はてなキーワード: 格差社会とは
http://anond.hatelabo.jp/20070731165859
収入のばらつきが著しく大きくまた拡大の方向にあること、加えてその格差が固定的で貧困層からなかなか抜け出せないこと、格差社会に問題がもしあるとすれば、大体こんなところでしょう。
人間の能力と収入には相関はあるが、ほぼ独立である。
相関はあるがほぼ独立ってなに?相関がほとんどないっていいたいのかな?
繰り返すが労働の対価はアナタの能力で決まるのではないよ。あなたの労働がなにを生み出すか、その労働の生み出したものの価値で決まるの。
たとえアナタが人の100倍早く暗算できるウルトラスーパーレジ打ち係でも、ヨーカドーはアナタに2千円(高すぎ?)を越える時給は払わない。レジ係の生み出す価値には限りがあるから。
また、そもそも市場がいたるところで機能しているわけではない。
昔のソ連の話をしてるのかな?
今の日本の話をしてるならば、市場が機能していないのは特殊な例でしょ。何らかの理由で独占が行われている事業、例えば国防のお仕事とか。あとどんな例があるかな、市場が機能してないって実例?
労働者が正当な対価を得られないことは、格差の原因の一つではあるけど それ=格差 ってのは変だと思わない?
結局キミが言いたいのは、
オレの能力が正当に評価されたらもっと収入が上がるはずだ!
最初っから(相続などで)金持ちのやつらはずるいぞ!
ってことなの?
誰も働く気がなくなるんじゃまいか?
(以下あまりまとまっていない文章です、、、、、あと宗教嫌いの人は読まないほうがよいです。)
表題URLの内田先生の記事「格差社会って何だろう」が、どこか心に突き刺さるのは半面の真理を述べているからだろう。
私は刻下の「格差社会」なるものの不幸のかなりは「金の全能性」に対する人々の過大な信憑がもたらしていると思う。
金は確かに全能ではないから、必ずしも人を幸福にするものではない。
聖書には以下の記述がある。
■ルカ 18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
金があることはむしろ害悪であると。
内田先生はそこまで強いことは言っていないが、方向性は似ている。
■ルカ 18:22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
■ルカ 18:23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
このフレーズでは
が示唆されている。
人間には不可能なくらい困難な要求だが、そうしなければ神の国へ入れないと。
正直自分が持ち物をすべて売り払って施せといわれてもとてもじゃないがそれはできない。人生でそういう境地に達することはあるんだろうか。
しかしそういう不完全な自分でも、ここでは気になるのは、「社会がそういう施しを自動的にする仕組みをつくれ」と言っているのではなく、「(金持ちである/←これいらないな)あなたがそうしなさい」と個人に向かって言われている点だったりもする。
キリストの示唆は、今の格差社会では忘れられているポイントがいくつもこめられているように感じる。
※文中の(金持ちである/←これいらないな)内は公開後修正削除した部分です。
http://lifehacking.jp/2007/07/ten-things-to-learn-before-graduating/
はてなブックマーカーは仕事中にブラブラとネット巡回してるくせに、仕事論みたいなものがホント大好きだよなあ!
僕の感想を言わせてもらうと、まったく嘔吐が出るね!あれしろこれしろって、俺は資本家ちゃんの奴隷じゃねーっつーの。これって「オーケ!みんなで社畜になろうぜ!」ってことでしょう?これ読んで喜んでる人って格差社会の下にいて快感を得てるようなマゾヒスト?それとも提案型営業が得意な自称コンサルタントみたいな人?
というわけで僕が社会で生きる上で本当に心がけてべきことを6つ書いておくよ。特に学生のみんなは参考にしてね。
会社では誰も責任をとろうとしない。責任を負うというのは目に見えない仕事で、目に見えない仕事は評価されないから。金はやるから上司は責任をとれよ、というのが年功序列システムだったのだが、これが崩壊して成果主義となったため、進んで責任をとる上司は絶滅寸前になった。責任感を胸に秘めるのは坊やの生き方である。責任逃れのテクニックを覚えよう。
会社の行く先なんてどうでもいい。いい給料でいい仕事があれば、迷わずそちらに転職すべきである。そのためには常に転職先を探しておくべきだ。それが自由経済というものだからである。今までやって来た仕事の責任なんて感じなくていい。人間関係に遠慮して下らない会社に留まるなんて愚の骨頂。社会的に出世すれば、人間関係なんて後からついてくる。大会社にいるから安心、なんて思っている人、かつてのダイエー社員やカネボウ社員もそう思ってただろうね。
会社ってのはだいたい馬鹿みたいな組織で、暇にしているとどうでもいい仕事をさせられる。余裕があると会議が長くなる。だから仕事について、時間を守る必要なんてない。余裕を持って仕事を進めるなんてもっての他。上司の言う締切よりずっと後、自分の目で見て本当にギリギリのところで、ちゃんと仕事が出来ていればいい。もっとも、お客さんとの約束は守ろう。こちらもギリギリで十分だけどね。
仕事の話になると必ず上司の酒は飲めとか、社員旅行には絶対参加しろとかいった類の話が挙がっていること自体、とっても恥ずべきことだよ。嫌な酒は飲まなくていい。それであなたの会社の評価が下がったなら、それはそれで甘受すればいいじゃないか。会社人としてのちっぽけな誇りを得るのではなく、人間として誇り高く生きるんだ。どこまで出世したって上司はいる。いつまでもヨイショしているような人生を歩んでも仕方ない。
世の中はほんとうにバカばかりです。自分に自信がなくて働くのが怖いとか言っている人は、本当に働いてみると別の恐怖を味わうと思う。こんなバカが世の中を動かしているのか!ってね。企業の不祥事がニュースになるたび「誰も止めなかったのだろうか」と思うでしょう。誰も止めません。みんな現状維持しかできないバカだから。だからあなたに少しでも才能があって、ちょっと努力すれば、すぐに仕事なんて片付きます。もっとも、バカが邪魔しなければの話。本当に悲しいことだけど、実質的な仕事というのは大半がバカの対処です。バカと生きる術を身につけましょう。
なんのために仕事をするのか?会社のため?まさか。稼ぐため?もちろん。自分や家族のため?そりゃそうだ。でも、もしあなたの心にもう少し余裕があるならば、社会のために働くんだ、という考え方を身につけよう。自分のため、稼ぎのためで仕事をしていたら、いつか潰れる。なぜなら、世の中には生まれた時からこちらの生涯年収を越える資産を持つようなガキがたくさんいるからだ。バカと付き合って身銭を稼ぐだけの毎日では、いつか死にたくなる。だから社会のために働こう。仕事の中に少しでもいいから、社会の利益になる提案を組み込んでいこう。社会を良くして、将来のためにバカを減らしていくんだ。自分の利益ばかり考えて仕事をしていると、定年になった時に自己中で溢れた荒んだ世の中に気付くことになる。そしてあなたは文句を言うこともできないんだ。
感想、反論、お待ちしてるよ。じゃあね!
