はてなキーワード: 問答無用とは
よくわかった。
ただ俺は最後にこうも書いている。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。
だから俺は天皇制云々はシステムの問題としていろいろ議論してもらえばいいとして、尊敬の念を忘れてはならないと言っているのだ。
天皇を崇めている人の神経がわからない。なんでただの「人」をああも崇拝できるのか。神様だと思ってるの?いちいち敬語とかつけて、あほみたい。
こういう主張から天皇制廃止に飛躍しているのだと思ったから、俺はもう少し他者に敬意を払うべき、ということを言いたかったのだ。
元増田の意図を取り違えていたのだから、元増田の求めるものに対しては結果的にずれた主張になってしまったのだと思う。
これはねえ。
難しいな。
確かに言っていること自体はおかしくない、間違ってないとは思う。
しかし、そんなに色濃くないとは言え日本には儒教精神のバックボーンがあるし、年長者を敬うべきとか、そういう慣習がある。
その点からすると、増田の言っていることは、間違ってはいなくとも、広く日本で受け入れられる考えか、と言えばそうではないように思う。
というか、俺を含む人間で、受け入れられないと思う層は必ずいる。
天皇は色々仕事をする→尊敬されるべき→天皇制っていいね→(天皇は色々仕事をする……
↑このサイクルができてるわけでしょう?このサイクルを除けば実際、天皇制を支えるものなんて迷信によって支えられてきた歴史の「過去」しかない。
そのサイクルが尊敬を生み出す、と言いたいようだが、それだけでは絶対にない。
歴史の「過去」しかない、と言っているがその歴史こそがもっとも重く、最も尊いものだと俺は思う。
つまりまあ、ちょっと飛躍するけど、功労者って言われて何年も働いてないのに高額契約する野球選手もいるでしょう。
すっかり変わってしまった元彼女ではない、かつての優しかった彼女のことばっか思い出して行動するやつもいるでしょう。
そういう感じで、いま働かなくなったから何十年かですぐさま尊敬に値しない一族になるとは俺は思っていない。
歴史上の偉人の末裔は尊敬していいと思うし、日本で一番高貴な血筋を保っているのだ。
他国の歴史では権力構造が変わるときに前王室を虐殺して、自らが王になることが多いのに対し、日本ではそのようなことは行われなかったのだ。
日本の権力者は天皇に自らを高官に任命させる、または天皇の子を娘に産ませる、それしか考えていない。
天皇家を虐殺して自ら天皇になろう、という発想のものがあらわれたっておかしくはないのに、だ。
あとついでに全然論理的じゃないことも書いて申し訳ないけど、俺は権威主義なんだ。
だから現在も続く徳川家の末裔だって、いまや民間人だけど俺は尊敬する。
こういう考えの人も、少なくはないと思う。
学会の開会式に皇太子来るって聞いたら、見にいきたくなるじゃん? というか、行ったしね。
論理的じゃないことをさらに書いて申し訳ないけど、天皇家は問答無用で、制度によらず、尊敬すべき家柄だと俺は思っている。
ただ、税金をどの程度使うか? 大臣の任命権などの社会的役割をどう扱うか? などの天皇制については、廃止を含めて議論したっていいと思う。
しかし、廃止するのであっても、家や伝統の維持のために、小額の補助を出すことくらいは、認められてもいいんじゃないかと思っている。
ただでさえアイデンティティを失った日本人が、これ以上失う必要はないのだから。
元増田の言いたいこととかみ合う部分は最後の三行だけになって申し訳ないです。
アイコさん障害児っぽい風貌だけど。
現状、小沢支持を打ち出すというのは一般個人にとっては相当なリスクとコストが伴う行為だよ。
小沢を擁護するためにはまずその根拠となる周辺をきちんと調べて、反論に備えなければならない。
まあ、秘書三人が逮捕されてて要職から退かなかった時点で擁護の余地は絶望的に小さくなってると思うけどね。これが自民党政権時代だったら最初の一人が逮捕された時点で問答無用で議員辞職ものだったわけだし。
もちろん、そうやって辞職した議員を擁護する人は当時も居た。「○○氏はハメられた!」みたいな事を言う人がそれなりにいたケースもあったけど、再浮上した前例は無かったはず。
小沢が議員バッジを取り上げられずに済んでいるのも、日本人特有の「(せっかく実現した政権交代が)もったいないの精神」でかろうじて首の皮一枚繋がってるだけじゃないかな。
それにしても、これほどまでに圧倒的に嫌われてる人なのに、議員の椅子から引きずり下ろすのがこんなに面倒臭いというのも、ちょっとどうなんだという気もする。
ノーベル賞受賞者から、日本の教育システム、特に理系はそれほど悪いものではないという話が出ている。
会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
鈴木 私の考えでは、我田引水ではないんですが、日本のいわゆるサイエンス、ケミストリーだけでなくて、日本の理科系、工学系も含めてですが、レベルは非常に高いと思います。そういうレベルを今後も続けていかないといけない。
http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY201010070004_01.html
ところがこれが気にくわない人が多いようで、問答無用でトンデモ扱いしている人が多いようだ。ブクマとか見ると非難囂々だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
どうしてみんな意地でも、日本の教育システム、なかんずく大学がそれほど悪いものではないことを認めたくないのだろう。
大学受験を人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学の教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。競争試験の形を取っていても、事実上は資格試験である。その程度のことができない奴は最高学府(東大という意味ではなく大学という意味だ)で「学問」を学ぶのに本来は値しないのである。「大学」に入るということはそういうことだと認識しておけ(何?昔はともあれ今は違うだと?俺が受験したのは高々十年前なんだが。少子化がさらに深刻化した現代の受験が当時よりも難しいとは絶対に言わせない)。
そもそも、高校球児をはじめとするスポーツエリートがどれだけ退屈な基礎トレをしていることか、芸術の道を志す人がどれだけ退屈な練習課題をこなしていることか(稀にこれを回避できてしまう人もいるが、一流の人の間でも多いとは言えない)、そのことを考えたら、学問の道を志す人間が一年やそこら退屈な問題集に取り組むぐらいのなにが不満なんだ?
