2021-11-01

通り魔事件思想として『消費』する事の恐ろしさ

ここ数年、印象的な通り魔事件が増えた。通り魔だけでなく、多数を狙った事件も多い。

京アニ事件小田急事件塩酸事件、そして今日あった京急事件だ。

秋葉原事件と比べると、犯行方法はより陰湿になり、いか残酷相手を殺すかに焦点があてられるようになった気がする。


社会に対する怨嗟というより、個人的な恨みが目立つ。京アニは「パクられたという主張」、小田原は「幸せそうにしてる女が憎い」。塩酸男は「ため口」。京王線事件に関しても、犯人が口にした安易思想で締めくくられるだろう。

僕たちは秋葉原通り魔事件犯人について数多くの事を知っている。彼は昔は秀才だった事、母親が異常な教育をしていた事、職場でのいじめがあった事、本人のカッとなりやす性格2chをしていた事。

僕らは秋葉原加藤の事を一人の人間として見て、彼を恐れる事は無い。そしてあの事件から学び、いろいろな「原因」にこの事件を当てはめ予防する効果はあったと思う。


しかしここ数年の事件報道規制しかれているのか、犯人の事を知ることが無い。皆、顔の見えないモンスターとして不気味に君臨し続けている。

そして安易想像思想を絡めつけ、各々が勝手解釈消費してしまっている。

僕たちは青葉が小説家志望のおじさんとしか知らない。小田原サラダ油を撒いたナンパ男だとしかしらない。花森はオタクっぽくため口を聞かれた男だとしか知らない。


花森に関しては、勝手被害者陽キャいじめっ子だと想像し同情してる人が多かった。しかし実際は小学校から周りの子供を虐めたり脅したり、虫を食べさせてたりしていた事を知ってる人は居るだろうか。

統失と正常者」「男と女」「陽キャ陰キャ」だとか、安易文脈に落とし込んで、「解決」した気になってる。

小田原事件なんかは、一部が「フェミサイド」だと騒ぎ立て、「女性を標的とした犯罪厳罰化するべきだ」と結論付け悦に浸っている人も居る。


だれも犯罪者に興味が無いのだ。皆自分しか興味が無いのである犯罪者は犯罪者のまま、自分思想を強化し、文脈の中で自分を守ろうとしか考えない。事件があっても、まず思想を強化するための材料としてその事件を消費する。

その結論は間違っている。PDCAのC(チェック)が機能していない。OODAのOO(観察と方向付け)の部分が明後日の方向を向いている。エンターテイメントとしてどうしたら事件を消費できるかが目的になっているのだ。


先ほど起きた京王線事件も、おそらくコスプレ模倣犯エンタメとして消費されるだろう。犯人がどういう人間か、どういう生い立ちをしたのかに誰も目を向けずに。

犯人ナイフで人一人を意識不明の重体にしたのは事実だが、塩酸を撒いただとかガソリンを撒いただとか、不確定な情報報道各社が流し合っている。もうすでに下地はできている。

SEOを考え、効果的にSNS記事が流され、一般市民感情を刺激するようにストーリー構成し、ライターは金を得て安堵し、その記事を一か月後には皆忘れている。報道各社は間違った情報はそっと消して、知らん顔をする。


今だからこそいうが、京王線犯人人生もっと掘り下げるべきだ。安易マーベル作品として、悪役は悪役のまま倒すのではなく、ホアキンジョーカーのように執拗悪人人生を掘り下げるべきだ。

そして皆がこの犯人を「ただの人間なのだ認識するまで執拗報道を続けるべきだ。単なる「模倣犯」としての思想として消費してはいけない。同じような景色を見たくないなら。


でも、単なる一般人試験に落ちた話を喜々として報道リツイートする今の世の中だし、こういう事件を皆欲してるんだろうな

  • 加害者だけでなく被害者も誰も興味ないよ 最近はうかつなことを言うと誹謗中傷で名誉棄損で訴訟だからね 怖くて話題にできないから犯人より名前も存在も希薄だよ

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