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はてなキーワード: 進学校とは

2009-02-23

たとえ死んだとしてもサッカー選手を志してはいけない

大学中退して数年、初めてまともな文章の形にして、サッカーの現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。

関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、サッカーに強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。Jリーグ開幕とかね)、まあ実家からそこそこ近い大学に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに9割以上が就職する割りに、勉強している人間はほとんどいなかった。

4年生になると週のほとんどが実験レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。このあたりでサッカー止め様かとか就職活動も少し頭にあった。

焦燥を感じつつも、周りのやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。卒業する前に少し早めに部室に通い始める。生活はここで激変。鬼コーチの特訓で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(毎年のお正月は部室でどんべえ食べていた)。練習も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜で練習してそのまま練習に出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。

ただ、皆が使う器具や練習場の芝の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、部内の人間関係は悪くなかったし、周りが「当然、Jリーグ関係に進むんだよね?」という雰囲気(実際にコーチにそう言われた)もあり、某Jリーグ下部組織に進む。

いよいよ生活は練習の日々。練習が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の練習生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど練習に来ていなかった。

信じがたいことに、天下の某Jリーグ下部組織(今となってはこんなこと思っていた自分失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や練習場の芝管理の負担はおれに圧し掛かる。練習に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分が練習している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。練習のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。

秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように某Jリーグ下部組織を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。

http://anond.hatelabo.jp/20090222224732

を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた某Jリーグ下部組織では、練習生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に某Jリーグ下部組織を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、某Jリーグ下部組織を去っていた同期や、他のJ関係にいる友人と話してみても、日本サッカー環境では、「サッカーは娯楽提供機関であると同時に、文化養成機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。

現実に、おれのいた某Jリーグ下部組織ではほとんどの人間がJ1やJ2でプレイできていない。就職先も絶望的。コーチのなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、練習生の立場からみると、若い人間不利益押し付けているだけにしか見えない構造がある。サッカー文化を根付かせるとか言いながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。チェアマンなどの大御所が、「日本サッカーは練習生や支援企業によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、就職した人間とくらべて、J1やJ2の選手コーチや審判の資格を取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。

おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜練習を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。

読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、サッカー選手を志す人がいるならば(サッカーなどのスポーツ社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。

「愚者は失敗から学び、賢者歴史から学ぶ」


その後、親に拝み倒して借金をして、海外大学院でMBAをとり、まったくサッカーとは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。

金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。

2009-02-22

たとえ死んだとしても生命科学研究者を志してはいけない

大学院中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。

関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計勉強している人間はほとんどいなかった。1,2回のうちは系は決まらないので、周りもなんとなくCellパラパラ眺める程度。

3年生になると週のほとんどが実験レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他の系のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。paperも、コントロールの取り方と極基礎的な統計の知識さえあれば、30分もかからずに読める(ある程度の単語が分かれば誰でもそう)。このあたりで系の転向就職活動も少し頭にあった。

焦燥を感じつつも、文系のやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。4回になる前に少し早めに研究室に通い始める。生活はここで激変。生き物を扱う関係で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(4回のお正月研究室でどんべえ食べていた)。実験も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜実験してそのままゼミに出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。

ただ、皆が使う器具や動物の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。教えてもらったことといえば試薬の置いてある場所と作り方くらいか。

大学院試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、研究室での人間関係は悪くなかったし、周りが「当然同じ研究室大学院に進むんだよね?」という雰囲気(実際に助教にそう言われた)もあり、大学院に進学。

いよいよ生活は実験実験の日々。実験が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、研究室にいるころには金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の院生や、学部生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど学校に来ていなかった。

信じがたいことに、天下の京都大学大学院(今となってはこんなこと思っていた自分失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や動物管理の負担はおれに圧し掛かる。研究室に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分実験している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。実験のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。

秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように研究室を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。

http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/

を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた研究室では、学生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に研究室を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、研究室を去っていた同期や、他の研究室にいる友人と話してみても、日本大学大学院研究室には、「大学研究機関であると同時に、教育機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。

現実に、おれのいた研究科ではほとんどの人間博士を取れていない。就職先も絶望的。教官のなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、学生の立場からみると、若い人間不利益押し付けているだけにしか見えない構造がある。科学技術立国を目指しながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。学会の長も務めたさる大御所が、「日本研究院生によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、学部で就職した人間とくらべて、ドクターを取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。

おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜研究を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。

読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、生命科学研究者を志す人がいるならば(生命科学研究自体は社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。

「愚者は失敗から学び、賢者歴史から学ぶ」


その後、親に拝み倒して借金をして、海外大学院でMBAをとり、まったく生命科学とは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。

金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。

2009-02-18

教育現場に余った博士を回してみる

教育予算が益々減り、一方でアカポスの減少・不安定さから院卒・オーバードクターが余ってたり講師で食いつなぐ人が多い日本なわけだが、

特別教科講師として院卒・ODを、小中高に配置する

という政策を提言したい。

教員免許更新制」はハッキリ言って百害あって一利無しの愚策であり廃止されるのが妥当だが(根拠はググれ)残念ながら現在の教師の育成システムでは保護者から「教育への信頼」を取り戻すのが難しいのは事実で、だから教育改革は必至。ただし予算はカツカツ。そこで上の政策。余っている頭脳を、必要な所へ。「研究最前線」で活躍している人が小中高と連携する。スーパーサイエンスとかそういう政策よりも遥かに実になる現実的なプランで、しかも予算は安くて済む。そして、準アカデミーポストの人が教育最前線に関わることにより、教育への信頼は復活する。

この政策のミソは、身分が「教諭」とか「常勤講師」でなく「特別教科講師」という新設身分であること。まずは大学の多い府県などを特区指定して、そこに、定数外/常勤で配置する。のちに「教諭」になるのでなく、あくまでメインは「研究」であることが保証され論文を書き、将来はアカポスを得る予定の人が一時義務教育・初等中等教育に関わることが大事。

ここには書ききれないが、実現すれば様々なメリットや相当な効果が期待できる。とりあえず研究職を目指す人の生活の安定も含めて検討すべき政策だし、その意味では急いで検討を始めたどっかの私立進学校とかがパクってやり始めるのも可。その場合卒業生中心に声をかけたりすることになるんだろうな。

(追記)

ちなみに、この話題を自ブログでなく増田に放流したのは、自分立ち位置を予断に含めて欲しくなかったこともあるけど、現在増田が非常によいブレストの場になってると考えているから。未熟なアイデアを、しかも小出しみたいな形で出してるのはそれが理由。なので「私塾良くね?」みたいなレスポンスはとても楽しいありがとう。あとブクマが増えてることにも感謝してます。適宜そちらにも反応返せたらと思います。そちらのみなさんもありがとう。(反応返してみた:http://anond.hatelabo.jp/20090219230021

2009-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20090204221820

いやいや、高二でカリキュラム全部終わってんのって進学校進学校のなりそこないの高校の特進クラスくらいじゃね?うちは高三のさいごまカリキュラム終わらなかったぜ。

2009-01-29

家庭教師バイトすることになったんだが

何しろはじめてで教え方わからん。どんなふうにやればいいかな?かな?

