はてなキーワード: インディーズとは
技術革新の時代は終わった。
みたいなことを言うやつがいるかもしれないが、
あれはそのまんま今の人に伝えたいメッセージをこめた作品だと思う。
いや、正確にいうとそれに従うことが正しいという価値観の時代が終わった。
・
・
・
どれが正しいかなんてものはない。
今、この時代に在るということは必要性があるということを示している
今後ビジネス的に成り立たないかなんてのは、究極的には誰にもわからない。
形態を変えて残り続ける可能性はどんなものでもある。
昔の移動手段だった馬車だって、観光地にいけばあるじゃないか?
ただそれがマスかどうかの問題だ。
本当に多様性がこれから加速的に拡がっていく世の中で大事なことは
相手の嗜好性、文化、生い立ち等を受け入れるその人の器なんじゃないだろうか?
叩かれるものは反発をするし
叩く本人は一時的な自己満足に浸るだけで、何も得るものはなく成長もたいしてしない
ありきたりな言葉ではあるが、どんなもの、人でも悪いところが在れば良いところも在る
ということを忘れずに良いところは良いところと認めて、それを吸収して
自分のものと結びつけて新しい付加価値を創造することがこれからはきっと大事になると思う。
そして、それはオンリーワンの存在となってビジネス的にも高い価値となると思う。
突っ込んで言えば、叩く人にもメリットは存在してやたらと叩く人は
何もしないが、変わりにそれをやれば価値のあるものができるということを示していると思う。
そんなことができる人は本当に数少ない。
もはや、それは人としての進化だって言ってもいいぐらい
今の人には難しいことでもあるのは承知だ。
でも、諦めたらできない。
て思っていた。
でも、できる。
人は変われる。
それが人のもっとも偉大な力である。
自分自身は変われるということを忘れずに、変わることを恐れても
勇気をだすことができれば人は変われる。
そして、今の世の中にはそうした人がだした人達の書籍、ワークショップ、カウンセリング、コーチング・・・
というものがたくさんある。
変わらないで滅びる道を選ぶか
変わって生きる道を選ぶか
は自分の選択だ。
似たようなことを、僕も思いました。
「正直どうでもいい」「(現代語的な意味で)『耳触り』良ければそれでいい」「歌詞で泣きそう(;_;)」
というのが、初音ミクのヒットの根っこにある気がします。
ふと、初音ミクの歌の中の人(≠初音ミクの中の人)って、基本的にはシロートさんだよな?と思ったのが、
私の疑問のキッカケです。これまでの音楽業界でいえば、そこいらの街中やライブハウスで自作の曲を
歌ってたり、インディーズ扱いでデモテを配ってた、プロの音楽家カテゴリーには入らないような人たちが、
「初音ミクの歌の中の人)」・・・初音ミクのプロデューサーと言い換えてもいいかも知れませんが・・・、
だと、思うのです。
で、そういう人たちが、これまでと変わらないDTMの延長に、初音ミクに歌を歌わせただけで、
なぜか「初音ミク」扱いでプロデビューできてしまった(楽曲提供できた)。それはなぜだろうか?
