そうやってあらためて考えてみるとレディースデーの利用者って結構限定されるんだな。60歳以上ならシニア割引でいつでも1000円だし、夫婦50割引もあるから50歳以上で夫婦仲良い人たちは二人でいくだろうし。
「いい人」っていろんな意味があるからねー。
小泉が格差を拡大して世の中を悪くしたと言う。
格差拡大は事実かも知れないが、少なくとも40??60才のやつらには絶対言って欲しくないね。
バブル時代に散々遊んだツケを今も払い続けてるからこうなってるんだ。
そもそも不景気は好景気のツケという考えがおかしい。
不景気と好景気は同じだけくるものじゃなく、経済政策とかによって違ってくる。万年不景気で貧乏なままの国もあれば成長する国もある。
第一考えが短期的すぎる。景気よくするのは正直簡単で、公共事業をやりまくればいい。
それで国がつぶれても良いのかお前ら?そうなったら海外脱出すら出来ないぞ。
景気悪いのに財政再建金利正常化とかやっても余計に国が落ちぶれるだけ。
今まで稼いだ分だって言っても、お前らの年代は払う量が少なすぎたんだよ。
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10001000/1112008091802.html
これを見てみろ。若くなればなるほどり赤字一直線だよ。
子沢山の世代は育児の負担も多いはずだし、老人が死ねば次世代に遺産があるわけだから、そういうグラフの世代間格差とか言うのは単なる煽り。世帯間格差というほうが正確。
格差が広がったんじゃなくて、若い奴らが減って一人あたりの負担が増えて金がない、中高年は今までの生活をやめようとしない。
その差が出てるだけだよ。
バブル期に就職は向こうから来て、しっかり遊んで、それでいて老後もしっかり遊ぼうってか。
その金はどこから来てるか考えたことあるのか?就職氷河期と呼ばれ有名大学出ても仕事がなく、車すら買えない今若い労働者の税金だぞ。
賃金はどこから出てくるか考えたほうがいい。誰かが消費しないと賃金を払うことはできない。氷河期が来るのは不況でみんなが財布の紐を締めて企業もそれにあわせて人件費削るから。バブル=悪、消費=悪の価値観に染まってる限り、いつまでたっても賃金も増えず氷河期が続くことになる。
あなたには雑誌の連載ページがどのように作られるのか、ぜひ知ってもらいたい。
普通は編集部内で「雨宮さんにいつもの話をしてもらう連載はどうか」「いいねえ、やってもらおう」というやりとりがあって連載のオファーが著者にいきます。
著者へ「こういう感じの連載をお願いしたい」、著者が「わかりました」となれば連載開始。「次はどういう話がいいですかねえ」というやりとりをして、毎回の大まかな内容を打ち合わせてから、著者は原稿を書き始めます。そして普通は原稿に編集部のチェックが入ります。担当編集者はてにをはチェックだけでなく「この表現だとこういう誤解をされそうなのでこんなふうに直しては」という提案をしたりします。
だからレスの「ゲームラボ読むような連中はそういう話題好きだろうから」は正しい見方です。ゲームラボ編集部は、そういう人のそういう連載が売上を伸ばすと考えたから、その人にそういう連載を書いてもらっているわけです。
以上はもちろん、すべて「基本的に」がつきます。
複雑な力関係、恩の貸し借りによって、「なぜこの雑誌にこの人がこのテーマで?」的な謎の連載が行われるケースもあるからです。
ゲームラボに関しては、連載のタイトルやリード(本文の前に入る短い文章)で、連載の主旨が読者にもっとしっかり伝わるようにすれば、元増田の「へーこいつもゲームに一家言あるのかと思ってたら」なる誤解を招かずにすんだかもしれないと思いました。
イーバンクには口座持ってないのでよくわかんない。
