はてなキーワード: シェリフとは
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読んだ時吐き気を催した
作者は何を思ってこんな回描こうと思ったんだ???
村山くんはかねてから映画クソオタクあるあるキャラとして意図的な「疎まれ役」の立場であったが、こういう人間も一つの見方として許容される漫画なんだと思っていた
少なくとも俺はそう思っていた
村山はクソ野郎だが一本筋が通っている。彼は彼なりの美学や信じてる物があるんだというそういう部分には割りと好感を持っていた。
現にこの10話でも彼はそれを貫き通した。良く分かってない取り巻きのメガネに対して「何言ってんだバカ 作品にテーマとメッセージは必要だろ」と言い切る彼は普通にかっこよかった
しかし主人公含む他の誰もが「お前だけはねーわ」と全否定しにかかる
しかし言動の節々からシェリフと本当は友達になって映画を語り合いたいんだと、読み手にはそう感じていたし、割りとそれまでの描写だってシェリフにとっては悪友ポジションみたいな描かれ方してたと思うんだ
でも第10話では、シェリフにとっては村山くんの事など何一つ友人とは認知していないという描かれ方をしていた
そしてクラス全員からも存在を拒絶される上に暴力まで振るわれる。
シェリフには「自業自得だ」的な事言われるけどそこまでされなきゃいけないほどだったの?オーバーキルにも程がなくねえ?
何なんだろう
これってこの回の内容そのものに何かメッセージ性があったって事なの?
メタルギアソリッドVのヒューイの件みたいな「1984」のような全体主義を風刺するような意味が隠されてたって事?
それともこの回自体なにかの映画になぞらえたパロディみたいな事なの?
まさか作者の純粋まっすぐな「セーギ感」で、「クズ野郎を懲らしめてやったぜwwスカっとするだろ読者???ん????」みたいな安直な考えで描かれたとは思いたくない。
こんな漫画でスカッとしたと感じる奴とはマジで関わり合いになりたくない。
「怒りのロードショー」始まったばかりの頃は普通に好きでした。
でも回を追うごとに「村山虐め」が露骨になりだして若干の気味悪さを感じた中でのこの10話、もう無理です。
「映画には色んな見方があっていい、けど村山テメーはダメだ」というのがこの漫画の結論なら僕はもうこの漫画生理的に気持ち悪すぎるのでこれ以上読むことは無いですし単行本も買いません。