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はてなキーワード: 一部の人とは

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081115232636

理系分野の就職を増やそうという事とは別に、日本人全体の理系の素養を高めようという観点も追加されるべき

一部の人間(理系の職種)のレベルを上げるのも重要だけど、理系とは疎遠な人間にもあまねく理系の素養を

くその通りだけど、全体の素養を高めようという試みは既に行われている。

というのも、「高い山を支えるにはそれなりに裾野の広さが求められる」からだね。

また、「高校文系に進路を決める人の多くが、小学校の時分で既に算数嫌い」だということも解っているので

理系離れ対策において、より基本的で全体的な部分の対策が重要であるということはよく知られている。

少なくとも、俺が教育実習に行っていた5年前は、現場でも大学ゼミでも常識だった。

 

そして、横増田が言うように、この問題は「理系」を「学問全般」に置き換えられる。

学校勉強なんか!」と言う大人は、小学校の頃からそれが嫌いだ。

 

だから、教育界のトップは

「難しいことをたくさん教えるんじゃなくて、基本的な部分を丁寧に教えよう」

勉強嫌いな子が出ないように、みんなが100点をとれる教科作りを目指そう」

と考えたんだ。

 

結果が、悪名高い「ゆとり教育」だね。

2008-11-21

スイーツについて本気出して考えてみた

スイーツ(笑)

いわずと知れたネットスラングである。

スイーツとは

定義としてはウィキディアから引用

女性誌、特に女性向けファッション雑誌に多く見受けられるバズワード的なキャッチコピーを用いたマーケティング戦略マインドコントロールされているかのような一部の人たち(主に女性)を揶揄するインターネットスラングである。

(略)

転じて、女性誌に限らずマスコミ恣意的な報道を鵜呑みに信じる者、メディア・リテラシーのない者、ひいては流行快楽ばかりを追従し、一般常識や知識やモラルが欠如した若年女性を総称して指す風潮にある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%84%EF%BC%88%E7%AC%91%EF%BC%89

噛み砕いて言うと、「おいおい。マスメディア戦略がつくった流行にのせられて菓子スイーツとかいってんじゃねえよ(笑)

という揶揄から始まり、

「こういうマスメディアが作った流行にほいほい乗っちゃう女って言うのはやっぱ頭ゆるいな(笑)」という種類の揶揄に繋がるのである。

女性誌が考えそうなキャッチコピーを利用して「マスコミに踊らされる女性馬鹿にする」ことなんですね。

これを初めて知ったとき、私は「言いえて妙だなw」「なるほどねw」とかなり感心したものです。

というのも、確かに日本女性ファッション雑誌競争は激化しており、

より訴求力を高めるために情報の新鮮さや、感性に訴えるようなキャッチコピーが必要とされているのでしょう。

でもそれは単に女性情報リテラシーが低いということを指すものなのでしょうか?

逆に言えば、ターゲット層の女性感性の鋭さをもっており、情報感性で取捨選択できるという言うことを指すのではと思いました。

(もちろん、スイーツ(笑)に代表されるような、“踊らされている”女性も確かにいることは私も否定できません)

時に「論理的でない」ことを男性は嫌がりますが、女性同士は感性ニュアンスで事足りる場合があります。

どちらが高度なコミュニケーションだとは、一概には言えないとおもいます。

というより、ジェンダーが絡むと問題がややこしくなるので、「男は」「女は」という不毛な議論はやめておきましょう。

今回のテーマは「スイーツ」という言葉自体について。

スイーツって言ってもいいじゃない。


スイーツ

私は個人的にこう思います。

スイーツは単なる西洋菓子でもデザートでもない、スイーツなんだ!」

つまりですね、「なんだよ、スイーツって。別にお菓子とかデザートとかで良いじゃんか。なんでわざわざスイーツとか言うの?」

という方に異論を唱えたいというわけです。

女性風に言うと、

「じゃぁ、なんでスイーツって言っちゃいけないの? “お菓子”とスイーツって、違うじゃない?」 ってね。

スイーツ”の歴史

では、何年ごろからスイーツという言葉が定着してきたのか。

メディアを読み解くことからはじめてみましょう。

筆者の属する大学雑誌新聞データベースで検索する限り、

朝日新聞社AERA」で1990年代には初出している。しかし女性向けに書かれたものではなかった。

この記事に関する限り、スイーツ芸術作品であった。

現在の「スイーツ」と同じような意味で全年齢層に向けて書かれたのが、

2002年6月23日 朝日新聞朝刊 『アジアンスイーツランランランキング)』

このころ(2002??2003)を境に、スイーツを関する記事が増えてきた。

西洋菓子産業に関して「スイーツ」が定着してきたようだ。

また、自由が丘にあるスイーツテーマパークスイートフォレスト」ができたのもこのころ。

そしてスイーツ(笑)論争のターゲットにされる、『CanCam』(小学館

こちらが残念なことにデータベースの範囲外で調べることはできなかったのです・・・。

(初出情報をお待ちしております。)

しかし同じ小学館デジタル大辞泉によると、

スイーツsweets

甘いもの。菓子、特に洋菓子をいう。【1990年代後半から】一般に使われるようになった。

[補説] sweetの複数形。

とある。

な、なに!1990年代?!

筆者は87年生まれなので、小学生のころには既にスイーツは一般的だったようだ。

(本当に?)

ネットスイーツ(笑)論争

では、ネットスラングとして使われたのはいつごろなのだろうか?

筆者は2ちゃんねるを利用しないので、過去ログを検証することはできないので、聡明なネットユーザーの方にお任せしたい。

まとめサイトなど初出と思われるものは存在しているのでしょうか?)

一応「バカ女語のガイドライン」というスレ?が初出なんでしょうか。(そうすると2007年?!意外と新しい)

しかし、少なくとも5年前まではスイーツ論争などは起こりえなかったのではないかと考えますね。

10年前に「ちょwwwスイーツwwww」なんて考えられないことです。

(そもそもインターネットはそこまで普及していないでしょうね)

しかし、90年代から使われてきたはずの「スイーツ」が、なぜ「バカ女の代名詞」として使われてきたのでしょうか?

スイーツは時代の餌食に・・・?

90年代以降といえば、

ジェンダー論争の波(女性社会進出)

インターネットの普及

が相まって、それまで問題にされてこなかったような女性特質揶揄されるようになったのでしょうか?

