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2008-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20081128223215

お前こそお笑いだ。

世襲議員でも有権者に選ばれてるなら民主主義そのものなんだよ。

逆に有権者世襲でいいといってるのにそれを制限するほうが非民主的なんだよ。

2008-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20081101111701

格差社会政治家世襲は必ずしも民主主義と相反するものじゃない。

国民の多くが世襲格差を容認するなら、?世議員格差社会のままであることも民主主義的な選択だし、平等社会世襲禁止は非民主的な選択。

逆から考えようとしないのはなぜだ

志す者誰もが政治家に挑戦できる、それが個人主義かつ職業選択の自由保証されている社会というもの。帝王学世襲の理由になりかねないのなら、広く万民に帝王学を学ぶチャンスが与えられていなければならない。

でなくば、世襲政治家ごと社会の活力が衰えてゆく。

http://anond.hatelabo.jp/20081101113902

民主主義って

時代のあだ花なんじゃないかなぁ、と思う。

だってどこ見ても2世3世議員ばかり。これから格差社会になると言われてるしそうなる(正確には戻る)と思うけど、そうしたら5世6世議員とますます世襲はひどくなると思うんだ。

共和制ローマもその後皇帝制に移行しちゃった。こういう風に、一部の世襲権力者層に支配される社会を作るようになってしまう、っていうのはもう人間本能レベルなんじゃね?蜂や蟻の社会のように。

まぁ、民主主義が実質貴族達のものになってしまったとしても、その精神だけはたとえ建前だろうとなんだろうと教科書に載り続けていてほしいもんだ。

2008-10-24

世襲議員の比率

世襲議員の比率

2008-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20080926121628

愚民共はマスコミにとってお客様(カモ)なので、そんなあからさまな批判はしないでしょ。

『ほーら諸悪の根源世襲議員共のせいであなたたち善良な市民(愚民)はこんなに苦労してます。ひどい話ですね!』

と言って市民(愚民)を気持ちよくさせて視聴率上げないといけないから。

世襲議員批判

そりゃ地盤なり血縁なりで世襲してるんだろうけど、

そういう議員を選んだのはその都市や地域の住民の選択した結果。

批判するならそういう議員を選んだ民衆を批判しなさいよ>マスゴミ

2008-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20080922165426

お前が立候補して、未来の孫に「おじいちゃん、ありがとう」って言われろよ。

マジな話、今の選挙システム世襲議員に有利すぎると思うな。

資金力と知名度が決め手。

世襲じゃなければタレント議員ってのも、金と知名度が選挙戦で強力な武器になることを示している。

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20080824200104

問題は土建分野の公私のバランスでもっと公を増やすメリットがわからんということにあると思うが。警察防衛は基本的に国しかやらないが、交通違反での民間委託も増えてるし、ここらの装備品は民間から買ってるわけだし、土建を民間にやらせるままで良いような気がするが。教員だって世襲コネするくらいなら全部民間で財源だけ税金でいいように思う。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713115024

無茶苦茶言ってるのはあなた。

正しくは

○「自分らで金を集めて金の使い道を決めて、その金で雇った『金集め』や『現場監督』のバイト」=公務員

でしょ。

その「自分ら」というのは利害も価値観もばらばらでしょ。

多数決で決めたらなでも押し付けていいという人なんだろうけど。

そもそも多数決で決めたから公務員雇って無理やり金とってもいいという前提がおかしいのよ。

どんな「政府まかせ」なんだよ。

どんな「お上意識なんだよ。

何でそういう勘違いするのかがびっくりだけど、政府に任せたくないから税金公務員も減らしてほしいと思ってるからこそ税金無駄遣い叩く人が多いわけで決してお上にもっと頼りたい人ばかりというわけでもないはず。

江戸時代かっつーの。

そういうのは世襲公務員でもなんとも思わない人に言ってくれ。

選挙行かないで文句ばかり言ってる人間の「公民意識って、この程度?

あのさ選挙行けばなんでも自分の意見とおるわけでもないし、価値観が多様な多数の人が複数の政策の優先順位や方向性を選挙だけで決めるのは数学的に不可能。アローのナントカ定理って知ってる?