1つは、
誰が聴いても初音ミクの声だと解るから。
どこの輩か分からないインディーズ歌手とは違って、少なくとも「初音ミク」ブランドという
裏書きがついている。
そしてまた、「『初音ミク』という歌手を知っている」という共感を喚起させる。
だから、フツーのシロート・インディーズとは違った受け入れ方ができた。
もう1つは、
店内とかで流れてる曲とかPVの曲とか聴いても、誰の歌かすら解らない。
正直どれもこれも同じように聴こえる。
どれもこれも同じように聞こえるような雑多な音楽の中では、正直、他の歌手と差異がない。
そうなると、どこに共感できるか?というのが受け手の判断基準になるし、ならざるを得ない。
すると、「共感できる(苦笑)歌詞」「バーチャルな歌手(という不思議な存在)」
「シロートでもこんないい曲・歌詞を作れてメジャーデビューできてる(私もできるかも☆)」
僕が思ったのは、こんなところです。
あと、脱線しちゃうけど。。。
「機械音がイヤだ」「練られていない音楽がイヤだ」という論調もあるけれど、
正直、大衆向けJ-POP音楽というカテゴリの中では、殆ど五十歩百歩だと思う。
(もちろん、真っ当な歌謡曲・演歌歌手や、いわゆるクラシックの領域は別。)
誰とは言わないし好みの問題だけれど、某アイドルグループや、某エイベックスの歌姫みたく、
音程も当たってないしアンサンブルもできていない楽曲を聞かされるよりも、
まだ音程が当たっててリズムも正しく、平均律の中でアンサンブルできてるボカロイド楽曲の方が、
少なくとも僕は、「安心して」聞ける。
売る方からしたら、「ボーカロイド」って「楽器」じゃなくてあくまで「アイドル」みたいなもんだろ。
「アイドル」の歌が上手かろうが下手だろうが、売れればいいだけで、ボーカロイド自体にはクオリティはさほど求めていない。
楽曲のクオリティもよかったからCDを出した。売れた。万々歳。じゃあ次は?
飽きられるまでアイドルには働いてもらうだけだろ。
ものすごくどうでもいい大きなお世話だとは思うんだけど、ソニーはどういう意図でこのCDを出そうと思ったんだろう、と思った。悪い意味とかではなく。
・supercellというクリエイター集団に今後の可能性を感じたから契約した
・単純にインディーズで十分な実績があるので、とりあえずメジャーから一枚出させせばそれは利益が出る程度に売れると思ったからワンショットで契約した
もちろんこれらの要素が複合的に絡み合って今回のリリースになったんだろうけど、色んな意味で今後の展開が気になる。
というのも、そろそろボカロブームというものが成熟期に入って、
『ボーカロイドを極めれば極めるほど、生身のボーカリストには無い新しい魅力が出てくる』季節から、
『ボーカロイドを極めれば極めるほど、結局どこまで行っても生身のボーカリストを越えることは流石にできないという気持ちが湧いてくる』季節に入ってきたと思ったからだ。
このアルバムも素晴らしいアルバムだと感じたけど、極論すれば、きっと生身のシンガーが歌っていればもっと音楽性の高いアルバムになっていたはずだ。
とはいえ今回は初音ミクでないと、ボーカロイドでないと意味が無かったのは判る。それくらいは自分も理解しているつもりだけど。
だけど、この先はどうするんだろう?
きっと今回のアルバムは十分にソニーに利益をもたらす程度の売り上げを出すだろうけど、その次というのはどうなるんだろう。
またこれだけのクリエイター集団を擁しながら、『次もボーカロイドでヨロシク』となるのか『次はボーカリスト使わないか?』となるのか。
それとも今回はご祝儀的に売れたけどどうせ次はそんな売れないしもういいよ、同人に帰りなさいってなるのか。
多分どの道をたどっても実は厳しい道だと思うけど、それがどうなるのかは物凄く興味がある。
http://evnote.net/2009/01/28/business/2125.html
メジャーになりきれないインディーズミュージシャンと、子供の心を持った大人たちが集うインターネット特区。
だがしかし、そのけな気な姿を維持し続けることが人生で最高の幸せと知るがゆえのツンデレ戦略。
彼らははてなが一般的なサービスとして成功することを望んでいるとは思えない。
はてなは、ちょっとユーザーが一般とは離れすぎていて、日本におけるインターネット特区ですね。
「量(PV・売上)じゃない、質(技術にとんがりすぎ)なんだ!」を地で行っています。
はてなブックマークを大衆受けするようにリニューアルしたりとか、たまに「はてなはみんなが思ってるはてなじゃなくて、もっと一般的な誰にでも使ってもらえるサービスなんだよ」とアピールするあたりツンデレで、今のはてなユーザーを満足させる原因のひとつになっていると思います。
