はてなキーワード: 小関とは
その大小関係ってどういう基準で評価してる?
ちがう。
感情を理解できるかどうか?は 統計によって人間の行動を予測できる できるかどうか? に 部分的に依存する。(全てではない)
という事実と、
ワケワカンナイヨという発言は感情がないと出来ないのではないか?この発言に感情論以外の合理的な理由があるか?
という話は別な話。
現状QBが感情を理解していたのではないか?と定義するには、背理法的なアプローチと、 QB自身が感情を有すると証明する。
前者は統計の話は背理法で、 ワケワカンナイヨは演繹的証明。 手法が違う。
此処で言うのは、QBはウソを能動的に付けるかどうか?という点。そのために、ワケワカンナイヨが能動的な嘘か?という事の証明。
だとすると、インキュベーターがいわゆるジャイアン。力は強いが知性は低い。存在でもいいと思うけど。そういう事になっちゃうよ?
(大小関係は別として個体の死の価値を理解できるとなると。)個人的には、スケールが違いすぎて個体の死が理解出来ないのかと思っていた。
大物小物は、作品のスケール間の話。えらい、ちっちゃな話になったなぁと思って。
ようするに、さやかが騙されたホストはQBだった。という話で。 QBは所詮ホスト程度のサギでしかないと。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
Ohnuma Sound Lab. blog 【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
発言者である大福Pは著作権等法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。
彼の主張は
ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画に投稿している人の総称。立場上は作曲者
ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケを投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。
投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメや音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。
分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。
元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである。
Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)
ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞・作曲者への冒涜だから無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞・メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだから。ゴミ屑の発想。dfk_ohnuma
曲データでモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc
来年はボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma
これ以降ブログに主張が移る。
「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。
要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。
話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用である。マナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合はルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい。
話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
などという主張をしているようである。こういう盲目な信徒というのはクローズドなコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。
彼らは「歌い手に感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である。
大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザーは作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。
先の都条例でも同様だが、創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。
たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。
「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である。
一次創作物から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。
ニコニコ動画は視聴者、コメント、マイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作の動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)
また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者は演奏団体を纏めるから、演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが、経営者と労働者の関係がイーブンであるように、指揮者と演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。
そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である。評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。
とにかく、一次創作と二次創作の間に、表現上の優劣はないということである。創作者の間でも、もちろんのこと。
ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観的だが、敬意とはそういうものだ。
敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである。
正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である。価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術に寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である。
創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。
敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから、芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」
「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示である。あなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。
だから、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。
そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。
だからこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいっとき「音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したのである。
だからこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。
推敲後、追加予定。
しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナーを創作物の中身まで相手に強いている。
品位ある行動は各人努めたいものだ。
自分で出すべき証拠を相手に出させようとして相手の負担を増やすせこい論法ということ。もちろん相手にどう思われようがかまわない、相手を黙らせて勝った気分になればそれでいいということなら勝手だが。
見えないものは存在しないなんて主張してない。例えば空気とか見えなくても存在してると思ってるよ。
定量化出来なくても大小関係は比べられる。
わざわざモノサシで測らなくてもどっちの人が背が高いか分かるだろう?
それを君は思いこみだと言うのかい?
実際にすることとできることは別。実際に物差しで計ってなくても物差しで図ることが可能ならやはり定量化可能であることに変わりはない。量を測ることが不可能なものを持ち出して大小関係を尋ねるのがナンセンスということ。もし可能というなら方法を示してほしい。
悪魔の証明が詭弁だからといって、「これこれなものは存在しない」という形の命題が全て正しいワケでもないだろう?
君はそれを平然と言って、それを論拠として論を展開しだしたものだから指摘した。
いやいや。無意識なんて見えないものの存在を主張するなんてばかげてる、みたいな事を君は言っただろう?
それだったら心だって見えないんだから心の存在を主張できないことになるということだよ。
定量化出来なくても大小関係は比べられる。
わざわざモノサシで測らなくてもどっちの人が背が高いか分かるだろう?
