2015-06-30

ある記事への違和感と、友人のレインボーアイコンを見て泣いた話。

こうしてファッション化することを、気持ち悪く思う人は少なからずいるでしょうし、実際に僕も、「またそんな、流行りに乗っかったようにアイコンだけ変えて、とくに何も調べたりはしないんでしょ? そんで2ヵ月後には元のアイコンに戻してるんでしょ?」と、疑っています

https://note.mu/katsuse_m/n/n5735a1299d6d

この発言を見て、僕は違和感を覚えた。

何故なら、友人たちのFacebookレインボーアイコンを見て、当事者である僕は涙が出たからだ。

1週間後に元のアイコンに戻しても全く構わない。

僕は、その意思を一瞬でも感じられた事がこんなにも嬉しい。

それなのに、この方は、発信者の本気度を問う真面目すぎる人で、当事者気持ちは見えていない人なのだ

僕は、日々誰にも疑われず、セクシャルマイノリティであることを隠せて生きている。

いつも表情には出すこと無く、隠れ蓑のスキマから飄々と小さな発言の矢を放ちながら、いつも観察している。

さな発言リトマス試験紙にして、「打ち明けられる人」であるか試しているのだ。

から、今回友人たちのレインボーアイコンを見て、すごく嬉しかった。

周りから見ていてもわからない、本当は受け入れてくれる人がこんなにたくさんいたんだなと初めて気付かされた。

なんだ。日々観察していても、僕は何もわかっていなかったのだ。

気付いたら僕は画面の前で泣いていた。

それを「ホワイトバンド」のようにファッション化することは、認知させる意味では手っ取り早いのでしょうが、はたして本当の理解につながるのかは不明です。

それでもきっと、アイコンを変えた彼らには、彼らなりに周りに伝えたい「何か」があるのだろうし、また、それをたまたま偶然受け取った誰かが、今度は偽善ではなく、本心として、制度や国や、誰かを変えるために動き出すかもしれないじゃないですか

そう考えたら、偽善であれ、行動することは大切なんじゃないかと、そんな風に思うのです。

LGBT性差別問題は、ホワイトバンド貧困問題のように、(大抵の)誰にとっても正しく見えることとではない。

正しいと思っていない人たちは、例えファッションであろうと、意味が分かっていればレインボーアイコンにすることはない。

別に本当の理解をしてもらえなくてもいい。本気で動いてくれなくても良い。

貧困問題のように具体的な行動を必要としているんじゃない。軽い気持ちで構わない。

僕たちは、ただ自分の友人たちが、自分の事を「否定していない」ことを、知りたくて仕方なかった。

『彼らなりに周りに伝えたい「何か」』の価値は、アイコンを変えた本人たちには、上手く感じられないかもしれない。

しかし、そのメッセージは、近くの隠れた当事者たちに底知れない勇気を伝えている。

少しの間だけでもレインボーアイコンにしたり、「俺は否定していない」という一言が見られるだけで、

あなたの友人にも混ざっている7.6%のLGBT当事者たちは、僕と同じように涙を流すかもしれない。

みんな、ありがとう

それでも、君たちの反応が変わる事が恐くて、まだ上手く言うことができない僕を許してほしい。

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参考

電通ダイバーシティラボが「LGBT調査2015」を実施

http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html

LGBT層に該当する人は7.6%(2012年調査では5.2% ※3)と算出されました。

※3  前回調査からの増加理由としては、調査手法の変更、社会環境の変化や関連情報の増大によって該当者の自己認識に影響があったことなどが想定されます

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