本当に一般大衆に受けてしまっては駄目なので、ギリギリ一般大衆にうけないバランスを慎重に考えながら、でも一般大衆受け目指しててお前らとは違うよ、というツンデレ姿勢を保ちながらやっているのは結構才能だと思います。
ある種、インディーズにおけるトップミュージシャンが「オレ、実はメジャー目指してるんだ」とファンに語りながらも、タレントになりきれずメジャーデビューできない、でも目指している姿勢を見せないとファンに申し訳ない。ファンはいつもおなじみのライブハウスで一生懸命歌っている彼(はてな)を見て、いつか彼がメジャーに出たら私はインディーズのときから応援していたのよ、という「先見の明あるね私」的な自尊心を満たしたい、でも、実はメジャーにいってほしくない、私の手が届く距離、インディーズで歌い続けてほしい、切ない・・・
はてなブックマークを一日10回以上は見ているから、はてなは十分メジャーだと思っていた。
アメブロやFC2とかライブドアがまとめサイトとか、AV女優とか、芸能人バンザイってやっているなら、独自路線を出していてとんがっていると感じていた。
デーモン小暮閣下の「相撲解説。(一部、謝罪も含む)」がホッテントリ入りしてたので、何がすごいかちょっと分析してみた。
http://demon-kakka.laff.jp/blog/2009/01/jan26dc11-55e1.html
さて、本日未明、吾輩がこの場に「ゆゆしき問題である!」という表題にて、麻生総理大臣および日本相撲協会関係者を批判する書き込みをおこなったが、それは吾輩の見当違いの発言であったことが判明したので、ここにその文章を削除するとともに、この場を借りて、麻生総理大臣と日本相撲協会に謝罪いたす。
・いつ(本日未明)
・誰が(吾輩が)
・どこで(この場に「ゆゆしき問題である!」という表題にて)
・何を行ったのか、(批判する書き込み)
それが誤りだと判明した時に
・どういう対応をするのか(その文章を削除する、謝罪いたす)
が明記されている。
その書き込みは「麻生首相が靴を脱がずに表彰式の土俵に上がった」と決めつけて書いてしまったが、実は光沢のあるスリッパであったと関係者からの指摘を受け、吾輩も追ってそれを確認した。
麻生総理大臣には何の否もなく件の文章はとんだ言いがかりであったとともに、また「注意をしなかった」と日本相撲協会にも見識を誤った物言いをつける結果となってしまった。
ここで簡潔に自分の誤りを明示し、ちゃんと確認した上で、それが間違いだったと明言している。
さらっと書いてあるけど、「吾輩も追ってそれを確認した。」という点が素晴らしい。
誤りを誤りと認めないことが最大の誤りだ。
そして全面的に間違ってると分かったら、100%自分のミスを認める。
これは頭で分かっていても難しいことだ。
・・・とはいえ、調べてみたら、実は最初は「 追伸:TVモニター、買い換えよう… 」とあったようだが(>>391参照)、
後に削除されたようだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1211865.html
だいぶ迷ったのだろうが、消して正解だ。
言い訳したら、やはり格好がつかない。
今後は、この場もマスメディアであるという自覚のもと、ちゃんと事象の確認をおこなって発言をしてゆく所存である。
失礼した。
で、一番スゴイのは、実は
これなんじゃないだろうか。
それまでも「吾輩が」「謝罪いたす」「失礼した」と、普通の謝罪文ではあり得ないような、
いつもの閣下節でありつづけて、いつものように「ではまたWeb Rock!」で終わる。
この一文が浮かないキャラ作り、デーモン小暮閣下「凄み」がここにある。
正直、謝罪文としては基本でしかない。
同じブログでも、これが中途半端な芸人などだったら、更に炎上していだだろう。
四半世紀(聖飢魔IIは82年12月末に結成)もこのキャラを続けているだけでもスゴイ。
悪魔からすれば一瞬みたいな時間だろうが、人からすればオギャーと生まれた赤ちゃんが、
大学出てフリーターやって派遣社員になったけど派遣切りにあってネカフェ難民になってるくらいの長さだ。
メジャーどころで今でも髪を立ててるのはBUCK-TICKのヤガミトールくらいだが、彼だってこんなメイクはしてないw
(インディーズ系はわからない)
好対照なのが、今回の騒動で、スポニチが閣下の二次情報を元に記事を書き飛ばしているが、
謝罪もせずにさっさと削除している(しかも「土俵」→「土表」の誤字のオマケつき)。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20090126038.html
・・・えーと、マジで絶句してしまったんだけど、謝罪記事って出ないの?