それを君は思いこみだと言うのかい?
悪魔の証明と同じ子といってるんだからあんたが詭弁を要ってるということ。
まず定義を明確にしないとだめだろ。それもせずに無意識がないなら心がないというのは論理が飛躍しすぎ。少なくとも意識が心の一部であるなら無意識がなくても心はあるということになる。自分は意識は心の一部だと思うがあんたはどうなんだ?もしあんたもそうなら無意識がないから心はないということにならないのは理解できるよな?
思いこみと呼ぶのは勝手だが、定量化出来るものしか信じないのではまともに生活出来ないだろう。
相変わらず非論理的だが「定量化できるものしか信じない」といってるわけじゃなくて「定量化できるものしか大小関係は比べられない」ということをいってるんだが。
さらに付け加えておくと無意識と意識とどちらが大きいかと聞いてきたのはあんたのほうだからね。
存在しないから定量化できないだって?存在しないことを主張するのは困難だということは分かるよね?
それと、無意識が存在しないのだとしたらそれと同じくらいの確実さで心も存在しないことになるけれども。
定量化できなくても経験的に大小関係が分かることもあるだろう。
多少なりともこういった素養や実践経験があるなら通じるんだが、無いだろうから話しあっても仕方ないね。
君はこういうの向いてない。
余計なお世話かもしれないが、無意識を信じることであなたは困ってると思うよ。
最初のネタ扱いの書き方が失礼だったことは申し訳なかったですが、どうかカッカしないで欲しい...。
で、結局、何を「メリット」と考えるか、何を軸に「大小関係」を考えるのかがずれているのだと気づきました。
「forを再帰で代替するなんて、どういうメリットがあるの?」という大元増田の疑問に対して、「ループは再帰の一種なので、表現力としてはメリットもデメリットもありませんよ(大小関係はないですよ)」と申し上げましたつもりでした。
まあ、そもそも元がfizz_buzzの書き換えの話だしね。
「再帰に書き換えて俺のプログラムが速くなるのか」というのなら、処理系にもよりますが速くなったり遅くなったり変わらなかったりすると思います。
それで、一番引っかかっているのが、これ。
再帰処理って処理を停止して新しい処理を行い、終了後に停止していた処理に戻ることじゃない?
「はてな認証APIを使ったWebサイト まとめ(その1)」に便乗。d:id:sirouto2さんから始まった「2007年のまとめブーム」に便乗。
書いている途中にd:id:nekonamiさんの日記と人力検索の質問を思い出した。とても豊富だ。改めてまとめる必要はないのかもしれない。
ただ、「はてな認証APIを使ったWebサイト まとめ(その1)」の記事がある程度ブックマークされていたのをみて、はてな認証APIを利用したサービスの制作・利用を再活発化させる絶好の機会だと思った。
そこで、まとめ(その1)にあがっていないところで個人的におもしろいと思っているものを3つ挙げてみる。
サードパーティアプリケーションから直接はてなアカウントのパスワード入力を求められることはありますか?
いいえ。
はてなは、はてなが保持するドメイン(hatena.ne.jp / hatelabo.jp) 以外で、はてなIDならびにパスワードの入力を促すことは決してありません。 はてなドメイン以外のサイトでID/パスワードの入力を求められた場合は、そのサイトがはてな認証APIを騙ってパスワードを取得しようとしている可能性がありますのでご注意ください。
なお、認証APIを用いた認証確認画面にゲスト(はてなにログインしていない状態)で訪問すると、はてなのログイン画面にリダイレクトされ、アカウント名とパスワード入力画面となります。これははてなドメイン内での入力ですので安全です。なお、安全のためそのサイトが本当にはてなのサイトであるかどうか、必ず確認を行ってから情報の入力を行ってください。
万が一誤って第三者のサイトでパスワードを入力してしまったと思われた場合は、Myはてなからパスワードの変更を行ってください。
はてな認証APIを使ったWebサイト まとめその1とその2がhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070304234506にまとまったようです。