はてなキーワード: Madとは
その決め台詞「ティロ・フィナーレ」は、魔法少女ものなら普通のもので、この時点では取り立てておかしなわけでもない。
むしろ戦闘シーンは「格好良い」と評判は良かった。(今現在も評判は良い)
結末はショッキングで話題にもなったが、この時点でマミさんだけが特異だとする情報は無い。
その後、話が進むにつれ、(すでに退場した)マミさんはどんどんネタ化していく。
この辺りには、3話の最後を使ったニコニコのMADなどが強力に作用している。
台詞そのものが既にネタとなっていた「ティロ・フィナーレ」も中二に取り込まれる。
こうしてすべてが終わった後で、シロクマ先生が「どぉれ」と現れるわけだが、現状からオタの異常性を創作するから、どうしても破綻する。
考察すべきは、むしろマミさんネタ化の過程であるべきで、結果なんてものは、すでに大衆に消費されるベタになってしまっているんだから、意味がない。
現状検索して出てくる違法動画はそれなりにあるのだけど、権利者が動かないのはどういうアレなんだろうな。
最近のニコ動って、丸投げよりもMAD消されるイメージが強くて。
消されてもいいから言うけど、ディズニーアニメとか検索できるまんま放置されてんのとか結構あるじゃない。
あれってもう諦めたのか、古いヤツだとか画質悪いとかで、もう黙認しちゃってんのかね。
東映版スパイダーマンも消されるまでが芸術の域に来ちゃった感があるでしょ。
JASRACと包括契約を結んだのって、原盤権だけなんだっけ?隣接権はアウトだったんだっけ?あまり覚えてない。
まあ丸投げして何がしたいのか個人的にはよくわからない(時間の無駄じゃね?)んだけど、パブリックドメインものも上がってたりするからニコ動自体を叩くってのはやっぱり好きじゃないなあ。
基になるコンテンツが死滅するのに「手描きMAD」が作られるとはこれ如何に?
ああ、これは挙げた例が悪かった。すまん。そりゃMADって言えば普通商業の二次創作のこと指しちゃうから不適切な例だよな。
例えば、東方やらの同人オリジナルゲームとか、個人でやってるWeb漫画とかの類だな。
プロのマーケットが壊滅状態だったら、そっちを目指す人が減るから、多少供給源は減るだろうけど、今でも大半の供給者はプロ志望じゃないわけで。プロ壊滅状態なら、「供給者のスキルが落ちる」とかクオリティへの影響は結構出るかもしれないけど、供給量への影響はそんなに大きくないんじゃないかな? 特に海外では言語の壁はそんなに大きくないから、ある国で国内のクリエーター趣味の人が減っても国外アマチュアの作品が手に入りやすくなって、そんなに供給作品不足、ということは起きないと思う。
トラバが全部おもしろくて笑った。
http://anond.hatelabo.jp/20090806092323
個人的には3からが入り口じゃないかなー?