この辺はよくわかりません。

スイーツは、“お菓子”でも“デザート”でもない。

で、本題に入りましょう。

女性が「スイーツ」というとき、それは大まかに言うと「西洋菓子」の事を指す。しかし、厳密に言うと西洋菓子でもないんですね。

もともと、流行言葉を作り出すのは若者が多い。

感覚が鋭いかれらは、属するコミュニティの間でより微妙ニュアンスで物事を伝えたがるのです。

(お猿さんの群れの暗号と一緒なんです。構造は。)

エロ可愛い・キモカワイイと従来の言葉を組み合わせ、

既存の形容詞だけでは言い表せない、微妙ニュアンスを伝えたい欲求があるのです。

同性同士結束したコミュニティを作る傾向にある女性は、(私の周りでは派閥抗争とかしていました。)

こうした「微妙ニュアンス」を感じ取る能力に長けています。 浮気などに勘が鋭い女性もいますね。(これは関係ありませんが。)

つまり女性が「スイーツ」とあえて言う場合には、マスメディア戦略をある程度考慮しても、

それを選択した時点でまるで異なったニュアンス感覚的にかぎ分けて使っている可能性があるのです。


この可能性を鑑みて、知り合いの女性たちにインタビューしてみたら、

スイーツにかんしては、「高級製菓」の事を指す傾向がありました。

“高級”の間は人それぞれですが、

不二家スイーツにはいらない」「コンビニ菓子ははいらない」「パティシエが作ったもの」「スフレやマカロンなどフランスの系譜のもの」「和菓子も入る」

など個人の線引きはあるように思います。


つまり、彼女達にとって「スイーツ」≠「菓子」であり、感覚的には別物なんですね。

もっと広い範囲で聞いてみるとおもしろいかもしれませんね。増田のみなさんはどこで線引きしますか?

「そもそもその感覚こそ、マスメディアに作られたものなんだ!」という人もいるかもしれません。、

そのことを全否定するつもりはありません。多かれ少なかれ我々はメディアの影響を受けているものです。そうでしょう?

しかし彼女達にとっては「スイーツ」は「菓子」でも「デザート」でもないようだということを主張して、駄文を終わらせていただきます

豆知識(蛇足)

お菓子、という言葉漢字が示すように昔は果物のことでした。実はイギリス英語(w)の「デザート」にも同じような意味があります。

本来のSweets駄菓子のことを示すのですね。

日本語の「デザート」は「食後に食べる甘いもの」の意味も付与されているようにに思います。

2008-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20081120080305

つまりは一個人が病んで野垂れ死にしそう(実際はしてないけど)でも、それって、極々一部の人達の問題なんですよね。それ以外の人は、なれてせいぜい野次馬、色々言うのが性ですね。普通の人は感知しない世界です。

あと、生きようとしない人を生かすのは大変です。というか、死のうとする人を助けるのが良いのかどうかって言われるくらいですから、生きようとしない人を生かすのも殺すのも、どっちにしても良いか悪いかは人によりけりです。死んでないですけど。

あと、この事は世界の片隅で起こったことですので、これを元にインターネットがどうこうってのは話にならんですね。今も昔も世界インターネットは人を殺したり生かしたりしてますから。

あと、なんだかんだいっても野垂れ死ぬことなく荻野君の人生が、無事一つのターンを終えて、次のターンに渡ったわけですから、良いじゃないですか。みなさまお疲れ様でした。

コンテンツコンテンツコンテンツコンテンツコンテンツコンテンツコン

はてなブックマーク - 荻野はコンテンツとしてとても面白かった - phaのニート日記

コンテンツコンテンツ言い過ぎてコンテンツゲシュタルト崩壊してくるんだけれども。

コンテンツ - Wikipedia

コンテンツ」とは、映画音楽演劇文芸写真漫画アニメーションコンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報電子計算機を介して提供するためのプログラムであって、人間創造的活動により生み出されるもののうち教養又は娯楽の範囲に属するものをいう(コンテンツ創造保護及び活用の促進に関する法律2条)。


「生み出されるもの」に注意して、次のようにタイトリングしたら波風立たなかったんじゃないかと。

荻野と出会って体験し表出した出来事コンテンツとしてとても面白かった


一部の人は(危なっかしい言い換えしてみるけど)、要は「人がモノコンテンツ)扱いされたこと」に引っかかってるんだよね。

人権の話、かなあ。

そこに突っかかってる人は、上みたいな読み替えすると、頭冷えると思う。

あとなんていうか、最初に触れたように、コンテンツ自体の定義があやふやになってるんで、

モノに言い換えて良かったのかは、よく分からない。

2008-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20081118195039

DNAうんぬんじゃなくて、女にとってその男が他の女に渡したくないヤツだからに決まってるだろうw

そういう趣旨のことをDNAがうんぬんいうエセ科学好きの女はいるだろうさ。

国だかどこかの病院だかが中絶したり離婚した女たちにアンケートみたいなのやってその中にいろいろと書かれていたのがあったと思うから、一度ネットで調べてみると増田が言ってるようなことも一部の意見だってわかるぜ。

離婚中絶者ってめちゃくちゃ離婚経験なし・未婚・中絶経験なしのマジョリティを無視してると思うんですが。しかも日本じゃねーのかよ……文化違うんだから一緒にするなよ。

結局男がどうこうでも自分が云々でもないよ。日本は。

結婚したらまわりが「子供はまだ?」「早く作らないと年取ってからだときついわよ?」「早く孫の顔を見せろ」「子供がいないと半人前」一人目が生まれれば「二人目は?」「次は男の子女の子ね!」「一人っ子はかわいそう」という周囲の抑圧に追われて産むか……となるか、もしくは周りのみんながやってるのにできない自分は欠陥品と思いたくないから作るか、まだ作るかどうか考えてないしもう少し先でもいいし、別に子供がいてもいなくてもいいと思っていたけどできたから産むかとか、将来のことを考えて面倒みてほしいから産むか、まぁそういう消極的な理由がほとんどだろ。産まない理由はいくらでも挙げられるけど産む理由なんて「できたから」それだけだよ。でもそれじゃだめだよって言ってるのがあの十一箇条で、ただそれを言われてしまうとできたからというほとんどの人にとって最大で唯一の理由付けが弱くなるんだよね。まぁ中絶しろとは言ってないのでできたらそのくらいの気概を持ちなさいよという風にも読めるけれども。

まぁ中にはいるよ。男を手放さないために子供作る人も。子供が好きだからっていう理由の人もいるけどね。理由なんて人それぞれ、ほんとうにそれぞれ全く違うんだからあなたが勝手にみんなそうだろwっていうのはなぁ。まぁ一部の人はそうなんでしょとしか。

