はてなキーワード: 一部の人とは
派遣切りが深刻な問題なのはわかるけど、30代とか40代で派遣切りになったとたん住まいを失い、所持金何百円とかでいきなり路上生活って、、、
こういう人たまにテレビにでてるけど、どう考えても本人に問題あるんじゃないのって思う。今まで普通に働いていたのなら、貯金が少なくても30万とかはあるのが普通じゃないかな。それをやってこなくて、いきなり住む場所を失う結果になったのは本人の問題。
都内ならコンビニとか飲食店とかいくらでもアルバイト募集しているから、いざとなったらそういうところで働けばいいと思うけど。彼らは本当に悪循環。
これまであまり努力せずに派遣をやってきて、就職を探してもなかなか就職できないっていっても仕方ない面あると思うけど。正社員でいわゆる勝ち組って呼ばれる人たちは努力や自己投資を少なからずやってきている。そういう人たちはこのご時勢だって選んで転職だってできる。
結果だけに同情するのじゃなくて、これまでの生き方を反省しないと、結局今後も同じようなこと繰り返すだけだと思う。
地方から家族のために生活費を稼ぎにきている期間工の人なんかは職を失って本当に気の毒だと思う。いろいろなケースがあると思うので一概に否定することはできないけど、少なくても一部の人たちは彼ら自身に大きな原因があるってこと。
あ、全世代と比較して?ごめん、同じ学歴・年齢で研究者の道に進んでも、1000万取れるって思われているのかと思った。
同じ大学卒・年齢で比較したら、研究職コースは、高いほうじゃないと思うよ。究極的には、企業から見て、「研究したい」って人と「開発したい」って人、どっちの方に金出したいかっていう話だと思う。現に、自分の周り見ててもそうだもん。とにかく、「研究」こだわると、給料が下がるのは確実。「開発したいです」「技術を生かしたいです」「人の役にたちたいです」って言うと、給料が上がる。
それから、「研究職」なら、どこでも自分の好きな「研究」が出来るかというと、そんなことは全然ない。極端な話、何でも「研究」って呼べるからね。「学問的には、使っている原理/法則が全然新しくないから、研究してもいい論文にはならないけど、商品開発の上では必要なこと」に携わる人も、企業だと、普通に「研究職」って呼んでいるところが多いと思う。本当に自分でテーマ決めて、商品開発ではなく学問的に新規性のある「研究」を行えるところは、いわゆる「企業の研究職」でも、極限られていると思う。
後は、「研究者の給料」って言って、大学教授を引き合いに出すのは例外的すぎ。まず、せめて40代にならないと、なれないじゃん。20代の話でしょ。20代なら助教か、運が良くて講師でしょ。それに、大学教授になれるのは、今20代の人の年代では、本当に極々一部の人だよ。今、助教をやっている人でも、一生大学教授になれない確率の方が高いはず。
そりゃ、大学教授は、年収1000万もらっている。ただ、理系で大学教授になれるような人は、同じ努力で、医師になれた人が大半だと思う。医師と比較すれば、大学教授のほうが給料は低いでしょ。それに、大学教授は、給料自体は固定。頑張っても年収があがる仕事じゃない。だからといって怠けていると、研究費が来なくなって本当に研究ができなくなる。
一言で言えば、やっぱり、給料というのは、社会的ニーズを反映しているんだよ。大学院にいると、世間は「研究したい人」なんか本当は欲しくなくて、「便利なものを作ってくれる人」や「問題を解決してくれる人」を欲しているんだなぁ、というのがよくわかる。だから、研究や論文にいそしむより、商品開発や特許にいそしんだ方が給料が高くなるように、この世の中は出来ている。
なんで「とりあえずビール」なのだろう?
そもそも何がどう「とりあえず」なのか、分からない。
無理して皆同じものを頼まなくてもそれぞれスキなものを頼めばいいだけの話じゃないのか?日本人の全体主義みたいな話になっちゃうか?