2までは普通の映画でも本でも、それこそお笑いでもファンになる→一定の知見が出来上がる→それを分析しようとする→作品を語りだすっていうフローはどんなことでも共通だし。
今日知ったよ。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20090806111932
とりあえずこのままではいつまでもROM状態じゃないかと思って、元々お絵かきは得意だったからペンタブとSAIを購入したよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090806114134
アニメの世界はほんとド素人なんだけど、ネットは小さい頃から使ってたし同人趣味の友人が一人いたのが同人漁りまでの期間を早めたのかな。
だから未だにわからないことばっかり。でもそこらのモノより全然奥深くて面白いね、こっちの世界。
消したいとか言ってるけど、正直みんな増田盛り上げてくれて喜んでいるから、匿名なんだしおいといてくれればいいのにと思う。まじめな方なのね。
僕なんかほぼ実名特定可能なmixiで中二病的な投稿をして、コメントがたくさんついて消すに消せなかったりとか・・・・(涙)
一点だけ、質が下がるというのは確かにあるかもしれないけど、ニコ動でMADされているみたいに、著作権的に使いやすかったり、CD化されても価格が下がったりすれば、裾野が広がるというメリットがあることも考えて欲しいと思う。そういう意味で音楽にはあらゆる可能性を追求してほしいし、日本人のオタクたちがミクを使ってそれをやらなかったとしても、この世にボーカロイドがある限りこの流れを単なる倫理観だけから止めることは不可能。(それじゃ、一部の既得権益のある人たちが独占してる業界と同じになりかねないし・・・)
もっとミクと別の方向性をもつような楽曲をはやらせたり、シナジー効果でパフュームみたいなデジタル系な局を盛り上げてデュエトしたり、純粋に人間が歌う以上にうまいボーカロイドを追求したりと(最後は元増田が望む方向でないだろうけど)、世にボーカロイドがある前提でどういう風に共存していくのかを、できるだけ人間の歌手がいい形で関われるように具体的に考えたほうが良いと思う。
ちなみに僕の個人的な意見では音としてミクは好き。それは今まで、生曲時代のクラシック・演歌、 ラジオ時代のノイジーなロック・ジャズ、レコード・磁気テーププレイヤー時代のジャズ、昔のポップス、 光ディスク時代の近代ポップス、 シリコンプレイヤー時代のボーカロイドと(ものすごい)大雑把に書いてしまったけれど音楽の媒体とともに進化してきた楽曲という点を考えると、ミクやパヒューム(こういうの昔からあったけどたいしてうけてなかったような)なんかがシリコンプレイヤーで映えるということだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090313103133
この反論いいね。ますだでスターもつけたらいいのに
こいつ何なの? 釣りエントリに釣りレスしてまた盛り上がらそうとしてるの? それともただの馬鹿なの?
好きなジャンルでもないとらドラ観て女の子と感覚共有する人ってオタクなの?
ようつべにUPされてるPerfumeの動画観て「俺が育てた」とか思ってる人ってオタクなの?
面白いMAD観て「あー、これとこれ組み合わせてこういうMAD作ったら絶対面白いだろうなー」って思ってるだけの人ってオタクなの?
どれもオタクとまったく関係ねぇよ。ただの一般人、それも主体性も独創性も無い奴の行動・発想じゃねーか。
お前は「オタクと話していてもつまらない。」ってエントリに反応してそんなゴミみたいな記事書いたんだろうけど、お前はオタクでもなんでもないただの「話していてもつまらない人」だよ。しかもお前のつまらなさってのはお前がオタクであるか否かとかそういうことは関係なくて、20年ぐらい生きてきたのに、周りに合わせる行動しかできない、増田見てもそういう見当はずれのコメントしかできないとかそういうところに原因があるわけ。それをよりにもよって「ダメなオタクってたぶん俺も含まれるな…」とか言ってオタクに自分のダメさを仮託してるのが醜悪。
大学生にもなってこういう考え方しかできない奴ってどれだけ幼稚なの? 文章下手とかそれ以前に自分の頭で物事考えたこと無いの? レポート書いたこと無いの? お前みたいに文章誤読して挙句の果てにくだらねぇ自分語りする奴は目障り。
どんなアニメも、面白いって言われるようになってから見てるんだけど
そういう姿勢がもうダメなんだろうな
自分が通ってる学校のサークルにいる女の子が「とらドラ面白いよ」っていうから見始めた
そしたら、すんごい面白いの
1話から見れるとこ探してものすごい勢いで全部見て、やっと昨日テレ東の放送に追いついてさ、
んで、来週も見たいっていうこの感覚をその女の子と共有できてると思うと
妙に安心したりするの
例えばPerfumeも、探せばBEEカメの古い動画とかが上がりまくってて、
探せば誰でもPerfumeが売れてなかったころの情報を得ることが出来て、
誰でも「俺が育てた」っていう感覚になることができるじゃない?
だから新しいアンテナとか張ってなくてもなんか大丈夫っぽいって思えてきて
俺なんにもしなくていい
面白い動画見て、笑って、
「あー、これとこれ組み合わせてこういうMAD作ったら絶対面白いだろうなー」
って思うことは、ちょっと待ってると大体他の人が二次創作してる
でさ、これって俺の考え方は誰でも考え付きそうな思考ってことでしょ?