住んでいる所の格差ってのは
そういう地域格差はもっと昔からある問題だと思う。
トップとボトムの差の拡大
それに関する「希望」の減少
などにあると思う。
「格差社会」というのは現在の社会現象、あるいは近い将来起こりうるであろう社会現象につけられた「名前」に過ぎないのに、この言葉を使うやいなやそれが動かし難い事実のように思われたり、それが何か別のものを説明する理由になりえるかのように思われたりするのが問題。
先日帰郷したら、実家のTVは画面が横長になっていた。個人的に実家のTVに恨みも恩もないし、ふてぶてしく僕の実家に居座られたところで僕の恥ずかしい過去が所詮Panasonic製品に見られるわけでもないので気にしていない。
よく画面の上端の字幕や人間の頭がきれるので、横長TVが普及していないことはわかる((どういう規格なのか知らない))。たまに実家で安っぽい「バラエティ」や「ドラマ」をTVで見ているとたまにDQNという言葉を思い出す。「こんなものがおもしろいのか」。本屋の新書コーナを見ていると「低所得労働者を夢のある低所得労働者に変えるシリーズ」が売れているようだ。阪神電車に乗っているとほとんどホームレスみたいな身なりの日雇い労働者らしき人間が酒盛りをしていた。
格差論がはやっているらしい。60年代米国に於いて同様に格差論的にいろんな社会現象・心理が説明されたという。
私は普段は独り暮しで学校以外の社会をもたない。そういう私を格差論による説明は説得できない。例えば、「受験勉強に対するモチベーション」について格差論に基づいて説明されてもまるで納得できないのだ(されたのだ)。「下流」の親をもつ人間は努力を無意味だと感じ、「上流」の親をもつと将来への見通しをもち自身の目的のために邁進するらしい。
ところが格差というものの存在を想像する時がある。予備校の近くで浪人生らしき金髪を見た時、コンビニの雑誌コーナの片隅の安っぽい自己啓発本を見つけた時、DDの浜田のシモネタを聞いた時。たまに遭遇する「社会」の表象は、格差の存在を示唆している。しかし、理屈として格差論にはいつも違和感が伴う。騙されていはいないだろうか?「これだから、格差社会は」と。
私は学校以外の社会をもたない。私が感じるものと多くの人が感じているものの違いがそれだけに依存しているわけではないが、格差論が本質をついているとは思えないのだ。蔓延する格差論に漠然とした不安を感じる。
私は普通に生活できていながら特に理由もなくお金のたまらない人が今ひとつ理解できません。
あったらあっただけ使ってしまう人たちがいるそうなのです。そして、そのあげく高利の借金をして何もかも失ってしまう人たちがいるそうなのです。
でもでも、いつ怪我や病気をして働けなくなるかわからないではないですか。その時のために、手に入れたお金を少し残しておかなくちゃ駄目だと思います。
それにそれに、いつ欲しいものが出現するかわからないではないですか。その時のために、手に入れたお金を少し残しておかなくちゃ駄目だと思います。
私の両親はいつもお金に困っていました。借金も多少はありました。でも稼いだお金の中から、借金を返しつつ、利率を考えて手元にマージンを残し、高利の借金をしないで済むように懸命にやりくりしていました。そのやりくりに困っていました。当時は衣食住に使うお金をとても制限され、遊ぶお金もなくてけちな親だと思っていましたが、今考えると素晴らしい両親だと思います。
お金をやりくりできないのは、罪悪です。
本人が借金で壊れるだけではありません。その周りの人、保証人、勤務先、友人、恋人、親兄弟、親戚、全ての人間関係に迷惑がかかるのです。本人が窃盗で警察に捕まるよりも、合法な分だけより性質が悪いとおもいます。
大事なのは、身の丈です。
収入が少ないなら、遊ぶお金に使えるのは本当にちょっとだけです。ちょっとだけに抑えるべきです。
遊びたいなら、まず収入を増やす必要があります。
よい車に乗りたいなら、まずよい車と安い車の差額を鼻歌交じりで稼ぎだせるようにならなければなりません。
ブランド物で身を着飾りたいなら、まずそのブランド物の金額が安くてお得でしょうがなく見えるようになるまで稼がなければなりません。
格差社会がどうこうという話が喧伝されています。
でも、格差社会はこの50年間一度もなくなったことはありません。
下流に生まれ、下流を見て、中流につかえ、上流につかえてきた両親を私は見てきました。
下流なのか中流なのか上流なのかという差は、使う金額にはありません。利用できるリソースに対する消費の配分と、その使用目的にあります。
下流は、ただ遊ぶために金を使います。少ない収入で限界まで遊びます。
中流は、潤沢な収入を潤沢に使います。内訳は、上流に上るための手段としての消費と、楽しみの消費。
