2020-11-15

ねこと「撫でり」

猫カフェにいったところでエサをやらなければ全く相手にされず、行ったこともないキャバクラってのもこんなものなのだろうかと思っていた私だったが、

先日、知人の家にいったところ、生後数ヶ月の猫たちが飛びかかってきたので存分に撫でた。

幸せであった。

猫は撫でられて興奮している様子だったが、いやがってもおらずきっと幸せだったのではないか

私もまた幸せであった。

この幸せ時間ハッピーキャットタイムと呼びたい。

その時間内では、猫と私という二つの独立した主体相互に浸透しているというよりは、

どちらかというと、撫でという行為がまずあって、

そこから、撫でる私と撫でられる猫が配分されてくる。

撫でる私が猫を喜ばせるテクニックを知っているわけでもないし、

猫が私を喜ばせてくれるお猫さまであると崇め奉るのもよくない。

撫でという行為が、ハッピーキャットタイムが終わった瞬間に、

つの独立した主体が生まれてくるのであって、その前には主体とか言う必要のない、

幸せ時間けがある。

この中間具合、真ん中具合を無理に名称にすれば、撫でると撫でられるの中間ということで、「撫でり」ぐらいになるのだと思う。

人間物事に没頭するという、もっとも大切な時間は、いずれもこの「撫でり」の構造を持っているのではないか

なお、スーツを着ていったので、ズボンはわりと猫の爪でずたぼろになりました。それでも幸せです。ハッピーキャットタイムでした。

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