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はてなキーワード: オファーとは

2012-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20120215145841

そっちこそ意味分からんよ。

どういう意図かはともかく、なんらかの意図でもって価値を上げたとして、それが共通認識なら、市場価値があるだろ。

高い評価を得られるってのも、立派な市場価値で、それをもって労働に換えてる奴なんてたくさんいる。

年収1000万のオファーがあっても、年収500万で働くとしたら、そこには500万と同等か、それを超える「価値」があるんだよ。

2011-11-22

賛成できない

http://anond.hatelabo.jp/20111121192631

上位リーグの上位球団オファーと1年を棒に振ってまで、下位リーグ中位の嫌われ球団に行こうとする選択を、人は愚かしいと思うだろうが、まぁそれは良い。バカな選手がいた方が面白い

 

こんな表現からわかるように冷静でない意見には到底賛成できない

2011-11-21

菅野氏の去就に関連して思ったこと

上位リーグの上位球団オファーと1年を棒に振ってまで、下位リーグ中位の嫌われ球団に行こうとする選択を、人は愚かしいと思うだろうが、まぁそれは良い。バカな選手がいた方が面白い

個人的には、菅野氏が読売じゃなければメジャーに行くと嘯いたなどという真偽不明の報道もあったかメジャーに挑戦して欲しいと思ってたので残念だが、まぁそれも良い(日本球界を経ずに渡米した場合にはその後日本球界に(事実上)入れないという醜い制度があるので、読売親族としての権力を使って制度を改正して欲しかった。)。

それよりも現行のドラフト制度には欠陥があるという事が明らかになった。囲い込みを試みる側に圧倒的に有利なのだ。

今回読売は、日ハム以外の球団の指名を排除する事に成功した。今年のドラフト対象を見れば、何もなければ菅野氏は3~4球団の競合が予想されるから読売は有形無形の圧力によって交渉権獲得確率を倍増させる事に成功している。

日ハムは果敢にも菅野氏を「強行指名」したわけだが、案の定、契約に辿り着けなかった。

囲い込みをした球団は交渉権を得られなかった場合にも公正指名と同じく外れ1位を指名できるのに対し、囲い込みに挑んだ球団は1位と外れ1位いずれも選手獲得できなくなる。

このように、囲い込む側はノーリスクなのに対し、それを破る側にはリスクが大きい。

(なお一部の読売ファンは「1年も前から1位指名を確約する事で、巨人菅野故障等のリスクを負ったので公正だ」などと言うが、菅野氏が指名時点で期待外れなら指名しなければ良いだけであり、何らのリスクを負っていない。)

 

そこで改正案。

まず、囲い込みを破ろうとする側のリスク低減措置であるリスクはもっぱら1位指名選手入団拒否することに由来するから入団拒否をしにくい制度にすることが考えられる。

そこで、指名を受けながら入団拒否をした者は、以後3年間はドラフト指名を受けられないことにする。

考えてみて欲しいのだが、日ハム読売なら日ハムでの1年を棒に振るのは勿体無いと思えるが、横浜入団するくらいなら1年留年した方が合理的と考える者が居ても不思議では無い。こうした選択を防ぐのに、現行制度は不十分だ。

次に、選手選択の自由の確保だ。

私は逆指名制度を提案する。ただし、逆指名をした球団はその年のドラフトに参加できないものとする。

下位指名を棄ててまで取る価値のある選手は極めて稀であり、この障害を乗り越えるカップリングなら観客の理解も得られるであろうし、囲い込む球団の戦力増強も抑制できるから、戦力均衡というドラフト制度趣旨からも許容できる。

2011-11-09

[][][]



金持ちと結婚する女



「バツなし未婚男」の年収分布

婚活!独身女性がターゲットにする年収600万円以上の男性は競争率10倍 - 内藤忍の公式ブログ SHINOBY'S WORLD

結婚・恋愛ニュースぷらす : 「結婚の条件」 0.4%の高収入男をめぐる、独身女性の戦い



年収300万の男性に対する女性側の躊躇と34歳の女性に対する男性側の躊躇は笑っちゃうくらいそっくりだそうです。:アルファルファモザイクだった

Business Media 誠:年収300万円未満の女性は7割、男性は?



クリスマスケーキ理論

女性の年齢が24歳を超えると男性からオファーが質、量ともに低下するため自分希望を下げなくてはいけなくなる

ちょうどクリスマスケーキが25日になると3割引になるように…



年越しそば理論

年越しそば新年になるとまったく価値が無くなる

女性も31を過ぎると結婚市場から除外されてしまう…



Amazon.co.jp: 女は見た目が10割 (平凡社新書): 鈴木 由加里: 本



別れの理由を言えない男達。

金融日記:高学歴トラップ −なぜ高学歴女は売れ残るのか?−

金融日記:

高学歴の女

【ネタ】高学歴女vs恋愛エリート女性、他3本 Future of Government/ウェブリブログ

2011-10-29

安全ちゃんになる方法

誰か教えて

急に安全ちゃん露出増えだしたのってやっぱしコネ

ブログ更新もしてないのに、仕事オファーが来るとか。。。

自分チヤホヤされるサブカル有名人になりたいです

んで、年とったら適当な男と結婚して

サブカル女子の上がりですよね

2011-10-17

グリーンカード持ってる人に質問です

日本人GC 持ってる人ってどれくらいいるのか知らん?もう鬱屈して死にそうなので、ぜひ聞きたい。アメリカに来て10年くらい、こっちの大学に来て、OPT -> H1 というコース。今の会社Green card のオファーをもらって、今のところ3段階プロセスの2つ目にいます

で、質問:

  • 出た人、始めてからどれくらい時間かかった?
  • 3段階プロセスの2番目が終わってから **実際に** これから先あとどれくらい掛かるの?