上流は、全ての娯楽消費が人間関係を操作するための布石になっています。
上流の収入が中流より多いかというと、実はそうでもありません。しかし、金を使う一つ一つが全て目的のある消費になっているのです。
究極的には、その目的とはより収入を上げることだといっても良いでしょう。かれらはお金を増やすためにお金を使うのであって、お金を使うためにお金を使うことはありません。
低収入なのに豪華な車に乗っている人。低収入なのに豪華な服やバッグを持っている人。低収入なのに豪遊する人。それらの贅沢は、次の仕事、次の収入につながっていますか。
そうでないなら、貴方たちは迷惑です。いつか破綻し、収入の中で支出をきちんと抑えマージンを生み出しながらまともに暮らしている私に友達面をして借金を申し込むのです。
増やすためなら、リスクに応じてお金は貸しましょう。使うためなら、決してお金は貸しません。なぜなら貴方たちは私を理解しないし、私も貴方たちを理解したくないからです。私は貴方に告げるでしょう。愚者は死ねと心の中で言いながら。
「なんでお金なんかに困っているんですか?」
「「格差社会」という言葉が現れた真の理由とその脱出方法」の方のようなやる気のある人たちにしこたま働かせてアガリをむさぼるのが富裕層の狙いです。バッチリ搾取されてます。派遣も正社員も関係ありません。
格差社会(ここでは、個人間ないし集団間の経済的格差が教育的格差を経て再生産されるような社会、くらいの意味にしておきましょう)という現状認識を前にして、自分にはチャンスがないと諦めてしまう人もいれば、のし上がろうともがく元記事の方のような人もいるわけです。そして、後者を焚き付ければ、使う側にとって「お得」です。むしろ前者が労働力として機能してくれないからこそ、やれ「ニート」だ「下流」だといって騒ぎ立てるわけでして。
元記事の方は富裕層の社交に加わろうと頑張っておいでのようですが、案外富裕層の頭の中では、
「また派遣ヤローがデカいツラかまえてやがる。まあちょっとばかしおだてておけば働いてくれるんだから世話ねえやな。まったく効率のいい生産機械様だぜ」
くらいに思われているのかもしれません。そのあたりのことに警戒していないと、たぶん搾取されっぱなしになります。
さて、私から元記事の方に是非お伺いしたいことがございます。
ここで「搾取され続けてる派遣乙」というやつがいたら、そいつには「馬鹿」と言っておく。やりたくもないサービス残業をして、上がることもない安月給に無理やり満足し、ボーナスが少ないと愚痴をこぼす。私はそんな仕事をしている人の方がよっぽど搾取されていると思う。
仰る通り、多くの正社員の労働環境は芳しいものとは言えません。とはいえある程度の法的な保護はなされているわけです。派遣社員の場合は管轄する法律が異なりますから、正社員に与えられる保護が与えられない場合があると思うのですが、その辺りはどのように対処をなさっているのでしょうか。
たとえば雇用の不安定についてです。正社員ではそう簡単にクビを切れませんが、派遣社員や契約社員であればその辺りの融通はききやすくなります(嫌な言い方ですね)収入の安定には雇用の安定が不可欠ですから、その辺りの対処についてよい方策をご教示いただけると、現在この点に苦しんでいる契約社員や正社員の方々にとって助けになると思います。
「これ以上金持ちを増やすと都合が悪い」という富裕層の思惑によって、格差社会という言葉が生まれたのはご存知だろうか。
富裕層にとって、この「格差」という単語は計り知れないほどのメリットがある。その代表的なものを3つ下に書き記しておこう。
1:貧困層が自分が貧乏な理由を「自分のせいではない、格差のせいだ」という単語1つで片付けることができる。そのため、人のせいにし続けていくうちに金持ちになる意欲がなくなり、自分の今置かれている境遇に満足するようになる。
2:格差というテーマを扱う時、金持ちは必ず悪いイメージで報道される。そのため、貧乏人は「ああはなりたくねえな」と金持ちになることを自ら拒否するようになる。
3:マスコミは金持ちより貧乏人の方が圧倒的に多く、貧乏人を相手にした方が結果的に儲かることを知っているので、ワーキングプアやネットカフェ難民などの新語を次々に発表し、貧困層を煽り視聴率や発行部数を伸ばす。その影響で、サービス残業等厳しい環境で働いている人たちが「ここまでなるなら、今の職の方がマシ」と、ひどい環境の職場を辞めることができなくなる。
いかがだろうか。上記3つのどちらかに該当する人がいたら、このGWの間にでも自分の考えを改めるようにした方がいい。直らなかったら、あなたはずっとワーキングプアのままだ。金持ちを悪とみなし、白木屋でまずい酒でも飲みながら「政府は国民のことを考えてない」と、他人がなんとかしてくれるのを一生待っているといい。助けはいつまでもこないが。