なんつーのかな。『女子中学生じゃないんだから「みんなでトイレにいこう」みたいなことを大人がしてどうするんだ?』といった、反発というより、恥ずかしくてやっていられないってとこがある。オッサン連中はそういうのを恥ずかしいと思わないってのが、新鮮だなとも思う。俺らにはちょっと理解できない。
たとえば、別々の飲み物だったら、一斉に揃わない、ゆえに、乾杯ができない。と言うかもしれない。でも、寧ろそこも疑問なんだ。「乾杯」ってそんなに必要か?別にやりたくないわけじゃないが、個人の好みを抑圧して全員無理矢理ビールを飲ませる選択肢をとってまで「乾杯」って大事か?なんか一部の人間に我慢をさせておいて今更「乾杯」なんてとりつくろって「全員の調和」みたいなの目指したってなあ。調和って、別に「皆同じことする」ってのがそれじゃないだろう。寧ろ個人個人は違うのだから、そんなことをしたら余計差がつくだけ。それぞれ違う棒グラフに一律に線をひいちゃったら、そこからはみ出たり足りなかったりする差はそれぞれ違うだろう。そんなことで調和なんて成し得えないよ。
それに、そういうものを目指しているにあたってその着地点が「ビール」であるのも、解せないんだよ。「全員がとりあえず何かおなじものを飲まなきゃならない」という前提を、とりあえず認めたとしても、だったら「ウーロン茶」とかの方が適切であるはずだ。少なくとも、アルコール類は不適切である。アルコールを飲めない・苦手な人が日本人には結構多いことは周知の事実だ。体質的に、日本人はお酒に弱い人が欧米よりも多数存在する。そんな日本で「とりえあず」をやる際にアルコールをチョイスする、というのは全く理にかなっていないわけだ。
だから彼らが、「とりあえずビール」で何を目指しているのか分からないんだ。調和したいのかしたくないのかどっちなのかと。単なるマジョリティであるビール党の自己満足に過ぎないんじゃないかって。だとしたらそれはマジョリティによるマイノリティへの暴力だから断固粉砕すべきであるわけなんだよ。「とりあえずビール」党の反論はそもそも「ニッポンジンのジョウチョってのはナァ」とか情緒的感情的なことを酔っ払いのように言って自己陶酔しているだけで話にならない事が多いのだが……その種の「オッサン」(年齢的な問題ではなく)は、スイーツよりよほど話し辛い相手だと感じる。彼らは実に感情的且つ暴力的で、本当に始末が終えない。
一部の人の強欲さが原因とも思えないが。人間なんて多くの人は私利私欲に走るもんだろうに。自己利益なんかどうでもいいと本気で思ってるなら自分の生活が苦しかろうとなんともないはず。
人として扱わないというけど後進国じゃもっと待遇悪いわけでそういう意味では先進国の労働者が強欲すぎるという面があるのでは?
一部の人の強欲さが今回の人災の一次的な要因だと思うので、とりあえずそのあたりは追及したいです。
それを加速させた「システム」そのものは、もはや一国の政府がどうこうってレベルを超えてしまっていると思うので、実は今のところあまり叩く気になりません。
(むしろ大災害発生時と同じような迅速な動きができない今の政府の状況こそ問題視したい)
従業員を人として扱わないような自動車会社が生き延び(それですら赤字だけど)、従業員を手厚く保護したら会社ごと潰れる。
もうこれは一国の政策がどうこうって以前に、資本主義とかグローバリズム自体の本質的な欠陥としか思えない。
そんな感じで。
ミニスカートと膝より長いオーバーニーソックスの間に生じる地肌の部分を指す言葉だ
もちろん、最初に雑誌やニュースサイトが新語、流行語として紹介した時ネットの住人達は
「何ソレ?」「聞いたことねぇ」「誰がそんな言葉で呼ぶかよw」という反応をした
他に呼び名が無かったからだ
メディアの強みの1つに、誰も使ってなかったor一部の人しか使っていなかった言葉を大衆語にするというものがあると思う
だから、それらの言葉もお前が作ってしまえ。そして草の根的に広めるといい
増田でしか通用しない横文字とか(認知度が低いだけの既存の言葉だとしても)いっぱいあるし、それに紛れ込めるかもしれん
そしてそれが世間一般にも通じる事となったら、少し、楽しい
の増田さんへ。
自分は学位を取った後に企業で開発の仕事をしています。専攻は工学部の機械とでも言っておきますかね。
多々意見のある方もいるとは思いますが、それらのうちの一つとして捉えて頂ければいいかと思います。
まず今の世の中で博士課程に進むことについてですが、これはお薦めできないです。
いくつか要因があって、それらは聞いたことがあるかもしれないですが、代表的なもので、
とかでしょうか。
この辺は散々一部の人達の中で論じられてきたことなので、その辺を参照頂ければと思います。博士課程に進むとして、全部現役でいったとして、修了が28歳ですよね。修士で就職したとすると、3年間のブランクがあって、その間の平均年収が低く見積もって300万だとして、-900万です。