2011-10-03

いまの30代で結婚できないやつは40代50代になっても難しいだろうな。

ましてや今職につけていないと難しいってことか。

いつまで女性優位なんだよ。女性蔑視はいいつつも冷静に考えが得てみると女性ってかなり恵まれているよな。

社会】 20代女性経済力のない若い男性結婚しても苦労するだけ。それなら40~50代と結婚したほうがいい」★3

1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2011/10/03(月) 16:09:10.39 ID:???0

・45才年下の女性結婚した加藤茶(68)、22才差の堺正章(65)、35才差の

 寺田農(68)など、最近有名人が次々と超年下女性再婚や再々婚を果たしている。

 女性たちは、いったいどこに魅力を感じたのだろうか?

 東京都に住むAさん(30)の夫は18才年上の48才。19才のとき職場で知り合って結婚

 前提に交際を始め、20才で結婚結婚後、夫は独立し、いまはふたりで店を経営している。

 ジェネレーションギャップは否めないふたり。たとえば、就職氷河期経験したAさんから見ると

 就職時期が“売り手市場”で、3社からオファーがあったという夫とは、仕事に対する考え方も

 ずいぶん違うという。Aさんはこう話す。

 「夫は“女性仕事を頑張ったほうがいい”“苦しくても働くのは当たり前”という考え方ですが、

 “私には無理。そんなに頑張れない”って自信をなくすこともしばしばです」と、苦笑い。

 でも、逆にそうした夫が頼もしく感じられることもあるという。

 「夫に相談ごとをすると、“そんなに悩むな”と、大きく構えて聞いてくれる。海外経験豊富だし

 私の知らないことをいろいろ知っていて、引っ張ってくれるので心強いです」(Aさん)

 こうしたAさん夫妻の関係について、マーケティングライターの牛窪恵さんはこう話す。

 「“これだから年下(年上)は”と、年の差からくるギャップを否定的に見ると、イライラして失敗します。

 年の差婚でうまくいっている夫婦は、お互いのギャップを楽しんでいる。Aさん夫妻もその例のひとつですね」

 一方、ある結婚カウンセラーによれば、就職難の昨今は、20代女性が40~50代の男性経済力

 求めて結婚するケースも増えているという。

 「仕事もせず実家にいて、親にパラサイトし続けるのは心苦しい。さりとて、経済力に乏しい同世代の

 男性結婚して苦労するのも嫌、という若い女性が増えています再婚相手に若い女性を望む40、50代の

 男性ニーズと相まって、こうした年の差婚は今後ますます増えていく気配です」(同カウンセラー

 寄生する先を親から夫に乗り換える女性が増えているというのだ。(抜粋)

 http://www.news-postseven.com/archives/20110930_32446.html

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911122506

なんでオファーをまつの?売り込めばいいじゃん。

在職中に転職活動なんて無理だろ

正社員としての職歴1年未満の高学歴ワーキングプア

特別なスキルもないので転職サイト転職エージェントで向こうからオファーが届くわけもない。

しかし、今の仕事を続けても自分会社もろくなことにならないのは目に見えてる。

一度無職になって介護資格でも取ったほうがマシか。

2011-08-16

海外ニート氏の後継者(?)への違和感

海外ニート氏がブログを閉鎖したことを遅ればせながら知った。

理由は定かでないが、個人情報2chに晒されたことが原因ではないかとのこと。



海外ニート氏の意思を継いだような人のブログを見つけたので、読んでみたんだが、

会社を辞めたくだりが作り話くさい。

日本人なら誰でも知っている某大手

だったらしいが、その割には以下の点が気になる。




1.

入社してからの1週間弱は俺にとって思い出したくも無いほどつらい日々だったw

ひっきりなしに襲い掛かる書類のオファー、クソめんどくせえ電話対応

入社1週間の新人にどれだけの業務がこなせるというのか?

そもそも教育期間というのが大手なのにないのか?

中小に分類される自分でさえ、最初の1週間は研修だったし、

大手に入社した知人にいたっては、入社1ヶ月が研修だったとのこと。

入社していきなり実務というのが、嘘臭い。



2.

