はてなキーワード: アフリカとは
http://anond.hatelabo.jp/20100119124726
上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。
植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地は近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。
最初にいただいた反論は、日本の植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人の生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。
まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業は植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。
また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主の土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。
重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。
で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮の生活水準:大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学の木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、
この論文では日本統治下での朝鮮大衆の生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入、農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆の生活水準は植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。
言うまでもなく、識字率とはハングルの識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまいな言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者のアマルティア・センの生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産や効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率、栄養摂取などに着目しようというものだ。
ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人の身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人の健康を損ねるレベルでカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。
一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。
これらの要素から、木村教授はアマルティア・センの基準に基づいて、
M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.
http://www.jstor.org/stable/2122408
日本は英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義や排外主義の立場の人の言い分ですね。
しかし香港やシンガポールは英国の植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。
この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中の植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮と台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリスの植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、そしてポルトガル。アフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチの宗主国はフランスである。
http://www.jstor.org/stable/2724912
あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人の努力の賜物だとも言えますよね。
まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。
教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。
後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリーで引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮の鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。
前段については、「北朝鮮が経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国の経済成長が韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験や技術、各種インフラ、教育制度、官僚機構などを日本の植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長の必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本の植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。
アグネス 「アフリカの子供たちの為に飲食店でタダで出される水に金払え。100円以上な」
ttp://minisoku.blog97.fc2.com/blog-entry-372.html
Posted by 2009-07-15 23:57
1ドルだけどね。
黒柳徹子自身はトットちゃんの印税なんかで毎年1億円くらいはユニセフに寄付している。
日本ユニセフ協会通称偽ユニセフは一応国際児童基金にロゴマークなんかを使うことを認められている下っ端の組織。