しかもその後ポスドクという丁稚奉公を3年、あるいは、3年を二度繰り返して、6年する公算が高いです。産総研とか行ければそうとも限らないですが、あれもパーマネント審査とかありますしね。
で、その時点で31か、34です。三十路まで定職がないことが耐えられるかという問題があります。しかも、周りは結婚とかしてる訳で、その辺を気にしないことができる鈍感さがないと厳しいかもしれないです。
その後はというと、その3年、あるいは6年のうちにどこかに食い扶持を探さなければなりません。
因に、現在のところ、アカデミックポストのパーマネントポストへの求人倍率は120倍でして、その競争に3年か、6年のうちになんとか食い込む必要があります。よしんば、3度目のポスドクのポストを手に入れたとして、それが終わるのが37でして、その年齢になったらもっと若くて優秀な人材を育てたいからとかいわれたりなんかしてということも考えられます。
じゃあ民間企業への就職はというと、その辺は自分はあんまり苦労はしなかったのでなんとも言えませんが、一部の方々は学位を持ってる人間を毛嫌いしてくれる傾向にあるので、どうなんでしょうねえと思います。
確かに大学の研究は企業の求めてるものと乖離してる部分があることは否めないのですが、だからといって大学は共同研究の相手として、ソリューションだけ示してくれればいいという姿勢には賛成できかねるものもあります。ただ、その辺は会社というのは金だけで動くものなので仕方ない面もあります。
じゃあ大学はそれで良いのかというと、そうとも言い切れないもどかしさもあります。こと、博士の審査っていうのは今でもかなり閉じた感があるので、企業側としては本当にその学生の品質が保証されているのかという確信が持てない訳です。修士くらいなら自分のところで育てるけど、博士くらいになると、年齢的にも企業側で教育する時間はその人には残されてはいないと言わざるを得ません。
そういうことで、博士課程に進んでしまうと企業への就職はかなり厳しいものになると考えられます。
ただ、もしあなたに強力なコネがあるのなら、その辺りで引きがあって、どこかしらの大学なり、研究所なりで助手とかで引っ張ってくれるかもしれないですね。
そうしたらその後は順々に階段を上っていけばなんとかなるかもしれないです。あの世界は入るのは難しいけど、入ったらこっちのもんだ的なところが多少あるのです。
しかしそれでも予算の獲得とか、煩雑な事務とか、共同研究の圧力とか、バカな子供(学生)の面倒見だとかその他諸々の煩雑な仕事があるのでそれが良いとは言い切れません。大学の先生が優秀かというと、必ずしもそうとは言い切れなさそうな方が紛れ込んでいたりするのもこれまた事実な訳でなんとも良く分からない世界ではあります。
元増田さんもまだまだ若いのだから、色んな人の意見を聞いたり、企業へインターンへ行くとか色々とやってみて決めれば良いと思います。
ただ、気がついたらそれをしていたくらいの感じでないと厳しいのかもしれないです。それでもあぶれる可能性は多分にあるので、私個人としては今の時代には博士課程に進むのはお薦めできないです。費用対効果を考えれば、の話ですが。
その一方で、会社というのは常に悪巧み(良い意味の)をして、世間をあっと言わせようと従業人ン百人なり、何千人なりを総動員して動いてる組織な訳で、そこには当然色んな人が色んなことをしていて、自分の世界が広がるとか、世間の要求がどういう所にあるとか、そういうのを肌で感じられるという点では大変面白いです。客や経産省と直接付き合いがある分、産業界や、世間へのアクセスが近いんですよね。そしてそういう所でも研究的な要素は必要だったりする訳で、研究するならアカデミックでというのはどうなんだろうとも思います。
http://d.hatena.ne.jp/Hash/20081219/1229690768
というエントリが盛況らしく、実際に非常に分かりやすく書かれていており、すばらしいと思う。
ただ、分析をしっかりしすぎた結果、簿記ちょっと難しくね?という印象を持たれかねないと思ったので、
シンプルにこれだけやれば受かりますよという間口として分かりやすさが必要と思い、別のものを書かせてもらった。
これをみて難しいと思うかそうと思わないかは個人次第。基本は時間かければ誰でも受かる(受かっている)。
2級を取ったから財務諸表を読みこなせるとかないから(笑)あくまで入り口。そして、その入り口が大事。
たとえば、新聞読もうにも、日本銀行って何?赤字国債と建設国債の違いって何?だったら話にならないでしょってこと
多くの人間にとって、概念を知ることとそれを使いこなせることは違う。一部の人間を除き、方程式の解き方を知ることと実際に試験で
制限時間に自分の頭だけで方程式の問題を解くこととは違う。その例に漏れず、簿記も実践に時間を割きたい。
まず、3週間で受かる方法としては、2級は3級を内包すると割り切ることである。