webなら消してしまえばどうでもいいと?
・・・そりゃあ、マスゴミだの何だの言われるわ。
悪魔のほうがよっぽどまともだ。
もう単純に言えば、
一言「ごめんなさい」って言ったときの発言の重みが、
ありきたりで説教くさい話になるけど、日ごろの言動が積み重なって「信頼」となるわけだ。
10万年の信頼は重みが違う。
個人的に秋葉原は好きだし、今でも無意味に秋葉原に通い続けてるよ。
もちろん言いたいことはわかるし下手なパフォーマーがいるよりは、スケボーやバスケしててその近くでインディーズが歌ってる風景のほうが好きだ。
20年以上アキバを愛好している人間から言わせて貰うと、「悪い」と断言できるものって数年前、中央通りの店舗でも平気でエロゲー系のポスターやPOPが歩道に出てたときくらいじゃないかと思う。
裏に入ればそういうのがあっても仕方ない。だって売れるんだもの。あとその手の人たちは見てて楽しいんだよ。
売れなくなったから仕方ないんじゃない?
だって、売れないものをお店に出してるだけじゃ仕事にならないでしょ。
そういう風景に戻したければ、まずネットでゲームを買うシステムを失くしてDELLやAcerも含めてショップブランドのPCの値段を全て15万円以上にする必要がある。
そこまでやれば、それなりにまた自作というか組み立てPCの時代はくるだろうしネットでゲームが買えなければ少しは客足が増えるかもしれない。
時代は変わる。
個人的に秋葉原は好きだし、今でも無意味に秋葉原に通い続けてるよ。
もちろん言いたいことはわかるし下手なパフォーマーがいるよりは、スケボーやバスケしててその近くでインディーズが歌ってる風景のほうが好きだ。
でも俺が本当に好きだった秋葉原、というのはガンダムWやエヴァンゲリオンが出てきた時代より前。
エヴァンゲリオンの大型ポスターやらPOPやらが歩道に出てきたとき、卒倒ものだったね。
何て恥ずかしくてかっこ悪い街になってしまったんだと思ったよ。エヴァンゲリオンだよ? あんなの中央通りで堂々とたくさん張り出されるなんて秋葉原も狂ったかと思った。
そんなものが出てくる前の秋葉原はさ、書院やコードレス電話のポスターやらがよく目について、ゲーム機やゲームソフトは言うまでもなくバーコードバトラーとかおもちゃ系もよく見かけた。
ああいう街が一番好きだったんだ。
そして今増田が思っているようなことは10年以上前に考えて、これも時代かと悟ったわけだ。
好きなものが変わっていくのは受け入れがたいときもあるけど、ここ15年くらいは特に変化が激しかったわけだし今更そんなこと思っても楽しくないだろうから新しい秋葉原を楽しむように心がけるのが一番だよ。
道を譲らない、と言うか世界は俺を中心として回ってると思いこんでる香具師。
通路に障害物と化してボケーと何を見るでもなく立ち止まってる香具師。
そんな香具師はどこにでも居るだろうが、売春婦紛いのメイドはほんの少しだけ減ったがまだまだ多いし、街中にはアニメ絵の看板が乱立、少し通りを歩けば半裸のロリコン向けイラストや、辱めな格好をさせられた絵なんかが普通にある。
客観的に見ると、もう秋葉原は完全に狂ってる・・・
昔ながらの電気街はどこだ?駅前でコンピュータパーツやゲームのチラシを配ってた店員の兄ちゃんはどこに行っちまったんだ?
