「習い事」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 習い事とは

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008152417

25くらいで結婚したい→気の合う人みつけた→結婚、と言うルートなら

違う

姉は俺と同じ難関資格持ってて結婚後も続けてるしね

年齢的にも結婚を焦るような状況ではなかった

婚活」って、何も条件睨めっこで物件探しするように相手を探す事ではなく

結婚相手を探す活動」全般を指すんだよ。

出会いを求めて趣味だの習い事だのを始めたり、友人に「誰か紹介してくれ」と頼むのだって立派な「婚活」。

紹介を求める相手が紹介所でも知り合いでも

それは結局条件で検索する物件でしょ?

自然に気の会う人と惹かれあうんじゃないよねw

この人はあんな学校出てるんやーとか

これぐらいの収入なんやーとか

事前に知りながら会う状況で

「条件睨めっこじゃない」って言われてもなw

邪念で一杯でしょ実際

2010-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20100916004141

あらゆるモノ、あらゆるサービスがほぼ通販で揃う現代において、出会い目的以外で出掛ける必要性ってあんまりないような気がする。

現代の出会いを担ってる学校とか習い事とか、ほぼ全部通信講座で代用できるじゃん。

2010-08-08

何故私のようなお嬢様美女が来週医者結婚するまで処女なのか

(8/9 追記)

最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分処女を守るに至ったか経緯を書くか。

色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。



 私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女海外留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。

それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。

 多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。

 それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。

 乗馬はやってたけど、一つ上の女の子落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア

 なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。

 ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。

 まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。

 祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉キモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。

 そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃんイケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通に坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。

「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」

 はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。

 その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。

 男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。

 それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。

 セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。

 大学卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。

 医者イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい

 それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。

 でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックス結婚してもしたくない自分がいる。私の価値結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。

 処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。

 

 私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。

 「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。

 

t* 追記(ってこんなんでいいの?)



 なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。

 言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。

 ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。


 でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。

 「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。

 全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。

 処女である美しさって、日本に適用できるものなの。

 たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。

 私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。

 「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。

 

 本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する

 生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。

 しかも同じ退屈な考えで。

「ぼくの哲学アンディ・ウォーホル

  

2010-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20100730015643

どこの弩田舎

弩がつくほどではないけど、田舎であるところのうち周辺にはそんな男性が雲霞のごとく生息してます。

ただそういう男性、なかなか習い事にはいかないね。

ベタなところで、友達の友達の、さらに友達くらいの距離の人を紹介してもらっては?

ご友人の結婚式二次会)あたりでいないかな。

2010-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20100605105334

元増田が思ってることと割と近いことを感じてたので書いてみる。

学部卒文系メーカー営業新卒法律中小企業定義を超える程度には規模がある会社

「なんだ営業かよリア充乙」と思う人もいるだろうが、真のリア充匿名ダイアリなど書かないし存在も知らない…はず。

大学比較して

元増田理系の院卒ということもあって大分学問思い入れと充実感があった様子。

一方俺と言えば文系学部卒、しかも社会学とか文化研究系だったので趣味の延長みたいなもんだった。

部活に入り浸り程々にバイトして…今思えば結構典型的ながらも充実してた気がする。

元増田と方向性は違うが、確かに部活意識が高かったし、ゼミ先生も熱心かつ的確な指導ができる人だった。

友達も「こいつはすごい」と思わせるヤツが多い。

大学田舎から都会に出てきた俺としてはとても刺激になった日々だった。

少し時間はかかったがなんとか就職して、いざ働き始めてこの「人」のギャップにまず驚くことになる。

あまりこういう言い方は好きでないが、社内外にかかわらず、あまり関わりたくない人が間々いる。

一度言われたことが直せない、工夫しない、感情的になりやすい。忙しいアピールで態度が悪い。

業績とか年功序列以前の問題で「それどーなのよ」って言いたくなるような人が本当多い。

そうした人は得てして開き直ってたりして仕事を工夫しようとするような様子もない。

なるほどこれが社会か。それともこの業界がそうなのか。

同期もプライベートの知人もいない地方に赴任してしまったため、ひとりこの違和感を抱え続けている。

と同時に「俺もいつかああなってしまうのか」という恐怖のような気持ちも抱えている。

■友人とのギャップ

とはいえ休日出勤も年に数回あるかないか、通勤だって徒歩数分という環境は都会にはないメリットだ。

残業代はほとんど出ないが、家賃は安いしほとんどの買い物は自転車圏内で済む。

くらすだけなら十分な環境なのだが、一番のデメリットは同世代の友人・同期がいないことだ。

仕事プライベートも、同じレベル人間がいないのは正直きつい。

仕事はまだまだ全然できない上に営業はベテランしかいないため、初歩的な質問はしづらい時がある。

プライベート仕事でポンと飛ばされた先、どこで友人を見つけろというのか。習い事の類をする余裕がある給料でもない。

幸いにも大学の同期は、地方に飛ばされた俺にも大きな集まりの誘いはメールしてくれる。

もちろんそのほとんどが行けないのだが。

きっとみんな大学の時のようなテンションで遊んで飲んで、そして仕事の話してるんだろう。

お開きになる頃には「楽しかった、またがんばろう」という気持ちになって。

切磋琢磨する仲間も、息抜きする相手もいない。

元増田とはまた違った「差」を俺はここ数週間抱えている。

玉石混交、星の数ほどある会社だからそこに勤める人の人生もさまざまだろう。

だが「もしかしたらもっといい人生が」という気持ちがどうももやもやしてしまう。

とりあえず貯金もしたいし、世の中もう少し様子見したいのであと五年くらいはがんばろうとは思うが、どこまで続くやら。

2010-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20100719020524

部活習い事をさぼってグダグダになって辞めるていうのは自分もあったな。

小学生のときピアノ水泳野球サッカーをやっていたけど、どれもフェードアウトする感じで気づいたら辞めてた。あ、公文も・・・

元増田の書き込み見るとサボったといいつつも頑張ってる部分もあるので、そういうとこを積み重ねていけば人より遅くても何かしら結果だせるんじゃないかと思う。

一定のペースで継続することが要求される生活ができないなら、時間の使い方に融通が利くような生き方模索するのはどうだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20100719020524

俺と似てるな~。

同じく大学中退習い事中途半端

すべてが中途半端で何一つやり通すことができなくて何も残らないような人生

その対象が近づくにつれ、怖いような憎いような変な焦りと変な汗が出てきて

頭が真っ白になるなんともいえない感情になるんだよね。

あなたが同じかは分からないけど。

治るなんて無いかもしれないし、そもそも病気かどうかもわからないけど

それでも、何とかなると楽観視することが一番なのかなと。

ところで、今まで逃げてる物って全部人に決められたことじゃない?