(実際は95%位かもしれない。2級受かって3級落ちるというのはありうる)
3級 概念 3日間 実践 3日間
2級 概念 4日間 実践 11日間
という3週間の割り振りである。正直、概念掴みに時間をかけすぎな日程だと思う(特に3級は一日で済む)早めに実践に移ってもらいたい。
この日程は簿記を受けた方も受ける方も無茶だと思う人がいるだろう。
(受けて合格した方の多くはこの日程でも大丈夫と分かってもらえると信じる)
しかし、近道というものはあるもので、概念掴みにお勧めできる参考書というのがあるからこの日程に自信を持っている。
これは一冊7daysと書いてあるが、目を通す、ざっくりとした理解をするだけならば、
3級は1冊3時間かかるかどうか、2級は商業、工業含めて8時間かかるかどうかというところだろう
(各項1題の練習問題があるがこれは30秒考えた後、答えを見て理解してほしい)
重要なのは、あとで手で書けば分かりそうなものというのは概念だけ理解してとっととやめるべきである。
2級までの簿記は難しいことなどなにもやっていない。ただ問題を解くのに時間はかかる。
テキストは単なる字引で、そのアクセス方法を知るためにテキストに触れるってだけ。
まず、イチローのスイングとは何かを知りたい。これはイチローの打席の映像を30秒見ればそれで済む。
問題なのは、その映像を見た後、本当に自分がイチローと同じスイングが出来るかということである。
そのためにはイチローと自分のスイングをカメラで比較したり、イチローと同じ筋肉のつけ方をしたり、同じ経験が必要かもしれない。
かなり似たような、そして大リーグで活躍できるようなスイングの体得でも数年以上は必要だろう。
長くなったが、概念をつかむことと実践はあまりに違う。なので早く実践に移るべきである。
そして、簿記の過去問を10回ほどやれば分かるが、簿記にはパターンがあり、それさえ抑えればほぼ確実に合格できるのだ。
これを体で分かってほしい。
合格するための過去問題集 日商簿記3級―’09年2月・6月検定対策 (よくわかる簿記シリーズ)
合格するための過去問題集 日商簿記2級―’09年2月・6月検定対策 (よくわかる簿記シリーズ)
すこし値は張るが、使いやすい過去問集だと思う。
ここで、重要なのが、3級の扱いである。2級で合格点を出せるようになれば(商業簿記、工業簿記比率よく)、3級で合格点を取ることは
容易である(そもそも2級受かれば3級落ちてもプライド以外何も傷つかないが)。
目安としては次3級の問題を解けば60,70点くらい取れそうだ。となれば速攻、2級の勉強へというのを参考にしてもらいたい。
2,3級ともにだが、はじめは20点取れれば御の字だと思っていい。
というよりそもそも、1回分通しでやれる強靭さは多くの人は持ち合わせていないため、大問1で解答を見る誘惑にさらされ、見るはずだ。
見ていい。
1回分やれる気になった時点で50点以上は取れるだろう。
一つだけ言うと、工業簿記は慣れと6パターンくらいしかない問題のとき方の暗記であり、過去問を6,7回やれば仕方なく身につく。
工業簿記を苦手に感じるというのは単なる練習不足で、それはテキストを見ることではなく、問題にあたって解決できる。
ペースとしては、1日、躓いて即解答を見ながら1回分やれれば望ましい。
3週間というのは含みを持たせた期間設定であって、
3級 概念 1日 実践 3日
位が可能な理論値だろう。しかし、こんなことは1,2割の人しか出来ないので1週間含みを持たせた。
一番重要なことを後ろに書くのもなんだが、簿記2,3級を独学で同時に3週間受かる方法は一日2、3時間
(3時間は多すぎ?また、理論値ほどではなくても順調に行けば最後の4,5日は調整期間でほぼ無勉)の支出が必要。
なので40から50時間くらいは勉強が必要と思う。これを多いと見るか少ないと見るかは人次第だが、
タイトルの割には時間かけてるなという感想を持つ方は多い気はする。
最後に。使うテキストでは対応不可能な異常に難しい試験のときがある確率は否定し切れません。それはもう仕方ないということで。
あと、落ちても次に受かればいいだけの話ですから次の申し込み日を忘れずに。受かったところで自慢できる資格では絶対ない割には、
はてな村の古参であり みなに愛されている ほぼ無言キャラであったはずのあなたが
突然 語り出したので 驚きました。
Hatena::Todeskin::G::Ubuntu - todeskinグループ
あなたを誹謗中傷した一部の人々は 骨の髄まで腐り切った唾棄すべき輩だと感じました。
でも とても複雑な気分になりました。
あなたの素早いブクマをいただき 過疎ダイアラーな私でも何度か励まされました。
そのことについては とても感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ 残念なことに 悲しい噂は広がりすぎました。
id:Ubuntuを 捨てるべき時が 来たのではないですか?
