私は義務教育の間だいたいずっといじめられていた。不登校の期間もそれなりにある、中学は半分通ったか分からない。今でも精神科に通っているし、パニック発作を起こしたりもする。
でも加害者に対して分かりやすい憎しみが特にない。可能であれば幸せになって欲しいなと思っている。
「アメリカなどでの国ではいじめは加害者の方の精神に異常があると判断されて加害者が教室を追われている」という話を最近よく聞くようになった。専門家では無いので詳しくは知らないが、他人をいじめていないと保っていられない精神状態は健全ではないなとは思う。
それと、「精神的な病の事を良く知ろう、軽く扱わないようにしよう」というのも非常に良く聞く。患っている身としてはありがたいことだなと思う。
以上を踏まえて、何故いじめの加害者は精神が健全じゃなかったのに酷く糾弾されてしまうのだろうと私は思う。軽く扱ってはいけないとこんなにも言われているのに。子供の心が健康ではなくて周りに被害が出ているなら、それは被害を出した子供のせいではなく子供の精神状態を追い詰めている周りの大人や環境のせいでは? と思ってしまう。
加害行為をしないと耐えられないほどに追い詰められている子供は被害者なのでは、責任能力のない子供のことを責めるのは話が違うのではと思ってしまう。
いじめを受けていた時私は「親御さんが厳しいのかな」「家ではいい子にしていないといけないのかな、そんなんじゃ辛くなっちゃうよな」と思っていた。だからいじめをして来ている本人を憎む気になれなくて、話し合いの場が持てそうであればそうするが無理そうなら徹底的に距離を取った。結果不登校になって成績はガタ落ちしたし、卒業後は遠方への引越しをした。地元にはもうおそらく二度と帰らない。失ったものは大きいなとは思う。楽しい中学時代をすごしたかったし、出来れば卒業アルバムを大事にしたいと思いたかった。そう出来る生活がしたかった。
けれど同時に、当時私をいじめていた、私からその生活を奪った子達が今は幸せだといいなと思う。どうにか克服して健全な精神を取り戻していて欲しいし、そのために必要な大人の手助けを得られているといい。私をいじめるという捌け口を得ていたのだから、その分幸せになって欲しい。私のキツかった時間を無駄にしないで欲しい。
しかしながら、いじめ被害者の方で私と似たようなことを言っている人を見たことがない。よく聞くのが、「自分をいじめてた奴が普通に家庭を持ったり幸せになってることが耐えられない」というような話だ。自分は今でも負の経験を抱えて生きているのになぜお前は幸せになってるんだ、というようなことだと解釈している。このような意見を見る度に私は間違っているのかと思い酷く落ち込む。なんだか恨むことすらない私は他人に興味が無さすぎるか、感情が欠落していると言われているような気になってしまう。
いじめに関しては許す許さないの問題ではないと思っている。傷は癒えないし、フラッシュバックはあるし、パニックも起こす。抗うつ剤もカウンセリングも無いとやっていられない。そういう意味ではいじめ加害者の行った行為は「許されないこと」だと思うし、許しているか許していないかで問われれば私も「許していない」になるのだと思う。
ただそれはあくまで被害者が決めることであって、どちらでもいいし、許したって許さなくたって概ね普通の生活は送れる。努力を要するかもしれないけれど。それからどちらにしろ加害者サイドには関係の無いこちら側の精神の話なので、加害者が「許された」だの「許されたいと思って行動を起こす」だのは関係ない。加害者サイドには酷い行いを過去にしたという事実しかない。許されようとそこは揺らがない。だから、いじめの経験を乗り越えるのもそうしないのも、許すも許さないも勝手にこちらで決めるし、自分の決めた道に進むので、そちらは勝手に幸せになってくれと思う。許しを乞う事をせず事実だけを抱えて自分の道を選んで欲しい。結果幸せになってくれたらいいな、加害者被害者関係なく、「一人の人間が幸せになること」は素晴らしいので。
それから、加害者は「いじめをしていた」という過去を背負っていて、隠している限りとても幸せに生きていけるかもしれないが露見した場合いっせいに手のひら返しをくらって責め立てられる可能性も持っている。もし芸能人だとか政治関係だとか、目立つ職に着くことを望んでいるならネガキャンの材料にもなるだろう。それでもういいのでは? と思ってしまう。人としてダメな行いをしていた、人格破綻者の一面がある、という事実がそこにあるだけで、既に断罪されているなと思う。そこにさらに辛い経験を重ねる必要はないなと思ってしまう。マイノリティの考え方なのかもしれないけれど。
いじめを無くすにはいじめ加害者がいなくなる必要があるわけで、要は全ての子供の精神状態が健全であればいいのだろうなと私は考えている。無理があるほどに教育熱心な親や、機能不全家庭が無くなれば一番話が早い気がする。子供には正しい形の大人の支えがないといけないし、それを行うことがどんな形であれ(親であれ教師であれ)、子供と関わることを決めた人の責任だなと思う。
加害者も被害者も苦しい時間を味わって生まれるのがいじめなのだと思っているので加害者を憎む気になれないな、でもそれはマイノリティっぽいからしんどいな、という話でした。