2008-06-14

分裂気味につらつらと日本社会について思うことを書いてみたポエム

なんつーか、昔から時代とか社会が良くないっていう言葉はあったと思うんだよね。

俺は子供の時、社会を嘆く大人を鼻で笑ってたもん

でもここ10年ぐらいはやっぱり日本社会は悪くなってるのかなあと、ニュースを見てたりすると思う。

先に言っておくと、自分が生きるという意味だけをいうなら自分は自分に満足している、相対的に言って勝ち組といえるかもしれない。

だから自分の利益社会に対して要求しようというつもりは全くない。

それでも世の中がおかしいという感覚は確かに存在する。

世の中の人々が不遇を社会や時代のせいにするその風潮が、なおのこと社会や時代を悪くするように思う。

現状がどうだろうと、合理的に目の前の問題を解決することでしか我々は前進しないのだから。

しかし、なんかその合理的に考えてその解を共有するというようなこと自体がなんか通用しなくなってる気がする。

インターネットっていう強力な武器をもってるのに、なぜだろう?

ダガーナイフ禁止!とか明後日の方にいってるのを見るともうね。

ネットには正しいように見える言説があふれているのに、それらがほとんど実行されないのはなぜだろう。

日本の中で権力ある人々ってのは、自分のことしか考えていないんだろうなってメッセージを日々のニュースから読み取れる。

そして、そのなかで非力な人間が力を持つにはそういう人たちにおもねることが重要

正しいことが間違ったことをただすことを見ることはまれにしか無く

力が力を呼び、歪んで肥大していくことを日々見せつけられる。

戦争が終わって60年以上たち、社会にも膿がたまってきてるんだろうか?

なにか黒幕のようなおぞましい何かがこの社会の見えない頂点に潜んでいて糸を引いているようなそんなイメージをうける

ユダヤ中国人韓国人マスゴミ官僚世襲政治家経団連カルト

それぞれが、それなりの求心力をもって日本の庶民を食い物にしてるような気がするが、よく見えない。それすら偽装で本当の黒幕が何かあるような気さえする。その黒い何かが、堀江村上犯罪者にして竹中の担当記者を変死に追い込んだのかもしれない。川田亜子さんはそのために死んだのかもしれない。

村上春樹の作品に出てくる羊の力。

では、食い物にされている日本の庶民の求心力って何だろう?徹底的に分断されてるけど、日本の庶民像ってのは確かにある。

無理矢理に言うと江戸っ子関西人を足して二で割った何か。仕事を愛し、技芸を好み、礼儀正しく、粋に生きる、お人好し。そういう庶民像。

しかし、そういう庶民像の本当の味方、総体としての利益代弁者というのは存在しないように思える。

左翼は、税金弱者に使うことしかできない、しかも超非効率。保守大企業代弁者だが、大企業バブルがはじけた後、庶民を2つに分断し片方を犠牲にすることに決めた。

ここに来て、さらに移民を呼ぶという。アメリカが自由の国なら、日本は、サムライの国、どんどん失われつつあるが技芸に優れ、木訥を潔しとする国だ。肌の色さえ違うかもしれない移民日本語を学び、日本の庶民になってくれるだろうか?そしてそれを期待することにどれだけ意味があるだろうか?

GDPが増えたらハッピーというわけではない、ニコニコ2ちゃんねるに神が現れるまさにそのことが日本のすばらしさなのだとそういう気もしてきた。バブルのように日本購買力海外資産を買いあさってるよりよっぽどハッピーじゃん。そうか?本当にそうか?サムライの技芸は、現代ではオタクとして昇華している、海外ではそれをリスペクトするものさえいる。しかし、オタク非モテ少子化への道。サムライの技芸を継ぐ跡継ぎはいない。回路はショートサーキットしている。

村上春樹の作品で言うなら世界の終わりとハードボイルドワンダーランドサムライは座して死のうとしてる。

日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。

日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。

日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。

日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。

日本の庶民は黒い何かに気づいている。いまそれは取り除かれなくてはならない。


マッチョだけど、日本人全体の幸せを望む、偽善者な俺のポエムコメントしてよ!ダンコーガイ

2008-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20080610211328

今回に限っていえばその通り枝葉末節だし、俺が何か言って瑕疵があればそこの挙げ足を取られる流れが目に見えてるから答えない。第一、何が不公正であるか否かの一般論をそんなに簡単に挙げられるはずもないし、個別の問題について議論の余地があることだ。それこそ納豆の好き嫌いだのスカートだのという重箱の隅をつつかれるからね。だが、今回は「一般論として機会の格差は失くすべき」というだけの抽象的な話なのだから、そのあたりはブラックボックスにしておいても今回の話はできる。