いくつかブックマークが付いた+何か眠れないから追記。
昔のアキバが良かったと言うが、無線やラジオや真空管を扱ってた頃と比較したら・・・とか案の定突っ込まれてるが、まぁそりゃ確かにその時代に比べたら秋葉原に来る客の質は下がってるよなって言うのは恐らく紛れも無い事実だと思う。・・・ひょっとしたら違うのかも知れないが、少なくとも無線⇒パソコンと移り変わった時に客のマナーが悪くなったって言う話は聞いた事があるので完全に間違った認識では無いと思いたい・・・・。
でも、現状はその時よりも深刻だと思う。ラジオ⇒パソコンの時は買い物客のマナーが悪いって話だったと思うが、今は(現在は落ち着きを見せているが)露出狂が沸いたり、自称パフォーマーが沸いたり、モラルが欠如してるような行動を取る人が多過ぎる。その上に、自己中心的な買い物客が増えていて「カオスって次元じゃねーぞ」って状況かと・・・。
「今が楽しければ良い」「自分さえ良ければ良い」とか思ってて変な行動で笑いや注目を浴びようとしたり、身勝手な行動をしているのかも知れないが・・・。・・・冷静になって、自分のやった行動が客観的に見てどうなのかを判断出来ない・・・いや、出来なくなった人が増えているんだろうか・・・。
また、はてブで「バンドは大きな駅では良くある事」と突っ込まれてるが・・・、・・・何と言うか、実力不足と言うか、何と言うか・・・。
秋葉原なら多少見た目とオタク受けしそうな口調で話せば下手でもギャラリー出来るだろうって思いがあるのかどうかは分からないが、何かレベルが低いんですよねぇ・・・(私の耳が腐ってるだけだったら申し訳無い話だが・・・)
どうしても、通勤先の最寄り駅で歌ってるインディーズと思われる方々と比較してしまって・・・。・・・ビジネス街で、そんなにギャラリーが出来る要素が少ないと思える場所でそれなりのギャラリーを集めてる(バンドの)方々を見てしまうと、大した努力せずにギャラリーを集めてるアキバ駅前のアーティストの方々が小さく見えてしまって・・・。
・・・眠る前に書くとどうしてこんなにネガティブで叩かれ要素満載の文章になるんだろうか;
マナーの悪さと、バンドのレベルの低さに独り善がりな苦言を書きつつ、最初に書いた際の「卑猥な絵が多過ぎる」って部分への突っ込みは・・・、・・・もういいや。眠いし、増田で愚痴っても改善される訳でもないし(ただ、こんだけネガティブな事を自分のIDのダイアリーで書いたら炎上するだろから今までモヤモヤとしてたが、一応の匿名な増田で書けて少しだけスッキリした)
マナーの悪さが原因であれこれ余計な法律やら規正で雁字搦めにされる前にマナーが改善される事を祈りつつ、・・・もう寝よう、午前3時半過ぎちゃったよ・・・。
一方でアホみたいに儲かってる同人音楽家やインディーズバンドも
あるわけでな。
結局、爆発的な音楽のジャンル多様化と消費者の情報チャネルの多様化に
よって、大衆歌というのが成立しなくなり、個人が極度に自分の好みに
あったスィートスポットのジャンルだけに分散するようになっただけでは。
客には予算制約があるから、本当に趣味にぴったんこ、の音楽を買うと、
大衆歌に支出する分はなくなる。だから、メガヒットのようなものは
でなくなる。
その代わり、有象無象のプチヒットやジャンルごとに小規模のヒーローが
群雄割拠するようになる。
この変化は、現代でおきてるあらゆる経済現象に通じることだ。
国民的アイドルもなければ、大衆車もなく、ファミコン(みんながあらかた
やってるゲーム機)もなければドラえもん(みんながあらかた知ってる漫画)
もない、という時代に今、われわれは生きている。
すなわち「マス」に焦点をあわせたどっちつかずの商品は、ニーズに特化した
