はてなキーワード: カレンダーとは
※これは俺の体験談であって、別にうんこを出したSONYやうんこまみれのW61S使用者を誹謗中傷するものではない。
もともとW42Sを使ってたんだけど、色がはげてきたし電池パックのフタがはまらないくらいに電池パックふくらんでるし、ときどき画面が付かなくなるしで、同じスライド式で同じメーカーのW61Sに機種変更してみた。
さっそく使ってみると、ボタン部分がとても窮屈。あ・か・さのボタンを押そうとするとツメがスライド部分にあたってうざい。W42Sに比べてスライドされる幅がせまく、W42Sだと手のひらから携帯を握って文字を打つことができたが、W61Sだと手のひらで握ることはできずに人差し指の付け根においてほかの指で支えるような感じになってしまう。これによってら・わ・#を押すのが大変。
電源を入れてから待ちうけが表示されるまでの時間が異常に長い。W42Sだと5秒??7秒くらいだった。W61Sだと40秒??50秒くらいかかる。しかも電源を入れるためにボタンを押し続けなければいけない時間も妙に長い。普通は3??5秒だろうが、W61Sは5??10秒くらいだ。電源が付かなくなったか不安になる人も多いだろう。
放置しておくと画面の光が消える。多くのスライド式の場合、スライドさせると画面の光をつけることができる。W42Sだとスライドさせたとたんに光がつくが、W61Sだとスライドさせて光がつくまでに少し時間がかかる。メールのボタンを押してからメールのメニューが出るまでにも0.5秒くらいかかる。もちろんメールを開くときも。そして送信エラーが多い。
では、W61Sの目玉機能であるカメラを使ってみようか。と思ったんだが、カメラを起動するまでの時間も長い。5秒??7秒くらいはかかる。カメラを開いたらメニューが多すぎて何をどうすればいいのか素人の俺にはわからない。説明書には専門用語がたくさん。本当に「携帯電話機能つきカメラ」と言うにふさわしく、携帯をさわったことのない大人がはじめて携帯にさわったときのような、そんな感覚だった。とりあえず近くのものをくっきりとりたいときの設定と、遠くのものをはっきりとるときの設定とを教えて欲しい。
さて、ぼやけているがなんとか写真をとることができた。じゃあこれを待ちうけにしようじゃないか、と思い待ちうけから「↓」を押すと「サブメニュー」が起動。W42Sのときには待ちうけにショートカット等を表示させていなかったから記憶に薄かったが、そういう機能もあったんだっけか。まぁ使わないからオフにしようとメニュー→設定からサブメニューのOFFを探す。ここで驚いたのが、→を押すと先に進んで、←を押すと前の画面に戻るのが普通だと思っていたがW61Sでは「戻る」と「進む」専用のボタンが用意されていたということだ(ネットを閲覧するときも←で戻ることはできなかった)。んでもって「ON/OFF」の設定画面がかなり下層にあったことにも驚いた。そんなにONのままにさせたいのか、と。同じように、待ちうけから↑を押すとカレンダーが開くのが普通だと思っていたけど、W61Sではニュースみたいなのが開く(OFFにしてもカレンダーは開かなかった)のには正直ちびった。
普段よく使う画面を開くまでにいくつものボタンを押さなければいけないのがほんとうにしんどい。押さなければいけない数が増えるだけでもしんどいのに、それぞれのボタンを押したときに画面が切り替わる前に2??3秒かかるから、これはひどい。
さて、メニューからフォルダを開き、そこからさっきとった画像を開こうとすると「処理中」って画面が出てきて画像が開かれるまでにこれまた3秒くらいかかる。画像が表示されている画面からフォルダに戻ろうとしてもまた3秒くらい。ほかの画像を見るときも3秒、待ち受けに設定するときには5秒、待ちうけに戻るときにも3秒かかる。
今すぐに機種変したいのだが、店員の熱心なセールスによってフルサポートコース(2年間継続で同じ機種を利用することを前提とするならばもともと4万いくらのW62Sが35400円になるってやつ)を利用してしまった。2年間以内に機種変したらフルサポートコースの違反ということで10000円くらいとられる。
あー糞っ
「オンラインで流せるテープ」 を提供していた muxtape が閉鎖して一月。昨日出た、運営者からのメッセージを勢いで翻訳する。
http://muxtape.tumblr.com/post/51762430 ←反応
僕は音楽を愛している。
音楽を愛している人にとって、そして音楽そのものにとって、音楽を共有するという欲望は、本質的でかかせないものだと信じている。
愛すべき音楽に出会ったとき、僕たちは友達をターンテーブルの前に集め、CDを貸し、カーステレオで鳴らし、ミックステープを作る。
僕たちは、音楽から感じるものを知っているから。他の誰かにも、それを感じてほしいから。
Muxtapeの物語が始まったのは、僕がオレゴンでやっていた、週一の大学ラジオ番組だ。
その番組で流した曲の記録のかたわら、そのプレイリストをウェブに上げていた。ひとつのブロックが、その週の番組を記録したカセットに対応するというものだ。
当時、ミックステープは斜陽の時代に入っていた。でも、あのプレイリストのページは、ミックステープと同じ役割を、そして多くの点でよりよい役割を果たすはずだ。僕は番組を終えてからも、そのことをずっと考え続けた。
ミックステープのように、プレイリストはある意図を持って集められたものであって、その価値は単なる足し算にとどまらない。
ミックステープとは違って、プレイリストには物理的に届けるための制約がない。でも同時に、そこには実際の楽曲がない。
誰かがそのページを見にきてくれても、知っている曲があれば共感してくれるだろうが、 本来リスナーである人たちにミックスを実際に編集する手間を押し付けるのは、もともとの目的をダメにしてしまう。
プレイリストのことをまた考えはじめ、ついにそれに命を吹き込んだのは、その頃のことだ。
僕の音楽を(ミックステープ的な意味で)共有するという欲望はなくなってはいなかった。
だけど、その行き場はなくなりつつあった。
大手のブログサービスは音楽ファイルを短期的に置けるようにしていたけれど、
そういう場は僕が求めていたものではない。
カセットテープを手に握ったときにうまれる、突き動かされるような感覚。
それを手にしただけで、プレイヤーを探してそいつの使命を遂げさせたくなる。
Muxtapeの設計の目標は、そういう実感ををデジタル世界に翻訳してやり、音楽が生命の火花を散らして、持つ人を聞かずにはいられなくするということだった。
最初のバージョンは僕のtumblrに載せた一枚のガジェットだったけれど、後の姿と本質的に変わりはない。
フィードバックはすごいものだった。
「俺の分も作ってくれないか」という質問が次々と来た。
でも考えが進むにつれ、それはひどくもったいないことだと気づいた。
ソースで配布すると、到達できる範囲はせいぜい自前のサーバーを持ったニッチなクラスタだけになってしまう。
音楽を発見するための、もっと大きな機会をすべて閉じてしまう。
ミックステープの抜け殻に見えていたそれは、すぐにミックステープの進化形に見えだしてきた。
作ってやらなければならない。
三週間の夜をけずった結果、僕はMuxtapeを公開した。
成功はすぐに目に見えて現れた。
24時間で8685人の登録があり、
1ヶ月で97748人の登録と1200万ユニークアクセスがあり、
さらに順調に伸びつづけた。