ご自分の分身ともいえる名物idです。放り出す気持ちにはなれないとおもいます。
プライベートな事情を干渉して悪くいいふらす人の悪質さには腹立たしい気持ちでいっぱいです。
でも もうはてな村の人達は あなたのidを見るたびに ネガティブなエピソードを
そのたびに心の中で思い出すでしょう。
口にするのも憚られるような下品な枕詞付きで あの...ね、と ささやき合う時間が
継続していくことになります。
それは UbuntuさんとUbuntuさんの大切な人、触れて欲しくない記憶、が 傷つけられ
損なわれていく時間です。
あなたのidが現れるたびに 負の感情が他人に起きることを止めることはできません。
ブログの炎上はよくありますが、あなたの場合はidが炎上しているのです。
id:Ubuntuさん、おせっかいを承知で 申し上げます。
喪に服す気持ちで idを捨ててください。
いつか 村人達が忘れ去り 静かな時が戻ったら
新しいidで 気持ちよく戻ってきてください。
悪いことをしたわけでもないのに逃げているようで不本意かもしれませんが
男が大切な人を守る為にはなりふりかまわず捨てなければならない時があるのです。
お金を払ったから 今は安定してうまくいっているからいいという問題ではなく
はてな村の住人として けじめをつけるべきです。
追記1
をかいたおデブさんへ。
id:Ubuntuに自分の好きな人格付けをし→好きな人格付けとはどの部分ですか?わたしの好きな人格をなぜ知っているのですか?
レッテルを張り→レッテルとはどのようなレッテルですか?あなたが私にしていることはレッテルはりということはわかりますが。
崇拝し→崇拝?してません。普通の人だと思っています。
自分の意に反した行動→別に意に背く行動をしていないと思います。
途端に批判する→批判していません。
ID部分ををアイドルに置き換えてもおk。→どうやったらそういうひねくれた思考ができるのか不思議です
きもいよ→あなたに好かれなくて本当に良かったと思います。どうぞ嫌がってください。
追記2
ブコメについて
id:Captain-Yの「引退を薦めることで追い出そうとするメソッドに見えなくもない」という
はてぶ名物腹の探り合いによる ネガティブコメントに影響されたコメントがいくつか
(どうして考える必要も無いことを悪くこねくりまわす人がこうもいるのだろう?)
あったのですが id:Ubuntuさんに向けて書いた内容を ご本人に誤解されるのは
残念なので(これでもできるだけ誤解のないようにがんばって書いたのですが
筆力不足のようで 申し訳ない)はっきり叱っておきます。「id:Captain-Y氏ね」
はい 以上です。
その他の似たようなブコメいくつかへ
そもそも 追い出す?ってなんですか?どういう仮想現実脳?
仮に「追い出し」なるものをして 得をする人がいるのですか?
なにがなんでもアラを探してつついてやろう的思考にはついていけません。
追記3
id:Ubuntuの人が今何を思っているかどうしているかはわかりません。
この先どうするのかも どうなっていくかも どうにもならないのかも
ご本人の行動次第で 誰がどうするものでもないことはわかっています。
物事の感じ方もそちらは男性なので私には理解し難い面がありますし。
ただ Ubuntuさんに関する噂の状況を見て
どうしても逃げろと言わずにはおれない気持ちになるような
救いたくて書いたということは事実です。(そういう意味ではエゴです)
自分語りをする気はありませんのでこの話はここまで。
ついでid:ululunさん 煩悩是道場 いつも楽しく読んで...
といいたいのですが 近頃 引用が多すぎて 読みにくいです(泣)
たまに 目がしょぼしょぼする日でも さらっと楽しめるような
エントリも混じっていると 嬉しいな(^ ^);
id:sionsuzukazeさんの分析面白いですね。リアルではどこの村にお住まいなのでしょうと
いう想像が膨らむお説です。(土葬とか人柱とか姥捨て山がありそうなかんじの)
よく考えると 村八分の空気などどこにも生まれていない。噂が広がったとはいえ
一つ一つの嫌悪感であり一つ一つの弁明なり解説であって連帯はしていないのですよ。
ネットで意見を発信していると錯覚するのですが 私たちはパソコンの前にいる時
(オフ会でモバイルを持ち寄って身を寄せ合っている場合を除いて)孤立しています。
そうだね、こうだね、と 同意しているように見えても 自分の言いたいことを
言っているに過ぎないのではないかとさえ思うときがあります。
Ubuntuさんを批判した人達は 確かに酷いことばかり書きましたが
彼等を駆り立てた怒りの原因はそれなりの内的な動機なり、理由があるはずだ、
とも 思っています。(渦中の女性への愛やシンパシーではないかと思います)
それらをひとからげに 空気 とまとめてしまうには あまりにも軽すぎる。
まあどんな形であれ性欲の処理はとても難しいことなのだ。
わたしは女であるので我を忘れるほどの性欲を感じることはほとんどないしあったとしても道行く誰かを連れ去ってまでもいたしたいという気持ちにはならない。それを実行したところで腕力や物理的な問題を考え、また妊娠や逆に暴力を振るわれることを考えるとリスクが大きすぎると判断する。
その辺男の人は大変だ。物理的問題は乗り越えられるものとして存在し、我を忘れるほどの性欲は野放しにもできるし野放しにしないこともできる。選択肢が自分の手元に残されている。普通ならば野放しにせず、それを受け入れてもらえるであろう対象に向かい我を忘れるほどの性欲は注ぎ込まれるのだろう。