自分で期間区切って趣味でもいいから何か始めるのもリハビリになるかもね。

ゴール見えると走りきれる気にならないかな。

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。

幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。

ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。

私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。


私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。

それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。

しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。

小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。

それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。

義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。

この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。

高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。

予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。

がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者

そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--

無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。

一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。

結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」

大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。

大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。

この教科を落とすと生物化学を受講できない

偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。

大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。

苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。

初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。

努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。

次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。

苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。

このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。

ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。

次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。

留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。

翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。

こうして私は大学中退した。

そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。

でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。

研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。

でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。

入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。

ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。

また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。

それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。

その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。

それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。


それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。

ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。

精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。

ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。

結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?

精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。

年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-10

ひとりになりたい

3歳と1歳の子供がいる専業主婦です。


最近、少しでいいから、ひとりになりたいって思います。


子供はとってもかわいいのですが、

四六時中いっしょだし、トイレまでついてくるし、ごはんゆっくり食べられないし、

店でもゆっくり買い物できないし、危ない目に遭わないか見てないといけないし、

気に入らないことがあったらグズグズになっちゃうし、

なんだかイライラして、冷たくあたったりしてしまうこともあります。

そして、そんな自分に気づいて、自分が嫌になります。



実家も義実家も適度に遠く、月に1度あるかないかの交流なので、

両親は健在ですが、子供をあずけることはできません。

特に1歳の下の子は、人見知りしてすぐに泣くので預けられません。


ダンナ育児には協力的な人だと思います。

仕事もそんなに忙しい方ではありません。

休日は一緒にでかけて、子供たちと遊んでくれます。

それでも、下の子は、私が見当たらないと泣くことが多いです。



専業主婦の友達は、どちらかの実家が近い人ばかりで、

時々、子供を預けて出かけたりしている話を聞くと、

うらやましくなります。


ひとりの時間があれば、イライラしなくなるのか、と言われると、どうなのかはわかりません。

人の話を聞いて、そんな機会が自分にはないので、うらやましく感じているだけかもしれません。


子供を預けてまで、やりたいこともないんです。

映画が見たいとか、ショッピングしたいとか、習い事をしたいとか、具体的には何もありません。

やりたいことなんか何も無いけれど、ひとりになりたいって変ですか?


今日、爆発してしまって、ダンナに「ひとりになりたい」って言ったら、

子供、かわいくないの?」って軽蔑されてしまった気がします。


子供かわいいけれど、たまには離れたいっていうのは、

分かってもらえないとは思ったのですが、やっぱり分かってもらえなかったみたいです。


そんなに言うなら、あずかってやるから、どっか行ってこい、といわれたけれど、

行って来ていいものですかね。


なんだか、罪悪感の固まりです。


そう、ここにこんなこと書いているのは、

お前は悪くないって言われたいだけなんですよね。

2010-07-04

不倫(願望)

http://anond.hatelabo.jp/20100701080357

を読んで、自分不倫願望について考えた。

不倫願望は、ある。

夫との夫婦仲は悪くないけれど、既に男と女ではなくて家族になってしまった感じ。

一方、私も働いているので、職場習い事飲み会など出会いは多い。

ドキドキするような素敵な男性と出会うこともある。

もちろん、それが恋愛に発展することは、ほとんどない。

普通男性は、こっちが既婚者と聞くと、お友達モードに切り替えてしまう。

しかし、今まで一線を越える直前までいった人が2人いる。

2人とも、「結婚前提で付き合って欲しい」「旦那とは別れて欲しい」という内容の話をしてきた。

すごく惹かれていて、抱かれてみたいと思っていたけれど、その一言で冷めてしまって断った。

私は一夜のアバンチュールがしたいだけで、家庭を壊す気はないのだ。

本気になられてしまっては困る。ストーカーにでもなられたら、浮気が夫にバレてしまうではないか。

世の中、ヤリ捨て男に悩まされながら、誠実な男を渇望する女がたくさんいるというのに、そのヤリ捨て男はどうして私の前に現れてくれないのだろう。

三十路の女に本気になる男なんていない、近寄ってくるのはみんな身体目当てなだけだ」が真理じゃなかったのか?

身体目当てで全然構わないのに。

きっとこのまま、不倫願望を悶々と抱きながら、結局実ることなく老いていくのだろうな、と思う。

ラブホ街のバーで気になる男と2人で飲むことと、その男とそのままラブホに入ることの間には、越えられない壁がある。

その壁は、良心なんて綺麗なものではない。単に、リスク計算せずにいられない臆病さなのだと思う。

2010-06-29

こないだまで年齢=彼女いない暦の僕が、この度めでたくtwitter結婚することになったよー\(^o^)/

 

 

アニヲタの僕が結婚することになった彼女と出会ったのは最近やたらと話題のtwitter

僕は1年くらい前に、アニヲタ仲間からtwitterやろうぜ!と誘われて、それからなんとなくぬるぬるtwitterしてた。

しばらくは普通に仲間と他愛もない話をしたり、アニメの実況したり会社愚痴書いたり、まぁ普通に使ってた。

  

ある時、僕は今までに見たことのないようなアイコンの人にフォローされた。

今までフォローされたりフォローしてた人のアイコンといえば、アニメアイコンばっかりだったし、僕自身も嫁(二次元アイコン

フォローしてくれたのは自分撮り?の実写アイコン女性

後に詐欺写真だとわかるんですけど、めちゃくちゃ可愛い!!