行き過ぎた予想。技術オタクは賛美するか、すぐに失敗すると断じるかに分かれた。
誰もがどきどきしていた。
僕はぞくぞくしていた。
Muxtapeは「レーダーの視界の下を飛んでいる」からなんとか生き残っているだけだ、という誤解は多かった。
いわく、メジャーレーベルに見つかれば、閉鎖させられるだろう、と。
実際には、レーベルとRIAAは普通の人と同じようにウェブを見ている。
僕も一週間かそこらで、連絡を受けた。
RIAAからの通告が、メールと書留郵便とFedEx夜間便(紙とCD)の三点セットで届いた。
彼らは、権利侵害に当たるらしい6つのmuxtapeを止めるように求めてきたから、僕はそうした。
同じ頃、あるメジャーの著作権問題(anti-piracy)担当者からの連絡を受けた。
電話をとって最初に聞いた一言は、「教えていただきたいんですが、召喚状と訴状は、どこに送ればいいんですかね?」
対話はそこから始まった。
召喚状は送られてこなくて、それは雰囲気を新規ビジネス立ち上げの会議にふさわしいものにしようとする彼の脅し戦術だった。
本当の狙いはビジネスだった。
同じ頃、別のビッグフォーの企画担当者からもコンタクトを受けた。
次の一月、僕は聴き続けた。
頭のいい法律家、この手の問題について傾聴すべき意見を持つ人々と話し、
Muxtapeの合法性について合意を得ようとした。
得られそうな合意は、合意がないということだけだった。
「Muxtapeは100%合法で何の心配もない」から「Muxtapeは違法コピーの宝庫。十億ドルの訴訟とライカー島(Riker's Island)での服役の覚悟はあるのか?」までのあいだで、二十以上のすこしずつ違う意見をもらった。
結局Muxtapeの合法性は法律的に曖昧(moot)だった。
正当性があろうとなかろうと、訴訟で戦う費用はない僕の上に、メジャーレーベルは斧を振りかざしていた。
僕はいつも、アーティストかレーベルが連絡してきて問題を訴えたなら、削除をすると、自分の中で決めていた。
でも、誰からもそういう疑義はなかった。
ひとつも、なかった。
逆に、僕が聞いた範囲では、どのアーティストもこのサイトのファンで、その可能性にわくわくすると言っていた。
そこの親会社は怒っているに違いない大きなレーベルのマーケティング担当から電話を貰い、最新の情報をホームページに反映させるにはどうすればいいかと訊かれたことも何度かあった。
小さめのレーベルからは、彼らのコンテンツを別のクリエイティブな仕方でアピールできないかと言われた。
明らかに、Muxtapeはリスナーにもアーティストにも、同じように価値あるものだった。
五月、メジャーレーベルのひとつ、ユニバーサル・ミュージックとの最初の会議をした。
僕は、最悪の扱いを覚悟して、一人でそこに行った。
この十年、インディーの界隈に片足を突っ込み、そこで大きなレーベルが彼らの利益になるものも知らず、頑固にラッダイトしているのをみたからだ。
ここで言っておきたいのだけど、レーベルは自分自身のビジネスを、ふつうの人が疑っているレベルよりはずっとよく知っている。
ただし、未来へのアプローチに関しては、個々のレーベルによって驚くべき違いがある。
ユニバーサルで僕が会った紳士たちはすごく柔軟で機転が効いていた。
僕は、彼らにMuxtapeが与える利点を売り込む必要はなかった。
彼らはMuxtapeの素晴らしさを知っていて、ただ、支払いを欲しがっているだけだった。
その点については同情する。
僕は、共同で提案を行うにはまだいくらか時間が必要だと伝え、決定を先延ばしした。
彼らは大きく違ったタイプだった。
僕は会議室に入り、8、9人と握手をしてテーブルの前に着くと、目の前に "Muxtape" と題された電話帳並のファイルがあった。
彼らは半円状になって左右の脳のように僕の回りに陣取った。片方は法律、もう片方はビジネス企画。
会議の相手は交互に切り替わった。
「貴方は意図的に権利侵害をしている、サービスを止めるまでに数時間の猶予は与える」という法律サイドのハードな尋問と
「仮にサービスを止めさせられなかったら、どのような協力がありえると思うか?」というおずおずとしたビジネスサイドとの議論。
僕は提案を作るのに二週間を求めたが、二日と告げられた。
決断をしなければならなかった。
僕がみるに、選択肢は三つ。
第一は、全てをやめること。これはずっと考えていなかったことだ。
第二は、メジャーレーベルのコンテンツを全て禁止すること。これなら、直近の危機を回避することができそうだが、二つ大きな問題があった。
ひとつは明らかなことだけど、ユーザーがミックスに使いたいと思う大半の音楽を禁止することになってしまう、ということ。
もうひとつはメジャーレーベル以外に関して、楽曲の所有権と利用をどう扱うべきかという重い問題についてなにもやらないに等しい、ということ。
中規模のレーベルと独立アーティストにも、彼らのコンテンツがどのように使われているかについて、それほど圧力は使えないにしろ、大企業と同様の基本的な権利がある。
これは、ユニバーサルの人に会ってからずっと挑戦していたことだ。
他のサービスでライセンスを受けているものは、いろいろな理由でうまくいっていることを知っていた。
同時に、Muxtapeの場合は違うということ、少なくとも模索する価値はあることを知っていた。
レーベルがそこに価値を見出しているかどうかという疑問の答えは得られていなかったが、次の疑問は、それにどれだけの費用がかかるか、だった。
六月。
僕は五番街の法律事務所に、メジャーレーベルとのライセンス交渉の代理人をつとめることを求めて、彼らは承諾した。
そして、取引をするための遅々としたプロセスが始まった。
第一回は、堅苦しく複雑だった。だけど、思ったほど悪くはない。
僕は彼らを説得し、Muxtapeがこのままサービスを続けることが皆にとっての最良の利益になる、と納得させた。
これでうまく行きそうだった。
さらに二ヶ月、投資家と会合を持ち、サイトの次のフェイズを設計し、交渉を監督した。
困難が予想されたのは、Muxtapeが単純なオンデマンドサービスではない、という点で、オンデマンドよりは支払いが低くて済むはず、という点を考慮に入れてもらえるかどうかだった。
ライセンスの条件からはじめたかったのは、めずらしいwin-winになると思ったからでもある。
僕は、どんな通達があっても(at any given notice)、楽曲を検索して再生する機能を持たせたくはなかった。
一方、彼らもそういう昨日にあまりいい顔はしない(少なくとも、今の価格では)。
それまでは、すべての議論は数字に関するものだったが、
合意に近づくにつれて、掲載位置の販売とかマーケティングの方向性に話が移ってきた。
Muxtapeのモバイルバージョンを提案したが、否定された。
僕の柔軟性は身動きできなくなっていた。
Muxtapeに対して公正な取引をすることに心を割いてはいたけど、僕がずっと持ちつづけていた最大の関心は、サイトの統一性と使用感を保つことだった。
(それはライセンスを求めはじめた元々の理由のひとつでもある)
Muxtapeの経済面での各種の侵略に合意したのも、動かしたい(play ball)からだった。
だけど、編集と創作についてコントロールを手放すのはものすごくつらいことだった。
これと格闘している最中、Muxtape のサービスをホストしているAmazon Web Servicesから通告を受けたのが、8月15日。
Amazonの規約によれば、とんでもなく長い一覧に挙げられた楽曲を一営業日以内にすべて除去しなければ、
