はてなキーワード: 科学者とは
中二病・大二病は、日本人の特性なんじゃない?だから、多くの日本人は、大二病。もちろん俺も。
下記のエントリーをみて、改めてそう思った。
http://anond.hatelabo.jp/20090924092317
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7eaba4bbf3409d6bf7151d9501304ff2
http://anond.hatelabo.jp/20090924093733
要約すると、八ッ場ダム建設問題において、建設派と建設中止派の両陣営とも、「マスコミは自分の陣営が不利になるような情報ばかり伝える。その情報は誤り、もしくはごく少数派の意見である。このような情報を垂れ流すのは、報道ではなくプロパガンダだ。」みたいなこと言ってる。実際は、この問題に対する報道は、一つの記事・番組内では多少偏りがあるものの、すべてのTV局・新聞がどちらか一方の味方をしているという状況ではない(と思う俺もTV・新聞をすべてチェックしてるわけじゃないが)。
しかし、建設派と建設中止派の両陣営とも、プロパガンダに感じてしまう。なぜか?それは、両陣営とも大二病だから。
両陣営とも、その人の"常識的に考えて"(通称jk)圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えてる。そのため、相手陣営に有利な報道が少しでもされると、プロパガンダに感じる。マスコミという、見えない敵(悪い組織)と戦ってしまう。両陣営とも大二病である。
原因は、「"常識的に考えて"圧倒的に自分の陣営の主張が正しい、もしくは圧倒的多数派だと考えている」ことにある。一般的に、このような両陣営が長年もめてる問題で、圧倒的に片側の陣営が正しいということはない(少ない)。大抵の場合は、いい意味でも悪い意味でもお互い様だ。しかし、"常識的に考えると"圧倒的に自分の陣営の主張が正しいと感じる。そして、自分と異なる主張をするやつは、常識がない人や情報が足りない人(情弱)、悪の組織だと考え、それらの人や組織に説教したり、戦いを挑んでしまう。大二病の発病だ。
さらに原因を掘り下げると、"常識的に考えて"*が、原因なのがわかる。もっというと、人々が異なった常識
【常識】
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/93867/m0u/%E5%B8%B8%E8%AD%98/
をもっていることが原因である。当然、皆が日本社会に属していている。しかし、同時に、東京都や群馬県などの地域社会、医者・SE・科学者などの専門領域(社会)に属している。異なった社会で身につけるので、異なった常識(知識や判断力)を持つ。それを日本社会の常識と考えるから、大二病が発症する。
先日の選挙も、多くの日本人が、自民党・民主党・公務員・マスコミという見えない敵(その組織の誰が悪いとはわからなし、全員が悪いわけじゃないが、その組織の中にいる悪)と戦っていた。多くの日本人が大二病なのかもしれない。いや、大二病は、日本人の特質なのかもしれない。
大二病を治すにはどうしたらいいか?大二病発病中の俺は、以下の方法で闘病していくつもりである。自分を常識的な人間だと考えるのをやめて、なんらかの専門家だと考える(ある意味、高二病の発病)。同時に、他人もなんらかの専門家だと考える。悪と戦うのではなく、異なる分野の専門家と議論すると考える。具体的には、異なる分野の専門家(知識労働者)が社会の中心となっていく的な本、「プロフェッショナルの条件」 P・F・ドラッカーでも読み直し、洗脳されてみようと思ってる。
博士に対する見方
大学:学費を払ってくれるカモ
周りの博士:こいつより俺の方が優秀!!こいつは才能がない。ポスドクで一生終わりだなwww
修士の学生:教授の奴隷乙www学費上納乙www博士取ったら劣悪な労働条件でポスドク乙www
学部の学生:こいつ30近くになって学生ってあほか??そんなに働くのが嫌か?
