>もし自由な取引が制限されて転売する人がゼロになったら、市場価格は存在しなくなり、
>運が良い人はメーカーが決めた価格で入手できるけど、運が悪い人はどんなに欲しくても何百万円を払っても入手不可能になるじゃん。
転売屋は運がいい人を減らして運が悪い人から掠め取ってるだけで欠片も転売屋が間に介在して利益を享受する理由になってないのがウケるw
今が頑張り時、忍耐強く治療に励んでくれ。
若ければ若いほど厳しい病気もあるけれど、体力のある内に罹患したことを良かったと思える日がきっとくるよ。これから先長い人生だからこそ今踏ん張っていけ。お父さんお医者さんなら金銭面も甘えていいよ。ちゃんとこまめに相談して、家族と一緒に乗り越えてほしい。
猫カフェにいったところでエサをやらなければ全く相手にされず、行ったこともないキャバクラってのもこんなものなのだろうかと思っていた私だったが、
先日、知人の家にいったところ、生後数ヶ月の猫たちが飛びかかってきたので存分に撫でた。
幸せであった。
猫は撫でられて興奮している様子だったが、いやがってもおらずきっと幸せだったのではないか。
私もまた幸せであった。
その時間内では、猫と私という二つの独立した主体が相互に浸透しているというよりは、
どちらかというと、撫でという行為がまずあって、
そこから、撫でる私と撫でられる猫が配分されてくる。
撫でる私が猫を喜ばせるテクニックを知っているわけでもないし、
猫が私を喜ばせてくれるお猫さまであると崇め奉るのもよくない。
二つの独立した主体が生まれてくるのであって、その前には主体とか言う必要のない、
この中間具合、真ん中具合を無理に名称にすれば、撫でると撫でられるの中間ということで、「撫でり」ぐらいになるのだと思う。
人間が物事に没頭するという、もっとも大切な時間は、いずれもこの「撫でり」の構造を持っているのではないか。
なお、スーツを着ていったので、ズボンはわりと猫の爪でずたぼろになりました。それでも幸せです。ハッピーキャットタイムでした。
その人があかんことを酒が暴く