はてなキーワード: 環境保護団体とは
http://technohell.tumblr.com/post/3918493586/50hz
http://b.hatena.ne.jp/entry/technohell.tumblr.com/post/3918493586/50hz
疑問です。
この人の説明によれば、社会のなかでの少数派にすぎない人たちが、反対運動をやって騒ぎまわってきたせいで、原発ではまともに震災対策(新炉建設とか)を取りづらくなった。環境保護団体が対案をつくれずに、いろいろ文句ばっかりつけるのも悪かった。
つまり、そういう奴らにも表現の自由が認められたこの国では、原発を使うのはやっぱり危なかったってことでしょ?
推進派の人たちは、当初から、そこらへんのリスクを考慮に入れてなかったの?
反原発の運動にしても、環境保護団体にしても、社会的影響力はけっして大きくないはず。それでも、数が増えるか減るかは分からないが、今後も彼らはずっと活動していくだろう。そして、最新設備をそなえた新炉建設に反対することだって、たびたびあると思う。
となれば、この人が言っているような「愚行」が繰り返されて、原発の安全はなかなか保証されなくなってしまう。彼らを徹底的に思想弾圧して、投獄にでもしないかぎり、原発のリスクは減らないではないか。
この記事に賛同している皆さんは、そこらへんをどう考えてるの?
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
ttp://www.icrwhale.org/gpandsea-geiken435.htm
シーシェパードは環境保護団体を名乗って、違法な漁業や海の環境汚染を許さないと叫んでいるが、その活動が環境破壊そのものである事は意外に知られていない。 調査船団襲撃時に投げ込まれた薬品や発煙弾の多くは狙いがはずれて海没したが、彼らが投げ込んだ酪酸は、WHO等による国際化学物質安全性カード(lCSC)によれば、人体への有害性の他に「この物質を環境中に放出してはならない」「水生生物に毒性がある」と明記されている。 また、彼らは船のスクリューを狙いワイヤーや漁網をさかんに投げ込んだが、その多くを回収せずに捨て去った(写真9)。 南極条約の遵守云々と言う彼らが南極海で薬品を撒き、漁網やワイヤーを捨てて環境汚染を撒き散らしているのだ。 これは南極海へのゴミ投棄を厳しく禁じた国際条約(マルポール条約)にも当然の事ながら違反している。 ましてや船を体当たりさせるような暴挙で、万が一燃油の流出や船の沈没という結果になったら、乗組員に対してだけでなく南極海にどのような災害を引き起こすかは、子供でもわかりそうなものだ。
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/2009/11/gp.html
139 日出づる処の名無し sage ▼ New!2009/11/09(月) 02:04:49 ID:bCzftmTr
»85
>日本漁船への年間割当量は1船当たりわずか18トンです。(ミナミマグロ)
なんだか油代だけで赤字レベルになっておかしくないレベルの規制だ
>混獲されるサメの問題を大きく取り上げています。巻き網の場合、サメも一緒に漁獲する事はあまり多く有りませんので、この部分をクローズアップしたものと思われます。
ならば、捕られたサメの行方がヒレだけシナに行って、本体が捨てられているって現状も問題視されないと変ですね
158 地球の裏側 ◆/lYVcP7um2 sage ▼ New!2009/11/09(月) 06:33:19 ID:Rmr69ydm
»139
いぁ、まさにそれが問題になってるんですよ。
サメのヒレだけ切り取って、後は捨てるってのが。全部持ち帰って食べるのなら、多分、何も言えないと思いますけどね。
問題は、日本人がフカヒレを食う、と思われている事。ことあるごとに「あれは日本人じゃなくて中国人の食い物」っては言ってるんですがね。
あのですね、基本的に欧米系、特に大陸系は、マグロ=大きな魚なんです。