商品に即座に駆逐されるのだ。
あらゆるものが消費者層に合わせて分散してニーズごとに多様な商品を
提示して完全にその消費者を囲ってしまっている。
だから誰にでもウケる、って曲はもう成立しないかもしれない。
引っ越しの準備の為に部屋を片付けている。まだまだ終わる気配はなく、今日はそろそろ終了して明日以降に持ち越すつもりだ。引っ越しは土曜日なのでまだ余裕はあるのだが。
ところで、引っ越しをするとなると、全ては持って行けないので色々なモノを捨てないといけない。私はこれまで実家暮らしだったため膨大な本やCD、DVD、その他諸々が転がっていて四苦八苦している。
などなど、捨てる事が心を切り刻む行為のように感じ、整理することに挫折してしまいそうになるモノがたくさんある。もちろんあっさり捨てられるモノも結構あるし、また今でも図書館や漫画喫茶、Amazonを使えば手に入るモノは出来るだけ捨てようと頑張っているが、それでも次のようなモノもかなり多い。
既にダンボール7箱分は捨てることに決定したが、これでもまだ半分には満たない。一体どうすればいいのか。今まで引っ越しした人はどうしてきたのか。
私はこれまで比較的モノに執着が無い方だと思っていたが、とんでもない。私の人生と共に歩んできた品々は、私の半身と思えるほど私にべっとりとくっついていた。これから数日、毎日、自分の半身を削る作業をするのは非常にツラい。私が出掛けている間に、旦那の趣味関係を全部捨てた奥さんのように誰かが捨ててくれればどれほど楽かと思う。
誰かこの心理的負担を減らす方法を教えてはくれないだろうか…
YouTube は2008年3月27日、L'Arc??en??Ciel、BENNIE K、スピッツなどの国内アーティストの音楽著作権を管理する株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス(JRC)と、日本における音楽著作権の包括利用許諾契約を締結した、と発表した。
契約により YouTube は JRC から、日本における多くの楽曲のライセンス使用を許可される。これにより、YouTube 上で配信されるレコードレーベル会社が制作したミュージックビデオとユーザーが作成したオリジナルビデオで流れる楽曲のライセンスが YouTube に与えられる。
また、今回の包括利用契約の締結したことに伴い、JRC が著作権を管理する作品のアーティストが所属するレコード会社、株式会社フォーライフミュージックエンタテインメントと、インディーズレーベルである有限会社デンジャー・クルー・エンタテインメントの公式チャネルが同日、提供を開始した。
下積み期間が長いことなんて良くあること。
B'zも最初は全然売れなかった。
Perfumeもインディーズ時代よりも、スクール時代のほうが、厳しかったと言っているし、その当時は必死だったけど、周りが上手くやってたらか、つらくは無かったと言っている。
Perfumeの成り上がり美談を面白がるのはいいけど、それはPerfumeの魅力の本質とは全く別の話でしょ。
GAMEもすばらしいアルバムだけど、J-POP史上最高というコメントを見ると、それは持ち上げすぎと思うんだよね
今のPerfumeとしては、十分過ぎる出来だけど。
最高とは言えないね。まだ。
長いプロローグと、短いけど激しい展開の第一章が終わって、
第2章が始まったばかりでしょ。
どんだけ俺らを驚かせてくれるんだと。
その可能性があるから、間違っても最高とは言えないね。
PerfumeとB'zが違うのは、下積みの有無ではなくて、
下積み時代から応援してきたファンの比率でしょ?