そういうわけで「格差」という単語は金持ちにしかメリットはない。貧乏人がいくら格差是正を叫んだところで、富裕層にとっては痛くもかゆくもない。彼らは貧困層が「仕事は辞められない。辞めたら生活ができなくなる」という境遇におかれていることを知っているからだ。だから、とりあえず聞いたフリだけはして改善をすることはない。
私は上の3つの理由を見抜いてから、金持ちになるために行動を起こした。諦めているやつが増え続けている以上、自分にもチャンスがあると思ったからだ。毎日サービス残業の嵐で苦痛極まりなかった仕事を辞め、何社も派遣会社に登録し、今の仕事に就いた。残業はほぼなくなったにもかかわらず収入は一気に増えた。引越しもできて、通勤時間は30分縮まった。自分を信じて行動した結果だった。
ここで「搾取され続けてる派遣乙」というやつがいたら、そいつには「馬鹿」と言っておく。やりたくもないサービス残業をして、上がることもない安月給に無理やり満足し、ボーナスが少ないと愚痴をこぼす。私はそんな仕事をしている人の方がよっぽど搾取されていると思う。
安定した収入が入るようになり、今年の始めに私の計画は第二段階に入った。異業種交流会や富裕層のパーティをネットで調べ、積極的に参加するようにしたのだ。最初は話しかけるのも勇気が要り、話したところで話をあわせるのが大変で恥をかきまくった。しかし、慣れてからは仲良くなれるようになり、社長や投資家といった人脈が増えた。
大事なところは私が「派遣」を選択したことだ。派遣は正社員と違い定時で帰りやすい。なので、交流会の開始時間に遅れずに済む。開始時点ではそれほど人は集まってはいないが、時間を持て余しているセレブの皆様は早いうちから会場にいることが多い。なので、ライバル不在のうちに仲良くなれるのだ。さらに主催者とも話ができるので、その日の目玉である人物をこっそり教えてもらえることも。
最近では計画が前倒しになるほど人脈がハイスピードで増え、今は計画の最終段階。社長やお金持ちの方々から仕事を依頼してもらうこと。または自分で良いと思えた会社に雇ってもらうことだ。社長など、決定権を握っている人たちの決断は早い。彼らに自分を売り込めれば、富裕層の仲間入りを果たせる日は遠くはなさそうだ。
以上が「格差社会」という言葉が現れた理由と、それから脱出を図っている私の現在進行形での奮闘の記録だ。言い訳は捨てた。悪い環境が嫌なのなら、自分で満足の行く環境を作り出すだけ。将来はグーグルのように「働きたい!」と思える会社を立ち上げる。
本気を出すのは、常に「今」しかないのだ。
国が滅ぶのではなく文明が滅ぶ。
でも、日本における場合の「格差社会をなくします!」みたいな政党CMを見ると吐き気がする。
いや、自分一応どちらかといえば民主党支持だったんだけど、格差社会うんぬんの争点をみると嫌悪感を覚える。
そんなに言うなら、共産党に衣替えしなよと。
格差はあっていい。がんばったヤツが稼いでなにが悪い?
問題なのは、貧困。
まきあげた税金の再分配がうまく機能していないんだろ?
格差が問題なんじゃない。貧困が問題なんだ。
ネットカフェ難民の一形態だと言われてる。
更生労働省の調査によると路上生活者は減少の傾向にあるそうだ。
だが、ワーキングプアの問題は深刻性を増しているように感じる。
ネットカフェ難民の苦労は正直測りかねる。
働いているのにかえる場所がないんだぜ?
やまれぬ事情で家を飛び出した場合、住所といえる住まいを確保できない。
頼る人脈もない。住所がなければ正社員の職にはつけない。
日雇いのバイトでは6,000円、あって8,000円がいいところ。
ネットカフェに宿泊すれば1,000円の宿代。
自炊のできない彼等は外食をせざるをえない。
一食500円に抑えても1,500円。
日雇いは交通費などでないので一日に貯金できても3,000円。
仕事のない日もあるだろう。
ムリな労働がたたって体を壊せば社会保険に加入していない彼等には驚くような出費がまっている。
あなただったらそこから抜け出せるだろうか?
都内で住宅を借りようとした場合いくらを積めば借りられるのだろう。
かなりの資金に余裕があるひとで一年分先払いするからといっても断られた。
身内に勤め人がいなかったためだ。保証人を立てなければ与信で落とされることもある。
きつい現場にいけばいくほど、歯の抜けた日本人のおじいさんと、中国人しかいなかった。
彼等は抜け出せないかもしれない。だが今の現状はそうではなさそうだ。
まだ若く希望に燃えていなければならない子達がそのような生活に面している。
カプセルホテルに泊まった事はあるかい?
