はてなキーワード: 事務機とは
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元増田のなんと心の清らかなことか。私も見習いたいと思いつつ、齢40にして、まだまだそこまで至らない。
至らないついでで、元増田の記事を読んで脳内からズルっとフタをしていた思い出が湧き出てしまったのを語らせて欲しい。
私の場合はアトピーだった。幼稚園頃から手の指先に出始め、小学校高学年になるにつれ男子たちに目に見えて気持ち悪がられるようになり、そこからストレスなのかホルモンバランスなのか顔まで荒れるようになった。
もちろんフォークダンスも嫌がられた。
なるべく触れないよう、手を浮かせて踊ったが何かの拍子にぶつかってしまい舌打ちされたりした。
また自由時間でただ仲の良い友人同士が固まって喋っているとき、ヤケにニヤニヤしてこちらをみている男女混合グループがあって何かと思えば、ゲームをしていて負けた人間が「増田に抱きついてこい」と言われ「できない」「やれ」の応酬しながら、こちらを見ていたとのこと。
無視していたけれど、チャイムが鳴って教室に帰る途中で後ろから急に抱きつかた。該当人物はヒーローのように讃えられ、私には「ゴメンね、オレらこんなノリで」みたいな、謝罪にならない謝罪の言葉がかけられた。
もう三十年経った、今でもこの時の立ち居振る舞いの正解がわからない。
その当時の友人が私の代わりに腹を立ててくれて、それが救いだった。
友人は「増田さんはこんなことされても怒らないの凄いね。偉いね」と言われたけれど、自己評価が低くて、私なんかが人に怒りを表明していいものなのかもわからなかった。
結局、アトピーはストレス原因である学校を卒業したらあっという間に治った。
しかし見た目は普通の人と同じになったけれど、社会人になってしばらくは自己評価は低いままで、人との協力関係がうまく築けず戸惑った。
明らかに助けが必要としている同僚を、しかし「私なんかが手を出していいのだろうか。迷惑がられないだろうか」と二の足を踏んでしまい、「協調性がない」「チームワークを乱す」など呆れられたりした。
何度か転職を繰り返し、自分の中で「こういう時はこうする」と、朝ドラの舞ちゃんのように日常会話シミュレーションを繰り返し、挨拶などの簡単なものから順に反復練習をするようにしてリハビリしていって今に至る。
仕事も今の会社に入って10年以上が経過し、ある程度の信用を得られるようになったと思う。
今の仕事では被服や事務機など、会社で使う備品や消耗品の管理などもしている。やってくる営業の相手もして、どこにどう発注するかを判断する。
そして、あの学生の頃のパリピ連中が営業に来たらいいのにと妄想している。
そうしたら「あの日、あの時、バカにされた増田です。覚えていらっしゃいますか」と。
「別に今さら謝って欲しいわけではないけれど、教えてほしいのです。あの時、私はどう振る舞うのが正解だったでしょうか」と。
明確に困らせたい。困らせ、上司を呼びつけて担当を変えてもらう。
実際に、そういう場面に出くわしても、きっと当たり障りもない対応をするんだろうけれど、どうしても妄想は止められない。
そして妄想たくましく、営業にきた元同級生は会社に居づらくなり退職するところまで考える。
きっと私にしたことを他の人にもしてる。余罪もあるはず。この出来事がきっかけに明るみになって破滅したらいい。
そうして私は順風満帆に人生の終盤を迎え、子供は独立。夫を看取り、自分もまた施設に入るだろう。
その時、担当になった介護士が言う。「増田さん。覚えていますか」と。
1986年に出版された『任天堂のファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。
・ファミコンのCPUは任天堂とリコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。
・当時のリコーのスタッフ曰く、任天堂から「ゲームウォッチがピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。
・開発費は億に達したと言われている。
・リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。
・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。
・昭和58年春に6502互換CPUの採用が決まった。(ファミコン発売はその年の7月)
・リコーが半導体の生産に参入したのは昭和56年5月。自社のカメラや事務機向けで、余剰分を外販する腹積りだった。
・しかし工場を作ったものの外販先はなく、実績が無かったので一年目は外販ゼロだった。その後アタリ、コモドールジャパンに外販したが業績は良く無かった。
・そこに「300万個は保証するから」という任天堂の山内社長の一声で提携を決断した。
・現在(出版当時)リコーは任天堂への独占供給の代わりに、ファミコン用CPU/PPUの外販は任天堂の許可が必要な契約になっている。