最近はネットというもののおかげで下積み時代から注目されやすいし、
「下積みで頑張ってるから応援してね!」を狙って演出する
こともあるわけだけれども。
PerfumeはQuickJapanとかCONTINUEとかサブカル通気取りが
読む雑誌で早くから取り上げられてたと思う。
一方B'zにしろウタダにしろなんでもいいけど、
そういうの聴いてる人は有名になってからベスト盤で入ったり、
カラオケで人が歌ってるの聴いて興味持ったりって人が多そう。
だからなんだって話だけどね。
ネット上の「何故売れた論」は、Perfumeというものを玩具にして
もっと、素直に中田ヤスタカのサウンドを楽しめないものかね。
もっと単純に言うと「マイナー作品に金が流れることで、市場は以前よりも多くの作品で溢れかえる」という事です。同人、商業市場どちらにおいてもです。
具体的な根拠は無いですし、風が吹けば桶屋が儲かる的な話なので、「まあそんな考え方もあるか」位に読んでもらえると幸いです。
まず、前提としてP2Pファイル共有が有っても無くても個々の消費者の可処分所得は変わりません。また、仮定としてファイル共有があってもなくても同じようにコンテンツの消費額もほぼ変わらないと仮定します。タダで済ませた分を食費にする人はそんなに多くないでしょう。最初から無くても生きていけるコンテンツを、食費を削ってまで買わない。
さて、問題はこの限られたパイの配分です。
P2Pファイル共有が無かった場合、人気のある作品を(友人間の貸し借りはあるかもしれませんが)多くの人が買うことになり、マイナーな作品に流れるお金はそれらの「おこぼれ」になります。結果として人気のある作品にばかりお金が流れます。
逆にP2Pファイル共有が社会により深く浸透した場合。やはり人気のある作品は沢山売れるのですが、ある一定数以上売れるとP2Pファイル共有にコンテンツが流れはじめ、それ以降はあまり売れなくなります。その結果その分のお金は今まで買っていなかったマイナー作品へ流れ始め、打ち切られる、あるいは絶版になっていたような作品も市場で生き残れるようになるでしょう。したがって、市場で生き残る作品の数はP2Pファイル共有が無かった時に比べ増えると思われます。
ですから、人気作品の売り上げは下がる一方、マイナー作品の売り上げは地味に上がっているのではないでしょうか。個々のマイナー作家の収入増はそれほど大きくないはずで、大きな減収のあるだろう前者よりも「目立ちにくい」かもしれませんが。
もちろん、この結果が「良い」かどうかは人によるとは思います。ある意味社会主義的なこのシステムでは、人気のある作品を作っても消費されている分の収入は得られない(*1)訳で、市場経済的な考え方が深く根付いている現在の日本では「悪い」と思う人も多いかもしれません。また、人気作品やそれらを生み出す事が出来る大企業の方が社会的な声は大きく、そうした意見はさらに強調されているでしょう。
ですが私は、そういった人気作品だけが生き残る社会よりも、もっとマイナーな、ほかの人から見れば駄作であるような、そんな作品も含めて市場がにぎわっている社会の方が好きです。そっちの方が豊かな社会だと、私は思います。
「P2Pやニコニコ動画の違法アップロードは作品の宣伝になる」みたいな話はよく聞き、これはおそらく「涼宮ハルヒの憂鬱」に関する記事が大本だと思いますが、著作権関連の議論ではそれこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」のようなメジャー作品の話題ばかりだと思ったので書いた次第です。
法律的にどうのとか、道徳的にどうのと言った話題はこの話題と関係ないので勘弁してください。あくまで市場がどうなるかという話です。
*1:それでも人気の無い作品に比べれば格段に多いのは間違いないのですが。
大作が売れない分マイナー作品は売れやすくなるのではという話。 たしかにそういう話題って見たこと無いな…いつもヘッドの話ばっかり。 音楽の保証金制度とかを見る限り、本当に同人やインディーズに流れるかも