もともとも話は大学に行きたがる人の比率に差があることについてだったはず。一般論というよりは個別の問題じゃないのかな。失礼な言い方になってすまないが、これじゃ個別の問題(進学機会格差)を論じれないから一般論を論じてたことに摩り替えて、ごまかそうとしてるように見えてしまうのだが。

そして、例えば「ユダヤ人は全員死ね」のように、誰がどう見ても不公正な話というのは存在するのだから、こういう話が無意味だとは言えないはずだ。

確かに「○○は全員しね」のようなのは多くの人が不公正だとも思うだろうし自分もそう思う。しかし、大学に行くかいかないかはそういう問題ではないと思うのだが。実際今の日本若者でも半分以上は大学に行かないし、中高年ならもっと行ってない人の比率は高い。

あっそう、わかった。じゃあ今後全職業世襲にしようか。ワープアの子はワープアで理不尽でもなんでもないんだな。こうして日本福田王朝誕生いたしました。

なんとなく意図的に誤読してるようにも感じるが、それはさておき、なるべく個々人の意思を尊重したいという価値観の自分としては世襲にしなければ刑務所に入れられたり税金が高くなるなどで政府が仕向けるようなことならば、理不尽だと思う。有権者脅迫とかでもなく自発的に選んじゃったのなら別に世襲議員でもかまわないと思う。政治家子供政治家になってはだめというのは職業選択の自由を妨げてるし、その候補に入れたい有権者選挙権も侵害してるからね。政治家に限らず、親の背中を見て育つ子供が親の職業をほかの職業より好意的に見る比率が高くなり、結果として親と似た職業になりやすいのも理不尽でもないし、逆にそれを制限しようとするならそのほうが理不尽と感じる。親が誰かは社会でなく自然に決まってることだからそれを理由に権利を制限するのはかまわないとか思ってるのかもしれないけど。

あと能力は遺伝にも左右されるわけで当然ながら、社会的要因の影響がなくても能力が低い人は貧乏になりやすいし、遺伝するから子供能力が低く貧乏になりやすい。社会的要因と自然要因の差異を重視するあなたの立場からすると遺伝的に無能でワープアになりやすい層の場合は社会的責任に基づいてではなく、同胞愛に基づいて救うべきってことなんだよね。そういう差異を重視しない自分の立場では原因がどうであれ生活苦しい人は救っておこうよと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080610205158

あなたが一体どういう基準で不公正不公平を判断してるのかわからない。それとも不公正かの定義を明確にすることは揚げ足取りだ、本筋の解釈じゃないから枝葉末節だというのかな?

今回に限っていえばその通り枝葉末節だし、俺が何か言って瑕疵があればそこの挙げ足を取られる流れが目に見えてるから答えない。第一、何が不公正であるか否かの一般論をそんなに簡単に挙げられるはずもないし、個別の問題について議論の余地があることだ。それこそ納豆の好き嫌いだのスカートだのという重箱の隅をつつかれるからね。だが、今回は「一般論として機会の格差は失くすべき」というだけの抽象的な話なのだから、そのあたりはブラックボックスにしておいても今回の話はできる。そして、例えば「ユダヤ人は全員死ね」のように、誰がどう見ても不公正な話というのは存在するのだから、こういう話が無意味だとは言えないはずだ。

服装や職種や進学とかで性差や年齢や地域で偏りがあっても理不尽でもなんでもないと思うが。

あっそう、わかった。じゃあ今後全職業世襲にしようか。ワープアの子はワープアで理不尽でもなんでもないんだな。こうして日本福田王朝誕生いたしました。

人間の嗜好は社会的な要因に影響されるもの。社会的な要因で作られたから理不尽とか決めつけるのは危険極まりない。

誰も決めつけてない。それはあんたの意図的な誤読としか言いようがない。むしろ俺が言っているのは「社会的な要因であろうと理不尽でない」というあんたの主張こそ「危険極まりない」という話だ。