一階受付前まで着いたところでなんと社長鉢合わせ

そこでまたもや騒動が・・・

課長とひと騒動起こした後、いきなり社長の登場というのが考えられない。

大手なら課長社長の間に少なくとも部長はいるだろうし、新人に関しては人事部あたりも関わってしかるべき。

そういった他の登場人物が一切登場せず、課長社長に辞職届を叩きつけて辞めるというのが、嘘臭い。



いずれも、社員数人~数十人の小企業零細企業なら分かるんだが、大手では考えられない。

はっきり言って創作のように思えてならない。

2011-08-12

もしドラ作者「エースの系譜」あとがき全文

もしドラ」は処女作ではない。

から十三年前の一九九八年に、二九歳にして小説家への転身を図った僕は、およそ三ヵ月という期間をかけて、

真の処女作成るこの作品「エースの系譜」を書き上げた。その執筆の経緯をここに記しておきたい。

うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。

でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした糞小説の中で、そういう傑作を忘れないで欲しい

そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか



三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。

六十枚とした理由は2つあって、

始めての作品だったから短めに仕様としたことと、

もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクション新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである

その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。

といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。

Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。


なぜ「Numberテイストフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。

Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。

簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。

それをフィクション適用すれば、フィクションノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。

そうしてNumber文体小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。

さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。

ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。

小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。



肝心の物語は、とある高校の野球部舞台にしようとした。

高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。

そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。

そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。

そのことを書こうと思ったのだ。

高校時代自分学校はどうすれば甲子園にまで辿りつけるかと考えた道筋のあらましを、小説にしてみようと思ったのである

題材は、高校野球にすることにした。



書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。

から最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである

ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。

その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである

おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。

そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。

分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落コンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである


そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。

書き上げた時には、原稿用紙は六百七十枚にも達していた。(当初予定していたもの十倍以上だった)

「緻密に選手クローズアップするNumber文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。

覚悟はできてるか、俺はできてる。

(中略)

とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)



するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分ものとは思えなかったのだ。

いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語自分が考えたものだとは思えなかったのである

それはまるで、もとからこの世界存在していたものであるかのようだった。

いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。

ぼくのしたことは、その事実テキストとして書き起こしたにすぎなかった。

まり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである

そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。

なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである

そのため、これを誰かに伝えたいと強く思った。伝えて、その面白さを共有したかったのだ。

面白いものができた。



そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。

初めは、幾つかの出版社手紙を添えて原稿を送付した。

しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。

いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。

そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、

原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである

しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。

何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。

評価されなかった。



それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。

しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。

その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。

そうしてぼくは、小説家への転身を諦めたのである

小説家を諦めたぼくは、以降の人生を勤め人として生きることを決意する。

落ち込んだ。



ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。

ぼくの敬愛するルソーゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。

カフカ宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。

そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。

小説出版しなくてもいいから、死ぬまで作品は書き続ける---そんなふうに生きていこうと決意したのである

立ち直った。



ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。

処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社編集者である加藤++さんから小説執筆依頼を受けたのだ。

そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。

思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。

チャンスがキタ

ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね




その時、ぼくは決意した。

この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。

そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。

あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。

チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。



そうして書いたのが、「もしドラ」だった。

すると、二〇〇九年十二月に発売されたこの本はすぐさまベストセラーになり、幾度も版が重ねられた。

大ヒットした。



それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社マンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。

要件は、「もしドラ」をコミック化したいというものだった。

しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。

その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。

その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。

これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。

チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。



すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。

それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。

このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。

ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。

村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。

ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。



そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます

最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガ創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう

そして伝説・・・




熱い、熱いぞ岩崎先生。申し訳ないけれど、小説より彼のあとがきの方がおもしろかった。

ぜひ彼の熱い人生を「アツイホノオ」の島本先生コミカライズしていただきたい。

2011-08-10

困った。

付き合っている彼が、長期中国出張の候補にあがってるらしい。

電話口で知らされて、私からいい返事がもらえたら部長に改めて自分から打診しようと思ってさ、とのこと。

期間は2、3ヶ月。その間いろんな費用会社がみてくれて、途中日本で休暇を取る際にも交通費が出るらしい。

2年目でまだまだ新人のはずの彼には凄いオファーになると思う。


電話口では、

なんてこともない条件をつけて笑って「凄いじゃない、行っておいで」って言ったけれど

まだ決まっても無いうちから涙が止まらない…。

すすり泣く声が向こうに聞こえてないと良いなと思いながらも、

とても悲しい気持ちの自分がいます

2011-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20101123115514

アホみたいに意味のない話。

企業からオファーがかかるレベルの知名度の大学院に受かる程度の能力か、

もしくは企業からオファーがかかるレベルの実績を残せれば、

その専門性は金になると言う話で、そりゃそうだろうとしか

逆に、そこまでやっても専門性を活かせずに、普通のことして埋もれる方が、話としては面白い位。

ネタにしても、もう少しちゃんと書こうよ。


これを読んで、「誰かサラリーマンになる以外の選択肢も教えてくれればいいのに」とか言っちゃう奴は、やばいんじゃないか

2011-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20110720023317

俺は国旗国歌日本国の象徴と認めてるけど偶像としての国旗国歌にそこまでの感情移入はないなぁ。国旗国歌を通して日本国を見るものだと思ってる。

それはそれとして、澤穂希年俸360万とか、プロ選手の月給10万とか、食えないので昼間はスーパーレジかいう話を聞いて、日本代表はそんな逆境の中で良く頑張った日本の誇りだみたいに言ってる奴が結構いて嫌な気分になった。いや、頑張った選手は偉いんだ。でもね、でもさ、その逆境作ったのは「俺ら」だってこと分かってんのかな。勝った時だけニワカに騒いで数日でさよーなら、グッズが売れるわけでもなくリーグの客が増えるわけでもなくCMオファーが来るわけでもなくスポンサーが付くわけでもなく、そうやって誰も金落とさない結果の有様だろ。W杯最優秀選手年俸360万とかどういうことなの。まずごめんなさいやろが!俺たちのなんて言いたいならせめて次の戦いに備えて十分な兵站をしてやらなきゃくらい思ってからにしろよ!