格差が問題なんじゃない。日本は貧困が問題なんだ。
貧困を固定化する制度が問題なんだ。
ニート・カフェをつくるぐらいなら、行政はドミトリーを作るべきではないか。
海外にいくとユース用の自炊のできるドミトリーのようなものが都市部には多くある。
住所がないと銀行口座をつくれない。どうやって貯金したらいいんだろう。
例えば自分が今の家や貯金をなげうって、他の都市に10万円ぐらいもっていった場合。
自分には人に頼る以外抜け出すための方法が思いつかない……。
なんかやるせない気持ちになっとります。
にゃー。
http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#
http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#
■やっぱりさ、温情なんかやめて
悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。
「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#
■転売がイケナイのって
今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。
その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?
けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#
■
更生できなかったら無期懲役。
更生の見込みがなければ無期懲役。
本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。
人のやることに完璧はない、という問題であって、
http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#
■http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
360やPS3をHD対応のTVやモニタに繋いでプレイしてみろ。
戻れないだろ…。
http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#
表に出てきていない。
実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり
末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。
何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。
特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。
7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。
自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。
http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#
■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説。
http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#
ひたすら勉強だ。
学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当に生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強。学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。
http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#
■http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#
「サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴るときに使われる決り文句のような気がする。
夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、
とか。
http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#
■アルコール抜き
昨日はアルコールなし
一昨日は氷結350ml
だんだん普通の生活?にもっていけるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#
■http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#
http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#
■職種と生産性
職種と生産性に関する素朴な考え。
最初に自分の考えを言うと、現在の社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。
作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師、料理人、介護士、小売店員、工員、医師等がある。
これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理の料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。
作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカーの技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。
最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング、広告、商社、コンサル、経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社は日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。
今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型の仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
■何でも楽しいという友人
「数学と現代文はパズルだし、物理や化学や生物や地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙の根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間の根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通に新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい。漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」
大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。
そして奴は、東大へ行った。
知ることが楽しいのだという。
他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。
たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。
「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」
「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」
「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときはサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」
「それ楽しいか?」
「楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」
「そういうもんかなあ」
「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットでサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」
言うまでも無く奴は非常に博識である。
だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。
小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。
「どうとでも楽しみ方はあるよ」
「どこがだよ。つまんねーよこんなん」
「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」
「うーん」
「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい」
「まあそれはそうだけど」
「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」
俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。
http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#
■http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#
知的好奇心つながりで一つ自分の話を。
自分は東京の街並を眺めるのが好きです。
