複数の分野で食うに困らなければ十分という新しい仕事観どちらが正しいのか彼らの議題として上がっていた。
翔平は一つの分野を極めようとはせず、複数の仕事でそこそこ稼げていければいいなと
思っている。
新しい時代の働き方とはそこそこ稼げていければいいとどっちつかずに働く人たちを
近代まではいかにお金を稼ぐか、一つのことをどれだけ頑張れるかを問われてきた。
今の時代はどれだけ互いを肯定しあえるか、そんな仲間を持てるかが幸せの軸になる。
人間付き合いが上手であればあるほど、他人を強制させて何かをやらせようと
しない。
そんなことをしても良いことがないことを彼らは知っている。
お互いに頑張らなくなる。
頑張らなくても誰も注意しないのでもっと何もしなくなる。
これが続くとどうなるか
育ってきた環境から生まれたアイデンティティがより容易に仕事の成果に反映しやすくなる。
反骨心があるやつは頑張れと言われなくても頑張る。
才能があるやつは勝手にその道を極める。
今までは反骨心があるやつでも環境に恵まれていなければ、会う人は限定され、
情報も限定され、お前には無理だと言われ続け、結局平均化した自分を認めるようになる。
運の要素が強かった。
会いたい人にはツイッターで出会える。チャンスはすぐに手に入る。
それをやるかどうかは自分の反骨心、夢を叶えるんだという熱量次第である。
そんな中で次に出てくる格差は弱音を他人にさらけ出せるかどうかであると思う。
確かにネットでなんでも情報もチャンスも手に入るようになったこの時代だが、それにはネットに実名と自身の経験と夢を嘘偽りなく
書かなければいけない。
そしてそれをみんなに公開しなければいけない。
嘘か本当かわからないやつに愛ってくれる人など誰もいない。
自分の弱いところをさらけ出すには勇気がいる。プライドを捨てる覚悟がいる。
自分が今まで恵まれない環境にいたことを話すのはとてもカッコ悪い。
叶うかどうかわからない夢を公言するのも失敗した時に恥ずかしい思いをするかもしれない。
そうやって周りから見た自分を気にしてしまう人にはツイッターのプロフィール欄にかけることは趣味しかない。
今ある格差とは自分をさらけ出して夢を語れる人人々は憧れを持ち、
周りからの目を気にしてしまう環境にいる人たちが不幸に感じる。
近代では高いプライドを持ち、いわゆる三高、外見だけ良くしている連中と付き合っていれば幸せで入られた。
その中で自分を偽ってでもそのグループにいることが優劣の決める軸だった。
そこで周りから見下されないように努力すれば給料も上がり、勝ち組への道を歩んでいけた。
しかし努力は隠してするよりもオープンにした方が得する世の中になってしまった。
プライドを下げて、俺はこんなに下の人間なんです。だからこんなに頑張ってるんですと
言わなければ、夢への近道は通れなくなった。
テラスハウスのような
才能のあるやつはそんなことを言わなくてもみんなが注目する素材を持っている。
だからみんなそんな顔に生まれたやつに憧れ、そんな悩みを持てたやつに憧れる。
プライドを下げて夢を叶えて金を稼ごうとする人を憧れてしまう。
そんな自分を受け入れてくれる仲間がいる。
自分が目標としているものを意識することで努力に向かわせるような高収入でプライドの高い人間やブランド物の服、素敵な暮らし、良い車、なの知れた会社、有名大学、ではなく、
努力を強制させない、プライドの高い人が少ない大学、貧乏な暮らしでも笑って暮らせる仲間、ダサい服を着ても何も言わない友達、努力しろと言ってこない会社に価値を感じるようになると思う。
職を失い、その噂は転職先に回る。
何もかもを失う。
しかし今はそれを受け入れてくれる人はすぐに探せる。
情報が次々と入れ替わる世の中では
さらにAV男優を夢化することで応援してくれる人は増える。その夢に共感してくれる人は人格も外見も優秀な人である確率が高い。