2011-05-04

東電は恐らく免責される

東日本大震災:自民・吉野氏、東電免責求め 税金で全て賠償、首相否定--衆院予算委

東電、賠償免責の見解 「巨大な天変地異に該当」

石破は奥歯にものの挟まったような言い方してるけど、つまるところ自民党は「免責するつもりだが今の時点で口にするのは憚られる」という立場

東電もよほど免責のあてが無ければこんな反感買う態度は取りにくいため、内々に政権奪還したら免責というオファーは受けているのだろう

恐らく焦点は、現政権衆議院解散までに東電の処遇を本決まりにしてしまうかどうかで、解散が先なら東電は免責になる。もっとも自民が支持されるということは東電の免責を国民が支持したということなのだから免責でいいのかもしれないが

2011-02-17

学位審査終わった。

学位審査が終わりました

いろんな意味で終わりました



研究内容だけど、新しいことはそこそこ見つけたし論文もそこそこ出したけど、でもこの系が完全に解明されました、というところまでは到底持っていけなかった。

博士学位って、新しいものを確立しきって初めてOKのようなイメージがあったし、修士のような途中経過じゃ許されないと思ってたので、卒業は延ばそうと思ってた。



しかし、D3の春にお会いし先生からお声がかかり、ぜひ来年からポスドクできてくれ、と言われた。

そこでうちのボスは快く承諾。

大丈夫です、出しまから!」

電話で元気な返事をしているのを聞いた。

いや、声かけてくれたのはすごく嬉しいし、こんなご時勢に就活もせずにオファーが来るなんてありがたいものだ、とは思ったけど。

学位どうすんのよ?」っていうのが素直な気持ちだった。

すでに研究は行き詰っていたし、不完全な結果しかない。

更新しいことできるわけもないけど、なんとか知恵をしぼって新しい仮説を創造して検証をする。

まあ、散々考えた末に行き詰ってたわけで、無理やり考えた説をもとに急に頑張っても成功するはずもなく。

結局、不完全なまま、そこそこ確立されたかのように博士論文を書いて挑むことに。



から自分研究の足りなさは自分が一番わかっているし、ただ卒業するためだけのための日々の作業でストレスたまりまくる。

この作業って研究とはかけ離れてるし、学問的な価値もない、ただ学位だけのためだよなあ、と思うほどつらい。

でも、こうなってしまった以上、学位は欲しい

からしなきゃいけない。

でも、本当はきちんと完成してからたい

でも仕事があるならそこに行きたい

同じラボに何年もいたら腐ってくるし。




で、そういう雰囲気が伝わってたのか、准教授先生はなぐさめてくれた。

学位を出さないってことにはならない。文句を言われるのは俺らの役目だから

そう言ってくれた。

ボスは、大丈夫大丈夫! しか言わないしクリティカルアドバイスもなし。



ああ、発表は炎上するだろうな、と思いながら今日審査会へ。

思ったとおり、大炎上

さすがに教授陣、迫力があって圧倒される。

そしてそんなに間違ったことは言わないので、つい認めそうになる。

でも、先生の指摘は正しくても、俺の説を否定するのは間違ってるんじゃないかな、ということに途中から冷静になって気付く。

一応、いや、このデータは僕は意味があると思います、とだけ貫いて終了。

いや、これはもう炎上したな、というにふさわしい発表だった。

やれることはやった。

から、ハラハラして結果を気にしたりはしなかった。

もう何もできないなあ、どうしようもないなあ、という気分で、すごくねむいような、頭の電源がきれるような気分だった。

准教授先生が言ってくれた「俺らの役目だから」って言葉を思い出す。

今頃先生、血を吹いてるかもしれん……

先生寿命縮めてごめん。

時間がたつほど、ダメかもしれんな、という気分になってドキドキ、というか、ズキズキしてきた。



でも、なんとか先生審査会でがんばって通してくれた。

これで学位取得は確定。

本当だったら、ほっとしたり、解放された感じになるんだろうけど、消耗しきっていたので、まだどんよりしている。

「なんとか大丈夫だった」

「すいません」

これが審査会後のボスとのやりとり。

なんだかなあ。




しかし、これで鬱々した生活が終わる。

行き詰って二年たつテーマから解放される。

しかも、行き先は新しく立ち上がるラボポスドクなので、テーマも考え放題、なんだと思う。

これで、行き詰った過去と向き合わないで、これから未来だけを見て生きていけるんじゃないか

小2から20年間住んだこの土地から解放される。

彼女とは遠距離になるけど、新しい土地での暮らしは少し楽しみでもある。