なーんだ、俺フツーじゃん、良かったフツーな奴で、って思えたりするの
ネット上のワクワクリソースは限りなく自分に近いところに、しかも常にあって、
ものすごい勢いで消費できるっての、すごいよね
文章書くのがヘタで申し訳ないです
http://anond.hatelabo.jp/20090123014440
これについて3ヶ月くらい前に書いた(はてな外で)ことがあるんですが、丸ごと転載してみます。
立場的には元増田とは違って作者&編集者(出版社)側に対する視点でのものですが。
スーパーダッシュ文庫から出ているそうだが、なんとも面白いこと(あーやっちまった的な意味で)をしているようだ。
簡単に言うと、ネットに実在する有名サイトの名前などを作品中に登場させているとのこと。
ここまで書けば、あとはタイトルと合わせてなんとなく想像がついただろうが、ライトノベルを扱うBlogやニュース系サイトで話題になった。
当然ながらそれだけで広告効果というのはかなりのものが見込めると思う。
登場している有名サイトというのもニュース系サイトであるあたり、狙っていた部分もありそうだ。
(アキバBlog、かーずSP、カトゆー家断絶、と言えば割とネット歴が長かったりオタクといった属性持ちであれば知っている人は多いだろう)
もしかしたらリアリティを出す(作品に読者を移入させやすくする)ため、というのが元の狙いの一つだったのかもしれない。
しかし、とあるサイトで紹介されていた本編中の一節を見るとやはり頭を捻らざるをえない。(実際に私は読んでいないので、紹介されている一部だけを見て判断するなというお叱りを受けそうではあるが)
例えば、同人誌を作ってコミケデビューして有名になるとか、気の利いたMADを作ってニコ動に投稿して世界を狙うとか。この情報化時代、何が幸いするか判らない。たまたま漫画好きだったことに端を発して日本の宰相に上り詰める人だっているのだ。
確かに読者層の大きなオトモダチの比率は上がっているだろう。
ライトノベルを嗜好の一つに持つ人間にネット環境を持たない人間は少なそうだというのも分かる。
だとしても、結局のところこの作品中で登場させた「サイト名」「MADといった用語」「ニコ動というサービス名」「現総理を取り巻くネット上の反応」は一部方面での認知でしかないというのを作者には(編集者には)分からなかったのだろうか。
自分のすぐそばまでの視界でしかない現実世界のアイテムを登場させてリアリティを演出しようとする手法は諸刃どころか、読者おいてけぼりになりやすいんだけども。
確かに創作活動であるのと同時に商行為なわけだから「売れればいい(売れなければいけない)」とはいえ、さすがにこれはない。
内容はもはや典型とされるようなお決まりのパターンであるようだ。
だからといってこういった形で注目されるものを埋め込むと、自分の作品そのものではなく、その埋め込んだもの一点にしか話題がいかずに終わってしまいかねない。
確かにまずは手にとってもらわなければ読んでもらう(売れる)ことにも、続刊が出ることにも繋がらないだろう。
続刊さえ出てある程度続き、シリーズとして確立してしまえばメディアミックスという次の段階に移る事ができる。
そうすればそれが更に宣伝となって原作の売り上げに繋がる、というパターンにする布石としては「もしかしたら」いいのかもしれない。
しかし、上記のようなことが予想される上に、実際そのとおりになっているらしい状況を見るに、結果的に手にとって貰える率というのはそれほど高くもなくなってしまっているのではないだろうか。
こんな紹介のされかたするくらいだもの。
ちなみに肝心の本の内容はというと、大河とルイズを足して2で割ったような女の子と、お嬢さま属性が追加されたハルヒが主人公を巡って火花を散らし、そこに猫属性を付加された綾波が絡むという話です(ぉぃ
いや、そんな間違ったことは言ってないはず。
アキバBlog、また実名でラノベに登場! そして「あの」サイトも――「迷い猫オーバーラン!」(HarfMoonDiary)
これで「ラノベにウチのサイトが登場したぜいえー!」とか喜んで紹介するようなことが暫く続いた場合、同じ真似をする作品が出てきそうだ。
正確にはそれを狙って指示を出す編集者が、だろうか。
ネットで話題になれば売り上げに結びつきやすい。
それはハルヒが十分すぎるほどに示して見せた。
むしろ当たり屋に近い。
