2024-09-07

グレーゾーン双子の兄 過去

から兄とは性格が合わなかった、物心がつく前に両親は離婚して高校卒業までは母親と兄と祖母と4人で暮らしていた

小学生の頃の兄は対戦ゲームで負けそうになると対戦相手の私を殴ってくるし、一緒に自転車で通ってた塾の帰り道で兄が転んだので無視して進んでいたら置いていくなと怒りながら泣いて追いかけてくる

私が旅行お土産で買ったキーホルダーを兄は自分の物だと言い張り奪ってきたので、母に言いつけたが最終的に私が母から殴られてキーホルダーは兄の物になった

甘やかされてわがままに育った兄は中学生になると同級生からいじめられていた、暴力はなかったようだけど悪口教科書ボロボロにされたりしていた

このときばかりは家でも大人しくなっていたのですごく助かった、しかし母が兄に関する心配からストレス精神おかしくなり少しでも気に食わないことがあると私に暴力を振るうようになった

祖母はあまり口出ししないように立ち回っていたので、中学生の頃には家で常に孤立しているような状況だった

高校になると兄は地元から離れた高校に通い小学生の頃のわがままさを取り戻していた、私の物を奪ってきたりと小学生の頃と変わらない兄を擁護し昔と変わらずに暴力解決しようとする母に対して今まで我慢していた感情が溢れ出してしまい私の反抗期が始まった

これまで受けてきた暴力理不尽仕打ちを返すように家族喧嘩が起こるたびに家具や壁やドアを殴って壊し、兄が相手場合にのみ兄をボコボコに殴っていた

そんな私が気に食わない母と兄は嫌がらせをしてくることばかりだったが高校卒業とともに家を出ることで私は精神的な安定を手に入れることができた

実家にいる頃は家族ストレス勉強に手を付けることができなかったので頭が悪く進学できる学校範囲が狭かったため、学校の授業で好きになったパソコンを学べるIT系専門学校に進学した

しか一人暮らし解放感により自堕落生活を送ってしまった

そのため小さいシステム開発会社就職することになった

兄も同じく頭が悪いためビジネス系の専門学校に進学した、進学と同時に家を出て小さい不動産会社就職したが同性の先輩からセクハラあい数ヶ月で退職した

その後兄はしばらくフリーターで一人暮らを続けていたが金銭的に厳しくなってきたため、高齢になり将来が不安になった母から希望で30歳手前で実家に戻ることになった

私は初のシステム開発デスマーチで月の残業が120時間以上だった、それが半年程度続き鬱となり会社退職した

2年ほどフリーターをして鬱を克服してから小さいシステム開発就職し、さまざまなシステム開発に携わった

実家の頃のストレスと比べると大したことはないのと鬱になるレベル残業経験したことで大抵の仕事は余裕でこなすことができた

それでも中にはハード仕事もあり、同じ会社で長く働き続けるのは厳しいと思ったため転職することにした

自分でも意外だったがそこそこ大きい会社転職することができ、20代後半に差し掛かったところでようやく余裕のある安定した生活を送ることができるようになった

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