2009-06-26

空しさの理由とその対処

久しぶりに今日は穏やかな日でした。

あれ以来ずっと突然やってくる空しさについて考えていました。

そのせいで、研究成果の報告が2ヶ月遅れ、初めて上司に進捗を報告することを経験しました。

上司には、ありのままに報告しました。

上司は黙って私の話を聞いて、こんなことを言いました。

空しいのは心ではなく、体だと思うよ。

君は働きすぎなのだと思う。好きなことを仕事にしたからといって、ずっと働いているのだろう?

脳は体なんだよ、心ではなく。考えることをやめることを覚えたほうが良いと思う。


私は彼に尋ねました。考える事をやめるにはどうするといいのでしょうか、と。

彼の暫く考えて、仕事以外の好きなことをすればよいと思うよ、と言いました。

さらに、取り敢えず1週間ほど休んでみてはどうだろうと言われ、今週は休暇を取りました。


今週の日曜日、皆さんのアドバイスにあった様に、私の空しさを彼女に話してみました。

私の話を聞いたあと、彼女は私に何かして欲しいことはあるか、と聞きました。

私は多分無いのだと思う、と答えました。彼女は頷いて、今週ずっとこの部屋にいて良いか、と聞きました。

私は良いともダメとも言えず、考えていました。

彼女は着替えを取りに一度帰るわ、と言いこの部屋にいることに決めていました。

それから車で彼女の部屋に行ったのですが、そのときにふと思いついたのです。

私が彼女の部屋に居ても良いではないか、と。どうせ何もしないのですから、何もいらないのです。

着替えは買いに行けばよい。

それから、私は彼女の部屋に居ました。彼女仕事に行き、帰りに買い物をしてきて、食事を作ってくれました。

私は彼女を送り出すと部屋の掃除をし、洗濯をし、時々食事を作りました。

彼女に聞いたことを、実験の手順書のようにメモし、正確に再現すると、彼女の作る料理の味がします。

当たり前なのですが、新鮮な経験でした。

何もすることがないから、なおさら考えないでいることは難しい。

私は上司の言ったことを考えていました。

私の好きなこと。仕事以外の、研究以外の私の好きなこと。

記憶にある限り遡って、自分が好きだったことを考えていました。或いは身の回りに起きた出来事を。


そして、今日になって思い出したのです。

小学校6年生の時のこと。

一番仲の良かった友達と、自転車に乗って遊びに行く途中に起きたこと。

後ろから走ってきた車が私たちを追い越した時、友達と友達の自転車が一瞬飛び跳ねてガードレールにぶつかり、

がしゃんという音と共に地面に落ちた時のこと。

 

友達は気を失っていました。

血が出ているところもなく、ぱっと見た限りではいつもと同じ、ただ目を閉じて、眠ってしまったようでした。

いや、目を閉じていたのがその瞬間なのか、救急車で運ばれた先の病院ベットでのことなのか、良く思い出せない。

彼はベットで寝ていました。そして2度と目覚めないまま、死んでしまいました。

私は泣かなかったと思います。今思うと、どうしていいのか分からなかったのだと思います。

彼のお通夜お葬式に出て、火葬場に行き、お墓まで行きました。それでも、その時は意味が分からなかった。

私は死が怖いとは思っていなかった。ただ、悲しいとも言えなかった。話が突然終わってしまった。

彼と自転車で並んで走りながら、確かザリガニ釣りの話しをしていた。ポケットにはスルメとタコ糸が入っていた。

池のどこで釣ろうかと話していた。以前に吊り上げたザリガニの大きさの話しをしていた。


その時から、私は時を止めていたのだと思います。

いや、止められていたのでしょうか。閉じ込められていたのでしょうか。

私自身が私を閉じ込めたのでしょうか。


今日、私は彼のお墓に言ってきました。彼のことを忘れていたことを謝りました。

私は泣かなかった。でも、思い出しました。いいえ、今だから理解できるようになりました。

あの時の私はどうしようもなく悲しく、寂しく、辛く、孤独だった、と。

並んで走っていたときに車道側にいたのが私だったら、彼は生きていたのかもしれない。

死んだのは私かもしれない。

流れる血も無く、悲鳴も無く、一瞬で彼は死んでしまった。

私もまた一瞬で死んだであろう。


私は自分の部屋に戻ってきました。

そしてパソコンを立ち上げました。以前書いたことを思い出し、今その続きを書いているのです。

あの時、ここに書き込んでよかった。あの衝動意味があった。そう思えました。


彼の死ぬ前、自分の好きだったこと。したかったこと。

絵を描くことが好きでした。絵を見るのも好きでした。先生に見せてもらったパウル・クレーの魚の絵が好きでした。

水彩絵の具を透明に、重ねて塗るのが好きでした。

いつか遠くまで旅に行こう、でかいザリガニ釣りにいこうと話していました。そこはたかだか隣の町のことでしたが。


結局、私は考えることをやめないままに、茫漠たる空しさのわけを知りました。

私の中の小さな子どもを見つけました。泣けなかった不器用な昔の自分を見つけました。

大好きだった友達を思い出して、やっとちゃんとお別れを言うことが出来ました。


明日、図書館に行って、パウル・クレーの画集を探そうと思います。あの魚の絵もあるでしょう。

青い海のなかの緑色の魚の絵。

今週末、友達と行くはずだった隣町の池にも行ってみます。

彼女を連れて、スルメとタコ糸を持って。

池がまだあるのかどうかわかりませんが。そこは本当は立ち入り禁止の農業用の溜池だったと思います。

グーグルアースで確かめたりせず、記憶を頼りに行って見ます。

水彩絵の具と画用紙も買いにいこうと思います。

何が描きたいのか分かりませんが、きっと何か描けるでしょう。

静かな夜です。雨も止みました。

梅雨時は嫌いではありません。雨の中を傘を差して歩くのが好きです。

傘を叩く雨粒の音と、水溜りに広がる無数の波紋。

出来れば雨合羽を着て、傘を差さずに歩きたい。

日本ではそういう人は見ないですね。

ボストンでは大人でもそういう人を良く見かけましたが、何故なのでしょう。

合羽を買って雨の中を歩くのもいいかもしれない。

彼女に話したら、なんと言うでしょうか。

きっと、頷いてくれると思いますが、どうでしょう

ああ、合羽の話より先に、思い出した友達のことを伝えなければいけないですね。

彼女に話すことを考えていたら、泣きそうになって来ました。

私は悲しいんです。とてつもなく悲しい。彼にもう一度会いたい。彼と夢の続きを語り合いたい。

彼女はきっと黙って聞いてくれるでしょう、いつものように。

私も、何も言って欲しくないのです。ただそばにいてくれるのならそれでいいのです。

来週からはきっといつものように仕事が出来るでしょう。

溜まったデータの解析をし、次の実験を考える。いつもの毎日に戻ります。


なんだかとても長い文になってしまいました。

お付き合い頂き、ありがとうございました。

おやすみなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20090523021832

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