だいたい、お前らがマンセーしているアメリカの大学の学部教育の本質は詰め込み教育だ。早い話、アメリカの大学の教科書(特に理工系科目)を見てみるがよい。演習問題の量の多さに驚くはずだ。要は、アメリカ人は高校までがぬるいために、勉強の要領がつかめていないから、チャート式まがいの勉強を大学でやるハメになるのだ。要は、基礎の詰め込みはどこかでやる必要があって、避けては通れないのだ。そういう「不都合な真実」から逃げるんじゃないよ。
ああ?なんだと?受験で覚えたことなど役に立たない?それはお前が「ボクは知識を生活に役立てる術を知りません」と自白してるようなものだ。たとえば経済一つ取っても、高校レベルの国数英理社の知識がなければろくに理解できないのは当然ではないか。
そもそも、知識というのは持っているだけで人生が楽しくなるはずのものだ。お前らはアニメやゲームやITに関する知識を溜め込むことは大好きなのに、自然や社会や人間に関する知識を溜め込むことは無益だというのか?それはただの偏見だ。
勿論、日本に何の問題もないわけではない。米国のみならず、世界各国(特に東アジアと欧米)の教育制度には見習うべき点が多いし、特に全体として英米の大学(欧米とは言わない。率直に言って、欧州大陸の大学が日本の大学に比べて優れているとは全く思えない)は日本に比べて実績が総じて多いのは確かだ(ただしノーベル賞の数で比べないように。文学賞のことを考えればわかるが、結局誰がもらえるかはコネで決まる部分も多いからだ)。しかし、メジャーリーグの前では日本のプロ野球に価値がないとはいえないように、日本の大学にもそれなりの価値があるのだ。そして、何でもメジャーの猿真似をしては逆に日本野球の良さ(イチローはその極致であろう)が損なわれる部分もあるように、敢えて言葉の壁に立ち向かってまで英米で学ぶことは日本で学ぶことに比べてあらゆる意味で優れているなどということはないのだ。そのことは事実としてもっと知ってもらいたいものだ。
だいたいアンチ学歴のお前らは、日本の大学を散々馬鹿にする割にはハーヴァードやスタンフォードは無条件でマンセーしているようだが、そういう「ハーヴァード>>>>>東大」とかいうお前らの脳内図式は「東大>>>>>早稲田」とかいう学歴厨と何が違うんだ?お前らはどっちも「虎の威を借る狐」でしかないんだよ。
学歴で飯が食えないなんてことは高学歴者自身が一番知ってるよ。むしろお前らみたいに、大学名を名乗っただけで血圧を上げる奴を日頃から相手にしてるからこそ、そんなやつらは実力でねじ伏せられるだけのものは持っておこうとそれなりのことはしてるよ。TOEICとかTOEFLをマンセーしているお前らなんかよりも、よっぽど「試験で測れるものと測れないもの」は理解していて、試験で測れないところまで含めた総合的な実力を育もうとしてるよ。「高学歴者」と「学歴至上主義者」は違うんだよ。それは「白人」と「白人至上主義者」が違うようなものだ。敵を間違えて誤爆するのはやめてくれ。
ちなみに平日のこんな時間に書いているが学生ではない。広義のIT方面の研究開発をしている技術者(「エンジニア」とは名乗りたくない。「邦楽」が「日本の伝統音楽」からいつの間にか「J-POP」の意味になってしまったように、「エンジニア」はいつの間にか「コーダーやSE」の意味になってしまった)だ。今日は年休充当日だ。
日本の大学を出ても使えないだの理系はコミュ力がないだの草食系男子は人間力が低いだの、何もわかってない馬鹿どもに頭ごなしに見下されるのはもううんざりだよ。
さて、昼飯がてら近所のマクドにでも行って昨日ダウンロードした論文でも読んでくるかね。
ブコメへ。
s-tomo 「学問の道を志す人間」が5割も居るわけ無いのに5割進学してたら、そりゃ平均値はダメ学生になるだろうよ!! 2010/10/08
「平均値」の話ではなくて、ノーベル賞が視野に入ってくるような人間、つまり研究者志望の人間の話をしてるんだと思ったんだが?ちなみに、日本の大学進学率は先進国の中で極端に高いわけではない。
Kou_RYU 日本, 教育, 科学 でも受験地獄で得られる学力って受験で多く得点を取るスキルであって、基礎学力や応用力と得る事とは別な気もしないでもない…。 2010/10/08
それは勉強の仕方が間違ってるだけですね。逆に、案外こういう世界は急がば回れで、基礎学力や応用力(どう違うのかようわからんが)を得ることを最優先に勉強してれば点数は取れて余りありますよ。ただ、「得点を取るスキル」は馬鹿にしたもんじゃないですよ。学問の世界ではともかく、ビジネスの世界では意外なほど役に立ちます。早い話、点数のために物事を最適化するのと、金のために物事を最適化するのは発想が非常によく似てるんですね。正直、自分の会社の人間がみんなもっと「得点を取るスキル」みたいなものを持ってくれたらいろんなことが要領よく回るのになあって私自身いつも思いますね。
ngsw 詰め込みで問題なのは、精神的にいい悪いはおいといて、各家庭の経済力に左右されて機会均等がなされないことでしょうね。公的な義務教育だけでまかなえる詰め込みなら全然ありだと思う、お得感ある。 2010/10/09
いや、逆に米国みたいに課外活動が大学進学時に問われてしまう方がもっと格差が広がりますよ。金のかかるスポーツ・文化活動で何らかの入賞歴みたいなのがあるかってのが加点項目になってしまうわけだから。むしろ詰め込みは比較的安上がりな教育方法ですよ。その気になれば独学だってできますから。ただそれでも色々な要因で経済格差が学歴格差を再生産してしまうことはあるわけですが。あとその筋で言うならば、日本の場合は国公立大学の学費が異様に高いのが問題だと思います。
ahyask 認識がずれてないかな.それほどダメではないとパーフェクトではないは対立しない.否定的な人たちは,よそのよいところとここのわるいところだけを見て最高のシステムを夢想しているだけだと思うけど 2010/10/09
ただそういう「夢想」の過程で、「ここ」のシステムで育った人間に「わるいところ」が全部押しつけられてスケープゴートにされてしまうのが問題なのですよ。例えば一時の官僚バッシングやオウムの時は「東大が悪い」ということにされていました。現実にはノンキャリア官僚にも問題があったわけだし、オウムの場合も低学歴の信者も沢山いて、たまたま高学歴の信者が知識を利用されただけなわけです。そしてそういうときには必ず「西洋のエリートにはノブレス・オブリッジという思想がある」云々と聞かされたわけですが、実際その「西洋のエリート」がリーマン・クライシスを引き起こしているわけです。要は本当は五十歩百歩なわけなんですけどね。