特に新宿の高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。
ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、
その部品に使われる小さなネジ・・・
と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。
で、はたと気がつく。
今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!
普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?
こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。
こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#
■格差と想像力
こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#
私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。
大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。
卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外で勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。
アメリカの大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。
もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカの大学で博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生がごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。
それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFLの勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。
その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学で日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報は常識であったらしい。まぁ、ハーバードだMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。
中堅大のハンディキャップは就職活動に現れる。ハーバード、MIT、スタンフォード、イェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードとMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。
もし日本の大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。
結局、人間は社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。
結局私は海外で就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#
■http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#
増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#
■そうね
クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、
書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。
俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。
http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#
■http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#
自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。
そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)
http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#
- 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
- オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
- 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
- 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
- 構成の再整理
追記:
もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#
■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら
http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#
私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。
これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。
なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。
でも、やっぱり苦手。
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
これを書いたのが自分なんだけど、書いといて思ったのが、自分が思っていた以上にこの格差の話ってのはみんな真剣に考えているんだなぁと言うこと。
自分はニュースはネットでしかみないから、そういった話題にあんまり敏感じゃなかった。
あと、うまい言い方が思いつかなかったから反感を買うことをを恐れずに言うと…なんて書いたらホントに反感を買ってしまったこと。自分の文章力はまだまだのようだ。
でも、なんか擁護、と言うか私の考えの一部に同調してくれる人がいたのは嬉しかった。
なんか親の庇護のもと、ぽーっとひかれたレールの上を通ってきた人みたいな事を思われてるっぽいから一応書いておくと、うちは普通だったっていうのは「普通に良かった」というのではなく、「普通にいいことも悪いこともあった」って事で、別に恵まれてると思ったことはない。まぁ隣の芝生は青いってやつなのかもしれんが。
小学校の高学年の時に親が独立した。で、中学2年ぐらいの時にはもう傾いてきててさ、中学三年の時には塾に払う月謝が払えないから申し訳ないけど塾を辞めてもらえないか、なんて親に頼まれて、その時は塾に行かなくてすんでラッキーなんて思ったけど、今から思い返すと親もホントはそんなこと言いたくなかったんじゃないかなぁと思う。
で、商売をしている家が傾いてくるとよくある話だと思うんだけど、夫婦仲が悪くなって、夜中は毎日ケンカですよ。そんなときにちょうど受験でさ、普通に落ちたわけ。で、その落ちたのは100%自分の責任だし、実際勉強も全然してなかったから当たり前なんだよ。
でも親はそうは思ってなくてさ、併願で受けたのは進学コースのある私立で、そこに入れば授業料も入学料も免除なんよ。だから親は俺が親に気を使ってわざと落ちたのかと思ったわけ。で謝られるの。ごめんね、って。この時はほんと申し訳なかったなぁ…でもそれがきっかけで両親の仲が直ったからよかったんだけどね。
でも倍率が1.1倍の高校で同じ中学から10人受けて1人だけ落ちたんじゃそう思われても当たり前か。
浪人したときは親が大人になったときのために、って親がコツコツ貯金してくれてたお金を、どうせあんたにあげる予定だったんだから好きに使いなさいって事で予備校に入れてくれた。それなのに俺は遊びほうけてばかりでバカ、ホントバカだと思う。
ただそういう経過があったからこそ、どこかの大学に、それなりに有名な大学に入らないと駄目だ!と思って勉強したときはホント必死に勉強したよ。
文系だって誤解されてるけど俺は理系で、しかも英語は致命的にできないから数学と物理で入るしかない!と思って勉強した。
細野真宏の数学の本を全種類買って1日に1冊終わらせた。全部終わらせたらまた最初からやり直した。
物理も誰かの参考書買ってそれだけやった。誰のだったかわすれちゃったけど。
でもこの時ほど理系の自分に感謝したことはなかった。数学とか物理は世界史とかに比べて覚えなきゃいけないことって少ないじゃん。
あと基本さえ覚えれば応用だって解けるってところもよかった。
MARCHなんて上の方じゃねーか、って感じの事を書かれてたけど、確かその時の偏差値は55ぐらいだった気がするから確かに普通よりはよかったのかも知れないけど、それほどいいわけでもなかった。
大学の授業料は奨学金と自分がバイトした金でなんとかした。親もある程度は出してくれたけど。留年したときは留年することになるってわかった時点で休学した。そうすると授業料が半分だったから。もちろんこの時の金も自分で払った。
大学生だってバイトで15万ぐらいは稼げたよ。時給850円だけど。大体10??15万だった。
理系で半導体系のゼミに入ってたんだけど、バイトで忙しいの(もしかしたら自分で授業料払ってるのも)教授も知ってたらしく、普通の実験とかではなくて、コンピュータを使ったシミュレーションにしなさい。って言ってくれた。だから就職が決まったあとの4年の頃は必須の授業の他は毎日バイトしてたし、終わってから夜10時ぐらいに学校に行って仕込んであったシミュレーションのデータの解析をして、そのまま学校で寝て、朝起きてそのままバイト。みたいなこともしてた。
