。

その昔、脆弱システム運用する企業に対して私刑の如く罵倒し、企業の無能を暴露しまくった人が居た。

結局、その人は正当な手順を踏まずに脆弱性暴露し、結果として逮捕された。

ミイラ取りがミイラになってしまったのだ。

個人がやれる事には限界があるし、一般的な限界突破出来る能力を持っていても、超えてはいけない一線がある。

今回のSの行為はその一線を超えている様にしか見えない。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」のだ。

2009-09-03

根拠のない批判はもう止めないか ネット右翼アンチの泥試合

選挙前に2ちゃんねるを中心に出回った、いわゆるネット右翼と呼ばれる人たちを誹謗中傷する内容のイラストを描いたのが、日経ビジネスオンラインコラムを連載している小田嶋隆氏ではないかという疑惑がある。

・とてつもなく日本 : 最近よく目にする。この絵を描いて2ちゃんにばら撒いた人物。

http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51268307.html

こちらの記事では、出回ったイラスト小田嶋が描くそれが似ているのではないかという指摘がされている。

こちらが2ちゃんねるで出回った誹謗中傷イラストの1つ。

http://livedoor.blogimg.jp/gekisha-krw/imgs/1/c/1c21ac8b.jpg

こちらが小田嶋氏のイラストの掲載されたコラムの1つ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090828/203664/?P=1

小田嶋氏の描いたイラストは他にもこちらで見ることができる。

http://images.google.com/images?hl=ja&lr=lang_ja&um=1&q=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%B6%8B%E9%9A%86%E3%81%AE+%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%7C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB&sa=N&start=21&ndsp=21

疑問点として、同一人物の描いたイラストと判断できるほど似ているだろうか?「なんとなく似ている」というだけで、中傷イラスト犯人小田嶋氏に決め付けているのではないだろうか。

この指摘を鵜呑みにし、小田嶋氏を非難する書き込みが多く寄せられる。小田島氏のブログにも直接非難コメントが多く寄せられている。そこに、小田嶋氏のものと思われる、この件の関与を否定するコメントが書き込まれている。以下、無断で転載させていただく。(問題があり次第削除させていただきます)

 これ以上荒れるのも面倒なので一応お答えしておきます。

 コメント欄の上の方で引用されているイラスト2chに出回っているいわゆる「ネトウヨ」の絵)は、あれは、私の作品ではありません。

 っていうか、ちょっと見てわかりませんか?

 まるで違うじゃありませんか。

 ちなみに申し上げれば、イラスト描きとしてのオダジマの作風は

1.「ペン入れ」をしない

2.下描きの線を消さない

3.ゴミを取らない

 という、プロにあるまじき以上の3点において特徴づけられるもので、件のネトウヨカリカチュアの下品ながらも丁寧な仕上げぶりとは対極を為す世界に属しています。

 以上、否定の弁でした。

 以後、この件についてはお答えしませんのであしからず

 小田嶋隆 2009年9月02日 22時23分

お知らせ: 偉愚庵亭憮録コメント欄より。

個別のエントリーで書かれておらず、見つかりにくいだろう。気付いてないのか、信じようとしないのか、否定コメント後も非難コメントは続く。

本人が否定している以上、件のイラスト小田嶋氏のものであると非難する方には納得できる根拠を提示していただきたい。非難を表明した方は、何らかの反応をする責任があるのではなかろうか。撤回するのか、納得できる根拠を提示するのか。もっとも、「気付いてない人」が多いだろうが。

この件に関して、まず問題なのは件のイラストの内容の酷さだ。

件のイラスト選挙前から2ちゃんねるの多くの掲示板に出回ったらしい。その内容は酷いものだ。自民党支持者・麻生総理(当時)支持者を明らかな悪意をもって醜く、愚か者に見えるように描かれている。風刺だジョーク事実だという声があったが、僕にはそう思えない。あからさまな偏向、根拠無き誹謗中傷にしか思えなかった。

そしてそのイラストが、今度は日経コラムニスト批判に使われる。「マスゴミ陰謀だ」と。

もうたくさんだ。見えない敵に向かって不確かな情報を元に空虚な批判をするのはもうやめないか。

批判って、もっと用意周到に相手の一番嫌がる所へ的確を殴りつけるものなんじゃないか。空虚な批判は、頭抑えられてグルグルパンチしてる池野めだかコントのようなもんだ。ギャグでやってないんならオナニーだよそれは。

威力は無いが目障りな分性質が悪い。それに陽動される馬鹿も多いし。ただそれは、似た考えの者同士が集まって内輪基準で楽しんでるだけなんだけじゃねーの?

2009-08-24

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090710/p2

旬の作品の考察言及するという形で、一つのエントリーに22個のアフィリエイトリンクを張り、

面倒なんで単価の計算はしないけど、半数以上は単価のそこそこ高いDVD

と、こういう部分だけ注目してみればなんて露骨な…となりそうなものであるが、そういう感想が無いところを見ると

読者にそれを感じさせないだけの魅力がこの考察自体にあると言う事なんだろうか

2009-08-20

自分恋愛市場エントリーできてないくせに、他人に「出てくんな」とか指図するってどんだけ

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