色が白くて目がくりっとしてて髪の毛もふわふわで…。

男子校卒で大学の学部も男ばっかりの学部を選んじゃってさらに仕事も男率が高い職場でまったく女の人に免疫のない僕。

ソッコーでフォロー返ししますた

 

その彼女のTLをしばらく観察していた。

ある日、彼女は外を歩いていたときにナンパされたらしい。それをたいそう立腹した様子でpostしていた。

それを彼女リアル知り合いと思われるフォロワーたち(この人たちもみんな実写アイコンだったりオシャレっぽいアイコンだったりみんな全体的にピンクっぽい)が

「○○ちゃんはかわいいから仕方ないよ」とか「○○さんは美人だもんねー」とリプライを送りあっていた。

それを見ていた僕は、彼女はほんとうに美人なんだ…と思い込んでしまい、どんどん妄想を膨らませていってしまった。

しばらくはいつ@飛ばされるか、とてもドキドキしてた。

自分から送ろうかとも思ったんだけど、彼女twitterに書く内容といえば

今日エステ」とか「習い事」とか「スイーツおいしい」みたいな僕とは全く無関係な世界の話で、@を送る勇気さえ沸いてこなかった…。

僕はと言えば相変わらずアニメのこととか嫁(二次元)のこととか会社愚痴とかそんなことしか書いてなかったし、きっと彼女から@をもらうのなんて無理だろうし、こんなキモオタはそのうちリムーブされるだろう。と彼女との接触をあきらめていた。

 

そんな時!!!

なんと彼女のほうからでぃ…DMがッ!!!

簡単に言うと

「住んでるところが近そうだから会ってみたい。あなたに興味がある」

ってな内容だtった。

キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!

僕は二つ返事でオッケーのメールを送り、wktkしながら当日をまった。

 

 

待ち合わせ当日、彼女の指定したおしゃれなレストランの前で待ち合わせをした。

こんなおしゃれなレストランなんて行った事がなくて何を着ていけばいいのかわからなかった僕は、とりあえずスーツを着ていった。

これはどうやら正解だったらしい。

そして待ち合わせ5分前、彼女は現れた。

ピンクワンピースにふわふわの巻き髪、そして…あれ。ふくよかすぎる身体に、あれれ?目がなんだか小さい・・・アイコンと顔が違うよ・・・?

「○○さんですか?」

声をかけられてビクっとする僕。

「はい、あのぼくggくぁwせdrftgyふじこlp

「それじゃあ入りましょうか。ドア、あけて」

彼女の後ろからのこのこついて入ろうとした僕に彼女は顎でこう指示した。

デート経験なんてない僕だから、女の人にドアを開けさせないなんて初歩的なことわからなかった。

 

レストランの中に入ると本当にアニメ世界みたいだった。

あんなところに入る機会がまさかくるなんてなあ。

席についてワイン乾杯

そうすると彼女

「で、あなた年収どのくらい?家族構成は?家事はできるの?」

怒涛の質問タイム…。

僕は全ての質問におずおずと答えた。

「ふーん。そうなんだ。あ、ワインおかわりいい? すいません」

あっけにとられる僕をよそに、彼女はグラスに少し残ったワインを一気に飲み干した。

その姿は、TLで彼女自身の発言や彼女の知人たちからの言葉からもあまりにもかけ離れていた。

「あの・・・ほんとうに○○さんですよね?」

僕は彼女に尋ねた。

「はい?そうだけど?どうして」

「いや…アイコンとなんか違うなぁって思って…」

「ああ、よく言われるの。アイコンよりもかわいいねーってww」

がははと笑う彼女につられて僕もアハハ…と笑った。

アイコンよりも可愛いんだ…。

 

その後はまあ普通に話をして、普通にご飯を食べて、普通に帰って、普通に嫁(二次元)で夜の作業をして寝た。

支払いは割勘だと思っていたら当然のように彼女は財布を出さなかったので、全額僕が出した。

高い授業料だった。今日の事は忘れよう。僕には嫁(二次元)がいるじゃないか。そう思っていた。

 

 

そして数日後、彼女から電話がきた。

今から会えないか?というものだった。

いやちょっと…と曖昧な返事をしたら怒られた。今すぐ来いと言われたので、僕は指定された場所に急いだ。

そして彼女に「わたしと付き合え」と言われた。

「まだあまりお互いを知らないので…」と断ろうとしたら「付き合ってから知ればいいじゃない。というわけでわたしたちは今からカップルです。」

と言われた。そして、彼女は僕の腕に胸(とおなか)を押し付け

ホテル、いこうか」と上目遣いで言った。

「くぁwせdrftgyふじこlpいやそんなのまだ知り合ったばかr」

「今まで彼女いたことないって言ってたよね?興味あるんでしょ?おねえさんが教えてあげる」

 

……こうして僕の28年間大事に守ってきたものは奪われました\(^o^)/

 

 

そして僕は彼女に度々呼び出されるようになり、会って触れ合っているうちにすっかり彼女洗脳され彼女がかわいく見え始めてきたそんなころ、彼女

今日大丈夫な日」

その一言にだまされてうっかり中田氏

見事に来年にはパパになることになったよー\(^o^)/

最初はどうしようかと思ったけど、彼女自分勝手なところも脂肪がつきすぎな身体もなんか可愛らしく思えてきたからもういいんだ。

子供ほしかったしね\(^o^)/

 

 

ちなみに彼女twitter上ではだいぶ嘘をついてたらしい。

年齢も5歳くらいサバ呼んでたし、彼女の知人だと思ってたフォロワー、あれ、全部婚活仲間らしい。

彼女達はネットでいかに男性自分を可愛く思わせるか、それを仲間とのやりとりでうまいことしてるらしい。

今、twitter婚活女性の中で狩場として重宝されてるそうです。

アニメオタク系の草食男子は狙い目なのよ。意外と金持ってるし。

と、彼女はニヤニヤしながら言ってました。

それって僕のことだよね?って聞いたら、うん。でもよかったじゃない。結果かわいい彼女ができたんだから。と言ってました。

 

 

というわけで、僕は今週末彼女実家にご挨拶に行ってきます。

みんな、ひとあしさきにぼくはしあわせになるね\(^o^)/

http://anond.hatelabo.jp/20100628170132

都内家族持ちだが、確かに乳幼児連れの外出ではクルマの方がベター場合がある。

そういう場合カーシェア使うとリーズナブルだぞ。

チャイルドシート自分で用意しなければいけないが)

都内だと自宅徒歩10分圏内にスーパー幼稚園習い事教室があるので、

平日は家族持ちでも基本的にクルマを使うことがない。

土日に「マザー牧場」へ行くとか「軽井沢おもちゃ王国」へ行くとか

スーパー銭湯へ行く」という場合クルマがあった方が便利だが、

その場合はカーシェアを活用。

まあ、カーシェア拠点が自宅の近くにあるかどうかで違ってくるだろうが。

自分場合、自宅から徒歩3分以内に「オリックス」「カレコ」「タイムズ」の3社のステーション

あるから、選び放題よりどりみどりだが。

2010-06-24

学校という場所は、特殊な空間だと思います。

丁寧な返信、ありがとうございます。読んでもらえてうれしいです。

そうなんだ、同年代とは緊張して話すことができないけど、年上の人とは平気なんだな。どうしてわかったの?