たまにポイント○倍とかやるからそのときに買うとさらにお得。
ファミマで買い物することが多いときはファミマTカードおすすめ。
せこいけど、ファミマTカードでQUOカードを買って(この時点でポイントがつく)
あとの支払いをQUOカード+ファミマTカード提示にするとまたポイントがつく。
QUOカードはセブンイレブンでも使えるので、間接的にクレカ払いにできる。
「これ、プレゼント」
「え、私に?」
「そう、開けてみて」
「あ……」
「この前じっと見てたからさ、欲しいのかと思って」
「じゃあ勿体無いから返品してくる」
急いで部屋を飛び出した。視界がぼやける。
「タグ取って無いからセーフだな、危なかったー」
映画館で映画を見るのが好きな女増田です。でも水曜日なんて週の真ん中で次の日に仕事があるのに、映画なんて見にいけないよ…。というわけで私はもっぱら金土あたりのレイトショー割引(20時台の回)を利用しています。コレなら毎日1200円ですよ。レディースデーは専業主婦向けなんじゃないかなあ。
いいえ。
しかし決済するお店側から見ると、システム上はクレジットカードの扱いになります。
クレジットカードのフリして「1回払いで」と出すのが基本。
Amazonや楽天では使えました。他にもYahoo!ショッピングやヤフオク等、いろんな所で実際に使えました。
「口座の残高の範囲内でしか」→はい。
「お金を貸してくれないんだよね。」→貸してくれるわけじゃありません。決済したら即座に引き落としされます。
殆ど使えます。むしろネットじゃない通常の店舗でたまに使えないことはあります。決済システムの関係上そういうことが起こるらしい。
他のカードは検討したことがないので知りません。
元増田でないのだが、何が言いたいのかわからない。
当時大儲けしたけど、その後バブル崩壊で大損した人も多いわけで
大半の庶民にとっては関係ない話なのに。
「大半の庶民」は儲けていないはずなのに、どうしてその庶民でないごくまれな人が大儲けしたしていない、という話を遡上にのせてくるのだろう。だって「関係ない話なのに」で済ませていいんじゃないの。
ここをじっくり聞きたいね。
土地をもっているとトラックがつっこんできて、とかそんなダイナミックな話かな。
だってそれうまく話が転がっていっていたら、「関係ない話」ではなくて「まさにバブルの話」になったのだから。
たぶんホームレスだって食事の単価が上がっていただろうし、いろんな波及効果はあったはず。
まとめサイトだけ見て2ちゃんを知った気になってる感じがする。
自分は数百以上の痛みたことあるが、女たたき系なんか十板もなかったけど。
おそらく、はてな社内で検討がなされて「いけるだろ」っていう結論になったから実装されて公開されてるんだと思うけど、
GFDLでライセンスされているWikipediaをはてなキーワードページに取り込んで合成して表示した場合、
はてなキーワードページ自体をGFDLとして公開する必要があるんじゃないの?(はてなキーワードはGFDLじゃないよね?)
はてなキーワードのページでのWikipediaのコンテンツの使い方ってどう見ても引用の要件は満たしてないと思うんだけど。
それとも、こういう使い方ならページの親部分にはライセンスの効力は無いって事なのかな。
イーバンク銀行に口座開設して、ついでにイーバンクマネーカードも申し込みしたら、キャッシュと一緒に、VISAデビッドカードも着いてくきたよ。
Amazonはクレジット払いが基本みたいだけど、VISAデビッドカードってAmazonや楽天でも使えるのかな?
デビッドカードでは口座の残高の範囲内でしかお金を貸してくれないんだよね。
ネットのお買い物にはクレジットが必須なわけだけど、デビッドカードは使えるのかな?