元増田内のリンク先も読みましたが、ただの内輪ネタというのは非常に危険です。
「私小説」ではないわけですから「商品の私物化」は非常に拙い。
恐らくは担当がある程度のところでブレーキをかけるとは思いますが。
遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
小学校低学年の長男と幼稚園児の次男によくパソコンをさせてた。
自分がいる時にだけ電源をつけてインターネットに接続し、子供にマウスを渡すのだ。
キッズ向けのコンテンツって結構豊富だ。キャラクターや小学生向け雑誌のページをお気に入れてあげて、子供たちで見れるようにしておいた。そういうサイトでは、オリジナルの簡単なゲームや、子供向けのオリジナルアニメなども配信されていたりする。
もちろんグロ画像や性的描写は無くって、安心してパソコンを使わせていた。幼稚園の息子もマウスを巧みに操り、器用にゲームをしたりするのを「この子は憶えるのが早いなあ」とか親バカ的な視線で眺めていた。
長男は、新たに見つけたサイトをお気に入りに入れ、どんどん新しいサイトを開拓していた。まだローマ字入力も出来ないので、長男の新サイトの開拓は、もっぱらリンクを辿る事で行われていた。時々長男の開拓したサイトを見ていたが、特に問題となるようなサイトは無かった。子供のサイトにいきなり大人のどぎついサイトのリンクは入ってこないのだ。
長男と次男は、時にケンカもしながら、一緒に笑いあいながら、かなりパソコンの使い方にも慣れてきていた。特に監視もせずに自由にやらせていた。
しかし、最近気になった事があった。いつの間にかYoutubeの動画が、お気に入りに入り始めていたのだ。最初はCMやゲームのプレイ動画などだったが、番組そのものが違法アップロードされているものがお気に入りに入れられたりするようになった(後日運営から削除されてた)。一度こっそりお気に入りから削除していたが、しばらくしたらまたお気に入りに入っていた。どこからリンクを辿ったのかよくわからなかった。
ほどなくして、MAD動画などもお気に入りに入るようになり「こういうのは著作権の説明をすべきなんだろうけど理解できんよなあ、どうすべきなんだろう」と悩み始めた。
ある日、長男がいない時に次男がパソコンをしたいとせがむので一人でやらせていた。すると、次男は速攻でYoutubeへ行き、動画を見始めていた。その見始めた動画というのが18禁のMADだった。
子供向けのキャラクターが銃で人をどんどん銃殺したり、子供向けのヒーローをヒロインがフェラ○オしたりする(咥えているところは画面外)というようなもの、はたまた子供向けのヒロインが全裸で登場するものとか。幼稚園児の次男が喜んでそういうのを見てるのが、ショックだった。
あーあ。いくらなんでもダメだこりゃ、と思い、次男が泣き叫ぶ中、Youtubeのお気に入りを次々と消した。「おとうさん大キライ、おとうさん大キライ、おとうさん大キライもん」とひっくり返って泣きながら、何回言われたかわからないが、動画のお気に入りは全て消した。
インターネットエクスプローラーの『コンテンツアドバイザ』なるものを有効にして、許可サイト以外は見れないようにした。Youtubeはしばらく許可しない。いつかはネットの世界を全て見せようと思う。だけど、今はまだ早いと思う。
アイマスMADのことを語るときよく言われるのが表現の幅を広げるための技術の革新で、これを語る時には決まって抜きとかエフェクトとか用語が頻出する。
そこには初めはただ単にステージで踊っていたアイドルを、その動きを切り貼りして別の音楽とシンクロさせたり、編集ソフトで作ったエフェクト効果やらアイドルのダンスをステージから切り抜いて、背景を自由に書き込んで肉付けしたりして、PVとしてどこにでも出せるような映像を作るという、今まで中心にあった狭義の意味でのアイマスMADの文脈がある。
現在ではそうした技術も高い水準に達していて、抜きの技術は公式側の援護もあって効率化され、AEなど使ったプロ級のエフェクトも専用サイトで共有化されようとしている。ここにおいては一部の人間の技術向上ではなくてそれが広い範囲で共有化されたということがわりと重要で、新人Pでも過去の時代と比べると格段のレベルの動画を上げることができた。