塾の講師とか、習い事先生楽器を習っている)とは、いくらでも話が弾むらしい。

そういう人や機会を増やしたらいいのかな。

でも、それだと、いつまでたっても同年代に対する忌避意識は消えないのかな。

年代で心を開いて話のできる相手がいるといいんだけどなあ。

不登校になって、同級生はもちろん、小学校時代からの友だちとも疎遠になってしまった。

話し相手は、親と、塾と、習い事先生といった大人ばかり。

それでも、親以外の話し相手がいるだけいいのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20100624183426

わたしが思うのは、基本的に、学校というのは特殊な空間だ、ということです。

なぜなら、同年齢の人ばかりが、集まっているからです。

社会の中で、ほかにそういう空間はないと思います。

外から見たら、中学生なんて、どの子も、たいした違いはないように見えますが、

本人たちからしたら、だからこそ逆に些細なことが気になる、ということになるのだと思います。

わたしも、中学生のときは、学校では、ぜんぜんリラックスできませんでした。廊下が殺気立っていた。

だから、大人相手なら、リラックスできるのでは? 自分とあまりにもちがうから。

なので、同年代の友人ができないのは、そんなに気にすることもないと思います。

友人なんて、そんなにたくさんいる必要はないのだから、二十歳までには、何人かできるのではないかと思います。

むしろ、大人の友人をつくるのは、お子さんにとって、良いことだと思います。

どうしてかというと、中学生のころに、三十代の友人がいたら、だいぶ自分人生の見通しが、立てやすくなるように思うからです。

理想的な、モデルとなるような人物に出会うかどうかはわかりませんが、

何人かの大人を見ることで、自分なりの人生モデルがつくりやすくなるように思います。

以上です。

失礼しました。

http://anond.hatelabo.jp/20100624182105

習い事始めるとか、友達の飲み会に参加するとか

思いつく限りのことは全部やってからぼやけな。

家にいて出会い無いなんて当たり前だろ。

おっしゃるとおりです、ありがとう

コメントありがとう。http://anond.hatelabo.jp/20100624151721です。

何かを条件に(エサにして)、子供を望む方向に行かせようとするのは、たぶんムリです。

http://anond.hatelabo.jp/20100624163226

そうだよね。

わたしが中学生ごろのことを考えても、そのような大人の「意図」が透けて見えるようなゲームに参加することは、屈辱的なことだ、と考えていたので、ぜんぜん勉強しませんでした。(勉強自体はしたほうがいいと思う)

同感だ。自分でもそんなことされたら、ますます反発して、わざと親がイヤだと思うことをすると思う。

その程度には、子どもの気持ちはわかるんだ。

わたしが、お子さんに対して、やったらいいと思えるのは、

* スポーツ(成長期だから)

* 図書館に通う(たとえ読まなくても、制限冊数まで毎週借りて帰る)

* できるだけいろんな人に会う(同年代でなく、20歳以上離れている人がよいと思う。ボランティアとか?)

具体的なアドバイス、ありがとう。

 * スポーツ

集団が苦手なんで、一人でできるものならいいかも。水泳とか好きなんだよ。

通学してた頃は、部活もやってたし、一人でジョギングしたり、筋トレしたりもしてた。

最近は体力が落ちてしまってやってないけど、また何か始められるといいな。

 * 図書館に通う。

これも、だいぶ前は制限冊数いっぱい、どさっと借りてきたこともあったんだ。今は行ってないけど。

ちょっと道筋をつけたらまた行きたくなるかもしれないから、明日、連れて行ってみよう。

マンガも好きだけど、本も基本的に嫌いじゃないんだよ。

 * できるだけいろんな人に会う(同年代でなく、20歳以上離れている人がよいと思う)

そうなんだ、同年代とは緊張して話すことができないけど、年上の人とは平気なんだな。どうしてわかったの?

塾の講師とか、習い事先生楽器を習っている)とは、いくらでも話が弾むらしい。

そういう人や機会を増やしたらいいのかな。

でも、それだと、いつまでたっても同年代に対する忌避意識は消えないのかな。

年代で心を開いて話のできる相手がいるといいんだけどなあ。

不登校になって、同級生はもちろん、小学校時代からの友だちとも疎遠になってしまった。

話し相手は、親と、塾と、習い事先生といった大人ばかり。

それでも、親以外の話し相手がいるだけいいのかもしれない。

2010-06-21

日本はどうなんだろうという回答の一例

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20100619/1277013348

読み終わって、日本ではどうなんだろうと思う人もいると思ったので、ちょっと書いておく。

自分自身も、子どもがこういう問題を抱えているとわかるまでは、なんにも知らなかったので、理解の一助となれば。

うちの子は、小学校の高学年。診断としては、高機能自閉症。知能に問題はないが、学習障害と、他人の気持ちがよくわからないし、空気が読めない。

今、住んでいる地域は、割と恵まれている方だ。個別対応もしてくれるし、デイサービスグループワークなど、発達障害についてのサービスは整っている。それでも、診断が下る前までに、いろいろ面倒な経緯があった。