ああ、学位をとらなかったら、来年度も鬱々として変わらない生活を送ったんだろう。

研究は少しずつ完成に近づいたかもしれないけど、完璧仕事をすることに、何の意味があるだろう。

学位は、とってしまえばただの資格なんだ、内容じゃない。

就職から声をかけてもらって以来、学位を得る前提の未来を見ていたんだなあ、と気付く。

いい研究をして出たかった気持ちも嘘じゃないけど、やっぱり僕は、そんな理想より、泥臭くていいか学位が欲しかったんだと思う。

研究に生きている人間は、人生選択肢理想を選びやすい傾向があると思うし、それは自分過大評価することでもあると思う。

から、半ば強引にでも出してくれてよかった、と今は思う。




今日から言える。

研究を前提とせず、人間として生きることを一番の前提として考えなきゃいけない、それが研究のためでもある。

そして、学位はできるだけはやくとったほうがいい。




ボスが今晩は飲もうと張り切っている。

ムカついたり、頭おかしいんじゃないかと思ったこともあるけど、振り返れば6年間で、ボスには感謝してもしきれないほどの恩をうけたなあ、と改めて思う。

先生ありがとう。

今日は飲んだら、まどかマギカ見れる時間に帰ってゆっくります

次の大学では、今以上に頑張ります

2011-02-06

もしもしドラが『130万部』売れたら

いや、売れたんですけど。

漫画化・アニメ化映画化と各種メディア展開は進行中だし

その他各種仕事オファーは殺到してるだろうし

もう一生ボケーっととしてても大丈夫なくらいのお金は手元にあるのだろうか。

2011-01-12

サイト運営をやってみて起こった6つの想定外

1ヶ月ほど前に、アノニマスダイアリーサービスの紹介させてもらった「完全に一致」のおっさんです

昨年11月25日に公開させてもらったサービスですが、公開から約1ヶ月半の間、いくつも思ってもみなかった事が起こりました



かに聞いて欲しいものの、例のSEの友人が精神的な病で倒れてしまい聞いてくれる人もおらず、

Twitterでは短すぎてかけず、なおかつブログもないのでここに書かせてもらいます。

「なんだ、またかよ」という方、お目汚し失礼しました



想定外1:サーバーが幾度となくダウン

最初の記事を書いて、初日から約1週間で300万アクセスがあり、この間何度もサーバーが応答しなくなるという事態に陥りました

MySQLサーバーWEBサーバーの調整を教えてもらったお陰で、かなりダウン回数減らす事ができたものの、結局全然処理が間に合ってくれませんでした

一番のネックになったのは画像の変換処理と転送量でした

公開した当初は、DMMから直接画像を読み込みを行っていましたが、怒られるんじゃないかと思い、一度読み込んだ女優画像

サーバーに保存し2回目から自分サーバーの中の画像を読み、PHPで必要なサイズで書き出すというやり方をしていました

しかし、1秒あたりのアクセス回数が多すぎた為、PHPでの処理が全く間に合わず、画像表示ができないという状況に陥りました

いくつかの画像処理PHPを探していたところ、うまい処理をやっているスクリプトがあり、それを使わせてもらいました

が、完全には解決できず、結局、VPSサーバーをもう一つ用意し、画像の処理専用で使うことで何とか乗り切りました




想定外2:大手サイトでの紹介

アノニマスダイアリーからアクセスが一段落し、そろそろ画像サーバーを消して元のサーバーに戻そうとした頃、

またアクセス数が増えだしました。何かと思ったら「R25」というサイトからした

R25の紹介記事(http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20101209-00004623-r25

私はこのサイトを見たことがなかったのですが、ドメインからしてYahooサービスの一つだと思います。

R25から10日間ほど継続的にアクセスがあり、ここからも300万くらいのアクセスとなりました

R25内のアクセス数ランキングでも3位まで上昇したことが大きかったんだと思います。




想定外3:海外サイトからアクセス

ある日、問い合わせフォームから漢字ばかりのメールが飛んできた為、文字化けしたかと思っていたら、中国の方からの問い合わせでした

AV NO1というサイトから来たという内容で、励ましのお言葉をいただきました

AV NO1 での紹介記事(http://avno1.com/?action-channel-name-viewblogitem-itemid-5525)