技術の向上によってPVの表現の幅が広がったという意義もあるけれども、むしろ「技術の向上」ということ自体にロマンを感じてしまうような内側の推進力のようなものがあって成り立っていた部分があった。
一方で抜きは765コマンドが出てしまったり、エフェクトも水準に達してしまって、3D背景ですらばりばりできるようになってる現在、技術が天井に達してしまったのではないか、そうするとこの文脈が成り立たなくなってくるのではないか、そうなると動きとして停滞してくるんじゃないか、などと心配していたが、よくよく考えてみるとこの技術向上の文脈は、アイマスSPの発売によって、ようやく今まで故意に見逃されてきた「箱○モデリングの限界」にメスを入れる段階に達するのではないかと考えた。
PV系動画はダンス時の顔の表情のバリエーションが足りなくなってきた感じ。 - とつかしね☆なの。(仮)
本物のPVと見まごうほどのハイクオリティな作品が出るほど、(俺の目には)まさに今言った「人間とアイマスキャラの違い」が気になるようになった。
特に上で書いたような明らかに公式曲に無い雰囲気の曲を使うとき、背景や演出やダンスが曲にマッチすればするほど、その薄笑いの顔が気になる。
気になる。
俺だけ?
いや、もちろん普通にマッチしてていい感じのPVもたくさんあるですよ。
でも!有名なアレとかコレとかですら!
アレちょっと怖いんだよ!
最新情報が日々注目されてるアイマスSPだけれど、その中でニコマス界隈でよく話題になったのが箱○のモデリングとの差異だった。たしかに携帯機であるPSPのスペックからか箱○版発売の衝撃ほどはないが、その分よく見れば後発であることもあって表情パターンが豊かだったりアーケード版に近い手触りのあるモデリングで、箱○版とは違った魅力がある。そしてこの両者のモデルの、こうしたバランスがすごくいいのだ。
今後このモデルを使ってアイマスMADを作ろうとしていく動きは出てくるだろうし、そうすればこっちのモデルのよさもニコマス内で広がっていくと思う。そうした時に何が起こるか。
先に言及したような形式の狭義のアイマスMAD以外でも、別の手書きで作られたアニメーションやらのPVや、アイマスの3Dモデルを作ってしまって広い意味でこれらをアイマスMADと言ったりしている。正直なところこっちの方が受けがいい。
これが従来のノーマルPVを編集して飾って光らせて抜いての狭義のアイマスMADを注目して作る/見るしている人が「ああやっぱり一般人には手書きのほうが受けるんだよね、やっぱりあれがああなったりそうなったりする技術の文脈が理解されてないと受けないんだよね」とかぶつくさ言ってるのを最近よく見るんだけど、こういう人達は「ゲームの中にいる彼女が本当の彼女達」という意識が前提にある気がする。
そうした中でPSPモデルと箱○モデルといった、バランスの良い優れたモデルが「並び立つ」というのはこうした絶対性を急激に相対化していくだろうと思う。
箱○モデルが絶対的な存在であり他のモデルがそれに追随するといった構図は崩れ、各3Dモデルは相対的に異なる魅力を持つ存在として受けいられていくだろう。
PSPと箱○モデルが相対的に優れているように、ユーザーの作った造形も「技術はすごいけど本家に比べたら」みたいな印象は以前よりもいっそう薄れていくだろうと思う。そうしていくと
一方で3Dモデルが複数共有されていくとなると、ノーマルPVを装飾していくという狭義の意味でのアイマスMADという言葉は徐々に衰退していくだろう。公式のモデルの絶対的な価値が失われると、一方にある公式モデルの限界ばかりが目についてしまう。
彼女達は創作者の意図における二次創作を目的として作られた存在ではないからだ。あくまで彼女達はゲームの中で踊っていることを目的として作られた存在であり、過去に作られたそうしたMADは、彼女達が別の意図で微笑んだことに対して、その外面をとりこんで、創作者の個人の物語に外挿したものであり、だからこそその笑顔は不自然なのだ。彼女はPCの画面の前のあなたに微笑んだのではなくて、目の前の、プロデューサー、それも「ゲームの中に存在している」プロデューサーに微笑んでいるのだ。アイマスMADの根幹にある不純さはここにあると思う。
42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:30:14 ID:z2zMK6/C0
一致団結って奴だな。だって私達みんな・・・仲間だもんげ!