昔からどこぞやのリサーチで、最近の若者は無反応なる話が出ているが・・・
確かに見ていると非常に納得してしまう惨状が繰り広げられているのだ。はてな的に言えば「スルー」状態が酷い。何らかの重大な間違いにすら何も言わないどころか真面目な指摘に[ネタにマジレス]とか脊髄反射的なタグが付いたりする。ひどいとダイアリー上で実況を始める。また、ブクマする方も[あとで]とか[( ・ิω・ิ)]とか意味の片鱗も感じられない定型文を羅列するだけ。
個人的には間違いは正したほうがみんな幸せでいいじゃん!と思うのだが、指摘する人より間違う人が多数なため焼け石に水だったりする。
なんだろう、俺には関係ないんだぞ層が増えて質すという概念が無い、いわゆるスルー化人だらけになってしまったのだろうか。
ちなみに、自分がよく見るのははてなブックマークが主で、自称知識派の30??40代vs信じるものだけが正義の30??40代の構図に見える。いずれも嗜んできた自分にとっては・・・というのはどうでもいいが、意外に若くないよなーと思いながら見るこの頃である。
そこそこ金があるのなら弁護士にでも頼むのがいいんじゃなかろーか。
その注意の方向が間違ってるって話なんでねーの?
他人ダシにして「自分はあなたの味方だけど、あの怖い他人が怒るからやめなさい」という注意の仕方は間違ってんじゃん?
昔ちょっとした恥ずかしい秘密を友人にばらされた。
それはもう焦った私は友人に詰め寄る。
増田「なんで言ったの!?言わないでって言ったよね、約束したよね!?」
友人「え、言うし。(当たり前じゃん的なニュアンスで)」
当時は「駄目だこいつ・・・早く何とかしないと」とか
ニホンゴワカリマスカー?とか頭オカシイんじゃないかと思ったのだが、最近やっと気づいた。
なんてことはない。間違ってたのは自分だった。
そいつを「友人」だと思っていた自分自身だった。
「オンラインで流せるテープ」 を提供していた muxtape が閉鎖して一月。昨日出た、運営者からのメッセージを勢いで翻訳する。
http://muxtape.tumblr.com/post/51762430 ←反応
僕は音楽を愛している。
音楽を愛している人にとって、そして音楽そのものにとって、音楽を共有するという欲望は、本質的でかかせないものだと信じている。
愛すべき音楽に出会ったとき、僕たちは友達をターンテーブルの前に集め、CDを貸し、カーステレオで鳴らし、ミックステープを作る。
僕たちは、音楽から感じるものを知っているから。他の誰かにも、それを感じてほしいから。
Muxtapeの物語が始まったのは、僕がオレゴンでやっていた、週一の大学ラジオ番組だ。
その番組で流した曲の記録のかたわら、そのプレイリストをウェブに上げていた。ひとつのブロックが、その週の番組を記録したカセットに対応するというものだ。
当時、ミックステープは斜陽の時代に入っていた。でも、あのプレイリストのページは、ミックステープと同じ役割を、そして多くの点でよりよい役割を果たすはずだ。僕は番組を終えてからも、そのことをずっと考え続けた。
ミックステープのように、プレイリストはある意図を持って集められたものであって、その価値は単なる足し算にとどまらない。
ミックステープとは違って、プレイリストには物理的に届けるための制約がない。でも同時に、そこには実際の楽曲がない。
誰かがそのページを見にきてくれても、知っている曲があれば共感してくれるだろうが、 本来リスナーである人たちにミックスを実際に編集する手間を押し付けるのは、もともとの目的をダメにしてしまう。
プレイリストのことをまた考えはじめ、ついにそれに命を吹き込んだのは、その頃のことだ。
僕の音楽を(ミックステープ的な意味で)共有するという欲望はなくなってはいなかった。
だけど、その行き場はなくなりつつあった。
大手のブログサービスは音楽ファイルを短期的に置けるようにしていたけれど、
そういう場は僕が求めていたものではない。
カセットテープを手に握ったときにうまれる、突き動かされるような感覚。
それを手にしただけで、プレイヤーを探してそいつの使命を遂げさせたくなる。
