ずるいといってもあんたも平凡な家庭ではあるでしょ
梶川美由紀(仮名)は、軽度の知的障害を持って生まれた。IQは60台。背が低く、ふわーとした雰囲気で、何も考えずに相槌だけを打っている女性だ。
両親の意向で小学校、中学校は普通学級で学んだが、中学時代にいじめにあったため、卒業後は特別支援学校の高等部に入学した。その後、障害者を多く受け入れているクリーニング店で働きはじめた。
美由紀が13歳年上の谷亮(仮名)と知り合ったのは、その職場でのことだった。亮は自閉症をわずらっていた。2人は家が近所だったことと、趣味のゲームが同じだったことで、お互いの家を出入りするようになり、やがて恋に落ちた。
結婚が決まったのは、出会ってから5年目のことだ。美由紀が妊娠したのである。当初は両家の親が話し合って、中絶することも考えたが、本人たちがどうしても生んで結婚をしたいと言い張ったので、認めることにしたのだ。
生まれたのは、女の子だった。2人は子供が1歳になってからアパートを借りて暮らしはじめる。だが、すぐに壁にぶつかった。美由紀は離乳食づくりやおむつ替えを毎日続けて行うことができないのだ。
夫の亮もそうだった。彼は極度の潔癖症だったこともあって、よだれを垂らしたり、お漏らしをしたりする赤ん坊を触ることができない。
そこで美由紀の両親が毎日アパートに来て、赤ん坊の世話をすることになった。離乳食をつくり、お風呂に入れ、オムツを変える。熱を出した時は駆けつけて病院へ連れて行った。育児のすべてを両親が代わりに行ったのである。
こうした生活は長くは続かなかった。娘が2歳になって間もなく、美由紀の父親が脳梗塞で倒れてしまったのだ。半身が麻痺して1人でトイレすら行けなくなった。母親は夫の介護と、孫の世話を同時にすることになる。
母親を失った美由紀は、保育園に通う娘の育児を1人でしなければならなくなった。
生活は立ち行かなくなった。美由紀は懸命に育児をしているつもりでも、保育園の送り迎えを忘れてしまったり、ご飯を何日も食べさせなかったりしてしまったのだ。本人も無自覚なところで、育児放棄が起きてしまったのである。
夫の亮にも大きな負担がかかった。美由紀が子育てをできないことから、亮が代わりにしなければならないことが増え、情緒不安定になっていったのだ。亮は娘を害虫のように嫌うようになり、時折パニックを起こして暴れたり、美由紀や娘に手を上げるようになったりした。
家庭の状態にいち早く気がついたのが、保育園だった。娘が通園しなくなったばかりか、連絡も取れないようになり、市に通報したのである。職員が家庭訪問に訪れた時、娘はやせ細り、全身が垢だらけになって、しゃべることさえできなかった。美由紀もDVによって全治2週間の怪我を負っていた。
その後、勤め先の上司などが間に入って2人は離婚することになった。亮に子育ては無理だという判断もあったのだろう。美由紀は娘を連れて母子生活支援施設に入居することになった。
母子生活支援施設にいる間、職員が家庭の世話をしてくれた。美由紀も支えてもらうことで少しずつ精神の安定を取りもどしてきた。
そんな中で、美由紀は新たな恋をする。ビデオレンタル店で、精神疾患を抱えた男性と知り合ったのである。男性は無職。親が所有するアパートで一人暮らしをしており、美由紀は娘を職員に預けてそこへ通い詰めるようになった。
ある日、職員が美由紀のお腹が大きくなりはじめているのに気がついた。病院へ連れて行ったところ、妊娠が発覚した。どうするのかと問われ、美由紀は答えた。
「産む。彼と結婚する」
何を言っても意志を曲げることはなかった。そして、施設には黙って、精神疾患を抱えた男性と何も言わずに籍を入れてしまったのである。
夫婦となった2人が望む限り、結婚を妨げることはできない。だが、母子生活支援施設には夫婦で入ることは許されていない。母子のみでの入居が条件なのだ。とりあえず、施設の側は美由紀がお産を終えるまでは面倒を見ることにした。
数ヵ月後、美由紀は第2子となる女の子を出産した。ここで想定しなかったことが起こる。第2子の赤ん坊がダウン症であることがわかったのだ。
ある知的障害をもつ女性が抱える、恋と育児にまつわる様々な問題
育てられない母親たち④