手放したくなかったら殺すのが一番いいんじゃない。誰の手にも渡らないし、一番いいときの記憶だけ残ってるし。ストーカー殺人ってそういうのでしょ。

まぁでも普通の人はそんなことしないけどね。子供作るより結婚する方が早いし。どんなに浮気をされてても結婚してて離婚届に判を絶対に押さないと言えば離婚はできないわけだし、途中までうまいこと演じてだまして結婚までたどり着けば別に子供いなくても男を手に入れることくらいできるよね。

正直な、結婚したいからコンドームに穴あけましたとか平気で言える女という人種がいることに男としては恐怖を覚えるね。

なんつーか創作見過ぎだと思うぞ。もしそういうのばっかり周りにいるなら住む世界を変えてみるといいんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20081118194209

何を読み取ったのか知らないですが子供は授かり物なので優劣とかないとおもいます。

http://anond.hatelabo.jp/20081118193912

ひどい発言や行動をしないという意味での相手の選別は大事ですよね。

2008-11-16

大麻取締法を叱る

ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。

ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。

拘置所にはいったことのある友人の話では、日本拘置所では、大小便をするたびに

看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」

と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所ポールはどうしているのだろうと案じていたら、

新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。

 ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。

これが日本人タレント大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの

芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズ

ポールマッカートニーなのである。日本人論理としては、ポール・ファンの女の子の、

ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本法律は守るべきだ」くらいの、

はなはだ歯切れの悪いものだった。

 しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。

僕がポールだったら、二度と日本のような遅れた国には来ない。

あの事件のときにマスコミ世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。

事実間題として大麻取締法というのは、高校校則に「股火鉢を禁ず」

という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。

 我々は小さな頃からマンガや読み物で、

 「恐るべき麻薬とりことなった××は、いまや廃人と化し」

 といったような表現を見聞きして育っている。

また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、

「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、

大麻麻薬=悪」という固定観念ができている。

こうした情緒的な固定観念論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって

大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。

たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。

大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。

資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』

チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。

まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカ諮問機関が数年にわたる調査の結果、

マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、

従来の有害説はすべて現在では否定されている。

内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神依存性など、すべて実験リサーチによって否定された。

大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは

「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、

この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインコカインLSDなどに移行していく、というものだ。

この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。

しかし現実の数字はそれを否定している。

それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。

たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、

さらに日本酒ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。

僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。

ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。

踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。

今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、

それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。

ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマークスペインなどは全面的に解禁している。

インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャショップ大麻を売っている。

そんな情勢のもとでポール逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげ日本を見ているにちがいない

「しかし、法律法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。

大麻取締法敗戦GHQ押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。

こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は

現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽法令というのは山ほどある。

かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。

近いところではアメリカ禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。

個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。

現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法ドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。

ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。

我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。

この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。

コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.

それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。

これに対しては意外なことに、ジミー・カーター大統領時代に名言を吐いている。

つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。

つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、

それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。

ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。

ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。

この明快な論理アメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。

新聞を見ていたら、コロンビアマフィアブッシュ大統領暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。

アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。

一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、

日本商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。

要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートコロンビアコカインをつける。

これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中ギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。

大半は正常な企業形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。

暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。

現にいまアメリカイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。

かといって日本大麻取締法がナンセンスなのも事実で、へロインと大麻を同次元で語る論法はまちがっている。

とりあえずはポールがまた捕まらないことを祈っておく。  中島らも 「こらっ」 より引用

経済学離れが問題なのではなく

経済学者以外の経済学的素養の希薄化が問題だと思うんだが、どうだろうか。たとえば、少し古い話になるけど、

2008-09-28 - Economics Lovers Live

どう見ても詐欺か何かの類にしか見えない発想なのに、一部の国会議員までもがまじめにこれを主張してしまうというていたらく。リンク先の議員達の経歴は知らんが、当人達にそれなりの経済学的素養があるなら、こういう怪しいシロモノは最初から門前払いしているはず。類似の詐欺としては「サプライサイドネタがあるが、日経新聞が一時期広告塔みたいな事をしてたっけな。

経済学離れを何とかしよう!」というのは、経済学分野の就職を増やそうという事とは別に、日本人全体の経済学の素養を高めようという観点も追加されるべきだと思う。そうでなければ、理系で、しかもそれなりの地位の人すらいつまで経っても前述のような詐欺カモにされ続けるわけだ。これって、社会全体からしてみればものすごい無駄だと思う。一部の人間(経済専門家の職種)のレベルを上げるのも重要だけど、経済学とは疎遠な人間にもあまねく経済学の素養を持たせていけば、色々な無駄が減って社会が今よりもスムーズに回るんじゃんないだろうか。

from http://anond.hatelabo.jp/20081115232636

てな感じでどの分野についてもいえる時点で元の増田の発想って間違ってるよなあと思ったり思わなかったり.歴史学についても同じような改変ができそう.

2008-11-15

理系離れが問題なのではなく

理系以外の理系素養の希薄化が問題だと思うんだが、どうだろうか。たとえば、少し古い話になるけど、

ジェネパックス 水から発電する新エネルギー=ウォーターエネルギーシステム(WES)の開発に成功

どう見ても詐欺か何かの類にしか見えないシステムなのに、一部の国会議員までもがこれに絡んでしまうというていたらく。リンク先の議員達の経歴は知らんが、当人達にそれなりの理系の素養があるなら、こういう怪しいシロモノは最初から門前払いしているはず。類似の詐欺としては「永久機関ネタがあるが、アントニオ猪木が一時期広告塔みたいな事をしてたっけな。

理系離れを何とかしよう!」というのは、理系分野の就職を増やそうという事とは別に、日本人全体の理系の素養を高めようという観点も追加されるべきだと思う。そうでなければ、文系で、しかもそれなりの地位の人すらいつまで経っても前述のような詐欺カモにされ続けるわけだ。これって、社会全体からしてみればものすごい無駄だと思う。一部の人間(理系の職種)のレベルを上げるのも重要だけど、理系とは疎遠な人間にもあまねく理系の素養を持たせていけば、色々な無駄が減って社会が今よりもスムーズに回るんじゃんないだろうか。

