2019-02-19

応援歌ぜんぶクビ。

「やりたいことは分かるにしても、やり方が気にくわない」というセリフは私も言われたことがあって、その時は何言ってんだこいつウゼーというのが率直な気持ちだったが、これに尽きる。

真田丸で描かれた石田三成求心力の無さも、そういうことでしょう。もう決まってしまたことなんだから、もう何年かすれば、あるいは来年の今頃にはもう、すっかりこんなことがあったなんて忘れられているかもしれない。でも、今は悲しく、つらい気持ちが大きい。

突然、東北楽天ゴールデンイーグルス応援歌刷新が告げられた。これまでの各選手応援歌も、チャンスの時に歌われる曲も、突然これまで15年歌ってきた全てが封印されることになった。

まず、新しい曲はこれだ、みんなこれで応援しましょうと言う発表があって、注釈のような形で、これまでの曲は著作権等の理由によってもう使えません、ということが小さい文字で書き添えられていた。

これまでと違って、応援歌を収録したCDが有料になったことも、球団応援歌で金儲けを始めようとしているのだ、と受け止められた。著作権云々と言う話も最初は伏せられていて、後からわかったことだ。とにかく、ハイからこれね、と新しいもの説明無く与えられた。

かに応援歌既存曲の替え歌があって、おそらく著作権ときちんと話しておらず、グレーゾーンお目こぼししてもらっていたんじゃないかと予想される。例えば、代表的チャンステーマベニーランドと言う遊園地テーマソング替え歌だ。東北ローカルCMでお馴染みの曲だった。仙台代表する歌、青葉城恋歌も使われていた。

ただ日本プロ野球12チームの中に、既存曲の替え歌応援歌はたくさんある。なぜ今回著作権でもめたのかと言うと、権利者側から訴えがあったか、あるいは、球団応援歌で金儲けを始めることによって、著作権上のグレーが許されなくなった、といったことが考えられる。

しかし、何も説明がない。

ちらりと、著作権上の問題があって、もうダメだよ、と、突然一方的に告げられたのだ。

これに多くの楽天ファンマイナス感情を示していて、私もその1人だ。

このもやもやとした気持ち最初うまく説明できなくて、新しい曲や歌詞がダサイだとか(実際ダサイんだけど)、そういう本質ではないところに最初気をとられてしまったような気がする。でも1番の問題は、球団応援される側が、あまりにも応援する人たちの応援する気持ちをないがしろにしている。それに尽きる。

何か問題があって、これまでの応援歌が使えなくなるのならば、そう説明して欲しかった。なぜ全楽曲が入れ替えなのかの説明は無い。おそらく、著作権上の問題に乗じて球団応援歌で儲けるために整理した、あるいは逆に、応援歌で儲けるためには著作権クリーンでなければならなかった、そのように予想されている。

応援歌とは、球場に来た人たちが、応援する気持ちを載せるものではなかったのか。15年と言う歴史は浅いかもしれないが、それでもなけなしの伝統で、ファン気持ちが乗せてきたものでは無いのか。

球団側は、これまでの応援歌欠点として、難しくて覚えづらい、歌いづらいということを挙げたようだ。それが本当だとしても、まず歌いづらさとして挙げられているスピーカーについては再考しなかったのだろうか。

スピーカーについて説明すると、楽天本拠地は近隣への配慮等の事情によって、鳴り物(金管楽器)が禁止されている。なので、確かに応援歌メロディーが拾いづらかった。それを補うためのか、去年、スピーカー増設されて、応援歌の曲がカラオケのように流れるようになった。しかしこれが生音に比べて、どうしてもリアルタイム空気を反映しづらく、否定する声もある。なぜ鳴り物ダメスピーカーは良いのかもよくわからない。

せめてチャンステーマだけでも従来のものを利用して、新しい選手の新しい応援歌簡単な単純な覚えやすものにする、と言う長期的な入れ替えだって選択肢になかったのか。単純な覚えやすチャンテと旧来のものとを併用すれば、自ずと優れたものが見えてきたのではないか

どうにもプロセス不明瞭で、ブラックボックスだ。そしてその向こうに見えるのは金のにおいだ。

少し前に球場の完全キャッシュレス化が発表されて、しか電子マネーEdyだけと言う、楽天の事ばっかり考えてユーザ二の次姿勢批判されもした。営利目的としてやりたいことはわかるが、どうにもイーグルス応援する気持ち人質にされたような気持ちがしたものだ。

決定が覆らないのなら、私たち楽天イーグルス応援したいと言う気持ちがある限り、

新しい応援歌を歌うしかないのだろう。その年月が積み重なればやがて、どのように切り替わったのかは、なんとなく語られない黒歴史として埋もれてゆくのだろう。

きっと、それで良いと言う経営判断がされたのだろう。筋を通せと言うファンの声は無視して良い。そんなめんどくさいことをしてもしなくても、未来は変わらない、そういう判断がされたのだろう。

それがただただ悲しい。

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