【俺】

高校:そこそこ有名進学校

大学駅弁理系

【相手】

・中2おにゃのこ

・メンヘラ気味で学校休みがち

週一回90分、数学英語中心に5教科だって。ぶっちゃけむr(ry

2009-01-27

時間の流れの残酷

中学校の頃、僕はいわゆるガリ勉だった。本当に勉強しか能が無く、スポーツダメ卒業アルバムを見たら自分でもキモイと思う、もちろん彼女なんているはずもなかった暗い学生時代をすごしていた。

そんな僕にも当時好きな子がいた。明るい子で、クラスでいつも目立っている、快活な美しさのあるような子だった。

その子はバスケ部で、当時帰宅部だった僕は、バスケ部が外練習の日に彼女グランドを走っているのを見ながら帰るのが好きだった。

お約束どおり、僕には彼女に告白する勇気も無く、そのまま進学校に入学し、実家から離れた関東大学へ現役で合格した。

大学に入ってから、少しだけ僕はおしゃれに気を使うようになり、希望大学合格できたのもあって、ちょっとは自分に自信が持てるようになった。

その頃、一度だけ中学校で好きだったバスケ部のあの子と同窓会で会った。

自分なりの目一杯のおしゃれして同窓会に出席した僕は、彼女メールアドレスを聞き、勇気を振り絞って好きだった事を綴って、後日メールした。今思えば、思いが募りすぎてあまりにメールが長すぎたのかもしれない。彼女からの返事は来なかった。

僕は大学卒業し、世間では一流と言われる企業就職することができた。

就職して2年目くらいまでは失敗ばかりやらかして何をやるにも自信が無くて、もうやめようと思う日が続いたけど、3年目ころから徐々に自分仕事が認められるようになって仕事が楽しくなった。

大きなプロジェクトリーダーに選ばれるようにもなった。この頃から女性に縁の無かった人生が少しずつ変わり始めた。

29歳で課長になり、その2年後、僕にもとうとう生涯を添い遂げたいと思う彼女が出来た。

彼女は22歳で9歳も年下だった。同僚にかなり冷やかされた。

僕は両親に紹介するために彼女を連れ、秋の連休地元に帰った。

もうすぐ実家に着くという時、母親から携帯電話があり、近所のスーパーで買い忘れた食材を買ってきてくれと言われた。

そして、スーパーで、僕はバスケ部のあの子に出会った。

いや、出会ったと言っても、彼女は僕に気づかなかった。だけど、僕は彼女があの子である事を確信した。

不機嫌そうに僕の買った食材を乱暴に袋に詰め、お釣りを投げるように渡す彼女には中学校の頃の面影は微塵も無かった。

みずみずしく輝いていた肌は、濁ってくすみ、目じりにくっきりと皺が刻まれて、いたるところにシミがあった。

シュートをするたびにさらさらと流れていた髪は、枝毛だらけでぼさぼさだった。

何度も触れたいと願っていた滑らかな手は、ひび割れてあちこちに絆創膏が巻かれていた。

僕はお釣りを渡されたあと、どのくらいの時間だかわからないけど、彼女から目が離せなかった。

「ちょっと、こんなところで突っ立ってたら邪魔でしょ、早く前に行ってよ」

後ろからどこかのオバサンの罵声が聞こえてようやく我に返り、僕はレジを離れた。

食材を持ってスーパーから出ると、にっこりと笑って、僕の彼女が迎えてくれた。

「どうしたの?ぼーっとしちゃって」

「いや、なんでもない。知り合いに似てる人がいると思ったけど、別人だった」

http://anond.hatelabo.jp/20090127164009

2009-01-11

チラシのウラ:個人的なサヨナラ

こんにちはこんにちはmixiは退会しちゃったからここにかくよ!←文句は勝手にパクってるだけだよ!

ちなみに入会後にiPhoneに変えちゃったからmixiには再入会できないんだってさ!なんとかしてよミクシィ

さて、いくつかあやまらないといけないことがあるんだ。

まず、うつ病の状態で日記を書いてたせいで、一年間「チラシのウラ」に書くべきことをつらつらと書き連ねてしまったこと、ごめんね!

うつの状態が慢性化してるのの気づかなかったせいか、僕の思考のどこからどこまでが「健常者」クオリティなのか判断しかねてたんだ。

一応脳内ファイヤーウォールを厳重警戒モードにして、口数は多い方だったのにうんともすんともいわなくなったけど、ネットを掃きだめにしちゃ意味無かった。

というかネオリベっぽい言動をミクシィですること自体お門違いだった!

卒業してミクシィ解禁になって、もう1年間醜態をさらし続けていたんだと思うと、時空の穴があったら入りたい気分だよ。

思考力の鈍化・・・うつの束縛からは徐々に解放されてきた。生きてるだけで必死だったことも当たり前のように気づけるようになってきた。??finalventさんはやっぱりすごかったんだ!

回復期は不安定な状態が続くけど、あと少しだと思う。 焦っちゃいけないんだけど。

でもやっぱり生きることに対しては否定的なままだし、普段はそれをファイヤーウォールで検閲してるからテンション低くて無口なままだ。

そして、死ぬことに対して全く違和感がない。 というか、安息とか平和とか完璧とかそういうポジティブイメージしかない。

だからこれからは死を魅力的にしないようなメタ認知的な意志決定をしていかないといけないんだと思う。 

でもご存じの通り、寮で一緒に暮らして3年のときは死にたいとかウツだとかおくびにも出さなかったけど、この前メッセでぽろっと「死にたいんだ・・デフォルトで」っていっちゃった。

そのときはYとKがつきあってくれてたよね。

それでKにたしなめられて、なんかいろんなことに絶望した。 絶望する材料が(また)たまってきて、そのトリガーがそれだったんだな。

フィルタリングできなかった自分と、「そんなこと相談されるYがかわいそう」って憐憫の矛先がそっちかよ!って思っちゃったことと、Kは僕のこと嫌いなんだよなあってことと、ぶっちゃけうつ病浪人生なんて付き合ってていいことないよなあ、っていうことと・・・

