はてなキーワード: 松山千春とは
今の職場へ来て数年経った。
その後、二次会としてカラオケを歌うことができるようなスナック(?)へ行くのが恒例になっている。
で、そこで、50過ぎのおじさま方が、よくまあ歌う。
古い曲から新しい曲まで、なんでそんなに知ってるんだというくらい、よく知っていて、ほんと驚く。
荒井由実とか山口百恵とか松山千春とかオフコースとか、(このあたりは名前くらいしかわからない)
チェッカーズとかサザンとかミスチルとかスマップとかキンキキッズとか、(この辺は知ってる)
エグザイルとかえーけーびーとか、(この辺は逆にこちらはよく知らない)
なんというか、いわゆる「売れ線」をおさえてる感じがすごい。
別の場で、同世代くらいの集まりでカラオケへ行ったことがある。
その時は各々が好き勝手に曲を入れて、しっちゃかめっちゃかというか、
自分は好きだけど他の人は知らないみたいな選曲の偏りが激しくて、
(お笑い番組由来らしい歌だとか、ロキノン系のディープめな歌だとか、アニソンだとか、)
あと数回繰り返していればお互いの嗜好も把握できてそれなりに歩み寄れたのではないかと思うのだけど、
その場での結論としては、カラオケは気が合うもの同士で集まった方がいいよね、みたいな感じになってしまい、
結局、飲みニケーション的な集まりにおいてはその場を共有することが重要であり、みんなにわかるものが要求されるらしい。
だのでミリオンセラーのような売れ筋の曲は「みんなが共有できるもの」として重宝されてきたのではないか。
売れたからみんながカラオケで歌うようになったのか、カラオケで歌われることによって売れたのか、因果関係はわからないけれども、
飲みニケーション的な悪習を築き上げてきた世代というのが確かに存在して、
そういう人たちがミリオンセラーのような売れ筋の曲を買い支えてきたという側面があったりするのではないのかなあ、と、
酔っぱらった頭で思いつくままに何の根拠もないことを書き綴ってみたのでした。
50代~60代くらいの世代が退職していくにつれて需要が減退していったのだよっ、みたいな論拠となるデータを誰か探してください。
今MTVを見てたんだけど、
どれもこれも商業主義の売れ線狙いの軽いインスタント物ばかりで聴くに耐えない曲ばかり。
この程度の曲だと、ちょっといいなっと思ったとしても一回聞けば十分だから馬鹿馬鹿しくてCDだろうがituneだろうが買う気になれない。
規制が昔より厳しくなりすぎて心に響く曲を作れなくなってる面もあるだろうが、
伝えたいことや表現したいことを優先して曲を作ればいいだけ。
マス広告や商業主義に乗っからなくても広めることは容易にできる。
しかしそれを誰もやらない。
売れ無かろうが貧乏だろうが自分が納得行く優れた曲を作れればいいという、
夢があって逞しくて憧れる精神世界が浸透していたが、
今や音楽業界はいかに客をだまくらかしてCDを枚数買わせるかが夢になってしまっている。
音楽だけに限らず、昔は漫画や小説やそういう文化的創作物の世界はみんなそうだった。
貧乏や苦労が平気だった。
夢や創作意欲のほうがそれに優っていた。
高度成長期でいつかはなんとかなるだろうという今とは逆の上り坂社会だったから気分的に平気だったのかもしれないが。
夢とか理想とか言ってる余裕はなくて兎に角金だってなっちゃうのかな。
こういう時代だからこそ、俺達の時代にあったような心に響く歌が聞きたいのに。
松山千春、中島みゆき、オフコース、YMO、さだまさし、チューリップ、甲斐バンド、吉田拓郎、井上陽水、ハッピーエンド、山下達郎、
他にもまだまだ。
こういう暗い時代だからこそ聞こえてくるであろうタイプの歌がさっぱり聞こえてこないのは何故なんだろう?
そうじゃなくて、
今を歌って聴かせてくれよ。
今の人が聴かせてくれよ。