46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:07 ID:z2zMK6/C0
×もんげ
○もんね
47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:31 ID:qRcAMw0H0
50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:32:54 ID:mmShhCmU0
素直に信じた自分
アイマスニコマス断絶問題には程遠いがニコマススレやらどこやらで「もんげ流行りすぎてうぜえよ」みたいな話はループ話題の一つになってる感があるけど、自分はこれが結構怖いわけだ。聞いていると突然背筋がぞくっと来るような怖さ。ニコマスに真剣にはまってた以前はそう感じなかったのだが最近は特にそう感じる。
まあ上記の通り突然浮上したフジの取材問題が解決の日差しにたった際に出てきたお決まりの誤字ネタなんだが、これがかつてないくらい流行った。当時の自分は「おいおい動画にまでネタ出張して、ニコニコしか見てないって人はネタがわかるのか?まぁ大百科もあるし大丈夫か」くらいに思ってたんだけど、よく考えてみれば大百科が出来る前から艶村やらダバァやらやってるわけだから、やっぱり内向きな文化だと思う。
ネタが流行ったのといえば2007年の年末にもPネタがやたらめった流行ったという過去があるが、直後に24時間TVがあったこともあってか、ここ数ヶ月間はずっとこのネタ一つだった印象がある。いくらなんでもネタ一つで回せるっていうのは異常だろう。
思うにこの「仲間だもんげ!」という言葉には単純なネタの中に非常に内側に引っ張る力があると思う。
他ジャンルのスレなんかでニコマスの印象として、「なんかあいつら良くわかんねえけど仲良さそうだよな」という評を良く聞く。そもそもストレートになかまなかましていた元ネタの団結が他の曲と比べても人気が高かったりしたのも、オールスターがみんなで和気藹々としている感じが受けたんだろうと思う。でもそのまんま言葉に出すとなんか馴れ合いっぽい。そうしたときにそういうフレーズをうまいことネタでオブラートに包んでくれるようなもんげネタが出てきたのでみんな喜んでこれを使い始めたわけだ。要するにみんなアイマスの彼女達みたいに和気藹々したいんだな。
で、もんげの中にはそういうネタとしてオブラートに包まれてはいるものの、もともとの原曲があってそうなのかしれないけどどこか女の子めいたものがある。「私たち友達だもんね!」みたいな。しかし何度も何度もそれを聞かされると、どこか笑顔の下に何か重圧を感じるのだ。急に不安になる。お前達は仲間じゃないもんげ!とか突然言われたりしたらどうしよう。そういう考えが頭によぎるともうだめだ。
[アイドルマスター]さてここで俺が颯爽と突撃して爆裂してみるよ - はてなで留まってすぐ溶解
いつだったか、「『歌ってみた』や『踊ってみた』を無視するからニコマスファンは駄目なんだ」というコメントをどこだかで見かけたこともありましたが、
歌ってみたとか踊ってみたとか演奏してみたジャンルは割と普通にランキング除外対象となっている。
そうしないとJとか有名歌手がランキングを占めるようになるからということで、割とこの除外に関しては大方の人間が同意しているらしい。
で、週マスになると架空戦記動画にネガ米をつける人がいるのはお決まりな感じで、それには一応擁護なんかもつくわけだけど、よくよく考えてみると歌ってみたとか踊ってみたなんかと同様そのシリーズものが毎週ランキングに居座ると不都合と考えているわけだ。