jack_oo_lantern 理系は知らないけど、歴史学の私は、ゼミの一番最初の授業で高校まででやった歴史は全部忘れろと言われたけど・・・。 2010/10/09
それは理系も同じです(特に数学)。高校までで習ったことはないものとして講義を進められるのが普通です。ただし、「一旦忘れる」ということは「知識がない」こととは似て非なるものであって、例えば中学生に大学の講義をいきなり聴かせれば大多数が脱落するのが自明です。要するに「全部忘れろ」というのは「知っていることを知らないものとして先入観なしに新しい考え方を学べ」ということであって、「今までの勉強は無駄であり、知っている必要はない」ということとは全然違いますよ。
sabro 教育 でも詰め込み勉強は一番大事な学ぶことへのモチベーションを破壊するよね。自発的にやれば本来面白いはずの知識の習得に関しておっくうになってしまい、一度いいポストについてしまえば勉強しなくなったりする 2010/10/09
厳しいことを言えば、そこでモチベーションを破壊されてしまう人はそれまでの人だと思うし、逆にそれだからこそ割り切ってやらなければいけないんです。走り込みや筋トレに飽きてしまうスポーツ少年に才能があるといえますか?それに、白紙からはじめて一つの分野の基礎知識を一通り身につけるというスキルは大学受験だけに留まる物ではなく、一生使えるものですよ。昔学んだことの蓄積だけで生きていけることは多くないのですから。
olive-cafe 匿名, 釣り 自分の意見に自信があるなら、匿名じゃないとこで書けばいいのにね。 2010/10/09
そういうあなたも匿名で発言されてますね。私ははてなのidが筆名に相当するほど立派な物とは思っていませんし、匿名ダイアリーもブログも五十歩百歩だという認識です。あしからず。
junglejungle 日本より受験戦争がひどい韓国や中国のノーベル賞受賞者数はいくつだったっけか。たしか平和賞1つづつだけだよね。 2010/10/09
受験期の詰め込みというのは一つの要因でしかありませんからね。それに、中国からは優秀な研究者は沢山輩出されてますよ。古くは陳省身とか楊振寧とか(Chern類とかYang-Mills理論といえばピンと来る人もいるはず)、現代でも優れた論文の著者が中国人ということは多いです。韓国は確かに私の周辺では存在感がありませんが、理由はわかりません。
cepheid 「社会で求められる平均的な素養」のうち受験勉強で埋められるのはごくわずかという点が問題。研究者なんてある意味学校の延長なんだから学校での詰め込みが役に立って当然だろ。何言ってんだか。 2010/10/09
「受験が天才をスポイルする」みたいな社会通念があったと思いますが、それが「当然」誤りだと思ってもらえているなら結構。ところで、あなたの「社会で求められる平均的な素養」って何ですか?コミュニケーション能力だとか人間力だとか下らないことを言わないで下さいよ。
junya_asa 教育, 勉強, 増田 筋トレの話が出ているけど、それをやるのは必要であることがハッキリしており、それがそのまま結果に直結するからでは。勉強だとその部分が非常に見えにくく分かりづらいから、だからどうしたって回避したくなる。 2010/10/09
大学に行くということは、法律や経済や文学や自然科学といった学問を学ぶことで、それらを学ぶ基礎として高校レベルの勉強が必要なのは自明ではないですか?それを勉強したことがどう生きるかわからないのだとしたら、それは「大学に行く意味がわからない」というもっと根本的な問題ではないかと。
SyncHack 雑談 英語教育とかは嘆いていい。難解なクイズと化していてコミュになっていない。答えが分かっている問題はお得意のエリート様だが答えの無い問題に対して解く方法を持ち合わせていない木偶が多い気はするがね。 2010/10/09
それはなんでもそんなもんです。例えば音大生なんかで難しい練習曲は弾ける癖にまともな曲を弾かせてみると素人以下に無味乾燥な演奏しかできない人は結構います。しかしだからといって素人の方が演奏解釈が音大生より総じて優れているというと言いすぎです。そもそも解釈というのは技術を持っていることで触発されてくる面もあるのですから。そして世の中で一番多いのは、答えがわかっている問題も答えがない問題もろくに解けない人種です。
torinosito 増田 「それほど悪いものであることを認めたくないのだろう。」がどうしても気になる。全体の内容からすると、×ある ○ない ではないだろうか 2010/10/09
指摘ありがとうございます。直しました。
kimihito 大学, 海外 受験に関しては同意見。学歴コンプに関しては賛同できない。コンプがあるからやってけてる部分が私はあるので。コンプレックスを跳ね返すために地道な作業を繰り返していきたい。 2010/10/09
勿論そういう方もいるかとは思いますが、八つ当たりだけはしないで下さいね。親の敵のように何かといえば「高学歴人間が悪い」と私怨をぶつけてこられる方(たとえば某有名ブロガーとか)がいるので辟易してるんですよ。
rzio 人に『「虎の威を借る狐」でしかない』って言ってるけど、冒頭のノーベル賞受賞者の引用はなに? 2010/10/09
答えを言うなら「単なる釣り」。気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。まったく論旨に影響がないことがわかるはずだから。
tokoroten999 言いたいことわかるけどさー、マクドで論文読んでる姿をさー、塾通いしてる小中学生が見てさー、「勉強ばっかしてるとあーなっちゅうんだぜ」って言われて反論できるー? 2010/10/10
意味不明。反論する必要などどこにもないよ。俺は自分のやりたい生活をして満足してるんだから。「あーなる」ことの何がいかんのか知らんが、それが気に食わん人間は自分が同じことをやらなきゃいいだけじゃないの?