2008-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20081105131547

うーん、個別でしかも割り引きとかはダメなんだよ…。

結局それらの商店街でも、個別でやるから認知度上がらないわけで。

しかも割り引きや飲み屋のビール1杯無料は、さらなる消費が伴うわけで。

「直接的な利益」にはならんのよ。

つまり国が動けよ!国がよぉ!という話。

まあ、一部の人しか選挙に行かない方が組織票が有効に働くから、選挙行きましょう活動は本格化することはないんだろうけどさ。

http://anond.hatelabo.jp/20081105002052

真の「一部の人」ってのは、作品の良さがどれだけ持続できるかが解る人だと思います。

それが一般論として「時代の波に揉まれて」になるのではないかと。

愚者はその瞬間の感激をことさらに褒め称えるけど(それ自体は悪いことではない)、

飽きたらその感激を忘れてしまうのよ。

たとえ飽きてもその瞬間の心持ちだけは忘れない人が「一部の人」になれる可能性が高い。と思う。

小室音楽を叩く系の人に舌戦を挑んでみるかどうか悩んだ結果

とある思い出

中学時代、マッカーサーと呼ばれたロマンスグレーの美術教師は言った。

「本当にすばらしい芸術とは、万人にわかるものか、それとも一部の人にしかわからないものか」

生徒たちは沈黙する。

教室をサングラスの裏からひとねめした後、とくにもったいぶるそぶりも見せずマッカーサーは続けた。

「答えは、一部の人にしかわからないもの、だ」

ざわ・・・ざわ・・・(※誇張)

「真に優れた芸術とは、それが真に優れたものだとわかる能力のある者が見て初めて良さがわかるものである。万人に良さがわかるものは真に優れたものではない」

はりつめた空気を揺り動かすかのように鳴り出すチャイムの音に合わせて振り向くと、

「覚えておくように」

看守の残すそれに似た靴音を響かせマッカーサーは教室を去っていった。

時は流れ

覚えておくようにと言われたその言葉を聞いて以来、わたしはずっとその理由を疑問として抱えながら生きてきました。

しかし、未だにその答えは見出せていません(マッカーサーには怖くて聞けていません)。

「真に優れたものだとわかる能力のある者」とそうでない者の差が、本当の意味存在するのかどうかの、すっきりとした納得がいかないからです。

もっと言えば、「”真に”優れたものだとわかる能力」って何ですか?ってことです。それが「真に優れたものだとわかる能力」だってことを、保証してくれるのは誰なの? わかると思っている人の自己満足ではないの? それとも限られた「真に優れたものだとわかる能力」のある者同士? もしくは「『真に優れたものだとわかる能力』だとわかる能力」のある者なんてのがまたいるの? いずれにしても一部の人にしかわからない良さ、それってその一部の人たちの嗜好とどう違うの?ってことです。

嗜好であるにしても、それがその限られた人たちの豊富な知識や経験に裏うちされたものだってことはわかるのです。ですが、その豊富な知識や経験を有する人だけが「良い」とわかるものが、そうでない人も含めてより多くの人が「良い」と感じるものより上である理由がわからないのです。逆に言えば、多くの人が「良い」と感じるものを、わざわざ「いやそれは本当は優れてないんだよ」ということにできる意味がわからないということです。

それこそ、より優れた芸術作品とは、この多種多様な嗜好をもつ知的生命たちのより多くの固体に、「良い」と認識されるものではないのでしょうか。

ごく一部の者にとっての「良い」ものは、所詮その一部の者たちにとって優れたものでしかない、というわけではない理由はあるのでしょうか。

例えば私は漫画を描きますが、いくら私が技巧を凝らして、「これはすばらしいものだ」と思えるものができたとしても、見てもらった人々に「つまらない」「面白くない」と言われたら意味がありません。

「いや、このコマがこうなっている理由は、これこれこうだから。そしてここに歴史あるあの物語から換骨奪胎した暗喩を印象的に配し、それがまたここの斬新な伏線とのシナジー効果で・・・」等と説明すればできますし、そういう意匠に気付く人にだけ「おー、面白いね」と思ってもらえること、それ自体に意義が無いとは言いません。ただ、気付かないような万人でも「面白い」と思えるものよりそういうものが上だとはとても思えない、思える理由がないのです。

多くの人たちの支持を得ているものは、それだけで価値があると思うのです。

小室哲也の音楽は、大衆支持されこそすれ、一部では曲の軽薄さを馬鹿にされていたりもします。

私も大学のとき、知り合った天才ギター青年に、

小室音楽ってのは、薄っぺらいというか全部こんな感じで、こういう風にすれば全部小室の曲っぽくできる」

っていうのを実践してもらって、

「ほんとだー」

と感心したことがあります。

しかし、私は小室の曲は耳に心地よいと思う”大衆”の1人でした。そして、他ならぬ私が心地よいものは私にとって心地よいものに他ならず、内情を知ったからと言って耳に心地よくなくなるものではありません。私の「良い」は、私以外誰にも覆せないわけですし、それは誰にとっても同じことです。

そして老害へ・・・

そもそも「良い」と言っている人が感じているその良さが、真なる良さなのかそうではない低レベルな良さなのかなど、誰がどのようにして決めることができるのでしょう。決められないのだとすれば、その作品を「良い」とする者すべてが、その作品に対しては「優れたものだとわかる能力のある者」であり、「優れたものだとわかる能力のある者」を多く生み出せる作品ほど、真に良い作品なのではないでしょうか。

もしそうではないのだとしたら、誰かマッカーサー先生の残した言葉に説明を加え、どうか私にもわかるように教えてください。

そして小室哲也は、どんな曲が”多くの”人に「良い」と思われるかに気付いて、その良いものを、「良い」と思われる時期に、できうる限り提供しておこうとした、才能と熱意のあった人物ではないでしょうか。

<<注>> いまも才能があるかはわかりません。そしていくら才能があっても人に迷惑を掛けることは宜しくありません。私が評価しているのは、あくまで彼のかつての音楽に関してのことです。

2008-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20081103224943

嫌な事実だが、生産性の高い一部の人間が、生産性の低いかなりの人間を養っているんだよ。

才能が無い人間東京に来るべき理由が補強されたな。

http://anond.hatelabo.jp/20081103224005

かなり高い確率で正しいんだろうけどさ、増田の言う「才能のある人は誰かが世話を焼いてくれる」って本気か?才能って、発揮する場所が無いと意味無いぞ。地方に、才能を必要としている企業ってどのくらいあるんだ?あと、才能のあるやつが散逸してしまった東京って、楽しいところか?

