はてなキーワード: マイコンとは
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の秋葉原オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分の秋葉原を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない秋葉原の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、秋葉原のことを紹介するために
見せるべき10店を選んでみたいのだけれど。
(要は「もえるるぶ」の正反対版だな。彼女に秋葉原を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「電気街口」なので、時間的に過大な負担を伴う昭和通り口、万世橋の向こうは避けたい。
あと、いくら秋葉原的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
秋葉原好きが『東京青果市場』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
秋葉原知識はいわゆる「素敵なサムシング」的なものを除けば、ラジオ会館のビットインは知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「とら以前」を濃縮しきっていて、「とら以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。店舗も隣同士だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な店について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな店(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「秋葉原としてはこの二つは“家電量販店”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のマイコンオタが持ってるチップへの憧憬と、18時閉店のオタ的な営業へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも秋月的な
の二つをはじめとして、オタ好きのするパーツを店内にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「超超超超激やーす」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のチェーン店がその後続いていないこと、昔、格安AT互換機を売っていたこと、
アメリカならdellになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり秋葉原はPCのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「TSUKUMO」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この店でかける「HELLO,SOFMAPWORLD」のアレンジが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも11店舗、っていう店数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
ソフマップの無軌道な店舗拡大を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ビックやヨドバシだったらきっちり本店に集約してしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて時空館を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の在庫を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ野口がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。買い取り自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でぷらっとホームに行ったたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Linux Cafeよりも前の段階で、本多の哲学はこの店で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの店が秋葉原でこの時代に売っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくLinux好きとしては不思議に誇らしいし、
すがやみつるの看板でしかオヤジを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ダイナの「画」あるいは「音づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「どうせiPodで128kbps ACCを聴くくせに、やけにヘッドホンに拘る」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそSTAX『SR-007』の試聴はダイナミックオーディオ以外ではあり得なかったとも思う。