Muxtapeの設計の目標は、そういう実感ををデジタル世界に翻訳してやり、音楽が生命の火花を散らして、持つ人を聞かずにはいられなくするということだった。
最初のバージョンは僕のtumblrに載せた一枚のガジェットだったけれど、後の姿と本質的に変わりはない。
フィードバックはすごいものだった。
「俺の分も作ってくれないか」という質問が次々と来た。
でも考えが進むにつれ、それはひどくもったいないことだと気づいた。
ソースで配布すると、到達できる範囲はせいぜい自前のサーバーを持ったニッチなクラスタだけになってしまう。
音楽を発見するための、もっと大きな機会をすべて閉じてしまう。
ミックステープの抜け殻に見えていたそれは、すぐにミックステープの進化形に見えだしてきた。
作ってやらなければならない。
三週間の夜をけずった結果、僕はMuxtapeを公開した。
成功はすぐに目に見えて現れた。
24時間で8685人の登録があり、
1ヶ月で97748人の登録と1200万ユニークアクセスがあり、
さらに順調に伸びつづけた。
行き過ぎた予想。技術オタクは賛美するか、すぐに失敗すると断じるかに分かれた。
誰もがどきどきしていた。
僕はぞくぞくしていた。
Muxtapeは「レーダーの視界の下を飛んでいる」からなんとか生き残っているだけだ、という誤解は多かった。
いわく、メジャーレーベルに見つかれば、閉鎖させられるだろう、と。
実際には、レーベルとRIAAは普通の人と同じようにウェブを見ている。
僕も一週間かそこらで、連絡を受けた。
RIAAからの通告が、メールと書留郵便とFedEx夜間便(紙とCD)の三点セットで届いた。
彼らは、権利侵害に当たるらしい6つのmuxtapeを止めるように求めてきたから、僕はそうした。
同じ頃、あるメジャーの著作権問題(anti-piracy)担当者からの連絡を受けた。
電話をとって最初に聞いた一言は、「教えていただきたいんですが、召喚状と訴状は、どこに送ればいいんですかね?」
対話はそこから始まった。
召喚状は送られてこなくて、それは雰囲気を新規ビジネス立ち上げの会議にふさわしいものにしようとする彼の脅し戦術だった。
本当の狙いはビジネスだった。
同じ頃、別のビッグフォーの企画担当者からもコンタクトを受けた。
次の一月、僕は聴き続けた。
頭のいい法律家、この手の問題について傾聴すべき意見を持つ人々と話し、
Muxtapeの合法性について合意を得ようとした。
得られそうな合意は、合意がないということだけだった。
「Muxtapeは100%合法で何の心配もない」から「Muxtapeは違法コピーの宝庫。十億ドルの訴訟とライカー島(Riker's Island)での服役の覚悟はあるのか?」までのあいだで、二十以上のすこしずつ違う意見をもらった。
結局Muxtapeの合法性は法律的に曖昧(moot)だった。
正当性があろうとなかろうと、訴訟で戦う費用はない僕の上に、メジャーレーベルは斧を振りかざしていた。
僕はいつも、アーティストかレーベルが連絡してきて問題を訴えたなら、削除をすると、自分の中で決めていた。
でも、誰からもそういう疑義はなかった。
ひとつも、なかった。
逆に、僕が聞いた範囲では、どのアーティストもこのサイトのファンで、その可能性にわくわくすると言っていた。
そこの親会社は怒っているに違いない大きなレーベルのマーケティング担当から電話を貰い、最新の情報をホームページに反映させるにはどうすればいいかと訊かれたことも何度かあった。
小さめのレーベルからは、彼らのコンテンツを別のクリエイティブな仕方でアピールできないかと言われた。
明らかに、Muxtapeはリスナーにもアーティストにも、同じように価値あるものだった。
五月、メジャーレーベルのひとつ、ユニバーサル・ミュージックとの最初の会議をした。
僕は、最悪の扱いを覚悟して、一人でそこに行った。
この十年、インディーの界隈に片足を突っ込み、そこで大きなレーベルが彼らの利益になるものも知らず、頑固にラッダイトしているのをみたからだ。
ここで言っておきたいのだけど、レーベルは自分自身のビジネスを、ふつうの人が疑っているレベルよりはずっとよく知っている。