20~30年くらい前まではそれなりにマトモな団体だったけど、創価の犬アグネスがなんちゃって大使になった頃から創価の集金団体に成り下がった糞組織。
国際児童基金親善大使の黒柳徹子に対して日本ユニセフ協会を日本唯一のユニセフ募金団体にしろと脅しをかけていることでも有名。
散々でているけど、偽ユニセフは募金額の25%を経費として持っていくがそれ以外にもなんだかんだでさっ引いているので集まった募金額と実際に寄付した額は公表していない。
【外国人参政権を認めた国は例外なく崩壊する】
ニュージーランドが継続在住1年以上の永住権所持者に一部認めましたが、
おかげで人口に対する犯罪率が人口1000人に対し105.9件で世界で2番目という最悪の事態を引き起こしました。
ニュージーランドといえば、キウイ族に代表されるようにとても穏やかでのんびりした優しい民族たちの住む治安のいい国でした。
それがそののんびりしたお国柄に付け込んだ恐ろしい外国人たちのエジキと成り果て、
10人に一人以上の割合で犯罪が起きているということは異常事態です。
2年以上在住の者に地方参政権を認めたフィンランド101.5件で世界に3番目
3年以上在住の者に地方参政権を認めたデンマークも92.8件で世界で4番目
継続在住5年以上で国政選挙権および地方選挙権を認めたチリも88.2件で世界で5番目
5年以上在住の者に地方参政権を認めたオランダも人口1000人に対し79.6件もの世界第9位の犯罪率です。
これらは凶悪犯罪が多くて有名な治安の悪い南アフリカ共和国よりも上位に来ています。
外国人参政権や移民の受け入れは治安の悪化どころか崩壊につながるのです。
アジア・アフリカ・旧ソ連・北中米圏では、外国人参政権を認めている国はほとんどありません。
ありえる未来の話、中国が世界の覇権国となっているこれから50年後の世界、インドだって凄い。その時日本は衰退しつつあって、才能ある若者は皆中国でチャンスを掴むために移住していく。中国も多民族国家になりつつある、特に経済特区地域に関してはそう。
よくある議論としては、民主党政権が1回あった後、自民党政権に戻る。(4年後とか?)そこで上げ潮議論が再度台頭して、というかグリーンな国?というか戦後そんな議論がずっとあったくせにいまだにそのまま。ということは、今後も変化はないのか。移民受け入れは合法・非合法共に関係なく進むと思われ。なので地域によっては住みづらい地域も出てきて治安も悪くはなるが、諸外国ほどではない。移民の参政権が認められることで国政も大きく変化、日本もしぶしぶ他民族国家への道を歩むが、もはやその段階で国際的発言力や存在感はなく、中国がアジア諸国をリードして、アフリカ(その頃の新勢力)と手を握って経済成長を引っ張りつつある。そんな中、新たな経済圏も生まれつつある?かつて先進国だった国々からドロップアウトした若者がアフリカなどの国に移民して新たな生活圏を確立、ゼロベースでやり直そうという動き、そこも長期的にみれば新たな勢力になりつつある。
ITはさらに革新が進み、人の移動なくして情報の移動性で世界はより小さく、フラットに。宇宙開発も進み、家一件分ぐらいの値段で宇宙に行くことも可能に、個人もいける。さらに長距離ロケットが開発されて、太陽系以外への進出も考えられるように。
世界中の人々が情報を手に入れるとどうなるのだろうか?より不幸になる?自分の現状を比較対象として考えてしまうから?経済的に(社会的ではなく)考えてしまうから?ここれから起こり得る医療革新、科学革新、寿命がさらに延びる、延命治療、癌を治す技術、アルツハイマーを治す技術、遺伝子を操作する技術、不妊症を治す技術、融合が進んでいく世界の文化、もしくは2つ以上の文化を自分のものとして会得することが普通に、もしくはそういった若者の増加、多様性容認の高まり
お金は、貨幣はデジタル化が進み、世界通貨の可能性が模索され、もはやヒト、カネ、モノ全てにおいてヒトだけが差別化要因になる。
というか現実貨幣はそのままなんだけど、googleが2014年仮想通貨制度を導入、それを使えばgoogleにお金を預けるだけでどこにいても決算が簡単可能になる。巨大企業によってさらにフラット化が進む世界。世界規模で勢力を伸ばす多国籍企業の勢いに追いつくために、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカと大きく4つに分けた地域で法制度の確立が求められる。
こうなってくると、世界のどこに住むかは、どの気候や文化を好むかということになり、それ以外の制約はなくなる(google決済サービスで給与も振り込まれ、google rentで家賃も振り込めるのだから)
さて、そのgoogleに大きな脅威が現れる。それは革新するロボット技術であり、そもそも経済活動の根本である、ヒト、モノ、カネのヒトを省いてしまう可能性があった。経済活動において、自分で考えるAIを載せたロボットが登場し、ロボットが労働をしてくれるのだ。しかもアフリカの振興企業の勢いもあり(中国企業もそれには手をやいていた)次々と価格破壊が起こるロボット市場。1月分ぐらいの給料で自分のロボットが手に入るようになる。さらにはロボットOSのオープン化、規格標準化が行われ、ソフトウェアアップグレード(それも自動)で凄い勢いでロボットが進化するようになる。身体の一部にロボットを組み込む人間も現れる。もはやここからはSFの世界だけれども、その辺までは進む気がする。そこで落ちぶれた日本の企業が再度注目される?アトム?笑
若い人々は比較的新しい文化を受け入れ易く、かつ自分たちの文化を形成し易いので、法制度と経済圏などが確立していれば後は気候などで判断する。沖縄が人気になっており、多くの若者が中国にも近い沖縄にコミューンを作って暮らしている。沖縄は日本の経済特区となり、国際空港やITインフラが整備されている。物語は、そこから始まる。
そうともいえないだろう。アフリカとか後進国の貧困支援なんかは定番だろ。
これも違うだろ。未開の土地のない先進国でも大体経済成長は続いてる。
現在、地球で人間が支配していない土地はほとんどなく、資本主義が爆発的な速度で成長するための器が見つからなくなってきている
インド中国は爆発的に成長してるし、宇宙開拓は成長戦略というよりソ連との軍拡競争の一環わけでどっちも違うのでは?
つまり、現社会では資本主義は本来であれば頭打ちになっており、未開の分野、資源が見つからないと劇的な効果を生み出せず停滞する
新分野に注目するのがなぜ資本主義が頭打ちの証拠ってことになるのがわからん。
別に資本主義に関係なく新分野が出てこない=社会の停滞なんだから無意味なトートロジーじゃなかろうか。何でもかんでも資本主義でひとくくりにしてるから社会の変化が見えなくなってるように見える。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
滞在していた国はシエラレオネと言う国だそうで、そこはイギリスの植民地だった国ですから公用語は英語ですね。
(アフリカと一口に言っても、どこの国の植民地だったか、で公用語は変わって来ますから)
・・・つい調べちゃったよ(´・ω・`)
(1)なぜレイプしたのか?
