2022-03-03

ウクライナといえば児童ポルノ名産地であった気がする

LS Magazine(エルエス マガジン通称LSLSM、またはLS StudioLS Models)はウクライナ運営されていた、少女ヌードコンテンツとする児童エロチカもしくは児童ポルノインターネットサイト。 分かれており、その全体像は正確には不明LS-Magazineはその中心的なシリーズ)。主にクレジットカード決済の会員制で、世界中に多くの会員を有した。モデルとして8歳から16歳までの児童1,500人(もっと少数との報道もある)を、ウクライナキエフハリコフ南部シンフェロポリ募集し、ヌード写真撮影米国およびカナダサーバに送って運営されていた、と報道された。その製作量と知名度は他サイト追随を許さず、まもなく世界で最もメジャー少女ヌードサイトとなる。同時にこれを模倣したサイト画像横流しも頻発した。写真ははじめは芸術的体裁をとったものの、年を重ねるごとに表現過激化していった。ハードコアポルノ性交性交類似行為)は最後まで製作しなかったが、後半にはモデル少女性器をアップで写すカットが常習化していた。スタジオ撮影と屋外撮影があり、スタジオ撮影は強いメイクを施したさまざまな趣向の少女コスプレ作品が売り物で、少数である動画も作っていた。とりわけ原色を多用した鮮やかでクリアな色合いの写真モデルの楽しげな表情と演技も類似サイト比較して際立っていた。サイトには、製作写真性的わいせつものはなく米国法において合法である、と注記されていた。

2004年にはこのサイト攻撃する専門のウイルスまで現れている(トロイの木馬一種Trojan.Httpdos)。ウクライナ警察によるとその利益は短い期間に数十万ドルに上るといわれる(ロイター通信2004年7月28日)。主催者20~30代半ばのウクライナ人だと報じられた。米国FBIウクライナ警察の数ヶ月間の調査の後、2004年7月摘発され消滅。[1] その後の経緯についてプラウダ2005年4月6日号などによると、カメラマン3人(1人は未成年)と、ディレクター1人が逮捕された。かかわった少女は1,500人で報酬撮影1回につき10-40ドル経営者には、毎月10ドル収入があったと想定される。しかし、少女とその家族たちは捜査に極めて非協力的で、少数のものしか証言に応じようとしなかった。また中心人物政府高官圧力によって釈放された、という報道もある。捜査2005年4月終結。その後、LSモデルを務めていた少女たちの中には、さまざまなサイトハイティーンヌードモデルとして活動しているものも見られる。

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