2008-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20080329191646

日本明治維新の頃の薩摩長州と徳川の末裔(旧士族)、東大法卒高級官僚世襲政治家(これも旧士族)、大企業ヤクザのためにある。

野党はその強固な権力構造を打破すべく外圧として利用しようとした朝鮮中国の勢力に抱き込まれてしまっている。

野党にも世襲東大卒官僚もたくさんいるし、与党にも東アジアと仲良い政治家はうじゃうじゃいるでしょ。

はっきり言えるのは、誰も国民を見ていないということ。日本の国や社会とはその程度のもんですよ。

個人的にはそうは思えないけど。むしろ与野党とも大衆迎合すぎるような。

2008-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20080116115601

何がいけないって選挙にいかなかった国民がいけない。

政治家にまかせっきりにしてなにを目指す人なのかわからないまま投票してきた国民がいけない。

日本水俣病のような環境問題が起きたときに日本では国に賠償を求める係争が生まれた。

そのころスウェーデンでも同じような問題がおきたが、彼らは選挙にいき政策の改善を求めた。

民主主義は不味くなったら大きく間違わないために正すことができるシステムだ。

でも、日本の場合そこらへんの自浄作用があまり機能していないように思う。

政治家もいつのまにか世襲になって財界閨閥をつくって強く結びついてしまっている。

急激な成長をするために誰かが意図的に安全装置切ってきたんだとおもうけど、

成熟期なんだからそろそろなんとかしようぜ。おい。

このシステムのまま突っ込んで20年後に日本が無事でいられるとは思えない。

次は農林水産だけでも……。

http://anond.hatelabo.jp/20080115222626

日本企業所属の金融まんは果てしなくどうしょうもないきがする。

移動があるからかなんなのかしらないが、いろんな意味で知識がなさすぎるし無責任すぎる。

自己資産運用もろくにしてないのに営業してるってどういうわけよと思ってしまう。

そういうところをみて面白くないと思ったのならトレーダーに会ってみるといい。

連中面白いよ。

実際「退場」しないでやりつづけられてる人の話しは、それなりに学ぶところがある。

純粋研究している人も多いからおぉーーっと思うしね。

中には既に世襲トレーダーもいて、かなり胡散臭いのも少なくないけど。。。

筋には絶対近寄るなという忠告も含めて。

区別が難しいか……。

まあ色々みてからでも遅くはないんじゃないかな。

あと、面白いなとおもうのは、

そういう理系学術系が好きでウオッチしつづけたいのだったら、

SPCかなんかを創って出資者とか募る立場にたってみたりするのもいいかもしれん。

どちらにしろ、自分の特質の見極めと世間の将来動向を読んで

どこでトレードオフするかなんじゃないの?

2008-01-06

大手サイト既得権益がどうたらという話があったけど、それって悪いことなの?

既得って言っても別にサイト世襲したわけじゃないよね・・・?

自分で立ち上げたサイトアクセスが増えて、増えた者同士が仲良くなって馴れ合うようになる

ってのは自然なことだと思うけど。

ブログホームページも持ったことがないから、ネット上にも人間関係があるってのがよく理解できないのよね。

2008-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20080103173348

暗黙で世襲にしても「国家公務員法で人選したら

たまたま世襲になっただけで、法律上の貴族

にはあたらない」と跳ね返されるのがオチ

http://anond.hatelabo.jp/20080103172917

実際に明示するんじゃなくて暗黙的に世襲にしてしまえばよろし

http://anond.hatelabo.jp/20080103171514

官僚を駆逐するいい方法がある。

まず官僚をほとんど世襲にする。これで貴族の出来上がりだ。

そして憲法では貴族は禁止されている。そうしたら官僚裁判を以て駆逐して特権等も法律を以て剥奪するようにすればよい。

2007-12-25

成果主義によって救われるかと期待したのに…

「機能しない成果主義高卒技術者の失望」では、学歴主義の壁に苦しむ高卒技術者島田潔氏(仮名)の現状を紹介した。彼の職場は、学歴にかかわらず高卒大学院卒者も、実質的に同じ内容の仕事キャリアを始めるホワイトカラー職場だ。けれども昇進を決めるのは学歴主義に依った評価である。大学院卒の後輩が3年後には彼の上司となる現実がある。

「確かに大学院卒の人には、理論立てて物事を考える力はあるかな、と思う。けれどもそれが直接現場で役立つ場面は少ないし、社会人経験6年間の差に値するとは自分には思えないです」。インタビュー島田氏はこう話していた。

大学大学院で身につける「物の考え方」は業務遂行の上で役に立つ。それを業績の一つとして評価する考え方が学歴主義だ。多くの日本企業はこの考えに則って人材を採用している。