ただし、未来へのアプローチに関しては、個々のレーベルによって驚くべき違いがある。
ユニバーサルで僕が会った紳士たちはすごく柔軟で機転が効いていた。
僕は、彼らにMuxtapeが与える利点を売り込む必要はなかった。
彼らはMuxtapeの素晴らしさを知っていて、ただ、支払いを欲しがっているだけだった。
その点については同情する。
僕は、共同で提案を行うにはまだいくらか時間が必要だと伝え、決定を先延ばしした。
彼らは大きく違ったタイプだった。
僕は会議室に入り、8、9人と握手をしてテーブルの前に着くと、目の前に "Muxtape" と題された電話帳並のファイルがあった。
彼らは半円状になって左右の脳のように僕の回りに陣取った。片方は法律、もう片方はビジネス企画。
会議の相手は交互に切り替わった。
「貴方は意図的に権利侵害をしている、サービスを止めるまでに数時間の猶予は与える」という法律サイドのハードな尋問と
「仮にサービスを止めさせられなかったら、どのような協力がありえると思うか?」というおずおずとしたビジネスサイドとの議論。
僕は提案を作るのに二週間を求めたが、二日と告げられた。
決断をしなければならなかった。
僕がみるに、選択肢は三つ。
第一は、全てをやめること。これはずっと考えていなかったことだ。
第二は、メジャーレーベルのコンテンツを全て禁止すること。これなら、直近の危機を回避することができそうだが、二つ大きな問題があった。
ひとつは明らかなことだけど、ユーザーがミックスに使いたいと思う大半の音楽を禁止することになってしまう、ということ。
もうひとつはメジャーレーベル以外に関して、楽曲の所有権と利用をどう扱うべきかという重い問題についてなにもやらないに等しい、ということ。
中規模のレーベルと独立アーティストにも、彼らのコンテンツがどのように使われているかについて、それほど圧力は使えないにしろ、大企業と同様の基本的な権利がある。
これは、ユニバーサルの人に会ってからずっと挑戦していたことだ。
他のサービスでライセンスを受けているものは、いろいろな理由でうまくいっていることを知っていた。
同時に、Muxtapeの場合は違うということ、少なくとも模索する価値はあることを知っていた。
レーベルがそこに価値を見出しているかどうかという疑問の答えは得られていなかったが、次の疑問は、それにどれだけの費用がかかるか、だった。
六月。
僕は五番街の法律事務所に、メジャーレーベルとのライセンス交渉の代理人をつとめることを求めて、彼らは承諾した。
そして、取引をするための遅々としたプロセスが始まった。
第一回は、堅苦しく複雑だった。だけど、思ったほど悪くはない。
僕は彼らを説得し、Muxtapeがこのままサービスを続けることが皆にとっての最良の利益になる、と納得させた。
これでうまく行きそうだった。
さらに二ヶ月、投資家と会合を持ち、サイトの次のフェイズを設計し、交渉を監督した。
困難が予想されたのは、Muxtapeが単純なオンデマンドサービスではない、という点で、オンデマンドよりは支払いが低くて済むはず、という点を考慮に入れてもらえるかどうかだった。
ライセンスの条件からはじめたかったのは、めずらしいwin-winになると思ったからでもある。
僕は、どんな通達があっても(at any given notice)、楽曲を検索して再生する機能を持たせたくはなかった。
一方、彼らもそういう昨日にあまりいい顔はしない(少なくとも、今の価格では)。
それまでは、すべての議論は数字に関するものだったが、
合意に近づくにつれて、掲載位置の販売とかマーケティングの方向性に話が移ってきた。
Muxtapeのモバイルバージョンを提案したが、否定された。
僕の柔軟性は身動きできなくなっていた。
Muxtapeに対して公正な取引をすることに心を割いてはいたけど、僕がずっと持ちつづけていた最大の関心は、サイトの統一性と使用感を保つことだった。
(それはライセンスを求めはじめた元々の理由のひとつでもある)
Muxtapeの経済面での各種の侵略に合意したのも、動かしたい(play ball)からだった。
だけど、編集と創作についてコントロールを手放すのはものすごくつらいことだった。