嫌な事実だが、生産性の高い一部の人間が、生産性の低いかなりの人間を養っているんだよ。

2008-11-01

はてブ2chに次ぐ馬鹿のすくつ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081030/1225376346

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081101/1225476248

これって、ネタとして和らげてあるけど、急所付いてるよね。

tophatenerが対数グラフで表されている通り、エントリ書く人側でみんなに見られてる人は、ほとんど例外と言えるほどの極一部の人

それ以外のほとんどの人は、そんな気の利いたエントリなんて書けないお馬鹿さん達。

でも、はてブはそんなお馬鹿さん達でも、なんかそれっぽい事を言って星を貰えちゃう。

はっきり言って書いてる人の方が全体からすると1%以下の圧倒的に選ばれたエリートなのに、お馬鹿さんが上から目線で頓珍漢な事を言う。

頓珍漢な事でも、お馬鹿さん達にはそれが頓珍漢である事が解らないので、よく解らないまま星を付ける。

星が貰えるもんだから、お馬鹿さん達は一生懸命馬鹿ブコメを晒す。

かくして、ブクマページはうすら馬鹿の社交場と化す。

こういうお馬鹿さん達は相手にしても、まず議論をするための最低限の思考力もなかったりするから、相手にするだけ無駄

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20081101/1225532885 なんて見事。

というわけで、id:aurelianoには真っ黒なエントリを期待したい。

2008-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20081031061227

昨日金融業界の説明会があって、

社会人基礎力には、行動力やロジカルシンキング、チームワークなど12項目があるとおっしゃっていましたが、ロジカルシンキングの問題発見・問題解決能力を身に付けるためにはどのような本が参考になりますか? できれば、具体的な書名や著者、出版社のいずれかを挙げてもらえないでしょうか?」

って質問しようかなと思った。

説明会ではビジネス書を勧めていたけど、学生のうちに参考になりそうな本があるのか怪しいところ(それでも十冊以上はよんだことがある)。だから、聞きたかったんだけど勇気がなくて手を挙げられなかった。

そもそも、「手を挙げる→マイクもらう→所属と名前お礼→質問内容」という順も知らなかったし(手を挙げた人を参考)。

私は底辺大学理系です。理系大学院に進まなければそれまで培った知識を活かせるような職場は少ないと思っている。そして、研究したいことも金もないから大学院には進まずに就職かなと考えています。

高尚な目標を手に入れられるのは一部の人間だけだろうし、働いたことがないのに何が必要かわからない。海外では一度働いてから、勉強する意義を把握して大学に行く人もいるようですが(もちろん日本でもいると思うけど少数だと思う)、わからないものは努力しようがないってことで諦めるしかないと思います。

つまり、4年間の大学生活はモラトリアムを楽しむしかないと思います。中身がからっぽで諦めるか、何でもいいから没頭して中身を詰めるかどっちかしかないと思います。それと、大学の自由は「ある程度利己的になる自由」だと思います。曖昧なのは変わりませんけどね。

大学って別に何か保障してくれるわけでもないんだよなー

最初の頃は何をすればいいのかわからなくて真面目に講義を受けていた。でも、途中からだんだんとわかってきた。

大学で学んだことなんて社会に出ると使えない」なんてことは良く聞くし、その通りだと思っている。でも、どうせなら学んだことを活かせるように努力してみればどうだろうか。そう考えると、大学で学んだ講義はきっかけに過ぎないし、後は自分で学べばいい。もし独学でも学びたいことが出てきたら、その分野の先生に聞きにいけばいい。その分野の先生がいなかったら独学の範囲で諦めるしかない。

何かね、「したいこと」があるわけでもないのに大学に入って、その大学に合わせて勉強していくのがあほらしくなった。この辺は、最初から悟って遊ぶ人や部活サークルに取り組む人、恋愛バイトをする人はすげーなーって思う。大学生として楽しみまくりじゃん。一部の人からは、蔑まされて見られるかもしれないけど、「学費払って卒業単位数が認められたら大学卒業資格がもらえる場」って考えたら、何をしようが自由じゃないか。それで途中でやめたとしても、金払って教育を受ける場は提供されていたんだから、その人の勝手でしょ? 周りに迷惑をかけるのは問題だけどさ。

大学勉強するところだ」っていっても、教授自分本位講義するだけでしょ。教科書の丸写しの講義や長々と思いついたことを述べる講義。厳しい・やさしい関係なく、学べる教授なんてほんの一握りしかいない。こいつ、自分の研究論文のことしか頭にねーなーってのがわかる教授だっているし。

ってことで、座席はいつも前から3番目ぐらいに座っていたけど、真ん中から後ろに座ることにした。後ろは携帯や私語、その他いろいろがあって邪魔だから真ん中ぐらいがベスト単位も優を目指さずに単位が認定されるぎりぎりぐらいでいいやと考えるようになった。

楽な努力で成果を出せたらそれでいいじゃん。無駄なことは極力時間を割かないようにして、自分の強みを活かせることに集中すればそれでいい。あーあ、ゼミとかサークルとか、いいところに入ればよかったんだけどなー。無知は嫌だなー。友達少ないから周りの真似も出来ない。行動力がなかったから目の前のことをこなしていくしかできなかった。

なーんにも保障はされないんだから、利用できることは利用する。無駄だと思うことは時間を費やさない。周りの言葉・行動に安心しない。面白いことには先入観関係なく(遊び、恋愛勉強など関係なく)没頭する。後で莫大な金を返さなくちゃいけないんだから、その辺考えないとダメだなー。

