2020-11-19

合衆国大統領選挙不正への眼差しと態度について

 以下の記事のごときものは、自分管理するブログを持っているから、そこで書いて発表すれば良いのだろう。だが、私のブログは人の訪れるものでない。そこでよりは人の目に触れて、多くの人に読んでもらえもするかと想像して、ここに投稿する。

 大統領選投票日以降、いわゆる確実な証拠を挙げよとの要請を口にして、あちこちから報告される選挙での不正に関心を向けることを否定し、さら不正に目を向けながら、大統領選帰趨について論評することを控えるべきであるとする人たちがいる。

 この眼差しの持ち方と態度を守る人たちの中で、次のような人たちのことは、私は特に気にしない。例えば、バイデン民主党候補応援している者、トランプ大統領の退場を望んでいる者。これらの者たちがそうあるのは当然のことであろうから

 私が気になるのは、トランプ応援しているし、トランプ大統領の2期目に期待していると口にして、しか不正への関心を抑制し、それから視線を外して、どちらの候補大統領になるか、もはや自分たちの論評すべきものでない、と口にする者たちである

 代表として上念司、奥山真司の二人の名前を挙げておこう。とは言え、この二人に限るわけではない。彼らは、他の者たちよりは多少は筋道立てて、先の眼差しと態度をとる理由説明しているから、私には扱いやすいのである

 ところでお気づきの人もあろう、私は Youtube虎ノ門ニュース、アメ通 Live をこの一年、大変勉強になると感じて視聴してきた。加えて、上念司チャンネル文化人放送局DHC テレビニュース女子なども、興味深いと視聴を続けてきている。ついでに加えれば、SakuraSoTV とか、古是三春篠原常一郎チャンネルさらにはラジオ文化放送局、おはようちゃんなども、同じ関心に叶うところから視聴している。つまり私は、これらが人々に伝えて、解説する時局、情勢の認識批評が、現状の政治社会を、他のところでのものよりよく捉えていると評価しているし、自分理解を形作る参考にしているのである

 さてそれで、先の二人が自らの態度について言うところは、いくつかの論点から成り立っている。ここで彼らの議論論点全てを取り上げはしないし、そのまま辿ることもしない。同意できるところをあらかじめ挙げておけば、未確定情報に振り回されないようにすべき、選挙不正の論評にいたずらに促されて米国への評価自体を損なってはならない、などの主張を、私もしかるべきものとひとまずは同意しよう。

 だが、総評的にか、つけたりなのか、まるで根本的な姿勢の取り方の如きに、私たち米国大統領選挙権があるわけではない、他国指導者選択であって自分たちの指導者を選ぶわけではない、かように申し立てるところは、さしあたって尤もなことと感じながらも、何かうまくいなされた気分を覚えてしまう。

 さらにまた、不正については、裁判で決することができるのだから、その判断を待つべである不正は訴えることができるのである裁判を起こす権利が彼らにはあるのである三権分立が云々と教え諭されるところになると、いやどうも不正目眩して冷静さを見失っていましたと反省させられる。

 がしかし、先のいなされた気分の中で、この反省を自らに強いてみると、何かおかしものしかもどこか剣呑さを持ったものが潜んでいる不安に、私は囚われるのである

 それが何かと自らに問うてみるに、例えばこんな風に先の主張を言い直してみよう、すなわち、他国重要政治選択は、他国民の決めることであって、こちらが論うことではない、他国政治不正については、他国政治制度か、なんらかの強固な社会規範解決するのを、こちらはただその行く末を見ているべきである、まずはこのように言い換えてみよう。

 そして、他所の国や社会存在していると知らされたり、生じつつあると報じられたり、行われる可能性があると訴えられる不正について、私たちは須く他国政治解決に待つべきなのである他国政治社会能力に期待すべきなのである、このように答えて恬然自若としているべきなのであろうか、このように問うてみよう。

 この記事主題であり、私が気にかかるところの、大統領選挙での不正に対する眼差しと態度に沿うならば、この問いに対しては、然りそうあるべきである、と肯定的に答えることになろう。

