普通に考えれば多くの人たちの生活を変える仕事の人にバカは必要ない。
しかし、例えば民間企業の経営陣は「多様性の時代」というような言葉で、「能力ではなくいろいろな人種・性別で構成されるべき」や、「男女同数にするべき」などといった考え方がある。
その考えに基づくと国民の代表である国会議員は国民の属性の人口比率にある程度基づいて構成されるべきという論理が成り立つのではないか?
美人だらけだしな
達観アピで羨んでもらいたいキッズ
生きるのが面倒くさいと思っている人間なので、他人に成り代わっても結局、面倒くさいのは変わらないよなと思ってしまう。
だから、いくら相手が裕福だとか聡明だとか気づいても、それを羨む気持ちにはならない。結局、生きる面倒さは変わることがない。
あと、老人になると色々なことが面倒くさくなるらしいので、そういう羨みの気持ちも、私と同じ道理で消えてしまうのだと思う。
だから、「四十にして惑わず」というのも、老人になって賢くなるからというより、老人になって羨む他人と同じ行動をするのが面倒くさいからそうなるのだろう。
みたいなことを、以下の記事を読んで感じた。