これはかなりの驚きだった。
RIAAからの連絡はずっと途絶えていたのだけれど、僕はこれをレーベルの理解が得られたためだと思っていた。
僕はライセンス交渉の最中にあること、これは事務的な間違いじゃないか、夏の金曜日の午後をとりもどせるようにするためにはなんでもしよう、ということを説明しようとした。
一営業日どころか、週末を越えて月曜日までやり続けても、結局、Amazonが要求する文書を作ることはできなかった。RIAAに電話で連絡したけれど、受けてもらうことさえできなかった。
これを解決できるはずだという、ほんとうに感じていたままの期待をそこにメッセージとして残した。
僕はまだ、これがなにかのひどいミスだと思っていた。
でもそれは間違いだった。
事態がすこし把握できてきた次の週。
RIAAの動きは、レーベルの親会社とは別の、自律したものだということ。
レーベルとの間で得た理解は、RIAAには継承されないということ。
どのレーベルも、僕を助けることに特に興味を持っていないということ。
彼らの見かたでは、交渉には影響しない、という。
僕は納得しなかった。
取引にはまだ数週間か数ヶ月(インターネット上では永遠に等しい)はかかる。
つまり、Muxtapeはすくなくとも年末までは止まったままということだ。
また、どうやって支払うかという問題も残っていた。
この変わりやすい世界では、急成長するウェブサイトがある場合でさえ、投資を受けるのは難しい。
ライセンスの取引すべてからの撤退。
どの取引も、単純さを信条とするこのサイトに対しては複雑過ぎるものになりつつあり、
僕がやりたい方向のイノベーションにとって、制約が強すぎ敵対的すぎるものになりつつあった。
開発にほとんど注意を向けられなくなってしまった結果、僕は自分のモチベーションに疑問を感じはじめていた。
僕は、すべてを犠牲にして急スピードで大会社を建てるために、これをはじめたんじゃない。
僕がこれをはじめたのは、音楽を愛する人たちのために単純で美しいなにかを作りたかったからだ。
だから、またそこからはじめたいと思う。
でも、いままでどおりのものではない。
ある、開発初期段階にある機能を取り入れるからだ。これからはその機能に中心的な役割を持たせたい。
Muxtapeは、バンドだけのためのサービスとして再出発する。
インターネットで活動するための、これまでにないシンプルで強力なプラットフォームとしての機能を提供する。
2008年のミュージシャンは、ウェブ開発者と手を組まない限り、オンラインで地位を確保する手段はほとんどない。
しかし、彼らのニーズは、実は共通の問題の中にあることが多い。
あたらしいMuxtapeは、バンドが自分の楽曲をアップロードして、それを埋め込みプレイヤーとして提供し、
もともとのMuxtapeの形式に加えてウェブのどこででも動かすことができるようになる。
魅力あるプロフィールを取り付ける機能、さらに、カレンダーや写真、コメント、ダウンロード、販売、あるいはニーズのある他の全ての追加機能のモジュールを提供する。
システムは0の段階から無限に拡張することができ、CSSデザイナーが使えるようなテンプレートシステムの層を設ける。
詳細は追って公開する。
ベータ版はいまところ非公開だけど、数週間以内に変更する予定。
これは機能の点でかなりの大きな転換だということは、意識している。
僕はいまも、音楽をオンラインで経験する方法を変革したいと思っている。
僕はいまも、相互接続された音楽のもっとも興味深い側面、新しいものをみつける、という側面を実現したいと思っている。
第一フェイズのMuxtapeをこれだけすごい場所にしてくれた皆さんに感謝します。
皆さんのミックスがなければ、ありえなかったことです。
音楽業界はいつかついてくるでしょう。ぜったいに、そうすることになるはずです。
Justin
JJのすごいところは、女の子を乗せるのが上手い。こういう雑誌を読んでいる子はこの戦略にはまるだろうなーっていうキャッチやらイメージをガンガン出してきます。普通に感心するのですが、とにかくセレブすぎる。基本的に読者の設定は「大学に通うお金持ちでキャンパスでは男女ともに大人気!イケメンの彼氏がいます」です。これがベース。
なので読者の1ヶ月で使っているお金の額を密着取材なんてしようものなら月に50万ぐらい使ってます。「タクシー移動にこんなにお金がかかっていたなんて><」。でも読者アンケートをとると20歳の貯金額平均は50万。たくさんお金を使っていても、ちゃんと貯金もする堅実さ。使わせたいのか蓄えさせたいのか。
ちなみに女性誌だけど男性読者から意見を聞いているので、恋愛の特集ページは有意義な話ばかりです。「最近、雑誌に登場した服の中で好きな格好」から、「こんな女の子はNG!」まで、男性目線でしっかりアドバイス。高校生の妹が「女性誌に意見を出してくる男とは付き合わない」と狭いことを言ってましたが、私はなるほどなるほど、と参考にしています。わかったことは「とにかくエロくて優しくて冷たいことは言わないし自分の話をノリノリで聞いてくれるけど、引くほど積極的じゃない笑顔の可愛い明るい女の子」です。なるほどなるほど。
PINKYは普通のページはわりと普通…というか、服の宣伝という意味ではなかなか面白いコンテンツを展開していて真面目に読んじゃうのですが、「コーディネートカレンダー」がすごい。突き抜けている。コーディネートカレンダーというのはわりとどの雑誌にもあって、今これだけの持ち服があるのでこれだけ買い足して今月1ヶ月こう着まわす、みたいなことをストーリー仕立てで「こういうシーンではこういう格好がオススメ!」とやってくるわけですが、普通はスタンダードなOL(または学生)のスタンダードな「恋愛シーン」「仕事シーン」「友達と遊ぶ」です。が、PINKYは違う。
一番印象的だったのは、主人公はとてもセレブな女子大生(JJの基本設定みたいなお金持ちで友達グループの中心でキャンパスの注目の的★男の子にもモテモテ!でも彼氏がいるよ)で、ちょっと貧乏で主人公に憧れる女の子と仲良くなる、というストーリーのやつ。最初はこの子のことを馬鹿にしていたんですが、彼氏をとられてショックみたいな、そんな時自分のボディーガードに誘拐されそうなところを助けられて…って感じです。ちなみに2ヶ月で1ストーリーなところも私は良いと思っています。連載です。
他にもいろいろ凄いところのある雑誌はあるのですが、とにかくこの話を明日友達にしたい。
察する察しない論争がちょっと盛んだったけど、自分はなんでも口に出すタイプの女だ。察してもらうのを待っているのはまだるっこしいし、やっぱり自分の意図を伝えるなら口に出してハッキリ言う方がいい。
しかし昔から私は自分の要望をハッキリ口に出すタイプだったというわけではなかった。きっかけとなったひとつの事件がある。あれは今から15年前…私が高校生の頃、いわゆるバナナフィッシュ事件である。
私は昔から隠れオタクで、中学にあがった頃から別コミを読んでいてバナナフィッシュという(少女漫画にしては見た目が地味な)漫画を愛読していた。その日もいつもどおり、本は買えないにもかかわらず書店に通っていた。本棚を「これもあれも面白そうだなあ」と眺めているだけで満足だった。そんな私の横で、店員さんがマジックで張り紙を書き始めた。ポップというほどではないが、○○最新刊発売中とかそういうもの。ちらっと見るとどうも売れ残りのカレンダーの裏側を使ってるみたい。ビリビリと破るその手元を見ると……ア、アッシュ!?
