生きるのが面倒くさいと思っている人間なので、他人に成り代わっても結局、面倒くさいのは変わらないよなと思ってしまう。
だから、いくら相手が裕福だとか聡明だとか気づいても、それを羨む気持ちにはならない。結局、生きる面倒さは変わることがない。
あと、老人になると色々なことが面倒くさくなるらしいので、そういう羨みの気持ちも、私と同じ道理で消えてしまうのだと思う。
だから、「四十にして惑わず」というのも、老人になって賢くなるからというより、老人になって羨む他人と同じ行動をするのが面倒くさいからそうなるのだろう。
みたいなことを、以下の記事を読んで感じた。
達観アピで羨んでもらいたいキッズ