今思えば、小さいころから、とにかく友だちができなかった。活発で、積極的なのに、長く付き合う友だちができない。

おかしいなと思っていたんだが、本人は気にしていないし、楽しそうに過ごしているので、特別に問題視はしなかった。

小学校に入って、すぐいじめにあった。

学校先生とも相談したのが、他にも気になる点があったので、自治体が行っている教育相談相談した。

なぜなら、いじめの件に加えて、漢字が全然覚えられないからだった。

「他の子になじめない。きつい言葉を投げかけてしまうようだ。いじめると同時にいじめられていると先生は見ている。

 加えて、漢字が書けないし、覚えられない。指を使っていつまでも計算している。発達障害があるのではないか?」

というような感じで相談をしたら、

「お母さんとの関係の問題ですね」とされてしまって……私が半年ぐらいカウンセリングに通うことになっただが。

その時受けたアドバイスが、「怒り過ぎるな、もっと愛情をかけろ、犬を飼え」

……犬ですか。

犬では解決しないだろうと思って、釈然としないまま、見守っていた。

その後、小学校3年のときに、習い事先生から指摘を受けた。

「ひとりだけ、指示とまったく違う行動をとるのだが、耳が悪いのではないか」

集団行動が苦手で、大勢の中にいるとひとりだけ逆方向に向いていたり、よくしていたので、そうかもと。

それで、検査をしたら、聴覚の問題で、それだけで指示が聞こえないということはない。

そのころ、ちょうど個人面談があり、先生から、問題がいろいろ起きていることを聞いた。

突然、教室を飛び出してどこかへ行ったり、突然、怒りだしてクラス全体が凍りついたり。

「原因がわからないのですが、おうちでなにかありましたか」

と言われて、今度は考えて、自治体が行っている障害相談サービスに「発達障害の可能性」と予約を入れて、待つこと1カ月。

専門的な検査をしたら、診断は下せないが、どうやら疑いがある。

学校で起きた事件や、いじめ、それ以前の友だちができない状態も、恐らくは発達障害に由縁するのでは。

そこから、「サービスを受けるには医師の診断が必要」と言われて、医師に診てもらうまでに、1カ月半以上。

10件ぐらいかけて、やっと予約がとれた。ほとんどが予約でいっぱいで来年にならないと無理や、既存の患者で手いっぱい。

しかも、「初見では診察したくない」とそれ以前に受けた検査や資料を準備しなければならなかった。

それで、やっと診断が出た。おかしいなと思ってから、3年以上。

他の地域でも似たような状況だと思うが、親がここまで動かないと、診断は出ない状況だ。加えて、程度の軽い子については、受け皿がない。

発達障害は、千差万別で、うちの子のような、空気が読めない分、限りなくポジティブで、自分自身が問題を感じないタイプは、誤解されやすい。

勉強ができないわけではない。漢字ダメでも、授業中の発言は活発で、国語以外の教科の成績は悪くない。

クラス全体と薄く付き合っているから、表面上は友だちが多いように見える。

だから、できないことが、理解されない。空気読めないとは、思われない。

「なまけもの」「大人を見下している」「反抗的」「手におえない」と先生から言われて、確かに、言動を見れば、そう捉えられてもしょうがないと思う。

大人がいちばん嫌がるようなことに気づいて、遠慮なく指摘するし、興味を感じる点については、延々と議論を吹っ掛けてくる。

逆に、うまく関係が築けているときは、「発想がクリエイティブ」や「おもしろい」、「楽しい」という評価を受ける。

学校では、先生によって、受けた印象が違うので、先生同士も混乱をするだろうなと思う。

この手の子は、10分ぐらい話しただけではボロは出ないが、1時間話しているとイライラしてくる。それが性格なんだと割り切るぐらいの気持ちがないとやっていられないが。初対面の大人は、不思議な苛立ちを感じると思う。話の展開が、常識とズレているので、まじめに聞いていると、船酔いするような感じ。

自分価値観を揺るがされるのは、楽しい体験ではない。

担当してくれている医師が、小児精神科医で、しかも、発達障害が専門だったので、理解してもらえて助かったが。

彼の説明がおもしろかった。

コンピューターに例えると、CPUの処理速度は猛烈に速いが、バッファがほとんどないタイプ

以前の経験フィードバックして、答えることが苦手なので、とにかく、何回も試行を繰り返して、解にたどり着いているんじゃないか。

一見頭の回転は速いが、いずれ、経験値を積むことがうまい子たちに抜かされて行くだろう。

見た目、バカじゃないから、バカなことをすれば、目立つ。それを指摘されても、本人は正すことが非常に難しいんじゃないか。

「これから、さらに誤解されるし、本人も傷つくことが増えると思います」

と言われて、親ができることは、なんだろうと。現状、模索している最中だ。

つらいだろうなぁ。誰でもできるようなことができないんだ。あるところだけ。

前置きが長くなったが、学習障害のこと。

うちの子は、とにかく漢字を覚えるのが苦手だ。あと、読むのが遅いし、行をよく飛ばす。

しかも、わかる漢字と、わからない漢字がまだらにある上に、読書はそれなりにしている。

ホントに識字障害なのかなぁと。疑われても仕方ない。

で、先生からも「まじめに練習をしろ」と言われて、ノート1冊分、泣きながら、漢字を書いていた。

それでも、忘れてしまうわけで。

それが、とにかく、いろいろな方法を試している中で、ある日、白川静漢字なりたちの本を読んで、ワークをはじめた辺りから、突然、書けるようになって驚いた。

漢字の成り立ちを絵で見て、漢字法則インストールされたようだ。

まるで、プログラム更新されたみたいに、それ以降は、覚えは悪いが、書けるようにはなってきた。

ポッカリ、穴が開いたようにできないことがある。

ってのは、困ると同時に、うまくはまるメソッドが与えられると、ぐんと伸びる可能性があるんだが。

そこまで細かく指導してもらうことは望めないので、親次第になってしまう。

また、白川静の本も、うちの子には合ったが、他の漢字が苦手な学習障害の子に合うかはわからない。

だから、安易にはすすめられないんだが。

突然、ぐんと階段を一段上がったような進歩を見せるときがあるので、もう仕方ないと放置しておくのもかわいそうだし。

丁寧な対応をしてもらう以前の問題とか、サービスはいろいろ整いつつあるが、あんまり簡単には解決しない状況だと言うことを書いてみた。

同じような状況にある子と周囲の参考になれば。

2010-06-20

ママネットワーク怖い

ある奥様から聞いた話。

子供を同じ学校や塾や幼稚園保育園習い事に通わせていることで仲良くなったママのことをママ友というらしい。

さて、あるママ友の旦那があまりにも家庭を省みないモーレツ社員で今時亭主関白の極みだったので、沢山いた子供と旦那をうっちゃって若い男と失踪したそうな。誰が本人と連絡とろうとしても全く応答はなくなった。

ま、不倫なわけだから色々あって離婚である。元々は旦那が悪いにせよしょーがないわな。私だったら遠くで幸せになれよーと考えはしてもそれ以上どうこうしようとはしない。

しかし、ママコミュニティは放っておかないのである。

ママの知人の知人の知人と女性をたどっていって「同時期に若い男と一緒になって地域コミュニティに入ってきた女」を探索する。

そしてその女と直接の知り合いであ女性と気の合う人間を元のコミュニティから見つけて友人にしてしまい、継続的に遊ぶことにより情報をとり続ける。複数の「怪しい女」の情報から徐々に絞り込んで最終的に特定してしまうのである。