あと、ミクシィで健常者の言動をまねぶのが窮屈で仕方なかったって気づいたこと。

僕、高校のころの記憶はあまり残ってないんだけど、友達との関係もすべて過去完了形でおわらせてしまおうと思う。 どうせおぼえちゃいないんだ。

・・・はあ。 環境に嘆いても始まらないんだ。 僕の親が両方(元)中国人だったり、僕が帰国子女インターナショナルスクールに通ってたこととか・・・小5までは日本で育ったと家、日本高校になじめない材料はただでさえあったんだ。 ??????この言及自体、自己憐憫に属してしまうね。 すまない。

もっとすまないのは、去り際に何も言わなかったことだ。 ミクシィメッセメールもすべて衝動的に消してしまった。

自分では自殺の一種のつもりだった。社会的自殺というか。

ああ、また自己憐憫・・・禁則事項だ。

・・・なにをするにしても、禁則事項になってしまう。 まだ自分認知がうつバイアスから回復してないかもしれないってだけで怖いのに。 僕はちっぽけな傷口をなめてほしくてたまらないんだ。

去り際に何かを言うと、それも禁則事項になってしまうようなきがする。 自分でも恥を増やしたくないって思惑もあるけど、たぶん僕がいない暮らしのほうが快適だと思う。

みんなは京都大学大阪大学やら東京大学やら、いろんなところで活躍して欲しい・・・一般人として。 

・・・・・がんばれが禁句のヤツががんばれって、愚かしさもきわまったよね。

・・・・ポジティブに行きたいんだけど、僕が「がんばります!」って、もう説得力ないよね。無担保では・・・

1回途中でうつ病から回復してて不安定ってことで寝込む理由につかっちゃった。



とにかく、高校の人たち、いままでありがとう。  さようなら〜FOREVER!

さて。

受験の問題が残ってるんだよな。 死にたいってポロって漏らしちゃったのも、受験のことをどうするのか相談に乗ってもらったときだったよな。

ぶっちゃけると、東京大学以外いくつもりはないんだ。

というより、受験は「どれくらい生きる意志がありますか?」の問題になっちゃうんだ。 ぶっちゃけると受験なんかどうでもよくて、死ねちゃえばそれでいいんだ。

カリウムも買ったし、注射器もある。 でもなんか踏み出しにくいんだよな。 きっかけがないとな・・・

たぶん僕が唯一行える譲歩が、なぜか「東京大学ならいいんじゃない」なんだよな。 スパルタ進学校洗脳はすごいな。

はてなマッチョウィンプの議論をみてきたせいなのかもしれない。  何をするにも低水準で、妥協を空気のように行うわが母君に嫌気がさしてるのかもしれない。

父親は単身赴任上海だしなあ。 母親は毒親っぽいけど、うつ病のぼくがいっても説得力ない・・・


英語はもともと得意なんだ。 東大試験でも満点ねらえるんだ。

でも高校の頃の記憶がない・・・というより、高校にいるあいだはうつ真っ盛り大流血バーゲンで、脳内HDDの読み取り/書き込みができなかったんだ。ずっと。

Macでいうと、Darwinレベルで狂っちゃったわけ。

それで、去年卒業して幾分か回復して、高校数学物理生物倫理を詰め込んだ。 とりあえず知識と基礎的な応用はすべて身についた。

といっても夏ぐらいからうつが再来したけどね・・・ けっこうがんばったとおもうんだ、そういう状況を鑑みたら。 

普通大学受験記憶喪失(←便宜上こう呼称してる)もうつ病も、HDD読み取り/書き込みも関わってこないよね!?

・・・っていうのが僕の論点なんだけど、東京大学英語の力を持ってしてもちょっと辛いな・・・

・・・ということで、もう一年。 さっき母親と一週間に及ぶ交渉をおわらせて、やっとOKがとれた。

一人暮らししてもいいって!

(本当は一人暮らしは好ましくないかもしれないけど、母親は外的病原体みたいなものだってドクターもいってるし、ドクター一人暮らしには同意してくれた。)

それで、どこに一人暮らしすると思う?

京都だよ!

このまえ家でして泊まらせてもらった君の家、京都大学近郊すぐちかくだよ!

河合塾京都校にいくことになったよ!

なんてこった。 いやでも思い出してしまう。 KとY、たのむから平和でいてくれ。

はてブをみてたらゲストハウスもいいかなあ、って思えたんだけど、京都にも大阪にもあまりいいのがなかった。 だから学生専用の一人部屋を借りることにしたよ。

実は夜間、ゲストハウス管理人として管理室で寝るだけのバイトがあって、それだと家賃無料だったんだけど、昼間はどこかにいかないといけないってことでNGをだされちゃった。

家の経済的な理由をひとりぐらし反対にあげたんなら、OKすればいいのにね。

経済的な理由ってものに僕の(ただでさえ枯渇気味の)生きる意志(笑)が局限されると死にまたコンニチハしちゃいそうだから、寝込んでる時間を生かして、

ブログを100個作ることにしたよ(笑)

はてブありがとう

・・・まだ収益あげられてないんだ。まだ作ってる途中で、最初のポスト相互リンクするのめんどくさい。

普段からニュースRSSで収集するクセがあったのが役に立ったよ! ほぼ自動化できてる。

Rubyとかできればコード書くんだけどなあ。僕はHSPしかできないんだ(笑)

高校2年で25キロやせたのはレジェンドだけど、あれ以来結局さらにやせた。高校入学するまえとくらべて35キロやせた(笑)

おかげで贅肉がとれて若干イケメンっていってもらえるようになったよ。 多分お世辞というかかわいそうな人へのはなむけだけど。

ダイエットしたいひとはうつになるといいよ。

・・・ものすごく収集つかなくなったけど、アイドリング中に高校の友達のことを思い出してしまうのはそろそろやめたいって思う。

一応、2010年の今頃に、アドレス張のバックアップが僕の新しいメールアドレスに送信されるようにしてるから、そのとき回復が進んで、関係を再構築できそうだったらするかもしれない。

でもしばらくは全て0に収束させようと思う・・・

メンヘルなりに精一杯あがいてみる。 結局禁則事項を犯しまくることが、一番回復への近道だと思う。 でも迷惑をかけるのも、これ以上僕に対して関心をもってほしくもないんだ・・・