相手の男が異常者だからです。私も含めて普通の男性は女性が嫌がると勃起しません。男は意外と繊細な生き物です。嫌がっている女性を相手に勃起するのは異常者です。レイプや痴漢のビデオがありますが、あれは「ヤラセである」という大前提があり「架空の映像」だから勃起するのです。実際に本物のレイプビデオ(見たことがあります)はグロテスクで吐き気がするだけです。戦争ゲームなどで人を撃ち殺して楽しんでいる人が、実際に生身の人間を楽しんで撃ち殺すことが出来るでしょうか。架空の世界の楽しみを実行に移してしまうのは、その時点で異常者なんです。異常者は被害者を見下しています。白人がアフリカの黒人をレイプしたこと、沖縄で米兵によるレイプが後を絶たないこと、日本軍が出征中の海外でレイプしたこと、中国人が東南アジア旅行でレイプすることなどは、他の国の女性を見下しているからに他なりません。彼らの多くが自国に帰れば正常な人間です。上司が部下に、教師が生徒に対してセクハラをするのも、相手を「自分より下の人間」と思っているからです。本来、女性の意思や尊厳を尊重していればレイプなどできません。しかし、見下しても構わない相手なら、突如としてレイプの対象になります。また、酒やドラッグなどで意識が混濁していると、正常な人間でも異常な行為に及ぶことはご存知の通りです。本来、性行為は男性、女性の双方にとって動物の正常な欲求です。しかし人間以外の動物ではレイプによる性交は事実上存在しません。レイプは人間固有の精神疾患です。
(2)なぜ私なのか?
立会い出産の為に仕事を休む事が当たり前になるより、夫が妻の世話を(例え最低限でも)出来るのが当たり前と言う世の中になった方が
となってるっていうこと?
元増田に聞かないと分からないけれど、これは提案というよりただの愚痴のようなかんじがするなあ。
妊婦雑誌にはよく「一週間を乗り切るための保存食メニュー」と言うコンテンツがある。
「妻(自分)が出産後退院するまでの間に夫が食べられるような保存食のレシピの紹介」と言う内容だ。
の部分。
私個人の意見は、出生率が減ったのは、人口が増えすぎたことが原因だと思う。
そんなに調教の腕がいいなら、アフリカでメスライオンを素手で調教して、性奴隷にするとか
元日記:http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091130/1259544537
まず第一に、犯罪や事故が起きたら防犯や注意を呼びかけるのは当然。火事が起きたら「火の用心」だし、盗難が発生したら「戸締まり」をしようと呼びかける。これは至極当たり前のこと。曽野綾子が言ってるのは、「レイプされたくなきゃ自衛しろ」ってことで、それは不特定多数の男の性欲を無闇に刺激するような格好をするなとか、夜道を歩くなとか、むしろ常識とも言えるようなことを指摘してるだけ。「刺激的なファッションもいいけど、仲間だけで家の中に籠もってやってろ。そんな格好で夜道をうろつくな」って話。アホなヤツはそれをヒステリックに揚げ足をとって「犯罪者を正当化するんじゃねえ」とか言っちゃてるけど、「戸締まりしようぜ」っつーのは泥棒を正当化する主張なのか?違うだろうが。露出度の高い格好で街中をうろついたり夜道をひとりで歩くのが異常なんだよボケが。
次に、性犯罪被害者が傷つくから防犯を呼びかけるなってのはセンチメンタル過ぎるし被害者の自分勝手すぎる。犯罪や事故の被害者は誰だって(多少はあるけれども)傷つくだろう。例えば火事に遭ったりしたらそりゃあもう大変なショックじゃないか。泥棒にコツコツため込んだお金(例えば一千万ぐらい)を盗まれたりしても相当凹むよね。普通の人だったら、自分が被害に遭ったならなおさら他者に被害に遭わないように呼びかけるべきというか、そう思うものじゃないか。もちろん自分も同じ過ちをしないように気を引き締めてね。
しかしこのイカレた糞アマは「ああかれらがまもりたいのは、わたしのような、あるいは彼女(彼)のような、やられちゃった女ではなく、無垢な処女、あるいは少女なのだ。」なんて考えちゃうわけ。防犯しましょうって意見に対してここまでひん曲がった発想をしちゃうわけだよ。おかしいでしょ?醜い!まったくもって心が醜い。
同じだよ同じ。被害者もまだ被害に遭ってない人もひっくるめて、これから次の被害が出ないように自己防衛をしっかりしましょうって言ってるの。いくら防衛しても被害を根絶することは不可能だろうけど、防衛してなくて、例えば夜道をひとりで挑発的な格好で歩いてて犯されても「そりゃお前がワリィだろ」って話。家の鍵をかけないで泥棒に入られても、警察だって「鍵かけようね」ぐらいしか言えないじゃん?自分に落ち度があるんだもの。雪山で遭難した人が居ても「好きで登ってたんだもの、ある意味仕方ないよね」って思うじゃん?「好きで挑発的な格好をしてたんだもの、ある意味仕方ないよね」ってこと。