ただし問題は、人事評価においてつける差の大きさが「妥当」であるかどうか。元財閥メーカー勤務、K.K.氏が寄せた読者コメントでは、企業内部の非妥当性が生々しく明らかにされている。

「実力で部長職までいった製造部長が、大学を出ていないというただその一点で役員にはなれない。部下の査定の際も、よっぽどばかな大卒でないかぎり高卒と成績を逆転してはならない。製造現場にもかかわらず、高卒によい評価をつけないために、英語の検定試験結果やプレゼン能力査定に入れたり。管理職をやっている本人が自己嫌悪に陥るような暗黙の了解が多々ありました」。

厳然と残る賃金格差

学歴主義は古くて新しい問題だ。身分や世襲を基にした社会では、親の職業からいやでも離れられなかった。けれども学歴の取得は、制度上はだれにでもチャンスが開かれている。学歴主義が評価されるのは、その民主的な側面に目を向けた場合である。

いっぽう、マクロな視点で戦後の数十年を眺めれば、別の構図が浮上する。学歴の取得には父親の職業が影響するという調査結果(例えば農家の子息より企業管理職の子息の方が大卒である率が高い)からは、学歴取得は制度上平等でも、社会現実はそう動いていないと分かる。そして就職後は学歴による明らかな賃金格差が待っている。

社会学者1955年から10年ごとに調査している「社会階層と社会移動全国調査」のデータを見ると、1995年における50代大卒男性高卒男性の平均年収の格差は約1.5倍。中卒男性との差は2.1倍だ(「社会階層 豊かさの中の不平等」(原純輔・盛山和夫著、東京大学出版会1999年刊)。

就く仕事にも格差がある。大きく分ければ大卒男子企業総合職高卒男子は製造現場登場人物島田氏のような、高卒男子ホワイトカラー職への就職もなくはない。しかし、現実には極めて少ない。「学校基本調査報告書」(文科省)を見ると、1950年代には30%を超えていたホワイトカラー職(事務職、専門・技術職)における高卒男子の割合は、2004年には7%まで落ちた。

このように、就く仕事や賃金、昇進における学歴格差は、戦後数十年のあいだ存在してきた。しかし格差の問題が、「勝ち組」や「負け組」といった流行語を生むほど一般の関心を集め始めたのは、最近の現象だ。それはなぜなのか。

学歴マイノリティー」の成功モデルが崩れた

社会階層研究を専門とする盛山和夫東大教授によると、企業活動が拡大した1960年代??70年代高度成長期に、学歴による賃金格差や昇進の格差はそれ以前の時代より縮小した。高卒者や、場合によっては中卒者であっても大組織に入り、相対的に出世ができた。ホワイトカラーブルーカラー賃金格差も縮まった。

しかし1990年代の低成長期に入ると企業の人事政策は、より強く市場原理を取り入れたものとなった。「賃金格差は拡大する傾向にあり、今後もその流れは続くだろう」と盛山教授は見る。

さらに別の要因が、高卒者の就職状況を悪化させた。「団塊ジュニア」世代の大学入学に備えた大学・学部増設政策による、大学生の急増だ。かつての高卒職場大卒者に置き換えられた。そしてすでに就職していた高卒者は企業内で「学歴マイノリティー」と化し、働く意欲や動機を持ちにくくなるという問題が浮上した。

高卒者にとっての、成功のモデルケースがなくなった」と指摘するのは、豊田義博リクルートワークス研究所主任研究員だ。

かつての成功モデルはこうだった。正社員採用就職して製造現場で働き、安定した職業人生を歩む。あるいは企業の知名度が低くて大卒者が集まらないサービス業種(居酒屋チェーンなど)で、現場経験を積んだ後に店長になる。

ところが製造現場海外移転し、国内の工場労働者正社員よりパートアルバイト、有期雇用者の採用が増えた。店長コースの方は、大学生の増加で新興チェーンにも大卒者が就職するようになり、「店長大卒、店員はアルバイトという流れになっている」(豊田氏)。

議論すべき社会の仕組み

では学歴マイノリティーと化した高卒者はどうすればよいのか。島田氏の事例に対する読者のコメントには、学歴主義を気にするより努力で克服してはとのアドバイスが目立った。一つは、「闘う土俵を変えよ」というもの。「高卒で悩んでいる方々はぜひ旧態依然とした企業から、しがらみのない若い会社に移るべき」(前出の元財閥メーカー勤務、K.K.氏)。