そう、それは私が欲しいなあと思いつつ買うことができなかったバナナフィッシュのカレンダーだったのだ!
私は隠れオタクで、自分のオタクな部分があまり好きではなかったため、書店にわざわざ予約注文しなければならないカレンダーなどというものを手に入れることはできなかった。でも本当は大きな絵柄のカレンダーには憧れがあった。しかもバナナフィッシュは絵柄として地味だからなのか、当時のファンの年齢層が高かったせいなのかあまりカレンダーとかにはならなかった(カラーページも極端に少なかった気がする)のでとてもレアなカレンダーだった。
そ、それが張り紙に! ああああアッシュの顔が真っ二つになってるぅぅぅぅ!
私の心は千々に乱れた。このままではすべてのカレンダーが破かれて張り紙にされてしまう。ああああもったいない! 今なら! 今ならまだ間に合う!
私は勇気をふりしぼって店員さんに声をかけた。
「あああああのっ、その、それ…欲しいんですけど売ってくれませんか?」
店員さんは怪訝な顔して「これですか?」と言った後「いらないものなので別にいいですよ、どうぞ」といって無造作に輪ゴムで丸めて私にくれた。ただで。あまりのあっけなさにポカーンとしたのを覚えている。冷静になって考えてみれば店員さんにとっては売れ残りの何の価値もないカレンダーで、別にその裏を使わなければ張り紙が書けないというものでもない。
でもそのとき私は、自分にとっての価値と、他人にとっての価値がイコールではないことや、だからこそ交渉や要望を伝えることで自分の願望を満たせるということを身をもって実感してものすごく感動していた。だってタダで! カレンダーがもらえるなんて! すごいすごい! もっと早く言ってみればもう一人くらいアッシュを救えたかもしれなかったなあ!
この出来事があってから、私はできるだけ自分の要望を口に出すようになった。意外と他人にとってはたいしたことではない場合も多いので、望みをかなえてくれることが多い。嫌なら断られるだけだしね。世の中言ったもん勝ちですよ!
仕事をしていく上でいくつも壁がある。それにぶつかって、乗り越えないと「頑張ってもダメ」という結果が自分に植え付けられ、結果、頑張れなくなる。こうすればいいんだ!というのが見つかれば、その壁は乗り越えられる。
壁にぶつかったら、乗り越える方法を考えるか、逃げるか、逃げる事を保留するか。
君は最後のだ。逃げる事を保留してる。
普通なら、君みたいな状況ならスケジューリング能力について悩むと思う。自分の仕事のスピードと今抱えてる仕事の量、そして締め切り、頼まれる仕事の見通し。それを全部スケジューリングして、常にボーダーラインを超えなければ仕事は廻る。
世の中にはそれをサポートする道具が山ほどある。メモ帖1つでも充分だけど、カレンダーの方がいい。
……と、ありきたりな返答をしてみたけど、元増田は拒否すると思う。これでスケジューリングするぐらいならこんな状態になってない。
ただ、スケジューリングするか、死か、そんな状況に今なりつつあるんじゃないのかな?と思い、無駄とは思いつつ、スケジューリングしなよ、と言っておきます。
ちょっと考える機会があったので、私がもしブログをつくったことの無い人にブログのつくりかたを指南するとして、指南するポイントをブログ作成の順番にまとめてみた。実は前に書いたものだけど、すぐに消してしまい、もったいなかったことから、折角なので増田で再掲。
ブログを開設する際にまずすることといえば、ブログサービスを決めること。
ブログサービスについては、基本的には好きなブログや、やってみたいブログがあるならば、それと同じサービスを使用するのがいいです。このサービスにはこういう特徴が…とか小難しく書いてもいいんですが、それよかこういう選び方のほうがわかりやすくていいですし、おそらくつくりたいブログも似たものでしょうから、問題も発生しにくいです。
選びかねるという場合にはFC2ブログがオススメらしいです。私ははてなしか使ったことがないのでいえた義理ではないんですが、はてなでは有料でしかできないことも無料で出来たり、使用できるサービスが多いらしく、割と薦めている人が多いです。
ちなみに芸能人ブログを参考にサービスを決めるのは、他の要素がかなりからんでくるので、慎重に決めたほうがいいかもしれません。
ブログのサービスが決まったら、実際にブログをつくります。そこで問題になるのが、デザインとタイトル。まずはデザインから。
デザインの選別の基本はシンプルであること。できるだけ何もない、ただ本文とタイトルとメニューだけのもののほうがいいです。
その理由はブログにおいてデザインが無駄に主張してしまうと、自分を主張しにくくなってしまうから。ブログは基本的に自分を表現する場です。そこで他人(デザイン)に主張されるとやりにくくてたまりません。
自分の書いたイラストなどでブログをデザインする場合以外はともかく、ブログのデザインはシンプルのほうが書きやすいです。特に初めてブログを始めるかたならば、まずはいちばん基本のデザインではじめてみて、しばらくたってから自分の好きなものにカスタマイズするぐらいのほうがオススメです。
ちなみに人気のあるブログのほとんどはかなりシンプルなデザインであることが多いです。あるとしてもイラストがひとつついているだけなど。絵師のかただと違うこともありますが、文章主体だと特にその傾向が大きいです。
サイドバーについては、カレンダーや過去のエントリの履歴、アクセス数などが表示できますが、これは好みでいいです。ただ、たくさんつけてしまうと、ごちゃごちゃして見難くなってしまうので、あくまでも控えめに。
コメントやトラバの設定については、読んでくれる人と交流したいなら開放でいいでしょう。
ですが、悪意のあるコメントが恐ければ、コメントは閉鎖してしまいましょう。トラバも閉じちゃってもいいですが、他の人との交流を絶ってしまうのももったいないので、こちらは開放をオススメします。トラバはコメントよりも、悪意のあるものが届きにくい為、トラブルも起きにくいです。
ただ普通に書いていれば、トラブルが起きることもほとんどないので、ここはあんまり考える必要はないかもしれません。他と同じで、あとで変えることもできます。
デザインが決まれば、もうひとつの難所、タイトルを決めます。タイトルの決めかたには大雑把に二つの方向性があります。ひとつは無意味型。もうひとつは限定型。せっかくなので、私のお気に入りから例をいくつか。
無意味型:404 Blog Not Found、アンカテ(Uncategorizable Blog)、Life is beautiful、たまごまごごはん
限定型:ギークなお姉さんは好きですか、マンガがあればいーのだ。、わたしが知らないスゴ本はきっとあなたが読んでいる