今回の人を変態であるとか障害があるとかアニメについてとても知識が詳しいからだとか自分から切り離して考えることはできる。自分とは違う異なる人種で我を忘れるほどの性欲を野に放った別の種類の人間であると定義することはできる。しかしどんな形であれ、自分の思うままに相手を支配し、最後自由を奪う行為を行うことは一部の人間にはできる。
それを念頭におかず非難をただすることができるのだとしたらそういう腕力をもった人をわたしは信用しないし薄気味悪いと感じる。
秋葉原の週末には、路上でテレビカメラを構えた集団や、インタビュー取材をしている風景が珍しくなくなった。萌えやアニメ、ゲームで話題になり始めたころから醜聞が期待されているのではないだろうか。夏の無差別殺害事件後がその頂点かもしれない。それでもやはり「行かないことが正解」な街だと認識されているように思う。もしかするとテレビ経由でしか見ない遠方の人だと心理的距離はアフガニスタンと同じなんじゃにないだろうか。
アニメ、ゲーム、マンガを日本の産業として輸出しよう! なんて実はとてつもなく恥ずかしいことで、関係するのは東京のごく一部の人だけで地方には産業として根付くとは思えないし。官僚陰謀論的には大規模建設が関係しない二次元産業は興味の埒外なんだろう。どの産業の従事するには技術がいるしね。そうそう従業者が増えるわけではないし、増えてもたいしたことがないし。
だから興味を持たなくていいように、関係できなくていいように、できない自分を守るために、秋葉原には醜聞が必要なんだと思う。それだけじゃなく秋葉原を連想させる犯罪は大大的に取り扱われる。
「うちの子はオタクじゃなくて本当によかった」と安心できるように。家族で見られない深夜にテレビを見るのは悪習で、放送が深夜に固まるアニメはその象徴。そんなものを見ているから犯罪を犯し、インターネットは(以下略
(http://www.kev009.com/wp/2008/11/on-file-systems/)
訳した。分からなかったところは英語のまま。ファイルシステムについて完全な素人なので変な所があるかも。
ファイルシステムはOSの重要な要素だが最近ではあまり関心を払われていない。ビットが入ってきてビットがでていく……デスクトップシステムにとっては、たいてい十分に働いてくれる……ただし、電源が落ちるまでは。しかし、そんな状況ですら近頃ではあまり困ったことにはならない。
Linuxのファイルシステムの分野には競合製品が多い。ext2が長い間標準とされてきたが、2001年辺りから他の選択肢も主流となった。あまり歴史に深入りせずに要約すると(順番は適当)、ext2が進化してext3となり、ジャーナリング機能が付いた。ReiserFSがリリースされた。SGIはXFSを移植した。IBMはJFSを移植した。
いくつかの理由があって(主に政治的な理由で)ext3がLinuxのデファクトのファイルシステムとなった。
私が古典的ファイルシステムと呼ぶとき、基本的にいつも同じ概念を指している。つまり古典的なUnixレイアウトのファイルシステムにジャーナリング機能を追加したものだ。ここに述べるのは、それら古典的ファイルシステムのハイライトである。
これは後知恵だが、JFSやXFSが牽引力を持たずに、ext3が人々を古典的時代に停滞させたのは一種の悲劇だった。しかしながらext3は信頼性を証明し、きちんと動くように一貫として保守されてもいる。
2005年にSunはZFSという爆弾をリリースした。ZFSは私が次世代ファイルシステムと呼ぶ時代への案内人である。
ハードディスクが大きくなるにつれて、バックアップの戦略、完全性(integrity)の検証、巨大なファイルのサポートは前より遥かに重要になってきている。
ここあげるファイルシステムは古典的なVFS lineを曖昧にしたりLVMとRAIDを強固な結合することによって管理を楽にする事を目的としている。
ダメなハードウェアで起きる静かな(観測されない)データの破損も心配の種である。これに対抗するために、次世代のファイルシステムはチェックサムを供えている。
いろんな意味でLinuxのコミュニティーは完全に油断しきっており、多くの開発者はZFSがリリースされるまで次世代ファイルシステムについて真剣に考えてこなかった。Reiser4はいくつかの新しいアイデアを持っていてキラーファイルシステムとなろうとしたが、Hans Reiserは、他のカーネル開発者との著しく酷い関係を楽しんでいたのだった。ただ幸運な事に、いまではいくつかの、より先進的なファイルシステムが登場しようとしている。
kernel 2.6.28と一緒にext4がリリースされるが、BtrfsやTuxs3が安定するのを待った方がよい。Btrfsの開発陣は短距離走開発を行っているので、Linuxのカーネルの開発サイクルに次か、あるいはその次で取り込まれると思われる。
SSDが普及するのは明白だ。理論的に速度の面で磁気ストレージより圧倒的に早く、現実にも既に書き込み速度が追い付きはじめている。最新のIntelのランダムアクセスやIOPSは非常に印象的である。Btrfsは当初からSSDへの最適化を取りいれようとしている。しかし、これらの新しいデバイスは、更に速度の早い新しいファイルシステムを生むだろう。
私自身の考えでは、ウェアレベリングやFATエミュレーションがSSDの性能を押し止めているため、 新たなファイルシステムが登場すればパフォーマンスを改善できるだろう。
そうだね。
これでtwitterも東大卒業生も文京区住民も東京都民も日本人も地球人も男性も人類も哺乳類も動物も生物も犯罪予備軍の巣窟ってことになったわけだ。
いや、id:realiste0がやっただけで、普通の人は関係ない、なんていうのは「一部の人メソッド」だよな?