「買えもしないヘッドホンを被る」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はダイナミックオーディオにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうサンボ風味の牛丼をこういうかたちでサンボ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9店まではあっさり決まったんだけど10店目は空地でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
とらから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ヨドバシ以降の秋葉原時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい店がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10店目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
俺はオシロ君タイプだった。そして、研究開発に配属されたが、会社で苦労している。
なので、君とは逆の立場の話をする。
どういう部署に行きたいか聞いてみると、そろいも揃って「研究開発」。
まあ、そういう人は入ってから苦労するよ。というか、卒論・修論の時点で苦労するはず。
俺は変な工学部生で、学生の頃は数学や物理ばかり勉強していた。大学が基礎的な勉強を奨励するカリキュラムだったということもあるが、俺はそれに輪をかけて変なことをしていた。自分の学科の科目を捨ててまで理学部の科目を聴講して、それを単位にして卒業した。
なんでそんなことをしていたかというと、工学部のカリキュラムが「各論」ばかりに見えたからだった。理論といってもたかだか数十年の歴史しかないものを勉強して、そのうち覆されてしまうのではないかという不安があった。だから「総論」を勉強しておけば、パラダイムが変わってからも対応できるんではないかと。
だが、それは錯覚だった。抽象的な一般論を理解していても、結局は手が動かせないと何もできない。理論の意味というのも、結局は泥臭く計算して実験してみないと本当に理解したことにならない。それで得られるものといえばせいぜい「成績」だけだ。でも、大学の成績ほど無意味なものもないだろう。
そういうわけで、俺はオーバースペック気味な抽象論の知識をひっさげて企業に入社したが、非常に基本的なものでさえ自分で作るためには一苦労している有様で、肝心の実験がまともに進まない。理論だけで学生生活を送るのもよしあしなんだなと思ったよ。毎日怒られながら、追いつこうとなんとか頑張っている。君みたいに、手を動かせる人たちが羨ましいと感じる日々だ。
ただし、君みたいな生き方が本道かというと、そうも言えないと思うんだな。
少し補足をすると、データロガーの件は、
研究室に入り立ての俺らが研究室で使う測定器になれるための実験の妨げになるからよくないって言うのと
悪いけど、それじゃダメだ。君のやることは発想は面白い(卒論生にしては)。でも、残念ながら「手抜き」と呼ばれても仕方ないよ。精度が甘いというのは実験の質を下げることだ。もし君がここで、精度の高いロガーを作ることができていたのなら、褒められこそすれけなされはしなかったはずだよ。
だから、教授に怒られて助教授に褒められたというのも、余り片方だけの意見を聞かぬように。教授も上教授も正しいことを言っているのだ。実を言うと、教授と助教授というのは、一般的に研究室内の暗黙の「飴と鞭」の役割分担をしていたりする。残念ながらたぶん君は教官に踊らされているよ。
プロの研究者をなめてはいけない。国立大の研究者ともなれば、並の学生が思いつく凡庸な発想はたいてい試しているものだ。何しろキャリアが違う。君はまだ研究のキャリアはほとんどゼロだが、教授も助教授はこの世界で何十年もやっているのだ。君の通った道は彼らはまず間違いなく通っている。彼らを出し抜くのは簡単なことではないよ。逆に言えば、だからこそ出し抜く価値があるんだけどね。
だから俺は理論に強くなってオシロ君を見返したい。少なくとも同等の立場になりたい。院試の点数で勝ったら少しは見直してくれんのかな。
でもむりっぽいな。はあ。
無理だな。院試の点数なんてセンター試験の点数ほどの価値もないよ。
はっきり言って、現場から見れば君もオシロ君もまだまだ使い物にならない。まともに理論が扱えない君も、まともに手を動かせないオシロ君も、二人とも致命的な欠陥を抱えている。その意味でまだまだ君らは半人前だ。
これから君らの勝負が分かれるとしたら「俺はこいつより偉い」と思ってしまった方の負けだ。有り体に言って君らの実力は五十歩百歩だ。君らはコンビを組めばなんとかそれなりの能力を発揮できるようだが、要するに二人でやっと一人前ということだ。君らは二人とも半人前だ。それが自覚できただけよかったじゃないか。
これから大学院を出るまでの間には、二人とも、曲がりなりにも一通りのことができるように努力するんだな。そうして、自分の強みをのばしていけば、どこにでも胸を張って出られるようになるよ。お互い、近くに見習うべき相手がいたんだからこれは幸せなことだ。
がんばりたまえ。
元増田です。
少し補足をすると、データロガーの件は、
研究室に入り立ての俺らが研究室で使う測定器になれるための実験の妨げになるからよくないって言うのと
教授には僕の作ったデータロガーの精度が甘い(マイコンのAD変換を使っているので。)ってことを突っ込まれた。
