撮影の現場にどれだけ多くの人が携わっているか想像できるだろうか。
現場はもちろん上には企画がいて、スポンサーの広報や決済者、広告代理店、膨大な人数が「あなた」の作品のメディアミックス化事業に携わっている。
「あなた」には作品を守るために著作人格権を行使し制作を止める権利がある。
権利を行使した結果、数百人の稼働に穴が空き、会計的にはすでに切った手形を組み戻す事務手続きも生じるだろう。
上場企業だと会計で特別損失を計上し、株主総会で株主が経営陣に問いただす場面も生まれるかもしれない。
ケータリングの業者は仕入れが無駄になったり、貸衣装も行き場を失い、ロケ地の観光協会は肩を落とせば御の字で、印刷代も無駄になったかもしれない。
「あなた」の担当編集はしばらく昇進の目はなく、かつて「あなた」の担当だった編集長も肩身が狭い思いをするかもしれない。
「あなた」が同人誌即売会で合体サークルを作ってる作家とは付き合いが疎遠になるかもしれない。
もちろんこれらは全て杞憂かもしれないし、仮にこの内の誰かが首を括ったとて「あなた」にはなんの責任もない。
だとして「あなた」はその権利を行使するかどうかの判断を気分良く下せるだろうか?
過ぎたる力を手にしたと後悔はしないだろうか? 作品を守るためならあらゆる犠牲を許容すると主張できるだろうか?
とはいえそんな犠牲は嫌だからと製作に介入する手段も「あなた」にはある。
最善を尽くそうとした「あなた」は演劇についてどれほどの知識があるだろうか。
「あなた」は筋書きに手を加えて内容を修正しようと試みたが、その悉くが上手く行かなかった。
脚本は演技と演出で修正され、修正した演出は撮影で加工され、理想の絵を撮ったと思ったら編集され、しまいには主役の露出時間が少すぎると口を挟まれ。
「あなた」は本業ではないとはいえクリエイティブで次々に妥協を強いられる。
「あなた」は己が作品を守ろうとせんがために己が作品を自ら崩していく。
「あなた」はどうする?
どんな物事にも賛否両論があることを「あなた」は重々承知している。
それでも目についてしまう、「原作ファンの失望」と「妥協の産物を褒め称える声」が。
面白かったですという100の投稿に埋もれる僅かな1つのポストが、どうしても頭から離れない。
そして何故か作品の裏の事情が、勝手な憶測とともに広がっていく。
面白かったという100の投稿は「あなた」の作品を見てもいない万の声にかき消される。
もはや作品どころか「あなた」自身のパーソナリティですら大衆に消費されていく。
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いかにも、テレビ屋が言いそうなこと書くなよ。 見てるだけの奴が迎合しなくていいんだぞ。
⛰️🦍←山の「あなた」 ❄️🧣←冬の「そなた」
幸い住むのでしょうか。Somewhere over the rainbow.