この生活もやってた時はつらかったけどよかったと思う。就職して忙しくなったときにふんばりがきくようになってたから。
ここまで書いて読み直すとただの日記だな…ごめんなさい、でも自分にとっては重要なことなので残しておきます。
ここからが本題なんだけど、前の記事で
>だから毎日早くから遅くまで働いて、家には寝に帰ってるだけってくらい働いてるのに年収200万とかってありえないだろ!とか思ってしまう。
>ネタじゃないの?とすら思う。
って書いたと思うんだけど、これには前の記事で書いた理由ともう1つ理由があって、それが上で書いてた親父の話。
親父の会社は俺が中2ぐらいの時にすでに傾きだしてたって事は書いたと思うんだけど、高校1年ぐらいの時にはつぶれたわけよ。で、自己破産してた。
で、親父はどーしたかというと、働くことにして仕事を探したのよ。で、得た仕事がカプセルホテルの従業員。夜はその仕事をして、朝は弁当配達のバイトもしてた。
で、その仕事は1年ぐらい続いたのかな、でやめてその後は宅急便の配達でさ、40代後半でそんな仕事をしてたわけ。で、50になったくらいでそれもやめて、今は1戸立てのセールスマンをやってる。住宅展示場とかにいる人。あれ。
それがお前との格差だろとか言われそうだけど、親父はどの仕事をやってた時も手取りで月に30万以上は貰ってた。俺は働くようになって知ったけど、手取りで30万貰うためには額面で40万以上は必要だ。
親父はそれこそ朝早くから夜遅くまで働いてた55を過ぎた今でもそう。これは俺には出来ないから、親父の最も尊敬できるところだ。
月に40万以上は額面で貰ってるって事は年収で言えば500万はいくはず(ボーナスは貰ってたかどうかわからん)。
だからうちの親父より若いのに、ホントに朝から晩まで働いて年収200万ぐらいなの?って思った。年収200万ぐらいって俺が大学のときにバイトしてたのとあんまり変わらないよ。それって『やるべき事をやってないだけ』なんじゃないの?って思ってしまう。
この前に書いた記事のはてブのコメントにもあったけど、俺は努力すべき時に努力した人らしい、自分ではその時は必死で1つのことしか考えられなかっただけで、努力してた意識もないけど。親父もきっとそうだと思う。一家を路頭に迷わすわけにはいかないと思って毎日仕事をしてたんだと思う。
この前フラット化する社会ってのを読んで、その通りだと思った。世界はフラット化してる。それは間違いない。ネットでGoogleアドセンスでいくらぐらい稼いでいる人がいる。ってのを見て思ったのが、今の世は英語さえ使えればそれと同じだけ稼げるんだな、ってこと。
そう思ってたらその本にはそういう人もいるみたいってのが書いてあった。だからそれと同じ事をすれば日本でだってそれくらい稼ぐことができるみたいじゃん。
そういうものを読むとやっぱり今日本で言ってる格差社会ってのはホントなの?と思ってしまう。
ちょっと思ったのが、どっかのブログで読んだ(多分はてブのほってんとりからだと思う)んだけど、アメリカでは国際電話1つとっても何も知らないと、安く済ませる手段を知っている人の何十倍も払うことになるって話。
いわゆる日本の中で言われてる格差ってやつの低いほうにいるらしい人ってのはもしかしたらこういう、知っている人は知っている、みたいなものを知らない人たちなのかなぁ…
の拙いエントリにトラックバックを頂いたので、お返事しておきます。
まず、私が書いた上のエントリーを読む人は、少なくともインターネットに接続できる環境にあると想像します。そして、はてな匿名ダイアリーにアクセスしています。
その場に何かを書く場合、大抵の読者はワーキングプアーとは言えないでしょう。携帯電話や他の端末からアクセスできるとか、印刷したものを読めるといった可能性については、その点は申し訳ない、普通にPCによるインターネット接続環境がある人以外のことは考慮に入れていなかった。この部分については私の考えが及ばなかったところです。生活の中でインターネットに接続できる状況は、判例には詳しくありませんが、日本においてはまだ「最低限度の文化的生活」であるとは認められない贅沢な行為である、と認識されている気がします。
とりあえず、torlyさんにお勧めしたいのは、そこまで切羽詰っている状況であるのならば、まずは日雇いなりなんなりで軍資金を稼ぐのが妥当な戦略だと思います。広島県内におけるセミナー開催の具体的な情報は私は持っていません。また、みすぼらしい格好についてはそんなに問題ないかと思いますが、これもご自身が気になさるようでしたら、上下2万円のスーツを新調できるまでセミナーへの参加を引き伸ばしても、人生における決定的な打撃にはならないかと思います。広島の事情には詳しくないのですが、だいたい一ヶ月もあれば十分かと予想します。
morutanさん、あなたほどの行動力があれば私の言葉は不要でしょう。私がメッセージを伝えたかった対象は、あなたのような行動を起こす勇気が出ないひとたちです。しかし、せっかくまとめていただいたようですから、目を通させていただきます。ただひとつ、私が用いた「責任」という言葉は、誰かの利益を明確に害するような、法的な意味での用法であることだけは断っておきます。たまに刑事事件でも「酒を飲んでいて責任能力がなかった」というような言い訳があるそうで、そのような事情が正当な理由になるはずがないことは周知のとおりです。また、引用が多くなるかと思いますが、著作権等の法律における慣例上の範囲に留めようという努力をいたします。
「努力すれば報われる」、ということみたいなのでワーキングプアの皆さんは彼の勤めている会社、もしくは彼が運営している会社を目指すとよいと思う。そこでは、「ハケンに対する差別もなく、フリーターでもやる気と能力があれば差別せず正社員に取り立てられ、非正規雇用社員だからといって突然に解雇されるということはない」、のだろう。(すばらしい)
正直な話、私は経営にも人事にも携わっていないので“無責任”な発言になってしまいますが、やる気をわかりやすい形で提示しつづけ、なおかつ能力がある(私の定義では、リアルタイムに成果を出し続けていることです)ならば、ふつうの会社でクビにはなりません。
面接などにおいて能力を証明するのは各自の工夫になりますが、資格を取るなり、自分で何かしらの具体的かつ実行可能なロジェクト提案を面接でプレゼンテーションするなり、方法はあります。就職に関する本を書店で立ち読みする程度は多くの人にとって不可能ではないと考えます。また、ブログ「分裂勘違い君劇場」には参考になると思われる記述が多く見受けられますので、こちらをご参照になることもお勧めできるかと思います)。
都合のいいように編集するほど低いプライドは持ち合わせておりません。ご安心なさってください。自分の中で矛盾することはできるだけ排除できるよう工夫して生きています。
さて、要約すれば、「格差格差いって保障が欲しいんだろ?その前に努力しろ!」、って言いたいみたいだ。
保障については全く考慮にありませんでしたが、一体どこからそのような意図を汲み取られたのでしょうか?私はたしかに文章を書きなれておらず、現に何人かに誤解を与えてしまっていますので、後学のためにも具体的にご指摘いただければ幸いです。また、私は激務をこなすタイプではありません。忙しすぎると人生に工夫を取り入れる余裕がなくなりますので、休日は休むし、夜は家で夕食を作って食べています。
どうせ読まないのだろうから要約すると、上記エントリ後段の内田センセからの引用で、「努力もしないでただ人の持ってるポストを狙うというのは社会は赦さないだろう」、ということは含ませてある。そして、団塊のポストを狙う非正規雇用者が将来そのポストに着いたとして、そのポストを下の世代に譲るかどうかという問題も。
要約までしていただく親切さ、恐れ入ります。嫌味ではなく、本当に私も見習いたいと本心から思っています。ただ、あなたのブログは横に広くて読みづらいですね。私の後輩がこのようなホームページを作成してきたら、その後輩に対する私の評価はすこし下がるでしょう。これは工夫が足りない。ウインドウサイズに合わせて横幅を変えられるテンプレートに変更なさると読者にやさしいかと思います。
また、どうせ読まないとまで言われてしまったので読んでみようと努力してみたのですが、参照のエントリの内容が不勉強のため背景知識がわからず読解できなかったので、そのエントリで参照されていたエントリを読もうとしたのですが、、というループを2回繰り返したところで諦めました。あなたのblogの記事の書き方の問題か、私がリテラシーが無いことが悪いのか、そこは第三者の方に判断していただければ嬉しいのですが、これは期待できそうもありません。ですから、私が折れましょう。あなたのブログを読解できるリテラシーは、私には存在していません。これは私の怠慢によるものなので、マンガばかり読んでいないで岩波文庫の資本論でも読もうかと思います。おそらくそこまでの意欲が私にはないのですが。
同様に、私のリテラシーの欠如によって理解ができませんでした。気が向いたら精進いたします。
そういう実感は(他人様のエントリだが)こちらに詳しい
いったいいくつのエントリーを参照させるおつもりですか?読みましたけども。え?これ読んでも文脈に関係ないんですか!?私は怠慢なため速読技術を身につけていないので、時間があまりにも浪費されて悲しくなってきました…。
このあとワーキングプアの話に移っていらっしゃいますが、ワーキングプアは私の想定した読者に入らないというのは前述のとおりです。
「それがオレが毎日がんばってることとどう関係するの?(オレがんばってんだから何言ってもいいんじゃないの?)」
私自身が頑張っていると一度でも言いましたでしょうか?最近の学童よろしく私には根気が少々欠けておりますので、自分の記事を読み返す気力がありません。でも頑張りました。たしかに「経験則」などという表現を用いていました。だからといって、何を言ってもいいなどということは全く考えていません。自分の深層心理など把握できていませんし、だから証明もできませんが、私はそのように自分を信じています。
「ほうしゅうが低いひとやがんばろうとおもってもがんばれないひとのことはみくだしてもいい」んだよね?