民間出身の助教授(父と同じ会社でびっくり。部門は違う。もちろん父のことは話していない。)
からはこっそり「君はおもしろいことをするね。」といってもらえたけど。
このエントリーを書いたのは同期のオシロスコープ君と将来の話をして疑問に思ったのがきっかけ。
ブクマコメなんかでもオシロ君と似たような意見の人が結構いてウチだけじゃないんだと思った。
どんな話をしてたかって言うと、
オシロ君曰く、
「俺らの大学からメーカーへ行くのはたいてい研究開発。研究所で半田ごて握らないだろ。」
「まあ、おまえの成績じゃ推薦取れないからどっちみち関係ないかw」
「絶対大手。中小企業や現場なんて俺らみたいなの行くところじゃないから。そういうのは工業高校や高専のやつにやらせればいいんだよ。」
悔しかったのでいくつか反論したけどオシロ君は俺より成績がいいので何を言っても負け惜しみっぽく聞こえる。
俺も手を動かすのが好きな、今風に言えばギークっぽい人たちが今の大手を作ったことを伝えたくて
といったら少し感心された。でもすぐに「それだけじゃん。それにおまえがそんなのになれるわけ無いだろ。」
アメリカの企業で具体例を出せば良かったのかな。アップルとかマイクロソフトとか。
オシロ君:理論に強い。固体物性は同期でトップクラスの出来。実技ダメ。成績は俺より上。俺は彼に頭が上がらない。
俺:実技強い。理論(特に数学とか物性とか)がダメ。数学なんて微分方程式解けたら充分じゃんってタイプ。連続性の証明?そんなの理学部のやつがやればいいだろって人間。
って感じ。
余談だが、そんな俺とオシロ君がペアを組んで教授から与えられたシミュレーションの課題をやることになった時の話。
俺は、理論がさっぱりなので、近似式の算出なんかはオシロ君にほとんどやってもらった。
一方、オシロ君はUNIXやプログラミングはさっぱりなんで実装は大半が俺。
なんだかんだで、研究室の中の同期3組中一番早くできあがった。
この組み合わせが、オシロ君タイプ二人だったり、俺みたいなタイプ二人だったら、きっと課題をこなすのはもっと困難だったと思う。
学部の研究室でのわずかな経験で言うのも何だが、開発現場には多様な人間が必要なんだと思う。
だけど実際には理論家の方が立場が上。理論と実践は車の車輪の両輪のようなものだと思うから立場が対等じゃないと車はまっすぐ進まない。
だから俺は理論に強くなってオシロ君を見返したい。少なくとも同等の立場になりたい。院試の点数で勝ったら少しは見直してくれんのかな。
でもむりっぽいな。はあ。
現在の児童のネットでの扱われ方がすこし気になったので、過去を振り返ってみる。曖昧な記憶なのでところどころ間違っているかもしれない。
私が小学生のころはまだネットが普及する前で、パソコン通信が主流だった。MS-DOSでNIFTY-Serveにつないだりしていた。親は仕事の関係かパソコンをどっぷり使い込んでいたようだけど、私はPCにそれほど興味も無く、NIFTY-Serveはゲーム攻略本ぐらいにしか思っていなかった。パソ通は何か関税障壁のようなものがあって平凡な小学生だった私を寄せ付けない雰囲気だったし、当然ROMで一度も書き込んだ事は無い。親の部屋にはマイコンだのアスキーが積まれていたけど、異世界の言語のようでイミフだったし、多分一生こんな世界には行かないのだろうと思っていた。
当時のNIFTY-Serveの大人たちは小学生のユーザーをどのようにみていたのだろう。いまの私はネットでリアル小学生の実在を認識させられることが何度かあるが、当時は配慮されていたのだろうか。当時の議論や会話が小学生もみていることを前提に行われていたかは、まだ私が幼かったこともあり判断できない。当時NIFTY-Serveにいた大人たちが私たちをどう見ていたのかその視線が今頃気になった。邪魔だったのかなあ。空気読めなかったし。
そんな私がいまはバグと納期に追われながら土日にコソコソと職場で増田を書いているのだから因果なものである。
因みに、このあたりは小学生視線からみた”大きいお友達”に通じるところがある。そして"大きいお友達"からみた小学生。オタップルの子供がオタクになるとは限らない。そのとき子供は親に対してどのような視点を投げかけるか。おそらく世間様からの視線よりも微妙なバランスが生じると思う。
低級言語で頑張って"Hello World"作ってた自分から見ると、Java/PHP/Perl/Rubyのような超高級言語でさくさく高度なWEBアプリケーションを作ってる人がとても羨ましく見えると同時に、「大した苦労もしないで、俺はやったぞみたいな顔するんじゃねえよ。」とついつい思ってしまうことがある。アセンブリ言語ときたら比較命令を発行するたびに分岐先ラベルをいくつも定義しないといけないような面倒臭さがあった。それでも、それ以前のハンドアセンブル組や、機械後を生で見たり、パンチカード使ってたような人達から見れば甘いと思うだろう。
と、俺のひがみを書いてみるテスト。
でもね、今さらアセンブリ言語やC/C++を勉強するのは時代遅れだと思う。もちろん、携帯電話などの組み込み産業ではそういった言語はまだまだ健在だし、パソコンで何かを制御したりするようなニッチ産業でも生き続ける、「使える言語」であることに違いない。でも入門者にお薦めするような言語ではない。昔ならBasicじゃ遅いからCかアセンブリ言語で書くという動機があったが、今じゃPerl/PHPでも十分に動作は速い。ちょっとしたGUIを作りたいならTcl/tkか、Javaを使うべきだ。VBもいい。C++&DirectXはよっぽどプログラミングに熱中できる人が使えばいい。あくまでパソコンに限定した話だけどね。