多分、鯨もそう言う感覚。淡水系で大きな魚ってのは、希少なんです。水系の広がりが皆無な場所ですから、大きな魚ってのは、偶然生き残れたヤツしか無い。そう言う感覚だってのが話してみて判った。
彼らの感覚ってのは、クリークでの釣りの感覚。だから延縄で6000本も釣鉤を入れる、っていうと「乱獲だ~」になっちゃう。海の広さを感覚として理解してない人が多いのです。GPなんかはそこにつけ込んでるんですね。
誰が得するか、なんですが、人間が一生に食える食物の量は無限じゃ無いんで魚の旨さを知って、食べる人が増えれば、その分他の食物の消費が減るわけでマクナマラ方式の数値予測を取り入れてる米系食肉業者なんかは、如実に敵視してますね。実は米国は環境保護団体を他国への圧力用具として使ったおかげで、国内での水産物、特に遠洋系の生産が減少してまして、マグロなんかは、ほぼ完璧に輸入に頼ってます。
で、その輸入最大手が例の統一協会関連なわけ。
で、この輸入業者にしてみると、国内生食用の価格が世界の価格から乖離してる日本は敵なんですわな。日本のバイヤーが手を出してる所からは事実上買えないわけで、彼らが買えるのは、二級品以下。だから敵なんですね。
【捕鯨】 シーシェパード、日本船にロケット弾攻撃…船員3人が負傷
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1416983.html
681 : 液体クロマトグラフィー(dion軍):2010/02/12(金) 11:55:50.79 ID:xW6ZIN1b
平野博文官房長官は12日午前の記者会見で、南極海で活動する日本の調査捕鯨船団
への米環境保護団体「シー・シェパード」の妨害行為について「けしからん話だ。
幸いにも大きな被害になっていないが、極めて遺憾だ」と述べた。
水産庁の発表によると、同団体の抗議船は日本時間11日午後、捕鯨船団の4隻に対し
レーザー光線の照射や放水、異臭を放つ化学物質入りの瓶を投げ付けるなどした。
ttp://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100212044.html
701 : モンドリ(アラバマ州):2010/02/12(金) 11:57:08.58 ID:cPqXtNSY
»681
遺憾の意キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
713 : 釣り針(catv?):2010/02/12(金) 11:58:10.63 ID:0+MDRqLu
»681
とうとう最終奥義、極めて遺憾 を出したか
これが通用しなかったらどうしようもないな
731 : 硯箱(catv?):2010/02/12(金) 11:59:34.11 ID:7CxtS5MI
»681
遺憾の頭に極めてが付いてる、
政府も相当怒ってるのが伺える
752 : 大根(広島県):2010/02/12(金) 12:01:35.07 ID:JlQ7fumL
»681
駄目だコイツら
極めて遺憾しか言わないだろう
780 : 手帳(アラバマ州):2010/02/12(金) 12:04:35.19 ID:zZ0pGtkL
»681
何されたって遺憾の意そりゃバカにされるわ
http://www.47news.jp/news/2009/05/post_20090505085702.html
これは崩壊の序曲ではない。地球に優しい、ひいては環境問題という砂上の楼閣は、遥か昔にすべて消えうせた。
いま、自分がエコだと自認しているあなたはとてつもなくヤバい。
あなたの尊敬している環境保護団体は人身売買で稼ぐ死の商人で、地球という惑星は奴隷船に他ならない。
気づいて欲しい。あなたの両手両足が鎖に繋がれていて、息もするのがやっとだということを。
風景を見て「あそこがいい、ここがすごい」なんて言うことは奴隷の鎖自慢と同じだ。
あなたが美味しそうに飲む水は、飢餓状態で差し出されたH2Oでしかない。
しかも、綺麗な真水であるという集団催眠に陥り、誰も気がついていない。純水は美味しくはないということに!