だからそれと同じように、被害に遭いそうな行動は慎もうねってだけの話。話のあらすじはこうよ。だから曽野綾子に突っ込むとしたら「主張は正しいけどその喩えは適切でない」ってことになるの。兵隊なんて相手殺しちゃってるしな。夜中に基地の近くに居て売女に間違えられるのは仕方ないかも知れないけど、殺されるのは仕方なくねーって。(売女に間違えられることに対してもヒステリックに反論されちゃ適わんがな。お店に並んでるものは売り物だと思うだろ?)あと、曽野綾子の「結果を期待して」っつーのも何も「結果=レイプ」じゃないだろうに。結果が何というのを明確には書いてないが、普通は「挑発的な格好をすることによる結果=男を挑発すること」ぐらいに考えるんじゃね?「結果=レイプ」と短絡的に考える奴らは読解力磨いた方がいいね。不特定多数の男を挑発した結果、レイプされるのはある意味仕方ないけどね。好きなファッションをしたいとか駄々こねてんじゃねーよお子ちゃまが。調子に乗るんじゃねえ。
第3に、FGMの話を冒頭で持ち出しているが、レイプとFGMはまったく違った問題。FGMは文化としてアフリカに存在するし、親によって行われることが多いので被害者が防ぐことは不可能。しかし、いい歳した女が露出の高い格好したり夜道を歩いたりするのは防げるだろっつーの。本当に自衛できない話を持ち込んで、論旨を無理矢理変えるんじゃねえ。曽野綾子の喩えも酷いが、フランチェス子の喩えはもっと酷いな。
http://anond.hatelabo.jp/20090503233005
これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年度バージョンだったらしい。
元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。
1年毎にまとめられているようで、これの2007年度バージョンを見つけたので貼ってみる。
4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン
9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ
10 黄金の法 大川隆法
15 パンセ パスカル
20 シブミ トレヴァニアン
22 もの食う人びと 辺見庸
26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン
30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁
32 薬菜飯店 筒井康隆
34 変身 カフカ
35 チリの地震―クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト
40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド
44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
47 最悪 奥田英朗
50 泥流地帯 三浦綾子
57 魂の駆動体 神林長平
60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルース・スタイルス・ガネット
65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール
66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック
67 夏草冬涛 井上靖
68 家守奇譚 梨木香歩
72 アリス―Alice in the right hemisphere 中井拓志
74 かめくん 北野勇作
76 てのひらの闇 藤原伊織
77 極大射程 スティーヴン・ハンター
78 初秋 ロバート・B・パーカー
84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ
85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎
90 サムライ・レンズマン 古橋秀之
92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード
95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダムズ
98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ
都会から田舎へ引っ越して早数年、田舎の人々の程度の低さに辟易している。
都会在住者と田舎でしか生息できない人々の間には経済的な面のみならず、いわば人間としてのレベルの格差が存在する。
人間は決して平等ではないのだ。田舎出身でもレベルがある程度高い人間は、必ず出身地を見限って都会へ出て行く。
そして田舎に残るのは、そこから脱出することすらできない低々スペックの人ばかり。
そんな低レベルのコミュニティでは都会レベルのスキルは無用の長物。原始人に新幹線は必要ない、そもそも理解不能なのだ。
オーバースペックなものを苦心して噛みくだえて与えても、それでも彼らは受け入れる事ができない。
結局放り出してしまい、石器時代に後戻り。アフリカかどっかでも似たような話があったような。
都会が繁栄し、地方が衰退するのは当たり前。住んでみれば一目瞭然、結局人の差なのだ。
「にんげんをかえせ」という題の、広島の、原爆や戦争を書いた、ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ。
それを朝ソファで読んでいて、寝て、リビングのテーブルに置いておいたら母が読み始めた。人と本を共有するのが苦手な私は「なんでこんな本読んでるの」という質問を予想して身構えて、「日常生活に感謝しようと思って」という理由を用意したのだけれど、日常生活に感謝するために戦争に触れるというのは一体、いかがなものか。
他人の痛みを利用するようであんまりじゃないかと思う。戦争を知らない世代の、過保護に扱われることに慣れきって平和ボケした阿呆の甘ったれた駄々を、隣に置いていいものじゃないだろうに。苦しんだ人苦しんでいる人の苦しみはそんなふうに扱われていいものじゃないだろうし、私の日常生活もまた、本来そんなふうにして感謝されるものじゃないはずで、けれどじゃあ、平和を求めて書かれたんだろう詩を、どう扱えばいいんだろう。
読んで泣いて悼んで平和を希求するのも同じで、なんだか白々しい気がした。自分の白々しさを広げて見ているんだろうか。戦争の対義語は平和だけれど、だから全くの別物であって、2つを関連づけて語るのはおかしいんじゃないか?戦争が悲しかったことと平和を求めることと、当事者が繋げるのは「敵」を憎むのと同じくらいもっともだけど、戦争を知らない私も知ってそれを理由に平和を求めるべきなのか、求めていいのか。例えば今日食べた食品の多くが輸入品で、おいしかったから、世界が平和でありますようにと、祈るのとどちらが良いのか。
歴史も詩集も食事も生活の1つの部分として、ああ悲しいことがあったんだなと受け止めて、どこかの国の食材を食して、殴らず殺さず生きればいいのか。戦争を知らないと言われると痛い。誰も知らない世界を求めているはずなのに、求めるがゆえに忘れるな忘れるなと恐れて、教育して、された私は知らないまま、知った気になって一緒に何か訴えるべきなのか、知らないが酷いことなんだろうし明日の朝ご飯はバナナがいいと駄々をこねた方がいっそ誠実なのか、中東なりアフリカなりに行って見て来ればいいのか、隣人と殴り合いの喧嘩でもしてみればなにか悟れるのか。
そもそも私の「戦争の(他人の)苦しみをどう扱えばいいのだろう」という発想も不幸自慢の横行する平和の中で育ったもので、苦しむ人は苦しみなんて放って捨てていたんじゃないかと、想像してみもする。知らないけども。大体いくら誠実でありたいと思ったって、知ることや考えることでどうにかなるものばかりでもあるまいに。戦争プロパガンダに乗せられるな、人を悲しませてはいけない、痛めつけてはいけない、優しくあれと、知っていればそれでいいんだろうか。紛争地域に愛の手並びに金銭的援助、啓蒙活動への参加、賢い消費者であり、倫理道徳を順守し、思いやりと礼儀をもって生活をしていたら、なんか気持ち悪くない? 皆がそうだったらそりゃ平和だろうけど、もはや平和ではないというか、やっぱりなにか、すごくずれてる。戦争があって、人が死んで、悲しんで苦しんでいるのだけど、私はなにを思えばいいんだろう。
中世以降の中国の科学が著しく衰退した現象を思い出さされるんだわ。
元来中国って、火薬・紙・印刷を発明したりと、中世まではダントツで欧州にも(技術的な意味で)勝っていたのだが、
その後明らかに逆転され、最終的には植民地化されるほどの憂き目を見る。
・・・なぜか?