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081025001840

Cキモ

そんなに行きたいならオークション落札すればいいのに。

それもしないで定価で行きたい人なんだろうな。

チケットをみんなで協力して取ったのに一部の人が独占してるとかじゃないんでしょ。

個々の運と努力の結果なんでしょ。

それを「譲らないとおかしい」みたいに言うほうがおかしいよ。

幼稚園とかの徒競走で「1位になれない子がいるのはかわいそう」みたいに言う

モンペみたいなもんだな。

2008-10-28

[]はてなハイク観察記 22

ユーザー「h」の件を一区切りとして、自分なりにひとつ結論が出た気がするのでまとめておく。

なお、以下の文はあくまでわたしの主観に基づく結論であることをはじめにおことわりしておく。

これまでハイク内で大小問題が起こり、収束するまでの流れを見ていて何度か違和感を感じてきた。

わたしはずっとその違和感の原因が分からないでいた。

でもひとつ、「ハイクユーザーが思い込みで見えないルールを作り上げてしまう」ここに違和感の原因の一端があるんじゃないか、ってことに気がついた。

そのルールはいつできたのか分からない。誰が作ったのかも分からない。明確な基準もない。

そしてそれはどこにも書かれていない。

でも一部の人たちは何となくそれを意識していて、その枠の中で動いている。

ハイクはある意味、そのシステムは非常に自由なサービスなんじゃないかとわたしは思う。

例えるなら真っ白なノート

そこに文字を書こうが、写真を貼り付けようが、絵を描こうがかまわない。

あまりに自由すぎて何をすればいいのか分からないから、試行錯誤しながら最初は使ってた。

はじめはきっとそんな感じだったんじゃないかと思う。

そんな中から何となく大喜利的な流れがひとつ生まれた。

でも少しずつ人が増えるにつれて、多様な使われ方が出てくるようになった。

そのうち常駐に近い状態でハイクを利用する人も増え、顔見知りみたいなのもできてきた。

そうして人と人との繋がりが生まれてくると、何となく他の人に気を遣おうという意識を持つようになる。

特にTOPページに関しては多くの人が目にする場所だし、みんなが気持ちよく使える方がいいよねという感じで。

そのためにはある程度ルールがあったほうが良いよね、みたいな流れで暗黙のルールが出来始めたんじゃないだろうか。

もちろんみんながみんなそのルールを知っていたわけではないと思うし、必ずしもそれに納得していなかったとも思う。

あくまでわたしの憶測だけどルール提唱する以外の人で、

「わざわざ外れたことして文句言われるのも詰まらないし、別に意地になって破るほどのことでもないから、何となく収まっておけばいっか」

くらいに考えてたは少なくないんじゃないかと思う。

そうして何となく「ゆるい繋がり」が生まれ始めた。

・・・23へ続く。

2008-10-26

非モテエントリ所感

まず、みんな凄く一般論が好きだということが言えると思う。

自分の経験から帰納して一般論を導くことに凄くこだわりがある。

もちろん、具体例から一般論を見つけ出そうとする努力は凄いものだし、人類はそうやって進歩してきたのだと思う。

しかし、度を過ぎた一般化は偏見差別になる。

例えば、モテ男性にバカにされた、という具体例から、すべてのモテ男性はすべての非モテ男性をバカにしている、という一般原則が導かれたりする。

これはいくらなんでもやりすぎだ。非モテをバカにしないモテもいるし、モテにバカにされない非モテもいる。どちらの具体例も俺は知っている。

自分の持っている一般論を尊重するあまり、単純すぎる二元論もまかり通る。

男性はすべてモテ非モテに分類されてしまうのだ。

また、オサレモテダサい非モテという分かりやすい具体例から、オサレ対ダサという二元論も作り上げられる。

それぞれの間の断絶が物凄く強調される。そういう際立った格差が、今の格差社会の特徴だと言えるのかもしれない……。

けれど、街を歩く人たちは実際そんなにオサレなのか。彼女を持っている人たちは実際そんなにモテているのか。

彼女をゲットした人たちがみんな高度な恋愛テクニックを駆使したとは思えない。

むしろ、現実恋愛なんてもっと散文的でみっともないものだと思う。

普通に服を着ている普通の人たちだって、ファッションに関して何か思想があるわけではないだろう。

恋愛テクニックを磨いたりファッション思想があるのは一部の人だけではないか。

最近恋愛ファッションが物凄く難しいものに思えるのは、それらが業界によって専門技術化されたせいだと思う。

文学音楽に置き換えると分かりやすい。

昔は文豪の小説をみんな読んでいたけれど、今の時代に純文学を読むのは限られた人たちだけだ。文学が専門技術化されたからだ。

音楽もそうで、昔は(今で言う)クラシック音楽をみんな普通に楽しんでいた。いまそれらは専門技術化されて、限られた人だけの楽しみになってしまった。

それらと同じように、恋愛ファッションも敷居が上がってしまったのだと思う。仕事術とか「コミュニケーション能力」とかいうものも多分そうだ。

人間全体が底上げされていれば、専門技術化も悪くなかったかもしれない。

しかし、悲しいことに人間が身につけられる専門技術には限界があった……。

音楽文学ならともかく、恋愛や服を着ることは普通の人が自然に行なっていることだ。

だから、モテでも非モテでもなく、オサレでもダサでもなく、グレーな普通の部分が実際には幅広くあるはずだ。

その幅の広い部分は、専門技術崇拝のはびこる昨今ではメディアが取り上げないので見えてこない。(あるいは、メディア情報源として大きくなりすぎ、具体例が相対的に地位を下げたか……)

非モテからモテへ、ダサからオサレへ、何かとんでもない専門技術を身に付けて大変身しないといけないように思われているけれど、本当はグレーの諧調を少しずつ登っていけば良いのではないか。

まず靴をちゃんと磨くところから始めたり、職場女性に対して顔を見ながら挨拶をするようにしたり。

中途半端で良いし、失敗して良いと思う。普通の人はみんな中途半端だし失敗しているのだから。

ごく限られた自分の境遇から一般論らしきものを引き出して、それで何かに勝った気になるのが一番危険だと思う。

理論というのは、それ自体の正しさや適用範囲とは無関係人を動かすことがあるし、そうして誤らせる。

自分は非モテだからああなんだこうなるんだ、という理論に取り付かれて身動きが取れなくなってしまう。

一般論否定の文章を書いていて最後に一般論を述べてしまうけれど(汗)、非モテの人は理論が好きな人が多いと思う。

論理」というよりは「理論」。あの場合こうなる、という法則を自分の中に蓄積し、それを頼りに生きようとしている人が多い。

敢えて反証を試みようとはしない。

実を言うと俺自身(非モテ)がそうなので、自戒を込めて。(汗)

トラバの指摘を受けて改行を入れてみました(汗))

2008-10-19

伝わってないな・・・ブクマ一部の人たちに・・・

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081016204745

貧困が広まれば治安が悪化するのと同じなんだよ。貧乏になっても強盗を犯さない、そんなのは一部の人間だ、個人差だ、全員がそうな訳じゃない、そうやって自分は違うと思いたいのでしょうけども、どんな聖人であっても、時と場合によっては罪を犯すんだよ。

個人の問題だと思い込むのは、自分を律するという面で意味はあるけど、客観性を見失うと問題は見えてこないんだよ。

男性が常にそういう状況にあると言っているのではなく、条件が重なったときにそうなり得るという話だ。そして、今のあなたは大丈夫でも条件が重なる可能性はありそうなったときには自分も罪を犯すのだと言うことは理解した方がいい。犯罪者もそうなる前は自分がそんなことをするとは思っていなかった。子供の頃は純真無垢だった。じわじわと道を踏み話していった人も居れば、急転落する人も居る。そうした事を踏まえた上で、満員電車という状況が引き金となりやすいというわけだ。貧困の世界で罪に走る人が多くなるように、雄が雌と異常接近を強いられる状況では痴漢にはしる人が多くなる。