ここを皮切りに、中国韓国ロシアアメリカカナダ等、世界中の方からアクセスしていただき、特に中国韓国ユーザーさんは今でも多く来ています。

日本アダルトビデオは企画物があっていいよな!」という内容のメールを複数もらいました

海外ではあまり企画物ってないんだそうです



最終的に12月アクセス数は800万アクセスを記録。

初めてつくったWEBサービスしたが、この数字がものすごい数であることはわかりました




想定外4:DMMアフィリエイトの仕組みをしらなかった

ここからお金の面での想定外お話を。



先日の結果報告の日記で、200万アクセスあってDMMへの導入が10クリック報酬額が700円というご報告をしました

その報告の後で、R25や各国からアクセスがあったので、報酬だんだん増え、結果12月は約15,000円となりました

正直少ないんだろうなとは思いますが、15,000円は私のお小遣いからすると大金です



想定外だったのは、DMMアフィリエイトの仕組みでした

DMMアフィリエイトは、Aという商品のアフィリエイトリンクユーザークリックし、Aを買った場合報酬になるそうですが、

別のBの商品を買った場合報酬にならないらしいです

DMMアフィリエイトは1商品をどううまく推薦するかが、報酬アップの肝のようです

この仕組み上、完全に一致は全く向いていなかったのです




想定外5:スポンサーが登場

一番驚いた出来事。



サイトを作る時にいろんなサイトをみて、「広告について」というコンテンツを一応用意していました

もちろん、スポンサーがつくなんて思っていなかったのですが、12月中旬に、複数の広告代理店さんから一気に広告オファーが来ました

広告運用経験など無く、いろいろなサイトや記事を調べ、料金の提示をし、メールでのやりとりをさせてもらい、複数社と契約に至りました



その結果、一ヶ月の広告収入が合わせてなんと、30万円オーバー



DMM報酬額の少なさにがっかりしていた矢先の出来事だったので衝撃的でした

私の月給とほぼ同じ額が、突然口座に振り込まれるという、信じられない事が起こりました

契約期間は単月であるため、継続かどうかはまだ決まっていませんが。




想定外6:サイト購入希望の問い合わせ

スポンサー契約の数日後、今度は「サイトを売ってくれ」というオファーが1日に2件同時にありました

1件は大手広告代理店から、もう1件は個人の方でした



購入希望金額は、2件とも300万円という非常に高額なものを提示していただきました



しかし、もう少しやりたい事があった為、2件ともお断りさせていただきました

ありがたいことに、個人の方はお断りした今でも、ラブコールをいただいています。(この日記に書くことは了承をもらいました。)




サイト売却を断った理由

サイト売却を断った理由である「もう少しやりたかった事」の一つが、今回追加した、”会えるAV女優検索です

AVに出ている女優さん達は、キャバクラや、ヘルスデリバリーヘルスで働いている人も多く居るようで、

それぞれのサイトでも大々的に「AV女優在籍」と書いてあることが多くありました

そこで、それをまとめて検索できるようにしました



私は地方に住んでいる為、正直会える確率は低い為、都市圏にすんでいる方が羨ましいです

有名な女優さんも多く居るようで、出張に行くときには是非、とか思ってしまいます。

見ていただける方はこちらから

http://www.kanzen21.com/actress/




最後

以上ですWEBサービス運用自体が初めてなので、もしかしたら「当たり前じゃん」というような事も含まれるのかもしれません。

しかし、私にとってはとても衝撃的で、脳が痺れる体験ばかりでした

この一ヶ月半、何度も夢に出てくる程、このサイトの事ばかりを考えていました



結果的に大成功となりましたが、いろんな偶然や幸運が重なったお陰の成果であり、これが自分の力だとは思いません。

しかし同時に、"チャレンジした結果"であることは迷うごとなき事実だと思っています。

その道のプロじゃなくても、会社組織じゃなくても、専業じゃなくてもやれる。



アノニマスダイアリーに書くのは、おそらくこれが最後になると思います。

この経験を元に、さらなる努力をしてまいります

みなさん本当にありがとうございました。これから完全に一致をよろしくお願いします




完全に一致 管理人

http://www.kanzen21.com/

2010-11-23

就職やばいので留学したら年収が同期の4倍になったけど同窓会で浮いちゃった

数年前、大学三年生だったときのこと。全然就職が決まらない状況だった。まあ今と同じだった。今の方がひどいとかいわれてるけど

修勝している本人にはあんまり関係ない。

で、あまりに大変なので50社ほど受けてから、ふと思いついて留学することにした。大学院留学

そしたら、びっくり。それまで何をしたいのか、何にも考えられなかったんだけど、留学して何を覚えたいか、

と考えるようになったら色々な選択肢が浮かぶようになった。単純に興味あること、仕事としてやったら

儲かりそうなこと、などなど。

修勝やめて、バイト3倍にして、英語とか入試の準備をその後一年間に費やした。4年生の夏、大学院が決まった。

2年間、学校にどっぷりはまった。2年目の後期、就職の話が出始めた。意識していなかったけどさすがに今回は

就職しなきゃと思って、活動を始めることにした。でもたいした準備は必要なかった。企業の方から学校に来てくれるから、

自分がやりたいこととかをリクルーターの人と話すだけだった。なんか引く手あまただった。

数社からオファーもらって、日本に行かせてくれるところに決めた。今3年目。日本に拠点を移した。

同窓会に出た。年収の話になる。NDAがあるから具体的な数字はいえないけれど、みんなの給料聞いて驚いた。

物価水準高いのに500万とかそんなもの。三流の私立大だとこんなものなのかもしれない。ほとんどの人が営業。

私は専門職出来高分があるとはいえ3.8倍もらってる。

当時好きな人と再会したけど、くたびれたサラリーマンになっていてもうときめなかった。

何より話があわない。発泡酒の話ばっかりしている。その日は適当に話を合わせて退散した。

みんながかわいそうに思えた。誰かサラリーマンになる以外の選択肢も教えてくれればいいのに

2010-11-14

希望子供

 ふと思ったけど微生物人間も同じような繁殖過程をたどる。

 微生物は4つのフェーズでその増殖曲線を描く1、誘導期、2、対数期、3静止期、4、死滅期。ようは定着してぷりぷり生みまくって(実際は分裂か)、疲れてだらけるって感じ。細かい話は教科書でも読んでください。