無意味型はその名の通り、タイトルに意味のないもの。限定型は逆にタイトルに意味を持たせることでブログの内容を限定させるもの。
内容が決まっている場合には限定型のほうが集客力が強くなります。何せタイトルをみただけで書かれている内容がわかるのですから、そこに興味を持つ人がアクセスする可能性は高いです。内容を狭めることができるのならば、より狭めたほうがより集客力が大きくなりますが、読みにくる人の傾向が偏ってしまう弊害もあります。
限定型での最大の欠点は、タイトルにした内容以外を書きにくくなること。例えば、「サッカー観戦日記」というタイトルにすれば、マンガのことなどは書き難くなり、必然的にサッカーについてのことばかりを書くことになります。
もちろんブログは書いている人のものなので、マンガのことばかりを書いてもいいんですが、普通は「サッカー観戦日記」なんてタイトルで別のことは書きにくいです。本当にその内容で書き続ける自信がなければ、避けたほうがいいかもしれません。
そこで出てくるのが無意味型。内容を限定しないアバウトなブログ名にすることで、書ける内容に汎用性を持たせる。ただしこちらはタイトルで内容がわからないので、本当に内容勝負になり、読ませる内容を書かないことには誰も読みに来ません。
基本的にはブログで書く内容が決まっているかたならば限定型。書く内容が決まっていないかたならば無意味型にする方向でタイトルを決めていったほうがいいと思います。
タイトルも何度でも変えられるので、とりあえず○○のブログという名前にしておいて、あとで変更するのもいいですね。長く続けるつもりでブログ名を考えるならば、出来る限りインパクトのある名前を考えたほうが覚えられやすいです。
そこまでくると実際にブログを書いてみることになります。まず初めは挨拶として、自己紹介…、内容が決まっているかたならば、ここでがしがし書いていくことでしょう。しかし私はここで100の質問に答えてみることをオススメします。
ネット上にはいろんな100の質問がありますが、どれでもいいです。理不尽な質問もありますが、答えられなくてもいいです。答えられないことを含めてとりあえず100の質問に対して、何らかの回答を示してください。
何故、これをしたほうがいいかというと、まずはブログを書くときのスタンスが決定できるからです。いろんな質問に答えていくなかで、自分はここまでをブログに書く、これ以上は書かないということを決めることができます。
具体的にいえば、自分は会社に勤めていることは書くけれど、具体的な仕事内容は書かないとか、京都府に住んでいることは書くけれど、宇治市に住んでいることは書かないとか。割とこれで書く内容が決まってくることもあるので、できるだけ早い時点でどこまでを書くかを決めておくのは重要です。
もう一つの理由は自分の考えが整理できるから。もしタイトルを限定型にして、これだけは書くとしていても、あとでネタにつまったりすることもあるかもしれません。そういったときに事前にこういう質問に答えておけば、どんなことに興味があるのか、どういうことを書くことができるのかを再確認ことができます。
読み手からすればどーでもいいよとか、読まないよといわれる100の質問ですが、書き手からすればたまにやってみる分には得るものは大きいと思います。
とりあえずブログは三ヶ月毎日続けてください。たぶん、誰もこないと思います(笑)。いや、普通はそんなもんです。どれだけ対策をしても、重要なのは内容と知名度です。書いてしばらくしたら、何百人の読者が!なんてことは、余程のブログでない限りありません。
ただ、三ヶ月もやっていれば、どういう内容で読む人が来たかがすこしはつかめていると思います。そこまでつかめればしめたもの、あとはその引き出しをどれだけ増やしていくかです。人気のあるブログを探して、そのブログがどういう記事を書いて人気を得ているのかを分析するのも方法のひとつです。人気ブログの第一歩はいろんなブログを読むことからはじまります。タイトルやデザインに不満があるならば、変えてみるのもいいでしょう。どういうデザインがいいのかもわかってきていると思います。
何か一つでも、誰にも負けない部分がない限り、ブログを読みにくる人なんかいやしません。ただ少しでもいいんです。同じ内容を書いても、自分の意見を書いていれば、他人とは違う部分がでてくるはず。まず重要なのは続けること。自分なりの意見を発信し続けること。誰に遠慮する必要も、迎合する必要もありません。そうすれば読み続けてくれる人が必ずでてくるはずです。
あとはもう楽しんで書いてください。嫌になったら潔くブログなんて潰しちゃって構いません。誰にも強制されているわけではありませんから、気楽に書いてください。それがいちばんのコツです。
追記:読んで反応してくださったかたを追記させていただきます。補足や書ききれなかったことを書いていただいてます。
煩悩是道場さん http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080720/1216512424
日刊オレ小町さん http://d2.oredoco.net/archives/115
明日は明日の風が吹くさん http://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20080720/1216564104
ミニメタルが公園でブランコに乗っているスネークにメールをくれる 触手が短くて届かない
デスクの下に入る
ロッカーに入る
タバコを吸う
仕事をする
外を見ながら一服
仕事をサボって足ぶらぶらしながら一服
ドラム缶を被って歩き回る
段ボール箱を被って歩き回る
灰皿の吸殻が増える
たまる書類
弁当を食べる
顔汗をかいて、床の上で方膝を立てて腰痛に耐える
壁に弾痕が
ヴァンプがこっち見ながら電車に併走してる
スネークうたた寝
電車の外の窓枠に、こいのぼり状の格好で掴っている たまに落ちそうになる
(まだ見てない…)
グリップゲージが出てスネークが消える 暫くすると上から落ちてくる
ちゃぶ台の下に入る
ビールと枝豆で一杯やる
布団を敷いて寝る 布団の柄は迷彩
頻繁に壁に弾痕が
PS3がある
深夜寝ているとビッグボスが夢枕に立つ
雷電は黙々と作業を続けている
スネークはたまに寝る
たまにスネーク人形が流れてくる (他にもいろいろ流れてくる)
たまに回転寿司になる
エドとジョナサンに監視されている
キャンベル登場(何か少し怖い)
まさかのあの人登場
ライン作業シーンはケータイが重い…
その後ろでオクトカムで透明化したスネークが踊っている 頭の上に鳩
あのひとが鳩にポップコーンをあげに来る
ビッグボス(遺影)
ナオミ
ヴァンプ
エド
キャンベル
リキオセ
あの人
建物内に居ると常に壁に弾痕ができる
外が見えるところではたまにUFOが出る
”ホームページ製作業者”でいいよね?