それを免罪符として許してほしいとか、許すべきだとは一言も言っていない。個人の問題にしていたら本質を見失い全体として不幸だと言っているのだ。社会にとって有能な人物をそのような状況に追い込まないようにしていくべきだ。

http://anond.hatelabo.jp/20081016204745

中出しハッピー!男女入れ替えver

http://d.hatena.ne.jp/nightshift/20081016/1224155161より改変

中出しハッピー

2年ほど前に、会社の後輩が結婚した。きっかけは子供ができたこと。

彼とは5年付き合ったそうだ。彼はもともと無精子症を疑われる体質だったらしく、付き合って以来、避妊をしたことがないとのことだった。後輩と更衣室で会ったときに「 彼には常に中出しさせてますよ。アハハハハ。 」と、おどけて話していたのをよく覚えている。その話を、私も笑いながら聞いていた。そんなあるとき、子供ができた。

彼の家に行って子供ができたことを報告したとき、彼の両親は泣いて喜んだという。そして、2人の結婚式では新郎新婦共に号泣だったそうな。その話を聞いて気がついた。後輩はふざけたように中出しトークをしていたけど、実はがんばって中出させていてたんだということに。

きっと2人は、もっと前から結婚したいと思ってたんだと思う。でも、彼は自分に子供ができないことで躊躇し、彼の両親も負い目を感じてたんじゃないだろうか。後輩は、それでも構わないと考えていただろうけど、そういう周りの気持ちが分からない子じゃない。だから一生懸命中出しされ続けた。5年間ずっと。

この話を知ってるのは、社内でも一部の人だけだ。だから、その後輩の結婚を大体の人が、ただの「 できちゃった結婚 」だと思ってる。でも、実際には違う。本人は、あえてそういった事情を説明したりはしないけど、私らはちゃんと分かってるんだ。彼女結婚は決して「 できちゃった結婚 」ではないし、その幸せっぷりは「 ダブルハッピー 」くらいの言葉では片付けられない。そう、言うなれば「 中出しハッピー 」なんだって。

後輩は、瞬くんと名付けた子供写真を、今日も嬉しそうに見せてまわっている。

これに対する批判も一緒に。

http://blog.yuco.net/2008/10/nakadashi_happy/より改変

中出しハッピー!」は本当に「いい話」か?

精子症を疑われる男性女性のカップルが、5年間避妊しないままセックスをした結果、女性妊娠したので結婚したという内容の「中出しハッピー! - 増田シフト」という発言が「いい話」として人気を集めています。

発言小町では「いい話」レスが40以上もついていてお祝いムードですが(ほんとにいい話か?という疑問も出ていますが)、私は女性側にだけ都合のいい話だと思いましたし、そういう方向で盛り上がってしまう発言小町って女性社会だな??と思いました。

良かったと言えるのは、子供を欲しがっていたカップルに子供ができた、その一点だけです。

小町コメントでもすでに何人かの人が指摘していますが、男性は無精子症と疑われる体質だったのだから、いつまで経っても子供ができない可能性は十分ありました。たまたま子供ができたからよかったものの、できなかったらどうするつもりだったのでしょう?

かつて封建時代に「婿して三年子なきは去れ」という皮肉がありました。というか、現在でもそう思っている人は多いのでしょうが、この女性の行動はその現代版としか思えません。結婚せずに「お試し」して、妊娠できることを確認したから結婚する。種なし男は欠陥品で結婚に値しないと考えるならば、実に合理的ですね。女性側にリスクはありません。彼が妊娠させられなければ別れて、別のタネのある男性を捜せばいいだけですから(彼女が実際そう思っていたかどうかは問題ではありません。そういう選択肢を残した行動だということです)。

しかしそうやって別れた男性側はどうなるでしょうか? 正直、男性は若いうちの方が結婚しやすいという現実があります。

フェアに行くなら、この女性が「どうしても子供のいる人生がいい」と望むなら、彼とは別れるべきだったと思います。そうすれば、男性には「子供を持たなくてもいい」という女性に出会うチャンスがありますから。さもなければ、子供ができればラッキーだが、一生子供ができない可能性もあることを受け入れて結婚するか、このどちらかです。子供ができさえすれば結婚するが、できないうちは結婚せずに付き合いつづけているというのは最悪の選択肢だと私は思いました。

精子症を疑われる体質の男性は、そのことを恥じる必要はありません。これは、身体障害者とか、在日韓国人とか、被差別部落の人がそのことを恥じる必要がないのと同じです。本来恥じる必要はないが、世の中にはこういった属性ネガティブ考える人がいる、という問題です。男性とその両親はそれを恥じて遠慮していたと言いますが、5年も付き合い結婚も射程に入っている仲なのに、この女性はその「遠慮」を解くべく話し合いなどをしなかったのでしょうか? 不思議です。

元のエントリーでは、「女性は若いうちの方が結婚しやすい」だったのですが、そこもそのまま男女を入れ替えました。最近では男性の早婚化、女性の晩婚化が進んでおり、男女ともにピークは25-29歳である(いずれも初婚率)とされています。また、若くないほうが結婚しにくいとされるのは、妊娠の可否等もかかわってくる問題であろうかと思われますので、それを抜きにして批判のために持ち出すというのはアンフェアな話かもしれません。

yucoさんが元の話を見て、男性社会だなぁと思ったのは理解できなくもありません。ですが、指摘している問題は男性社会とそれを体現していると思える登場人物を批判して終わるものだとは思えません。

パートナーが互いをどう理解し、不妊をどうとらえ、それを二人でどうやって乗り越えていくのか、という問題だと思います。離別、許容、保留、どれをとるかは、二人で決めることです。当然、二人の周囲から大きな影響を受けることにはなるでしょうし、そこに男性社会の問題を見ることもできるでしょう。でも、元の文章からはそこまでの話は伝わってきません。

男性社会依然としてあり、それは多くの問題をはらんでいます。それを問題視するのはよくわかります。ですが、その視点、フレームが強すぎるあまり、ご自身がそう感じてしまった話を、極端にフレームに乗せてはいないでしょうか、自ら影を作り出してはいないでしょうか。影を叩いても仕方がないと思います。

恋愛神経」ってやっぱりあるんじゃないか、という話

http://anond.hatelabo.jp/20081019005946

モテ自意識」を問題にする以前に、たかだか1年でこれだけ成果が上がるのは、先天的才能があるからだと思う。

こんな簡単なことが何十年かけてもできない、非モテのおっさんがここらにはごろごろいるのに・・・!

こういうのって「運動神経」ならぬ「恋愛神経」とでもいうのかな?