ポピュリズム、ファシズムの拠り所としての環境保護。それに目をつけたグリー……
PETAという裸の王様はこの点にいち早く気づいて脱衣を企て、失敗した。
ジャンクに蝕まれ、身も心も衰弱しきった彼らには、その体力がなかった。
拳銃を手にとっても、引き金を引くことができなかった。シーシェパードは、あなたの未来そのものだ。
しかし、同時に奴隷であること楽なことでもある。
黒人がジョークを言い出したのは鎖に繋がれた奴隷船の中でだという。
辛さから逃れるための、コミュニケーション媒体としてのエコはやはり奴隷ゆえの行動なのだ。
しかし、誰も気がついていない。ほとんどの人間は自ら鎖につながれ、奴隷となる。
もうやめようじゃないか、差し出された残飯に満足するのは。すべての人間は、ひとしく生命を全うする権利を有している。
鎖を外し、光帆を持って脱出をしよう。そこから逃れれば火星、金星、Gliese581e……いくらでも本当の環境が目の前に広がっている。
それは自分の足で歩き、探し、見つけ出さなければならない。奴隷であることよりも辛く険しい道のりかもしれない。
しかし、自分の目で見る景色、天の川銀河、豊かなエネルギーたちはとてつもなく綺麗で雄大で壮大だ。
自分の足で歩き、自分の目で見よう。それが生きるってことじゃないか。それが人類ってやつじゃないか。
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話題のスケールを文体に合わせようとしてみた
こんなアニメはイヤだ!(宮崎駿×Ζガンダムの場合)の続きです。そろそろネタ切れで、2つしかいいのが出てきませんでした。
今年でそれぞれ94歳と84歳になるブラン・ブルタークとベン・ウッダーは、老人ホーム「スードリ」での生活を送っている。お世辞にも快適とは言えない「スードリ」での生活で、車椅子でようやく動けるほどのブランと、身体は至って元気だが少しだけ痴呆気味のウッダーの唯一と言っていい楽しみは、互いに身を投じ生還した太平洋戦争の話に華を咲かせることであった。2人は、静かだが堅い友情で結ばれていた。
しかし、幸せな生活も長くは続かない。施設所長ナミカー・コーネルによる介護保険の悪用が発覚してしまった「スードリ」は取り潰されることとなり、2人は別々の介護施設への転居が決まる。別れを嘆くウッダーに対して、ブランは家族にさえ内緒にして手放さなかった土地と家を持っていることを明かし、良かったらそこで暮らしてみないかとウッダーに提案する。
ブランの提案をウッダーは快諾し、2人の新たな生活が始まった。しかし、グローバル資本主義によってムラ的コミュニティの崩壊した地方では近所付き合いなど皆無に等しく、役所から紹介してもらった訪問型の介護サービスに連絡を取ると遠いという理由で断られ、また、あてにしていた年金支給も高齢者医療制度による実質の減額で苦しいものとなり、2人は現実の辛さに直面することとなる。
さらに、しばらくもしないうちにブランは脳溢血で倒れ、あっさりとこの世から去ってしまった。ブランの死を伝えるために家族に電話するウッダーであったが、「なんでそんな家と土地があることを隠していたんだ!」という第一声がウッダーに追い打ちをかける。
土を盛りパイプ管をひもで結わえた十字架を挿して庭に作ったブランの墓の前で、ウッダーは手を合わせながら、この悲惨な現実を世に知らしめるために、爆弾を積んだ軽トラで厚生労働省に突っ込む自爆テロを決意するのだった……。
――オレだってがんばってるんだよォ――
東京都多摩市議会議員ジェリド・メサは、まだ若いながらも市長の座を虎視眈々と狙う野心家である。昨今の多摩市では、老朽化し入居者も減るニュータウンを取り潰し、大規模なごみ焼却施設と最終処分場を建設する計画が持ち上がっており、周辺自治体も巻き込んだ、議会、住民、環境保護団体などが入り乱れての混乱の只中にある。
ジェリドは同期議員カクリコン・カクーラーとともに、市長ジャミトフ・ハイマンおよび所属する与党政党「ティターンズ」の重鎮議員バスク・オムの息のかかった建設賛成派の急先鋒を務めていたが、大学時代から環境保護活動に参加している恋人マウアー・ファラオとの仲は険悪になる一方で、頭を悩ませていた。