専制君主の定着と
なぜなら、専制君主だと簡単に開発が止められてしまうからだ。
鄭和が中国から、アフリカまで欧州より遥かに大きく技術的にも優れていた大船団で
航海出来たのも、(正直、欧州より先に世界分割出来てても可笑しくはなかったのに)
時の皇帝に止められてしまった。
だからこそ数世紀後、立場が逆転する・・・・。
文化圏において、結合度合いが小さいのから大きいのまであるけど、
一番発展するのは
大きめだが政治的に分割されてるってとこみたいなのさ。(このへんはシャレド・ダイアモンドの本に譲る)
だからオーストラリアやパプアニューギニアの人口過疎の人々が技術も作れず、
原始時代よろしくの生活を送っていたし、
食料豊富な古代イラクやエジプト、中国、インドにおいて、初期文明が発達した。
しかし政治的結合が強くなりすぎると、
それ周辺に在り、なおかつ、彼らより政治的結合が弱い国々、つまりヨーロッパとか日本とか
が台頭してくる。
・・・・自由なきところに技術は育たないから。
そして現代。
現在日本が行ってるODAの総額は1兆7千億。一見かなり予算を削減できる余地がある。
しかしその内8300億は円租借、つまり将来返ってくるお金。さらに3600億は国連や世界銀行への供出。残った5千億の内「本当に必要ない」と言える事業はいったいどれくらいあるだろうか。
例えば来年からアフガンに毎年1千億円程度支援することになったが、これもODA予算だ。更に、洞爺湖サミットで決めた気候変動対策やアフリカ支援の予算も無償資金援助の枠内に入る。ODAほとんどはこういった政治的な予算が占めるので、単に「必要なさそう」だから削る、といったことができない。「予算が厳しいから約束を反故にします」なんて決めてしまえば国際的信用にかかわる。それこそスパコンの予算を削ったほうがましだ。
そう知ったんだ、さっき。 嘘じゃないよ。
いや、コンビニの募金箱とかアフリカの子供たちの話じゃないんだ。
もちろんそっちも50円足らずで何か力になれるのかもしれないけれど、それとは別の話。
さっき彼女から突然メール切られてちょっと不安にそれて、
最近暗いことばっか考えてたからすげー不安が襲ってきて、そしたら二年ぐらい前に薬飲んでたみたくなっちゃってそれd
あ!いやいや、パニック発作起こしたとかじゃないから安心してよ。ごめんね心配掛けて。本当ごめん。
でさあ、最近向こうからの連絡とか薄まってたから、ラブラブ絶頂期に比べたらやっぱ人間の心って冷める物なんだろうけど、
こう、二人で固めてきた大切なものがさらさらとこぼれて落ちてくみたいでなんかへこんできちゃってね……。
だからこんなもの書いちゃったんだ。 意識集中して、つらさから自力でそらすために。
http://anond.hatelabo.jp/20091108231732
……うん。
さっきはこんなもの見せびらかして、あからさまにわかりきった反応求めて、ごめんなさい。
めんどかったよね。やっぱ『大丈夫だよ!』とか言って欲しい顔ってうざいよね。本当気を付ける。反省する。心に刻みます。体じゃなくて。だからそういうのはやめたから。ごめん。
でもだけどさ、さっき……ついさっき、彼女から電話かかってきたんだ!
なんかすげーねむそうな声で『ごめん。ねちゃってた』って。ちょっとずっこけそうになったw
うん。わかってる。
こういうのって、僕が彼女を信じてないことがいけないんだよ。決まってる。
「人を信じるのなんてムダじゃん」ってそこの増田君がさっき言ってたけど、
(http://anond.hatelabo.jp/20091109015933)
やっぱ人は信じなきゃダメだって思ってるし。ていうか、そうとしか思えないんだ。増田君ごめん。できてないやつが『人を信じた方がいいよ』とか、いやみだよね。すみません。
でもさ、『あなたを信じません』って『あなたの未来をわたしのそれに含めません』つまり『あなたとかかわりたくありません』って全部イコールになっちゃう気がするんだ。
結局描くべき未来って死ぬことでしかないかもしれなくたって、さすがに自分の未来から全員追い出しちゃうことなんてできないよ。これは僕が弱いからかな。ごめんなさい。
……あ、話それてたw いやだからそんな暗い顔しなくていいって。そういうのは俺の担当にしときゃいいから。つけっぱなしで消すのめんどいラジオぐらいに聞き流しててよ。その方が僕だってしゃべりやすいし。って、気使わせちゃったかな。。
でさあ、その50円の話に戻すんだけど。アフリカじゃなくて。
その彼女、2分ぐらいで電話切ってありがとうおやすみってなったんだけどさ、
よくよく考えたら2分って通話料金的に40円とか50円ぐらいじゃん?
あ、あの子ドコモだから違うか……。 まあいいよそんなこと!