マジで頭悪いわ。そばに寄るな気持ち悪い。
企業:こいつ博士のくせに英語でディスカッションも出来ねーのかよ・・・完全な道楽で学生やってる甘ちゃんだな。
親:・・・もう、博士退学してよ・・・家計が・・・苦しい・・・。
幼稚園児:すごーい、このおっちゃん、ガンダムをつくれるんだ~
まわりの反応
23歳修士1年 「へえ~。大学院に行っているんだ。頭いいんだねえ。こっちはこの前ボーナスもらって大型液晶テレビ買っちゃったよ。正社員っていいぜ。」
25歳博士1年 「すごい! ドクターコースなんだ。卒業したら博士? 将来は大学の先生か、すごいねえ」
26歳博士2年 「先月車買っちゃってさ、ローンが大変だよ。今度どっかに遊びに行かない?え、お金厳しいんだ、そっかあ、がんばれ!」
27歳博士3年 「結婚したばっかりなのに、海外勤務になりそうだよ、参ったよ。駐在員は給料は破格なんだけど、お金だけあってもね・・・・。社会人も大変だよ」
28歳ポスドク 「え、すぐ助手になれないんだ。ポスドクってよくわからないけど、大変な世界なんだね。気にするなよ、数年後には助教授だって!」
30歳ポスドク 「気に障ったらごめんな。ただ、人には向き不向きがあるからアカデミックの世界にこだわる必要ないと思うよ。もういい歳なんだし、早く定職と嫁さん見つた方が・・・
36歳塾講師 「子どもが今度中学校受験のために塾通い出してさあ。受験か、懐かしいよな。お前はどうなんだ。
博士号取ったのに、塾講してんの? ふーん。人生色々だけど、やっと落ち着いたんだな。早く結婚しろよ。
親がかわいそうだぜ」
38歳無職 「え?少子化で塾が潰れた・・・。35歳過ぎで仕事探すの大変だろ!え??派遣会社登録してる?で、仕事もらえてる?
やっぱムリだろ・・・。正社員はさすがに紹介できないがうちの工場でライン工で
働いてみないか?搾取がない分、派遣よりましだろ?決して楽ではないが衣食住はそろっているぞ。
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
一緒に飲みに行ったのも白○屋だったな。
「俺はいつか生命科学者になってCNSで一報取ってアカポスに付くんだ」
お前はそういって笑ってたっけな。
お前は博士号取るんだって胸を張っていたよな。
「もうすぐ結果が出そうなんだ。これでウチの研究室からCNSが出せるぞ」
「お前も院に進めばよかったのに。専門知識を使わずに就職なんてもったいないぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前の研究室のポスドク任期切れになったの聞いたよ。奨学金の返済も国民年金も払えないのも聞いたよ。
新しく入った技術者派遣で、一回りも歳の違う、20代の若い専門卒や主婦の中に混じって、使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってテクニシャン続ているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
2 名前:今日のところは名無しで :2008/10/13(月) 09:17:46
今年度で任期が切れる。年齢が年齢なのでもう次はないだろう。
俺の人生終わったな。
この実験は急ぎだから、PIのために死ぬ気で働いて欲しい。
うん、「将来の保障ゼロ」なんだ。済まない。
地獄の沙汰もって言うしね、職を世話しようなんて思っていない。
でも、この現実を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「人生\(^o^)/オワタ」みたいなものを感じてくれたと思う。
そういう気持ちを忘れないで欲しい、
そう思って、大学院重点化してポスドク増やしたんだ。 WEも導入済みだし過労死しても労災もでない、
PIの意向の元で「好きなだけいくらでも働ける」夢のある職場だ。
じゃあ、土日深夜も実験してもらおうか。
今頃古いネタに噛み付くなぁ。
そりゃぁ、個人単位で見れば、「生命科学者になれなかったら職がなくて死ぬしかない覚悟で来てください」っていうのもありだとは思うよ。自殺するのも個人の勝手。
