はてなキーワード: 鳥取出身とは
“田舎者と貧乏人を初めて見た話”を読んだ感想を、そっと書き残す。
それも日本で5本の指に入るほどの田舎で生まれ、高校卒業までそこから出たことはなかった。
小学校は地元の公立に通い、そのあと中学受験をして、家の近くの中高一貫校を卒業した。
中高時代は近くの学校まで自転車で通学し、部活と勉強が生活のほとんどだった。
現役で慶應に進んだ。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、「この店、もってる株主優待券使えるじゃん」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
田舎では子供はもちろん、大人だってそんなものは持っていなかった。
他にも非常に面食らうことが多かった。
23区内で実家の近くに、マンションを借りて下宿させてもらっているひと
就職解禁日に東京ガスの内定が決まった報告を親から知らされるひと
などなど挙げだしたらキリがない
世の中は生まれた瞬間から不平等だということを腹の底から理解したね。
田舎ではそこそこ裕福な側だったから、余計に東京の富裕層をみておどろいたね。
都内御三家卒トリーバーチさんが言う通り、たしかに生活文化もぜんぜん違った。
ただ、今までの自分と異なった生活文化の良いところにたくさん気づけたし、良いとおもったところは自分に取り入れていったから、そこは都内御三家卒トリーバーチさんと異なる点かな。
まあ、東京という街が、大部分日本全国の地方からの上京者で構成されるので、地方出身者がその文化に馴染みやすいのは、構成からみてそうだろうというのはあるけどさ。
ただ、この文章は都内御三家卒トリーバーチさんへのアンチテーゼだから、敢えて悪いところも書くけど
都内御三家卒トリーバーチさんみたいに、いわゆる東京の消費文化にどっぷり浸かっているひとを見たときに、「なんだか人として薄っぺらいなあ」と感じたね。
それは、そういった人達が、自らの意識じゃなくて、営利企業の広告・周りの人々の目線・マウントといった外部の刺激に翻弄され踊らされ、自己を見つめる機会が少なく、モノを消費させられているかんじがするからだとおもう。
なんだか操り人形というか、外部の刺激にただ反応している動物のようにも見えるんだよ。
最近そういう消費させられているかんじをダサいと感じる精神性が、世界的に若い人の間で増えてきているように感じる。
あと少し話は変わるんだけどさ、都内御三家卒トリーバーチさんの文章を読んで
やっぱり日本で最も根深い差別は“出身地差別”だとあらためて確認することになったね。
例えばこんなかんじ
「大阪出身なんだ、なんかおもろいこと言ってよ笑」
「埼玉出身なんだ、ひっ捕らえろ」
それも無自覚で問題視もされてないから、LGBT差別なんかよりも根深い。
人種もLGBTも本人の自由意志による選択ではないから、そのことで差別するのはいけないことなんだよな。その理屈は全くもって正しいとおもう。
そして出身地も本人の意志で選んだものじゃないよな。それなら“出身地差別”も前の2つの差別と同じようにやめようとなるはずだとおもうんだけど、実際はそうはなってない。
「田舎者の無粋さと、田舎のつまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。早く都へ帰りたいわ。」って言ってるけどさ
それは白人が「黒人の無粋さと、つまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。白人だけのコミュニティですごしたいわ。」というのと、構造的に全く同じだと自覚したほうがいいよ。
ただね、そんなバカにされている地方出身者にも、都内御三家卒トリーバーチさんよりも明確に恵まれている点がある。
それはスタート地点が低く恵まれていない地方出身者の方が、それから先の人生の伸びしろが大きいということだ。
もうね楽しくて仕方ないよ、ワクワクするね。
どんどん生活の質が上がっていく。これは本当に希望に満ちあふれているよ。
人間って生活の質が向上したときに幸福感を感じるというのが持論で、それは進化生物学的にも則しているとおもう。
(※もちろんそれだけでなく、他にも幸福感を感じるときはある)
そう考えたら、これからの人生ずっと昇り調子の地方出身者は幸せだとおもう。
生まれた瞬間から上限近くだと、それ以降の人生良くて現状維持で悪ければ転落だよね。
それは不幸だとおもう。
実際、都内御三家卒トリーバーチさんは都落ちして、生活の質の低下に苦しんでいるよね。
あとこの仕組みには、都内御三家卒トリーバーチさんへの救いも内包されているよ。
だって、都落ちした都内御三家卒トリーバーチさんは、その出来事によって、今までの都内での暮らしの素晴らしさに気づけたわけだし、何より一度下がったらこれから上がる楽しみを得られるわけだからね。