僕は、ずっといじめられてた。
理由は、顔。
3歳のときに患った顔面神経麻痺のせいで、右目が大きく開かない。
僕のもう一つのハンドルネーム、「よしきん」は小学校のときに付いたあだ名。
近寄ると菌が染って顔がゆがむから、だそうだ。
故あって名乗っているうちに、憎しみが愛着に変わってしまった。
中学に入っても、状況は悪くなる一方。
君にはわかるか?
毎朝、上履きが下駄箱にあることを祈りながら校門をくぐるその気持ちを。
教科書が机の中にあることを、ノートが無事であることを祈りながら教室に入る、その気持ちを。
コソコソと噂され、ニヤニヤと嘲られ、会話からハブかれ、二人組み・三人組を作るときにあからさまにいやな顔をされる。
そんな卑屈な毎日の辛さが。
ところがあるとき、転機がおとづれた。
ターゲットが別の人にずれたのだ。
「助かるためには今しかない」
そう思った。
僕は影で、あることないこと噂を広めた。
ターゲットとなったKの勝気な性格もあいまって、次第にいじめのターゲットがシフトしていった。
高校に入ってからは、もう少し楽になった。
知能障がいがありながらも成績優秀なW君に、いじめはシフトしていた。
そのころには、からかいの言葉を受け流す術を覚えたからか、陰湿ないじめにあうことは少なくなっていった。
紛れもなく、僕はいじめに加担していた。
いじめで苦しんでいた僕がいじめから逃れるためには、誰かにその重荷を背負ってもらうしかなかった。
否、押し付けるしかなかった。
中学のとき、すっかり心が折れていた僕は、たぶん、Kがいなかったら、と思うとなんとも複雑な気持ちになる。
心の中で謝りながら、しかし、いじめる側のマジョリティの安心感に浸りながら、僕は、つかの間の息継ぎをしていたように思う。
大海原でおぼれていたら、流れ着いてきた弱者。
その肩に手をかけて、絶え絶えになりそうな息を繋ぎながら、日々生き延びていた。
毎日毎日、1日が終わるたびにカレンダーに×をつけながら。
両方あるからこそ、僕は思う。
温室で育ったバカヤローどもに、なにがわかるんだ?
心が折れた子供に、おまえらはなにができる?
ほんとこの世は、アホばっかりだ。
いじめで苦しんでいた僕がいじめから逃れるためには、誰かにその重荷を背負ってもらうしかなかった。 否、押し付けるしかなかった。 ものすごいよくわかる。俺も同じようなこと...
俺もあるかもなあ・・・。
自分がやられた経験があるからこそ、それがどんなひどいことが認識できてしまうんだよな。 常にいじめる側の人間だったなら罪悪感なんて感じなかったのかもしれないなんて考えてみ...