微生物場合この過程をたどる原因は主に栄養だ。つまり食いもんがあるだけ増えて不足しだすと、増えるのが止まって減り始める。

 それで上の過程を人間に当てはめて考えてみた。主に日本で。

 まず誘導期は戦争終わってすぐ(1950年くらい?)、食い物ないし、インフラもないし、ついでに男も少ないけど、日が経つに連れて環境が安定してくる。

 戦争経って10年くらい、ここでやっと飯とかそこそこ出回ってくる。インフラ急ピッチで進む。ここら辺から俗に言う高度経済成長期に入る。微生物で言えば対数期。人口めっちゃ増えだす。これが20年くらいは続くのかな。

 それでだんだん減速してきて1980年代だいたいここらで人口的には落ち着いてくる。たぶん。(なぜ多分かといえば調べるのがめんどくさいので時期的には結構適当物質的にもかなり豊か。俗言う飽食の時代に突入バブルとか。

 1990年。ここらへんから急速に出生率が低下。たぶん。(ryバブルもはじける。人口も頭打ち。微生物で言えば静止期。ここら辺で恋愛ビッドオファーが急速にかみ合わなくなる。(おかげでアッシーとかメッシーとか言ってた腐れマンコがあまりだす、リサイクルは可能ですか?)

 現在死滅突入。もう全然子供生まれてこない。生めないのか生まないのかは若干議論の余地はあるにしてもとにかく人口が減り始める。しかし物質的には未だに豊か。

 んで何が言いたいのかやっと本題に入る。ここで不思議のは(別に不思議じゃないかもしれないけど)まだ日本においては少なくとも物質的にはいくらでも同属を養う余力はあるように思われる。さっきの微生物と似てるとかって言う理屈だとまだまだ増えるよね。でもなぜかみんなまったく生もうとは思えない。(金がないから生めないんだって言う意見却下でお願いします。)

 ではなぜか。なぜ日本と言う共同体内では子孫が増えなくなったのか。原因は希望だと思う。人間希望を食べて増える。ある共同体内に希望が蓄積されているとして、それが多ければ多いほど人口は増える。でも希望無限じゃないので食い尽くされてくるとだんだん増えなくなる。色々理屈をこねてみんな産もうとしなくなる。正直今の日本には希望が足りないんだと思う。

 8割くそ作品の村上龍の数少ない名作に希望の国のエクソダスってのがあるんだけど、その作品でポンちゃんっていう中学生がこんなこと言ってた。(正確ではない点はご容赦を)

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。 だが希望だけがない」

 パンドラの箱でも残ってたものがこの国にはない(まったくの0でないにしたって)!なんてこった!

 さらに希望について2000文字くらい書いたけどもう止めておこう。結局のところ、じゃあ希望を増やすにはどうしたらいいのか?と言う問いに対する答えを僕は見つけることはできていないから。(とか言うけど実は解決策は正直ある。でもこんな感じで終わったほうが色々いい気がした。と言うのも嘘で書くのがめんどくさくなった。)

2010-10-12

フェイスブックについての記事を書いてくれというオファーが来た件について

やっぱこれってステルスマーケティングってやつか。

ほんと広告代理店うさんくさいな。

2010-09-13

☆瓜田さんの武勇伝まとめ(ソースはすべて本人ブログ) ver.5.0

■血筋

織田信長末裔 (※「あの本能寺だって落城するんだぜ」と本人談)

・父は元ブラックエンペラー総長

■才能

・ちょっと勉強すれば東大法学部も余裕。弁護士代議士もなれる。

自分の描いた絵がピカソ作と間違えられたことある

北野武を抜いた。映画を何万作も見てる○○会長からも全世界映画の中でブルーベリーが一番と評価された

ムーン海外レーベルからオファーあった

・金主いたら富豪になれる

■信念

・今後一生2chは絶対見ない。2ch潰す(※紙にプリントアウトしてもらったログを読むのはおK)

アウトローは俺以外語らせない

・億の金を積まれても 兆の手形を見せられても 俺は自分の信念を取る。

■強さ

・outsiderでは相手を必ず破壊する (※大谷選手の負傷情報皆無)

・都内某所のアームレスリング大会で勝った(※大会時間場所等の情報皆無)

ムエタイ試合ハワイチャンピオン級の奴の足を折ったことある

エンセン村上などの格闘家レスラーはみんな坊や(※他にもエンセン村上は弱いアピール多数)

・誰も見てない路上駐車場前田さんとストリートファイトしたい

■人脈

都知事と会食した

自民党に頼んだので、2chはもうすぐ検索エンジンから消える

格闘技雑誌に対して「○○総裁に話もっていくぞ」

■逸話

・0~3歳までスーパーへ行く度にカツアゲしてた →7才にして丸井カードを持ってた

・16才で東京制覇した(※16才の少年が1千万都市を制覇したのは史上初)

脳内麻薬が異常に出てる特別な人間だから5日寝ないとか可能(注:不眠の公式日本記録は4日と9時間

テレビゴールデン出演のオファーを蹴った(注:オファーがあったのは早朝5時台)

