私は生まれてから父親に性的な虐待を除いた全ての虐待を受けながら育てられてきた。
母親は私の味方にこそなってくれていたが、私と同じように虐待を受けながら生活していた。
私は成人するやいなや、母を置いて逃げるように実家を出た。
その時の私は彼氏に養われてばかりで、いわゆるヒモ状態だった。
言い訳になるかもしれないが、父の影響で精神的にも肉体的にもまともに働くことができなかったからだ。
付き合って3〜4年経つ頃には、おこがましいかもしれないが私自身少しずつ稼げるようになり、彼氏にお金を返済するような形で彼氏の元で働かせてもらっていた。
そして母が還暦も過ぎ、私もアラサーになった数週間前、母と2人でご飯を食べる機会があった。
母は「もう離婚したい」と私に震える声で伝えてくれた。
母は元から自分の意見を反射的に人に伝えるのが苦手なタイプで、最初こそ驚いたが、母自身の気持ちを伝えてくれたことに私はすごく嬉しかった。
「いいよ、できることは全部サポートする、頑張ってみよう」そう言って私は学生の頃から培ってきた知識とツテやコネを総動員して両親が離婚するためにはどうしたらいいかと、ここ数週間奔走した。
その間彼氏も「長期的な視点で見ればそれは俺にも利益があることだ、仕事はあまり回さないようにするから、無理のない範囲で頑張っておいで」と後押ししてくれた。すごく嬉しかった。
自己満足かもしれないが、母にようやく恩返しができる。そう思って私は本当に頑張った。自分でも認められるくらい頑張れたと思う。
話は変わるが、私はとにかく忘れっぽい。発達障害と不安障害の診断はおりている上に、とにかく忘れっぽい。
タスク管理に始まり、人や土地の名前やスケジュールなど、「最も信用できない人間は?」と聞かれたら私は真っ先に「自分」と答えるだろう。
母から離婚したいという気持ちを聞いてから、私たちは母方の祖母の家に向かった。
事情を説明し、最終的に母は祖母の家(母の実家)で暮らせるようになった。
あとは水面下で必要な書類を用意し、口下手な母のために父に離婚の提案をするための台本と、解釈の不一致が起きないように父に渡す用の資料まで作った。
母には人に物を伝える練習をさせた。数日でものすごい成長を遂げた母は「自分の気持ちってこうやって伝えるんだね」と、嬉しそうにしていた。
その間、彼氏から仕事で「空いた時間で構わないから、君(私)から取引先に2日間連続で電話をしてほしい」という頼み事があった。
普段は本当に忘れっぽいので、忘れては怒られて、また忘れては呆れられ、の繰り返しだった。
今だけはせめて上手くやりたいと思っていたが、2日目の電話を忘れてしまった。
彼氏に指摘されて私は顔面蒼白になり、慌てて電話をしたが営業時間を過ぎていたので意味がなかった。
謝罪の連絡をしたら彼氏から速攻電話がかかってきて「やっぱり仕事の優先順位が最下位なんだな」「またコケにされた気分だ」「いい加減にしてほしい」などとド正論な答えがかえってきた。
両親の離婚の準備という慣れない作業をしていたせいか、疲労が溜まっていたせいか、私は「もう見捨ててください、やっていける自信がないです」と言ってしまった。
今思えばなんて浅はかな返答だったのだろうと思うが、その時は心の底からそう思っていたのである。
それを聞いた彼氏は「何を考えてその言葉を出したのか説明してほしい」「もっとよく考えてから言葉にしろ」と、さらにド正論な指摘をしてくれた。
それ以降私は「はい」「ごめんなさい」「申し訳ありませんでした」の3つの言葉しか言えなくなり、とうとう呆れた彼氏が一方的に電話を切った。それはそうである。
何も聞こえなくなったイヤホンをつけたまま私は脱力してしまい、とてつもなく情けなくなった。
母の離婚の手伝いをする自分に溺れ、肝心なことはできないままの自分にすごく腹が立った。
母にも彼氏にも、もちろんまだまだ元気な祖母にも、いろんな人に幸せになって欲しくて頑張っていたのに、それはただの自己満足でしかなかった。
せめて、どうかそこだけは、上手くいってほしいと願っている。
理解のあるパートナーがいてうらやましいな。
ありがとうございます。 皮肉かもしれないけど、本当に感謝しています。
昔の彼女からそういう言動取られたことあるけど(もちろん状況境遇色々違うので一概に同じとは言わないが)、言われた側としては「関係性を終わらせることを盾に自分の都合を通そ...
>言われた側としては「関係性を終わらせることを盾に自分の都合を通そうとしている」としか認識できない(だからパートナー氏は「本当は何を言いたいんだ、何に困っているんだ」...