http://anond.hatelabo.jp/20081017230708
ここを見て改めて思った。
空気読め文化の強い日本では、普段、実社会で生活している分には、口論にまで発展することは少ない。
相手が自分の好きな物や信じてる物を否定する言葉を言っても、その場はスルーしてしまうからだ。そして人によっては後で「あんなこと言ってアイツ馬鹿だな」と本人のいない所で陰口を叩いてスッキリし、また空気読め文化社会に戻っていく。
だが、空気を読む必要の薄いネットでは、頻繁に口論や議論が発生する。意見の対立など日常茶飯事だ。
そういうのを見ていて時々思うのが、「なぜ、ほんの少しでも客観的に自分のポジション(自分が擁護している物、あるいは自分が否定する論拠)を見られないのだろう」ということだ。
恐らくそういう教育をされて来なかったのだろう。日本人はディスカッション能力が低いとよく言われるが、多分事実だ。
例
B「でもGoogleには○○とか××とかの問題点や欠点があるじゃない」
A「そんなことはGoogleの理念の前には問題ではない。Googleは完璧だ」
B「いや、確かにGoogleの理念は素晴らしいと感じる部分もあるけれど、それでも○○とか××といった欠点が存在するのは事実でしょう」
A「Googleにとって、そんな物は欠点じゃない。そんな点があるからといって、困ってる人はいない。みんながGoogleを使うのが証拠だ」
B「いや、確かにみんなGoogleを利用しているけれど、全く不満が無くて利用しているわけではないでしょう。不満を持った上で、それでも現状ではベターな選択だから使ってるという人もいるわけで」
A「そんな連中はごく少数だ。普通は嫌ならYahooを使う。Googleを使っている連中がこれだけ多いということが、Googleには何の欠点も無い完璧な物だという証拠だ」
B「いやいや、私もGoogle使うけど、Googleに不満が無いわけじゃないよ。不満があるけれど使ってる」
A「ならそれはお前がごく少数の中の一人というだけだ。他に不満があって使ってるなどという人間は見たことがない」
B「僕の周りには結構いるよ」
A「それでもGoogleを使っているのであれば、それはお前が挙げた点が、結局Googleの欠点でも何でもないということの証明だ」
B「欠点や問題点の定義について話をしたいの? そりゃ最大シェア獲得している物が完璧だという定義で見れば、今のGoogleは成功しているし、欠点は無いということになってしまうよ。でもそういう定義で話しているわけじゃなく、成長余地も含めて、完璧かどうかを言っているわけじゃない。最大シェアを獲得している内は意識されなくとも、対抗サービスが力をつけたら色々問題が浮き彫りになるのは想像できるでしょ」
A「意識されないなら、それは存在しないのと同じだ。Googleに欠点など無い」
B(ダメだこりゃ……)
A「はてななんてクソじゃん。内輪でクネクネやってるだけだし、ユーザーだってアメブロの方が遙かに多いし。使ってる奴はアホだね」
B「はてなのサービスに様々な改善すべき点があるのは事実だけれど、ユーザー数の多さがクソかどうかとは関係ないんじゃないかな。それともユーザーが多い物が良い物で、少ない物はクソだと言いたいの? それだと、アメブロよりユーザーの多いサービスはアメブロより良くて、それより少ないアメブロはクソだということになっちゃうけど」
B「具体的にどの辺がクソなのかな」
B「書きにくいのは認めるけれど、はてな記法は一々htmlを記述しなくてもある程度の表現が出来るから、あれを好む人もいるんだよ」
A「あんなクソなのを好んで使うとかただのアホじゃん」
B「君にとってはクソかも知れないけれど、一部の人にとっては使いやすいわけ」
A「使いやすいとかアホか。本当に使いやすかったらもっとユーザー増えてるはずだろ。はてなのユーザー少ないのが使いにくい証拠」
B「いやだから、それは多数にとって使いにくいだけであって、使いやすさってのは人それぞれ変わるから、一部の人にとっては使いやすいんだよ」
A「一部って誰だよ。俺の周りは誰もはてななんて使ってないぞ」
B「私は使ってるよ。それに、はてなユーザーは他のサービスではなくはてなを選んだわけだから、やはりはてなを選ぶ何らかの理由があるんでしょう」
A「それはアホが多いだけだ。はてなはクソだ」
B(ダメだこりゃ……)
ネットだけなら関わらないようにすれば済む話だが、実際にこういう主張をする男が身の回りに多くて困る。
男のプライドという物もあるんだろうけれど、極論や自分の好き嫌いだけで持論を展開するだけで、正当性なんかは一切無視。
話していてもウンザリするだけだ。
かといって、その場だけ「はい、その通りですね。あなたの言うとおり○○は素晴らしいですね」と言ったらその後○○の素晴らしさを延々穴だらけの理屈で語られるだけだし、そういう方法はとりたくない。
こういう人たちと上手く付き合う方法はない物か。
俺は自分が嫌いだ。
その理由は欠点だらけで自分のいいところなんて一つもないから。
じゃあ自分の好きなところが見つかれば自分を好きになれる光明が見出せるんじゃね?