repunit 教育 高学歴者でも数学の公式の証明はやらんと思う。ていうかこの人が学歴コンプそのものな気がしてきた。あとコミュ力を軽視しすぎ。学び合いとか聞いたことない? 2010/10/11
「思う」ってひどい憶測ですね。これは実体験として言えますが、「高学歴」でそれができない奴はただの落ちこぼれです。文系とか生物系とかならまあ許してもらえるかもしれませんがね。私が学歴コンプかどうかの判断はお任せしますが、そもそも高校や大学は「コミュ力」を養成するところではありませんのでお門違いとしか言いようがありません。あと、「学び合い」とか教師の世界のスラングを普遍的なものだと思いこむのはやめた方がいいですよ。
そんなの当たり前じゃん。「何でもこれをやれば解決する」なんてありはしないんだもん。
1-3.プロマネ・プログラミング・金融などの能力を身につけろ
これらは一見正しいように見えます。
しかしながら、これらには重大な嘘が隠されているのです。
これ、
とかそんな風に書き直せば一昔前の全共闘世代が言ってたことと同じだよね。要するに、「ここではないどこか(いつか)」にユートピアがあり、そこに行きつきさえすれば全てが解決するという思想。そんなのが子供のたわごとであることは連合赤軍とかオウムが十分証明してるよね。
問題は、言っている本人がこういう類のアジテーションを半ば本気で信じている節が見受けられるところだけれど、まあそれはいわゆる「進歩的知識人」と同じ精神性ですよ。「愚民共は○○という一番重要なことがわかっておらん、だから問答無用でダメなんだ!」(○○には英語でも金融でもプログラミングでもあるいはマルクス経済学でも好きなものを入れるといい)とか思ってる人はだいたい自分が「愚民」なわけで。大抵の場合その人たちはその肝心な「○○」についても半可通だったりするしね。実際、何であってもその道のことをそれなりにわかっている人なら、それで全てが解決するなんていう思い上がりはとっくに克服してるもんだしね。
まあ、団塊の世代の高校の社会の教師とかに一人か二人はいたパターンですよ。そう思えばもうだいたいどう対処すればいいかはわかるでしょ。敬して遠ざける、これですよ。
最近、中国人と仕事をする機会があって、文化の違いというかいろいろ見つけたことがあるので増田に書いてみる。
とにかく手を動かすことについては早い。割とボリュームのある(日本人の目で見て5人チーム1週間程度)仕様変更も、1日とか2日でリリースしてくる。
ここで注意したいのは、彼らはリリースしてくると言うところ。何度も目を疑ったのだけど、デバッグということをしてこない。
エンバグも日常的に起こる。デバグAを済ませたらエンバグして、そのバグを直したらバグAが再び出てくるというような。もちろん、バグ報告したあと直してくる速度もめちゃくちゃ速い。
しかし、手を動かしてくれないときは、とことん動かしてくれない。何度指示をしても「わかりました」という返事をきいても、指示がきちんと反映してくれない。この差はなんなんだ。
お金儲けに関しては天才的。常にいろいろなビジネス展開を考えていて、話をしてみるとあらゆるビジネスというか、商売のネタを披露してくれる。よくそこまで考えられるなーって思う。
彼らの特徴としては、確実に儲ける方法が好きというところ。リスクを取りたがらない。たとえば、売れるかどうかわからないけど、売れるとぼろもうけする物と、すでに売れている物の模倣をすることだったら、迷わず模倣を選ぶ。確実に儲かるから。
ビジネスに対する考え方は至ってシンプル。なので、いらなくなった人は問答無用で切られる。本当にあっさりしてて、さっきまで隣で談笑してた人が数時間後に解雇されてたなんて事もザラにある。
仕事をしていてリソースが不足してきたとき、日本だと現状で解決できないかを考え、その結果として効率化といった手法をとることがある。しかし彼らは「人を増やせばいい」の一択。中国にある本社の社員数は、半年で4倍になったという。
ただし、首切りは頻繁に行われるので、人の入れ替えはあり得ないほど激しい。誰でもできる仕事は、かわりはいくらでもいるということだ。
食べながら話をするというのも、ごく普通にありふれた風景。ランチミーティングなどになったら、クチャラーのオンパレードであの音が嫌いな人はたぶん卒倒するかも。1ヶ月もすれば慣れるけど。
もっとあるかなと思ったけど、まとめたらこんな感じになってしまった。
本当は詳しくいろいろ書きたいのだけど、所属などがばれてしまうといろいろ面倒なので今回はこの辺で。
主人公はスポーツ用品店経営、2店舗オープンで少し忙しいが、逆にいえばそこそこに経済的には成功してる黒人。
Tシャツとジーンズとかじゃなくて、ちゃんとスーツネクタイ、調度品も品よく、息子にもワイシャツとスラックス着せたりする、典型的な中産階級として登場。
チームはバラバラ、ルーキーズ状態。