でもさ、学者になれなかった人も何か役に立つんじゃね。勝手に目指して勝手に死ぬのは個人の自由かもしれんが、死なれたら、国としては損なんじゃね。大体、彼らは、恩恵を受けた実感がないかもしれないけど、国は、もう彼らに研究費とか大学の運営費とかいう形で投資しちゃっているわけよ。学者になれなくて死ぬのは勝手だが、国が金払った分は、何か貢献して死んでくれないと、国が損するだけじゃね。
彼らが甘ちゃんだろうがなんだろうがどうでもいいが、とにかく、国が投資した分は働いてもらわないと。これから目指す人には、元増田みたいにおどしをかけておいて、目指させる人を減らして、もう、目指しちゃっている人はなだめすかして、国が投資した分は働いてもらうっていうのは、合理的な選択だと思うけど。
ただ自分の友達にも、院卒で外食産業に就職活動している人がいましたが、
ピペット土方の主な業務は次の3つに分類される。その1つが「ねるねるねるねの合成」である。
ねるねるねるねの合成。予め用意された各種「1ばんのこな」「2ばんのこな」「DHMO(軽量カップまでついている)」などを混ぜ合わせるだけでよい。
各種「こな」の内容は受精卵であったり、DNAやRNAの断片であったり、アミノ酸であったり、酵素であったり、サンポールであったり、ムトウh(検閲により削除)であったりするが、基本的には混ぜるだけなので問題はない。危険な薬品は使わないし。
きっと、この記事を読んでいるあなたにもできるだろう。
どんな分野でもマニュアルに沿うだけじゃないの?
古い欧州に住んでる20代後半科学者女ストレート彼氏無しが通りますよ。
1.オネエマンズみたいなオネェは多分ゲイでもめずらしいタイプなんだけどそれについて知ってるのかなぁ?
うん。
ゲイの友達も結構いるし、私のゲイダーはかなり優秀なんだけど、あのタイプは見た事がない。
2.ゲイの人権問題を言うのなら、性的倒錯の面でロリコンとかも一緒ではないか?
ネットで過ごす時間は長いけどこんな意見は聞いた事がなかった。でも多分本当にそう思ってるんだろうという想像はつく。
後者は性的欲求を実現させれば犯罪だし、例え性行為を行わなかったとしても相手に与える影響の深刻さという点で明らかに違う性質のものなのに。
3.腐女子の方々はいったいなにがしたいのか……。
お伽噺で未知のわくわく異形ランド的世界を楽しみたいんだと思う。「メゾン・ド・ヒミコ」みたいな。
4.実際カミングアウトして引くひとはどれくらいいる?
学部の頃サークルが一緒だった男の子がカミングアウトした時、周りの反応は「へーそうなんだ」だった。露骨に引く人は私の周りにはいないなあ。
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
話が通じる・通じないなんてのはその場の空気が決める事。
常温核融合の言葉の失敗がエネルギー革命を遅らせた!: 陰謀都市伝説ニュース
YouTube - 常温核融合は再燃するか!Cold Fusion Is Hot Again
http://www.youtube.com/watch?v=344J9mNkRxM
http://www.youtube.com/watch?v=7MQJvmYFOhs
Cold Fusion Is Hot Again - CBS News
http://www.cbsnews.com/stories/2009/04/17/60minutes/main4952167.shtml
More Than Junk Science - 60 Minutes - CBS News
http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=4967330n
BBC NEWS | Science & Environment | Cold fusion debate heats up again
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7959183.stm
「常温核融合」 再び
http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1819758
ついに常温核融合を成功させた科学者は日本人 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ
http://www.gizmodo.jp/2008/06/post_3741.html
http://www.geocities.jp/hjrfq930/Books/booksj/booksj01/1shou.htm