なるほど、ではもっとがんばってそれなりの待遇を掴んだぼくは君のことを見下してもいいわけだ。はてぶに書いたコメント、『たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・』、はそういう意図から書いた。
ギロン全体の内容からすれば関係ないが、こういう形にすればいまのポジションやそれを掴むために努力したということをひけらかしたい彼のプライドをくすぐれると思って置いといたらしっかり釣れた。
見下した覚えはありません。対等な立場で非難したつもりです。そして私は努力して高い地位を得たなどと表明していません。むしろ「自分がそこまで言えるような立場にないな。」と書いているくらいだ。私は若いし、まだまだ社会的に立派に認められるほどの成果も出していない。正直、社会的に見た場合の地位は普通でしょう。ただし、向上心を持っている自信はある。自分は将来リッパになるぞ、という決意は持っていて、成果を出そうと日々過ごしている。
ええ、その努力はしますよ。仕事をするんなら社会をよくしてナンボだ、という個人的なポリシーを持っています。先のエントリーも、くすぶっていて一歩を踏み出せないひとが一人でも微量の行動力を得てくれたら、と思って書いたものでした。
私の定義は明確に述べました。今度はあなたの番だ、とも言いません。正直、あなたにはどんどん興味が失せている。嫌いですらない。稼いで社会に貢献してもいるようだから、私がメッセージを伝えたい対象にあなたは全く入らない。これくらいは私の勝手だろう。あなたの中での責任という言葉の定義は知らないが。
子どもにはそのような状況を味あわせるつもりが無い。また、どこかに書いたが、私は仮定の話にはあまり興味が無い。あるのは現実のなかの確かな私の身体だ。
まぁ、「子ども作らない」だの「2??30年後にはまたバブル」、「オレが社会を変えてみせる」といったちゃぶ台返しもあるのだろうけど。後者2点だったらそれはもう万々歳で。
あら、引っかかってしまいました。私は社会を変える工夫をしますよ。こう叫ぶ私のことを「痛い」とあなたが言うのは勝手です。同様に、私がどのような思想・良心に基づいて行動をしようと、最低限のルールは守る限り(たとえば法律)、私の勝手です。最後に意見が一致しましたね、強いシンパシーを覚えます。まさに「万々歳」ですね。
最後に謝らなくてはならない。あなたの気分を害した。それについては、心底、申し訳ないと思っている。私の理想は、誰の気分も害することなく生きることです、そのために自分の態度をカイゼンしながら生きていきたい。だからあなたとのやりとりは勉強になった。また、もう一点。関連の参照エントリに挙がっている3つの長文を読む気力が残っていない。でもがんばって読みました。しかし読解力が残っていない。というか、私にリテラシーが無いことは私も反対していないから、私の。
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
[ハテブ]
morutan お返事, しょっぱい, なんだかなぁ, まん延する××, 偽善 なるほど、増田にアクセスしてる人限定だったわけだ。そして「ニート」として脳内設定してなにか教訓めいたことをご教授されていたらしい。てか、格差社会という言葉を誤用していた、と。書く前に調べればいいのに
保障についての私の記述の指摘、私が何を言ってもいいと考えていると予想された根拠、私があなたを見下したと感じらた理由。私があなたに解説を求めた一切にあなたは(現時点では)答えていない。これでは、対等な議論を放棄されたと私が感じ取っても仕方ないだろう。さらに私はあなたに、最初のエントリーを書いた対象が「ニート」に限定されるという誤解までもを与えてしまった。格差社会についての本は何冊か読んだが、私のリテラシー欠如によってそれぞれの本で定義が異なっていたように認識していたので、どういった用法が「誤用」になるのか、よろしければ教えてほしく、ない。あなたの意見にはもう目を通したいとは思わない。ただ上でも繰り返したように、あなたが書くなら私は読むかもしれない。しかしおそらくもう反論はしないだろう。ただ上でも繰り返したように、反論するかもしれない。ここまで譲歩すれば、行動の選択は私にあるだろう。
繰り返しになりますが、あなたのことは嫌いにすらなれない。本当に興味が無い。ここに反論を事細かに書いたのは、私のためでもあなたのためでもなく、あなたの反論によって「私がメッセージを伝えたい人たち」が戸惑うことを避けたかったからだ。
最後に。あなたが社会的に優れた地位にいるとは私は信じない。このことに不満があるだろうか。あるのだとしたら、それは仕方ない、お互いに理解がし合えない存在であったということでしょう。お疲れ様でした。