報酬的にはボランティアというほど安くないけど、経営者の時間を割いてまでしたいほどの高給ではない。
でも、ちょっと悩んだが結局引き受けることに。
契約内容は次の通り。
・Sirをつけて話す。
・高校の授業は最前列で受講すること。
「アホか」
と言って数人は退部。
で、ここからは鬼コーチ。イメージは星一徹か宗方コーチかって感じだ。
「はーい、今からおまえ腕立て。え、いや?口応えしたから腕立て追加とダッシュ追加。はやくやれよ。え?もっと追加して欲しいの?じゃさっさと。」
「はい。」
「はい、じゃねーよ、わかりました(Yes,Sir)だろ」
みたいな感じでしばしスポ根。
で、チーム絶好調。派手な試合シーンが続く。スラムダンクの実写みたいな感じ。地区大会優勝。
そこで、コーチが選手の学業成績の開示要求。学校は拒否するけどゴリ押し。
コーチ「成績がC以上ならスポーツ特待で奨学金が出る。だから休部!」
コーチ「それは違う。今が一番じゃなくて、これからもずっと輝き続けないといけない!流されて生きて貧困にあえいで犯罪者になってクスリに手を出して撃たれて死ぬ、そんな人生じゃダメだ!」
選手たちは自主休部。
作中でコーチが「おまえたちはなにに怯えている?」と何度も聞くんだ。
「俺たちは、自分が輝くことを恐れていた。うんぬん」
ワルぶっていた人間が突然路線変更して大学目指すというのは、アメリカ人だって勇気がいるらしい。でも、いつか変らないと貧困から抜け出せず、ゴールは1つ(そして日本よりもずっと悲惨だ)だってことを普通に考えればわかる。
アメリカの大学の学費は安いというのはサヨクの流したデマで、州立だってかなり高くて奨学金制度を利用しないことにはって背景があるらしい。学生ローンで破産がうじゃうじゃでも、進学率は高い。
高校卒業したら働くっていう選択のほうがずっと易しい。
結局、半数以上が大学に行った。
AppStoreにエロ系参入は不可能っぽいし、ジョブズが許可するとも思えん。おまけに、一度配信許可したアプリを後から問答無用で一斉削除したりしてるし、ダウンロードした端末に対しても後からリモートで削除できるような仕様になってるし。
ほとんどは問答無用で潰して切れない連中は別団体に飛ばしてたと思うけど
退職者の扱いに困るような市の外郭団体ってどんなのだ?
それって派閥の団体だから潰せないだけじゃね?
何のことを言っているのかさっぱり判らないのでなんとも言いようがないが(「到底承服しかねる条件」がどういうものか?本当に承服しかねるのか?すらわからないうちに、これをどうこういうのは単純にお馬鹿さんでしかありえない)、とりあえず在日韓国人の参政権うんぬんではないのだろうなあ。
「国籍はそう簡単には変更できない」以前に彼らは日本国籍を有していないし、韓国は彼らの状況以上の「到底承服しかねる条件」を満たさない限り外人に参政権を与えちゃくれんのだから。
しかし、「簡単に他国に帰化できるなら」というのはなんだろう。帰化しないといけない問題が絡むのなら違うだろうが、帰化なんてそんなに必須の問題だろうか。在日韓国人ひとつとってみたって、事実上取り立てての問題なしに生活している人間はいるわけだし、帰化がそんなに必須のこととも思えない。
「『日本から出る』ことにはかなりのリスクを伴う」というのも意味がわからない。単純にリスクの有無にしてしまうのなら「タイトルの台詞を口にする人々」にも対象のことを認めたらリスクが発生する、と言われたら同条件になってしまうだろう。
こんな何を言ってるんだかわからないものをほいほいブックマークするお馬鹿さんの中でも極め付きなのはこいつ。
petem *まったくだ こういうやつは問答無用で軽蔑に値する。テクニックと呼ぶのもおこがましい。 2010/07/18
優良企業にいて何の必然性もなく「休日を年間300日よこせ」という人間に「いやならほかの会社に行け」という人間も、id:petemの理屈では「問答無用で軽蔑に値する」ことになってしまう。アホか、としか言いようはない。
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。
では、私が知らなかったそういう経緯があったとしましょう。しかしあれに反応した一般の人の中には、私並みに無知な人も大勢いたのでは?
繰り返し私は書いていますが、18歳未満のセックスを禁ずることで、コンドームやピルを手に入れられなくなる事の弊害は、どのように考えますか?
禁じれば手に入らなくなるという理屈がわかりません。未成年者に対してポルノの販売は今でも「建前上」禁止・自主規制されているはずですよ。
そして、「建前上は杓子定規で実質はザル、そしてセーフティネットがきちんと存在する」という状況こそが大事だと思います。下でもう少し詳しく書きます。
そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?