直接の知り合いの女性には元のコミュニティが失踪したママを探している事は伏せさせ、情報を流し続けるように依頼する。

その結果得られた成果は「逃げたママは若い男と毎日ラブラブしていて幸せそうにやっている」だけである。それを聞いて元のコミュニティ人間は「あの人幸せになったんだって。良かったね。」と納得したんだそうだ。

成果に見合うと思えない根気と労力を惜しげもなく投入するママネットワーク、怖い。

2010-05-30

なるほどー

昔、どっかのブログ

「女は男に身長170cm以上、高収入高学歴を求める。妹にそれを言ったら

当然でしょ?見たいに言われた。やっぱり女はクズwwww」

と言った男性に、女性ブロガーが反論した。

あたりめーだろボケ結婚して子供産んだら女は仕事を休むか辞めなきゃらならない。

つまり無収入。しかも再就職難しくなるのに貧乏人と付き合えるか

身長だって、女より身長が小さいとイジけるのは男だろ。

大体「女はクズ」なんて簡単に言える男に何でへーこらしなくちゃいけないんだよ。

つーか、お前ら非モテは高スペックばかり狙いすぎ。

スペックの女は、それこそエステ習い事、ン万円の化粧品

お前らのバカにする自分磨きレベルを上げ、高スペック男を狙ってんだよ。

そんな事までして、何で低スペック男なんか狙わなきゃいけないんだよwwwww

周りを見ろよ、高スペックになる事を諦めた女が何人もいるだろ?

お前らはその女を狙え。身の丈に合わない女が手に入らないからって

ファビョるんじゃねぇ」

と。なるほどーと思った。

その後、この人のブログには非モテが何人か特攻したらしいが

すべて「ハイハイワロスワロス」と片付けられてた。

2010-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20100526170159

外注いいじゃん。なんでいけないのかなあ。

客観的に見てもまっとうな理由がある親御さん「は」助けてあげたいと思う。

1週間預けっぱなしとかは論外だけど、ある程度時間の融通の利く保育園が欲しいというのは、子供を預けて働く親御さんなら思ったことがあるんじゃないかな。

働いてません、働く予定もありません、お金もありません、でも子供は24時間いつでも預けたいっていうなら「それは違うだろう」と思う。ちゃんとその時間働いてて、収入なりのお金もちゃんと払うつもりがある人なら、いいと思う。待機中については、「24時間いつでも」預けなければいけないというシチュエーションがわからないので、要検討。面接くらいなら頻度も少ないし、ファミサポなりシッターなりで十分対応できるしね。

コメント増田は「親は1日中つきっきりで世話をしてこそ親」だと思っているのかな。

保育園幼稚園に行かせたら外注だし、習い事だって外注。近所の子に面倒みてもらったら外注。学校関係も学童も塾も全部外注。なーんだ、外注してない人なんてまずありえないじゃん。

程度問題? じゃあ1日何時間一緒にいればいいの? 一般的に、自宅勤務でない父親は一緒にいる時間がずっと短いけど、それはいいの? 残業が多い人は、単身赴任の親は育児放棄なの?

自営業で勤務先が自宅の父親が「小さいうちはやっぱり一緒にいてあげたいじゃないですか。なんで会社勤めなんてするんですか?」って言うようなもんだよね。

2010-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20100406020644

うつなら仕方ない。というか、よく習い事続けられてるね。すごい。

1、2年目と今では、仕事責任の重さが違うと思う。

最初は誰かの指示で言われるがままに動けばよかった。今はそうじゃなかろ?

指示があるにしたって、最初の1から10までの指示じゃなく、5とか3とかに減ってきているはず。

残りは経験から判断できるようになっていると思う。

もしくは、他の分野に手を伸ばして守備範囲が広がっているはず。

そういう状態だから、自分意識するしないにかかわらず、前よりはプレッシャーがかかっている。

1、2年目は税金が少ないんじゃなかったかな?

住民税は対象年度の翌年に分割で払うから、1年目はないはずだし、

所得税も1年目は9ヶ月分だから少ないはず。

自分は3年目くらいが一番キツかった。

通院でお金使うし、外食でも使うんだから、足りないのはわかる。

なので、手抜きごはんを習得するといいと思います。

疲れたときは、ごはんは簡単に食べたい。

一人なら、ごはん3合くらい一度に炊いておいて、1食分ずつ冷凍しておくといい。保温はすすめない。

ちょっと高いけどおすすめなのが、パックごはんレンジで2分で調理完了。

あと、お肉とか100gくらいずつに分けて冷凍しとく。レンジ解凍して焼いたり煮たり。

味をつけてから冷凍すれば、解凍してそのまま加熱できるから楽です。

オーブントースターがあれば、アルミホイルに載せて加熱すれば手間いらず。

最近は蒸し器(スチームケースとか)も流行ってるよね。材料入れて電子レンジにかけておしまい

個人的にはまったのは、もやしまいたけ+鮭を重ねてそのまま蒸して、できたらあさつき散らしてポン酢で食べる。

調理が面倒なら、お茶漬けでもいいじゃん。ごはん盛って、こんぶ茶かけて、のりかけて、鮭フレークか練り梅とか。


あと、うつが重くて、費用負担も重い場合は、費用補助を受けることができます。

ただし、職種などによってはあまりおすすめできないらしいです。(先生談)

自立支援制度でググってください。

5年かけて退化

社会人1、2年目の頃の自分は少ない給料ながらも年間100万の貯金をし、レパートリーも調理環境も乏しいのに毎日弁当をつくり出勤し、帰宅しては翌朝の弁当のおかず兼夕飯を作って食べた。

社会人6〜7年目の現在。かつての固定給よりは月給もあがったくせに毎月のように赤字貯金を切り崩して生活し、魚焼きグリルまでついている立派な台所環境引っ越したというのに、ほぼ毎日、外食をしている。

この生活、なんとかしたい。

赤字の要因:

仕事量の変化と残業(もっとラクな仕事転職はしたいけどこればっかりはね)

・ほぼ毎日の外食に間食(当然高くつくよね)

習い事レパートリーを増やそうと料理教室に通ってしまった)

・住み替え(会社近くに引っ越し、毎月1万ほど高くなった家賃

医療費その他(うつで通院&服薬治療中。そのため料理をつくる気力がない・・・というのは言い訳かもしれんが)