Steve Jobs的に言うとbag of hurtだからね・・・

はてブでは最近自己責任教ってのが気になりだしたけど、たぶんこれも自分自分の傷をなめる行為の一環に分類されるんだろう。

まあ、目立ったことは何もしないことで、サンドバッグ状態を作り出せるかな。

支離滅裂だね。そろそろ自重するよ。

今までありがとう

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081230123934

>夢を諦めた

夢というか、「自分はこうあるべき」って理想に合わせようとしたけどダメだったって話かな。理由はいくつかある。

自分はこの期間でこれだけできるようになりたい、ってノルマを達成できなかったから自分から諦めたのと、

環境が(主に自分の不出来を理由に)それを許さなくなったのと。

>人の意見を聞けない

開き直れなくなったのは大きな損失だと思う。

どれも頭ごなしに最初に「違う」と思ってしまって、その思いを引きずることになるから、きっとうまく行かない。

だから、親に「自分はこうしたい」って話すこともできない。

逆に、自分は一番やりたくないけど、周りは喜んでくれるだろうことを妄想しては、自分はそれやる、って話してしまっては

いざそれやる段階に来て「やりたくない」って発狂する。

>友達がいない理由

両方。

自分は、主に能力的な意味で、友達が居てもいい身分じゃないし、

あまり人付き合いでいい体験はしてないから、汚い部分ばかりどうしても見てしまって、

人間は好きじゃないから、いらないとも微かに思ってる。

それでも、なんだかんだで友達は大切だとも思うし、友達という後ろ盾がない以上動けないとさえ思ってる。

>世の中には

そういう、自分希望に向かって頑張ってる人と、あまり一緒にして欲しくない。

自分は落伍してるだけだから。その人に失礼な気がする。

学力田舎進学校でもなんでもない普通の公立を全く勉強せずに卒業させてもらって、

浪人予備校に行ってる過程で大学に行く意味が見出せなくなって、自分でも満足に勉強できたとは言えないけど、

一浪してどこの私立にも受からなかった。「受かっても拒否するか」なんて考えてたけど、杞憂だった。

こうやって1対1で回答してるのも、自分を救いたいと思ってるからなのかな。

2008-12-26

最近勉強のできる子はそれが理由でいじめられるってネタの文章がたくさん書かれてるけど、私は小学校の時の知能テストでIQ175って出て進学塾では小5の時に飛び級して小6受験クラスで授業を受けてて学校テスト全教科100点以外取ったことがないどこから見ても「勉強のできる子」だったけど、特にそれが理由で虐められることはなかった。

良家の子女ばかりいるような私学にいたわけじゃなくて、むしろ暴力団員の子供とか結構いるような公立校。確かに浮いてはいたと思うけど、虐められるというよりは「宇宙人」扱いされてただけで、学級委員長も児童会長もやった。

自分に「勉強ができる」ことが優れてることだって意識がそんななくて、単に自分とは違うロジックでものを見ているらしい他の人たちの思考経路が知りたくて対人関係は常にそういうスタンスで臨んでた。こちらも周りを宇宙人扱いして溢れる知的好奇心で相互理解を試みようとしていた感じ。

入試の成績1番で入った中高一貫進学校では虐めの対象になったけど、別に成績が理由ではなかった。小学校の頃近所に住んでた同級生が男ばかりだったのでそのノリで同級生の男とジャンプネタとかで盛り上がってたら「男に色目を使っている」とされて同級女子からハブにされた。机の中をゴミだらけにされたこともあるし、椅子の上に画鋲を置かれたこともある。体育等のペアでやらなきゃいけない体操とかでいつも余って先生と組むことになるのには閉口したけどそれ以外は特に困ることもなかったので勝手にしろって感じで毅然と振る舞ってたら事情を知らない人たちからは「周りの女子が畏れて距離を置いている」と受け取っていたようだ。

そんなわけであまりあのエントリーはぴんとこない。受け取り方とか対処の仕方とかの問題ではないのかなと思わないでもない。「口が立つ女」を嫌う男から個人的に敵視されることはあるけどあくまで個人間の問題で他の性質による気が合う気が合わないと同じようなものだと思っている。でもあんなに共感エントリーがついてるってことは、私の周りの環境がずっと特殊だったのかなあ。

はてなに凡人が少なすぎる件について(ぐっちゃぐっちゃの自分語りの件について)

http://anond.hatelabo.jp/20081221200806

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51155897.html

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

http://blog.oowarai.com/?p=549

ここら辺の勉強が出来ると頭が良いの関連について

まず第1に当たり前の話だけど、これがポジショントークになる事を断っておく。

凄く単純化して考えた時、学歴が高くてそれをアイデンティティに持ってる人はどれだけ自分の身を削って客観的になっても「勉強が出来る=頭が良いと言う」方向に議論を進めたくなってしまうし、自分利益を最大限にする方向としては間違ってない。逆もまたしかり。

そもそも、勉強が出来るor出来ないと頭が良いor良くないと言う2つの事象が相関するのか逆相関するのかと言う議論は2×2のスクェアを作り、一つ一つのスクェアについて自らの主観を徹底的に削って考えないととも思う訳で。勉強が出来るけど頭が悪い人をいかにこき下ろしてもそれは4分の1以下の議論しか満たしていない。

まぁ、そんなメタっぽい「オレってちょっと頭良いでしょう?」的なのは明日読み直して恥ずかしくて悶々としてしまうから読み飛ばしてください。

後、勉強が出来るとか頭が良いとかコミュ力とかそこら辺きちんと定義してないので何が言いたいか意味が分からないと思います。要は流れに乗じて自分語りをしたかっただけ、そんな風に思ってください。

こっから自分語りです。

自分はまぁ小学校の頃はちょっといる勉強の出来る子だった。年齢は30弱位なんだが、自分らの小学校の頃は受験塾として四谷大塚日能研が勢力2分していて、後は模試として四谷大塚を使い、普段は自前のテキストで教えるみたいな準拠塾と言われる予備校が多かった。で、中堅所の四谷大塚準拠塾みたいなのに行ってたのだけど、まぁまぁ出来た。勉強は全くしなかったけど、何故か算数は出来たし家ではほとんど勉強しなかったし、算数以外の授業の時はずっとドラクエ3のパーティーをどんな風に転職させて最強の編成を作るかをずっと考えてた覚えしかない。

で、幸か不幸か一応、都内で偏差値的にはトップクラス中学に進学。東大進学率が5割以上とか言う嫌味な所だ。

中にいる人は変な人ばっかだった。もちろん自分の様に勉強が好きでも無いけど、何か良くわかんない受験的な方向性みたいのにたまたまマッチして受かっちゃったみたいな人もいた。ましてやコミュ力については自分も含め最底辺クラスの人は多かったけど、「全くのバカ」って言うのは1人も出会わなかった、自分がバカ過ぎたのかもしれなかったけど。