まさに今、大人が子供に対して、酒との付き合い方として教えているものじゃないですか?そしてそれを私も支持します。
これが一般的なのか私も自信がなくなってきましたが、私は高校生のうちから期末試験や文化祭の打ち上げで普通に飲酒していました。高校教師や親はそれを黙認し、「一気飲みはするな」とだけ言ったものでした。
いや、あなたの過去に関して言うならば、私もそんなものだった(期末試験ぐらいでは飲まなかったが)し、高校卒業後大学合格の報告に行ったときには、恩師がお祝いに飲みに連れて行ってくれたこともありましたよ。形式上は卒業していなかったわけだから、今ではちょっと考えられないかもしれませんね。卒業式後に野球部員が飲酒していたせいでどこかの高校が非難を浴びて甲子園を辞退させられた一件の時は、なんといやな時代になったものかと唖然としたものでした。
それでも、高校時代は建前上は「飲酒がばれれば停学」だったし、実際に限度を超えた人などで処分を食らっていた人もいます。私の学校は締め付けが緩いことでむしろ有名だったのですが。「やめておいた方が自分のためだよ」なんて甘っちょろい忠告だけというよりは、もう少し緊張感があって、建前は建前としてきちんと生きていましたよ。ハレの日のみ多少「武士の情け」があり得るという暗黙の了解はありました。
性に対してもそういう態度が必要だと私は思います。人間を信用しないゼロ・トレランス方式は教育の場にふさわしくない愚かきわまりない方針だと思います。しかし「建前」は大事です。そうすることで、自分たちのやっていることを真剣に考えるようになるからです。それが一番重要なことです。
児童ポルノ法が取り締まるのは児童買春と児童ポルノです。また、各都道府県にある青少年保護条例が規制しているのは児童との淫行です。真摯な恋愛関係にある限り、13歳以上を性的対象にすることは虐待ではありません。
ところが、出典は失念してしまいましたが、自分の裸を撮ったことで、本人が「児童ポルノ製造」の罪で逮捕されたという話がありましたよ。キリスト教原理主義の強い米国でその種の事件がいくつかあるのはわからなくもありませんが、日本でまでこういうことが起こるのは唖然としました。明らかにこの件については取り締まりの目的と手段が主客顛倒し、そしてそれが余り疑問にも思われていない実態があります。
また、「一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」」という状況にあるようには思いません。そうなら、もう規制されてますよ。声が大きい人とアグネス・チャンは目立つので、そのように感じているのかもしれませんが、東京で青少年保護条例の改正が否決されたように、規制反対派は沢山います。私もその一人です。
沢山いますが、それはこの問題に関心を持っている人だけですね。案外キャサリン・マッキノン並の道徳を持っている人は世の中に多いのではないでしょうか。少なくとも、「日本は児童ポルノ大国である」というような(事実としてかなり疑わしい)宣伝がこれだけなされていれば、欧米の過剰規制(アグネス・チャン並の)が日本にも導入される日は決して遠くないでしょうし、未成年者の飲酒に対して世の中がこれほどまでに手の平を返した以上は(プロ野球の優勝記念の「ビールかけ」に19歳の選手が参加できない時代ですよ)、案外抵抗もなにもなくビクトリア朝並の世界がやってくるような気がしてなりません。フランコ・ゼフィレッリ版の「ロミオとジュリエット」みたいなのも児童ポルノ扱いされてしまって不思議はありません。捕鯨問題に見るように、世界には良識という名の狂気は充満していて、付和雷同する人が多い日本の世論なんて甚だ心許ないものです。
そうした狂気から身を護るためにも、グレーゾーンはグレーゾーンとして残しておく必要があると思うのですよ。そうでなければ、結局は全部黒とされてしまうのがオチだと思います。違うでしょうか。だからこそ私は、「白」の領域を無理に拡げようとすることに抵抗を感じるのです。
しかし、児童買春と児童ポルノの製造(これは15歳あたりで線引きすべきと考えるが別の話)を行ったものの罪はもっと軽くすべきであるという、あなたが最初に書いた論には乗れません。
いや、「軽くすべき」というのは「児童を性的主体と認めるならばそうなる」という話であって、それは逆説で言っているのでお間違えのないように。私は本音では「建前上認めるべきではない」という立場なので、「軽くすべき」だとは思っていません。
七生事件の件などから、石原慎太郎が性教育を否定する立場にあることは明確です。
その慎太郎が「中学生はセックスするなと教えるべき」と言えば、それが純潔教育を示すことは明確ですね。
あなたが純潔という言葉を使う前から、フェミは石原慎太郎的純潔教育に対して反応してきているという流れを踏まえてください。
あなたと私は、避妊の仕方まで踏まえたまともな性教育を子供に施すべきであるという点では同意に達していると思いますが、彼らはそれを否定している。そして、都知事という立場を使って、性教育を行っているものを強権的に排除した。それを踏まえると、決してヒステリックな反応ではないことは理解すべきだと思います。
また、あなたが「童貞の負け惜しみ乙」と受け取られる件については、議論をする気はありません。
私も中学生にセックスを推奨する気はさらさらありません。しかし、セックスを禁止する事に抑止効果がないと、別のツリーでさんざ議論したところです。まさに、「やるやつはやるよ。だって性欲あるもん」ということです。ついうっかりコンドームのないセックスをしないよう、この辺はデートDVなども含めて男女ともにしっかり教育すること以外に、対処の方法はないと考えています。繰り返し私は書いていますが、18歳未満のセックスを禁ずることで、コンドームやピルを手に入れられなくなる事の弊害は、どのように考えますか?
また、あなたは性だけを逆に特別視しているようにしか、私には思えません。
そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?