 ここに私の不安は、むくむくと大きな黒い影となって、私の胸を塞いでくる。

 なんとなれば、それならば中国でのウイグル人の例の話題や、香港のことも、同じような態度をとって、それらは中国政治選択政治能力処置すべきことであって、不正だの不正義だのと感情を昂らせるようなことではない、中国政治解決に期待して、その帰趨を見ているべきなのである、このような主張も肯定してしまうことになるからである

 中国共産党独裁で、人権もないが、アメリカ民主主義国で、権利と法とがあり爾斯く斯くと言っても、なんの反論にもならない。何故なら、不正からは目を逸らして、ことの成り行きを待とうと説く者たちは、その態度から当然引出される主張として、バイデン大統領就任することになったならば、そうなった米国を見据えて、どう米国と接していくか、どんな外交技術でもって日本国益を実現させていくか、このことに注視せばならないとも力説しているのである

 ここで再び指摘しよう、それならば中国の例の件についてもまた、中国でどんな推移を経ていくのか、それを見定めて、その上で、どう中国と接するか、どんな外交でもって日本国益を実現させていくか、その工夫に腐心すれば良い、かように唱えるのが主張するところに忠実な態度であると言わねばならないかである

 我々は米国民ではない、だから米国大統領選について、なんら口を開くことはできない、物を言ったとしても、なんの意味もない、かように言うならば、これと同じくまた、我々は中国人民ではない、中国人民の状況について、なんらの口を開くべきでもなく、他所の国の我々が何かを指摘したとしても、なんの意味もない、このように言うべきことになるからである

 名前を挙げた二人についてみれば、上念司不正に対する感情を、自らにおいても他者においても、抑制せねばならないと留意するところから、先の態度を唱えているように見受けられる。その抑制理由も、私かに慮れば、納得できないものでもなく思える。しかしながら、政治への冷静さを得るための距離を取らんとして、政治的無関心・アパシーへと導く主張に近づいているように、私は思うのである。そして私がこれについて恐れるのは、政治不正への無関心を理屈だてる主張の、その一歩先に、人々の無関心によって批判されることなく、剥き出しの欲望自由になっている、そんな地平が広がっていると考えているかである

 他方奥山真司については、私の貧しい知識ながら理解する地政学よりして、選挙での不正といったものも、人権侵害といったものも、そうした政治価値に反することや、あるいは何かしらの理念に悖ることなどは、さしあたって考察の中になく、いやおそらく関心を向けるところですらなく、そんなことはどうであっても、つまり習近平中国共産党独裁国家らしいあり方をし続けていくのに対して、またバイデン米国民主党主導で営まれていくのに対して、日本国が自ら所持し、かつ国際的に構築できる政治的な力・リアルなパワーを行使して、日本国益を実現していく道筋を見つけることが、彼の主たる関心であり、もしかしたらそれが全てではないかと思える。

 いつ頃までのことであったろうか、昔は、ジャーナリズムというものが言われていて、それを実践するに努めたテレビ新聞報道では、何かしら政治不正が行われている国が、ことの重要性に応じて、熱心に取材され、分析され、そして批評されて、テレビ番組や新聞記事となっていたものである

 一つの話題が集中的に報じられるときには、国際世論喚起という風に目的づけか性格けがなされたもので、問題ある国に対して、国際社会には厳しい批判非難が湧き起こっているぞと感じさせて牽制を与えることで、その国の不正が深刻なものとならないように働きかけるのだ、そんな意義づけもなされていたと覚えている。

 今から思えば、そうした国際報道も国際規模でメディアを利用しての政治工作、そんなものと感じないでもないが、たとえそうであれ、米国の今回の大統領選挙では、こんな不正、こんな暴力、こんな悪事が行われているのだと、盛んに話題にするならば、外国でそんな風に言われてしまっていることが、よしやごくわずかなものとしても、それなりの牽制になるだろうと、やはり私は思うのである

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