でね? あんなの書いてた時、僕は確実にぼろぼろに崩れかかってたんだけどさ、
あの子の電話ひとつで回復できたんだ。なんかこう、大丈夫になれたんだ。
あの子が40円とか50円……眠い中、苦労して掛けてきてくれたおかげだよ。
あ、眠い中苦労してってのは50円よりずっと尊いことだった。ごめんいまさら訂正していい?w まあ話自体はあんま変わんないけどね。
思うんだけどさ、こういう『人が人を救うかどうか』ってそんなドラマチックな話じゃなくて案外50円ぐらいのものなのかもしれないよね。
たぶん僕とかきみとかが「え?そんなことでいいの」ってちょっととまどうぐらいのこと。
きみがそれこそ、神社のお賽銭程度に誰かに電話かけたり席譲ったりしたのが、実は相手を根本的に救ってたりするかもしれないんだよ。
しかも、もしかしたらそこで50円払える人がたまたまきみだけしかいなかったかもしれないし、そしたらきみのその瞬間だけの存在理由みたいなのって「その人を救うこと」っていうかっこいいのになるかもじゃん。
なんつうか、それ考えたら、そういうちょっとの手間をやっぱこう払ってくれたらうれしいな……って思っちゃうんだ。
いやいや! 僕に、ってわけじゃないよ?w
僕はあの子しかり返事してくれる増田しかり、ブコメくれてる人なんかにすごくすごく救われたりしてるから、むしろ自分から何かしなきゃいけないなって思ってる方だよ。
たとえばこう……想像してみなよ、誰かが誰かを何の気なしに助けちゃってる世界。助けちゃえてる社会。
ペイフォワードみたいなルールじゃなくて、助けてることにも気づかないで救われる人がいるって状態。
これって、僕が築き上げる砂のお城なんかよりずっと夢の世界だと思うんだ。
ねえ、お願いだからさ、ちょっとでいいから。
めんどくさがらずに50円はらってみない? 二駅ぐらい立ってみない?
「あーあいつのメール返事かいてねーなあ」って、ちょっと返事だしてみない...?
もしかしたら、、、いや確率ひくいけど、それってすごく望まれてる求められてる行為なのかもしんないじゃん。
まあそりゃ理想論だし、きみがそうしたとこで社会がよくなるわけはないけど。
人を信じにくいってのも変わらないし。誰かが誰かを裏切る可能性も、ゼロにはなりえないし。
でもたとえばこう「人をむちゃくちゃにしたい」って殺意なんかがちょっとそれたり、
「俺必要とされてるの?」って不安になってたのがちょっとそれたり、
そのぐらいの気休めが、結果的にはすごい偉業になってたりするだろうし、
彼だって信じることが尊くなくなってるみたいなことが若干、確信揺らいだりするかもだし、
そしたらやっぱたまには人を信じてみていいかなーとか思えるかもしれないし、
実際『気持ちがちょっとそれた』程度で人や自分を殺さずに済んだ人はたくさんいるんだから!!
ごめん、舞いあがってワケわかんない話きかせちゃって。。
でもなんかこう、ちょっとうれしかった、って話がしたかったんだ。
特に、さっき反応くれたみんなには。ごめんね、さっきは心配かけちゃって。
って、こうやっていつもへこんだことばっか増田には書いちゃってるわけだし。
だから少しでも……そう、例えばこの50円程度にでも、
元気付けられたらいいなあって。恩返しができたらいいなあって。
都合よすぎたかな?
うん。他の増田君が、僕の身を案じて『お前もう寝ろよ!』って言ってくれてるし、そろそろ寝るよ。
彼とか、他の人とか、僕の書いたものに反応くれててうれしかった。
やっぱ書くのが好きだし、書いてたいってわかった。ありがとね、みんな。
きみもそろそろ寝た方がいいかもだよ? もう3時だし。
ってかこんな時間までつきあわせて……いや、つきあってくれてありがと。
あしたあさおきて、そしたら思い当たる誰かに50円ぐらいの手を貸してみたらどうかな??
手を貸す宛が思いつかなかったら、、、そうだなあ。コンビニの募金箱に入れてみたら?
アフリカの子たちが喜ぶかもね。って、最初言ってた通りだったかw
おやすみ。きょうはありがと。
またあえたらいいな。