中学入って、親が自分子供がそんなトップクラス進学校に行った事に舞い上がったのと、親自身が受験の事を何も分かっていなかったので鉄緑会と言う、これもまた御三家とか新御三家とかそんな風に言われる進学校の生徒達が東大理科3類とか文化1類とかの学生に授業を受けると言う何とも悪趣味な塾に通わされた。自分中学1年から週2回通ってた。科目が増えるにつれ、最終的には週4回くらいかな?になってたと思う。

自分はそんなところに通わされてどうだったかと言うと、やはり授業中は当時はまっていた三国史でだれを離間の計で引き抜くかとか、ぷよぷよの連鎖をいかに効率良く組むかとかそんな事をずっと授業中考えていたし、アソコに毛が生えてからは、自分学校にはいない女性とに対してずっと卑猥な妄想をしているだけだった。

そもそも鉄緑会と言う所が、「みんな東大行く雰囲気」と「殺人的なまでの宿題量」を売りにしている所で、自分は全く宿題と言うものをこの方やったこと無い(これは高校3年までそうだった)ので、もう高校1年くらいの時は200人くらいいる同級生の塾生の内、下から一桁みたいな学力まで落ち込んだ。

親は子供への干渉の仕方が分からない感じだったから、理系だったら資格があると安心だから医学部に行って欲しいみたいな事言ってたけど、親自身も受験勉強経験が無いし、塾には行けと言うけど悪い成績が帰ってきてもそれで叱咤したりするでも無いし、正直困ったし心配だけど、どうしてあげれば分からないしなーと言う感じの放任だったのでは無いかと思う。

当時の自分はと言うと酷い非コミュだったのと自分との趣味を分け合う人がいなくて、自分が読み終わったナポレオン文庫エロ漫画を出席番号近い人に売ったり、録音したオールナイトニッポンを倍速で聞きながら、「自分ゆずデビューする半年前からラジオで彼らの事を知ってた」とか「ブギーポップは1巻からジャケ買いしたね」とか心の中で思いながら、それを吐露する人もいなくて、ただただ毎日が辛い中、渋谷ゲーセン格ゲーをやりながら暇を潰していた。

もちろん等しく決断の時と言うのはやってくる訳で、同級生の東大合格率が50%と言っても、自分が2回に1回東大に受かる訳もない。それに、自分の将来なんて全く考えたことも無かったから何となく医学部志望って事にして1浪はしたもののそこで心を入れ替えた訳でも無しに何となくまぁまぁな医学部に進学した。

その時点で19か。大学1年の時に自分の中高時代を振り返って、何にも思い出せなかったのを覚えている。要はそれだけ日々は塾からの逃避とゲームと性欲だけだったし、友達もいなかたし、嫌々塾に行きながら宿題を全くやってこなくて怒られるのをヘラヘラ笑って過ごし、対戦ゲームでちょっとした虚栄心を満たし、それでもゲームが決してそこまで上手いわけでは無い、ほんとつまらない人生だったのだと思う。そして、「このつまらなかった人生があったから今の自分がある」なんてメタな視点を持てる事も無い位、本当に無駄な時を過ごしただけだったのだと思う。

大学入って、非コミュであるにも関わらず「環境が変われば、自分に対して反転している社会も少しは自分の方向を向いてくれるんじゃないか」なんて思って色々イタイ事をしては撃沈の繰り返しだったが、何か具体的なエピソードがあった訳も無いけどコミュ力が向上した。おそらくはバイトとか、部活とか「あるテーマがあるコミュニティでの会話」については受験的な分析力を発揮してればまぁまぁ会話が進むため、ある程度そこでコミュ力が付いたのだろうと何となくは思う。後はバイトの接客が強制的に強コミュの鎧を演じる必要がある感じだったし、先輩にコミュ勝者が多かったのでそれを真似したりした。おそらく20の時はアスペであった自分も今いる職場で同僚や、上司、部下に対して評判が良いし、可愛い彼女も出来た事もあるし、ある程度コミュ強者な気がする(これを客観的に表現出来ないのが申し訳無い)

何というか、失われた青春時代を思い出しては主観的に凄く落ち込むし不幸だなーって思う事があるけど、今の自分給与的にも地位的にも対人的にも客観的には凄く恵まれている。救いの無いバカだったしアスペだったけど、勉強を惰性でやっていたからある程度は幸せな所に落としどころを持ったんじゃないかなんてのも思う。少なくとも19で社会に出たらヤバい事になっていたのは確信を持って言える。

勉強を惰性でやっていたからある程度は幸せな所に落としどころを持てた、大事な事だから2度書いたけど、そういう人、hatena村の外には凄く多いんじゃないか。そんな事を思い、書き始めたら何か脱線してしまいました、すいません。


後、完全に蛇足だけど僕ら学術的な分野で言えばコミュ力があるだけの人がちょっとしたpaperをまとめると本当に勉強が出来ないんだなって言うのを感じる瞬間があります。そういう人は幾ら口が達者で一般事務的な事が出来ても自分の中では全く尊敬出来ないんです。

たとえて言うなら凄く物腰柔らかで、他の病院への紹介とか診断書作成とかを面倒臭がらずにやってくれる良い先生サービスが凄くお上手な先生、そういう人達医学的には凄くレベルの低い事しか考えられてない学術的にはダメダメ、そんな場面に良く出会うのです。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081223035807

いわゆる進学校なら特に、勉強さえできてればあとは多少おかしくてもとやかく言われないと思ってたけど、女子の間だとそうでもないのか。

俺の地元は気持ちがすっきりしてる(悪く言えばアホな)ひとが多い土地だからか、努力できないとか人の輪に馴染まないというだけでどうこうというのはなかった。ただ放置されるだけ。

まあ、俺のことなんだけど。

2008-12-22

基本的に学歴厨は嘘ついてないと思ってるけど、

一流大学に苦にせず楽して入れるとか、なんだよそれ。住んでる次元が違うだろ。

俺の鳥頭じゃ今からあと六年昼夜勉強しても一流大学に入るのは無理だと思うが。まず、そこまで出来る気がしないし。

進学校とそうじゃない学校を出た差か。普通大学入試を語るならまず進学校とか特殊な環境にいること前提だもんな。そうなんだな?