まさに今、大人が子供に対して、酒との付き合い方として教えているものじゃないですか?そしてそれを私も支持します。
これが一般的なのか私も自信がなくなってきましたが、私は高校生のうちから期末試験や文化祭の打ち上げで普通に飲酒していました。高校教師や親はそれを黙認し、「一気飲みはするな」とだけ言ったものでした。
高校生での飲酒は地域によっては一般的ではないかもしれませんが、大学生の飲酒は一般的ですね。
あなたにとって未成年の飲酒を許容する教育はあり得ないのかもしれませんが、現実に行われていたことも覚えておいてください。
さて、最後。ずいぶん遠くに来ちゃいましたが。
そうですよ。
現状でも、そうです。
児童ポルノ法が取り締まるのは児童買春と児童ポルノです。また、各都道府県にある青少年保護条例が規制しているのは児童との淫行です。真摯な恋愛関係にある限り、13歳以上を性的対象にすることは虐待ではありません。
また、「一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」」という状況にあるようには思いません。そうなら、もう規制されてますよ。声が大きい人とアグネス・チャンは目立つので、そのように感じているのかもしれませんが、東京で青少年保護条例の改正が否決されたように、規制反対派は沢山います。私もその一人です。
未成年を性的対象にするだけで差別されるのであれば、それは私も是正されるべきだと思いますし、二次や単純所持に関しては禁止の必要はないと思います。その点について訴えたいのであれば同意しますよ。
しかし、児童買春と児童ポルノの製造(これは15歳あたりで線引きすべきと考えるが別の話)を行ったものの罪はもっと軽くすべきであるという、あなたが最初に書いた論には乗れません。
その説明は、以前書いたとおりです。
元増田です。
過去に、男女交際を全て禁じ、それどころかオナニーまで禁じ、でも性風俗は許容するような純潔教育が存在していたことを踏まえると、「純潔」という言葉に敏感なのも当然かと思います。
なるほど、しかし「純潔」という言葉は私が言い出したものであって石原が使った言葉ではありませんよ。にもかかわらず石原は叩かれた。
それに、私自身「自分自身に純潔道徳を課していた」みたいなことを書きましたが、増田以外のところでこんなことを言えば「童貞の負け惜しみ乙」とかへんな風に受け止められてまともに相手にされないのがオチですよ。少なくとも私が自分自身を律するためというためだけのあのような考え方でさえ、「そういう考え方があり得る」という程度にさえ受け取られないのが現状だということを考えると、単に宗教原理主義的な動きへの警戒というだけでは説明が付かないものがあると思います。
そしてたぶん、あなたは「自分で責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」にも否定すると思うのだけど、それに対する反論は以前書いたとおりです。
いや、その言い方は否定しないし(ニュアンスは違うかもしれないが)、「以前書いた」という「反論」が具体的にどの部分にあたるのか読み返してみても今ひとつわかりませんでしたが、自転車と危険レベルが同等とは思いません。
少なくとも都市部においては日常の移動手段として小学生ぐらいでも自転車を使うことに反対する理由は見あたりませんが、どれだけ「きちんと教育」したといってもたとえば中学生ぐらいがセックスすることがよいとは思えません。第一、あなたの書いたとおり「やるやつはやるよ。だって性欲あるもん」なのです。避妊をしなければいけない、とかそのあたりの自制心を働かせたり言い出したりできず、その場の流れで過ちをおかすことだって十分あり得るでしょう?中学生ぐらいって精神的にもそれぐらい未熟ですよ。教育や避妊手段の整備という議論自体には同意しますが、あなたやフェミはその効果を過大評価しすぎていると思わざるを得ないです。
そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?そんなことないでしょう。要するに、どうしても、「性」だけは特別視したいというイデオロギー的なもの(という表現が適切かどうかはともかく)を感じるのですよ。あなただけでなくて社会全体からね。
いや、そういうことを言いたかったわけではないわけですが。売買春かどうかは本質ではありません。
そもそも、児童を直接的に性的対象とすることがなぜ虐待とされるかというと、未成熟であって性的主体たり得ない児童を直接的に性的対象とすることは児童の人格を蹂躙しているからということで、強姦や強制猥褻が本人の意志を無視していることで相手の人格を蹂躙しているというのと同一線上にあるはずです。逆に言えば、成人を合意の上で性的対象とすることが許されるのは、成人は性的主体たりうるとされているからです。
さて、そこで、世の中ではたとえば、高校卒業時の性体験率が半数近くという現状を問題視すれば保守反動扱いされかねないわけです。だとすれば中高生あたりを性的主体と認めるべきだという意見が主流であると考えてよいでしょう。しかしそうだとすれば、中高生を性的対象にすることは虐待ではないということになりますよね。これは論理的にあまりにも自明だと思いますが、違いますか。これはほとんど明らかなことなのに、どうしてそんな過激なことが主張できるのかというのがまず第一点。
そしてもう一つは、この問題をなんとか乗り切るとしても、その上で「児童性愛者は人間のクズ、まして実際の行動に出る奴は極悪非道の人非人で何の同情の余地もなし」というようなことを大勢の人は平気で言ってしまうのですが、それが怖くないのだろうかという疑問です。たとえば、現行法の運用みたいに「成人が未成年者を性的対象にすることは許されないが、未成年者同士は問題ない」とかして(これは「ごまかし」でしかないわけですが)なんとか第一点の問題を回避するとしても、たとえば19歳が17歳に欲情することは許すべからざる児童性愛であるということになってしまいます。少なくとも形式上はそうです。それが先のアメリカンジョークのおかしさです。もちろんそんな馬鹿なことを真に受ける人はいないでしょう。しかし、ここからもわかるように何が「児童性愛」であって何がそうでないかという境界は極めて曖昧なわけです。スローガン的に言えば「誰でも昔はロリコンだった」ということです。そして、いつまでが「昔」として許されるかはかなり微妙な問題なのに、児童ポルノ規制の議論ではそこがいつも完全に素通りされてしまっている。その結果、件の「サンタフェが児童ポルノか否か」という問題(同種の疑問は誰しも持つと思うのですが)にすら誰しも納得できる答えが出せないのに、一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」で一致してしまっている。その意見が正しいか正しくないかというより、自分の首を絞めることになる可能性が誰も怖くないのか不思議でならない、それが第二点です。
説明が長くなりましたが、要は「グレーゾーンを無理に白と黒に切り分けてしまうことのおかしさやその弊害にどうして誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのか」ということですよ。なんでみんな、この手の話が単純でもなんでもないことを見て見ぬふりをしているのか、あるいは本当に気づいていないのか、それがどうしても理解できないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
頭に書いておけば、トラックバックちゃんとなるかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これに反論が無いと言うことは、結局『政府に不作為がある』が答えですよね。
つまり「政府の行動に問題がある」と言う指摘は、間違えていないと言うことですよね。
で、返答にも乗りますが、まず1つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
君の脳内ではワクチン接種を検討開始して3日で実施してるのか。もしそうならむしろ赤松の決断力はすげえって話になるなw
あのな、現実見ようぜ。あのヘタレの赤松のどこにそんな胆力があるんだよ。それともワクチン接種がどれだけ重大な決定か本気で分かってないの?