ASPサービス提供事業者も含めようとするから複雑になってるんじゃないの?
自分はもともとIT業界にいて今はなぜか商店街に所属してるんだ。
で、隣の芝生の青さがうらやましくなってweb屋ってたのしそうだなって思って辞めたの。
正直webなんてやってもお金になんかならなそうだなとおもったんで、
シノギがひつようだとおもって、お店ももったんだ。
商店街のおっちゃんたちの話しを聞いていると世間のwebというかITに関する認識はこんなものだと痛感しますわ。
いやね、おっちゃんたちっていっても青年団の人たちなんだけどさ。
”親父さん”たちはそもそもインターネット(以前にパソコン)になんか興味すらないから。
で、お店でパチパチとSOHOでソフトの受託なんかもやっていると、
商店街の爺たちからあの店主はパソコンで遊んでばっかりだと陰口いわれたりするんだわ。
ようやく最近わかってもらえるようになってきて、
「おたくパソコンの仕事しているならホームページ作ってよ」と言われるように成長しましたよ。
いや、まるでわかってもらえてないんだけどw
ホームページっすか!?みたいな。
難しいというかしても無駄というか……。
自分は自分のお店のホームページだったら作れるんだけど人様のを請負するのを仕事にしてないわけですよ。
今までそういう業務をしてきたわけでもないしデザインが得意なわけでもないしね。
第一たいしたお金になるわけでもないし、それなりにめんどくさいじゃない。
正直そこらの商店のページだってHPつかってなにしようってんでもなく事業目的があるわけじゃないんで、
大学生あたりにアルバイトでちょっとペラのページをつくってもらうぐらいがちょうどいいと思っているんだけど・・・さ。
もうね、なんていうか説明がめんどくさい。
次から次に同じようなことを説明しなきゃいけなくてね・・・。
自分が講師になってセミナーしたいとかそういうモチベーションもっちあわせていないんだけど、
さすがに「ホームページ製作をやるつもりは無いけどホームページは欲しい商店主のためのホームページ講座」
とかいうセミナーでもやらずにはいられないのではないかと思うぐらいめんどくささが先立ってきました。
というのも彼らの話しを聞いてちょっと義憤にかられてきたんですよ。
自分もお店をやっているのでわかるんだけど、お店やってると営業の電話がいろいろ掛かってくるわけです。
「ホームページつくりませんか?」ってね。
ひどいところなんか「ホームページみて電話してるんですけど」とか。
おまえ誰がつくったページかわかって喧嘩うってんのかと内心思いながらね。
「反響はどうですか?もっと反響集めたいとおもいませんか?うちはSEOを(ry」
そんな感じのマニュアルどおりの営業が展開されるわけですよ。
本当に山と・・・。
ひどいところなんか
「うちはYahooの代理店をしているんですが、今キャンペーン中で…(ry Yahoo!に登録しませんか?」なんてのもあるぐらいさ。
でねー…。
こういうのに引っかかるバカいるのかなとおもってたんですよ。
いやほんと。
でもね、
「うちは月々1万5000円だよ。」
「うち2万5000円。まあ電話一本で雨の日サービスとか画像いれてくれるから満足してる。」
なんて話が目の前で展開されてるのを見てさ・・・
動的部分が何もないHPに数百万かけたとか、ほんと…、ちょっと待ってくれよと。
このHPに月々…… えーーーー!!? ちょっとほんとお願いだから待ってくれよと。
ただしホスティング費用が毎月**掛かりますとか。
サポートで…とか、
ほんと山ほどパターンがあるんですわ。
と商店主に何度言いたくなったことか。
もうやっちゃってるところには酷なので言えないんですが・・・
そういう業務をしているのがweb屋ということなのかな?
ユーザー教育じゃないけど、ほんと早急に手をうたねばと思ったよ。
デザインの手間とかバカにならないし、メンテナンスまで面倒みきれないので、
自分はホームページ製作業をやるつもりはないんだけど・・・
商店街の中でバイト5??6人囲ってまわせば済む話しじゃんね・・・。
そんなわけで、だれかバイトでホームページとかつくりたい子いない?
つか、ほんと・・・もう、なんとかしたい。
前時代的な職業っていういうけど、なんていうか日本ではそれが全盛期ですよ。
ちょっとほんと助けて。
あと、ちょっとこれの反論まじえとく。
http://d.hatena.ne.jp/waseda23/20071225/1198573722
自分がSOHOなので弁明するけど、SOHOを地方って括っちゃいけないよ!
あと、SOHO同士でアライアランスくんで億単位の案件も食えるように準備してるんだぜ。
(・・・成功するかは知らん。)
PHPが馬鹿にされる一番の要因ともなっているんだけども、セキュリティの「セ」の字も理解していない「なんちゃってプログラマー気取りのwebデザイナー(?)」が、XSS,SQLInjection,CSRF,SessionHijack等々考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのはどういう訳?
考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのは別に垂れ流したところで問題ないような情報しか扱わないからでは?
さすがにカード番号とか扱うような業者でそんなところはないんじゃね?