それに当時に学歴なんて手にしても明るい未来が開けるなんて思わないしな。理由は自分自分だから。

親からも学校からもいい教育なんて受けた記憶がない。それとも見過ごしてただけか。

あーやだやだ。自分のせいじゃなくて環境のせいにしたがる。こうなったのも全部自分のせいなのにな。

勉強が出来る=頭が良い」で概ね間違いないよ

中学の頃「勉強が出来る≠頭が良い」を主張していた奴は、頭が悪い奴だった記憶がある。

進学校に進んだ高校で、やっぱり勉強できる奴は頭の良い奴が多いなと思った記憶がある。

中高生のとき「勉強しろ、でもそれは頭が良い事を意味しない」とか言われて、非常に困り、むかついた記憶はないだろうか。

当人からすると矛盾だが、なんのことはない、中高生勉強をするのは、大人からすると「頭の良い」選択なのである。

きっと「勉強が出来る≠頭が良い」と思う人々の中では、

勉強が出来る=成績が良い=テストができる=教科書を理解している、みたいになっていて、

教科書なんて本当は重要じゃないんだけど、将来のためには勉強するのが最善の選択なのよ」なのである。

世間的な「頭が良い」なんて、せいぜいその程度のことである。気にすることはない。

そんなものは言い換えれば、ただの生活上手くらいの意味でしかない。

そもそも、勉強というのは、頭が良い人が切り開いてきた知を辿ることだ。

将来のためとか生半可な気持ちで学ぶ・学ばせるから、「勉強が出来る≠頭が良い」になってしまう。

だから「勉強が出来る≠頭が良い」というのは、単純に日本の「勉強」がつまらないという意味でしかない。

なら結論は一つで、「勉強が出来る=頭が良い」になるような勉強を学び・学ばせること。

エコールノルマルとか考えたら、「勉強が出来る≠頭が良い」とか、恥ずかしいだけだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20081221200806

2008-12-20

逃げまくってきた末に行き着いた俺の精神

http://anond.hatelabo.jp/20081219121223

上の増田の気持ちと精神構造はすごく共感できる。ってか君は俺か。

たしかに逃げ癖,負け癖の蓄積は精神破壊する。

何度も精神的に死にかけたし、何度も妄想で人を殴り殺した。

現実にならなかったのはほんのちょっとのタイミングの違いだ。

タイミングさえ違えば今頃塀の中で暮らしてたかもしれない。

増田と同じくちょっと俺のカスな逃げ話もカウントさせてください。

小学校4年の頃、近所の少年野球チームに入った。

ヘタクソのままレギュラーにもなれず1年で辞めた。(1回目)

小学校5年生のころ、学校サッカー部に入った。

これもヘタクソのままカス扱いのまま1年で辞めた。(2回目)

小学校6年生のころ、ラグビーチームに入った。

もちろんヘタクソ鈍足ガリガリチンカスは変わらず半年で辞めた(3回目)

もうこのへんくらいからスポーツは向いてないと悟ったので

中学生の頃は帰宅部になった。勉強やろうと思った。

高校はそこそこ中途半端進学校にはいることができた。

で、高校2年生のとき高校ごと辞めた。(4回目)

根性足らずで勉強について行けなくなった。そんでやる気もゼロになった。

そうしてるうちに朝起きても体が動かなくなった。

夜起きて昼間に寝るようになった。

テレビばかり見てメシ食って屁こいて寝るだけの生活になった。

そしてたくさんいた友達は全ていなくなった。

ヒキコモリを2年やった後、バイト生活を転々と計4年ほどやった。

最後のバイト先は1年半ほどやってバイト仲間ともすごく仲良くなったが

ある日突然そのときの気分で衝動的にバッくれた。(5回目)

トレインスポッティングエンディングみたいにバイト中に走って逃げた。

バッくれたその足で衝動的に地方から東京に出た。

たくさんできた友人知人もまたいなくなった。

東京にでてきてから自分の繰り返す不甲斐なさ情けなさに激しく落ち込んだ憤った死にたくなった。

ヒキコモリから精神的に立ち直っていたのに、この一件で再びおかしくなった。

具体的には自虐的かつ暴力的な思考が加速した。一人言の口癖は「殺したろか」だったと思う。

でもその意味わからん怒りをパワーに変えようとした。そして一応決心した。

バイト生活、非正規雇用不安定な生活から抜け出してやると。

社会階層を駆け上がるべく専門職に就くことを考えた。

選んだ道は大学法律を学ぶことだった(弁護士コースではないけれど)。

その後1年間のバイト受験勉強を両立してマーチレベルの私大に入った。早稲田には落ちた。

まあ中途半端レベルまでしか受験勉強できなかったってことだ。

大学に入ってからはサークルにも属さずひたすら授業と資格勉強をやった。

まあ通常より5年も遅れているから今更大学デビューとかいう気にもなれなかったし

何より精神的にはかなりすさんでいた(暴力的に)ので、あえて大学では勉強のみに集中した。

何ていうか肩が触れ合った、目が合った、足踏まれたとかで完全に殺すつもりで喧嘩になるの前提で

怒鳴り散らしてた。俺があまりにもキティGUYだったのか、怖がられたのかキモかったのか

不思議と一回も暴力沙汰にはならなかった。

冒頭に塀の中にいないのはタイミングの違いだけと言ったのはこのへんのこと。

大学1年の終わりには法律むいてないっていうか

どうしようもなくつまらなくなってやめた。(6回目)

勉強の動機が不純というか目的のための手段でしかなかったので

法律の内容自体に興味関心がなかったのが敗因だったかもしれない。

う、ここまで書いてたら改めて情けなくなってきた。orz...

大学2年のときなぜかプログラミング始めて色々ツールとか作ってるうちに

大学院に行こうとまたいつもの心変わりの決心をした。

周りに競争相手もいなかったので(文系学部の図書館でひたすらCとかJavaとか数学とかやってた)

スイスイ自分のペースで集中して勉強できた。

結果大学院(他大学理系)にも受かった。

大学院に入ったはいいが周りの出来の良さに驚愕した唖然とした自分の身の程を

客観的に知った死にたひタスケテ状態になった。

ゼミレジメきるだけでも頭の違いが良く出るのだけれどもそれはそれはもう

俺のやってきたことがフェイクだった事を200万回はわからせてくれるほど

レベルの違いは明らかに出た。微分方程式って何ですか?おれ馬鹿ですかありがとうございました。

それでも1年のときは何とか食らいついてギリギリこなしてたけど

2年になって就活つまづいたのをきっかけに完全に死にたい死に体となって

死んだも同然の幽霊学生となりかけたのだけれども逃げかけたのだけども

何とか踏ん張ったり落ちこんだりを繰り返して繰り返して

何とか仕切り直して極低レベルな内容だけど修論書いてる。(7回目免れかけている)← イマココ!

学会発表にももうすぐ出場する予定。

長くなってすいません。言いたいことはここからです。

逃げまくってきた俺がここで今逃げないのはなぜか言わせて下さい。

「逃げるなら死んだ方がマシ(精神衛生上)」と心底思うからです。

死んだ方がマシというのはやりきって玉砕したほうがマシという意味です。

マッチョ精神論ではないです。

賞味の話20代後半で7回目逃げるってもうその後の精神状態考えられない。

発狂する死ぬ。もう立ち直れない。もうここで逃げたらこの先メンタル完全に退廃。過去にがんじがらめになって

次の一歩を踏み出せなくなる自尊心のかけらもなくなる何をやるにしても実績がないので自信がないetc...。

過去の負け続けた経験にこのまま一生苦しむくらいなら今ここで死ぬまでやりきって完全燃焼して

結果ダメでも結果体壊して死んでも結果大恥かいて羞恥プレイの刑にあって自尊心を虐殺されてもやりきる方が

逃げた後の死ぬほど情けない気持ちを一生引きずるよりいいと思いませんか。

僕思いましたもう逃げたくないです現場で死にます。

冒頭の増田さんにもどうか問いかけたい。

あなたの気持ちは痛いほどわかる。つらかろう死にたかろう俺もたまにまだ死にたくなるよ自分が情けなさすぎて。

ただし!

死ぬなら現場玉砕する方向で行きませんか。やって死のう。完全燃焼して死のう。恥かいて笑われても疲れきってやりきって死のう。

何歳からでも何をやるにも遅くないと信じろ。It's never too late. この素晴らしき世界でこのクソザコ人生を歩んだ俺は

世間的に見たら小さな自分から見たら大きな夢に向かって死ぬまで歩き続けるつもりでいる。

人と比べんな、俺らみたいな人生は人と比べたら至極当然に死にたくなるので、自分の考えた自分の道を歩まなければいけない。

正しい目標一生懸命コミットするしか道はない、もう後ろに道はないよ、前しかない後ろは崖左右も絶壁。

進むしかないだろ、部屋の中でゴニョゴニョ悩むのはもう十分やってお腹いっぱいだろ、歩き続けろ、

毎日ケンカすると思って世の中にでろ、殺し合いと思って世の中にでろ、挽回しろ巻き返せやり返せ殺し返せ

増田にしかない道を作れ、増田みたいなドロップアップ人生歩んだ奴らが目標となるような人になれああ俺はなるよ

歩き続けるやり続ける殺し合いに脊髄反射で応じ続けていつでも死ぬ気で対峙するよ、で結果も何とか出すよ。

なんの実績も経歴もない俺が言うのも恐縮だけどもう書いちゃったからこのまま額面通り受け止めてほしい。

おれもがんばるから増田さんもがんばれ。色々考えながらこれ書いてたらもう1時間経ったよ力作だよ俺からの遺書と思って受け取ってください。

(そして老婆心ながら具体的にアドバイスもさせて下さい。むかついたらカス寝言と思ってスルーしてください。

非正規雇用労働時間遵守で働きつつ空き時間資格勉強再開しろ経理の事務とかいってないで税理士事務所の敏腕営業マンぐらいは目指せ

稼げるから。税理士事務所会計系の専門学校に行けば求人が結構ある税理士事務所の合同説明会的なものがあるから専門学生のふりして

潜って行って面接受けたら前職がスタバの店員や資格浪人5年のNEETでも雇ってもらえるから何とか受かって前に歩き続けて下さい。

結局何をするにしても勉強するか経験するかしか社会階層駆け上がる道はないと思います。)

で俺はといえば今度歩けなくなったら潔く死にます。

長々とお付き合いくださってありがとうございました。

2008-12-16

うつなんだが、ツレウツみたいなのを描きたいんだ

どんな構成がいいかな。 一般の人の関心がどんなところに向くのか聞いてみたい。

症状は一通り味わった。今は回復期で不安定だけど出口は見えてきた。

18、男。帰国子女日本高校スパルタ進学校)に帰国してからのカルチャーショックが主なきっかけ。 高1からうつだったらしいけど気づかなくて、3年以上放置卒業てすこしあがいてぶっ倒れた(笑)

萌系の絵を描く絵心も画力もないんだけど・・・

2008-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20081211224930

いい大学ってどこ?早慶?旧帝?それとも東大京大阪大あたり?

マーチ以下は個人的にはバカ大学だと思ってる(にちゃん脳ではなく、地方の進学校脳)

追記しとくと、早慶専願もあんまり頭が良いとは思っていない

入るのは国公立に比べて簡単だから

2008-12-09

他の早大生と一緒にしてほしくない!!

地方から出てきた奴とか

進学校でもないところの上位の奴とかそんなのと俺を一緒にしてほしくない。

あんなのはリア充だ。早大に入ったことで浮かれてるようなダメな奴らだ!!

俺はコンプレックスを抱いている。しかし、このコンプレックスが奴らとの決定的な差であり、

浮かれ調子で脳がスポンジ状態の奴らを笑える俺の冷静さは間違いなく聡明だ。

俺は落ちこぼれだ!!国立から逃げた!受からなかった!妥協して私立だ!!

なのに奴らは何だ!?早大だよ、やったね。なんてそんな次元のヤツラとは違う、高次元な思索を常に行っているんだ。

合コン飲み会で遊び倒す奴らの方が人生を楽しんでいるのかもしれない。勝ち組なのかもしれない。

だが、そんなのは一時!もっと広い視野を持て!地球誕生した五十億年の歴史から見ればアリにも満たぬ卑小な存在!!

五十年後に勝っているのは俺だ。絶対にだ!!見てろよ。

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081126201833

逆の意見と書いた増田です。

私立医学部微妙だと思いますが…。

実は

中学不登校田舎定時制(いわゆる問題児集める高校)→浪人国立(旧官立レベル)ってのが友人がいるので。

当然,中学勉強はまったくしてない。

高校も程度が低い定時制なので,まぁ,進学校には毛も及ばない。

高3で予備校行くまで行ったことなかったし,現役のセンター52%くらいだったらしい。

大学受験が初めて勉強したって感じだったよ。

なんせ勉強始めた初期は英語自動詞と他動詞意味すら知らなかった。

浪人したら意外と成績あがったみたい。

もちろん,元増田の友人の東大や旧帝に比べればダメダメだと思うけどね……

てか,うちの地元だと地元国立入れれば優秀って感じだったんだけどな??。

彼は地元国立より上の国立に入ったので,学歴的には優秀に見られた。

東大じゃないと優秀じゃないという価値観とかなら,俺の意見はちょっと合わないかもしれん…。

というわけで,さすがに東大クラスだと,小中と塾に行ってないとダメかも知れないけど。

小中と塾に行ってた人の何割が東大に行けるかと考えると,

塾に行ってる/行ってない以外の個人差要因(努力才能などなど)の方が東大入学には重要そうですが。

2008-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20081126192455

元増田ね。

自分の周りの小学から中学と塾に通ってた友人たちは

中学から一貫校の進学校→現役で東大

高校から進学校→「高校から全然勉強してない」「浪人したら受かって当然」と言いつつ一浪で旧帝

中学から一貫校の進学校医学部東京の私大だけど)

と総じてのたまってるし、

そして自分田舎高校に行ってる人らは、自分を含めて、学歴に関してはごく一部を除いて振るわなかった様子だから、

そういう(自分にとっての)成功の始まりは、塾に行って、きちんと勉強するって土壌を培ってたことにあるのかな、って思ってしまう。

進学校に入るための供え置きとしてもね。

それと、自分高校時代は全く勉強しなくて理系教科は毎回赤点取るほどだったということを書き忘れてた。

理由は「主に大学に行くのに必要になる」とか、そういう未来のことを何も考えてなかったから。

http://anond.hatelabo.jp/20081126185056

その当時は自分の住んでる市以外に中学高校受験をしに行く人のことが理解できなかった。

ここだろ。塾じゃなくて高校だろ。

進学校に行けなかった時点で無理。

トラバも読んだけど、いろいろ認識間違ってる人多すぎる。

あと高学歴社会なめんな。

もっと平和でのほほんとしとるわ。

多少あるけど、ここまで書かれるほどひどくない。

どこのドラマ見て言ってるんだ。

いい加減妄想とそうでないモノの認識ぐらいしてくれ。

だからバカって言われるんだよ。

それか10年以上前なら知らんけど。

2008-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20081124191737

関東は知らないけど関西の灘とかそのあたりだと成績優秀なひとは大手予備校などからただでいいので入ってくださいと言われたりするらしいよ。Z会とかもサンプルのためにとかいって無料で教材くれるらしい。

実際には親の年収とどう相関があるかはわからないが、親に理解があれば高等教育を受けさせようと思うので本人が勉強をしやすい(その環境を整えてくれる)という利点はあるが、大手予備校高校などに関しては成績優秀のため授業料免除ということが非常に多くの私立などで行われているので普通の地方国公立や上位私大などにいこうとがんばってる人たちよりも受験業界お金は落としていないと思う。んで、関東も含めて多くの私立には特進クラスというのが存在していて、そこに合格すれば自動的に奨学金がもらえたりする(まれにすべてただな上にお金ももらえる人などもいる。地方の新興進学校なんかはそんな感じ)わけなので中学生まででがんばっておけばお金はかからない。個人的な経験から中学までの勉強および受験に関しては量をやりさえすれば成績はそれに応じてよくなるので、塾などに通う必要は特別感じない。

親が高卒とかだったりすると、どの時期にがんばればいいのかとかがわからなかったり、公立にいったほうがいいだろうという先入観があったりとかして調べなかったりなどするのと、大学くらいまではとは思ってるけど大学受験がどういうものかわからなくて腫れ物に扱うようにしてしまってストレスをためさせてしまったりなどすることはあるかもしれない。うちの親がそうだったので。そもそも大学なんか別に……とか思ってる親の場合だと勉強することに意義を見いだせないので早く働けとかいわれてしんどいということもありそう。でも格差が固定されてるとは思わないよ。中学の時点で上へ行く意識を持てば(もしくは勉強するのが楽しいと思えたり、理解のある大人がいて何があっても大学へ行けといってくれたりとかしたら)格差からは容易に抜け出せるように感じるのだがこれってマッチョ思考なんだろうか。

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081121215259

高校に行くメリット

1.友人関係が増える

2.中卒ではなくなる

元増田の取るべき行動としては、

「中卒で就職できる仕事デメリット(収入、労働環境)を淡々と伝える」

また、進学校に進学するメリットも少し。

1.いい友人が得られる

2.友人からの刺激で色んなことに興味が持てる

3.くだらない争いに巻き込まれる可能性が少ない

http://anond.hatelabo.jp/20081121215259

高校に行くメリット

1.友人関係が増える

2.中卒ではなくなる

元増田の取るべき行動としては、

「中卒で就職できる仕事デメリット(収入、労働環境)を淡々と伝える」

また、進学校に進学するメリットも少し。

1.いい友人が得られる

2.友人からの刺激で色んなことに興味が持てる

3.くだらない争いに巻き込まれる可能性が少ない

http://anond.hatelabo.jp/20081121051804

結局はいい上司・同僚に当たるかどうかにかかってるんだよね。

自分確率を上げていける部分を見つけ、そこで地道に努力するのが一番。

今になって思うのは、親が自分の友人関係に口煩かった理由は、

いい仲間に出会ってほしいという気持ちが強かったからだと思う。

進学校卒業して、親が自分に進ませた道は間違っていなかったんだなと感じる。

2008-11-16

鬱回復記01

私の20代は明らかにうつだった。その当時はそんなことを考えもしなかったが。

思えば,高校時代から口数は少なかった。男女が口をきいただけで冷やかされる田舎

進学校物理専攻の自分の周りには,女子は少なかった。

口をきくクラスメイト(女)はいたが、仲良しとは言い難い。

そんな女子、難関国立大理系に進んじゃた。

まわりは男ばかり。周りの男子はちやほやしまくり、私を。

私はそれに甘えてばかり。精神を鍛えるチャンスを失う。

多くの男が惚れてくれたが,一つもうまく行かない。半年続くこと無し。

大事にしてくれる人に、無理難題押し付けてしまう。相手の気持ちがわからない。

決して自分を好きにならない人を、安心して追いかけてしまう。

常に不安定。

いつも死にたい気持ちをかかえていた。就職してからもそれは続いた。IT業界就職しちゃったもんだから状況はかわらなかったんだ。振り出しに戻るって感じ。

さすがに30歳になった頃、同じことの繰り返しに、自分がおかしいことに気付いた。

カウンセリングもどきではなく、本気の精神科医に巡り会った。薬を出すだけの人じゃない。毎週、1時間お話する医者

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