プログラミングするのは何もパソコンだけじゃないんで。マイコンとか一杯あるから。線と線をつないで、発行ダイオードとかをピコピコ光らせるの。完成すると楽しいよ。よく、はんだごてあてすぎて、部品こわしちゃうけど(汗)。
もし、私が「アイツ、○○なんて言語使ってらー」なんて言って来たらぜひ、「○○言語を使うと、○○が簡単に記述できて便利だよ。」と、そのとき使ってる言語の利点を教えてください。私も所詮、いま使ってる言語のことしか知らないんで、ついつい、違う言語には拒否反応を起こしてしまうんです。
オレはスーツなんてカッコいい服も着れず、ギークみたいなスマートな考えや自己表現もできず、
工場勤務の「作業着」な組み込みソフトウェアエンジニアだった。
何となく地味な感じがし、それが嫌で組み込み系の開発から離れ、Web系とかオープン系?的な仕事に移った。
From マイコン上でC/アセンブラ To Windows/Unixサーバ上でJava/C#/VB/Perl...+色々なライブラリ/フレームワーク
スーツを着て直接お客さんに会う機会も出来たし、瑣末なモノだけど自分が利用したオープンソースに対してパッチを送ったりもした。
でも、なんか違う。本当のスーツには敵わないし、ギークみたいにいろんな事を知らない。なんか仕事の達成感も少ない。
今になって思ったよ「作業着」を着て開発してた時がすごく楽しかったって。
何時も「作業着」を着てコードゴルフをしてた気がする。(必要に迫られてだけど)
Webアプリ作りなんかより色々と考える時間が多かった。独自の制御アルゴリズムとかね。
上で書いた地味な感じというのは、着てる服が「作業着」で工場勤務だからオレって土方だよなぁって当時は自分で思ってたから。
でも、今やってる事の方がよっぽどIT土方だなぁって思ってる。
なんかここ↓見てたらモノ作りしたくなった。
http://monoist.atmarkit.co.jp/
いや、そんだけです。
言いたいことはわかりますよ。スタックを知っていれば、レジスタを知っていれば、メモリ管理の仕組みを知っていれば… そういう知識があればあるほど、問題に遭遇したときの解決が早くなる。
そういった事の体験学習の道具としてマシン語(というかアセンブリ)を薦めたい気持ちもわかりますよ。
でもね。煽りすぎなんです。あなたの文章は、「これは、こういう仕組みになっています。これの意味は、こういう事です」の後に必ず「こんな事も知らない奴は」「絶対に知っておくべきだ」という脅しをかける。だから攻撃的でイヤミになるんですよ。
あなたは、その文を読んだ人が「チクショウ!」と思って勉強することを期待しているんでしょうが、現実は「こんなイヤミな奴の言うこと聞きたくない」の方じゃないですか? そうして若い人たちがマシン語に背を向けてしまったら悲しくないですか。
思い出してください。マシン語がプログラミングの主役だったあの時代、なぜ人々はわざわざマシン語を選んでいたのか。“オールBASIC”のプログラムでは逆立ちしても実現できないことが、マシン語ならできる。家のPC-8001でギャラクシアンが動く。それに感動して、あのスパイの乱数表みたいなリストを打ち込んだんでしょう。どこかのイヤミな野郎にケツを叩かれて始めたわけじゃないでしょう。今はそれがRubyだったりJavascriptだったりするわけです。
マシン語を知らない子供たちも、プログラミングの喜びは知っています。だから、もうやめてください。
匿名相手じゃなくてもキツいことは言えるみたいですね。というか、キツいことを言えるのが嬉しいんですか?
http://anond.hatelabo.jp/20070210230240
トラックバック先から感じた別の議題だったので、何だかごちゃごちゃとややこしくしてしまった感があります。反省。
私は、秋葉原をうろつく人たちとだいたい同年齢くらいであろう男なのだが、あのエントリーで言いたかったのは、単純に男としてあの街をうろつくのって恥ずかしくない?照れない?というようなことだったのだ。
今では秋葉原の街でも女性が割と歩いてたりする。そうすると、私みたいな男はその女性たちの目が気になったりするのである。「この女性はこの街を歩く男の姿を見て、男ってこんなもんよね、とか思ってるのかな」とか思うのだ。そして家に帰ってみるとネットやらテレビの情報番組で「男ってのは誰でも性欲を持ってますからねw」と、フィギュアに囲まれた部屋でインタビューに答えているオタクが居たりして。そこで「男」って一括りにすんじゃねぇ!って思うのですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070210235340
http://anond.hatelabo.jp/20070211035152
この辺のエントリーに関係するんだけど、秋葉原ってもはや街自体がツタヤのAVコーナーみたいになってる気がする。そこで先の私のエントリーは「AVコーナーって何か照れない?」という様な、冷静に考えるとある種当たり前のようなことが言いたかっただけだった。
かといって私も健全な男子としてツタヤでAVも借りる。だけど、それはやっぱりある程度パーテションで仕切られていたり、18禁と書いた暖簾をくぐったりして、行いたいものだ。そのようなフィルターを介せない『街』という場だからこそ、秋葉原には女性も歩いている。そのとき私は、AVコーナーに女性(もしくはカップル)が入って来たような気まずさを感じる。
最近では、秋葉原という地名自体がそのフィルターの役目をしていると言われればそれまでだが(歌舞伎町の様に)平面のパネルにブルマ姿の小学生の様な絵が描かれている光景は、堂々と構えないで欲しいなぁ、と思う。
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