これと格闘している最中、Muxtape のサービスをホストしているAmazon Web Servicesから通告を受けたのが、8月15日。
Amazonの規約によれば、とんでもなく長い一覧に挙げられた楽曲を一営業日以内にすべて除去しなければ、
これはかなりの驚きだった。
RIAAからの連絡はずっと途絶えていたのだけれど、僕はこれをレーベルの理解が得られたためだと思っていた。
僕はライセンス交渉の最中にあること、これは事務的な間違いじゃないか、夏の金曜日の午後をとりもどせるようにするためにはなんでもしよう、ということを説明しようとした。
一営業日どころか、週末を越えて月曜日までやり続けても、結局、Amazonが要求する文書を作ることはできなかった。RIAAに電話で連絡したけれど、受けてもらうことさえできなかった。
これを解決できるはずだという、ほんとうに感じていたままの期待をそこにメッセージとして残した。
僕はまだ、これがなにかのひどいミスだと思っていた。
でもそれは間違いだった。
事態がすこし把握できてきた次の週。
RIAAの動きは、レーベルの親会社とは別の、自律したものだということ。
レーベルとの間で得た理解は、RIAAには継承されないということ。
どのレーベルも、僕を助けることに特に興味を持っていないということ。
彼らの見かたでは、交渉には影響しない、という。
僕は納得しなかった。
取引にはまだ数週間か数ヶ月(インターネット上では永遠に等しい)はかかる。
つまり、Muxtapeはすくなくとも年末までは止まったままということだ。
また、どうやって支払うかという問題も残っていた。
この変わりやすい世界では、急成長するウェブサイトがある場合でさえ、投資を受けるのは難しい。
ライセンスの取引すべてからの撤退。
どの取引も、単純さを信条とするこのサイトに対しては複雑過ぎるものになりつつあり、
僕がやりたい方向のイノベーションにとって、制約が強すぎ敵対的すぎるものになりつつあった。
開発にほとんど注意を向けられなくなってしまった結果、僕は自分のモチベーションに疑問を感じはじめていた。
僕は、すべてを犠牲にして急スピードで大会社を建てるために、これをはじめたんじゃない。
僕がこれをはじめたのは、音楽を愛する人たちのために単純で美しいなにかを作りたかったからだ。
だから、またそこからはじめたいと思う。
でも、いままでどおりのものではない。
ある、開発初期段階にある機能を取り入れるからだ。これからはその機能に中心的な役割を持たせたい。
Muxtapeは、バンドだけのためのサービスとして再出発する。
インターネットで活動するための、これまでにないシンプルで強力なプラットフォームとしての機能を提供する。
2008年のミュージシャンは、ウェブ開発者と手を組まない限り、オンラインで地位を確保する手段はほとんどない。
しかし、彼らのニーズは、実は共通の問題の中にあることが多い。
あたらしいMuxtapeは、バンドが自分の楽曲をアップロードして、それを埋め込みプレイヤーとして提供し、
もともとのMuxtapeの形式に加えてウェブのどこででも動かすことができるようになる。
魅力あるプロフィールを取り付ける機能、さらに、カレンダーや写真、コメント、ダウンロード、販売、あるいはニーズのある他の全ての追加機能のモジュールを提供する。
システムは0の段階から無限に拡張することができ、CSSデザイナーが使えるようなテンプレートシステムの層を設ける。
詳細は追って公開する。
ベータ版はいまところ非公開だけど、数週間以内に変更する予定。
これは機能の点でかなりの大きな転換だということは、意識している。
僕はいまも、音楽をオンラインで経験する方法を変革したいと思っている。
僕はいまも、相互接続された音楽のもっとも興味深い側面、新しいものをみつける、という側面を実現したいと思っている。
第一フェイズのMuxtapeをこれだけすごい場所にしてくれた皆さんに感謝します。
皆さんのミックスがなければ、ありえなかったことです。
音楽業界はいつかついてくるでしょう。ぜったいに、そうすることになるはずです。
Justin