あんの・・・?(なんかありそうで怖くなってきた…)
ま、それは発注側の意識が前述のレベルなので…本末転倒ですがユーザー教育が急務です。
らしいね。
でも正直日本国内にはいってきているインド人は相当少ないのでまだ数年は平気かな。
今の日本の仕事のやりかただと開発室の一部をカレー臭くするぐらいの働きぐらいしかできないとおもう。
オフショアというか呼んで来てるだけだしw
それよりも今の日本において深刻さをましたのは中国だとおもう。
ほんとその通り。
ずいぶん単価はあがって日本の1/2-1/3ぐらいなんだけど、かなり質があがってきているらしい。
一時期日本でどっぷり開発していた連中が帰国したからかもしれない。
多分同価格で捜すより中国に出したほうが楽というところまできてると聞くようになった。
自分も何か損害かぶれるぐらいの案件があったら一回試してみたいとおもってる。
オフショアブリッジの人に聞くと、日本のカレンダーに合わせてくれるし、日本語ができるひとが会社に1人以上いるそうだ。
スカイプで進捗の日時確認ができて、緊急の場合には携帯に電話が掛かってくる。
インドかー…。
昔いったときは市民レベル的に中国よりも30年ぐらい遅れてるとおもってたのでこの速度は予想外。
昔はムンバイとかの方だけだとおもってた。南のほうの人は質がすこし違うのかもしれないね?
さすがにインドに対してはあと数年はアドバンテージがあると信じたい。
日本人が英語が無理っていうのはあるいみマルチバイト鎖国の成功。
絶対違う
YouTube - Children See. Children Do.
「子供の頃、親から厳しく育てられた」 と言う受刑者が少なくないのに気づいたのは、受刑者たちとの面接を始めてからしばらく経った後のことでした。
最初のうちは、厳しく育てられた者がどうして非行や犯罪など悪いことを繰り返すのだろうかと、その意味がよく分かりませんでしたが、
聞いているうちに、それは親からの体罰や虐待を受けて育てられたということでした。
行為障害のある非行少年や反社会性人格障害をもつ犯罪者に特徴的なことは、
幼児期から周囲との暖かい人間関係が妨げられ、正常な感受性や良心や道徳心が育たず、
他人の苦しみや悲しみに無関心で、相手に苦痛や被害を与えても、相手の痛みが分からないなど、
よい対人関係を続けるのに必要な感受性の希薄さが感じられることです。
自分と付き合う人間は、自分の利益に役立つ間だけ価値のある人であり、相手を道具として利用するだけの関係でしかありまえせん。
昨年6月に奈良県で起きた事件は、16歳の少年が自宅に放火して、継母、弟、妹が亡くなるという悲劇を招いた。
その少年には4歳のときから勉強を強要し、暴力を振るう父親への憎しみがあった。
草薙さんの著作は、少年の供述調書などを紹介しつつ、殺人へと到る心境を綴った少年直筆の「殺人カレンダー」を公開している。
「僕はこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。
なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強しているやないか。
奈良の少年放火殺人 鑑定医と著者宅捜索 本出版で地検 供述調書漏えい容疑
「子は親の鏡」子どもたちはこうして生き方を学びます(皇太子紹介の詩) - 踊る小児科医のblog
批判ばかりされた子供は、非難することをおぼえる。
殴られて大きくなった子供は、力に頼ることをおぼえる。
笑いものにされた子供は、ものを言わずにいることをおぼえる。
皮肉にさらされた子供は、鈍い良心の持ち主となる。
しかし
激励を受けた子供は、自信をおぼえる。
寛容にであった子供は、忍耐をおぼえる。
賞賛を受けた子供は、評価することをおぼえる。
友情を知る子供は、親切をおぼえる。
安心を経験した子供は、信頼をおぼえる。
可愛がられ 抱きしめられた子供は、
ドロシー・ロー・ノルト
Amazon.co.jp: 子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫): ドロシー・ロー ノルト,レイチャル ハリス,Dorothy Law Nolte,Rachel Harris,石井 千春: 本
Amazon.co.jp: いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳: Martin H. Teicher,友田 明美,マーチン・H. タイチャー: 本
児童虐待が脳に残す傷 M. H. タイチャー:日経サイエンス
私たちマサチューセッツ州ベルモントにあるマクリーン病院とハーバード大学の共同研究グループは,
虐待の影響を研究して,これとは少し違う結果を得た。子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく。
被虐待児は、他人の不幸を喜ぶ冷酷な世界でも生き抜くように適応
極端なストレスは、さまざまな反社会的行動を起こすように脳を変えていく。
ホルモンの量が変化し、子どもの脳の配線を永久に変えてしまう。
しかし、これは本人にとっては”適応”なのだ。
他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生き抜けるように適応しうるのだ。
適切な世話をし、激しいストレスを与えないことが子どもの脳に大切だと私たちは考えている。
そうすれば、左右両半球の統合もうまくいき、子どもは攻撃的にならずに、 情緒的に安定していて、
はてなブックマーク - 心が傷つけば脳にも傷がつく-中日新聞-
Amazon.co.jp: 毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫): スーザン フォワード,Susan Forward,玉置 悟: 本
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
ヒラリー・クリントンは、「3歳までの経験が将来の発育に重要で、平和な市民に育つか凶暴な市民に育つかを決める」と主張し、
とにかく世界は動いている
http://anond.hatelabo.jp/20071211204918
どれどれっと、みて、この上なくスッキリしてるじゃんとか思ったら、トピックは無しでニュース読み込み中w
そんな私のレビュ
検索ボタンのある最上段は表示されず空白、その下に企業情報他のリンク、イメージ画像、商品情報はこちらと続き、ニュース、スペシャルコンテンツ、トピックスはタイトルのみで空。スクロールバーのでないシンプル構成。
上部ナビのあと、無効化されたフラッシュ領域、その下、プレスリリース、重要なお知らせ、投資家情報はタイトルのみ表示されるが、タイトルリンクよりたどれる模様。その下のバナーリンク等は表示。ちょっとスクロールだけど無効部分が大半のページ構成。
http://www.mitsubishicorp.com/jp/
フラッシュが表示されず、本来右にあるべきメニューが左によっているだけ。表示上はほとんど変わらないベタな作りが多い模様。
フラッシュ、JavaScriptオフでも一見変化なし。右メニューが使えないが、他はOK。中もちょこちょことフラッシュやJavaScriptが使ってあるが、オフでも代替手段が用意されているなど、基本部分では問題ない。