ボウリングしたことがない奴をこの前初めて連れ出したら、2ゲーム目でいきなりスコア150オーバーを叩き出した。

たぶん、そういうのと同レベルの話。

この人は「演技」とさらっと言ってのけるけど、それを可能にするには

・自分の客観的パーソナリティの把握

ターゲットにする相手の感情の起伏

場の空気に応じた態度

を適切なレベルで把握する(たぶん理解しすぎてもだめ)ことを前提として、その上で

「その時必要と思われる感情」を外部に向かって、これまた分かりやすく適切な形で表現していかなければいけない。

しかもそのタイミングは常に一瞬!思考経路を迂回している時間なんてありません。

でも文章にするとこんなに複雑なのに、一部の人間にとっては何の苦もなくできてしまうんだよなあ・・・。

だから元エントリは「増田には今まで気づいていなかった才能がありました」、それだけの話としか自分は読めなかった。

2008-10-18

萌え」だの「非モテ」だの「はてな村」だのって結局、

結婚して子供が産まれたらどうでも良くなる。

人は何か満たされていない不安に突き動かされる、一部の人は何か見えないモノに向かう。それが「萌え」だの「非モテ」だの「はてな村」だのって事だ。ここで重要なのが見えないモノって事。見えるモノでは客観的に考えやすく、批判の対象にもされやすい。しかし、見えないモノなら安心だ。自分の中だけのものになるから、他人に批判されても、それは"的外れである"と言い訳が出来る。見えない敵と戦う事こそが重要なのだ。自分も客観的に考えないように出来る事こそが重要だ。

不安に突き動かされる事は何も悪いことでは無い。それが人間の原動力でもある。ただそれが生産性の全く無いモノへ向かうのは・・・意味の無いモノに意味を見出す愚考は止めよう。

あのjkondoでさえ、結婚し、子供が産まれた事で、幻を追うのは止めたんだ。

異性を捕まえられない人、子造り能力が無い人にとっては幻を追う事は必要になるかもしれないけど、そういう能力を保持している人までが、その幻に付き合う必要は無い。

2chニコニコはてなが全てという人は気を付けろ。それらと現実リンクしているうちはいいが、それらの中だけで完結するようになるとアウトだ。

社会人(成れない人もいるが)にもなって幻を追ってる人は放置でいい。

学生やソレ以下の人達は何をして、どう幸せになっていくかよく考えよう。ネット上で虚勢を張るのはやめておこう。ネトゲなんかも危ない。

俺はうっかり、PC-VANNIFTY-SERVE、あめぞう2chUODiablo IIROWinMXWinnyFFXはてな、その他もろもろに迷い込み、はまり込んでしまった。もうはまりはじめて10年以上だよ。10年。危うく性欲を"萌え"に奪われそうになったが、それはたまたまはまり込まずに済んだ。オンライン上で知り合った人ともよく酒を飲んだりメシを喰った。そうやって様々な人達と会って「世の中って結構、自由なんだ」と勘違いをして、会社正論を振りまわし、会社に居られなくなって退職した。ブラック転職を繰り返したが、最初の会社上司があまりに見かねて、イイ就職を世話してくれた。

まともな会社就職してからは、全てがうまく転がった。あれだけはまりこんだオンラインなんかクソの役にも立たなかった。リアルなツテ、リアルな友人こそが人生を豊かにする。webサービスなんて人生を豊かにはしてくれない。

1日3時間オンラインで遊ぶとすると、3x365x10=10950 →約456日 この10年の間、456日間も無駄にした事になる。本当に無駄だった。リアルには役に立たず、人生において何の意味も無い情報は少々残ったが・・・

まあ俺みたいな人間もそうはいないんだろうが、まれに同じような人間を見かける。とても心配でならない。

とくに学生さんが心配だ。オンライン上のモノに感化されるなよ。

お父さん、お母さんが言っていた、「勉強して、いい大学に入って、いい会社に入ってお嫁さん貰って・・・」というのは本当だったよ。今、この現代でも、昔ほどではないが常識として通用すると言ってもいい。

自分はこれから、今までの自分のような人間をとって喰う仕事を始めました。とても気が引けるが儲かって仕方が無い。誰も気が付かない。見えないものを追いかけるのが無駄な事を。バカを喰うのは簡単です。喰われたくない人は勉強して下さい。学生のみなさん、賢くなければ喰われるだけです。気をつけてくださいね。

※追記

文中に明確に解るように書いておいたつもりですが、全ての人がそうであるとは思っていません。

俺に似たバカな人間が一部にいるから、同類は気をつけてちょうだいという話ですので。

2008-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20081017190347

土地収用=居住者と話し合いはしてるし、補償金も出してる。ゴネてるのは一部の人だけ。その一部の人間のために全体が犠牲になってはいけない。

チベット政策=貧しい地域にインフラを整備して近代化についていけるように国語を教えてるだけ。

基本的に中国の国土は所有権は国(正確に言えば地方政府)、そこにだれが住んでいても居住者に所有権はないから地方政府勝手に売却できる。これは他の国では常識的に考えられない。

さらに国が出している保証金地方政府ネコババすることも多い。国が出している保障基準満額で支払っている例など殆ど無い。

また、地方政府地方政府幹部が出資している不動産業者が組んで動く事も多い、基本的に土地の元手タダで売却できるからこんなにおいしい商売は無い。

元々農村戸籍とか都市戸籍とかある時点でオカシイということに気が付くべき。結局m地方政府という軍閥中央政府という権力だけが富む構造になってるんだよ。中国は。

チベットは元々、中国の領土ですらなかったところを強引攻めて、文化を破壊して、人を虐殺して漢民族がどんどん住んでいるのが実情。

大体、なんで長期的にみて自滅確定のようなポンコツ国家なんかになんで併合されなきゃならんのよ。

それに日本教科書検定に干渉する前に、大躍進天安門事件文化大革命もないお前の国の歪曲教科書をなんとかしろよ。

逮捕されるヤツは逮捕されるだけの理由があるんだろ。 西側マスコミは住民側の報道ばかりするからな。判断するには情報が不足しすぎている。

一年に数万人も強制収容所に送り込まれる、しかも裁判無しで。

裁判所行政の一環だし(三権分立さえできていない)、裁判官はもちろん地方政府癒着地方政府のお得意企業とも癒着、まともな判決なんて出ない。

陳情しに、中央政府の陳情窓口に行こうにも、窓口付近に公安がうじゃうじゃいて、窓口にたどり着く前に消息不明になる。

とてもマトモな国とは思えない。

中国政府のやってることは悪くないよ。

土地収用=居住者と話し合いはしてるし、補償金も出してる。ゴネてるのは一部の人だけ。その一部の人間のために全体が犠牲になってはいけない。

チベット政策=貧しい地域にインフラを整備して近代化についていけるように国語を教えてるだけ。

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