昨日、池を探しに行きました。
雨も降らず、暑い一日でした。
池は、結局見つかりませんでした。
池の場所がどこだったのか、思い出すことが出来ませんでした。
何時間か歩いて、私は諦めました。
「もう、いいんだ」と私が言い、彼女は「本当に?」と聞きました。
私は頷きました。
それから、ポケットからスルメを取り出して、袋を開け、ゲソを一本咥え、
彼女は笑いながらゲソを咥えました。
ゲソを咥えて、私たちは笑いました。周りの人からはきっと変な人たちに見えたでしょうね。
私は、友達の話をしました。
ザリガニ釣りに行った話、同じミステリーを読んでいた話、彼が好きだったポッキー、
大好きだった秘密の場所。今は家が立ち並んでいましたが、昔は芝生の畑でした。
こっそり忍び込んで転がって話をするのが大好きだった。
話しながら、私は泣いていました。
涙がぼろぼろ出た。そのうち、泣いているせいで話せなくなった。
私は嗚咽していました。歩きながら、子どものように泣きました。
彼女が静かに私の後ろを歩いていることがわかっていました。それが嬉しかった。
私たちは私の部屋に帰りました。
帰り道、無印良品で彼女はレインコートを、私は黒いナイロンのポンチョを買いました。
昨日の夜はいつもと同じ、私たちの静かな夜でした。
フードに当たる雨粒の音と、波の音が重なっていつもの浜辺がどこか遠い国の浜辺のようでした。
家に帰ってシャワーを浴びて、彼女は帰りました。
冷えたのではなく、蒸れたのです。
日本の梅雨時、傘を差して歩くほうがふさわしいというのが今日の答えでした。
明日から仕事に戻ります。
昔、友達に話したように、科学者としての仕事を続けていきます。
友達は医者になりたいといっていました。
いや、天国には医者は要らないですね。そこが本当に楽園ならば。
これでこのお話は終わりです。
最初にひねくれた勢いで書き出したことがきっかけで、
なんだかとても長い旅が出来ました。
ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090626014641
追記
後ろから来た車のフェンダーミラーが友達の自転車のハンドル右側に当たり、
その反動で私の前を横切るように、左側へ飛ばされたのです。
彼は直接車にはぶつからなかったそうです。
飛ばされてガードレールにぶつかった自転車の突起、恐らくはハンドルが胸にぶつかった。
このことも、ずっと思い出さずにいましたが、昨日思い出しました。
よく言われる話だけど、人類史上で死んだ科学者全員よりも、今現在生きてる科学者の方が数が多いらしい。
ビジネスの高速化はとどまる所を知らず、長期的な戦略に基づく基礎研究なんてもんはどんどん蔑ろにされていってる。
1年以内に成果が出るようなプロジェクトを乱発しつつ、under the tableで(つまり無給で)個人のモチベーションのみに依存して基礎研究をやるしかない、ってのが実情じゃね?
半分趣味みたいなものだと思う。
幸せだからこそその道は厳しい。
専攻は工学系だからほかの分野と比べればまだ状況はましだと思う。
同級生だったのに、彼の方がすでに2年先を行っている。
私が博士にいったらさらに数年遅れる。
同い年の子が既にお給料を稼いでいることに不安を感じないわけではない。
もっとも、うちの大学のうちの学部は最近から博士学生も「職業人」として、一定の給与を支給するようになった。
失敗したら専業主婦という道もないわけではないから、
安定性とステータスに飛びついて目指していたけど、
定年までの人生、「お金を稼ぐための手段」と仕事を割り切っていいものかなあ。。と。
環境は厳しいけど。
自力で就活しました。
推薦だと蹴っちゃいけないから。。
うん、できれば権限と責任がある方がいいよね。
なんか聞かれたら「それはメーカーに聞いときます」って言わなきゃいけないのって悲しいよね、って。
それほど大きくもないメーカーで研究開発してノーベル賞とることはできても。
だからどっちがいいのか分からなくなってきました。
そんな仕事ないか・・
それほど大きくもないメーカーで研究開発してノーベル賞とることはできても。
だからどっちがいいのか分からなくなってきました。
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…?