Webが直接営業に関わるためか、その辺りにぬかりはない模様。
http://www.ana.co.jp/asw/index.jsp
パッと見は変化がないものの、ホテルやツアーなどのタブ切替えやカレンダー等、フォームの便利機能が使えなくなっている。ベーシックなチケット予約のみ行なえる模様。
キャンペーンのナビゲーションのみ変わる。ログイン後は不明だが、他のページもおおよそ変化なく使える模様。
改めて大手各社を回ってみて、フラッシュやJavaScriptが単なるアニメーションやエフェクト的な物から、情報の表示や絞り込みのような実利的用法に変わっていて進化を感じた。
友達に大好きなバンドを薦めてくる子がいるんだけど、それがしつこくてしつこくてもう嫌です。
それに俺そんなにそのバンド好きじゃないんですよね。ヴィジュアル系って言うのかな。いや確かにヴィジュアル系は好きだって言ったことはありましたよ。見ている分には面白いじゃないですか。綺麗だし。マリスミゼルとか昔いましたよね。一枚だけCDも買ったことがありました。だから好きだと言ったんです。ヴィジュアル系が好きだと言ってしまったんです。
そしたらその子、次の日に彼女が好きだと言うバンドのCDとDVDを何枚かを持って来て俺に手渡しました。一言、「貸してあげる」と添えて。いや、貸してもらえるのはまあ嬉しいことには違いないんですが、誰も貸してくれなんて言ってないし、俺そのバンドに全然興味ないですから…。
でも断れませんでした。だって、あの子の笑顔が嬉しそうに輝いていたんですから。もしも断れば、花の萎れるようにこの笑顔も消えてしまうんです。そう思うととても怖くて断れたものではありませんでした。だから俺、満面の笑みを以て彼女に「ありがとう」と言葉を返すことしかできなかったんです。
ああ俺、この子が絵売り女になって駅前に現れたら、間抜けな顔して付いて行っちゃうかも知れない。絵も買っちゃうかも知れない。俺って馬鹿。でもいいんですよ。まさかCDとDVDを売り付けるって訳でもないですし、好意だけで貸してくれたんですから嬉しいじゃないですか。
帰り道、俺はきっと浮かない顔をしていたんでしょうね。渡されたCDとDVDを割れないように丁寧に持って帰っていきました。家へ帰っても、借りたCDとDVDを聴く気にも観る気にもなりませんでした。そもそも興味がないんですから。
興味のないものを借りようとする人なんているのでしょうか?興味があるからみんなレンタルビデオ屋にビデオを借りに行くんです。客が興味のないビデオしか貸し出さないレンタルビデオ屋なんてすぐ潰れるに決まってます。でも俺は借りてしまったんです。
もっと心に余裕があれば興味がなくとも聴いていたかも知りませんが、あいにくそんな心の余裕を持ち合わせていませんでした。ですから、部屋の隅っこへCDとDVDをタワーにして積み上げて置くしかありませんでした。
翌日、案の定彼女に訊かれました。「昨日貸したの、聴いてみた?」って。聴いてません。何も聴いてません。忙しくて聴く暇がなかったと言いました。すると残念そうな顔を見せながら、「アルバム何々の何曲目がお勧め、忙しいならこれだけは聴いてね」と言います。
彼女は意地でも聴かせようというつもりです。何と優しいのでしょうか。俺がそのバンドに少しでも興味があれば本当に良かったんですが。お勧めの曲だけは聴いてくれなどと言われてしまっては、もう聴くしかありませんでした。
帰宅してとうとう聴いてみましたが、それといった感想が湧いてきません。男の色っぽい声だけしか頭に残りません。ああ、もう本当に興味がないと感想すら思い浮かばないんですね。早く聴き終えたいという思いしかありませんでした。
こうなると感想を捻り出すしかありません。そこで嫌々もう一度曲を聴き直し、感想をなんとか掴みました。ヴォーカルの声質が良い、ギターの音がいい。どういいのかは知りませんが、とにかくいい。そう思うしかありません。
そしてまた翌日、彼女に昨日と同様に訊かれました。「どうだった?」ヴォーカルの声が優しかった、癒された。などという言葉が口をついて出ました。少しも癒されてもいないのに。
愚かしいことにこの嘘が彼女を喜ばせてしまいました。可愛い笑顔が見られたのはまた良かったんですが。でもこのこと以降、彼女の中で俺は同じバンドのファン仲間だと認識されてしまったんです。
それ以来、残りのCDやDVDを鑑賞するように催促されて実際に全部聴いてしまったり、ファンクラブの過去の会報をプレゼントされたりもされました。来年のカレンダーを一つ余分に買って渡してくれたりもしました。一体どうしろと言うんでしょう。挙げ句の果てに今度ライブへ行こうなどとも誘われています。その都度スケジュールが合わないことを言い訳にしていますが、こんな自分がアホらしくなってきます。
でも今さら興味がないなんて言えないし。もしも言ったら、きっと裏切られたと思われて関係が破綻してしまうかも知れません。どうして一番最初にこのバンドには興味がないって言えなかったんでしょうか。馬鹿ですね、俺って。
僕は、ずっといじめられてた。
理由は、顔。
3歳のときに患った顔面神経麻痺のせいで、右目が大きく開かない。
僕のもう一つのハンドルネーム、「よしきん」は小学校のときに付いたあだ名。
近寄ると菌が染って顔がゆがむから、だそうだ。
故あって名乗っているうちに、憎しみが愛着に変わってしまった。
中学に入っても、状況は悪くなる一方。
君にはわかるか?
毎朝、上履きが下駄箱にあることを祈りながら校門をくぐるその気持ちを。
教科書が机の中にあることを、ノートが無事であることを祈りながら教室に入る、その気持ちを。
コソコソと噂され、ニヤニヤと嘲られ、会話からハブかれ、二人組み・三人組を作るときにあからさまにいやな顔をされる。
そんな卑屈な毎日の辛さが。
ところがあるとき、転機がおとづれた。
ターゲットが別の人にずれたのだ。
「助かるためには今しかない」
そう思った。
僕は影で、あることないこと噂を広めた。
ターゲットとなったKの勝気な性格もあいまって、次第にいじめのターゲットがシフトしていった。
高校に入ってからは、もう少し楽になった。
知能障がいがありながらも成績優秀なW君に、いじめはシフトしていた。
そのころには、からかいの言葉を受け流す術を覚えたからか、陰湿ないじめにあうことは少なくなっていった。
紛れもなく、僕はいじめに加担していた。
いじめで苦しんでいた僕がいじめから逃れるためには、誰かにその重荷を背負ってもらうしかなかった。
否、押し付けるしかなかった。
中学のとき、すっかり心が折れていた僕は、たぶん、Kがいなかったら、と思うとなんとも複雑な気持ちになる。
心の中で謝りながら、しかし、いじめる側のマジョリティの安心感に浸りながら、僕は、つかの間の息継ぎをしていたように思う。
大海原でおぼれていたら、流れ着いてきた弱者。
その肩に手をかけて、絶え絶えになりそうな息を繋ぎながら、日々生き延びていた。
毎日毎日、1日が終わるたびにカレンダーに×をつけながら。
両方あるからこそ、僕は思う。
温室で育ったバカヤローどもに、なにがわかるんだ?
心が折れた子供に、おまえらはなにができる?
ほんとこの世は、アホばっかりだ。