やはり売れている作品の方が話題になりやすいですし、減収額も大きいですからね。
保証金制度は大多数の人間が知らないので今のところあまり影響は無いと思いますが・・・。
「マイナーな作品はファイル共有で済まされて売り上げがより落ち込んでいる」みたいな話も聞きますが
マイナー作品は現在手に入れにくいですからね。「Amazonで送料掛けて買う位なら、頑張ってファイル共有で落とすか」となってもおかしくないかもしれません。
今後ネットのダウンロード販売等が普及しマイナーもメジャーも同じくらい買いやすくなれば、この話も説得力を持ってくるかもしれません。この場合、「メジャー作品はファイル共有で済ませて、ファイル共有で流れていないマイナー作品は買う」という判断が一番合理的だからです。
今一番この話が成り立っているのは、コミケだと思います。コミケの場合、一般とは違って人気作品の方が手に入れにくいからです。壁サークルの(ほかに比べ高い)作品に二時間ならんで作品を買うくらいなら、壁サークルの作品はファイル共有で済ませて、人気の無いサークルの(壁に比べれば安めの)作品を沢山買う方が効率的に思えます。
ライセンス:GFDL
俺は15くらいから色んなインディーズ系バンドのライブに行き始めて10年になるけど
付き合いで行ってるけど基本的にCDの方が音良いんだよな。
あんな所で音楽聞けねえわ
僕は大人しい男の子ですが
http://anond.hatelabo.jp/20080325154804
ってスレッガー中尉も言ってたけど、それはあまりにも若干言いすぎだと思うけど、
バンドやったことないとたぶん面白くないかもよ。特に今のバンドは曲も固まってるの多いし。固まってないのがいいってわけじゃないけど。
現代の僕らは音楽を聴くときにあまりにも耳に頼りすぎているきらいがあって、
なまで変化する音楽、本来はそういうものだったんだと思うんだけど、その変化を許容できなくなっちゃってるんだよ。
同時性や、変化性を拒否しちゃうというか。
録音される前は、音楽ってもっと演者と観客の距離が近かったと思うんだよね。
それこそ、演者だって観客によって十分左右されうるし、観客も演者によって十分に変化されうる同期感とでもいうものがあったんだと思う。
ジミ・ヘンドリックスのスタジオ盤と、ライブ盤を聴き比べてみるといいかもしれない。
ありえへんぐらい全然違う演奏している。
ブルーハーツの年代を追ったビデオとか見てもわかる。明らかにちっこいライブハウスでやってるほうが良い演奏してるし、楽しんでやってる。
同時に演奏しているかのような、真新しいクリエイションを見ているかのような快感。それの快感の作成には君も少なからず加担しているはずなんだ。
バンドにもよるんだと思うだけど、ライブハウスにいるとき君はその瞬間にしかない音楽の一部だ。創作の一部を加担しているんだ。
とりあえずギターを持って、しょぼくて全然構わないから、友達とスタジオはいって、セッションなんかしてみると面白い。
ドラマーの友達が何人かいるなら、ひとりづつ一緒にスタジオはいってみるとなお面白い。
楽譜とかでみればちょっと違うだけかもしれないんだけど、体感的には全然違うし、感じもまったく変わっちゃう。
たぶん何度目かセッションして、ちょっとでも楽しいとか思えれば、ジミヘンがなぜそんだけ演奏が違うのかだってわかるはず。
あとありえなさもわかる。キザイア・ジョーンズとかもだけど、なんか黒人さんはみんなおかしい。瞬間瞬間にありえないグルーブが炸裂しとる。
もっと、生としてのライブを楽しもうぜ。瞬間の創作の興奮を楽しもうぜ。
どこでも演奏するやつと聴くやつの距離が近ければ、その興奮は必ずあるはずだから。
PCの前で固定された演奏を聞くよりも、同人誌三冊分の金を握り締めて遠藤ミチロウのライブを見に行ったほうが、たぶんよい感動をえられると思うよ。
追記;
http://www.youtube.com/watch?v=O26wxWpsUd4
これ、実際に生で見たら迫力が異常なんよ。その場からうごけなくなるぐらいの圧倒感。