ってことでちょっと考えてみた。
そういえばうちの高校での卒業制作はクラスの自分以外の人たちの良い所を書いたものだった。
それが封筒に小さい紙を束ねて入れただけのもので、自分はチープだなあと思ってたけど、
今思えば、わりといい線突いてたのかもしれないね。
そこまで関係を持たない人の良い所を見つけるなんて、お互いに有り得るのか?とも思ってたし、
一部の人に皮肉を書いただけで、後は全員共通で当たり障りの無いことを書いておいた。
(最初は別に良い所でもなんでもなく「くたばれ!」としか書いてなかったけど、注意されてやめた)
そこからしてまず狂ってるよな俺。
もらった封筒の中身を見たことは一度もない。
同じように客観的に得点として評価してもらえるシステムに色々興味はあるんだけど、
Twitterのふぁぼったーは赤favもらったことが一度もない。
はてなスターももらったことはない。まあそもそも増田ではてなスターもらえるかはわかんないけど。
記事のはてブのついた数はなんか違くね。
じゃあちょっと自分の長所について考えてみる。まあないんだけどさ。
一度でも人から言われたことそうでないこと、思い当たる節を探ってみる。
・ゲームについてそれなりに知識がある
んなもん三文の徳にすらならないでしょ。
それにDQとかFFとかゼルダとかFEとかMOTHERとかポケモンとか一回もやり通したことないんだよ。面倒くさい。
その上腕前がヘタクソだ。
大魔界村1周できないんだよ。怒首領蜂大復活1周すらできないんだよ。
ヘタな癖に知識だけを高らかに語るとか解説君の所業じゃないか。見苦しすぎるだろ。
これなら語れるってゲームも一つもない。
ゲームの知識なんて、あるだけ無駄だ。むしろ記憶から消し去りたいぐらい。
・PCについてそれなりに知識がある
ない。「ベンチマーク?なにそれ?」程度の浅い知識。
大体、ゲーム好きなのにプログラムに興味が行かなかった時点でお察し。
・心情の機微を察知しやすい
色んな風に邪推してるだけ。真理を突けたことは一回たりとも無い。
いや悪い。客観的に見て評定が10点じゃなかったし。点数もすごいムラあった。
現代文に関しては、日本人なら勘である程度答えられて当たり前だよ。本まるで読んでない上、見て分かるとおり文章力0。
人を惹かせる文章なんて一つも書けない。文才という感覚がない。文章纏めるのも苦手なんだよ。知識も無い。
やっぱどう転がしても自分が好ける所なんて一つもないじゃないか。わかってたけど。
でも、自分(のここ)が好きだってのは、大抵は自己陶酔で、それって嫌悪対象じゃないの。謙虚じゃないよな。
そもそも、自分を好きになるのは理屈で解決できるのか?もっと感覚的なものじゃないのか?
だから周りの人に「俺を好きになってくれ!」って(心の中で)求めてるんだけど、無理だよなそんなの。
一部の人メソッドは間違いだという前提に立ってる理由がわからん。
全くその通りだけど、全体の素養を高めようという試みは既に行われている。
というのも、「高い山を支えるにはそれなりに裾野の広さが求められる」からだね。
また、「高校で文系に進路を決める人の多くが、小学校の時分で既に算数嫌い」だということも解っているので
理系離れ対策において、より基本的で全体的な部分の対策が重要であるということはよく知られている。
少なくとも、俺が教育実習に行っていた5年前は、現場でも大学のゼミでも常識だった。
そして、横増田が言うように、この問題は「理系」を「学問全般」に置き換えられる。
「学校の勉強なんか!」と言う大人は、小学校の頃からそれが嫌いだ。
だから、教育界のトップは
「難しいことをたくさん教えるんじゃなくて、基本的な部分を丁寧に教えよう」
「勉強嫌いな子が出ないように、みんなが100点をとれる教科作りを目指そう」
と考えたんだ。