先に結論だけ書いておくと、これはダメ人間が書いた掃き溜めだ、読む価値はない、これを読む時間を聖書を読む時間に当てた方が有意義なことを保証する。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。いや蛆虫の方が医療等で活躍できるため自分よりはるかに有用だろう。
これら先延ばしのこと等は自分の中ではやらなければならないとは思っている
・まだ実装できていない機能を実装し、残っているタスクを消化する
など、どうしなければならないかの道筋は頭にあり、またそれを実行しさえすれば解決できるものであると確信している。
しかしなぜかできない、なんでと言われても自分でもその理由がわからないので答えようがない。
これらは自分の中ではやらねばならないことだと認識しているので、やれないことに対する不安がだんだん心の奥底に鍾乳洞から滴り落ちる水滴のように溜まっていきいつかこぼれるのだと思っている。いやすでに溢れていてそれが現状の鬱なのかもしれない。
自分は社会で最低限必要なことができないクズだ、ADHDや鬱がなければまともになれたと思うが現状まともでないのでクズであることには変わりはない。
おそらくこれを読んでいる方の中には「やればいいじゃん」と思ってる方もいらっしゃるだろう、まさにその通りだ。やればいいことでやれば終わることだ、しかし今の自分にはできない。今の自分にできるのはだた陰鬱とした感情を吐露することのみである。
もしできることなら自殺できたらと思う、迷惑をかける自分の存在は周りにいる人や社会にとって明らかにマイナスなのだ。
これら特性は今に始まったことではない、大学では引きこもり本を読むか(自分以外に無意味な)コードを書く日々を過ごしていた。この時も本来やるべきである勉強をしていなかった。(私は物理系の学科だが情報系の勉強ばかりをしていた)
大学生だというのにまともに交流も勉強もせず無下な時間を狭い6畳一間の部屋で過ごしていたのだ。さらに大学も中退してしまった。
もっと昔に遡れば高校の時も嫌になった部活や委員会から逃げたり、中学校の時も嫌な勉強から逃げたりしていた。
こう見てみると自分の人生は「逃げ」か「嘘」しかない空虚なものだと思う。結局ADHDとして生まれた時から自分の人生には「逃げ」か「嘘」しかったのだとも思う。
最近、人生をやり直せたらと思うことが多くなってきた、現在20台半ばだがすでに未来は暗い、丑三つ時の夜空の方がまだ明るいだろう。
スキルもなく、人格も悪い、事あるごとに「逃げ」か「嘘」を使い、全ての事象から目を覆うダメ人間に未来などない。
昔は自分の人生は素晴らしいものになると思いていた、自分で言うのも恥ずかしいがIQは高く、記憶力に優れ、芸術的センスも平均以上にあり、会話や交渉が得意、これらの才覚があれば自分は素晴らしい人生をあゆむ素晴らしい人間になると錯覚していた。
しかし、これらはあくまで"普通のことができる"、"努力ができる"人間であればと言う話だ、自分はおそらくこれらの代わりに"普通のことができる"、"努力ができる"と言う一番大切な能力を失ったのだろう。そのせいで無駄に悪知恵が働き、無駄なことを覚え、よくわけのわからない表現をつかい、他の人を騙す、最悪の人間になってしまった。
厄介なのが自分の中に自分の理想像があるのが一番厄介だ、もし自分の理想像がなければ現実との解離で苦しむことはなかったのだろう。
如何しようも無い現実が存在し、それからは逃れられない。現実から目を背けても無意味などころかより悪い状態に陥る、しかし目を背けずにいられない。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
もし、自分が中学生の頃までにADHDだと診断を受け、適切な治療を受けていたら?
もし、大学生の頃、鬱傾向が出た時にきちんと精神科で治療を受けていたら?
もし、ADHDや鬱がなかったら?
これらはあくまで現実と解離した無意味なIFにすぎない。しかし、当事者である自分からしてみると考えずにはいられず、またありえたかもしれない世界という逃げ場所を失うと言うことを避けたいのだ。
自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金や公共料金は滞納し仕事を先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。
しかし、今までの文章からわかるように改善はもはや見込めない。ただこれからも周りに害を振りまく人生を過ごすだけだ。
もうどうしようもないのだ。
殺意すら芽生える。
死にたい。