非常に筋の通った説得力のある説明なんだけど、それでも何か腑に落ちない点があるので考えてみたら、やっぱり「希望的観測」という造語が日本語として不自然に思えるんだわ。そういう時は外国語の訳語として作られた語であることが多いので、辞書を引いてみると、やはり希望的観測は wishful thinking と書いてある。
たしかに直訳ではないし全く同じ意味になるわけではないのだけれど、実際の用例というかどういう場面でどういうニュアンスで使われるかを考えると、この二つはほぼ重なっているので、訳語として作られたという説は多分正しいと思う。(あとで日本語大辞典を引いとくね)
もちろん良い訳語だとは思わないけどね。
ソースxevra
女性弱者を悪用した利権化、税金で基地へのデモなどcolaboは極めて悪質。悪は滅ぼさねばならない。女性の敵colabo、市民の敵colabo、許さん! Colaboを批判できない者もまた犯罪者だ。声を上げて行こう! 正義は勝つ‼️
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1647179171175731201/pu/vid/464x800/04f6cPZSIr7fvT5e.mp4
大抵事実ですらないけどな
一時的に人口が増えまくったあと減ったという経過を辿った国は存在しない。
日本はこれから相対的に増え続ける老人をどうにかせずに数少ない子供を大事に育てるとかやってたら負荷に耐えられず滅ぶ可能性が高い。
数がいなかったら滅ぶだけだぞ
ここに挙げられてるものが「テロを擁護も称賛もしてない」への反論になると思ってるの?
擁護・称賛と言えるのは「テロは悪くない」「テロはすばらしい」旨を述べているものであって
たとえば「テロが起きたのは悪政のためだ」と述べたとしてもそれはテロの擁護にも称賛にもならないよ?
挙げられてる中で擁護・称賛と言いうるのはせいぜい2,3個で、それも読みようによってはそうとれるとか、皮肉で言ってるとかというレベルにすぎない