何かでっかいスキャンダル的な話があった時に、全容の解明を、とか責任問題が、とかいうことはよく言われるしメディアもそういう論調で取り上げてる事が多いと思う。で、これには自分としては疑問があるという話をしたい。
自分はプログラムを書く人間なのだけれど、プログラムを書くって事はバグを作り込む事になるので、しばらくプログラムを書いていればどうやってもバグを作り込んでしまうことになる。こういう時、全容の解明も責任問題も確かに重要なんだけれど、同じようなミスを二度起こさないようにする仕組みづくりってのの方に力を注いだほうがいいって思っている。これを自分は「バグの発覚は改善のチャンス」てな感じで考えていて、実際、バグがみつかったということはテストを増やせるかもしれないし、似たような問題を起こしにくくなるようなワークフローの改善ができるかもしれないっていう考えが先に来ていて、その次に全容の解明(全容がわかれば対策などが立てやすいから)、さらにその後に責任問題(何らかの責任者に改善案を実行するための圧力をかけるため)を気にする、みたいな感じに思っている、というわけ。なので、自分としては一番に考えるべき改善の事が何も話されていないように見えるのには疑問があるのだ。
といっても、例えば政治におけるスキャンダルをメディアが取り上げるって話と、プログラムを作る時に起こった問題に対処するという話を同列に扱ってもそれは悪い例え話にしかならんよねとは思う。
この例の場合はメディアが取り上げるのは事実に基づいた話でしかなくて、改善案をメディアが議論する理由はあまりないのではないか、という感じ。
ただ、自分としては問題が発覚したということは喜ばしいことだ(改善できるぞ素晴らしい)、という概念なのに、なぜだか問題が発覚することは良くないことだ、責任をとって辞めろ、みたいな事しか話されないような風潮が構成されているのに疑問を感じてしまうという事を誰かに伝えたかった。
いっその事、道徳みたいなレベルで問題を発見したら改善を行うチャンスと思う事を浸透させてみたい。
と、考えた辺りでそういう道徳観念が行き渡っている世界ってどうなんだろう、そういうショート・ショートがあったらだいたいはディストピアなんだろうな、でもそういうの読んでみたいな、と思った。
その世界では日常における様々な問題が発見されるたびに改善されていっているため、例えば年寄りによる車の暴走があると気づいたら暴走が起きても大丈夫な自動停止システムが発展していたり、色々な所で発生している「改善」が実は車輪の再発明がなされていた事に気づいたことで改善検索システムみたいなのが導入されてたり、人付き合いが下手な人間によって引き起こされる問題は、見方を変えると人付き合いが得意な人間による推測と寛容の性能の高さによって担保されていることに気づいたことで、推測を交えないような対話方法が模索されて言語まで拡張されていたりと日常的に改善が行われているという世界なのだろう。
ちょっと違うけれど世にも奇妙な物語か何かで、嘘を言うという概念が無い世界で嘘を発明した人が〜みたいな話があったような気がする。あんな感じで問題があっても改善をしない「なぁなぁ」という概念を発明した人が〜みたいな話の流れになったりするんだろうか。
読んでみたい。
これくらいなら良くある話だろうが、途中に24時間通し勤務があるのが肉体を蝕んでいる。
日勤、日勤、24時間通し、日勤、日勤、24時間通し・・・という感じで2週間になった。
最近動悸、胃を押されるような痛み、めまい、指先の震えがある。
あと3日働ければ、1日休暇を貰える予定だったが、来月急遽150km離れた所への異動が決まったので、
休みは異動先の部屋探しで1日潰れることになった。
この3点って、確か過労死したときに労災貰える基準を満たしてるよね?
マジで倒れそう。
追伸:残業代は今話題の裁量労働制になっているので、一切貰えません。裁量とは名ばかりで実際はシフトで勤務しているから労働時間の裁量はありません。
そんな会社辞めたら?と友達から良く言われるが、入社する際にNDA契約書にサインさせられており、退職すると今の資格を使った仕事には2年間就けないことになってる。