・後輩のケジメで自分で指をかみちぎった ・オウムの幹部を監禁した

区役所通りを走るベンツセンチュリーを片っ端から金属バット破壊した(※目撃情報や噂は皆無)

・「オメガトライブ」梶秋一のモデルである

2010-09-03

naoyaがはてなを離れた3つの理由

勝手想像してみる

1.金

グリー年収千万オファーはすごい魅力的

今の年収の3倍払いますと言われたら・・・

はてなは、上場予定もないので年収は頭打ち

 

2.京都の水が合わない

関西出身でもないnaoya

古くからの友達はみんな東京

知り合いは会社内だけ

井の中の蛙状態に

寂しかったんじゃないかな

 

3.技術レベル限界

はてなの周りに目指す技術者がいない

勢いのあるグリーにはレベルの高い技術者が多い

切磋琢磨が出来る環境 

 

以上3つ 

俺の中の妄想

ぶっちゃけはてな京都に行く段階でnaoyaは迷ったと思うよ

多くの仲間が離れたし、ただCTOとしてこのまま出るわけにいかなかったんだろう

お疲れ様でした

2010-06-30

茂木健一郎氏のエントリー日本大学入試は「プロクラステスのベッド」である”の的外れな点

茂木健一郎氏のブログエントリーで気になる点があったので指摘したいと思います。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/06/post-9d62.html

まず、前提として私は茂木氏の主張には賛成です。

茂木氏は、日本での行き過ぎた標準化の弊害として、突出した能力が育ちにくいと述べています。それの対照的な例として、アメリカの個人の得意な分野を伸ばせるシステムに言及しています。茂木氏の要点としては『学力における個性と、標準化バランスをどのように見るか。この点においてアメリカ日本大学入試は、異なる思想に基づいている。』(本文より)ということです。

しかし、茂木氏の説明にはあまりにも説得力が欠けており、この人は実はあまりきちんと考えずにこのエントリーを書いたのではないかと考えてしまいます。

その理由は、日本大学入試問題アメリカSATという試験比較対象にしているところです。

SATとは、日本でいうセンター試験のようなものです。「ようなもの」と書いたのは、SATセンター試験とは大きく異なる点がいくつかあるからです。

SATセンター試験のように大学入学のためだけの高校範囲の理解度をはかるものではなく、言語能力数学の基本的な能力をはかるものです。

センター試験大学入試の前の一発勝負ですが、SATは何年生からでも何度でも受けることができ、大学に応募するときには一番高い得点採用することができるので、どちらかというとTOEFLTOEICによく似ています。

東京大学というのは言わずと知れた日本の一番学問的な偏差値の高いところですから、学生に高い思考能力を求めるのは当然です。東京大学以外の大学では一問一答式のお粗末な入試問題を出すところも多いのですが、そのことには触れられていません。

ですから、個別の大学大学入試問題SAT比較し、求められる思考能力レベルに言及し悦に入るのは明らかに的外れなのです。

日米どちらのシステムがいいというのは一概には言えません。教育を受ける個人によっても違うでしょう。

日本は多岐にわたる教科すべてで高いレベルを求め、いわゆる知識的にはAll roundedな人間を育てようとしますが、アメリカでは得意な分野の教科を重点的にとれるなど、個人の特性にあわせた教育が行われるよう配慮されています。私の感覚では思考能力を育てる教育をしているのはアメリカのほうです。アメリカでは小さいときから著述式問題を解かせ、表現能力を養うほか、学年が上になると論理的な文章を書くトレーニングを繰り返し行います。知識を吸収し、正しく物事を理解するアプローチを取る日本より、批判的な視点が養われると思います。どちらにもメリットデメリットはあるのです。

茂木氏の指摘に、日本のやり方では高校の範囲で足止めされてしまい、能力が伸ばせない学生が出てくる、とありますが、果たして本当にそうでしょうか。

アメリカには国で統一された標準のカリキュラム、というものはありませんが、この分野ではここまで理解しているのがふさわしいとされる基準はあり、高校でそれ以上のレベルの授業をオファーしているところはほとんどありません。必修の科目も多く、レベルの高い高校では学生日本学生のように日々勉強に追われています。大学入試日本のように一発勝負ではなく、課外活動も含めた高校生活すべてが見られるので、アメリカ学生いい大学に行くために日本学生以上に多忙です。茂木氏の『アメリカSATは簡単だが、同時に、高校生の時から非可換代数無限集合論精通した学生をつくるかもしれない。』という主張の根拠はどこにあるのでしょう。

確かにアメリカは才能を伸ばす教育をしているので、数学が良くできる生徒は大学講義をとれたり、夏期の数学キャンプに参加したりして自分能力を伸ばすことができます。それはあくまで自主的に自分時間にしているのであって、日本学生だって趣味で高等数学勉強しようと思えばいくらでもできます。

茂木氏は学校というものに期待をしすぎているのではないでしょうか。優秀な学生は、特に高校生にもなれば、人の手を借りなくても自分でさっさと知識を探し吸収していくでしょう。日本教育比較的受動的な学生を育てるので、どうやって自分自身で次のレベルに進むか分からない、という問題があるかもしれませんが。

今まで茂木氏の著作を数冊拝読して、いいことを言う人だと思っていたのですが、このエントリーには少し疑問を抱きました。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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