2010-04-02

おれは、ゲームが作りたいんだ。


 小学校の頃に「どろけい」という遊びが流行った。

 団地中の遊びともだちでランドセル姿のまま一号棟前に集まる。

「何人いる? もうはじめる?」

「森口、まだ来てないじゃん」

「あいつ、今日スイミングスクール田無は、ピアノ

「なんだあいつ、男のくせにピアノなんてならってんの?」

田無うまいらしいぜ、東野が言ってた」

 少ないときでも十人は面子が集まる。

 今にして思えば、習い事でぽつりぽつりと面子が抜けていく直前だったから、小学校の低学年、しかも3年生ぐらいの年頃だったような気がする。

 おれの住んでいた団地新築共働き世帯ばかりがどっと入った団地だったから、小学校クラスでも団地子供が占める割合が多く、揃いも揃って鍵っ子ばかり。それでランドセル姿のままでしょっちゅう一緒になって、あれこれ新しい遊びを始めるのが常だった。

 そのとき流行っていた「どろけい」は、泥棒チームと警察チームの2チームに分かれて、泥棒はひたすらに逃げ、警察はひたすらに泥棒をつかまえるというシンプルゲーム。泥棒はつかまれば開けたところにある刑務所に入れられ、仲間の泥棒にタッチして貰えれば見事脱獄ということになる。そうなってはたまったものではないので、警察チームは刑務所を陣地にして、あれこれと泥棒をつかまえる作戦を練る。

 おれたち小学生にとっては、五号棟まであった団地は格好の遊び場で、当然ながら「どろけい」も団地舞台に繰り広げられる。団地は、最上階が8階、左右に二棟のエレベーターホールがあり、両端はどちらも非常階段になっている。高島平のような左右に長い団地想像すると分かりやすく、そこを小学生のおれたちは駆け抜けた。

 よく迷惑だと苦情が来なかったものだと思うのだが、共働き世帯ばかりだったこと、そして、今よりも寛容な時代だったのだと、振り返って思う。

 この「どろけい」という遊びは、逃げるにも追いかけるにも工夫とチームプレイが必要な遊びだ。

 舞台となっていた団地には袋小路のようなものがなかったので、泥棒をつかまえるために警察チームは、複数人での挟み撃ちをする以外にない。泥棒が潜むことができるのは二棟のエレベータホールのみで、非常階段廊下警察の陣地から丸見えなので、捕物帖が始まれば、警察の陣地から指示が飛ぶようになる。

「錦原が、五階の西! 誰か西の非常階段を抑えろ!」

非常階段、誰かいる! 降りてる!」

 三人四人で泥棒の逃げ道を封鎖していくのだ。

 警察の陣地でもひそひそと作戦会議が開かれる。

「なあ、野々村どこにいると思う? エレベータの9階(作業室があった)みたよな?」

「みたみた。そういえばこの前は非常階段の裏に隠れてたな」

 けっこう丸見えな割にはちょこっとずつ死角になるところがあり、そういった所に泥棒は好んで潜む。それを警察は必死になって探すのだ。

 泥棒の方でも無策ではなく、エレベータホールなどでばったり出くわすと、情報交換になる。

小田捕まった?」

「たぶん、みてないけど、走る音が聞こえないから」

「じゃあ、あと3人か。泉川はどこだろ?」

「あいつ、隠れてるの好きだからさ」

「じゃあ、こうしよう。おれは三階で仕掛けるから、木村は二階な。泉川は東の方にいる気がするから、おれは西の非常階段から脱獄かける。お前は東のエレベータホールな。泉川も気付いて、いっせいに脱獄かけれるかも」

「ちょ、ちょっと休ませてよ」

「たく、だらしねえな、60秒な」

 エレベータホールに囁くような60カウントが響く。

 そして、作戦開始。

 それはたぶん子供の頃の大切な思い出だった。

 「どろけい」は毎日のように号棟を換えて遊ばれる。

 おれの住んでいた団地は、おそらく建設された時期が違っていたからだと思うが、それぞれの号棟に微妙な差異があった。たとえばエレベータホールが一棟しかなかったり、廊下の柵に隠れやすい板がついていたり、階が6階までしかなかったり、屋上と称する場所があったりする。

 そうすると、号棟が変わる毎に作戦やセオリーが代わり、泥棒も警察も新しい手を考えなければならなくなるのだ。

 なので、一号棟前にランドセル姿で集まって、今日の面子をながめながら、みんなでわいわいと相談する。

「なあ、今日どうする?」

「少ないから五号棟じゃん?」(五号棟は一番ちいさい号棟だった)

「五号棟好きじゃないんだよな」(エレベータホールが一棟しかないとつまらない)

「じゃあ、こうしよう3号棟で6階まで、これならどう?」

「作業室なしかぁ。あ、お前ずるとかするなよ」

「しないって。分かった。したら3回警察でいい」(警察は不人気だった)

「よし、じゃあみんな、ずるしたら3回警察な」

「あ、あのさ、三号棟にするなら、刑務所近くしない?」(エレベータホールにの意)

「どの辺にするの?」

ピロティーを刑務所にしたらって思うんだけど」

「え? 近すぎない?」

「いいよ! いいよ! ピロティーからなら警察見えないじゃん。そっちの方が絶対面白いよ!」

 他のみんなはどうだったのかは分からないのだが、おれは分かってしまった。

 こうやって、どうすれば「どろけい」が面白くなるかという事を相談しているときが一番楽しいって。「どろけい」をしているときももちろん楽しいのだけど、それよりもルールを決めながら、どんなルールにすれば、遊び方が広がるかを考えることは、小学生のおれにとっては、とてつもなく楽しいことだったのだ。

 そうやって、少しずつ楽しさの源泉となるルールが積み上がっていき、「どろけい」はますます洗練されたゲームになっていく。おれたちは気付かないうちにゲームデザインをしていて、それは小学生のませた心に、楽しいってどういうことかって事を植え付けてしまった。

 おれは「どろけい」をしている間にも、こんなルールにすれば「どろけい」はもっと面白くなるのに、ということをしきりに考えるようになった。それで、もっとみんなが面白くなれば、それはとても嬉しいし、楽しくなる。

 この「どろけい」遊びがやがて終息していったのは、人数が増えすぎたというのが原因だった。

 この面白い遊びが徐々に広まり、仲間が増えてくると、少人数の精鋭でやっていた頃とは格好が違ってくる。日曜日などには女子まで入って数十人で「どろけい」を行ってしまう。

 そうなると、一号棟だけでは足りなくなって、一号棟から三号棟まで、といったように無秩序に規模が拡大していく。それはそれで楽しかったではあるが、やはり散漫で緊張感のない遊びになってしまった感は否めない。