そんな折、建設反対を訴える対立政党「連邦」のやり手議員であり、大学時代は空手部の先輩でもあったライラ・ミラ・ライラが謎の死を遂げる。これに大きなショックを受けたジェリドは、ティターンズの先輩議員ジャマイカン・ダニンガンに事の真相をを問い詰める。そこでジャマイカンの口から出た言葉は、家族の誘拐・拉致による反対派への恐喝、それでも従わない場合の毒ガスによる殺害など、賛成強行派による恐ろしい手口の数々だった。
非道の一端を担っていた自分を恥じ、汚名挽回を誓ったジェリドは、内部告発の準備を進める最中で、メラニー・ヒュー・カーバインの経営するごみ処理プラント建設会社アナハイム・エレクトロニクスと市長ジャミトフとの癒着の、決定的証拠を掴む。単純な告発では握り潰されてしまうとのマウアーの忠告を受け、あくまでティターンズ内部からの瓦解を目指すことにしたジェリドは、壮絶な化かし合いの政争に身を投じることとなる……。
裁判リテラシー講座を書いてた者です。
グリーンピース・ジャパンという環境保護団体が、西濃運輸の配達中の荷物を無断で抜き取ったのが話題になっています。
この行為には何罪が成立するのでしょうか。そもそも犯罪なのでしょうか。
なお、グリーンピース・ジャパン当人は、「違法性については判断できない」とコメントしていますが、
裁判所が判断すべき事項だと言ってるのなら当然です。
ドラクエで言えば「大魔王からは逃げられない」と言ってるくらい当たり前の話で、何の法的意味も持ちません。
当協会としては違法性はないと思ってると言っているのなら噴飯モノです。
ここで、グリーンピース・ジャパンの顧問弁護士は「不法領得の意思がないから無罪だ」といっています。
この反論を踏まえながら検討してみたいと思います。
刑法を紐解いて見ますと、235条に窃盗罪が定められています。
窃盗罪が成立するには、i.他人の財物を、ii.窃取することが必要です。
このように、条文上現れる犯罪の要素を「構成要件」と言います。
構成要件は、基本的に客観的に定められたもので、法がこのような行為をした者に違法性・有責性の推定を与えたものです。
ようするに、「こういう行為した奴は正当防衛とか意思無能力とかの特別の事情がない限り処罰しちゃうよ?」ってなわけです。
これを構成要件の違法性有責性推定機能とか、構成要件は違法行為を類型化したものだとか言います。
今回の事例ではi.については疑いようがないでしょう。
ii.の窃取とは、所持者の意思に反して自己の占有下に置くことをいい、無断で抜き取りという態様を考えれば当てはまると言えます。
しかし、解釈上、iii.「不法領得の意思」が必要だとされていて、学会の通説でもあり、最高裁の判例も取るところとなっています。
「不法領得の意思」とは、判例上、「権利者を排除し他人のものを自己の所有物と同様に、その経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」とされています。
簡単のために前半を権利者排除意思、後者を利用処分意思と言ったりもします。
では、そもそもなぜこのような意思が必要とされるのでしょうか。
上記のi. ii.だけでは絞り込みが足りないからなのです。
i. ii.だけだと、たとえば、無断で一時的に自転車を借りて元に戻した場合でも窃盗罪になってしまいます。
彼が盗んだのは、自転車を利用するという利益であって財”物”ではないので、窃盗罪に当たるとするとおかしいことになります。
また、壊すために盗ってきて、実際に壊した場合に窃盗罪が成立してしまうとすると、
器物損壊罪が軽く定められている(3年以下の懲役又は30万円以下の罰金)意味が失われてしまいます。
盗んだものは取り返せるけど、壊したものは戻ってこない。なのになぜ器物損壊罪のような毀棄罪が軽いかというと、
盗むという行為こそ誘惑的で悪性が強く、これを強く禁圧する必要があるからです。
一時利用行為を窃盗から外すために権利者排除意思が、毀棄罪との区別のために利用処分意思が必要となっているのです。