備蓄があるから?日本に使ったことも無い新兵器があったら3日で戦争始められるのか。ワクチンは強力な武器だが専門家も「絶対勝てます」とは言えない不確実な武器で、しかも最近の改良されたワクチンは世界にとっても日本にとっても新兵器だぞ
政府の「対策本部」の「本部長(最終責任者)」は17日付けで鳩山首相に変更しています。また鳩山は、農水副大臣などを現場に送り込んでいます。
胆力は鳩山の方、あるいは鳩山のブレインでしょう。普天間や政治と金問題に加えて、さらにこの問題。政権の穴にはしたくない。疫病は判断力の揺れを待ってくれないでしょう。実際に即断を出してるわけで、それを考えれば3日で開始にしてもおかしく無い。
そして「新兵器」と言いますが、オランダで出来たワクチンは2001年です。研究機関は世界各地で9年行われてるわけで、専門家ならある程度の情報は知っているでしょう。そもそも専門家であれば、今回の口蹄疫を知った時からある程度シミュレートしていておかしく無い。それに内閣ではなく官僚が手を打って調べていてもおかしく無い。
『官僚が』の意味ならワクチンの調査は17日以前からあってもおかしくないですが、それが『赤松の手柄か?』と言うと疑問ですね。現地に入る10日までは、農水官僚を怒鳴ってただけとかいう話も聞きますし。それ以後も何をやってたのやら。
ワクチン効果に『絶対』が無いのは指摘の通り。しかし、罹患地域を押さえ込める可能性があるのであれば、打たない手は無いでしょう。疫病対策と言うのはどこかでギャンブルになります。
それに、一定区域の殺処分は、結局の所、埋設場所が問題になっています。埋設場所を確保する間だけ、罹患しても症状を抑える事が出来ればよいと言う目的でのワクチン使用です。効果が無いとしても、現状と変わらない。悪い賭けじゃないですね。
ちなみに、現地側で「一定区域全頭殺処分」の話は5/14頃ですね。この頃から東国原知事が一定区域の全頭処分の話を出してたはずです。覚悟してるんだから国が動いてくれと。
それから、
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
農場単位での普通の殺処分なら財産権とか言う必要はない。法的に問答無用で処分出来る
現場と補償額の問題でもめたのは明確に出たのは5/20です。一律で牛60万、豚3.5万はふざけるなと。畜産農家と補償問題を詰める前に赤松がリークして、現場農家が怒ると言う形。家畜によっては一頭で200万ぐらいだってあるんだと言う話で。結果、時価になりました。確定が5/21。
それより前は、5/18東国原知事が国と補償額で詰めている話で、交渉中と言う答えをしているのに、馬鹿記者が「交渉中」を理解出来ずに知事に喧嘩を売った話。
ワクチンを確定させた最後の決断は、17日に首相周辺と知事とで即座確定だと思いますね。3日も伸びたのはむしろ補償の問題の方でしょう。ワクチンのプレゼンなんか2時間くらいで終わるでしょう。先に書いた通り、今より悪くなる可能性が低いなら、打たない手は無い。
5/14の財産権は、赤松が一定区域内殺処分の『責任を取りたくない』保身にしか思えません。5/17トップが変わってからは、現行法で対処出来るのではないか?など言ってることからも。
少なくとも、5月上旬からワクチンを考えていたと言うのは、内閣や知事の言葉などを見ていても、想像出来ない。
二つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
この言葉
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これを後押ししますね。10万頭出る確定を4/23に理解しておきながら、現場をほっとくと言う。
やっぱり政府の不作為だと言う指摘は別に間違えていないですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
3/26の初期症状から口蹄疫を疑う事は難しいと専門家が言っていますね。
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY201005180565.html
宮崎県で口蹄疫感染の疑われる牛が確認されるまで何があったのか。関係者の話から再現する。
宮崎県都農(つの)町。3月下旬、ある農場で水牛が下痢になった。モッツァレラチーズを作るために飼われていた42頭のうちの1頭。往診した獣医師は、31日に県の宮崎家畜保健衛生所に届け出た。
県も立ち入り検査したが、口蹄疫にみられる口の中や蹄(ひづめ)の水疱(すいほう)、よだれがない。便なども検査したが、下痢の原因となる菌やウイルスが見つからず、結論が出ないまま下痢は治まった。
これが最初の異変だった。
この農場から南に約600メートル離れた別の農家で、次の異変が起きた。
「口の中に軽い潰瘍(かいよう)のある牛がいる」。4月9日、衛生所に別の獣医師から連絡があった。2日前に往診したところ、1頭の牛が前夜から発熱し食欲がなく、口からわずかによだれがあったのだという。
県の口蹄疫防疫マニュアルでは「(口の中の)水疱は発病後6~8時間以内に現れ、通常24時間以内に破裂する」と記載されている。
9日の往診で、口の中に直径3ミリほどの潰瘍は見つかった。しかし水疱ではなく、かさぶたのような状態。すでに発熱から4日がたつ。仮に口蹄疫なら、水疱や激しいよだれが見られるはずだ。
獣医師から相談を受けた衛生所は農場内のすべての牛を調べたが、口蹄疫の可能性は低いと判断した。発熱は1日でおさまっていた。
口蹄疫ウイルスの潜伏期間は、牛の場合で約1週間。獣医師は12日まで毎日往診したが、異常のある牛は見つからなかった。
獣医師は振り返る。「教科書通りの口蹄疫とは異なる初期症状。まったく想定しなかったわけではないが、この症状からは診断できなかった」
4月16日夕、別の2頭に同じような症状が見つかった。最初の牛の隣にいた牛で、何らかのウイルスによる感染と考えられた。この段階で最初の牛はほぼ完治していた。翌日、衛生所が改めて立ち入り検査し、感染症の鑑定を行ったが、19日までに出た結果は陰性だった。
ただ衛生所は19日、念のために検体を国の動物衛生研究所(動衛研)海外病研究施設(東京都小平市)に送った。このとき初めて、県は国と連絡を取った。20日早朝、口蹄疫の陽性反応が出た。
4/20以前については、県にも国にも責任は無い。だからこそこの疫病は天災と言うしかない。
「政府は4/23に10万頭パンデミック確定を理解していた」と言う前提の話なのですから、そして「政府は5/17までほとんど動いていない」のですから、宮崎や自民党が不作為を指摘する事もおかしく無いですね。