この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし、科学者は自覚して、そこを分けて振舞うべきなんだけどな。
こういう態度じゃもうダメだよね、科学者も社会的責任果たさなきゃっていうのが現代の科学技術社会論とかの主張で、それに対する支持はどちらかというと大きくなりつつある。もちろん事実として、見向きもしない科学者は多いけどね。
他の人も言ってるけど、菊池誠さん(阪大教授)とか、最近科学者もけっこう発言するようになってきている。日本物理学会でニセ科学問題にどう対処するかってセッションも開かれたぐらいだし。
多分以下のようないくつかの問題がからみあっているのでややこしくなっている。
まあ、それを解きほぐすのが倫理学の仕事だといえば、その通りなんだけどね。
元増田の言ってることは「戦線を限定すべき」という意味では大賛成なんだけど、「倫理」とか「知的誠実さ」とか言わない方がいい。話が拡散するので(実際スレッドを追うと拡散してる)。
単に「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」って言えばいい。
「科学的手続きとは何か」というのはある程度わかりやすく説明できる。>その手の本はいろいろ出てるので興味のある方は読んでください
ややこしいのは、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」というパフォーマティブな言明は何を意味するのか、ということ(誰が言うべきか、そもそもなぜ言うべきなのか、言ったら効果があるのか)。
で、さらにややこしいのは「じゃあ科学とは呼ばないよ。科学的手続きを踏まえていないものを「世界の根本原理」と呼んで広めることにするよ」となったときにはもう、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」という言明は無効化されちゃう。そこでさらに深追いして「科学的手続きを踏まえていないものを口にするな」なんて言っちゃったら我々の日常的コミュニケーションのほとんど全てがひっかかっちゃうからね。
法律に触れるようなことはもちろん法律で裁けばいい。でも、そうでないもの、グレーゾーンなものは難しいよね。「ある人を救うためにナイフで刺すことがベストな方法」って思ってる人が本当に刺しちゃったら犯罪ってことで処理されるし、ある種の代替医療とかはそれに近いところまできちゃってるのかもしれないけど、水伝なんかはそうとは言えないからね。
確かにあれで授業を受けた子どもは、色々な意味で「機会損失」があるわけだけど、それは法には触れないし、「科学」というラベルを外せば先の批判は無効化されるから、あとは「議論」していくしかないんだよね。科学に対する価値観の違う者同士で。
同意。
しかし何だな、双方の論理の組み立てが残念なことになってるから、どうしようもない議論になってるのか…。
元締めって表現はどうかと思うが、あの人はプロの科学者としての知識を生かしたSF屋としてふるまってるんじゃないかな。
科学者「僕たちは嘘はついたことないよ! 信じて! 大量虐殺の過去を持ち出すのは議論のすり替えだよ!」
だいたい大量虐殺に手を染めた件についてほっかむりしてるのが知的に誠実とはとてもいえないし、
優生学と仲良しこよしだった過去を糊塗しようとする姿勢は都合悪くなると異端認定して逃げようとする宗教と一緒。
知的誠実が聞いて呆れる。
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…?
そういう話じゃないんじゃないか? 水伝が科学的にでたらめってのは、科学的には争う余地のないところで。
水伝をバッシングすることが政治的・社会的・倫理的にどういう意味を持つのか、というところにゴタゴタがある。
この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし、科学者は自覚して、そこを分けて振舞うべきなんだけどな。
ほとんどのガチ科学者は、こんな問題見向きもしないでしょ。科学の研究とは無関係だし。
科学的な誤りの指摘は出来るだろ。
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…?
それはおいといても、科学者のニセ科学批判は、「科学者としての仕事はそれで終わり」の範囲を超えてるのではないかと思う。科学哲学の領域に踏み込んでるだろ、明らかに。もっといえば、「科学的に正しい/誤っている」にとどまらず、「それが良いか悪いか」にまで言及してる時点で、倫理学に踏み込んでるんだよ。
他の領域にだって、必要ならば踏み込んでいいんだよ。だからこそ、ある程度ちゃんと勉強して、立つべきところにたって、堂々巡りにならないようにしっかり論破しろってことだよ。
科学的な誤りの指摘は出来るだろ。科学者の科学者としての仕事はそれで終わりなんじゃないか?
たとえば薬事法違反みたいな法的な問題も指摘できるけど、これは法学屋の領分だし、倫理的な批判は倫理学屋の領分だ。
科学者が法や倫理の領域でも自分の考えで口を出していくのは、中身がちゃんとしてさえいれば、いいことなんだろうけど、守備範囲が違うことは断っておいてもいいと思うね。