じゃあ歌ってみた踊ってみた、演奏してみたはようするに「仲間」じゃなくて、架空戦記は「仲間」なんだろうな。としてオチとするのは簡単なんだが、僕自身割と架空戦記がいわゆるニコマス内で「仲間」として認められてるかどうかなんか微妙な気がする
今では2chで新しいニコマスジャンルが定着し始めると専用スレが自然と立つわけだが架空戦記スレが始まったのは九月九日で、まだ閣下立志伝や律子の野望、春香三国統一なんかが主流で、曹操をプロデュース、春香で世界征服、貧乳なんかが始まりだした頃。
底辺スレなんかもそうだけど書き込むスレが異なり、語る対象も違えば当然住民層やら文化の違いなんかは出てくる。これが次第にジャンルが成長して大きくなっていって、さらにHOL関連の成りすまし削除事件を乗り越えていくと、その住民層の中にも何かしら内向きの力のようなモノが出てきて、またこの差異も大きな流れになってくる。なんかスレ内でネトゲなんか流行始めて、次第にニコマスやらぎろかくスレだけ見ている人間とは言葉が通じなくなってくる。
今までは「まぁそれはそれでそういうもの」みたいな自然な断絶としての雰囲気があったんだが、なんとなく最近になってから、この二つがうまくいってない気がする。特に「仲間だもんげ!」が流行りだした24時間前後辺りからそんな印象があった。ループ的にニコマス内での架空戦記的なモノへの扱いのような話題が出てきたような気がする。わりかしネガ方向で
僕個人としては昔から割と普通にあって、多分このままずっとそうあるだろうと思うニコマス、アイマスユーザー間の断絶よりも、現在進行形で進みつつあるニコマス内のジャンル同士の断絶関係の方が興味をそそられるわけだ。ニコマスは数多くのジャンルを包括できるような懐の大きいジャンルというふうに言っていたのは誰だったか忘れたけど、この流れでどんどんいくと、ニコマスという大きなジャンルが、異なった文化の集合体として細分化されていくのかもしれない。
一方でそういう断絶関係は文化の違うもの同士の必然ということで、こういう断絶があったから異なった文化の良い作品が産まれてきてるってこともあるし、そういった意味では良いこともあるかもしれない。でもなんだろう。さみしいじゃないですか。なんか独立しちゃう感じで。もうあれか、雪歩は黙ってて!と怒られるのが歌ってみたとかで「もうあたしは仲間じゃないなの!」とか言って事務所出て行くのが架空戦記かと。最終的に765プロは何人に減るんですかと。
この前のシネMADなんかはそういう断絶を逆に利用した感じがあるけど、でもなぜだろう、24の時もそうだけどこういう感じのは「コラボ」というよりは「交流」といった感じで、妙にボカマス祭りなんか連想しちゃったりする。もう仲間じゃないもんげ?
仲間だもんげって言葉の薄ら寒さはその言葉がニコマススレ界隈の人間にしか向けられていないことから発するかもしれない。その言葉と裏腹に、仲間じゃない人間に対して国境線を張っている。
最近考えたのは、「アイマスもミクも東方もハルヒもらきすたも遊戯王もキワミもひぐらしもドナルドも誰も彼も全部仲良くすればいいよ!」とか思ってる俺はアイマスもニコマスもそんなに好きじゃなくて、ニコニコが好きだったんだなあということでした。
http://anond.hatelabo.jp/20080924021347
IRC素で忘れてた!あそこもニコマス語る上では忘れちゃならんところですな。あれもたしかいくつかのニコマス系IRCと戦記IRCは別に存在してたはず
手描きMADは厳密の意味ではMADではないという人もいますよね。確かにPVとストーリー系という違いはありそうです。でもやっぱスレみたいなコミュニティが同じ所に存在するというのはわりかし大きいんじゃないかと