権利者排除意思は、平たく言うと、所有者のモノを自分のモノにしちゃおうという意思です。
自転車の話と同様に、返却すればこれは否定されたかも知れませんが、どうやら彼らは盗んだあげく、返さずにスタッフがおいしくいただいたそうです。
とすると、これは認められるといえます。
利用処分意思は、定義の通りですが、判例上、経済的用法を広く捉えています。
2chなどでもあがっていましたが、女性用下着を男が盗む行為にも利用処分意思を認めています。
下着をアレしたりコレしたりする行為ですら経済的用法に含まれるということです。
そのほかに出てきた例としては、細長いモノを巻き付けるために盗んだ電線を使って巻き付けたというものにも認めています。
彼らは、不正を行っているという証拠物として提出したというのですから、これらと対比しても利用処分意思があったといえるといえます。
食べたというのならなおさらです。
このようにして、弁護士の主張は失当ではないかと思われます。
ネット上の言説を見ていると、これらの二つを混同しているモノがよく見られました。
ですが、これらはまったく別物です。
不法領得の意思は解釈上、「主観的構成要件」と位置づけられるのが一般的です。
客観的なのが構成要件というのが原則なのですが、
先のような不都合から、不法領得の意思をも構成要件としないと構成要件の違法性有責性推定機能が達成されません。
なので構成要件です。
一方故意というのは、「構成要件事実を認識したのに、これに歯止めをきかせず犯罪行為に出たこと」をいいます。
これは、有責性を基礎づける要件なので、構成要件とは区別されるものです。
両方とも主観的要素なので、法律をかじったことのある人間でないとちょっと難しいと思われます。
認識の対象が違うことだけ押さえておけばよいでしょう。故意は構成要件事実、不法領得の意思は上記の二つの意思。
本件では、i. ii. iii.の事実(厳密に言えば因果関係も)を認識していながらあえてやった場合に故意が認められます。
まあ、彼らも分かってやってるでしょうから(刑法でもこういう場合に確信犯といいます)故意は否定すべくもないでしょう。
窃盗が成立するには、i.他人の財物を、ii.窃取し、それがiii.不法領得の意思に基づくことと、それらに故意があることが必要。
弁護士の主張は失当だと考えられる。
故意と不法領得の意思は別物。
増田ねこがお題をだすにゃ。
分岐自由(ただし分岐した内容はなんらかの形で自分で終わらせるネ)
視点自由(主人公は分岐した時点で変えていいにゃ。分岐するなら視点を変えることを推奨するにゃ。)
タイトルをタグにするにゃ[週末増田小説20070525]A(主な分岐)-0(その枝番)
書きすぎない。一回の投稿で80行ぐらいが限度だにゃ。
http://enema.x51.org/x/07/05/1546.php
http://www.asahi.com/science/update/0524/TKY200705240142.html
「生態系の破壊を警告」21世紀ノアの方舟
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007052373818
流れ着いた巨大な死体の正体をさぐるべく(最初の)主人公がギニアに飛ぶ
生き物の正体をさぐるために歴史学者、生物学者様々な場所でさまざまな人に会う
調査を行う科学者と強硬派の環境保護団体の活動に争いにまきこまれる
そして主人公は夢から醒め、遅刻だー☆と食パンを加えながら学校へ向かって疾走する。
という最後の一行はまた別の話しである。
最終的に増田で開発された小説そふとにより閲覧できるようになるのにゃー
http://anond.hatelabo.jp/20070524163333
とおもったら、なんかもう別のがはじまってるにゃーー
なんだよこれ。
12歳で国際会議に乗り込んで演説するぐらい強硬派だぜ?
20代後半であろう今どうなってるか想像しただけでも恐ろしいわ。
http://www.sloth.gr.jp/relation/kaiin/severn_top.html
・・・。かわいいじゃねぇか。