 さらに、休日に数十人の小学生たちが団地中を駆け巡り、大きな声で泥棒を追い詰めたりするとなると、さすがに周囲も迷惑を感じ始める。それで、どこだったか何号棟かで禁止令が出て、それから徐々に終息していたような気がする。折良く習い事で仲間もどんどんと抜けるようになり、外で大規模に遊ぶという事はこれが最後になってしまったと思う。

 ただ、あの楽しさを味わってしまうと、今この歳になっても胸がうずく

 ああ「どろけい」がやりたい。

 楽しかったって。

 そして、あの初期にルールを作り上げていったときが一番楽しかったと。

 おれは趣味ゲームを作っていると、しばしば言われて、誤解されて困ることがある。

 増田ストーリー面白い

 増田ストーリーきゅんきゅんきた。

 おれは、そのたびに思う。

 おれは、物語が作りたいんじゃない!

 おれは、ゲームが作りたいんだ!

 「どろけい」みたいにルールを考えるのが、好きなんだよ。

 物語はその上に載っているパセリみたいな物なんだよ。

 って。

2010-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20100308021018

というか今の自分の生活を振り返ってみても、どこに女の子をねじ込めるのか、想像も出来ない。

そこまで超充実ってわけでもないが、暇で暇でしょうがないわけではない。

今の自分の生活の中に、無理やり人ひとりを登場させてみても、何だか凄く不自然妄想になる。

新しい趣味を始める。新しいサークルに入る。新しい習い事を始める。新しいバイトを始める。

もっとわかりやすく言えば、新しい友達と知り合って、良く一緒に遊ぶようになる。

女の子と付き合うのは、これらと同じこと。

どんなに忙しくても時間は作れる。

おかずを探したりオナニーをする時間セックスに置き換わり、1人で飯を食べたり買い物に行ったり

ネットテレビゲームに触れる時間が、彼女と会う時間に置き換わるだけ。

ていうか、20歳で彼女を作るのあきらめるのは全然早い。

2010-02-28

はきそうだ

どうも、ニート増田です。

そんなニートですが、社会復帰への第一歩を踏み出します。そう、明日は面接です。

無理無理無理無理。

何聞かれるんだっけ? 自己PR? 自己紹介? 志望動機

ごめんなさい、御社を選んだのは何となくです。

雇ってくれたらしっかり働きます。

飲み会には積極的じゃないかもしれないけど、いろいろと強要がなければ参加します。

今度は習い事をしていろいろと知識を蓄えたりもします。

必要があれば残業しますが、付き合い残業はしたくないです。

あぁぁぁぁぁぁ、はきそう。明日までもたない。眠れるのか。

2010-02-23

あなたの数倍逃げ癖のある人間より

http://anond.hatelabo.jp/20100223010649

俺の場合は逃げた回数が多すぎて感覚麻痺してる。

それに比べてあなたは根性があるし、

実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。

まったくもって問題はないレベルだ。

ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。

俺は現在20代半ばで無職

大学卒業バイト派遣含めて4つの職を転々とした。

高校までは逃げたことがなかった。

部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。

大学もそこそこいいとこに決まった。

大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。

俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。

習い事部活実家を出るまで続けていた俺にとって

「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、

すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。

逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、

サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが

何故か出来なくなっていた。

その夏にレストランバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。

延々と皿を拭くだけのバイトだった。

その後勤めたバイト先は卒業まで続けられた。

これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。

サークル無所属はまずいと2年時にとあるサークルに入った。

3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。

最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。

ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて

で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。

このあたりから感覚麻痺しはじめる。

あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。

会社は一部上場メーカーの事務職だったが

体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。

その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。

そして違うバイトをしながら公務員試験勉強をしていたが、

そこも人間関係に馴染めず半年で辞めた(8回目)。

なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。

工場機械操作。

これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。

公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、

試験勉強を中止した。

一定期間後正社員になれる者と派遣継続する者とに分かれて俺は後者だった。

なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。

それから数ヶ月ほど経った。

仕事を辞めてすぐは心地よい気分で満たされる。

しかし突然狂ったような他者と自分比較があらわれ、

自分は根性なしの非コミュ人間クズで一生まともな職に就けず

彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。

仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。

日に日に会話力が落ちているのを実感する。

最初の大手メーカーの同期は多額のボーナスをもらってるし、

後輩も俺以上の収入を得ている。

高校・大学同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。

次の仕事は辞められない。

辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。

自殺願望社会に出るまで抱いたことがなかったが、

このところは毎日だ。

ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。

死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。

簡単に辞める。

そもそも自殺後の身内の悲しむ姿を思うと死ねないし、

働くしかない。

このような精神状態だとネット年収関連の話題を見ることが出来ない。

俺は年収100万円程度だ。

逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。

ネガティブ思考に陥り、マッチョに対する嫌悪が増し、

自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。

現在資格勉強をしていたが落ちてしまい、金も尽きてきた。

落ちた資格日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、

計画性のないクズだと思っています。

高校生なら誰でもとれる資格を落とした大卒ゴミです。

落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、

現在並行して一級の勉強もしています。

どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。

年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。

ちなみに実家には帰れない。

近所は典型的農村ニートに対する蔑視がすさまじい。

逃げるごとに何かを失っているというか、

時間だけを浪費している感覚になる。

歳だけ食ったような。

たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、

ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書捏造するしかない。

面接は得意だが保健記録等を調べられると俺の就職破綻する。

そしてヘタな会社に入るのも難しい。

そもそも肉体労働スキルしかない。

やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。

数分に一度自殺することを考えるようになるし、

他人を殺した際のニュース映像妄想するような日々を送ることになる。

これを書いている現在精神が安定していないし、

書くことによって安定させている。

外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、

真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、

それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。

早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所人生の安定を図ろうとする存在になる。

早く仕事を見つけないと。

とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、

結局精神も安定しません。

死にたいですし、街はクリスマスですが

俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。

とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが

なかなかありませんね。

それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、

ニュースを出来るだけ見ないのが自殺を食い止めるコツです。

これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。

元増田は気をつけないとこのような精神になります。

もう死ぬしかありません。

全て自業自得です。

逃げるとこうなります。

新卒の方は絶対に辞めてはいけません。

死にたくなります。

面接苦手でしたらなおさらです。

面接得意な俺ですらこのようになるのですから。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん