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2011-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20110104002647

あなたの言う男女平等ってなんでしょう?

ちなみに、脳科学的な事実として、男女比が1:1の社会では

知的障害の数は絶対に男性の方が多く

犯罪者の数は絶対に男性が多くなる

同種の労働を行った場合うつ病になる人間は絶対に男性の方が多い

ここまではフェミニストも認める事実

でもこの話には続きがある。

これほどリスクの高い男性の脳だけど

IQ130以上の人間男性の方が多く。

偉大な発明家芸術家政治家科学者などの数は圧倒的に男性が多い。

これは、女性社会支配をしていた時期(たとえばエジプト)でもこの傾向は変わりない。

米国女性社会進出率は非常に高く、管理職に居る女性の数も50%近いが、有名企業取締役会女性比率は非常に低い。

からライス国務長官カーリー・フィオリーナが注目されるのだ。

この2人が男性ならさほど注目されない。

こういう生物的な絶対的な違いがある中で、男女平等って何?

ナデシコプランたいに、女性ってだけで研究費を上げること?

一部の旧帝大でやってるみたいに、女性加点制度を行うこと?

2010-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20101128174735

タブーじゃないけど、人間生物学で語りきれるものじゃない。脳科学(笑)と同じく。

あと、人間を語るのに生物学を持ち出してくる奴はたいてい生物学をまったく知らない。

2010-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20101024160259

それが駄目なら「アイヌに対する嘘情報が広まる元だからニセアイヌキャラは一切作ってはいけない」と言う事になるが。

あらかじめ嘘と前置きされて発信された嘘情報を、本当だと信じるのは受信者が悪いけど、

これは本当ですって言って発信された嘘情報を、本当だと信じる人が出たら発信者が悪いと思う。

(ちょっと考えれば解るじゃん受け手が悪いよ、と言う人もいるとは思うけど)

この例だと、前者がナコルル後者がニセ脳科学と思っている。

※でもSNKも別に嘘とは言ってないかな? だとすればSNKも批判されるべきか?

http://anond.hatelabo.jp/20101024134118

「鷹を敵にぶつけたり、アンヌムツベが出せたりするアイヌ人が実際にいる訳ねーだろw」

って言ってるならまだしも、

江戸時代アイヌ人の巫女は鷹を操り、発光しながら地面を滑るように移動できた(キリッ」

って言ってる奴は批判されて当然だろ…

あ、いわゆるニセ脳科学後者ね。

2010-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20100731010030

そういう反論来ると思ってたけども、マニュアル化なんて限界があるのは自明でしょ。

仮にできたとしても、そのマニュアルを実行できる脳のスペックが要求されるわけで。

それすらいらないんだったらそもそも採用面接とかする必要ないわな。

チームの活気とかクリエイティビティまでマニュアル化できたケースなんて実際ないでしょ。

もう少し言うと、「マニュアル」ってのは結局論理学的な形式で推論を書き下したものなわけで、

人間知的活動の極みが現代の論理学だけで完全に書けるんだとしたら、脳科学はもう完成してるはず。

この辺が参考になるかも。

http://homepage3.nifty.com/mogami/articles/depth.html

2010-07-19

ヒーーーハーー中心の生活


彼女にも振られて、今後、どうやって結婚すんだと

いう切実な問題とともに、人生を見つめなおす必要がでてきた。

年も若くない。31になった今後どうやって生きてくんだ。

三連休、寂しさもあいまって鬱々とした気分でいる。

自分人生ビジョンを考えても、中途半端に年を

重ねて、心が明るくなるようなビジョンが出てこない。

先日、ソフトバンクの孫さんが、30年ビジョンの中で

熱い志しを語っていた。

すげぇよ。すげぇビジョンだ。でも、あんたにしか描けない。

何も積み重ねてこれてない、自分には当然、そんな

ビジョンなんて描けない。

そんなビジョンを仮に掲げても、これっぽちも自分で信じる

ことができない。

「事を成す」ことが人生だと孫さんや、偉人はいう。

でも、一般ピープルが「事を成す」ことなんてできるのか?

その人のサイズにあった「事を成す」でいいのかもしれないけど、

自分のサイズにあった物をビジョンに描いても、

もうひとつテンションあがりませぬ。

俺になんかできるのか?

・人を救うような革命は起こせない。

・人の生活を便利にするような革命を起こすことができない。

がんばれば、近所のおばあちゃん達の介護を頑張って

人の役にたつことができるかもしれないけど、

もう一つテンションがあがらない。

幸せな家庭を築いて、まぁ楽しく生きるのが積の山か。。

立派な人が語る、人生の熱さとは無縁の生活だ。。

むなしいぜ、俺の人生

しょうもない映画を最後まで見てもしょうがない、

前半の20分でやめときゃよかったという糞映画

・そんな中、いろいろ考えてた時に思いついたことが、

今後の自分人生の中の軸にできるのではないかと

少々、ハイになってきた。

 それは、日常の中で「ヒーハー」を求めて生きるということ。

「ヒーハー」とは、ブラックマヨネーズ小杉テンションあがった

時に上げる雄叫び。雄叫びとともに、脳みそにはドーパミン

ドット出る。

自分の生活でも、心の中で「ヒーーーハーー」が適切な瞬間がいくつも

ある。その瞬間、テンションがあがり、脳みそ快感が走る。

あの体験が「ヒーーーハーー」だ。

「ヒーハーー」が起こるには、2パターンある。

一つは、偶発自分のまわりの状況がいい状態になり、

自分にとっては快な状況になり「ヒーーハーーー!」

これは、まわりの環境による偶発的な環境によるものなので、

いつ勃発するかわからない。

もう一つは、偶発的ではなく、

自分から発動できる「ヒーーハーーー!」だ。

それは、少し挑戦的な事柄をやり遂げたときに「ヒーハー!」が

発動する。

 脳科学者の茂木さんがいう

  「自分ができなかったことができると、脳内ドーパミン放出され、

 強化学習が成立する。」ってやつ。

フロー理論でいうところの、自分が能動的な姿勢で、自分能力を駆使して、

チャレンジングな課題にむかっているときに、人間は喜びを

感じるというのにも繋がる。

日常のなかで、この「ヒーハー」を求めて行動するようにする。

「ヒーハー中心の生活」を目指す。

「ヒーハー」が多い人生はきっと実り豊かな人生なんでないかな。

「ヒーハー」がなされるのは、挑戦的な課題クリアされた時な

わけで、挑戦的な課題をいくつもクリアされた人生は、

結果としておもろいものになっているのでは?

さて、僕は女の人のコミュニケーションが苦手でコンプレックスでも

あるのだけど、「ヒーハー」の視点から見れば、そこには

潤沢な挑戦的な課題があるわけで、潤沢な「ヒーハー」資源

埋蔵されまくっていることになる。

TO BE HeaaaaaaHA!!!!!!!!

2010-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20100619113103

どうしても人間でなくちゃ嫌なら脳科学薬学勉強する。

そこまで面倒なことはできないってなら新興宗教でも作れ。

人間に拘らないならロボット工学勉強する。

自分会社ができたらオリエント工業の買収を忘れずに。

2010-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20100524021223

脳科学的に、わかった気にはなれそうな気がする。ミラーニューロンみたいな感じで。

2010-05-13

言い返さないと気が済まない人間脳科学的に馬鹿である理由

頭の中で事前に反論を想定しそれに対する再反論を用意していれば、少しくらい言われても平気なものだ

また、想定外の反論が来た場合も、即座に脳内で再反論を構成し、頭の中で完全に相手のロジック封殺すれば、

いちいち言い返したいという気が起きないものである

言い返したいと思うということは、そのあたりの能力に欠けた馬鹿であるということになる

2010-05-06

集団ストーカーについて思う

■「はてな」では、まことしなやかに「統合失調症」といわれている集団ストーカー(ガスライティング)。

果たして、本当に嘘なんでしょうかね?

内情を知ってる人も、アンタッチャブルなものだから、腫れものに触るように接してるだけでは?(むしろ触らずというか)

■私を庇う仕草を見せた人が逮捕されたりとかあったしね。

被害者」のブログを読んでたら、被害者加害者とも殺された(らしき)人もいるらしい。

だから、やってる人も、必死なのかなとも思うけど。

■確かに、ヘリコプターだとか、爆音鳴らして走り去るバイクだとか、ぞろめナンバーの車だとか、道行く人の咳払いだとか、クラクションだとか、延々と続く「左に曲がります、ご注意ください」だとか、ガンつけられたりだとか、通りごとに走ってる古物回収車だとか、そんなものは実害がないから無視すればいいと思う。

でも、配達される郵便物や荷物がもれなく破損していても業者に話しても取り合ってもらえないとか、周囲にありもしない噂を流されるとか、住居侵入の痕跡とか、クラッキング痕跡とか、生活に実害がでてくるとちょっと見逃せなくなる。

集団ストーカー被害しか受けない人もいるけど、発展するといわゆるテクノロジー犯罪になって、実際に幻聴みたいなのが聞こえてきたり、身体に傷みを感じたりするらしい。

テクノロジー犯罪にあっている人は、かならず初期には集団ストーカー経験しているらしい)

犯人論については、いろいろある。

宗教団体公安警察(国)。在日など、朝鮮関係者。果てはユダヤイルミナティー・サンヘドリン(!?)。

当初はインターネット上では公安という説が多かったようだけど、最近流行は某宗教団体のよう。

■そして、いちばん一般の人には疑問に思われているとおぼしき、資金源について。

リストラストーカー以外はまだ納得できる説は見つからないけど、近年ものすごい勢いで発展した脳科学分野での人体実験だとか、宗教団体が団結するためのスケープゴートいじめ対象)だとか、某国で被害者保険金をかけて気づかれないようじわじわ殺害する保険金殺人だとか(まぐろ漁船みたいな?)、国の諜報機関によるスパイの演習だとか。

頭の弱い私には、わからないですけどね。なにかあるんでしょう、メリットが。

インターネット上では、集団ストーカーについて記し始めると、「統合失調症」扱いする人たちが湧いてくる。

まぁそもそも、統合失調症というのは元々国とかにとって都合の悪い人たちに貼るレッテルでもあったので、使い方として間違ってはいないのだろうけど。

(だから、精神疾患の人って差別されがちなんですよ)

(でも、病院行っても治りませんよ。世の中の仕組みとは、「集団ストーカー」という病気病院に行けば治るものなのか、と無理やり行った病院で、精神科医に「もっとお金持ちの人にすればいいのにね~」「お薬ださなきゃいけないんだよね~、うーん」とか言われましたし。ついでに、被害者の方は薬飲んじゃだめ。廃人になるよ)

統合失調症扱いが効かないなら、偽被害者扱いして仲間割れを狙う人も湧いてくる。

そもそも、集団ストーカーがそもそもありえないものなら、わざわざお節介にそんな人湧いてきますかね。大量に(ご苦労様です、なんだか)。

■まぁ、インターネット上で被害を訴えている人も、もっと冷静に論理的に訴えればいいのにとは思う。

たとえば仕事の場だったら、提案するときは何らかの根拠を示すだろうし(伝えるためのテクニックも使うだろうし)。それをなしに思い込みで決めつけて、例えば犯人論など言ってるだけでは、信じてもらえっこない。

集団ストーカーテクノロジー犯罪被害にあって、訳わからないことばかり起こって辛いのはよく分かるけど、もっと論理的に証拠集めして示してほしい。

・・・そんなことができる人は、さっさとチョメチョメされるのかもしらんけどね。

・・・というか、残ってられてる人は、信憑性のない情報をばらまいてくれる人たちだとしたら。怖。

2010-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20100425222423

モギの本読んだことあるけど、脳科学者ってより、宗教家かっ?!って文章にゲーした。

クオリア意味も正しく使っているのかな…あの人。って感じ。

2010-04-23

Twitterは良すぎるのかしら?

From Creating Passionate Users

By Kathy Sierra

2007年3月

私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitter心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。

[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]

この三点についてもっと詳しく見てみましょう:

1) Twitterスロットマシン

スキナー発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。

Time誌のマルチタスクに関する記事より:

テクノ心理学者パトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」

2) 人とつながっているという感覚

多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。

Twitterは友達の感情地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」

これは本当に良いことなのだろうか?

おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))

Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitter拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的能力を発達させていて、こういう情報チャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。

繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。

隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。

これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用ウェブで見つけることができなかったけど)

皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。

3) Twitterは最も(厄介に)継続的な注意散漫状態を作り出すものである

前の私の記事より:

最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。

しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。

情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービス約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )

たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:

継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。

絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。

要点:

Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)

人々がTwitter責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースTVアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?

当然、そう思っている。

私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。

私はTwitterターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。


本文書は原文著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者著作権は全て放棄する。

2010-04-08

幻聴と、殺人事件と脳科学

近年の、脳科学の発達は著しい。その成果は以下のリンクを見て欲しい。

http://slashdot.jp/hardware/10/03/31/0119200.shtml

http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000056022,20411925,00.htm

リンクを見てもらえばわかると思われるが、脳波の計測により、人の思考がわかるのである。

実は、この技術、R&Dの段階でもうかなり進んでおり、電磁波を用いて、人同士テレパシーができるまでに至っている。

さて、このテレパシー。多くの人はまだ空想科学の領域だと思っている。

そこで、この現状をを悪用して一方的に音声を人に送るのである。

送られた人は、テレパシーであると気づかずに幻聴統合失調症)だと捉えてしまい、精神病院に送られる。

統合失調症になってしまた人は、まだいい。

送られた人のなかには精神病院に行くことを拒む人もいる。拒んだ人は、でたらめな事や「人を殺せ」、「自殺しろ」などといった。音声を送信される。

困ったことに、声の送信をされた人のなかにはその声を実際に行ってしまう人もいる。

ちょっと文章が下手になってしまったが、あとは禁則事項なのでここらへんしておく。イデオロギー言論弾圧お金住基ネットなどを付記しておく。

2010-01-29

また罰則強化か。規制強化でさらに官僚の力は増大する。

ttp://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10441966524.html

たとえば、鳩山首相故人献金問題では実の母から政治資金を毎月1500万もらっていたそうだが、結局政治資金規正法違反母親に類が及ぶのを恐れたためという話もあるが、母親から貰っていたのは事実で、結局鳩山首相は6億だかの贈与税を払うことになった。しかしこ政治献金は小口に分散偽装されていたり、故人の名義を使っていた。これが悪質な隠蔽行為でないとするならば、何が悪質な隠蔽行為なのか?

以前のブログ金持ち坊ちゃん首相告発されないが、これが出会い系サイト業者だったら摘発される可能性が高いと書いたことがあるが、まさにここが当局の恣意的な部分となる。もちろん偽装行為が全くなく税金が過少申告されていればそれは修正申告だけで済むが、ちょっとでも偽装と指摘されることがあれば、告発される危険性は高まる。

以前FXで儲けた主婦逮捕起訴されたが、あれは私の記憶によれば単なる無申告で偽装などは無かったように記憶している。しかし脳科学者の茂木健一郎氏は無申告なのに無申告の重加算税の納付だけで済んだ。この両者の差はなんなんだ?前者はあぶく銭だから?

2010-01-03

俺は天才なんじゃないかと思う。

自分はずっと普通人間だと十九年間思ってきたわけだけど、

割と最近、「俺って頭いいのかもなぁ」ってそう思うようになってきた。

わかりやすいところで言うと学力がある。自分はなぜかやらなくてもできてしまう。

予習、復習もしてないし、ノートの取り方が上手いわけでも、特別な暗記術があるわけでもない。

普通にけっこう聞き流したり、よそ見していたり、落書きしたりしていても、

なぜか頭に入っていてテストで上位に入ってしまう。

それで塾とか予備校とか行ってる人を見ると「うーん、この人たち変なの」って思ってた。

一年勉強して日大って……」と割と本気で思っている。

だって普通に一日八時間、いや六時間勉強していたらもうちょっといいとこ受かるでしょう。

特別なことをするんじゃなくて普通に、例えば英語なら

単語、熟語、文法、構文を暗記していく。これだけだと思うんだけどね……。

といっても、このくらいの意見でもかなり日和っていて、

自分の場合は毎日映画見て、本読んで、休日はしっかり休んで、ってやってて受かったんだけどね。

自分でも不思議なんだけど英語だってぜんぜん勉強してないのになんか読めちゃうんだよね。

国語なんか、一ミリ勉強してないのに偏差値70オーバー普通だったからね。

「っていうか、答え書いてあるじゃん?何でこの人たちは間違えんの?」って思ってた。

特別に英語耳を作ろう!とか頑張ったわけじゃないのに映画見てて翻訳の甘さに気づいちゃったりとかね。

「××が苦手」とか聞くと「なんで?参考書覚えるだけじゃん。何でそんなことに得手不得手が出てくるの?」って思う。

それ以外でも美術建築文学地学脳科学哲学サブカルチャー

まぁ、一つのことを深くは知らないが(専門家には負ける)、どれも基本は満遍なく知っていて、

それらを繋ぎ合わし、応用して日々生活をしちょります。

はっきり言ってしまうと実生活であまり「この人すごいなぁ」って思うことがない。

「この人知識、薄いなぁ」「浅はかだなぁ」って」思うことの方が多い。

いや、ネット教授陣は別よ。いわゆる大衆の現像を見つめているとね。

例えば人がなにかに感心していたりすると

「うわ、この程度で感心しちゃうんだ。今まで何十年も生きてきて

この程度のレベルのことに触れる機会なく過ごしてきたんだ……」

って反射的に哀れだな、って見下しちゃうんだよね。

もちろん、相手の言葉の持つ含意をすべて理解したうえででね。

で、最近になって自分普通じゃなくてかなり恵まれている方なんじゃないか、って思い始めたのよ。

だってどうやら世間には、中学生にもなって九九がわからない奴がいるらしいし、

どんなに勉強したって結果が出てこないって人がいるらしい。

書店英会話教材の山を見ていると、世の中の人ってどうやら頑張って教材と格闘して、

それでもできない、って人がいるみたいと思わせる。

背広を着た良い年齢の人が「中学英語の総復習」みたいなの広げててさ……。

こういう「できない人」に遭遇する度に「変なの」って思ってたんだけど、

どうやらこういう人が多数派らしいぞ? 俺の方が変らしいぞ? って気づいてきた。

だからさー、今まで特に頑張ってきたわけじゃないけど、

これからはもうちょっと頑張ってこの才能を活かしていこうと思っているわけですよ。

目標は、そうだな……Googleのトップでも目指そうかな。

あいつらちょっと最近調子乗っていて悪い方向に進んでいくんじゃないかっていう予兆がある。

まぁ、それは冗談だけど、自分が天才だと自覚すると、なんか使命感が生まれてきますな。

みんなはどうかね……俺のこと天才かと思うかね……まぁそれはこれからの結果次第か。

少なくとも俺より偏差値低い大学に行っている奴や、俺より時間かけて勉強して成績悪い奴よりは優秀なわけだ。

それをどう活かすか……思い浮かばないってことは天才じゃあないのかもな。

2009-09-24

ニコニコ動画削除問題 - デジタルコンテンツの真の問題

インターネットの発達で、紙の本や雑誌は滅びる――そういわれてから何年たつだろう。そしてそろそろ事態が動きはじめたかと思われる節がある。まずグーグル世界的にすさまじい量の書籍電子化に乗り出した。コンテンツはこれでかなりの蓄積ができた。またリーダー機器の面では、日本では未発売だがアマゾンコムキンドルという電子ブックリーダーを発表し、一定の成功を収めている。流通も、アマゾン電子ブック販売や、アップルiTunesストアなどが手法をほぼ確立しつつある。

だがその過程で、電子メディア特有の問題も次第にあらわになりつつあるようだ。それを示す事件が最近立て続けに起きている。

アマゾンコムキンドル用に、オーウェル1984年』『動物農場』の電子ブックを買った人は、6月に驚愕した。版元に問題があったから、としてこれらの本が手元のキンドルから勝手に消し去られていたのだった。いったん買った本や雑誌ソフトが、自分本棚パソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもありえない!

アマゾンは、この対応について平身低頭し、二度とやらないと宣言した。が、そもそもそんなことができるということ自体に多くの人が戦慄した。そしてその舞台がまさにそうした情報統制社会の恐怖を描いた『1984年』だったとは、なんたる運命皮肉か。

一方アップルは、オンラインiTunesストアで販売されるiPhone/iPod用のソフト健全性に、たいへん神経を使っている。わいせつ語が入っているソフトは、軒並みアダルト指定を受ける。先日、なんと普通英語辞書がこれを理由に改変を要求され、ストアへの出店を拒否された。アップルは対応のまずさを認めたものの、方針にはいまのところ変化はない。

わが国では動画投稿サイトニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女替え歌を歌唱ソフト初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。

当然ながら彼らはそのコンテンツについて何の権利ももっていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!

ニワンゴ経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた――投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。

ネット著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回取り上げたケースが如実に示しているように。

これはネット法学の第1人者ローレンス・レッシグの10年前からの主張だが、それが急激に現実味を持ち始めている。紙媒体では物理的にできなかったことが、デジタル媒体では平気でできてしまう。そのとき、いま当然と思われている権利や自由があっさり破壊されかねないのだ。

いま多くの日本コンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消して、ほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログ罵倒合戦くらいならそれでもいい。

だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるをえなくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制がありうるだろうか?

じつは今年、そのヒントになりそうな出来事がもう1つあった。脳科学者の肩書で各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水なかたちで大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディア執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。

こうしたネット上の自主的な倫理規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。

http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090919-02.html

2009-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20090918090804

えっ、集中力は既知の薬剤で対処できるという話なんだけどなあ。確かにおっしゃる方法で集中しやすくなるね。

集中力はまだいいけど、記憶力や思考の質や発想力のようなところは既知のサプリドラッグでは難しい。

リタリンとか危ない系は無しで。脳科学者・薬学者は既に見つけてて使ってるという話もあるけれども。

2009-09-02

脳科学(笑)批判 【スキナープラグマティズムの再検討】

脳科学に対するスキナー心理学の優位】

スキナー心理学の特徴は結果さえでれば内的な処理を問題にしない点にある。

■「林檎を食べれば、空腹が治る」重要なのはこのことであって

■「どうして林檎を食べると空腹が治るのか? 内部でどのような処理が行なわれているのか?」

そんなことを知ってどうなるのだろうか?

脳科学などに取り組むよりも、林檎が有益であることがわかればそれで十分で、林檎を植えたほうが良いというのがプラグマティックな判断ではないのか。

脳科学は「どうして○○を善だと我々は思うのか?」「なぜ林檎を美味しいのか」といった常識生理現象から詳しく説明するだけであって

倫理的生き方を促すものではない、とプラグマティストは批判する。

この空虚脳科学ブームを切り上げ、スキナーに立ち返り「行動・実践」を重要視すべきではないだろうか?

2009-06-25

そういえば脳死問題で

脳科学者が出てこないのは不思議だよな。

2009-06-20

ちゃんと実験して客観的な成果出してる科学者っているの?

俺は脳科学とか心理学とか社会学とか

統計学とか政治学経済学とか色々興味があるんだけど

世に大量の本を出してるような学者さんで

ちゃんと実験をしてその成果に基づいて理論や学説を発表してる人ってどれくらいいるんだろうか

そういう人の本を読みたい

2009-06-15

小飼弾さんの書評が間違いすぎていて、ありえない

叩きではないのですが、

 

そもそも学術的にはイロモノの域を出ないリスニング学習の本を持ち上げたかと思えば、

その理論部分に問題があるという。

彼が何を書いているのか、最初さっぱり分かりませんでした。

 

反復学習の効果的側面は臨床データもたくさんありまして、リスニング学習は効果が

限定的だというのは1980年代からさまざまな論文で語られているんですけど。

それで、今度は単なる一症例、それも単なる脳卒中からの脳機能回復の体験談に過ぎない

奇跡の脳」を山車にして、両者を比較すると言う、心療内科世界からすると誤謬

としか言いようのない書評を書いておられます。

 

彼は、

「これははっきりと「No」と弾言させていただく。私にとって言葉は理解と表現の道具で

あっても、思考の道具では実はない。」

とまで言っていますが。

 

認知学で言うなら、言葉の理解と表現を行うのは、思考の「結果」であって、別物と

かそういう以前に、脳機能のうえで区別すらできないもののはずなんですが。

と言うより、言葉で理解していながら、「思考は言葉で行われる」という基本的過ぎる

主張に「NOと弾言」というのは、甚だおかしいです。意味が分からない。

 

さらに、

「同書で最も驚いたのは、左脳麻痺した著者が見た世界が、いかに私が「考える」

時の状態に近いかだった。自己の境界と時の流れがなくなったその世界にこそ、

「マイワールド」なのである」

集中している時の脳活性は自己の境界線(自己的知養)が発現しないのは当たり前

です。言語野が確立していない胎児にいる状態でも記憶は残り、のちに言語化されて

記憶が再整理され、胎児中の記憶が蘇ることは学術的にも確認されていますが、

これ、本論とは一切関係ありませんよね。

 

「本書の価値は、実践の方にある。ハウツー本にとってより重要なのは、理論

正しさではなく実践の効果である以上、本書はたとえ理論に納得できないとしても

価値がある。そしてその実践の効用が大きいことは、私自身を証拠として提示できる。

私も「耳勉強法」の実践者だったのだから」

その後も、彼独自のヨタ話が続きますけど、書評で出ている実戦方法と、この人が

やってきたリスニング学習法とは方法論が違いますよね。

「耳学習でかるたを覚えた」と言っていますが、文章記憶を行うのにリスニング

適しているだけの話で、これを数式や化学式の暗記に応用しろと言われても無理

でしょう。彼が言っているのは、簡単に言えば言語を効率的に習熟するには

リスニングも必要であるという、ごく当たり前のことに過ぎません。

 

「有名な話しであり、またこの話が「人は見た目が9割」のベースにもなっている

のだが、むしろ私が驚くのは、聴覚が38%もあることだ。」

これも関係ない話ですよね。聴覚による情報摂取比率が脳科学的に高いからといって、

ここで取り上げたリスニング学習法が実践価値があるという意味にはならないです。

むしろ、現在学習に関する研究では、視覚聴覚などの取り入れる配分をどうするか

というレシピのほうの調査が主で、学習障害が何故発生するかや、集中力との関係

といった分野が大変重視されるのですが、やはり本論とは何ら関係はない。

 

「ここで、今まで「耳勉強法」が今までそれほど活用されていなかったもう一つの

理由にたどりつく。それは「耳を使うのは非常時」という、耳のもう一つの特性だ。」

もはや、何を言っているんだか分かりません。

緊急時の情報優先が聴覚であるという学術論文は25年間のあいだで読んだことがない

ですね。危機対応能力を求められる職種の人は、嗅覚が鋭くなる傾向にあるという

調査報告がある程度で、聴覚が優先されるなどと言う話はまっとうな論文では

見たことがありません。

 

非常に不誠実で、不正確な書評で、脳科学認知に関する基本的な理解が不足した、

問題の多すぎる論述ばかりで、読んでいるこちらが逆に驚いたぐらいです。

 

臨床データを読みこなせるようになってから書いてください、というわけではない

のですが、知らない、分からないことに対する論述の慎重さ、丁寧さ、誠実さと

いったところが欠けすぎていて、残念に思いました。

ある程度、そちらの方面では専門であるわたしから見ても、まったく無価値な議論

ばかりだな、という印象です。

2009-06-08

1分でわかる金卓ドラマのあらすじ

脳科学者「犯人防犯カメラの死角を通っていました

指紋が残っているはずです」

警察防犯カメラに映ってなかったから死角は調べてなかった

計画的犯行なのに指紋がありました」

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090607162637

それはそれで評価できるからなんなの?

>俺高校の時インターハイベスト16に入りましたけど?みたいな

いつ過去の栄光にすがる様な事を評価したの?

>メディア出るから凄いとか、そんなことじゃなくてさ

>結果正しく伝えているかでしょ?

いつメディア出ること自体が凄い言うたの?

あることないこと言ってアジんなや。お前は山形先生か。

>脳科学やってる同業者からきちんと評価される人がメディアに出るべき

>だから元の増田はもちおは同業から見てどうなのか知りたいと書いてるんでしょ?

>タレント性は、あくまでも付加価値であって、本業が糞なら出ないほうが良いじゃん

一行目はわかるとして、彼らは本業糞なの?

梅田はパシフィカがあるし、茂木は一応学術機関で論文出してるけど「VCはじめたり論文学会に出すだけなら誰でもできる」ってか?

あ、創価はくだらない煽りだから何も言わないよ。

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