もう一つは、「闘う以上は同じ土俵に乗れ」というもの。「夜間の大学に通い、学位を取得するのも、本当に実力で勝負しようと言うのであれば、一つの選択肢」(竹田雅信氏)。

さらに議論を進めれば、学歴格差の問題はもはや高卒者に限ったことではない。盛山教授は「かつては中卒・高卒大卒学歴格差が問題だった。今後はそれが高卒大卒大学院卒の学歴格差に移行するだろう」と言う。

大卒大学院卒者の増加による「学歴インフレーション」(高学歴取得者の職業的地位の下落)や、出身大学偏差値による大卒者内の格差の進行も、すでに調査で明らかになっている。

ただし、盛山教授は、最近流行である「勝ち組」や「負け組」といった単純な二極化論や、欧米並みの階層化が日本企業で進行し希望を失う若者が増えて社会問題になる、といった「格差恐怖論」のような見方を否定する。

盛山教授はこう話す。

「みんなが収入や地位を上昇させてきた今の50代以上とは違い、20代、30代の大半の人にとって学歴を問わず、収入や地位を向上させるのが難しい時代になったのは事実です。けれども高度成長期以前には、学歴格差は今よりもっと大きかったことを多くの人は忘れている。勝ち組負け組について実証的に示したデータなどないが…。若い人が高収入を得るにはどうすればいいか、それを可能にするのはどんな産業かといった具体的な議論が必要なのです」。

2007-12-08

ここはもう東大法学部の牙城でしょう。事務次官、局長クラスはもとより、主要ポストはここが独占

ttp://www.casphy.com/bbs/test/read.cgi/qualification/1137424351/l50

13 ダーク [2007/02/04(日) 23:13:40]

東大京大じゃないと試験に受かっても採用されないって、同じような教育を受けてきた人しか成れないって事ですか?優秀な大学はたくさんあるのだからもっとチャンスを与えて新しい風を入れない限り、日本世襲性は変わらないと思います

14 事実 [2007/02/11(日) 06:31:17]

東大京大くらいを楽にパスできるような優秀な人材じゃないとダメって事だよ。

高校までチャラチャラ遊んで適当大学入って、ちょこっと勉強して受かるような資格だったら

それこそ日本が終わってしまう

16 さち [2007/06/12(火) 10:47:43]

やっぱ一流大学出てなきゃ受かりません、専門や普通大学生が受けても一次は受かるが二次で確実に落とします。

面接官が話を投げ掛けてこないし、眼中にありませんみたいな態度を取りますしね。

17 ご [2007/10/12(金) 10:10:03]

ここはもう東大法学部の牙城でしょう。事務次官、局長クラスはもとより、主要ポストはここが独占しているから、財務省なんかは、京大でも肩身が狭いというし。

2007-11-11

[]日本の政治

読み:にほんのせいじか

日本において政治を行なう人々を指す。通常、選挙において国会議員自治体議員市町村長、知事などに選出された人々であり、その多くは政党と呼ばれる組織に属する。日本において一つの頂点とされる内閣総理大臣には、与党である自民党総裁が就任する。

福田康夫
自民党総裁内閣総理大臣二世議員早稲田政経卒、会社員→秘書議員→入閣→首相
伊吹文明
自民党幹事長京大経済卒、大蔵省大臣秘書官議員→入閣
二階俊博
自民党総務会長二世議員中央大法卒、秘書議員→入閣
谷垣禎一
自民党政調会長二世議員東大法卒、弁護士→父の死→議員→入閣
古賀誠
自民党選対委員長日大商卒、秘書議員→入閣
額賀福志郎
財務大臣自民党世襲議員早稲田政経卒、会社員→議員→入閣
高村正彦
外務大臣自民党二世議員中央大法卒、弁護士→父の引退→議員→入閣
増田寛也
総務大臣21世紀臨調前副代表。東大法卒、建設省→知事→入閣
小沢一郎
民主党代表二世議員慶應経済卒、父の急死→議員→入閣
鳩山由紀夫
民主党幹事長法務大臣。四世議員東大工卒、スタンフォードPh.D.大学助教授議員→入閣
菅直人
民主党代表代行。東工大理卒、弁理士議員→入閣

http://anond.hatelabo.jp/20071111030027

どの大学かよりも親の方が重要である。もしくは有力政治家とのコネが必要である。よって、ここは一つ増田総務大臣流に。あ、自民じゃないから総裁無理だw

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